September 29, 2019

気分転換

今日は朝8時のバスに乗りNYへ、まず、チャイナタウンの整体で悶絶する。次に、日本人の経営するラーメン屋でランチを食べる。メニューはあっさり醤油、旨味味噌、スパイシーポーク、そして塩ラーメンとバラエティがあり、かつビーガン用のメニューも用意していてプロフェッショナルだった。こっちだと意外とあっさり系醤油が少ないのでありがたい。味もなかなかで近くにあったら通いたいレベル。男女2人の経営で、帰り際に「ありがとうございました」と言われたので、日本人夫婦なのかと思ったが、とすればどのようにしてニューヨークでラーメン屋を開業しようと思ったのか、非常に気になる(中国人に比べると、日本人がこういった自営業的な形で移民することは少なく、私たちが理解するための語彙も限られている)。

その足でアップタウンの方に向かい、卓球クラブでラケットを買う。再びバスで中心部に戻り、無印とユニクロで服を買う。5時から東大のアラムナイ・イベント。そこで旧友と再会したり、新しい人と会ったりして、いい時間だった。

二次会で牛角の焼肉を食べて帰宅。返ってきたときのプリンストンの静寂は、自分が数時間前にタイムズスクウェアの喧騒の中にいたのとは対照的だった。

というわけで、いいリフレッシュの1日だった。NYCは自分には東京を思い出させる騒がしさがあり、たまに遊びに行くぐらいがちょうどいい気がする。幸い、プリンストンからバスで1時間半の距離なので、日帰りにはちょうどいい。

明日は洗濯、料理、掃除、卓球、あとリーディングで多分忙しい。アラムナイイベントで自己紹介をしなくてはいけなかったので、最近やってる自分の研究を紹介したんだけど、キャッチーなテーマからか想像以上にレスポンスがあった。ちなみに、分析結果を共著者以外に見せるのは初めてだった(最低限の研究はしたというエクスキューズ)。こういう普段接しない人と話す機会に自分の研究のフィードバックをもらえるのは知的なリフレッシュになるので、本当にありがたい。あとは、できる限り話をややこしくせずサブスタンティブな知見だけシェアするための、いい練習になる。ちなみに、このプロジェクトはパブリックなモチベーションにも基づいている(家族を持たなくても生きにくくない社会をつくる、あるいはそういう社会を作るために行動している人をサポートするようなエビデンスを出す)ので、自分にとってもパブリックなオーディンエンスの反応は気になっている。

アラムナイ・イベントが、実は人手が(かなり)足りてなくて、学生による手弁当感があり、学部生時代の学生団体のドタバタ具合を思い出した(ロジ作っておいて当日になって人足りないとか何事!?みたいなの)のも楽しかった。


September 25, 2019

日本の移民政策

今日東アジア学部の方でトークがあったので行ってみた。スピーカーはテキサスクリスチャン大学のMichael Stauszさんで、報告は最近彼が出版した日本の移民政策についての本を基にしたものだった。

Help (Not) Wanted: Immigration Politics in Japan
https://migration.princeton.edu/events/help-not-wanted-immigration-politics-japan

問いはシンプルで、なぜ日本では移民・難民政策が停滞していたのか(そして最近変わったのか)という話で、政治エリートのディスコースなどを見つつ、結論としてはビジネス界は労働移民の必要性について訴えているけど、官僚たちが移民導入のコストや欧州の失敗を例に再三反対してきたこと、および日本国内において移民受け入れの社会運動が進んで来なかったことが要因らしい。

結論自体は驚きはなかったが、今後どれくらい日本の移民政策は進むかについての展望は興味深かった。例えば、今後連合などの組織が移民労働者を包摂していくかどうかは、日本において移民包摂の制度的な枠組みができるための重要な点だろう、などと指摘していた。安倍政権が実質的な移民政策をスタートさせたあと、連合の会長が以下のような言葉を残している。

「それから2つ目なんですが、これも一強政治の弊害の1つの表れだなと思うんですが、外国人材の受け入れについてのですね、政府の考え方が打ち出されています。連合としてこの問題についての考え方、今日確認をしていますのでまた詳しくは後ほど相原事務局長のほうからその点はお話をさせていただきたいと思いますが、私としてはこれ一言で言えば、使う側の理屈だけで物事組み立てているのではないかということについては非常に憂慮しますし、ご承知のようにですね外国人技能実習制度であるとか、あるいは留学生が限定的に就労ができるというようなことになってますけども、やっぱり本音と建前がかなり乖離をしていて、働く側が非常にワークルールを度外視したような使われ方をしているという、そういう例が散見されるわけですね。今の政府が打ち出している内容というのは、どうも辻褄合わせ、人手はこういう分野は足りないから、体よく外から人を呼び寄せようみたいな、そういう内容ですから、いま申し上げたような建前と本音の乖離をさらに助長しかねないということでありますし、移民政策ではないんだという、そういう言い方もあるようですが、どう考えてもですね、それは本当にこれこそ本音と建前の乖離ではないのかなというふうに思います。やはり国籍がどうであれですね、この日本で働くすべての人がやっぱり生き生きと働いて、同じ条件で、そして幸せな生活を送るということをまずそういう仕組みを考えるべきであって、目先の辻褄合わせというのは後に大きな禍根を残すと思いますので、極めて問題だということを申し上げておきたいと思います。」

