November 30, 2019

11月30日

感謝祭休みも終わり、学期も終盤に突入しようとしている。10月に秋休みがあり、そのあと1ヶ月で感謝祭休みなので、休みすぎな気もするが、これがプリンストン流というところか。

書きあぐねていた論文を書き終えたので、諸々の溜まっていた作業を進めていた。一つは、還暦お祝いのメッセージ。日本時代にお世話になった先生の還暦祝いの会に参加できないので、その代わりに一筆差し上げることになった。書きながら思い出したのだが、私はかつて「焼け野原から咲く花は美しい」という価値観が残る環境で研究していた。これが何を意味するかは、知っている人は知っている。要するに、一人で研究できる力はついたが、その分ストレスはすごかった。バランスの問題ではあるが、その一方の極である。

ただ、ストレスなく一人で研究する力をつける教育もできるはずで、その点についてはアメリカの教育に分がある気がする。研究「能力」で言えば、日本の研究者もアベレージは高いと思うが(少なくとも社会学では、研究者の海外への流出はほとんど起こっていないことも要因だろう)、研究および教育「環境」のアベレージは、まだまだ伸びる余地があると思う。思うことはあるが、これを言い出すと角が立つのでやめておく(例えば「それ、アメリカの一部のトップ大学の、極めて運が良くて、かつ極めて苛烈な競争を勝ち抜いてきた一握りの人々のイメージに引きずられていない?」みたいな)。まあ、私はその「一握り」をのんびり観察している野次馬の一人でしかないわけだが。

もう一つは、近所のグロサリーでの買い物。先日高山先生のお宅でいただいたワインが美味しかったので、同じのを買ってしまった。この私が、である。ワインを自宅用に買うという経験は今までない。が、最近食わず嫌いはやめにして、尊敬する人の真似をしてみるという陳腐な動機でも、新しいことにトライできるのは、悪くないと思っている。ワインは学生にも優しい値段だったが、口当たりはよく、飲みやすい。臭いのきついダニッシュ・ブルーチーズと合わせて食べると、口の中から多幸感に包まれていき、病みつきになる。

グロサリーでは、一応、鳥肉も買ったが、最近ほとんど肉を食べなくなった。映画の描写で、それこそ先日見たアイリッシュマンで、肉をたらふく頬張るシーンはよくあるが、もしかすると次の世代には、そういうのは過去の出来事として記憶されるのかもしれない、アメリカでは、肉を食べなくても生きていけるのだ。あるいは、肉食が衰退しているからこそ、あえて生肉を解体したり食べる描写というのが強烈に印象付けられるのかもしれない。

買い物は徒歩3分のところにあるショッピングセンターで済ませられるのが今の家のメリットだが(ここで家賃の支払いをしていないのを思い出す)、プリンストンに引っ越してから、ますます車を持たなくてはいけないと思うようになった。これもまた「この私が、」である。車を乗れるようにならないと思っている時点で、相当人生観が変わっている。頑張って来年には乗れるようになりたい。車を運転できても、少し遠いところに住んで車で通勤したり、友人を少し離れたグロサリーに連れていくくらいしかアイデアがないが、まあそれくらいでも人生は豊かになるはずだ。

いずれにせよ、兎にも角にもお金が必要で、プリンストンに来て給料が上がったのはいいが、給料が上がったためにお金を使うことを考えてしまい、結局貯金があまりできないのは皮肉といえば皮肉である。ワインしかり、車しかり、研究環境は整ってきたが、最近自分の中で「これはいいや」「これは自分には不釣り合いだ」と思っていた部分に揺らぎがあり、自分のアイデンティティがどこにあるかを見定めるのに、何かと忙しい。先日も訪ねてきた後輩にやや哲学的な問いをふっかけられて、日々自問自答している。

November 18, 2019

11月18日

今日のプロセミナーでいつものように各自が研究関心も含め自己紹介したのだが、担当の先生が、一通り聞き終わった後、みんな不平等に関心があるんだねといって、確かに言われてみるとそうだった。というより、最近のアメリカの社会学は、多方面から不平等に取り組む分野になりつつある。

コロキウムは移民研究のアルバさん。内容は、センサス局などが予測する、30年後くらいにマイノリティが人口の多数を占めるという命題を批判的に検討したもの。この予測は増加する複数の人種の親を持つ子どもを無視していて、彼らの多くは白人とマイノリティの子どもで、彼らは自分のアイデンティティを白人と考える傾向もある。さらに今後どれだけこういったミックスの子どもが増えるかは予測も難しいので、安易にマジョリティ・マイノリティの議論はせず、人種構成の長期予測もやめるべきと主張していた(ただし人種概念自体は重要で両立可能)。

