March 31, 2014

girls subculture and interlocking network

Bessett, D. (2006) ‘Don’t Step on My Groove: Gender and the Social Experience of Rock, Symbolic Interaction 29(1), 49-62.

この論文ではロック音楽に対する意味付けの男女の違いについて考察している。これまで、男性的とされたロックを好む女性のファンはAngry young womenというフレームで語られてきた。今回は、そのジャンルへの解釈を対象に対象にした分析がなされる。
男女を対象にした分析の結果、音楽に対する解釈は男女で違いがあることが分かった。女性は、ロックのplausability/authenticityを決定する際に、作品と演奏者の経験の一貫性を求めている。特に彼女らは演奏者のステージ上とその外のライフスタイルの一致を求めている。その一方で、男性はそうした「本物」かどうかの一貫性を必ずしも求めないことが報告されている。また、男性は演奏者のジェンダーと自らのそれの関係を強調しようとせず、この意味でジェンダーは重要な役割を果たしているとは言いがたい。さらに、女性にとっては歌詞は演奏者と作品の一貫性を担保するのに重要なものとして考えられているが、男性にとっては、歌詞はそのような意味を持たない。こうして、シンガーをロールモデルと捉えるかにおいて男女差は激しいことが分かる。以上から、音楽との関係において、女性は自分の女性というアイデンティティをそれを理解するためのリソースとして用いていることが主張される。

McRobbie, A. And Garber, J. (1978) Girls and Subcultures, in Hall, S and Jefferson, T. (1993) Resistance Through Rituals, London, Routledge, republished in McRobbie, A. (1991) Feminism and Youth Culture, London, Macmillan, 1-15.

この論文では、サブカル研究において見落とされてきた女性を対象に議論を進めている。これまでの研究が謎それを見落としてきたかというと、筆者らによれば、逸脱研究やそれをもとにしたメディアの反応がサブカルのセンセーショナルな部分にのみ注目してきたためであるという。その結果、サブカルの暴力的な側面ばかりが取り上げられ、女性たちの文化実践は周辺に追いやられていったという。実際には、当時の女性は男性に比べて賃金も低く、その使い方も男女で違いがあった。女性たちが接するメディアは家庭を強調したり女性らしさを称揚するものが多く、さらに外に出て行くことで男性たちに性的な対象として見られることもあった。この意味で、確かに女性たちは男性に比べてマイナーな役割を持つに過ぎなかったかもしれない。しかし、上述のようなサブカルの取り上げ方によって、予言の自己実現的にイメージが増長していった。実際には、Motor bike girl, The Mod girl, そしてThe hippyの三種類のタイプの女性のサブカル実践があったとされている。筆者は男女の間の構造的な不平等と女性に対するステロタイプを認識することで、安易な理解になってしまうことに警鐘を鳴らす。

Heemskerk, E. M. 2011. “The Social Field of the European Corporate Elite: a Network Analysis of Interlocking Directorates Among Europe's Largest Corporate Boards.” Global networks 11(4):440–60.

この論文では、ヨーロッパの株式市場に上場する上位300社のinterlocking networkを検証している。EUの成立は企業間の国境を越えた交流を容易にしたように思える。1990年以降、cooperate boardには国籍の多様化が進んでいるという知見がある一方で、国内における国境を越えたネットワークは20世紀の後半で大きく変わらなかったという知見もある。筆者によれば、EUの拡大が企業間の国境を越えたネットワークの構築に寄与しているという知見を引き出すのに難しい要因として、企業のinterlock自体が減少していること、および国内法におけるレギュレーションの強さがあることを挙げている。このような状況を踏まえ、ヨーロッパにおけるinterlocking networkが存在するかを分析する。本論文では、三つの問いが立てられる。第一に、ヨーロッパ全体を単位として、boardの兼任が見られるかを検証する。次に先行研究を踏まえて、financeが中心にいるかを確認する。第三にさらに、企業単位ではなく重役同士のcohesive networkが見られるかを検証する。分析の結果、ネットワークはドイツとフランス、イギリスを中心に半分以上の企業が位置しており、特にフランス・ドイツ間のinterlocksが強いことが分かる一方でイギリスとオランダの企業も中心に位置している。また、ヨーロッパの企業間ネットワークではfinanceが中心には来ていない。最後に僅か16人で半分以上のinterlockを占めるold boysたちの存在が確認された。

Mizruchi, M. S., and L. B. Stearns. 1988. “A Longitudinal Study of the Formation of Interlocking Directorates.” Administrative Science Quarterly 194–210.