連合は(低スキル労働者は連合の支持者と競合するため)基本的に高度な技術を持った移民の受け入れのみを認める姿勢だったが、安倍政権が移民政策に対して政策転換をする中で、これまでの考え方から変わっているように見える。

実際、地方の連合組織においては外国語に対応した相談窓口ができている(連合大阪)。あるいは、8月のG20に先立って、日独の労働組合の代表によるシンポが開かれ、そこで連合の会長が技能実習生を中心とする外国人労働者に対して「連合として個人加盟ユニオンを各地に配置し手を差し伸べる」と発言している。

神津連合会長ら日独の労働組合代表が会見(週刊金曜日)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190924-00010000-kinyobi-soci

September 23, 2019

コロキウム

今日の社会学部のコロキウムは、コロンビア大学のKhanさん(ウィスコンシンマディソン出身)がきてくれた。トークは彼がコロンビア大学と提携しているsexual assaultに関するプロジェクトで、すごく興味深かった。

本は来年に出るみたいだが、日本でも性的同意に関する活動を知人がしていたのを思い出した。ここまで包括的な調査はなかなか珍しいと思うので、日本の人も読むとフィードバックが多いと思う。

Sexual Citizens: A Landmark Study of Sex, Power, and Assault on Campus

このプロジェクトでは、コロンビア大学(および併設されているバーナードカレッジ)の学部生を対象にサンプリング調査を行い、ダイアリー方式で日々の生活時間と並びに性的行動についても情報を集めている。これと並行して、複数の調査者による参与観察と学生へのインタビューを行っている。

このプロジェクトでは、sexual assaultを合意のない性行為、ならびに性行為の試み、および身体的接触と定義している。先行研究ではsexual assaultの頻度などはわかっていたが、今回は一つの大学を対象にした調査ということで、よりそうしたsexual assaultが生じるコンテクストにも注目していた。例えば、sexual assaultが頻繁に生じる場所として寮やフラタニティ・ソロリティの施設があり、sexual assaultは見ず知らずの人よりもそうした場所で接触する友人・知人との間で生じやすいことが指摘されていた。あるいは、「どのように」sexual assaultを経験したかという質問については、身体的に拘束された形よりも、自分の意思を行使できない状況下で合意を伴わない性行為を経験する人が男女とも多かった。この自分の意思を行使できない状況下というのは、具体的にはアルコールやドラッグを摂取している状況で性行為が生じたことを示唆しているわけだが、例えばアルコール摂取には明確に人種差があり(白人・ヒスパニックの方が黒人・アジア系よりも飲酒傾向にある)、そのため前者のグループの方がsexual assaultを経験しやすいことになる。

また、重要な指摘として大学内で生じる初めてのsexual assaultの多くは、1年目の6ー10周目に生じていることがわかった。これは、学期が始まって落ち着いた頃、くらいの時期で、この結果は入学した段階からどのような状況でsexual assaultが生じやすいのかに関する教育が必要であることを示唆している。

質的インタビューからは、どのようにしてsexual assaultが生じたかに関する詳細な過程が明らかにされる。多くのケースで(特に女性で)「ノーと言えなかった」というロジックが言及されており、Khanさんはこうした性教育においてsexual assaultに対してノーと言えるためのエンパワメントが必要と指摘する。

sexual assaultは女性の方が経験する傾向にあるが、男性もケースは少ないながらも経験することが多い。しかも、男性が経験するsexual assaultは我々の予想とは異なり、6割が女性によるもの(残りの3割は男性、特にゲイの男性による行為)だったという。その一方で、女性が経験するsexual assaultの加害者の9割はヘテロ男性である。この分析の結果からわかるのは、一口にsexual assaultといっても、個人が経験するものは多様であり、既存研究はこの多様性をまぜこぜにして単純な政策提言をしてきたという点である。分析結果をもとに、Khanさんは、今後はこうしたsexual assaultの異質性に配慮した上で、早期からsexual assaultに合わないための教育を大学が率先して行う必要性を説いていた。

それと、(おそらく同僚のDiPreteらの研究を念頭に)男女の高等教育進学の逆転現象がカレッジライフにも大きなインパクトを持つことを指摘していて、そういう視点もあるのかと勉強になった。

夜は東アジア学部がやっている日本語ディナーに参加してきた。学部生で、才能豊かな人を見ると心躍る年齢になってしまった。

September 21, 2019

資源

ここ最近、大学における「リソース」の概念が揺らいでいる。東大、ウィスコンシン双方、私立ではないので贅沢はできないとはわかっていたがそれでも研究するための最低限の設備は整っていたので、特にウィスコンシンでは大きな不満はなかった。東大も、小さな不満はありながらも、特に大きな問題は生じていなかった。

それがプリンストンに来てから、今まで在籍した大学とプリンストンが同じ「大学」なのか、よくわからなくなっている。今までは昼時のセミナーにランチが出るのに驚いていたが、ここ数日で図書館周りに出かけてみると、プリンストンの持つリソースに圧倒された。

