November 30, 2014

メモ:佐藤香(2004)「社会移動の歴史社会学」

戦後日本の社会移動の歴史社会学的研究。具体的にいうと、個人の収入を得る方法(仕事)を伝統セクターと近代セクターに大別し、これを日本的な文脈に落とし込んで生業(なりわい)と職業の二つが、近代化、教育拡大とどのような関係を持ちながら衰退・静聴していったかを論じている。使用するデータはSSM65年が主で、その理由としては、地域移動の変数が多くある点にある。この本では、地方から都市(東京)への移住が職業移動だったのか、学歴移動だったのかに焦点を当てている。特に、移動するかどうかに離農するかどうかをかけ合わせると、在村在農・離村在農・在村離農・離村離農の4パターンが考えられるが、これが教育の拡大とどのような関係にあったかを論じている。


佐藤の指摘で重要だと思われるのは、戦後急速に解体していった農業層を尻目に、その勢力を維持していた自営層がどうして存続し得たのかについて答えている点にあると思われる。この問題関心は、石田(2000)が指摘した論点とも関係している。簡潔に答えると、それは生業と職業の世界が前者から後者に移行するのではなく、両者に相互関係があったということになる。すなわち、いったん職業の世界に入っていても、一定の学歴をもった人にとっては東京で自営業になることが一つの地位達成の道であったのだ。

主張自体に反論することも無いのだが、この本では、都市に流出するのが農家の次三男だったという仮説を検討し、否定的に評価している。先行研究としてあげるのは主に野尻などの農村離村研究や、ドーアや安田の長男規範論争である。これに関しては、今までの研究を批判しているが,これらは農村離村の研究,すなわち流出の側面を扱っているのに対し,佐藤の議論の焦点は東京への流入の議論なので、若干議論のずれを感じる。東京への流入者の大半が農家の次三男ではなくとも,離村の大半は次三男であり,今までの研究は後者に焦点を置いていたのではないかと思うのだが,どうだろうか。

コメントには、生業から職業への移行を単に近代化や教育拡大の中に位置づけるだけではなく,家族を一つの世帯・経営体として見なして、その中で職業へ移行するしないの条件が(特に自営層の中で)異なってくるという指摘などがあった。

メモ。

休日

昨日は某研究所で某研究会。昨年の留学前まで参加していたが、久しぶりの方々に会えて,とても楽しかった。多くの人が、既に准教授や助教になっているのだが、そうした年の離れた人でも,話が合うというか,僕のことを学部生扱いせずに話してくれて,とても居心地がいい。研究会も、勉強になった。6時に終了して,懇親会後,2次会。満足。

現在、二つの出版企画に携わっているが(一つはオブザーバー、もう一つは執筆者の一人)、一般向けの本を書くというのは,学術論文とは異なる別の水準が求められるのを感じることが多い。研究成果を公にする時に、どこに参照点を置くべきなのかは,たまに考える。

さて、今日はお昼に上智大学で開かれていたクリスマス・バザーに行ってみた(ネットでは告知していないようなので、イグナチオに通う人たちが多かったと思う)。何かのイベントの後だったのか分からないが、フィリピン人らしき人たちが非常に多く驚く。時間が経つに刷れ,空いてはきたが、それでも普通のフリーマーケットよりは人でごった返していた。滑らないマグを200円で購入して、中央線に乗って新宿へ。新国立劇場のリーディング公演を見に行ってきた。これは、新国の舞台研究生が台本の読み語りをするもので、リハーサル室で無料で開かれた。彼らの何人かは、将来的に舞台俳優として活躍するのだろうか。

話は1950年代後半の東京で、労働組合の活動に明け暮れる長男(弘)と結婚や仕事という人生の選択を迫られるきょうだい,そして彼らの親を中心に進む。見るまでは、メーデーまでの労働紛争の話が中心なのかと思ったが、それは話の引き立て役で,メインは家族のありようだった。妻である君子は夫・量平が前妻を失くしてから嫁にきており、義理の子どもと自分の子どもを男女2人ずつ、合計4人を抱えている。組合活動に熱心な弘に後を継いで欲しいとは考えていないが、祖母のぬいは、前妻の子ども二人を可愛がっており、君子の考えに反対する。

夫・量平は農業省の役人として働いているが,これまでずっと係長止まりだった.それが急に課長になるという辞令が下り、加えて昇進を取り持った上司が、28歳にもなって独身のままの長女・雪枝の見合い相手を紹介する。労働組合活動から帰ってきた弘は、農業省と関連企業との間の贈賄容疑の情報を掴んでおり、今回父親が昇進することになったのも,それが原因ではないかと推測するようになる。弟の達二はというと、私立大学に通っていることになっていたのが実は夜間部で,彼は昼自分で働いた金で自立した生活をしたいと言い出す。一番下の妹・泉は、会社の演劇活動に熱心になり,友人の中村を父に紹介する。