要するにこれも一種の同化理論なのだが、ロジックはわかる一方で、やや腑に落ちないところもあった(同化理論はいつも消化不良)。もしかすると、自分もアメリカ社会に「同化」すると同化理論も腑に落ちてくるのかもしれない。

同化理論自体は理論なのだが、アメリカの人種・エスニシティの話はコンテクストが複雑でほぼ他の社会には通じないアメリカ社会論みたいになっている。アメリカに住んで徐々にわかってくるところもあり、日本でいう正規・非正規の概念も類するかもしれない。

November 17, 2019

尊厳

最近、アメリカや日本で起こっている社会問題とされるものを、「努力しているのに報われない」という尊厳を一つの背景としてみると理解しやすいかなと思い、それ以来dignityに関する本を見つけたら読むことにしている。

すると、尊厳の概念は非常にモダンなもので、その性質は時代や場所によって異なるらしいことがわかり、これは面白いと思っている。

例えば、これだけ頑張っているのに稼ぎが少ない(ので認められていない)という問題もあれば、稼ぎが同じなのに社会から認められていないという問題もあり、尊厳を軸にすると、人がなぜ現状の待遇に納得しないかを考える時に、それが経済の問題だけではないことに気付くことができる。

ということを考えながら今日書店にいったら、フランシス・フクヤマの近著も似たようなことを扱っていた。彼曰く、昔は内的自己のアイデンティティを社会に合わせなくてはいけなかったのだが、現代ではむしろ社会を自己のアイデンティティに従わせることが規範的になっているという。

November 16, 2019

11月16日

ジョジョラビットをみた。前半がイマイチだった気がする。職域分離の論文のドラフトを書いたので明日からは同類婚の論文を書く、あとゲノムと低体重。今日は本は書いてない、多分明日も書かない気がする。明日も何も予定がない。2日連続で予定がないの、引っ越してから初めてだと思う。日本語で書いた職域分離の別の論文は今月末にオンラインで出ます。

November 14, 2019

11月14日

忙しい。今日の移民研究所のトークは私が個人的に尊敬している研究者の人の報告だった。素晴らしい内容の報告だったが、一点だけ気になるところがあった。移民がアメリカ社会にもたらす帰結について議論するとき、移民がアメリカの経済に「貢献」しているというロジックで移民を肯定的に捉えようとすると、それは「貢献していない」移民は排斥しても良いという主張を認めることにもなりかねない。その点に関して、やや議論になったのでメモ。

ゲノムについて、メンターの先生と話して学んだ(2日前だが)。同類婚などによってMendelian randomizationは起こってない説が有力らしい。そうなるとstrict exogeneityが満たされないので因果推論には使えないことになる。形質によるが、PGSの予測力が低いとweak instumentになるのも懸念になる。教育年数のPGSの予測力は2018年時点だと11-13%(European ancestry に対して)なので、まずまずだと思う。

注目する変数が社会な限りゲノムも社会だなと思うのは、例えばPGSの予測力は対象とする人口の生まれた年代により異なり、古いコーホートほど予測力は低い。昔のコーホートほど遺伝的には高い教育年数を獲得すると予測されたのに実際には獲得しなかった(できなかった)人がいるから(具体的には女性)。本来はここに人種的マイノリティも加わるはずだが、現在のゲノムの分析は白人に絞って分析がされているので、これは今後の課題。ただ、PGSはピュアに遺伝的なものを拾ってきているかというとそうではなく、環境要因も拾ってきているので、解釈には注意が必要。

長くなるので理由は書かないけど、私は博士課程の入試でGREを削除するのには賛成(プリンストンやブラウンの一部のプログラムで実施予定)。入学後のパフォーマンスを予測しない云々以外の正当な理由がある。ただ、ホリスティックに評価したい場合は情報があるに越したことはないので、残すのも一理。

パフォーマンスを予測しない云々に対して選択バイアスで片付けることは容易だが、そのロジックはGREがパフォーマンスを予測することを含意しない。もう一つは、GREで高得点を取れるような人の階層的背景はどういうものかという問題。もちろん、それは推薦状云々についても言える。




November 9, 2019

実践上の社会学

今日面白かったのは、全然違う視点で書いてる二つの論文がジェンダー革命理論を盛り込むと意義が出てくることに気づいたところ。この理論は全く好きではないけど、私の中ではいわゆる大きな物語で、仮説を導くのには便利である。

