後半では春学期、および夏休みについて振り返っておこうと思います。
春学期はご存知のようにパンデミック下で授業がオンラインになったり、予想していた日々とは大きく違うものになったわけですが、この振り返りではできるだけパンデミックの話をするのではなく、春学期を過ごす中でどうコロナウイルスに影響されてきたのかを書きたいと思います。
年末年始の一時帰国からアメリカに戻ってきたのが1月19日、そこからシカゴの知人の家にお邪魔して、プリンストンに戻りました。当時はすでに武漢でコロナウイルスが発生し、どこかの国の大統領が武漢ウイルスなどと呼んだせいもあり、空気としてはアジア系への差別が問題になっていた気がします。アメリカに戻って翌週に、現代中国センター(CCC)が主宰する新年会パーティがCCCのディレクター(私の指導教員の指導教員)宅で行われたのですが、確かにこのタイミングで中国から帰港したかもしれない人がいるところに行くのはどうなのだろうか、まあ多分大丈夫だろう、と半分楽天的に思ったことを覚えています。
コースワーク
帰国してから2週間、2月の初旬から春学期が始まりまった。コースワークとして現代社会学理論、先学期に引き続きエンピリカルセミナー、疫学、それと学期の後半から指導教員の家族社会学のセミナーを受講した。
現代社会学理論の授業は、古典に比べると先生の好みがはっきり出るタイプの授業で、話を聞く限り、批判的人種理論を読むところや、ハーバーマスを読むところ、色々あるみたいです。今回授業をもってくれたのは、フーコディアンの先生だったので、フーコーやグラムシといった権力論の話が多かったです、ポストモダンですね。加えて、イランの専門家でもある先生は、Julian Goなどのポストコロニアルの文献もたくさん入れられていました。
この授業は実りがあったかと言われると、正直難しいところがあります。特に、フーコー以降のポスト構造主義シリーズでは毎回「シンパシーは感じるけれど、私はこの視点を生かしてどうやって人口学的な研究をすればいいのだろうか」という感想を持ちました。いくら歴史的文脈が大切と言われても、実証主義的な研究伝統に立つ社会階層の研究者でさえ近代化論を信じてる人はいないはずで、多かれ少なかれ今の社会学者はコンテクストの重要性に気づいていると思います。もちろん、そうしたベースにはポスト構造主義の知的潮流があるのかもしれませんが、実際に原作を読むことで、自分の研究にフィードバックがあるのかと言われると、難しかったです。
エンピリカルセミナーは先学期と同じなので省略。書き上げたペーパーはこの1ヶ月で修正して、明日投稿する予定。
疫学の前に、half termの家族社会学。ロックダウンが始まった後半からの授業だったので、最初から最後までzoomで、なかなか新体験だった。お互い色々難しいところはあったと思うが、家族社会学(というよりも人口学)の重要文献をフォローできたので、これをもとに10月の試験を受ける予定である。
色々とドラマチックだったのは、疫学の授業だった。授業を持つ先生は社会学部には所属しておらず、人口学研究所および公共政策学部に所属している。この人もなかなかユニークで、博士課程を出てから、基本的にずっとプリンストンの人口学研究所で研究してきた、うちの研究所の長老的な存在である。
生きる歴史といった感じの人で、アメリカ人口学の黎明期にある研究者とは同僚だった経験があり、プリンストンを出た多くの人口学者とのネットワークを持っている(コロナ関係で論文をシェアした時も、この著者は私の学生だった、と言われたことは数知れず)。海外での調査経験が豊富な点もユニークで、これまでグアテマラや台湾で実地調査に関わっている。日本に関しても1990年代に婚姻上の地位と死亡率に関する一連の論文を出版しており、色々あって指導教員と彼女と私の3人で、そのアップデートの論文を書いている。
25年以上前に出た論文について、ついこないだ書いたように明快に説明する姿をみて、この人だけ時間の流れ方が違うのではないかと思ったことも少なくない。典型的なニューヨーカーで、授業の最初では自分の話し方が早いことに注意を喚起する(多分昔は今よりも早口だったのだろう)。授業で引用する新聞記事は95%はNYTで、ここまで生粋のニューヨーカーも、今時珍しいのではないか。余談だが、村上春樹の「やがて哀しき外国語」でプリンストンの教員が毎日NYTをとっていることに対して村上はスノビズムの気をみてとっているが、彼女は村上春樹がプリンストンにいた時も教員だったので、村上がみていた教員の一人は彼女だったのかもしれない。かなりシニアの研究者だが、まだまだアクティブなので、すくなくとも私が卒業するまでは退職しないでほしいと思いつつ、一緒に楽しく研究している。