贈賄の事実を知った父の昇進が現実的となる中で、それぞれが、あたらしい人生の一ステージへと移っていく。長女の雪枝の縁談は、父親への口止めという交換条件として出されたことが分かってくるが、結婚相手が職場の上司によって紹介されて見合いをするという事例は、仲人はその会社の上司なのだが,上司自身は長女と関係はない。あくまで父の上司である。こういう、1次以上の紐帯を通じて結婚がなされたという話は、興味深く、あるにはあるだろうと思った。それと、祖母が孫で28歳になる長女の結婚相手に口を出す(商人の家はやだ,子持ちはやだ)のを見て、こういうのが親が結婚に与える具体的な例になりうると考えた。また、長女はお見合いで相手を見つけようとするが、次女の場合には活発な性格もあり,社内で見つけた男性と恋仲になろうとしている。こういうのは、個人の性格にも依存したのだろうが,やはり勤労生活をしている場合には、女性の方も自分で相手を見つけたのかもしれない。「私、自分で見つけるの」という台詞が印象的だった。最後に、この時代においては、女性において28歳にもなって結婚していないというのは,一種のスティグマだったんだろうなと思った。卒論で、女性が年齢をとっても親の影響力が変わらなかったのは、年を取るにツレスティグマが生まれ,親が関与しないことには事が運びにくかったのだろうか。色々考えられる。


その後、初台から池ノ上まで歩き、お手伝いをさせてもらっているジャーナリストの人と会食。新国立の芸術監督とその人が同じ大学の演劇部に所属していて,個人的にも知り合いであるということを知る。2つ仕事をもらった。頑張ろうと思う。


November 28, 2014

11月28日(金)

最近、精神的に不調な日が多く、今日はどん底だった。にもかかわらず、3時から研究会と、夕方に英語の授業ということで、重い足取りで家を出る。気持ちがバラバラになっていたからか、家に定期を忘れ、30分遅刻。研究会には、友人から来てくれないかと誘われていったのだが、当人は欠席しており、それに加えて自分が来ることが伝えられていなかった。気分が重かったことに、自分のレジュメすらも用意されていない扱いを受け、さすがにへこんだ。ああいう場で、なぜ自分はおおらかにできないのだろうか。気分が悪く集中できなかったのと、英語の授業の準備が終わっていなかったので、途中で退席。これに対する心象が悪かったのは認めざるを得ないが、あれ以上いると余計気分が悪くなりそうだったので,やむを得ず。


November 27, 2014

ここ数日

火曜日は前日に親が作ってくれたおにぎりが残っていたので、それとサラダ。間食に三色団子、帰りにいせやの焼き鳥を食べる。学部ゼミで高田保馬の出生率の議論を知る。その足で本を予約し、4限はAW。この日は論文を仕上げていたが、水曜日の午前は2時からの勉強会の用意。意外と解けない。山手でラーメン。その後、勉強をする予定だったが、友人からの頼まれごとが入る。途中から、ながしまさんがきて、遅くまで学部生室にいた。夜ご飯を逃すことになったが、こういうのも悪くない。二日連続団子を食べる(あんこ)帰りにスーパーでウィスキーとたこ焼きを購入。木曜日は、午前中には来週の報告の用意。その後、頼まれごとの続き。終了後、帰ろうとしたら院生の人にまた頼まれごとで、二日連続夕食を逃す。だんごを食べ(みたらし)、ゼクシィを購入。この三日間は、支出が多かった。反省。

サラダ 208円
三色団子 108円
やきとり 160円
ラーメン 650円
たこやき 203円
ウィスキー 180円
あんこ団子 108円
ゼクシィ 500円
みたらし団子 100円
夕食 780円

November 24, 2014

11月24日(月)

朝早くに起きて,9時に水戸を出る.11時半に東京につき,スタバで午後の授業の文献を読む。決まっていなかった来週以降の予定について話し合い,来週は私が卒論の内容について報告することになった.英語なので若干面倒くさい(図表などを英語にするため)が,せっかくの機会なので頑張ろうと思う.その後,バイトの面接を受け帰宅.祝日のため寮の食事が出ないので,親に作ってもらったおにぎりと一緒に,いせやで焼き鳥を買って公園で食べる.歩きで通学するときは,井の頭公園の橋を渡るのだが,これが吉祥寺に引っ越してきてよかったと思える瞬間の一つ.