この論文では、アメリカの産業系大企業22社のinterlocking networkを56年から83年までの時系列データで分析している。特にこの論文では、企業のアウトプットとboardにおけるfinancial institution出身の代表の関係を探っている。従属変数をboardにおける後者の数、独立変数を会社の規模、長期的な支払い能力、会社の収益の三つに設定、及びcontextual variableとして資本の必要性、資本の欠如、経営拡大期の契約数及び、交互作用項が検討された。イベントヒストリー分析の結果、支払い能力、収益、需要、及び需要と利益、拡大期、資本欠如の交互作用が有意な効果を持つと認められた。

Mizruchi, M. S. 1996. “What Do Interlocks Do? an Analysis, Critique, and Assessment of Research on Interlocking Directorates.” Annual Review of Sociology 271–98.

interlocking network研究の第一人者によるサマリー。この論文では、はじめにinterlocking networkが発生するメカニズムについて、同一産業内のCollusion(結託)、企業にとっての錯乱要因たる要素を意思決定過程へと吸収するcooptation(具体的にはfinancial institutionの役員を迎え入れることで負債というリスクを減らすなど)と役員はある企業が別の企業を監視するために派遣されるというMonitoringのメカニズムが紹介される。さらに、個人レベルでは、威信やコンタクトの獲得を通じた社員の出世のために行われるという説明が紹介される。最後に、ミルズのパワー・エリートの議論の延長で、Board上のネットワークはアッパークラスの紐帯の反映だとする見方も紹介される。以上が説明された後でinterlockの結果がどのように解釈されるかを紹介する。まずは先ほども紹介されたように、これを企業同士が互いをコントロールしている指標として見ることができる。次に、interlockをネットワーク上に埋め込まれていることへの指標として解釈する見方が示される。最後に、longitudinalな調査の紹介、及びinterlock研究に対する批判が紹介される。ちなみに、cooptationというメカニズムによる説明では結果が曖昧になることが多く(つまり仮説が支持されたり支持されなかったりまちまちになる)、それをinterlockとprofitabilityの因果の関係が不確かだということを反映しているという主張は、社会科学ではよくあるが面白いと思った。メカニズムと因果推論が相互に依存しあっていることがよく分かる例である。

Nee, V., and J. Sanders. 2001. “Understanding the Diversity of Immigrant Incorporation: a Forms-of-Capital Model.” Ethnic and Racial Studies 24(3):386–411.

この論文では、ColemanやBourdieuにおける資本の移転可能性に着目して、移民とその家族における資本が彼らの移民先での就業にどのような影響を与えるかをイベントヒストリー分析で考察している。就業に関しては起業など移民がつきやすい四つの職種別に検討されている。分析の結果、到着時に経済資本や文化・人的資本が少ない移民はエスニックコミュニティ内で仕事を見つける傾向にあること文化・人的資本を持つものはより広い労働市場で就業できることが分かった。また、移民時とその後蓄積された資本がtrajectoryに影響を与えることが分かった。

March 30, 2014

再開(文化的寛容性&社会移動)

Atkinson, W. (2011) The Context and Genesis of Musical Tastes: Omnivorousness Debunked, Bourdieu Buttressed', Poetics, 39, (pp. 169-186)

 この論文では、音楽消費のomnivore thesisについて批判的な検討を試みた後で質的調査から新たな知見を導きだしている。ブルデューの理論の中でも、音楽は必要性からはなれ、支配者は難解なそれをtasteとして表現するが、それを理解するためのdispositionを持たない被支配者にとってはそうした難解なものではなく単調でポピュラーなものが好まれる。しかし、こうした階級と文化消費が一致するhomologyの主張に対してはPetersonを中心にomnivore thesisが唱えられている。このような主張はベックらの個人化理論との関係も語られるが、AtkinsonはあくまでOmnivoreとクラスの間に関係があると見出している。その一方で、Omnivore thesisに対してもその定義や知見を巡って批判が集まっている。Atkinsonはこうした批判に加えて(量的調査の)Omnivore thesisがgenerative principles of tasteについて何も語っていないことを批判する。インタビュー回答者は確かにomnivoreと解釈できる発言をするが、dominanantの多くはクラシックやオペラを好んで聴き、楽器の演奏経験を持つ。それは反省的・合理的に考えているのではなく、子どもの時の教育や親の影響などを通じて普通に、もしくは単に習っておいた方がよいという感覚で得られていると述べられている。しかし、dominateは、特に高齢の対象者は、20世紀のロック音楽も好んで聴いている。これは若い時のノスタルジア、すなわち当時のポジティブな思い出として解釈されているが、筆者はこうした単なる好みという次元を超えて、彼らの選好をクラシック対ポピュラーという対立ではなく詩的で意味のあるジャンルとそうでないものという二項対立で捉える。そうすることで、彼らのクラシックとロックの二つの選好はよりcultivatedなものとしてdominantには理解されているとする(この他、親のクラシック志向への対抗意識としてロックを聴くようになったという例が報告されている)。こうした高齢の対象者がロックに持つ感情と似たものを若い回答者はcomtenporaryな音楽に対して抱いていることが報告される。この意味で、彼らにとって音楽は仕事や雇用などの必要性から離れたものであるとする。その一方で、dominatedは商業的に成功した音楽を身体的な本能を刺激するようなエネルギッシュなものとして考えているが、クラシックを好むことはなく、筆者は審美性から疎外されているとする。そして、dominatedの中でもクラシックを聴くような人は審美的なものではなく、あくまでポピュラーな形で表現されているクラシックを好む。筆者はこのような人をcultural goodwill(アクセス可能な正統文化へのtaste)を持つと論じる。そして、このcultural goodwillは上昇移動を果たした人にも見られることを指摘する(それは、彼らの現在の社会空間がdominatedからdominantへと移行したからである、そしてこれは親の戦略的な教育が大きいという)。