まず驚いたのが、この大学には専門分野ごとのライブラリアンがいるという点だ。図書館ごとではない、分野ごとである。例として、社会学専門のライブラリアンが1名、人口学が専門のライブラリアンが2名いる。さらに、メインライブラリーには大学院生用の自習室が「専門分野ごと」にある。社会学は人類学と共有しているが、そもそも学生の数が多くないので、何も困ることはない(先日行った時も、誰も利用していなかった)。さらに、社会科学の統計データを専門にする「データライブラリアン」なる人もいるらしく、テーマを持ち込んで、適切なデータをコンサルしてくれるらしい。

このメインライブラリー、学生数(学部生は5,000人と東大の半分以下、大学院生も2,000に)に比して、東大の総合図書館の数倍はある面積で驚く。さらに、設備がいちいち綺麗で開いた口が塞がらなかった。さながら、美術館にいるようである。仕切が設置された個人デスクがたくさんあり、試験シーズンでも困らなそう。図書館の概念が覆される設備に驚くばかりだった。

今日は人口学研究所に所属する院生向けのオリエンテーションがあったのだが、この研究所には「プログラマー」が二人いることがわかった。この二人の仕事は主としてファカルティ、および院生のコンピューティングをサポートすることにあるらしいが、こういったスペシャリストが教員とは別に複数人いることに驚いた。

もう驚いてばかりの毎日だが、徐々にこの環境に慣れてしまっているのが少し怖い。時間が経てば、日々接するものに疑問を感じなくなってしまうのは仕方のないことかもしれないが、いつかプリンストンを出た時に、プリンストンの環境が当たり前に感じていると、適応に苦しむのではないかという気がしている。

September 19, 2019

再会

今日は朝からTAの予定だったのだが、昨日急展開があり、今年はティーチングができないことになった。大学院はあくまで私を一年生として扱っていて、大学院のポリシーでは1年目の学生はティーチングができないことになっている。どうやら、大学院と学部の間でミスコミュニケーションがあった模様。

TAが4セッションで4時間相当、講義が2時間相当、講義のためのリーディングや採点などの事務作業を考えると、ゆうに週10時間は取られる予定だったので、急遽暇になった。暇になると研究する他ないので、今日は改稿していた論文の提出に踏み切った。

おおよそ改稿を終えて、昼ごはんを外でとることにした。贅沢かもしれないが、セミナーにでる昼食がだいたいサンドイッチで似通っているので飽きてしまったこともある。蘭州ラーメンを食べたが、値段の割には普通で、自分でも再現できそう。

その後、20分ほど歩いて、英語の試験の結果を取りに行く。出願時に提出したIELTSのスピーキングのスコアがプリンストンの基準より低かったのでプレースメントテストを受けなくてはいけなかったのだが、無事パスしてたので、追加の補習を受ける必要もないし、ティーチングも許可される(ティーチングが禁止された翌日にティーチングを認める書類をもらうのも皮肉といえば皮肉である)。

その後改稿した論文を提出して、自転車に乗って西に向かう。学部時代の恩師である高山先生がプリンストン高等研究所に滞在されているということでお会いしてきた。先生と話すたび、大局的な視点で物事を考えることの大切さに気付かされる(日々査読論文の執筆に追われていると問いが小さくなりがち)。IASの周りは芝生と森だけで、さながら研究者のための別荘という感じ。高山ゼミに入ってなければ今留学してる自分はいない気がするので、先生とプリンストンでお会いできたのは感慨深いものがある。


September 16, 2019

失神

物騒なタイトルだが、実際に生じたことである。今日は忙しく、午前9時からAIをしている授業を聞き、10時から予防接種の一環で採血をした。これは、私が予防接種の記録を日本から持ってきていないことが要因だが、quantiferonと呼ばれる結核菌があるかを検査する目的があった。10時過ぎに大学の保健局に行き、採血をしたが、予想通り失神した。数年前から、採血をするたびに気分が非常に悪くなってしまう。後で調べると、血圧の低下によって生じる血管性迷走神経反射らしい。一度失神した経験があるので、採血となるとその記憶がトラウマとして思い出されることもあって、どうしようもないかもしれない。

しばらく変な汗が出て、10分くらい休憩させてもらって病院を出る。休む暇はなく、11時から聴講しているプロセミナー。マディソンでは教員によるhidden curriculumのレクチャーだったのだが、プリンストンでは特にそういったものはなく、前半は教員の研究の紹介、後半は質疑応答で和やかに進んだ。

12時からは社会学部が主催するコロキウム。マディソンの時にも同じ名前のイベントはあったが、プリンストンよりも不定期で、ジョブトークの一歩前の意味合いが強かった。これに対して、プリンストンではほぼ定期(毎週月曜12時)に開かれ、スピーカーのリストを見る限りでは「今一番旬な社会学者」といった豪華な面々が並んでいて、このセミナーに呼ばれたら名誉なことなんだろうなと思った。ちなみに、マディソンとは違ってご飯もでる。まずまず美味しいサンドイッチとサラダ、スナックなどが出るが、先週食べたものと似ているので、多分そのうち飽きるだろう。今日のスピーカーはCrook CountyでASA awardを受賞したNicole Gonzalez Van Cleveさん。まさに今一番トークに呼ばれている社会学者である。