色んな社会学があると思うが、私が論文で実践する社会学は、社会はどうなっているのかについての視座を提供してくれるもの。ジェンダー革命を観察することはできないが(物語なので)、この物語が正しい場合に何が見えるかは教えてくれる。私の仕事はその「正しい場合に」をデータを使い検証することである。

それが実際上、何を意味するかというと、論文の中で複数の世界観が登場し、よほどその世界観(を提示する理論)にこだわりがない限りは、論文ごとに支持する見方が異なることに対してオープンになれてしまうこと。これは、結果に適合的な説明をアドホックに選んでしまう危険もある。論文のインプリケーションは「そういう見方もあるのね」という傾向になりやすいので、何か一つの真理にたどり着こうという気はないが、そういう説明がアドホックになりがちな分野だからこそ、レプリケーションやプレレジスターのような科学的な手続きは大切だと思う。

科学的な手続きに従って物語が提供してくれる示唆を検証する学問が果たして科学なのかどうかはわからないが、そういうどっちつかずなところが社会学のいいところでもあり、悪いところでもある。

既存のデータで分析するという条件付けをした上で、最もレバレッジがきくのはインプリケーションが大きく、検証しやすい理論(私の定義する大きな物語)なのでジェンダー革命を引用するが、例えば実際に生活していて、そんな理論を信じて行動することはない。日常的に遭遇する現象を理解する場合、そういうレバレッジは考えずに、あ、これは儀礼的無関心だな(=そう理解すると物事がよくわかる)みたいに、かなりプラグマチックに理論を「使う」ことはある。

そういう物語志向の社会学がある一方、ポリシーレリバントな研究も増えているので、そうした志向性を持つ研究者にとっては、例えば因果推論は大事なのだろうと思う。物語志向と現実志向、雑な対比だが、そういう見方をすると社会学で起こっている方法的な議論はわかりやすくなる。これも世界観。

November 7, 2019

忙しい

これまでは人や環境を知るのに忙しかったけど、最近は徐々にコミュニティに入ったからこそ生じる忙しさで時間が取られている。毎日刺激的で、いい忙しさなのは救い。プリンストンに来れてよかったと思い始めてきた。最初からプリンストンに来れば、ああアメリカの大学はこういうもんかと思ったのかもしれないが、マディソンとのギャップに驚く日々だった。

今日は11時から英語の発音矯正の時間。12時からはシカゴ大学のアボット氏のトーク。数日前に突然フライヤーが出たので、色々あったのかもしれない。

ハーバードやミシガンほどではないにしても、アメリカにいながら日本研究者とのネットワークを作れるのはプリンストンの魅力の一つ。ただ、社会学と人口学に加えて、日本研究者としての時間が増えていることも、こっちに来てからの忙しさの構成要素になっている。1.5刀流みたいな感じ。詳しくいうと、社会学的な考え方と人口学的な考え方も厳密には違うので、2.5刀流かもしれない。

そういうわけで16時半から上智大学のスレイターさんのトーク。内容は、スレイターさんがやっている難民申請者の人のナラティブを集めるプロジェクトに関する報告。日本にいた時も難民について話すことはほとんどなかったので、このプロジェクトを通じて少しでも多くの人が難民について語る語彙を身につけてくれればと思う。

November 6, 2019

Making motherhood work

昨日の人口学研究所のトークで、Making motherhood workという本を書いたCaitlyn Collinsさんがトークしてくれたのですが、彼女の研究は日本のワークライフバランスを考える上でも示唆的だと思いました。

この研究では、アメリカ、東西ドイツ、イタリア、スウェーデンの高学歴のworking motherの人にインタビューをして、彼女たちがどのようにwork family conflictを定義し、これに対応しているのか、あるいは彼女たちのideal motherについてのアイデアが国ごとにどのように異なるかを明らかにした上で、それらがマクロな政策的な文脈や文化とどう関わっているかを検討しています。

スウェーデンはworking motherという言葉が死語になっていて、働くことが前提でカップルが形成されるというのは面白かったです。それと、比較の観点からアメリカの母親がself responsibilityを語る傾向にあるというもの、市場的な福祉政策との繋がりで考えればmake senseします。ドイツの事例などで、彼女は政策を変えたとしても以前から存在している文化的な規範にworking motherが拘束される点も指摘しています。イタリアは日本と似ている気がしましたが、前者ではeconomic uncertanityがどの世帯でも懸念されていて、それがバランスが難しい中でも女性にフルタイムでの就労を要求している一方、日本ではMaryの研究などでも指摘されるように、労働時間などの会社側の要因がconflictを生じさせているのではないかと思いました。

いつか、日本に来て講演でもしてもらえたらいい機会になりそうです、work life balance的には人口学以外の分野のみなさんも関心を持たれるテーマのではないかと思います。

November 4, 2019

The Revolution That Wasn’t

The Revolution That Wasn’t: How Digital Activism Favors Conservatives

Today's colloquium talk by Professor Schradie was wonderful. Her study illustrated how online social movements favor middle-class conservatives over working-class groups.