Savage, Mike, et al. (2013) "A new model of social class? Findings from the BBC’s Great British Class Survey Experiment." Sociology 47 2: 219-250.

この論文の著者たちが理論的・経験的に対抗しているのはゴールドソープ率いるナッフィールドの階層研究者であることは疑い得ない。問題関心に入る前の現状認識に関して、両者は隔たりがあるように思われる。まず、富や収入の格差の拡大について前者はこれを認めているが、後者はそれをはっきりとは認めていない。次に、前者はブルデューの研究に刺激を受け経済的な資本だけではなく、社会的文化的な資本の相互作用を見ていくべきと考えているが、後者は経済資本を中心にした分析をメインに考えている。彼らはブルデューの理論に基づいた調査から、伝統的な中産階級(サービス階級)と労働者階級以外に、5つの異なる階級を発見したと主張する。筆者らは自らの研究が階級論における第三段階に位置すると考えている。第二段階に当たるのがGordthorpeらで、彼らは個人の雇用における位置(もしくは雇用関係)に着目したスキーマを作成した。雇用者、被雇用者、そして自営業者のうち前二者は雇用関係を結んでいると考えられる。さらに、その雇用関係の中で、労働契約とサービス契約(管理・専門)を区別して分類を作成した。この研究は国際比較には適していたが、5つの批判が集まっていたという。第一に雇用関係に着目した演繹的なアプローチから、文化的社会的な活動を見逃してきたこと、第二に全国規模のmoderateなサンプリングをした結果、エリートの存在を見逃していたこと、第三に職業ではなく収入を見た方が社会移動を測るのに適切だという経済学者からの批判、第四に雇用関係というシンプルな基準ではそれが持つシンボリックな意味やスティグマを見逃すというフェミニストからの批判、第五にゴールドソープのスキーマが国際比較に絶えられるだけの妥当性を持たないというものがある。筆者らは、ブルデューの理論を用いた階級分析の方が、資本の多次元性を考慮にいれば複雑な考察が可能と主張する。social capitalはposition generator、cultural capitalは27の文化的な活動をマルチ対応分析にかけてhighbrow-lobrow及び文化への参加頻度の二軸にプロットする。economic capitalには家庭収入の他、家の値段そして家庭の貯蓄を採用した。潜在クラスの分析の結果、Elite, Established middle class, Technical middle class, New affluent workers, Traditional workign class, Emergent service workers, そしてprocariatの7つの階級を提示した。


Bryson, B. (1996) Anything But Heavy Metal, American Sociological Review 61(5), 884-99.

この論文では、ブルデューとPetersonの文化的排除、寛容の議論を下敷きに、文化と社会的排除の関係について考察している。文化消費が社会的地位の一つを構成することは多くの社会学者が認めてきた。ブルデューの理論からは文化的な知識はエリートの環境に適応するための文化資本として考えられる。それはエリートとのネットワークを構成するなどを通じてその人物に経済的な利益をもたらすと考えられるからだ。筆者は、こうした文化消費を通じた地位への接近を排除する論理を二つ示す。一つがsocial exclusionで、これは文化消費の違いが実際の社会関係における排除を生む場合である。もう一つがsymbolic exclusionで個人のインタラクションに影響する本人の主観的なプロセスを指している。具体的には特定の文化消費に対する態度である。ブルデューにとっては両者は互酬的であり、高い地位にいる人物ほど文化的に排他的になると考えられる。