November 22, 2014

ここ数日

水戸市見和のスタバなう。周りに大学受験生らしき集団。ここで自分の身分晒すと若干アレなんだろうなと思いつつ。お嬢ちゃんそこで法政大学の赤本出しちゃ阿寒で。

金曜の夜から帰省中。駒場祭に行く気もせず、日社の実況を見るのも精神的に良くないと考えたため、実家でインターネットが繋がらない環境で卒論を書いていた。もちろん、もうすぐ5歳になる弟とも遊ぶ。ただ、熱を出してしまったので、楽しみにしていた紅葉はお預け。

金曜は午後に大学に行って文献の複写などをしてから、東京駅の某社のインターン面接。終了後、すぐ八重洲口のバス停に向かい、水戸に帰省。昨日、今日と家族の買い物に付き添いながら、論文を進める日々。

実家で家族と千と千尋を見ていたら、来週の放送は高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」だという。それを見て母親が、高倉や武田鉄矢が夕張に撮影しにやってきた時のことを語り始めた。
母は生まれてから14歳になるまで夕張で育った。私から見た祖母は終戦の前の年に京都で生まれ、戦後の混乱の中、一族そろって北海道に移住した。祖父の家系については母もよく分かっていないらしいが、どうやら10人兄弟の真ん中で、周りは夕張の炭坑で働いていたという。
トラックの運転手をしていた祖父が交通事故で亡くなってからしばらくして、祖母の一族は当時開業されたばかりの苫小牧―大洗間のフェリーに乗って、北茨城一帯に移住した。誰も北海道に残ること無く。
それ以来、当時の近所にいた人からメロンなどが届くことはあっても、母や祖母は再び夕張に向かうことは無かった。死んだ祖父は福島の出身で、こちらも戦後の混乱の中で一家一同で北海道に移住したという。
夕張には、まだ祖父の親戚が住んでいるのだろうか。なんとなく、自分のルーツは夕張にあるような気がする。中学の修学旅行で訪れたときは、そんな由知るはずも無く、なんとなく母の故郷だと思っていたが、もし再び訪れることがあるならば、当地で五十嵐という名字を探してみたいと思った。炭坑は閉鎖して長いこと経っているので、その後を見つけるのは難しいかもしれないけど。

November 19, 2014

11月19日(水)

朝ご飯を逃し、インターン先の企業からの電話で目が覚める。カップラーメンでしのいで、原田陽平氏のマイルドヤンキーの新書を読む。どうやら、流行語大賞にもノミネートされたらしく、婚活の次に社会学者が使いそうになる気配。と言いましたが、昨年の流行語にヘイトスピーチ やブラック企業がありました。その他、マタハラ、家事ハラ(竹信先生がつけられたようで)、STAP細胞は(一呼吸)ありま〜す、リベンジポルノ、リトル本田、ワンオペ、セクハラやじ、マウンティングが気になりました。

なんというか、輝く女性とかいいつつ、しっかりその流れを引っ張る人が出てきたりして、そう簡単にはいかない(?)、 マタハラ・家事ハラの問題からは、そういう政府の政策からこぼれ落ちてるものが浮き彫りになってきた感じがします。私たちの意識やホンネは、まだまだ昔と大して違わないと。マウンティングが指す事象自体は新しくはないのでしょうが、僕の印象だと、仕事と家庭のどちらかを犠牲にしないと一方を実現できないという現状を表象しているように見えます。それは、キャリア志向の人が家庭も大事にできるような制度ができていないというのもあるし,私たちが抱く家庭の理想像もどこか牧歌的ということもあるかもしれません。

英語のライティングの課題をやったりバイトを探してみたり,夜はひたすら卒論改訂したり。若干改善しました。

November 18, 2014

11月18日(火)

最近、あまり寝付きが良くないのだが、今日は5時間しか寝ていない割に目覚めは良かった(どうやら、枕の位置を変えると目覚めが変わるようだ、日光が登ってくる方に足を向ければいいのか?)起床後、理由はよく分からないがペンのインクが漏れており、机に染みてしまう事態に。全てレンタルなので、あの手この手で綺麗にしようとしたら、結構時間を使ってしまった。歯磨き粉が意外ときいた。

2限に参加後、昼食。その後4限まで若干卒論に加える予定の部分のまとめ。アカデミックライティング終了後、6時半からの勉強会まで学部生室で文献探しなど。勉強会は、比教社の友人が開いたもので、毒親という、子どもを支配したがる母親とその娘の関係について。何故母親と娘なのかはおいておいて,色んな分野・経験を持った人が多く興味深かった。臨床心理の人は,やはり解決ベースで話をするのだと感じた。

その後、アフターに参加、実に3週間ぶりの外食になる。帰宅後、メール処理をして文献購読。明日は一日家に篭って細かい作業。

夜に上智のゼミに出ている院生の方に勧められた以下の本を読む。

Williams, L. (2010). Global marriage: cross-border marriage migration in global context. Palgrave Macmillan.

