September 29, 2022

日々の記録

 9月28日

朝起きたら、先日の取材が記事になるような感じで、内容のチェック、友人の論文へのコメントを済ませ、東アジア学部でランチセミナー、本を借りて、オフィスでコンジョイント実験の質問紙とデータベースの作成。夜に政治学部の友人とキャッチアップして、帰宅。メール返信、スライドの作成。

September 27, 2022

近況(博士課程5年目)

 9月になり、プリンストンも新学期です。昨年に比べ、コロナ禍の雰囲気は収まり、1年目に見たような賑やかさがキャンパスに戻って来ています。私はその状況の良し悪しを判断する立場にはありませんが、少しずつコロナ前の日常が現実として感じられつつある、そんな日々です。

報告する近況もなかったといえばなかったのですが、毎日が忙しく過ぎ去っていく感覚は、学年を経るごとに強くなります。2年目までは、コースワークが終われば暇になると思っていて、それは確かに事実なのですが、別の面では忙しさは増すばかりで、落ち着いて近況をまとめる時間は減っていると感じます。特に、人の論文をレビューする機会が増えました。それと、ミーティングをオーガナイズする機会も、増えています。

この近況も、まとめてものを考える時間がなかなか取れないので、数日をかけて書いています。その日その日で書きたいことも移り変わるのですが、できるだけそうしたばらつきを無くしつつ、アメリカ博士過程5年目を迎えた心境、というか近況についてまとめておきます。

・博士課程も、5年目

この歳になってくると、新学期にある「何年生?」という質問に答えるのが億劫になってきます。「5年生だよ(何か文句ある?)」とまでは言いませんが、もう5年生になってしまったのかと、感慨深くなります。ただし、プリンストンは4年目で、うち2年近くはパンデミックでほとんど記憶がないので、実質的には3年目くらいの気持ちです。

取る授業もなくなり、基本は研究、研究、そして研究の日々です。恐ろしいくらいに、研究しかすることがありません。他にあるのは、セミナーです。社会学部や人口学研究所のランチセミナーで腹と知的好奇心を満たし、午前や午後にある院生を中心とする進捗報告系のワークショップでは、何かしら報告をしたりします。

今年はこれらに加えて、新しくPrize fellowに選んでもらった縁で、毎週火曜日のランチセミナーの後に、ポリシー系の研究をしている院生が集まるセミナーにも顔を出して議論に参加しています。こちらはどちらかというと、ポリシーという傘のもと集まった分野横断的な集まりで、ネットワーキングの意味合いが強そうです。ちなみに、こちらでも昼ごはんが出るので、火曜日は夜ご飯に困りません。

夜は夜で、日本にいる人とズームミーティングをしたり、オンラインセミナーのオーガナイズをしたりしています。忙しい日々ですが、研究だけで忙しいので、特に不満はありません。人の論文を読んだり、何かをオーガナイズすることは時間を取られますが、その過程で学ぶことも多いです。予定が多過ぎる時があって、たまにリマインダがあっても忘れてしまいます。

・研究

研究では、この1年でポジティブな変化がありました。博論になる3つの章は特に目立った進捗しておらず、このまま提出してもいいくらいに思っていますが、代わりに博士課程後に取り組みたいテーマが見つかり、今はそれに時間を費やしています。

内容としては、シンプルに「難関大学に女性が出願しにくいのはなぜか」、これを問うています。昨年度までは既存の社会調査データを用いた分析をしていたのですが、夏に全国12の進学校を訪問し、生徒と教員の方にインタビューをしていました。この過程で、「なぜ」の部分に対する答えを見つけ、今はその主張をサポートするべく、論を組み立てているところです。

ふと気づくと、このプロジェクトはいつの間にか一種の日本社会論になっていることに気づきました。似たような話は既に以前のブログでも書いたのですが、もう少し煮詰めたものを書いておきます。

高校生に話を聞いていると、女性の方が明確に職業意識があり、将来つきたい仕事、それと大学で学ぶことの関係について、真剣に考える傾向が見られます。職業意識の男女差は、定量的なデータでも確認される傾向です。

特に資格が取れる専攻は、周りの勧めもあって考える人は多いです。こうした職業から考えて進路を選ぶ人にとっては、同じ資格が取れるなら、偏差値にはこだわらずに現役で進学できるところに進学する、そういう進路選択が取られる傾向にあります。これに対して、男性の方が将来に対してまだ明確なプランを持っておらず、大学に入ってから考える人が多かったです。

私の考えでは、日本社会の仕組みが女性には将来を考えさせ、男性には棚上げを許す、そういう社会化がされる構造になっているのだろうと思いますが、そうした考えを所与とした時、日本の大学入試は男女の差を拡大しているのではないか、そのように考えています。

日本の入試の特徴は、まず学部単位の出願が多いことにあります。職業・専攻への意識が強い人は、そうした入試だと自分は何を学びたいのか真剣に考えることになります。一方で、将来つきたい職業や、学ぶ内容を密接に考えていない人にとっては、入試が学部単位でも、具体的な職業選択とは別の理由(例:潰しが効く)で進路が選択される傾向にあるのではないかと考えています。