その一方で、教育程度の上昇が文化的な寛容性、すなわちomnivoreを増加させるという知見がある。一見二つの考えは対立するように思われるが、政治的態度に対する近年の研究を踏まえると、寛容性を持つものは表面的には賛同しているだけであり、具体的な事例に関しては排他性を示すことが示唆されており、筆者は教育程度の高い人は低い人が好むジャンルに対する嫌悪をかくしているという仮説を提示する。以上から、筆者は地位の高い人の排他性、教育程度が高い人の寛容性、人種差別のスコアが高い人は有色人種が好む音楽を嫌う、そしてパターン化された寛容性(ほとんど嫌いなジャンルを持たない人でも教育程度の低い人の好む音楽は嫌う、教育程度の低い人はあらゆる音楽ジャンルについて詳しくないとは応えない)
という仮説が示され、分析の結果、ブルデューによる最初の仮説は棄却されたが、それ以外は支持された。特に、文化的に寛容な人でもその中から最初に消えるのはラテン音楽やジャズなどエスニックマイノリティに好まれる音楽であり、その人の中で嫌われるのがラップやヘビーメタルなど教育程度の低い人が聴く音楽であることが分かった。理論的にも面白く再読したい。

Bryson, B. (1997) What about the Univores? Poetics 25, 141-56.

この論文ではOmnivore univore thesisの中で示されている教育程度の低いものはtasteとgroup identityの関係が強いという仮説を検証している。ロジスティクス回帰分析の結果、クラシックとオペラ以外のジャンルに関してこの仮説が当てはまることが分かった。例えば、教育程度の低いものの中では、ヒスパニックと非白人がブルーグラス、カントリ、そしてイージーリスニングを嫌う傾向にある。人種の他、性別、地域、宗教、そして年齢と教育程度の交互作用が求められているが、appendixを見る限り交互作用が有意でないものでも確率に差があればグラフ化しており、恣意性を感じざるを得ない。

 この論文では、ソーシャルキャピタル(ネットワークの効果)と文化参加の関係について、特に夫婦関係に焦点を当てて検討をしている。筆者は三つの仮説を設定する。一つ目が芸術参加に対するパターンはmarital selectionに影響する。二つ目が芸術参加はネットワークの影響を受ける。また、配偶者の教育レベルと芸術への社会化の度合いが本人の文化参加に影響を与える。三つ目が芸術参加は主に妻によって決定され、夫はきっかけを与える(妻の教育レベルと芸術への社会化の度合いが高い夫は配偶者が参加する場合に限って自分も参加する。)分析の結果、配偶者の参加は配偶者の社会経済的な背景(教育達成と芸術に関する社会化)は本人の文化参加に影響し、これは配偶者の文化参加を統制しても残る(つまり、本人一人で芸術参加する確率も高める)。また、本人の文化参加に対して、妻が夫から受ける影響よりも、夫が妻から受ける影響がより強いことが分かった。

Peterson, R. (1992) Understanding Audience Segmentation: from elite and mass to omnivore and univore, Poetics 21, 243-58.

階級形成の象徴的な形式としての文化資本論を論じたブルデューや有閑階級の文化消費を論じたウェブレンなどによれば、文化消費は社会的地位ごとに分断されているという主張がなされる。しかし、筆者がアメリカの分析したところ、地位の高い職業につく人ほど高級文化だけではなく大衆文化も好む傾向にあり、その一方で地位の低い職業の人ほど文化的活動をせず一つの非エリート文化を消費することが分かった。


Goldthorpe, J. H., and A. McKnight. 2006. “The Economic Basis of Social Class.”

 この論文では、はじめにGordthorpeによる階級理論(雇用関係、とくに被雇用者における管理の難しさと人材の希少性による分類)が紹介される。次に、この理論に基づいて作成された階級群が経済的な安全性security(失業に対するリスク)と安定性stability(収入の内訳)に関してそれぞれ差を見せることを論じる。これらはSavegeやBrownが主張したサービス関係のもつ特異性の衰退という主張を退けるとされている。この他、階級別の年齢ごとの収入予測を男女に分けて示しており、サービス階級の賃金の高さ、賃金カーブの動き方の特徴が他の階級と異なることが分かる。

Goldthorpe, J., and M. Jackson. 2008. “‘Education-Based Meritocracy: the Barriers to Its Realization.” Social class: How does it work 93–117.