マディソンではコロキウムは不定期だったので、実際に定期的に出ていたセミナーは人口学研究所のみだった(時折貧困研究所のセミナーに出ていた)。しかし、こっちでは研究所が有象無象あり、加えて昼に開かれる場合にはご飯もでるので、割と重要な生存手段の一つになっている。今学期は以下のセミナーに出る予定。どれもランチが出るセミナーなので、基本的に昼ごはんに困ることはなくなる。

月曜日:Sociology Colloquium
火曜日:Office of Population Research Notestein Seminar
水曜日:Education Research Section seminar
木曜日:Center for Migration and Development Colloquium Series
金曜日:Quantitative Social Science Colloquium

1時半にコロキウムが終わると、間髪入れずAIの人を交えてpreceptのミーティング。自分がなぜアメリカの貧困の授業のTAをするのか、その事実に気付くたびに意味がわからなくなるが、現在の2年生のコーホートは人数が少ない。プリンストンの社会学部では2年生でAIをするのが勧められている(質的研究の人は3年目になるとキャンパスからいなくなる可能性があるため)ため、恒常的に人手不足なのだろうと思った。

ミーティングが1時間程度で終わり(ちなみに、このミーティングでもコーヒー代が出てしまい、本当にこの大学はお金に余裕があるんだなと、関心というか、驚きというか、あるいは半ば呆れた気持ちになる)、オフィスに戻るとだいぶ疲れていた。ちょっと日程が詰まっていたのと、やはり血を抜かれたのが要因なのではないかと思う。あとは、毎日誰かしら新しい人とコンタクトして話すのは、自分にとっては結構エネルギーを使う作業なので、それもあるのかもしれない。PAAの分析を進め、AI関係の資料を作り、夕方になる頃に一旦帰宅。とうとう家に一旦帰って夜ご飯食べてオフィスに戻るワーカホリックぽい行為に走ってしまった。私が職住近接が嫌な理由である。目の前に酒があると飲んでしまうのと一緒で、近くにオフィスがあると来てしまう。

その後、翌日の理論の授業の文献を読み、現在に至る。すでに夜9時だが、水曜日の予習をしてから帰る。

September 15, 2019

休日

平日が色々怒涛だったので、土曜は全くやる気が出ず、ランドリーと1週間分の食事を作った以外にほとんど記憶がない。取り敢えず寝ないと話にならない。日曜は9時間寝たのですごく元気になった。10時からルームメイトとタコス作り。なぜタコスを作ろうとなったのかは覚えていない。彼は数学者なのだが非常に陽気な人間で、色々と助けられている。

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Taco party 🌮

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タコスを食べ終わって12時半からオフィスに。TAの授業用のシラバスを作り、PAAのアブストのための分析をして、R&Rになっている論文を修正し、月曜と水曜の必修の授業の文献を読んだりしていた。19時からプリンストンにいる日本の大学出身の人と夕食。色々と情報交換ができてよかった。往往にして、共通の知人がいる狭いコミュニティである。話題に上がった人は高校の同期だとか、部活で一緒に対戦したことあるとか、そういう話はざらで、特にアメリカの大学に留学する人は東大でも一部の人なので、ネットワークは非常に均質的になる。均質なネットワークは安心する。前提を共有しているから。だけど、前提を共有しない人とコミュニケーションをする日々に慣れて時間がたつと、こういうネットワークの奇妙さが際立つ。

食事後に帰り道の途中にあったので私のオフィスがあるホールを案内したのだが、そこで社会学部の教員に出会った。彼に口頭で統計のTAを探してるんだけどやらないかと言われて、時すでに遅しと頭の中で後悔した。私がアメリカの貧困の授業のアシスタントするのは、絶対バグってると改めて思う。そもそも1ヶ月前まではマディソンにい続ける予定だったのに、今違うところにいるところから、歯車が狂い始めているのだが…

メールのやり取りをして、月曜午後にTAミーティングをすることになったのだが、このミーティングで昼を食べるなら授業の予算で払えるか聞いてみるねと違うTAの人に言われて、そういう発想もあるのだなと思った。TAのミーティングにも予算が出るような大学にいると、本来対価を伴っていなかったようなインフォーマルなやりとりにも対価を求めてしまうようになってしまうのではないかという危惧がある。生まれてからずっと、お金がないところでどうやってやりくりするかという発想で生きてきたのだが、この大学では潤沢な予算から生まれるリソースをどうやって取捨選択していくかという、逆の発想が求められている気がする。発想の転換が必要だと考えている、今日この頃。

September 14, 2019

近況

というほどアップデートもないのだが、やはり新しい環境に入ると、日々何かしらの示唆を得ることが多い。

徐々に地理関係も頭に入ってきたのだが、社会学部のある建物は、キャンパスの中央からはやや離れている。とはいっても、マディソンに比べるとキャンパスは非常にこじんまりとした印象で、自転車があれば10分以内に大体の場所につくことはできる。今日は大学病院に行って予防接種をしてきたのだが、人によっていうことが違っていて戸惑った。そもそもの始まりは、私は予防接種のレコードをマディソンで提出してなかった。本来は提出すべきなのだろうが、特に連絡もこず、一年を過ごしたままだった。