次に、日本の国公立入試は、実質的に一発勝負の構造になっていて、必然的に不合格、からの再受験(浪人)が生じやすくなっています。浪人という選択肢が普通にある状況だと、難関大を志望する人は浪人してもそうした大学に進学することを許容できてしまう一方で、現役志向の強い人は、浪人にメリットを感じにくいのではないか。こうした制度的な背景もあって、男性の方が難関大学を志望し、女性が現役合格を優先して、難易度は多少落ちる大学に進学するのではないかと考えています。

学校の先生は、難関国立大学を志望することは「潰しがきく」と言って、高校生に最後まで目指すよういう傾向があります。ここでの潰しが効くというは2種類あって、第1にそうした大学を目指しておけば、後から違う大学に志望を変更しやすいという側面、第2にそうした大学に入ったら、苦労はしないという潰しが効くがあります。後者は具体的には、大学名と企業規模が密接に関連しているという既存研究の知見からもサポートされます。難関大学に入っておくと、将来が不確実でも、痛い目には合わない、そう考えて高校生は難関大学を志望しているのではないか。

しかしそうした大企業のキャリアが、万人にとって魅力的な選択肢にはなりません。長時間労働、転勤、年功序列で一度企業を離れると戻ることは難しい、そんな日本的な長期雇用の慣行は、両立志向で家事育児負担を担わされる女性にとっては、現実的な選択肢として浮かび上がってこないのではないか。むしろ結婚出産後も同じ待遇の職業を見つけやすい「手に職」系の資格を持つ方が、日本の労働市場を考えると合理的なのではないか。

高校生がどこまでそうしたキャリアを念頭に置いているかはわかりませんが、親や周囲の助言もあって、実質的にはそうした考えに影響される形で進路選択をしているのではないかと考えています。つまるところ、日本で難関大学に女性が少ない減少は、日本の労働市場の問題が背景にあるのではないか、そう考え始めたときに、この話は単に難関大学進学のジェンダー差というよりも、日本社会の根深い問題に触り始めているのではないか、そう考えるようになりました。

そうして問題の構図を考えていくと、明らかになっていない問いがどんどん出てきました。これはなかなか興味深い瞬間でした。探索的なインタビュー調査から、こういうことが起こっているのではないか、それら気づきを昇華して分析枠組みに仕上げていく段階で、いくつも仮説が出てきており、研究は急に仮説検証型のプロジェクトに移行しています。

そういうわけで、今は上で書いたようなビッグピクチャーをもとに、個々の問いを検証できるようなデータベースを作成するべく、研究プロジェクトを立ち上げる準備を始めています。データベース・プロジェクト以外にも、引き続きインタビュー調査、及び(これはまた書く機会があればと思いますが)サーベイ実験の実施を進めています。三つのプロジェクトをまたぐ組織として、自分で勝手にEducation Inequality Japan Labを立ち上げました(無給ですが、メンバー募集中です)。

余談ですが、この2週間でチームに加わってくれる3人のM1の方の卒論を読みました。どれも読み応えあり、ポテンシャルの高さを感じます。日本だと教育社会学はかなりempiricalで、アメリカの研究とも距離感が近く、少しフレーミングを変えるだけで、十分トップジャーナルも狙えると思います。

・その他、非研究的な出来事

  1. 引っ越しました。前の家から車で数分の距離にある、新しいgraduate housingです。室内に洗濯機、乾燥機、備え付けの電子レンジ、食洗機、ジム、勉強スペースなど、至れり尽くせり。
  2. NJの車の免許を取りました。筆記試験で一度落ちたのは内緒です。
  3. 濱口竜介監督がプリンストンにいらっしゃいました。彼が東北の震災を機に始めたドキュメンタリーの関係で一度プリンストンに来た縁ということです。Drive My Carを見たのは今回で通算5度目になるのですが、みるたびに出てきた疑問を、正直にぶつけて、監督から色々と教えてもらい、感無量でした。
  4. 一つ上の学年の友人たちが、続々トップスクールのジョブトークに呼ばれていて、彼らの優秀さを確認するとともに、自分ごとのように嬉しくなる日々です。

September 24, 2022

Ryusuke Hamaguchi's visit to Princeton

 今週から来週にかけて、日本から濱口竜介監督がプリンストンにいらしています。学生との映画制作ワークショップ、映画館での監督のこれまでの作品上映、レクチャー、レセプションと盛りだくさん。本当に貴重な機会になりそうです。

映画館で濱口監督の震災後の東北を描いた三部作の最後「うたうひと」と個人的にお気に入りの「偶然と想像」、そして監督がプリンストンの先生達の質問に答えるパネルと、贅沢な1日でした。「うたうひと」を見るのは今回が初だったのですが、言葉が会話の中で感情を呼び起こす力を感じる映画でした。

今日のパネルを聞いて、監督の映画に対する哲学は、言葉に対する哲学なのだと思いました。ドキュメンタリーとフィクションの境界性、言葉の持つ音楽性、予算が限られる映画を撮ることを通じて至った身体を重視する映像表現、学ぶことが本当に多かったです。