なぜ/どのようにデジタルアクティビズムが右派的な運動と親和的なのかをノースカロライナの事例から検討していて、面白かった。アメリカの右派のグラスルーツの運動はミドルクラスが多く、彼らの方がデジタルメディアを使うスキルや資源がある。

あとは右派の方が「一つの真実」があるはず(なので主要メディアの言っていることは間違っている)、という信念を持っているのは、日本のネット右翼の話を見てても似たような印象を持つ。デジタル民主主義へのユートピア的世界観に警鐘を鳴らす研究として見ることができる。


November 3, 2019

プリンストン3ヶ月目

まだプリンストンに引っ越して2ヶ月という事実に驚く。とっている授業は少ないが、セミナーを通じてcutting edgeな研究に目にする日々を繰り替えすのは非常に濃密で、実際にはもっと長い時間を過ごしていた気がする。旅行に出る前はこうした情報を消化できていないことに不安を抱いていたが、旅行中にプリンストンの話をすると、意外とスラスラ何を最近見たのかについて言えるようになっていたので、それなりに自分の頭の中に回収できているのかもしれない。

今回の旅行で、この2ヶ月で自分が経験したこと、考えたことを言語化する機会に恵まれた。久しぶりに人と会うと最近どう?と聞かれるわけだが、プリンストンはどう?と何度も聞かれる中で、自分でも繰り返しまず先に思いつくことがあり、印章に強く残っているのだろう。ランダムになるが、3ヶ月目に入るにいたり、備忘録を兼ねて書いておく。主としてマディソンとの比較になる。

- 知的ストレス
以前のブログでも書いていたが、日々新しい研究を目にすることは知的刺激に満ちているのだが、贅沢な悩みになるが、それらを吸収しきれていないことはストレスに感じる。これに加えて、work cultureが個人主義的なきらいがあることも、旅行中の自分は周りの友人に指摘していた。プリンストンはやはりその道のビックネームが多いので、そもそもプリンストンにいなかったり、オフィスにいてもドアを開けたりしない傾向にある。マディソンでは、特に人口学研究所の先生は、オフィスにいるときは必ずドアを開けていて、ちょっとした挨拶はしやすかった。プリンストンは、マディソンに比べるとコーホートのサイズも小さいので院生の自治会の活動も少なく、特に学年をまたいだネットワークを構築することが難しい。上級生になりコースワークを終えると、そもそもプリンストンではなく近郊の大都市に住む人がいることも、ネットワークを作ることの難しさにつながっている。こうした事情で、私はプリンストンが財政的な資源には富む一方で、社会的な資源派もっと充実できるのではないかと思っていたのだが、コーネルで博士をとりマディソンでポスドクをしているコーネルの人に言わせると、マディソンのオープンで共助なカルチャーの方が珍しいらしい。サイズの問題はどうしようもないので、こればかりは社会学部以外のネットワークを作る機会と考えることにしている。

- 街
やや愚痴っぽくなってしまったが、これはむしろ昔の環境の方が良すぎただけなのかもしれない。その一方で、街は過ごしやすい。来た当初はホームレスが一人もいないような環境の異質さに戸惑ってしまったのだが、最近は慣れてしまった。マディソンの時は2週間に1回くらいなっていたアラートも全くならず、唯一先日あったのは竜巻注意報だった。下手すると東京よりも治安がいいくらい、大学周辺は異様な環境なのだが、街の圧倒的な静けさとサイズ感は好きになっている。プロビデンスはキャンパスのサイズはプリンストンよりも小さい印象だったが、ダウンタウンがあり、より街と大学の距離が近い印象を持った。また、ブラウンの方が建物を古く維持することに価値を置いている気がして、社会学部も人口学部も古い建物を借りてきてできていた。好みは分かれるかもしれないが、建物の綺麗さで言えばプリンストンの方が私は好き。ハーバードは建物一つ一つはプリンストンに似ているのだが、ボストンという大都市の中にあって建物同士が拡散している印象を持ち、あまりintegrateされたキャンパスではない気がした。結局、自分が住んでいるところを高く評価してしまうのかもしれないが、プリンストンの方が住む分には過ごしやすい。マディソンも別の意味で同じくらい住みやすい(キャンパスと中心部が適度な距離感にある、建物自体は古すぎず、新しすぎず、いい意味で庶民的)。ただ、マディソンは冬の圧倒的な寒さはどうしようもできず、もう一つは大都市までの距離が遠いのはデメリットかもしれない。プリンストンはNYまで1時間半なので、これは圧倒的な強みである。