この7章は東アジアにおける国際結婚(という用語も若干問題アリなのだが、人口に膾炙しているのでこれを使う)を扱っており、東アジアにおいては、経済的なアンバランスから、先進国の日本,韓国,台湾に途上国の中国や東南アジアからの結婚移民が来ること、その多くは女性であること、彼女たちはブローカーを通じて結婚難に喘ぐ男性が多い農村の嫁として嫁ぐことがあげられている。その一方で、移民してくる女性たちのAgency、訳すとすると自己決定ぐらいだろうか、も強調している。

私は学部二年生の時に出ていたゼミで韓国の国際結婚事情についてまとめたのだが、当時この本の存在を知らなかったにも関わらず、論旨としてはかなり似ていることを言っていたことに気がついた。懐かしくなって、読み返してみると、若干勇ましいことが書いてあったので自戒を込めて引用。

内定した文学部社会学先週では卒論8万字・修論16万字が要求される。 本稿は3万字弱となり卒論の半分にも満たないし,質に関しては言うまでもなく低いけれども、少なくとも量の面では、今回の論考で卒論への良い準備ができたのではないかと思っている。専門に進んでからは社会学的な分析手法や語学力を身につけて、少しでも満足のいく卒論を書きたい。

結局、160ページ程度の卒論を書くことができたので量的には問題ないのだが、質に関しては(以下略)。8万字は予想以上にすぐ終わり、16万字もそこまで辛くなかった。3年前の経験が活きているのだろうか。

しかし、当時から性格も変わっていないし、まさか自分が再び結婚で論文を書くとは思っていなかった。


November 17, 2014

11月17日(月)

久しぶりに朝ご飯の時間にしっかり起き、マッサンを見る。いつの間にやら広島に帰省していた。

午後の授業まで、苅谷・菅山・石田の「学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程」の一部を読む。制度的リンケージの議論は結構面白く、特に戦後成長期までに職安を媒介とする移行制度が成立し,その功(階層間不平等の是正)と罪(地域的偏在)を議論している箇所は勉強になった。その後、眠気がやってきて昼寝。上智の授業。発表者が欠席という院ゼミなのに?な事態が生じるが、先生が自身の研究内容を報告してくれた。 その後、本郷に向かい、昼ご飯を済ませた後、勉強会の文献を読む。いくつかメールを処理して、パネルデータの分析法の勉強会。正直、学部生の卒論で多項ロジットやログリニア,イベントヒストリーを用いる必要があるかというと疑問なのだが、10年前に比べればそれなりに進歩しているのだろうと思う。まあ、アメリカでも学部レベルでこんなことやってる人なんてほとんどいないだろう。

帰りの中央線が人身事故のため、各停にチェンジ。吉祥寺に着いたときの中央線を見ると地獄絵図のような人ごみだったので,成功だった。ご飯を食べ、リラックス。ただ、将来のことや院試で若干鬱気味になる。多分、季節性のもの。これから英語のライティングを直して、少し論文を読んで寝ようと思う。

November 16, 2014

1週間まとめ

中国政治史の大家のブログのライトさに憧れて、これから毎日軽めの投稿をしていこうと思います。ひとまず、一週間のまとめ。

11月10日(月)
聴講している上智のゼミで文献報告。Mary BrintonのLost in Transitionで、日本では自身の職業スキルよりも,どこに所属しているかが安定した経済的地位を獲得するためには重要だったという話から、中根千枝が主張したBa(場)の理論を打ち出しているこの本、苅谷先生の研究などを引き出してInstitutional Social Capital(学校と職場の実績関係から構築される制度的な紐帯)という概念から、高校卒業者が労働市場にうつるトランジションの変化を分析している。報告はつつがなく終わったが、コーネルから来ている留学生の人が、このBaの話って必要?という疑問を提起して、議論は結構面白く進んだ。それは、人類学的な概念で社会の固有性を記述するのか,社会科学的な普遍的なタームで説明した方がいいのか、 (社会学はどっちか)という議論とか。Baを分析的に見てみると子いう要素からなっていて,それは英語には表しにくいんじゃないかと言ってみたら、納得してくれて、報告者冥利に尽きる。授業後、迎賓館の公開に滑り込む。


11月11日(火)
久しぶりに大学に行く。2限のゼミに出た後の記憶は、ひたすら眠かったとしか覚えていない。4限のアカデミック来手イングの時間でやたら喋っていたという記憶が残っているが,それで朝量のスウェーデン人の学生と一緒に学校に来たことを思い出した。彼は18歳で起業したり、結構すごい。恐らく、それ以外の時間は翌日の報告に費やされた。

11月12日(水)
2限のゼミで報告。相変わらず、血統というか,ボクシングというか,ともかくその類いの格闘技に近い。 おかげで、外に出ても,日本語だろうが英語だろうがほとんど発表に緊張することなんてなくなった。未だに言われたことをうまく消化できない性格が憎い。午後は疲れて、あまり勉強した記憶がない。3限に院試勉強会のローンチ。色々すっきりしたので、お世話になった人に久しぶりにメールするなど。