疫学の授業を取り始めた時には、廊下やキッチンで、やや気まずいスモールトークを何回かしたぐらいで、それ以外にコンタクトはあまりなかったのだが、コロナ以降は特に、一番頻繁に話している人かもしれない。「人」というのは、教員や友人などを含めてで、私が日常的に連絡し合う全ての人の中で、一番話している気がする。その事情は夏休みのところで話すことにする。
疫学の授業は公共政策大学院と人口学研究所の博士課程用の合併コースで、プリンストンでは私にとって初めてのレクチャースタイルの授業だった。彼女の授業では多分20年前くらいから作り始めて毎年微修正をしている老舗の鰻屋のタレみたいなスライドが使われ、古さは感じないが、とにかく「整っている」ものだった。よく手入れされた家具といった方がいいかも知れない。5年間同じ授業をしても、ここまで適度な情報量で話の流れもいいスライドは作れないだろう。本人は完全に中身を暗記してるので、ドラマのシーンを見ているくらい流暢に授業が進んでいく。この授業、10年でも作れないかも知れない、そう思って私は勝手に20年もののスライドと呼んでいた。学生からの質問も即座に答える。そりゃ20年やってるので質問は出尽くしてるのだろう。それでもたまに今まで指摘されなかった質問があると、一言「ナイス」と付け加えてメモをしているので、おそらく来年のスライドではその点は解決しているはずだ。
この授業では疫学の教科書に準拠する形で、疫学のイントロについてレビューを行う。既知のことも多かったが、社会学や人口学をやっていて、なぜ疫学の人はそう考えるんだろうと判然としなかったところがわかったのは一つの収穫だった。例えば疫学ではオッズ比が多用される。この授業でも何度もオッズ比をつかったので、オッズ比が「オッズの比」であることがよくわかった。これだけだと、何をいっているのかわからないかも知れないが、社会移動のオッズ比の概念を学ぶより先に、疫学のオッズ比をexcess rateと比較しながら学ぶ方が概念を掴みやすい気がした。
話を戻すと、疫学でオッズ比が多用されるのは、サンプルがアウトカムに基づいて選択されるケース・コントロール法がよく用いられるためである。人口学者からするとなぜサンプリングをしないんだと思ってしまうが、ある症例がそこまで頻繁に生じない場合は、ケース・コントロール法の相対的なメリットも増してくる。これは一つの例だが、数字一つの解釈とっても、疫学的な解釈と社会学、人口学的な解釈は異なるので、私にはそういった点が非常に楽しかった。
例年であれば、先生も微修正したスライドをいつものように流して、試験をしてレポートの採点をすれば良かったのだろう、ところがしかし、タイミングよく(わるく?)コロナウイルスによるパンデミックと授業のタイミングが完全に一致してしまったので、授業は3/4程度がこれまでの内容、残り1/4がコロナウイルスを事例に教科書の内容を応用する展開に変わった。コロナウイルスほど疫学の授業の題材に適切な(というとあまりコレクトではないが)事例もないだろう。感染症のモデリングの話では、日進月歩で進むコロナウイルスの再生産指数がどのように計算されるのかの説明があったし、その指数のインプリケーション、あるいは他の感染症との比較などの解説があり、これは疫学の授業なのか、コロナウイルスへの理解を深める特別授業なのか区別がつかなくなってきた。
後半の社会疫学のパートに入る頃にはアメリカでもロックダウンが始まり、徐々にコロナウイルスとSES、人種の関係がクローズアップされるようになり、またもやコロナウイルスが絶好の事例となってしまった。そんなこんなで、授業が終わる頃には疫学の知識だけではなく、コロナウイルスの情報についてもかなり詳しくなっていた。
パンデミック下で、これは非常に助かった。というのも、ツイッターなどを当時見ていると、本当かどうかわからない情報もたくさん流れていたし、良くも悪くもコロナ関連の論文が量産されていたので、自分一人では何がとるべき情報なのか、判断がつかなかったかも知れない。この疫学の授業を取りながらコロナウイルスについての理解を深めていけたのは、予想外ではあるが一生の財産になるだろうと思う。