 この論文では、Education Based Meritcracy、すなわち教育を手段として自分のメリットにもとづく社会移動の実現がイギリス社会で見られるかを検討している。これは逆に言えば、本人の出身階級に左右されず個人が自分の能力によって社会移動を達成することを指している。分析の結果、階級間によるメリットの差が残っており、二時点間の比較から、こうした第一次効果だけではなく、階級間によってアスピレーションが異なるという第二次効果も示唆されている。また、高い学歴であれば出身階級の影響は見られないが、低い学歴の場合、達成に与える影響は階級間によって異なること、またそもそも時代を経るにつれて教育の持つ役割が大きくなったとは言えないとする。このように、筆者は現代社会においてEBMはまだ登場していないことを主張する。

Heath, A., and N. Britten. 1984. “Women's Jobs Do Make a Difference: a Reply to Goldthorpe.” Political Theory 18(4):475–90.

 この論文では、ゴールドソープの階級図式においてはノンマニュアルと分類されるsales workとoffice workの違いを指摘することで、女性のノンマニュアル/マニュアルの区別が意味を持たないことを主張している。例えば、時間給では女性のsalesはofficeよりもむしろマニュアル労働者に近くなっている。年金に至ってはsalesへの年金は女性ではマニュアル労働の職業のそれよりも低い値となっている。学歴もGordthorpeの分類ではともにSEG6に分類されるsalesとofficeでは男性ではほとんど違いがないものの、女性では20%以上の開きがある。両者の分けて職業遍歴を確認しても互いに行き来がないことが分かった。

Li, Y. 2002. “Falling Off the Ladder? Professional and Managerial Career Trajectories and Unemployment Experiences.” European Sociological Review 18(3):253–70.

 この論文では、専門職と管理職をめぐるゴールドソープの雇用理論とサーベージのアセット理論の対立を踏まえて、両者のどちらが実証データとあっているかを検討している。ゴールドソープは雇用関係にほとんど違いがないとする両者は連続的に捉えた。その一方で、サベージは前者が資格という文化資本、後者が組織内における資本という異なるアセットを持っているという。そのため、両者には質的な違いがあり、文化資本を持つ前者の方が雇用の安定性を持つという。男女に分けた初職から30年後の職業までのtrajectoryのデータを用いた検討の結果、男性に関しては両者は長きに渡って雇用の安定性を持ち、失業率も低く、雇用理論の方が説得力を持つことが分かった。女性に関しては、年を経るごとに両者の割合が減り、より下の階級の職業に就く人が増えるが、これは両者の理論では説明できないとする。


Saunders, P. 1997. “Social Mobility in Britain: an Empirical Evaluation of Two Competing Explanations.” Political Theory 31(2):261–88.

 この論文では、階級間による地位達成の違いを説明する理論として、階級ごとに社会的なadvantageとdisadvantageが異なるというSAD理論と、社会がメリトクラシーによって秩序づけられていると考えた上で、学習能力(IQ)とアスピレーションへの意欲effortの二つが階級間で異なるというメリトクラシー理論の二つを紹介する。ゴールドソープらを前者とした筆者は社会調査データを用いて、出身階級よりも本人の学力や意欲が上昇移動や再生産、初職の地位の高さを大きく予想することが示されている。(odds比の批判しdisparity ratioの有効性を説く箇所は再読) その一方で、このサンダースの分析を批判したGordthorpeソープの論文(Breen, R., and J. H. Goldthorpe. 1999. “Class Inequality and Meritocracy: a Critique of Saunders and an Alternative Analysis1.” British Journal of Sociology 50(1):1–27.)では、出身階級が低い子どもほど高い出身の子どもより多くのメリットが必要になることが指摘されている。この論文では、サンダースを三つの方法論的な部分(絶対移動と相対移動、Disparity ratio と Odds ratioの違い、ロジスティック回帰とcausal path analysysの批判)から批判しているが、この箇所は再読。

March 10, 2014

cultural network

Lewis, K., J. Kaufman, M. Gonzalez, A. Wimmer, and N. Christakis. 2008. “Tastes, Ties, and Time: a New Social Network Dataset Using Facebook.com.” Social networks 30(4):330–42.