11月13日(木)
前日の疲れが続いて、朝ご飯を逃す。確か、学校には行かず、家でメールやらバイトの求人を見たりやらしていた。帰省することを決める。若干鬱気味になり、Twitterのアカウントを閉じた。定期的にくる類いのもの。

11月14日(金)
10時にバイトがあったが、キャンセルになったので、久しぶりに語学やらをやっていた。本当は毎日やらないといけない。昼はこくわがた(高知)。研究室が意外と早く閉まってしまい、英語の授業まで三友館で勉強。このあたりで、自分の卒論の内容の中にミスがあるのに気づく。英語の授業はまあ可もなく不可もなくだが、みんな自分が選んでくる新聞記事のネタが重すぎて逆に議論できない。もっとライトなものを選ぼうと思う。

11月15日(土)
自宅作業。ひたすら卒論の改訂。夜に終わり、友人に送る。夕食の前にギャラリーを見に行った。

11月16日(日)
既報。

お知らせ

若干ホームページ(https://sites.google.com/site/uchikoshifumiya/)をいじりました。タブをなくしたのと、このブログをフィードするようにしました。

日曜日

早朝まで卒論の改訂をし、そのまま眠ってしまい起きたのは午後を過ぎた頃。朝市には行けなかったが南町で開かれているフリマに行き、グラス二つとクリスマスの飾り物を購入。その後、カフェゼノンの近くにあるギャラリー「イロ」と井の頭公園近くの旧福沢家の蔵を利用したギャラリー「Kai」の二つに行く。帰宅後インターンのエントリーを済まして、少し昼寝。

起床後、韓国語とドイツ語の語学留学の機会を探していた。ドイツに関しては、語学研修にしろプログラムにしろ、学部or修士の学生にとってはDAADが一番充実していると思うが、推薦状が英語ないしドイツ語でなくてはいけないので、若干躊躇する。英語がネイティブでドイツに関係するようなことを研究している先生は知り合いにいないので、これは課題。夏にお世話になったDESKにもう少しコミットするかもしれない。韓国語は日韓文化交流基金の他、学内についても充実している。アジア学プログラムを履修するのも良いし、人文社会研究科には韓国朝鮮文化研究室がある。これらとの関係は分からないが、現代韓国研究センターもある。中国語と韓国語は修士の二年間できちんと勉強しておきたいと思うようになったので、今からいいスタートが切れるよう準備しておく必要がある。





これで450円なのは結構安い。


二つのギャラリー。

Kai (東京都武蔵野市吉祥寺南町1-21-4)
イロ (武蔵野市吉祥寺本町1-37-7-101)

November 13, 2014

政府統計APIに関する覚え書き

政府の統計データ利用データベースからphpプログラムなどを利用してデータを取得、APIを活用して分析ができるというサービスをながしましに教えてもらいました。自分の記憶をたよりに再現してみます(下書き段階)。

STEP1. 利用登録
e-StatページからAPI機能の利用登録をします。
http://www.e-stat.go.jp/api/regist-login/

登録後にログインをすると、アプリケーションID(appid)を3つまで取得できます。URLなどは、公開サイトで利用しない場合は「http://localhost/」とする.

STEP2. Apacheとphpをインストールする。
ApacheはMax OS Xにはプリインストール済み。ターミナルを開いて、
sudo apachectl start  #Apacheを起動する。

ローカルホストにウェブ上からアクセスする仕様になるので、必要の無いときは以下のように閉じる。

sudo apachectl stop #停止
sudo apachectl restart #再起動

Apacheを起動させた状態にすると、ブラウザ上(Chrome推奨)で「http://localhost」にアクセスすると「It Works!」と出てくる。

次にphpを起動する(Mac OS Xではこちらもインストール済み)。

sudo cp -p /etc/php.ini.default /etc/php.ini 

sudo vi /etc/apache2/httpd.conf

UNIX、Linux系OSで使われるテキストエディタのviを開いたことになる。「a」or「i」を押してInsertモードにしてから、

ずーーーっと下にいって

#LoadModule php5_module libexec/apache2/libphp5.so
これの#を削除する
LoadModule php5_module libexec/apache2/libphp5.so

終わったらescを押してInsertモードを終了する。
その後、:wq と入力してreturnキーを押すとエディタが終了します。

STEP3. ローカルホストにphpファイルを置く。
Macintosh HD→Library(ライブラリ)→WebServer→Documentsで、このフォルダのアクセス権を右クリック「情報を見る」から変更する。「共有とアクセス権」の右下にある鍵をクリックして、全てについて読み書きを認めるようにする。phpファイルはながしましが作ってくれたものを使用しました。