しかし、プリンストンでは予防接種をしないと(あるいはレコードを出さないと)授業を履修できず、ポータルサイトの利用も制限されてしまう。私はあまりにもいきなりの転学のタイミングだったせいか、病院側が私の存在を認識しておらず、予防接種のレコードを出していないのに授業が履修できてしまうという、やや奇妙な状況に陥った。しかし、数日前にロックされてしまったので、仕方なく病院に行くことに。

レコードがなかったので、予約した電話口では改めて全部打ち直せばいいよといわれていたのだが、担当の医師の人には血液検査をしてから決めましょうと言われて、また月曜以降に来てくださいと言われてしまった。その血液検査はQuantiFeronというのだが、なぜ予防接種をしに来たのに血液検査をするのか、最初は全く理解できなかった。帰宅して調べてみると、結核検査のツベルクリンテストの一種らしい。しかも、そのQuantiFeronも、今日はできないので月曜に来てねと言われて、結局Tdapだけ打って帰ることになった。なお、大学のポータルサイトのロックは解除された。

また別の食い違いは銀行口座を開いたときに生じた。Bank of Americaの口座を開いたのだが(今まではアメリカの銀行口座はウィスコンシン大学のクレジットユニオンを使っていたのだが、NJにくると無料ATMが全くないので、大手銀行の口座を作ることにした )、大学からの給料のdirect depositもその口座にすることにしたのだが、銀行のスタッフからは紙切れ一枚渡されて、このフォームを大学に提出してねと言われたのが、私の記憶ではdepositの登録はウェブでできるはずだった。確認のため大学担当者の人のところに行って直接確認したら、やはりウェブでできるから提出しなくていいよということだった。

こう行った小さな食い違いは日常的に生じていて、複数の人と直接話して事実確認をする大切さを感じている。

こういったセットアップ関係の仕事はまだいくつか残っているが、多くの時間は研究に使えるようになってきた。毎回自己紹介をするときには掴みも兼ねて3週間で引っ越した話をするのだが、自分でもなんでこんなアホな移動をしたんだろうと心の中でおかしくなってしまうときがある。日々の経験は正直いうと不透明で予測できないことの連続で辛かったのだが、人生経験という枠で見ると非常に有意義だったと思う。なんというか、他の人は絶対経験していないだろう経験をしているのが、自分の人生を豊かにしている気がする。

セミナーにランチが出るかどうかから始まり、教員の構成まで、ほぼ全てが異なるマディソンとプリンストンなのだが、どちらが私にあっているかは置いておき、二つの環境に身を置けたことが今後の人生の財産になることを確信しているので、日々辛いことがあっても、これは将来どこかでペイするものだと思ってやり抜くことにしている。

マディソンの方が、学生間の紐帯は強かったかもしれない。こちらでも学年ごとのチャットグループはあるみたいだが、マディソンはもっと縦の関係も強かった。プリンストンの方が、どちらかというと個人作業をしている人が多い印象があり、お互いの研究について相談し合うグループなどはなさそう。こういう自分の仕事中心主義の雰囲気は私の日本時代のそれと似ているので、それはそれで心地よいのだが、私はマディソンのサポーティブな雰囲気に良い意味で衝撃を受けたので、そう行った環境に身を置けなくなってしまうのは、ちょっと寂しい気がしている。

September 11, 2019

学期初日

というわけで、晴れてプリンストンでの大学院生活がオフィシャルにスタートすることになった。初日からなかなか忙しく、疾風怒濤という言葉が似つかわしい。

まず、9時からTAをすることになった授業に出る。ちなみに、プリンストンではTAではなくAssistants in Instruction(AI)と呼ばれる。人工知能ではなく、ただのTAである。

TAをすることになったのは、マット・デスモンド教授の「アメリカにおける貧困」である。デスモンドさんは、おそらく今のアメリカで最も有名な社会学者の一人といっても大げさではないだろう。彼は博士課程をウィスコンシンで終えたのだが、彼のアカデミックな貢献はEviction(地主による賃貸住宅に住む居住者の強制的な退去)を貧困研究の俎上にあげたことにある。彼が登場するまでは、人口のうちどれだけの人が強制退去を経験するか、数字すらもよくわかっていなかった。彼は2年近いフィールドワークと独自に集めたデータに基づき、強制退去が我々が想像する以上に頻繁に生じていること、およびこの退去が貧困の結果ではなく、貧困を生み出す要因にもなっていることを指摘した。アメリカで「天才賞」と呼ばれるマッカーサーアワードにも選出され、彼の博士論文を元にしたEvictedは、ノンフィクションの作品として2017年のピューリツァー賞も受賞している。このように、彼の業績は社会学という枠でくくるのが難しいくらい影響力が大きいものだ。さらに、学術的な研究にとどまらず、彼は居住権を確保するためのパブリックな議論にも参加している。博士号取得後はハーバードで教えていたのだが、数年前にプリンストンが冠教授ポスト+Eviction labをつくるという条件で引っ張ってきた。このラボでは、全米におけるevictionのナショナル・データベースをつくっている。