 この論文では、ハーバード大学の許可を得て、寮に住む学生のFBデータを取得し、友人関係と文化志向の関係について考察している。友人の定義はFB上で友達になっているほか、同じ写真に乗っている、同じハウスに住んでいるという基準が採用された。その他、エスニシティ(特定方法がFB上で加入しているエスニック団体なので懐疑的になる)、親の年収(住所のジップコード、それがない場合は高校のジップコードを調べ、その地区の平均的な収入をセンサスから調べるという手法を採用している)、出身地域を調べている。ネットワークの尺度はサイズの他、密度と中心性、betweeness,そしてheterogenetyが調べられた。これを見ると、白人をレファレンスにした時、黒人の場合にFBの友人数が増える傾向にある、女性やアジア系だとdensityが経る傾向にあることが分かる。heterogenetyは白人に比べほぼ全てのエスニシティでプラスの効果が見られることが分かる。次に、友人と共通の趣味を持つこととネットワーク、及び個人的な属性の関係が調べられる。文化についてはジャンルではなく具体的な作品名や作者がデータとして残っている。そのため、筆者らは趣味を持つサンプル内であり得る全てのペアの文化志向を照らし合わせ、その一致度を測り尺度とした。その結果、他の変数を統制しても友人関係を持っていれば共通の趣味を持ちやすいことが分かった。さらに、ドームメイトであることは友人関係を統制した場合に趣味の共有にマイナスに働くことが分かり、距離がかならずしも趣味の共有に有効に働かないことが示唆される。

Bergesen, A. 1984. “The Semantic Equation: a Theory of the Social Origins of Art Styles.” Sociological theory 187–221.

 この論文では、社会言語学社バーンスタインのrestricted codeとelaborated codeの区別を用いて、これを芸術作品への理科に応用している。前者は規範を共有した人のみに伝わる言葉で、一部の人にしか分からない文脈化されたものである。語彙は少なく、用法も限定されている。対して後者は語彙に溢れ、用法も豊富にある、規範を共有していなくても理解できる言葉である。バーンスタインは労働者階級は前者の言葉をつかい、中産階級は後者の言葉を使い、階級の再生産を説く鍵と考えたが、筆者はバーンスタインとはことなり、言葉の用法と階級を結びつける必要はないとする。なぜならば、言葉の用法においてより根本なのは、文脈化された言葉を用いることができる集団が形成されていることであり、仮にこのような集団が形成できなくなれば、労働者階級も非文脈的な言葉を使用すると考えられるからである。
 このように、筆者は言葉の移行可能性を想定する。そして、この区分を芸術作品に応用する。筆者によれば、抽象的な現代絵画は、解釈するための語彙(この場合は絵の内容)に乏しく、理解を手助けするような絵画の技法も少ない。この意味で、抽象絵画を語る時はrestricted codeにならざるを得ないという。反対に、実証的な絵画は特に規範がなくとも語れるほどには語彙があるため、elaborated codeに分類される。筆者は、絵画に本質があるとは考えず、あくまで我々がそれを解釈する際に用いる語彙と技法的な側面(シンタックス)の二つを絵画側の要素とする。これは、筆者が主張するThe Semantic Equationの片側になる。筆者は、絵画を理解可能にするためには、絵画の側の語彙と解釈フレームに加えて、Equationのもう片側を構成する解釈側の理論的な補足情報が必要になるという。そして、抽象絵画が写実的な絵画になる過程を具体例を持って紹介する。

Crossley, N. 2009. “The Man Whose Web Expanded: Network Dynamics in Manchester's Post/Punk Music Scene 1976–1980.” Poetics 37(1):24–49.

 この論文では、マンチェスターにおけるパンク音楽ムーブメントの発生を、彼なりの枠組み(relational sociology)で検討している。音楽は一つのシーンであり、それは集合的な行動であるとする筆者は、この集合性を説明するものとしてネットワーク分析の重要性を説く。一つの音楽がシーンとなるためには、その音楽に対して関心を持つ多くの人(critical mass)が不可欠だ。音楽をつくるのは一人ではできない、自分の考えに共感する仲間が必要だ。そして、そうしたメンバーを捜すには、つながりがないといけない。筆者はcritical massだけでは不十分だと言う。critical networkが必要なのだ。そして、つながり自身は人々に資源resourceをもたらす。さらに、そうしたネットワークにはconventionがあり、それが人々の行為を規範づけている。筆者は、ネットワーク、資源、そしてコンヴェンションの三つの社会構造とし、これが人々のインタラクションと呼応しながら音楽シーンを現象させていくと考える。
 筆者はネットワークが変化し、パンクが誕生した過程において重要な要素を挙げる。まずfoci、この場合は多数のアーティストがあうことを可能にした音楽イベントないしその会場の存在がある。次に、mediated fociでは面と向かったインタラクションではなく、レコードショップに広告を置くなどを通じてネットワークが形成されたことが述べられる。また、二人がつながったことで、彼らがブリッジとなり、他人同士がつながる弱い紐帯も観察された。また、既存のネットワークを通じてバンドの評判が拡散していったこともネットワークが形成される重要な要素だったという。最後に、評判を通じて有名になったものがターゲットにされてネットワークのハブになることも述べられている。これらの要素を通じてネットワークは掲載されていったが、筆者は最後に階級ではなく、パンクの場合にはジェンダーとエスニシティがネットワークの選別の理由になったことが述べられる。

Might Britain Be a Meritocracy?