コードは以下の通り

<?php
ini_set('memory_limit', '256M');
$appId = urlencode(“#”アプリケーションID);
$url = "http://statdb.nstac.go.jp/api/1.0b/app/json/getStatsData?";
$code = urlencode("0003005867");
$json = file_get_contents($url."appId=".$appId."&statsDataId=".$code."&metaGetFlg=N&cdCat02=2&cdCat03=08&cdCat04=08&cdCat05=00");
$jset = json_decode($json, true);
$filename = “mimimi.json";
$fp = fopen($filename, "w");
fclose($fp);
echo count($jset['GET_STATS_DATA']['STATISTICAL_DATA']['DATA_INF']['VALUE']);
$fp = fopen($filename, "a");
foreach($jset['GET_STATS_DATA']['STATISTICAL_DATA']['DATA_INF']['VALUE'] as $jsondata) {
    fwrite($fp, $jsondata["@time"].",".$jsondata["@unit"].",".$jsondata["$"]."\n");
    echo $jsondata["$"]."\n";
}
fclose($fp);

?>

STEP4. 統計表情報を取得する。
次世代統計利用システムにアクセスして「本システムについて」→「API機能」→「開発支援情報」→「API機能テストフォーム」に移動する。「XMLで取得」の下にある「統計表情報取得」を選ぶ。

このページにつきます。
http://statdb.nstac.go.jp/API/sample/testform/getStatsList.html


ここで、先ほど取得したappid及び、調べてみたい統計データのコードを政府統計コード(statsCode)に入力します(このページが分かりやすい:http://statdb.nstac.go.jp/system-info/api/api-data/)。
例えば、国勢調査だと00200521が統計コードになります。最後に検索キーワードを指定します。指定しなくても出力はされますが,膨大なので、ここでは「就業」と打ってみました。以下のようなページが出てくるはずです。




次に、先ほどの開発支援情報のページに戻り、今度はJSONで取得から統計データ取得のページに進みます。
http://statdb.nstac.go.jp/API/sample/testform/getStatsData-json.html

ここで、appidと、見たいマクロ統計のリスト番号を「統計表ID」に入力します。リスト番号は、先ほどの統計表情報取得で開いたページから <LIST_INF id="xxxxxxxxxxxxx">となっているxに当たる番号のことです。ここでは、「平成17年国勢調査 労働力状態,就業者の産業,就業時間など(第2次基本集計) 全国結果」というデータを見てみたいと思うので、0000033923を入力します。最後に、データ取得件数を「1」にします。

統計表IDからデータを探したい時には「統計データAPIエクスプローラー」のページが便利です。
http://ecitizen.jp/statdb

このデータから、@idが産業や就業状態といった大項目、@codeがその下位分類となる小項目であることが分かります。例えば、cat02を見ると、

{"@id":"cat02","@name":"性別","CLASS":[{"@code":"0","@name":"総数","@level":"1"},{"@code":"1","@name":"男","@level":"1"},{"@code":"2","@name":"女","@level":"1"}]}

とあり、これは@idが性別、@codeに総数、男、女の三つのカテゴリがあることを指しています。

上記のphpファイルを開くと、以下のような記述があります。


{
    fwrite($fp, $jsondata["@time"].",".$jsondata["@unit"].",".$jsondata["$"]."\n");
    echo $jsondata["$"]."\n";
}

これは、時間軸ごとに(@time)表章単位(パーセント)をつけて値($)をアウトプットするという意味です。""で挟まれた,はJsonデータに文字として反映され、エクセルなどに出力する時に区切り文字として利用できます。このようにして欲しいデータの統計idと項目を指定すると、Jsonデータの形で入手することができます。



November 5, 2014

社人研のページを利用する。

国立社会保障人口問題研究所(旧:厚生省人口問題研究所)の出生動向基本調査(旧:出産力調査)(※長いですねいちいち)は1940年の第1回調査から2010年までの第14回調査まで、毎年5年おきに実施されている、SSMなんかよりも歴史のある調査になっています。

この調査の何がすごいって、報告書が全部研究所のHPで落とせること。第一回の報告書なんて、軽く古文です,古文。出生動向基本調査ぐらいになってから、基礎集計表も出ているので自分で再入力して図表を作ることができます。

http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/cyokenshiryou.html
1987年以前についてはこちらから
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/bj_kwdList.aspx


というわけで、やってみました。


まず、よくある見合い結婚と恋愛結婚の推移です。第7回から第14回調査の調査を使って,婚年別に見た,恋愛結婚・見合い結婚の構成を作りました。


恋愛結婚 見合い結婚
1930~39年 13.4% 69.0%
1940~44年 14.6% 69.1%
1945~49年 21.4% 59.8%
1950~54年 33.1% 53.9%
1955~59年 36.2% 54.0%
1960~64年 41.1% 49.8%
1965~69年 48.7% 44.9%
1970~74年 61.5% 33.1%
1975~79年 66.7% 30.4%
1980~84年 72.6% 24.9%
1985~89年 80.2% 17.7%
1990~94年 84.8% 12.7%
1995~99年 87.2% 7.7%
2000~04年 87.4% 6.2%
2005~09年 88.0% 5.3%