September 9, 2022

KG

 昨日今日と関学にお呼ばれして1日目に現在取り組んでいる難関大進学のジェンダー差の研究報告をさせてもらい、2日目は社会学研究科の院生さんの研究アイデアを話してもらい、僭越ながらアドバイスさせてもらいました。とても楽しく刺激的な2日間でした。アメリカの大学みたいな美しいキャンパスでした

September 4, 2022

家族社会学会

 2日間、家族社会学会に参加。今日は日本時代の指導教員と同じセッションにいて、自分がある発表にしたコメントに対して、それはちょっと違うんじゃないかという趣旨の発言をされて、ゼミの雰囲気を思い出し懐かしくなりました。

August 22, 2022

予備校

 ふと浪人時代に通っていた予備校に久しぶりに寄ってみたのですが、自分がいた頃とは様変わりしていました。原因は数年前に河合塾が進出したから。母校の浪人生は駿優から河合に流れていったようです。

前年度の合格者を一覧にしていた正面玄関には何も貼っておらず、予備校部分は3階部分に縮小。夏のこの時期には現役生も混じって満員になっていた2階の夏季講習用の大教室は空っぽ。同じ階には予備校が新しく始めた幼児教育の教室から、未就学児に何かを復唱する先生の声。当時の講師陣は誰一人いなくなり、事務に唯一、昔から知っているベテランの方がまだおられました。

僕は浪人時代にしっかり勉強する習慣が身に付けられたことが、大学での学びにもつながっていると思っているので、12年前と建物は変わっていないのに人がすっかりいなくなった風景を見て、寂しく感じました。

数学の猿渡先生はとても厳しかったのですが、授業が終わると温かい人でした。これも数年前に亡くなったことをどこかで伝え聞きました。英語の古田先生は高校卒業したての受講生にポスト構造主義の話をしながら入試問題の解説をする、ユーモア溢れる先生でした。

英作文が大の苦手だった自分が、毎日のように英語で論文を書いたり、人の書いた論文を査読しているのは、当時は想像もつかなかっただろうと思います。

July 29, 2022

メリトクラシーの罠?

 男性と同じくらい難関大学に入りたいと思っている場合でも、女性は浪人しにくいよという論文を書きました(まだワーキングペーパーで、絶賛査読中)。この論文は色々時間がかかると思うので、まず公開だけしておきます(英文校正費用を負担してくださった東大社研CSRDAに感謝いたします)。

https://csrdadps.com/paper/31

私がPIをつとめているチームで、今月末までに進学校の高校生を対象に40件ほどのインタビューを実施、うち25人くらいの音源を聴いています。上の論文で議論していることと関係する一方で、高校生の語りからわかる進路選択の男女差は、少しばかり違って見えてきました。

男性に比べて、女性は将来つきたい職業や、大学で学びたいことをまず考える傾向にあります(これは他の国でも、似たようなことが言われています)。日本の大学入試は学部ごとに行われるので、すでにやりたいことが決まっている人にとっては、同じことが学べるなら現役で受かる大学を優先、という水路づけが行われやすいのではないかと考えています。下記とも関連しますが、国公立大学は実質一発勝負で難関大学に進学するためには浪人することが珍しくない構造なのも、やりたいことが決まっている人にとって、わざわざ浪人してまで難関大学に行くメリットを減じさせていると考えられます。

これに対して、男性の方が将来の展望がまだ明確に決まっていない人が多く、その場合に選択肢を残すために(いわゆる「潰しが効く」というロジックを使って)、まず偏差値の高い大学を志望してから、何をやりたいのかを後から考える(けどそれは曖昧)、そんな流れで進路希望が形成される傾向が強いです。東大に毎年何十人も出すような進学校になると、偏差値で見合う大学が東大になるので、ひとまず東大を志望して、そこから何をやりたいのか考えるということも起こります。やりたいことよりも、まず難関大学に入ることが優先されると、結果的に一浪してでもその大学に入ることを本人も、あるいは周りも正当化しやすくなるのではないかと考えています。そして皮肉なことに(?)、やりたいことが決まっていない人にとっては、教養学部を持つ東大という偏差値的には一番難しい大学が、一番「潰しが効く」大学になってしまっています。

難関大学に女性が少ない理由は他にいくつかあるのですが、インタビューからは将来の展望と進路選択の関係が男女で異なることが重要なのではないか、そんな仮説が浮かび上がってきました。さらに、学部ごとの選抜、国公立大学の受験回数の少なさ、予備校といった浪人をしやすい環境など、日本の大学受験のシステム自体が、進路選択の男女差を拡大させるようにデザインされているのではないかと考えるようになりました。

学力(テストの点数)に応じて進学先が割り当てられる日本的なメリトクラシーは、実力勝負という意味では平等なのですが、少なくとも大学受験制度は意図せず非メリトクラティックな考えを持ちやすい集団(将来の職業や大学で学びたいことを重視する人)が難関大学にアクセスしにくいようにできている、そんなメリトクラシーの「罠」ともいえる側面について、もう少し議論を深めていこうと思います。