Breen, R., and J. H. Goldthorpe. 2002. “Merit, Mobility and Method: Another Reply to Saunders.” British Journal of Sociology 53(4):575–82.

 サンダースのメリトクラティック批判を受けたゴールドソープらの反論リプライ。まず、彼らは社会学の調査では、全ての要因を考慮することはできず、その点で出身階級の効果も現実のそれを正しく反映していないといえる。しかし、仮にそうであるならば、サンダースはメリトクラシーの効果が階級よりもより小さく推定されていることを主張しなくてはならないが彼はそれを無視しているという(批判その1)。さらに、サンダースの用いたデータの分析の結果、能力やモチベーションは階級達成の過程で影響を与えるが、それよりも学歴qualification の方が効果は大きい。そして、それらを投入しても出身階級の効果は残り、イギリスがメリトクラティックな社会とは言えないと主張する。

Pakulski, J., and M. Waters. 1996. “The Reshaping and Dissolution of Social Class in Advanced Society.” Theory and society 25(5):667–91.

 基本的にはポストモダンの時代になって階級が人々の不平等や意識と密接な結びつきを持たなくなったという主張をしている。筆者らは社会学における階級という概念の前提を4つ提示している。一つ目が階級は経済的な要素を基盤にしている、二つ目は階級に基づいた集団を形成する、三つ目は階級は政治的嗜好やライフスタイルと結びつく、四つ目は階級は政治・経済の領域で変化を起こすことのできる集合体であるということだ。これらが全て当てはまっているのはライトの階級論くらいだというが、例えば一つ目に関しては、従来生産手段の所有に基づいて階級が形成されてきたが、それが労働市場を基盤にしたものに変化し、ゴールドソープのような雇用関係や労働者のスキルに着目した階級分析が続いているという点には賛同する。しかし、経済的な資本に代わって文化や情報や審美性からなる象徴が社会の編成原理になりつつあるという主張はやや極端のようにも聞こえる。(資本の複数性は想定すべきだろう。)階級の政治的組織としての側面が衰退していったという指摘も外れてはいないが、これは歴史的な説明であり、現在においてどれほど階級(ただし、論者によって中身が異なることは認めざる得ない)というカテゴリが有効なのかとは別の問題だろう。また、確かにゲマインシャフト的な階級と文化のつながりは無くなっているかもしれないが、文化消費と階級の関係は新しい形で出現していると考えられる。

Saunders, P. 1995. “Might Britain Be a Meritocracy?.” Sociology 29(1):23–41.

 サンダースによる、ゴールドソープらナッフィールド一派の社会移動研究に対する批判論文。一連の社会移動研究の成果は、イギリス社会の階層の流動性を発見するものだったが、それは戦後の経済成長に支えられた絶対移動による部分が大きく、階級間の相対的な移動の移動が見られない点で、イギリス社会が開放的とは言えないと主張した。しかし、サンダースはこうした主張に対しては、職業構造の変動による影響を相対移動の主張は見逃していること、オッズ比を用いた相対移動の解釈には問題があること、最後に彼らの主張の前提には個人間で素質や才能に違いがないという前提があることが批判される。特に最後の点が重要であり、サンダースは彼らがこの点について何ら検討していないことを批判する。この場合の素質とは具体的にはIQのことを指しており、Halseyらの先行研究をもとにした階級間のIQの推定などが紹介される。(Heath (1981)ではBlau and Duncanのようなパスズを使った独立変数の影響力の違いを検討しているらしく、そこでは個人の教育達成が出身階級よりも達成階級に大きな影響を与えていることが指摘される。)その上でサンダースは、完全にメリトクラティックな社会の場合に、各階級のIQはどれほどかを推定している。出身階級と達成階級それぞれ、階級分布に沿って各階級の平均的なIQが算出される。しかし、親のIQが高くても子どものIQが高くなる訳では必ずしもないとした上で、サービス階級と労働者階級の二つに絞って、二世代間の社会移動の値を推定する。結果が実際の値と告示していることから、サンダースはイギリス社会のメリトクラティックな側面を主張している。

Saunders, P. 2002. “Reflections on the Meritocracy Debate in Britain: a Response to Richard Breen and John Goldthorpe.” British Journal of Sociology 53(4):559–74.