図にするとこんな感じ、綺麗に逆転しているのが分かります。


次に,夫婦の平均初婚年齢が地域ごとにどのように異なるかを長いスパンで見てみましょう。初婚年齢については地域別の統計が古くから実施されており,1975年と2010年については厚生労働省人口動態調査より作成します。1920年については,厚生省人口問題研究所(1993)記載のデータを使用します(若干算出方法が異なります)。

     
1920 1975 2009   1920 1975 2009
北 海 道 19.821 24.4   28.4     24.93 26.2   29.8  
青  森 18.938 23.7   28.1     22.952 26.2   30.0  
岩    手 18.688 24.1   28.1     22.374 26.5   30.2  
宮    城 20.04 24.2   28.3     24.224 26.5   30.0  
秋    田 18.948 24.0   28.2     23.225 26.4   30.0  
山    形 21.036 24.3   28.0     24.234 26.5   29.9  
福    島 20.894 24.1   27.5     23.564 26.3   29.4  
茨    城 21.124 24.4   28.2     23.623 26.9   30.2  
栃    木 21.512 24.4   28.3     23.924 26.6   30.2  
群    馬 22.973 24.8   28.3     24.871 26.8   30.2  
埼    玉 22.851 24.9   28.9     24.853 27.3   30.8  
千    葉 21.253 24.9   28.8     24.237 27.3   30.8  
東    京 22.45 25.5   29.7     27.168 27.6   31.6  
神 奈 川 22.094 25.1   29.2     26.602 27.4   31.1  
新    潟 21.31 24.4   28.4     24.379 26.6   30.3  
富    山 18.925 23.8   28.4     23.633 26.4   30.3  
石    川 20.015 23.8   28.3     24.633 26.4   30.1  
福    井 20.114 23.7   28.2     24.288 26.4   30.0  
山    梨 22.688 25.0   28.7     25.616 27.5   30.8  
長    野 23.019 25.2   28.8     25.857 27.3   30.7  
岐    阜 20.932 24.2   28.1     25.115 26.8   30.1  
静    岡 20.77 24.4   28.2     24.167 26.9   30.2  
愛    知 21.348 24.3   28.3     25.244 26.9   30.2  
三    重 21.522 24.2   28.1     25.055 26.8   29.8  
滋    賀 22.485 24.5   28.1     26.428 27.0   29.9  
京    都 22.02 25.0   28.9     26.471 27.3   30.6  
大    阪 21.677 24.9   28.8     26.29 27.2   30.4  
兵    庫 20.952 24.7   28.6     25.557 27.1   30.2  
奈    良 21.577 24.7   28.7     25.053 27.0   30.2  
和 歌 山 21.355 24.4   28.1     25.48 27.0   29.7  
鳥    取 20.444 24.3   28.0     23.144 26.5   29.7  
島    根 19.708 24.5   28.1     23.667 26.8   29.8  
岡    山 20.349 24.1   28.0     23.914 26.4   29.6  
広    島 20.029 24.4   28.2     24.771 26.7   29.8  
山    口 20.493 24.5   27.9     25.223 26.9   29.6  
徳    島 20.504 24.0   28.2     23.651 26.2   29.8  
香    川 20.375 24.2   28.0     24.368 26.4   29.6  
愛    媛 20.422 24.3   27.9     24.013 26.5   29.4  
高    知 20.234 24.4   28.5     23.232 26.6   30.2  
福    岡 21.089 24.9   28.5     25.274 26.8   29.9  
佐    賀 21.603 24.5   28.0     24.592 26.6   29.6  
長    崎 21.013 24.7   28.1     25.332 26.5   29.5  
熊    本 21.992 24.5   28.0     25.099 26.5   29.4  
大    分 20.837 24.4   28.3     24.316 26.4   29.8  
宮    崎 20.279 24.3   27.9     23.434 26.3   29.3  
鹿 児 島 21.694 24.7   28.1     24.265 26.8   29.5  
沖    縄 21.01 24.5   28.3     23.214 26.6   29.8  



白地図ぬりぬり(http://n.freemap.jp)をつかって、4つに分類してみました(ここも手作業)。出来上がったのを見てみると、だんだん初婚年齢が平均並みに収斂していくのが分かります。東北は早婚、西九州や関東、近畿 それに信州山梨あたりは晩婚なのが分かります。