そうやってオンラインに移行してからも私は授業を楽しんでいて、発言も結構していたからか、上に書いた共著にも誘ってもらったし、夏休みにコロナウイルス関連で一緒に研究をすることにもなった。
夏休み
5月後半に学期が終わり、夏休みに入った。当初の予定では(笑ってしまうが)イタリアやフィンランドの学会に行く予定だったのが、もう全ておじゃんになってしまったのは、いう必要もないだろう。一時帰国も考えたし、周りの友人たちも結構帰っていたが、私は実家に高齢の祖母がいることもあって躊躇していたら、いつの間にか便がほとんどなくなり、チケットも高騰したのであきらめた。7月10日に大学のアパートに引っ越すことになっていたので、タイミング的にもその前後の帰国は難しかった。ルームメイトも色々あって最初から探し直す羽目になったのだが、最終的に同じ学部の友人と住むことになり、今までで一番ルームメイトとよく話していて、引っ越してから1ヶ月が経とうとしているが、メンタルヘルスはかなり安定した気がしている。
夏休みに入って、いくつか新しいことを始めた。一つはポッドキャスト「となりの研究室」。途中、中だるみする時もあったが、ちょうど第6回の収録を公開した。趣旨作りには苦労したが、結局友人から初めて研究者仲間を紹介してもらい、ご自身の研究生活についてざっくり伺うというゆるゆるポッドキャストになった。結果としては、こういう大義名分めいたものがない方が続くのかも知れない。回り回って、第6回と第7回のゲストは同じ年に東大に入学した全く知らない人になって、世の中の狭さを感じている。
もう一つは東アジアの人口と社会階層に関する学生セミナー。もともと、指導教員が指導教員の指導教員(ややこしい)と一緒に夏にこのテーマで学会を開こうとしていたのだが、コロナで中止になったため、オンラインエフォートになった。zoomセミナーは月に一回、シニアの研究者が報告する形式になったのだが、私から学生・ポスドクを対象にしたセミナーの提案をさせてもらった。こちらは隔週開催。学生メインとはいえ、英語でセミナーのオーガナイズをするのは初めてだったので、色々学ばさせてもらっている。
論文も書いていた。4月初めに依頼原稿のような形の連絡をいただき、日本語はしばらく書かないつもりだったが、お世話になっている学会の話なので受けることにした。締め切りまで何もしないのも嫌だったので、4月から初めて、7月末に1本書き上げた。近く一橋経済研究所のワーキングペーパーとして公開される性別職域分離とスキルの関係についての論文。先に書いたようにgenomeのペーパーは提出間近。3月に投稿した専攻分離の論文はR&Rになったので現在改稿中。地熱論文も査読が戻ってきて来週には提出。第二著者として入った人口学系ジャーナルに出した論文はすでに修正して再提出。だいたい夏に終わらせたかったものは終えている。
最後に、疫学の先生とのプロジェクト。これも事の発端はCOVID。夏休みというのは学部生にとってはインターンの時期なのだが、こういう状況でインターンは不可能になっているので、先生が所属するヘルスに関する研究所から予算をとって、学生主体でプロジェクトを提案してもらって、夏の間に一緒に研究するプロジェクトを立ち上げた。私も、学生の選考に多少関わって、今では二つのプロジェクトを走らせている。自分がRAとして雇われていれば給料が出るのだろうが、今回私はRAというよりはco-PIみたいになっている。こう書くとタダ働きさせられているようにも見えるが(確かに学生が書けないコードとかは書いているが)、先生はどちらかというと私に学生を指導する経験をチャンスとして与えたかったのかも知れない(し、私がいる事で先生の負担も減るというのは間違い無くあっただろうと思う)。実際、初めてアメリカの学部生に「アドバイス」をする立場になると、学ぶことも多い。
なにより、ほぼ毎週1度のペースでミーティングをしているのだが、これが私生活も含めてペースメーカーになってくれたので非常に助かった。たるみがちな夏休み、かつWFHでなかなかモチベーションが上がらない時期もあるのは事実だが、こうやって定期的に人と話せる機会を持てる事で、最低限生活リズムを整えて研究することができているので、それだけでも感謝している。
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