私は実質1年目なのでティーチングはしないつもりだったが、私が所属している2年生コーホートの数が少なく、今回この授業の履修者も多かったという事情が重なり、TAをすることになった。不安しかないが、とにかくトライするほかない。彼の50分のレクチャーはエネルギーに満ちていて、聞いていた学生たちに、evictionが貧困の再生産にとってどれだけ重要かを理解させるのにものの数分もかからなかっただろう。彼の授業はevictedの事例として扱われた一人の男性の紹介から始まり、GDPで見れば世界で一番「豊か」なアメリカが貧困指標で上位に来ている矛盾を指摘する。その上で、プリンストンに通う学生がアメリカの貧困を理解する大切さをとき、授業の全体の説明に入っていく。圧巻、という言葉しか浮かばないすごみがあり、TAながら息を飲んで聞き入ってしまった。彼のスピーチには、人を巻き込む力がある。学部2年生レベルの大講義なのだが、アサインメントにフィールドワークが課されているのも特徴的だった。余談だが、フィールドワークの旅費を一人当たり60ドル、それを超える場合は要相談で受け付けると書いてあり、プリンストンだなと思った。150人が受けたとして、一人60ドルだと100万円近い出費である。

その後できたばかりのI-20を取りに行き、13時から人口学の先生との面談。13時半から2年生必修のempirical seminar。この授業、計量分析の論文を1本書くという説明だったので、それならそこまで大変ではないかと考えていたのだが、実際には「因果推論」の論文を書くというのが目的だった。担当の先生はダルトン・コンリーという、彼もまた非常にユニークな教授で、社会学にゲノムの分析を持ち込んだ代表的な研究者の一人である。社会学だけではなく、教授になってから生物学の博士号もとっていて、色々と規格外。自分の関心のある分野でcausal identificationをすることも目標に、これまでの先行研究を批判的に読んだ上で、識別戦略を提示することを強く求められた。ここまで強硬に因果推論を求めるのには最初驚いた。重要なのは、これは必修の授業で、学生の中にはエスノグラファーもいるという点である。社会学でも因果推論はみんなできておくべき必須のツールになっていて、これを選択ではなく必修で受けさせるのに教育的な意味があるのだろう。これはまだ漠然とした印象でしかないが、マディソンもプリンストンもそれぞれ強みがあるが、プリンストンの強みは「どのようなバックグラウンドを持っていたとしても一定程度のアウトプットが自分無理なくできるようにする」ための授業が整っているところにあると思っている。私の研究は因果推論とはかなり遠いところにあるが、できる限りチャレンジしてみる予定である。雑誌のフォローをしてもいいが最近はどんどんプレプリントが社会学でも盛んになっているので、NBERやSocArXivをフォローするようアドバイスしてくれたのも、先進的だと思った。

転学をめぐる狂騒

ほとんど日本語で書くことがなくなってきたので、このブログが唯一のアウトプットになっている。メールも、かなりフランクな内容ばかりなので、日本語でロジカルに考える機会が減っている(頭の中では日本語で考えると、それをexpressするかどうかは異なる)。

先日は、今学期のスケジュールが決まったという話までだったが、あれからまた色々とドラマがあった。プリンストンの授業開始は9月11日なのだが、10日の朝の時点ではまだUWからの転学届けがきていなかった。私は留学生なので、SEVISという移民管理の書類をプリンストンに移さないといけない(大学が私のスポンサーなので)。これが、UWの留学生センターから届いておらず、emergencyになりつつあった。

私がこの書類を提出したのは9月の頭だった。プリンストンに移るという話がきてから時間が経ってしまったのには以下のような理由がある。まず、UWにはプリンストンに提出した転入願いを添付する必要があった。しかし、その転入願いを出すためには、当たり前だがプリンストンからの合格届けがないといけない。以前書いたように、プリンストンからの合格届けが届いたのはプリンストンに引っ越す1日前だったので、転入届けに記入事項を埋めたのがその翌日、指導教員にサインをもらうなどしてUWに提出したのはすでに9月になっていた。

提出後UWの留学生センターから提出確認のauto replyが届いたのだが、最大15 business daysかかると書いてあり、単純に足し算したら授業開始の9月11日に間に合わず、その頃から雲行きは怪しかった。困ったことに、夏季休暇期間中のため留学生センターは平日のうち3日しか電話に対応しておらず、すぐには電話できなかった。ようやく電話がつながったと思ったら、留学生センターは提出順に処理することしかできないので、処理を早めることはできない、最大15日なだけで早く終わるかもしれないし終わらないかもしれないという説明だけで、どうにもできなかった。

この頃はいつか届くだろうと思っていたのだが、授業開始2日前(9月9日)になってもプリンストンに書類が届かず、あたりが騒がしくなってくる。しまいには、大学院庶務課の副ディレクター、社会学部の大学院プログラム担当スタッフ、プリンストンの留学生センター担当者、私の指導教員と私の五人が同じメールのスレッドをccで共有する事態になってしまった。大学側の説明は、レコードが届かなければ私はプログラムを開始できないという説明で、その具体的なインプリケーションは授業を履修できない、TAもできないなどだった。といっても、授業自体はインフォーマルには参加できるので、最初の頃は私は別の問題ないんじゃないの?と思っていたのだが、副ディレクターの人のメールで、最悪の場合、春学期まで在籍を延長するケースも出てくると言われて、だんだんとやばい匂いが漂ってくる。

