July 29, 2011

加藤周一考

今日は11時くらいに起きてサンデルのジャスティスを見たあと、明大前駅から中央大学へ向かった。インターンの面接があったからだ。
 受かる自信はわからないが、楽しく話せたので悪い印象は与えなかっただろう。中大は赤レンガに白い建物、そして緑の自然が周りを囲む、非常に美しいキャンパスだった。なんでも、建物が白い(学園祭も白門祭と呼ぶらしい)理由は、赤レンガ(たる東大)の上に白き中央大学がそびえ立っている、という見方があるようだ。まあ、昔からそういうたぐいのコンプレックスはあったのだろう。

 その後駒場キャンパスに戻りメイドや五大と話しながら、五大と一緒に展に行った。一号館の時計台で開かれ手織り、バシュラールの空間の詩学に着想を得た表象文化論の学生たちが企画したようだ。時計台から眺める景色としゃれおつな点自分つを見ていい気分転換になった。

 一日通して、丸山真男集第一巻と、加藤周一著作集第八巻、佐藤俊樹の格下げー雨の時代をちまちま読んでいた。

 ここで俊樹先生の「暴力の現在形」に気になる一節。以下引用。

 憎しみが見えない、他人と違う自分が見えない。力の行使への追随と絶対平和主義は真っ向から対立するようでいて、全くそうではない。他者がおらず、それ故自分もいないという点で両者は共通する。現在の「右」路線もまた、かつての「左」路線の後継者なのだ。「右」と「左」の、あまりにも日本な的ななれあい。


「消された憎しみ、消えた言葉」『格差ゲームの時代』(2009)中公文庫 pp.124-125 初出は「日本が消した『米国への憎しみ』」『中央公論』(2001)



 これは、「9.11を境に世界は変わった」と論じる空気、すなわち9.11テロにまつわる言説が彼にとっては非常に浮ついた話に聞こえるということについて分析した「消された憎しみ、消えた言葉」からの引用になる。上滑りの感じが、アメリカ側の言説では、自らがテロ集団によって憎まれていることを否定したいという心情から来ている一方、日本ではアメリカの非現実的とも言える「民主主義vsテロリズム」の構図に気がつきながらも、一方でアメリカに従わないという選択肢もないため、結局はテロを「対岸の火事」としてしか見ることができないという自体から来ていると論じている。日本は「9.11以後世界は変わった」という強迫観念に縛られているのだ。引用文の「憎しみが見えない、他人と違う自分が見えない」とはその後に続く言葉である。



 力への行使への追随という現在の「右」路線は、あたかも絶対平和主義というかつての「左」路線を一八〇度転換したものに見える。しかし、本当はそうではない。両者には、大きな共通点がある。どちらも、自分と違う意志、自分と違う正義への感覚が欠如しているのだやや手垢のついた表現だが、他者がいないのだ。
 力への行使への追随には、他者がいない。他人と違う自分を見ようとはしないからだ。自分がいない人間には他者もいない。自分がない以上、自分と違う意志なぞありえない。
 絶対平和主義にも他者はいない。「自分が敵意を持たなければ相手も敵意を持たない」というのは、「自分が相手を憎まなければ相手も自分を憎まない」ということだ。そこには相手の独自の意思はない、あるのは自分の意志(の反射)だけである。絶対平和主義の論理の上で他者を排除している。いるのはただ自分の延長、いわば、「自分たち」だけである。これもまた自分とは違う他人、他人とは違う自分を見ようとはしていない。(下線は筆者注)

同pp.125-126




 佐藤俊樹はこのように論じる。自爆テロは「周到な計画性と強固な意思」を要求し、犯人にはなんの利益ももたらさない点で、自分たちの正義とは違う正義があることを強く印象づけるものになる。にもかかわらず、日本ではそうした他者に気づく視点がかけているため、「左「も「右」も上滑りの議論をしている。佐藤俊樹の言っていることはおおよそこのようなことである。




 それでは、かつての「左」の代表格、加藤周一はどのような主張をしていたか。沖縄が米軍支配下にあったときに、土地収用をさらにすすめるプライス勧告というものが出たことがある。それについて、加藤周一は「君よ知るや南の国」という論文を「世界」に寄稿している。この論文で加藤は、アメリカが沖縄に基地を置く理由として「民族主義運動のないこと」「外国政府による制限のないこと」をあげていることに触れながら、沖縄において日本の散見が通用しないことを認めたサンフランシスコ平和条約批准に賛成した政府、保守政党、その支持者を批判する。沖縄問題を創りだしたこのような頭に沖縄問題を解決することはできないと。
 しかし、その後に、沖縄問題にも希望はあると論じる。以下引用

 しかし、ながい眼でみれば、沖縄に希望がないわけではないだろうと私は思う。なぜならば、その軍事基地化は「脅威のつづくかぎり」であるが、「脅威」があると考える人の数は、ーというよりも脅威があると主張する人の数は、いよいよ減っていくにちがいないからだ。すでに最近数ヶ月の間にも(中略)一方では、ソヴェトが軍縮をはじめ、イギリスもまた軍事予算の削減を考慮し始めた。現在の国際情勢から見れば、日本に対する軍事的侵略の可能性は、ほとんど空想的なものであり、誰も真面目には考えず、少数の人々がそういいふらすだけではないかという疑いさえも起こるほどである。誰が考えても沖縄に巨大な基地をおくことは、少くとも「日本をまもる」ためには緊急でないだろう、ということの印象が日米両国内で強くなってくればーそれ以外の国ではとっくに強くなっているがー、影響は当然沖縄の扱いそれ自体にも及ぶだろうと思われる。(下線は筆者注)

「知るよ君や南の国」『加藤周一著作集8』(1979年)平凡社 p.116 初出は『世界』(1956年)岩波書店




 加藤はこう述べているが、これは、俊樹先生が言っているような他者の視点の欠如に当たるのではないか。現在の状況を見てみると、加藤の予想は楽観的すぎたと言わざるを得ない、たしかに、沖縄に基地を置くことを緊急とする時代ではないのかもしれないが、それでも米軍が基地からでていく積極的な理由など存在しないというのが現実的な答えではないだろうか。この点において、加藤周一の予想はアメリカの思惑を無視した論調だったと言わざるを得ない。