- リソース
プリンストンが持つリソースは圧倒的である。読めない論文はないし(あるのかもしれないが、書誌情報がわかりさえすれば、サービスをやりくりして今まで読めなかった論文はない)、この小さな街に、大学があるからという理由でアメリカ、世界中から一流の研究者が集まり、日々研究の議論をしている。これ以上の環境を望むのは難しい気がしていて、できるだけ大学院の期間を長くしたいと考えているくらいだ。

秋休みの旅行の記録

10月27日から11月1日までの6日間、秋休みを利用して旅行をしてきた。11月末にもthanksgiving recessがあるので最初の頃は10月の休みが必要なのかわからなかったが、ちょうど学期の半分が終わるタイミングで、予想以上に疲れていた自分としては、いいタイミングでの休暇になった。ちなみに、この10月末の秋休みはマディソンにはなく、友人に聞いたところハーバードやブラウンにもないらしい。一説によると、南部から来ていた学生が農作業の収穫を手伝えるために帰省する文化の名残らしく、ということは南部の大学では秋休みはあるのかもしれない(実際にデュークには秋休みがあるらしい)。

土曜(26日)は駒場時代にお世話になった高山先生のご自宅でアメリカにいるOBOGと同窓会があったのだが、そこで、アメリカでは公共交通などのサービスに対して日本と同じような期待を持つことはしない方がいいという話が上がった。今思えば、この旅行のハプニングを暗示していたのかもしれない。

日曜朝に向かったのはニューアーク空港。ニュージャージーのローカル線(NJ transit)はメインの路線にあるPrinceton junctionからプリンストン大学関係者のためだけに一駅だけのDinkyと呼ばれる路線を走らせているのだが、この路線が持っていたappでは早朝から走っていると出ていたのに、実際には休日運転でタクシーを使う羽目になった。アメリカの公共交通のレベルは非常に低いが、これは序の口である。

予定通り飛行機は出発し、マディソンに着く。その足でタクシーに乗り、昔の自宅に(今も契約は残っている)。地下にいくつか荷物を残していたので、必要なもの、必要じゃないものを峻別して、ダンボール2箱とボストンバックをuberで運んでFedExに行き、プリンストンの自宅に郵送。夜はHilldaleにて日本の知人・友人と夕食。イーグルハイツ(大学寮)に住んでいる同じコーホートだった友人の家に一泊。


月曜は朝から指導教員とのミーティング。滑稽なことに、私は指導教員についていく形でプリンストンに移籍したのだが、当の本人はまだマディソンにいる。メールでもできることはあるが、やはり1 on 1のミーティングが一番早い。気づいたら2時間近く話してて、おそらくこれまでの面談で最長だろう。次に会うのは1月なので、これくらいは必要だったと思う。昼ごはんは人口学研究所にいた友人たちと。その後もミーティングや廊下でのちょっとした挨拶などを繰り返し、夜は一緒に人口学の授業をとった友人たちと夕食。そのあと、4年生の友人の家に宿泊。

火曜は朝にポスドクの人とお茶。人口学のセミナーを聞いて出発。時間が限られていたので、会いたい人全員に会えたわけではなかったが、キャッチアップにはいい機会だった。たった2ヶ月しか経ってないのに、なぜこいつはのこのこ帰ってきたのかと不思議に思われてなかったか、やや心配である。自分でも違和感なくオフィスを使って作業しながら時間を過ごしていたのは不思議なものだった。去年学生メンターだった先輩の車に乗せてもらって空港に。近況も共有できて一石二鳥だった。デトロイト経由でボストンへ。トランジット時間がややきつかったが、問題なく搭乗。ボストンについてすぐタクシーに乗って、政治学部の友人二人を訪ね、宿泊。