これと並行して、UWの社会学部の大学院担当のスタッフの人が留学生センターに何度も掛け合ってくれたのだが、ベストを尽くしているとの一点張りで、万事休すの様相が漂い始める。10日の朝になって庶務課の副ディレクターが登場し、物々しくなってきた段階で指導教員が柔軟な対応を求めるメッセージを書いてくれたり、もう非ネイティブの私が積極的に発言できる空気ではなくなってきた。心の中で、なぜ一留学生の私の移動のために、これだけ多くの大人が関わっているのだろうと、だんだん不思議になってきた。

しかし、UW社会学のスタッフが粘り強くプリンストンからの脅しにも読めるメッセージを添付しながら手続きを今日中に済ませないとやばいことが起こるというメールを「何度も」送ってくれた。このおかげかはわからないが、東部時間午後3時過ぎ(中西部時間で午後2時過ぎ)にようやくUWの留学生センターが書類発送のスケジュールに入ったという連絡が来た。ただ、スケジュールに入っただけだと意味がわからないので、今日中に送るかをフォローアップした結果、10日のオフィスが閉まる5時少し過ぎに、ようやくプリンストンに書類が届いたという連絡をもらった。

というわけで、晴れて11日(今日)の昼過ぎに新しいI-20の書類を手に入れることができ、そこにははっきり Program Start 11 September 2019 と書かれていた。もし書類が1日でも遅れていたら、「学期開始」のタイミングと「スポンサー開始」のタイミングがずれる状況になり、問題が生じていたかもしれないので、本当にギリギリだった。

こういうハラハラドキドキの経験がしたい人には、3週間でアメリカの大学を移るのは非常に楽しいと思うので、是非お勧めしたいが、もう1回やれと言われたら、私は遠慮したいところだ。

September 8, 2019

今学期の予定

色々とすったもんだもあったが、ようやく今学期のスケジュールが決まりそう。

オフィシャルには1年生の必修の理論の授業(classical sociological theory)と2年生必修のempirical seminar(修論相当の論文を書くためのセミナー)をとることになった。本当は人口学や政治学の授業もとりたかったのだが、後述の通りティーチングをすることになり、予定を変更した。

これらの授業に加えて、1年生必修のプロセミナーを履修する。私はマディソンの時に同じ授業を履修していたが、このセミナーの目的はファカルティの教員を知るということもあるので、auditの形式で履修することにした。トランスクリプトには載らない。

最後に、急遽AI(Assistant in Instruction、いわゆるTA)をすることになった。ちなみに、この大学ではTAのことはPreceptorと呼ぶ。Poverty in Americaという学部生向けの授業で、講師はMatt Desmondである。requirementには6 sections終わらせることが義務になっており、だいたい2 sectionsで1つの授業に相当する。上記の通り、3つ授業を履修しているので、今回は2 sectionsでいいかなと考えている。

September 2, 2019

マディソンからプリンストンへの転学

もし、2週間で転学してみないか?と誘われたら困りませんか。私は結構困りました(笑)。あまりにも出来事が一度に降ってきたので、つい3日前に自分が何をしていたのかもちょっと思い出せません。書ける範囲で何が起こったのかをまとめています。2週間での転学は例外だらけで、結構ハードモードですが、外国人である私一人の移動に、多くの人が関わってくれていることがわかる瞬間の連続で、ありがたいですし、(人生の)勉強になります。

本当は数ヶ月かけて提出する書類を1週間くらいで出してるため、かなり頭がこんがらがってますが、転学が決まってから

A. 引越関係

  1. 家探し
  2. 航空券の予約
  3. 更新してしまったマディソンの家のサブリース探し
  4. 引越し荷物の送付
  5. プリンストンまでの移動手段の手配
  6. 新しい家の家賃とデポジットの支払い
  7. 日本の口座からアメリカの口座への送金
  8. 学会などに所属・住所変更の連絡
  9. アマゾンなどに登録している住所の変更
  10. 足りない家具などの購入

このあたりの作業は基本的に一人でできるので、そこまで困りませんでした。ラッキーだったのは、学会でプリンストンに数日滞在できたことで、その間に家探しをしていました。結局、滞在中に尋ねた家にはせず、ショッピングセンター近くにある一軒家をシェアすることにしたのですが、その際もプリンストンにいる知人に家を訪問してもらい、部屋の写真などをとってもらいました。
この2週間は、私が持っているプリンストンコネクションのほぼ全てに頼った気がします…最初の方は自分も本当に転学できるか確信が持てなかったので、もしかしたら…みたいな中途半端な感じで相談してたのですが、徐々に転学が確実なものになるにつれて、この移動がどれだけ例外じみているのかわかってきました。

B. 転学関係

引越しに前後して、転学に際して必要な作業も進めました。まだ進行中のものもありますが、具体的には、

  1. プリンストンのメールアドレスの取得
  2. ウィスコンシンの授業のキャンセル
  3. ウィスコンシンへの出転学(transfer out)願いの提出
  4. プリンストンへの入転学(transfer in)願いの提出
  5. 外部奨学金の財団への転学願いの提出
  6. プリンストンに外部奨学金をもらっている旨を連絡
  7. ホームページのドメイン取得、作成
  8. オフィススペースをもらえるかメール
  9. 人口学研究所に所属したい旨のメール