November 3, 2014

卒業論文と今後

卒業論文にめどが立ちました。題目は以下のようになっています(2015年1月提出予定)。

「現代日本における結婚の変容 ―配偶者選択の個人化に着目して―」

目次


 1章 日本における配偶者選択の歴史と認識

 2章 配偶者選択の理論と実証的知見 

 3章 分析の方針とデータ 

 4章 戦後日本における結婚の個人化自律性、文化的資源、出会いの機会 

 5章 なお残る直系家族制の影響 —世代間同類婚と長男規範を中心に—


 6章 配偶者選択の帰結と家族のゆくえ

 7 現代日本における配偶者選択の変容

 個人的によくできたと思うのは2章の先行研究のまとめとEASSデータを用いて配偶者選択における親の影響の変遷について扱った4章の一部、それと6章で扱う家族の不平等の政治哲学的な議論の箇所です。それ以外は、あまり面白くない今後の発展が望まれます。先行研究のまとめの部分は、配偶者選択の社会学的な理論や分析を英語文献をひたすら呼んでまとめました。網羅性だけなら、日本語で読める中ではかなり充実していると思います。その点だけ,自信があっても 問題なのですが。。。実証的にオリジナルな話をしているのは4章の個人化のところ。本当はもっと理論的に考えて何かいいたいところです。政治哲学の箇所は、本旨と外れているのは百も承知で、しかし大学に入学してしばらくして、自分がこのテーマに関心を持ったのはそこからだったので、自分の研究関心のroot imageに近いのです。論考自体は、3年の冬に書いたので、1月に提出する時には2年越しのessayになっています。私たちは、「生まれてくる親は選べない」というのですが、社会学的にそこで思考を止めてしまうのはどうかと思う訳です。家族が不平等の根源だとするならば、一度頭をフラットにして家族制度を廃止する議論を考えてみようという章です。実証部分は4-5章ですが、5章では家族が直接間接の影響が見られるような配偶者選択のパターンに対して、結婚を通じた地位維持の仮説を打ち出していますが、かなり無理矢理ですね。残り2ヶ月、どうするべきか考えてみます。


今まで、四六時中卒論に集中していましたが、明日からは少しエネルギーを他の活動にも向けようと思います。ひとまず、以下のことをやらなくてはいけない。

・園田ゼミの論文

・イギリスの大学院に出願するかどうか

・GRE, TOEFL, IELTS

・その他、英語力のブラッシュアップ

・院試の勉強(ドイツ語、論文試験)

余裕があれば、クロスリーのThe Social Bodyや因果推論の読書会、言語研を再開したいと思います。

今年は院試の出願者が内部で多いらしく、なかなか難しそうな状況です。一応、年は食っているので、勉強会などは日程調整などの役回りをできればと思います。

あとは、関連する領域の違う本を読んで、少し凝り固まった視野を広くしたいです。最終的には、国際比較とかがしたいので、あまりドメスティックな議論ばかりに拘泥するのも辛く、色んな国の文献を読んでみたいです。

勉強以外では、今いる寮のメンバー同士が少しでも仲良くなれるよう頑張ったり、バイトしたり、あとはできれば卒業旅行もやってみたかったり。お金はないのですが、気持ちは充実しているので、残り半年を切った大学生活を楽しみたいと思います。






November 2, 2014

昔の話

 手元に100年史とかないのですが、昔は駒場の文化人類学と国際関係論の院は社会学研究科にあり、83年の総合文化研究科設立とともにこの二つは社会学研究科から移ります。1987年に新聞研究所、社会学・社会心理学専修を合併して「情報社会学部」を作る計画が明らかになります(日経1987年6/10朝刊)。

 しかし、諸事情で頓挫し、新聞研究所は情報学環に、社会学研究科は1995年に人文科学研究科と合併して人文社会系研究科となります。こうして見てみると、東大の人文社会系研究科の英語名がGraduate School of Humanities and Sociologyなのがよく分かります。

 情報社会学部の設置計画が大学院重点化の時期に先行しているのは偶然なのかはよく分かりません。新聞研究所が情報学環になったのは、学部設置計画が頓挫した上の産物かどうかも。ただ、記事にもある通り、学部設置の計画が持ち上がった時には既に重点化の話も出てきています。限られたリソースをどこに配分するか、どうすれば一番メリットを享受できるかと考えて、社会学は文学部に残り、人文社会系研究科となっていったのでしょうか。それとも、人文社会系研究科を作ろうとする圧力に屈して(あるいは、大学院重点化の流れの中で新しく学部を作ることに対する反対意見もあったのかもしれません)、学部への移行を断念したのでしょうか。どうにしろ、国際関係と人類学が抜けた社会学研究科がどこかの院と合併するのは時間の問題だったのでしょう。


 こういった話は社会学研究室の100年記念論集にも言及されてあります。当時の複雑な事情についてはよく分かりませんが、もし情報社会学部、学際情報社会学研究科みたいなのができていたとしたら、僕は社会学をメジャーで選んでいたのか、夢が膨らみます。昔は新聞記者になりたかったので、ジャーナリズムと社会学を勉強できる学部があったら,僕はきっとハッピーだったことでしょう。

 

※新聞研はまず社会情報研究所に改組し、そのあとに学環及び学府、でした。