水曜は朝ごはんをTatteカフェでとる。11時過ぎから社会学部にいる韓国の友人と会う。昼食後キャンパスを歩きながら、近況をシェア。廊下ですれ違ったファカルティの先生や関心の近い院生を紹介してくれて、ありがたかった。13時過ぎに学部のディレクターをしているヒラリーと面会。15時過ぎにケネディスクールに留学している東大時代の先輩と再びTatteにて面会。South stationからプロビデンスに向かい。19時に到着。Kと京論壇を通じて親友になった友人(ブラウンでポスドク中)と再会、ディナー。Kのボロ一軒家に宿泊。






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木曜はあまり予定はなく、図書館を借りて作業、またダウンタウンでちょっと買い物。プリンストンに比べるとブラウン周辺はそれなりに街だった(プリンストンにはダウンタウンなるものは存在しない)。近い距離に色々なバックグラウンドの人が住んでいるのは、ある程度有機的な街ができていることを示している。その一方で、segregationは顕著で、マディソンよりも深刻な気がした。夕食はブラウンの社会学部にいる中国人の友人二人とKと4人でKがよく自慢げに写真をあげている蒸籠蒸しの店に。「安くない?」を連発されたのでしぶしぶ首肯しておいたが、まあそれなりの値段はした。再びKのボロ一軒家で一泊。

金曜は朝4時半に起きてプロビデンス駅へ。到着した時点でNYへの電車が遅れていたのだが、さらに遅れて到着した時点でエンジントラブルか何かでボストンに戻る可能性が高いので乗らないことを進めるという説明。色々すったもんだしているうちにバスの予約もいっぱいになったようでLyftをシェアすることにした。急いでいたのには理由があり、ブルックリンでデータプレゼンテーションのセミナーがあったからだった。同乗した二人はロードアイランド大学の疫学者で、話を聞く感じだと関心は遠くない気がした。一人とはvenmoで友達になったのだが、多分二度と会うことはないのだろう。1時間半遅れでセミナーに参加した。講習料は学割後で240ドルだったが、言い値で言えば24.0ドルくらいの収穫だった。Tufteというvisualization業界では教祖とされる有名人だが、個人的には特に新しいことを言っているようには感じなかった。ただ、それは逆に言えばTufte氏が長年訴えてきたprinciplesが他の人を通じてほぼ常識のように流布したことの証左かもしれず、私が240ドルのうち意味を見出せなかった216ドルは彼の懐と会場のホテルの収入になったわけだが、それをを考えなければ、一つの収穫だったかもしれない -- もう彼はセミナーをする必要はないのだ。

ただ、なおも残る彼のユニークな点は、プレゼンを一つのアートとしてみなしている点である。彼の用いる「美しいプレゼン」の材料は芸術作品や古い地図のようなものが多く、彼はこういったプレゼンテーションの資料が発達する前の時代から存在する「美しいプレゼン」からメッセージを読み取ろうとしている。この姿勢は最近私がプレゼンテーションを改善するためにとっているアプローチと近いので、自分の考えが間違っていないという確信をもてたのは良かった。具体的にいうと(ジョブズみたいなことを言って恐縮だが)、最悪スライドなしで発表できるなら、それに越したことはないのだ。歴史上のほとんどの期間、人はスライドを使って説明をしてこなかった。スライドを使った発表が当たり前になったのはごく最近の出来事である。そのため、スライドはあくまで発表の補助資料でしかなく、重要なのはスピーチそのものなのだろう。スライドの読み上げは、原稿の読み上げと等しいくらい、effectiveではない。このように考えて、最近はまずスライドなしで報告の練習をしてみて、そこで図なりデータの説明なり、口頭では分かりにくい部分に関して補足の意味でスライドを作るのがいいのではないかと考えている。スライドを作ってから練習するのではなく、練習する中で必要なものをスライドとして作るという逆転の発想になる。

ここで作る図は、自分の研究報告をstorytellingとしてより分かりやすく、compellingにするものという位置付けなので、よりオーディエンスの印象に残る、効果的なグラフィックは何か、と考えている。最近は書店でデザインの本を買って、自分のスライドに役に立たないか考えることもあり、これはTufteアプローチに近いと思っている。

帰りのバスの中で何度も電話に拒否されながらなんとかアムトラックのリファンドを済ませ、19時過ぎに帰宅、する予定が途中で乗客がいなくなったと思った運転手が私が降りようとしたストップにたどり着く前にバスを引き返してしまい、最寄りのストップまでつくのに30分ほど遠回りをしてしまった。色々と交通手段には振り回されるが、これも我慢である。