8とかは特に必要なかったのですが、自分の中で少しでもプリンストンに移るという実感が欲しかったのかもしれません(笑)。今も、なぜ自分が引っ越して転学しているのか、よくわからなくなる時があります。メールは返事が返ってくることもあれば来ない時もあります。5はいまだに返事がなかったので、今日(3日)大学院のファイナンス担当の人にアポなし訪問をしました(後述)。8、9も返信がなかったのですが、今日直接学部にいって、人口学研究所のオフィスをもらえるまでの、暫定的なオフィスをもらえました。改めて、メールを送るよりも、アポなしでも直接オフィスに訪れた方が話がすぐ進むことを実感しました。アメリカでは、各事務スタッフが専門職とみなされていることも、スムーズな対応を可能にしてくれた気がします。アメリカの大学では、これらのスタッフは個室が与えられているし、裁量も大きいです。今日も、教授とは一度も会いませんでしたが、スタッフの人に直接会って、全部繋げてもらいました。

C. 入学関係

転学といっても、新しく院生としてプリンストンに所属するために、そのために必要な作業もありました。具体的には、他の新入生と同じく、

  1. 学生証のための証明写真の提出
  2. CVの提出
  3. SEVIS, I-20関係の書類の作成
  4. オフキャンパス学生向けのバス定期の申し込み
  5. Direct Depositの登録
  6. 履修登録
  7. 学生証のピックアップ
  8. 留学生センターへのチェックイン
  9. I-9の作成
  10. 学部・修士の成績証明書の提出
  11. 健康診断書の提出 (McCosh Health Center)
  12. オリエンテーションへの参加(大学院)
  13. オリエンテーションへの参加(留学生)

などがあります。これらの作業の多くは今日(3日)に進めたのですが、ルームメイトのブラジルから来た数学を研究している院生に助けてもらいました。彼がチェックイン関係の手続きをするというので、一緒に行くことになったのですが、朝は寝ぼけていたこともあってパスポートとI-20だけもってとぼとぼついていきました。彼はチェックインのためにどの建物に行けばいいか、どの書類が必要かも全て調べてくれていたので、7,8,9あたりは彼についていきながら、流れでポンポン進んでいきました。1も突然の移動だったので私は前日に写真を提出していたのですが、結局データがまだ学生証を発行するスタッフの元に届いていなかったので、その場で撮ってもらいました。

学部・修士の成績証明書の提出はかなり厄介な作業で、というのも、私は学部・修士とも東京大学というところにいたのですが、この大学の悪名高い特徴は成績証明書が(1)教養学部、文学部、人文社会系研究科、全て別々の窓口(同じ東京大学なのに!)、(2)オンライン申請なし(=本人が窓口に直接参上あるいは郵送)なんですね。急を要する事情でアメリカから郵送する時間がもったいなかったので、日本にいる知人に助けてもらいました。

私は、人文社会研究科と文学部には既に25回以上厳封の成績証明書を要求しているからかブラックリストに載っているようで、最後の方には名乗らずに「あ、打越さんですね」と言われる始末でした。というわけで今回も「ああ、奴が来たな」と思われたと確信しています。ただ、今回は事情が事情だったので研究科としても最大限柔軟に対応していただいと思います(でも、全部オンライン申請が可能になったら解決するんですけどね)。

D. 外部奨学金と学内フェローシップの調整

先述したように、私は日本の財団から、外部奨学金をいただいてます。プリンストンはそれらがなくても授業料と生活費を出してくれるパッケージを合格時に出してくれるのですが、一方で外部奨学金の受給を勧めてきます(外部奨学金がもらえると、インセンティブとして生活費にボーナスが出ます)。

ただ、この財団では授業料については私が一旦払ったものを建て替えてくれるという形をとっているため、何かしらの方法で私の銀行口座を使って授業料を払わなくてはいけません。マディソンにいた時はクレジットでひとまず払っていたのですが、問題はプリンストンはクレジットによる授業料支払いを認めていないのです。そういうことも知らず、私は大学院が外部奨学金の受給を進めているのでそれに関する書類を提出したのに、5日間返事がなかったのでアポなし訪問をしたのですが、その場で以上の問題が発覚しました。

これについては、まだ解決策を探している途中ですが、担当のスタッフの人もたくさんオプションを示してくれたので、きっとなんとかなる気がします。もうここまでくると、そう思いながら日々生きていくしかありません。

E. その他

残りはそこまで急を要する作業ではないので、優先順位は低いです。

  1. 自転車のピックアップ+駐輪許可証の取得
  2. 人口学研究センターへの書類提出
  3. オリエンテーションへの参加(社会学)
  4. オリエンテーションへの参加(人口学)
  5. 英語の試験(スピーキングのスコアが足りないので)
  6. eduroamの取得
  7. 授業で使う本の購入
  8. プリンタの設定

ここまでして移籍する必要があったのか、正直自問自答することも1日に何度もありますが、決断自体は後悔してません。私の人生の方針では、基本的にリスクがあっても面白そうな道を選ぶことにしているので、こういう面倒な作業はよく生じます。人生は一度きりしかないので、自分にしかできないような人生を歩んでいければ、こういう苦労もその一部かなと思って我慢できます。というわけで、適度にポジティブに頑張ります。