 ゴールドソープらの批判を受けて、サンダースがリプライ。といっても、National Child Developemnt Studyという調査のデータを用いて、メリトクラシーの部分以外ゴールドソープの枠組みに準拠した重回帰分析から、出身階級ではなく本人の能力がいかに地位達成に重要かを主張している(だけ)。分析には組み込んではいないが、サンダースは自身の95年の論文から、サービスクラスからワーキングクラスに下降移動するのが彼のモデルより実際の値が25%小さいことを指摘しており、能力的にふさわしくないundeservingなミドルクラスの子どもが階級を維持していると主張しており、この点はもっと掘り下げてもいいかもしれない。

Giles, M. W., and A. Evans. 1986. “The Power Approach to Intergroup Hostility.” Journal of Conflict Resolution 30(3):469–86.

 この論文では、人種間の隔離を説明する際に、心理的な側面からアプローチした接触仮説に対して、集団間の紛争から出発したパワーモデルを提示している。このモデルでは、エスニックグループをそれぞれの利害を追求する集団として捉える。これは、偏見などを考慮した接触仮説に比べると集団間の対立を前提にしている。このモデルの前提にあるのは、自分がどのエスニック集団に属するかというidetificationである。筆者は白人のみを対象にした調査のデータを用いて、回答者が自らをどれだけ白人と認識しているか、白人を含む29のエスニシティへの感情温度計、及び脅威の指標として居住地区における黒人(なぜ黒人に限定するのだろうか)の割合を求めた。敵対心の指標としては、政府の黒人に対する雇用機会の創出、政府の学校の人種間隔離の防止策、及び公共住宅の創出の三つが提起された。分析の結果、寛容さと政府への政策ともに白人認識が強い人、および居住地区の黒人割合が高い人ほどネガティブな意見を持つことが分かった。

Chan, T. W., and J. H. Goldthorpe. 2007c. “Social Stratification and Cultural Consumption: the Visual Arts in England.” Poetics 35(2-3):168–90.

 (金太郎飴のような気もしないが)、この論文ではイングランドにおける文化消費(今回は芸術消費)と社会階層の関係を検討している。階級や地位の区別などは省略。潜在クラス分析の結果、芸術消費に関しては文化的雑食、非消費、その中間であるpaucivoresの三つが抽出された。このようにunivoreが見つからなかったことは、芸術消費が量的な分布をしていることを示唆する。分析の結果、やはりomnivoreはサービスクラスを中心とする層が、そして非消費は低階層の階級が占めていることが分かる。そして、多変量解析の結果、階級ではなく地位が文化志向の違いを説明することが分かった。ただし、omnivoresとpaucivoresの比較では学歴のみが有意となっている。また、4歳以下の子どもを持つことはinactiveとなる確率を高める。

March 9, 2014

エスニシティの多様性と社会的信頼の関係(接触仮説、紛争仮説etc)

Upright, C. (2004) Social Capital and Cultural Participation, Poetics 32, 129-43.

 この論文では、ソーシャルキャピタル(ネットワークの効果)と文化参加の関係について、特に夫婦関係に焦点を当てて検討をしている。筆者は三つの仮説を設定する。一つ目が芸術参加に対するパターンはmarital selectionに影響する。二つ目が芸術参加はネットワークの影響を受ける。また、配偶者の教育レベルと芸術への社会化の度合いが本人の文化参加に影響を与える。三つ目が芸術参加は主に妻によって決定され、夫はきっかけを与える(妻の教育レベルと芸術への社会化の度合いが高い夫は配偶者が参加する場合に限って自分も参加する。)分析の結果、配偶者の参加は配偶者の社会経済的な背景(教育達成と芸術に関する社会化)は本人の文化参加に影響し、これは配偶者の文化参加を統制しても残る(つまり、本人一人で芸術参加する確率も高める)。また、本人の文化参加に対して、妻が夫から受ける影響よりも、夫が妻から受ける影響がより強いことが分かった。

Kane, D. (2004) A Network Approach to the Puzzle of Women’s Cultural Participation, Poetics 32, 105-27.

 この論文では、GSSのculture module及びnetwork moduleの質問を参考に、大学生を対象にオリジナルな調査を行い、ネットワークとジェンダーが文化参加に対して与える影響について検討されている。この論文では、一般的な文化参加に対してinteraction ritualという理論を加えることでそれを二つに分けている。interaction ritualによるとネットワークの密度は集合的な文化参加によって生まれる連帯の影響を受けるとされる。その上で、筆者は文化参加を通常みられるHigh cultureとその他に分ける区分に加え、スポーツ参加、コンサート、ダンスの三つを連帯を生む文化参加と定義してネットワークの密度と関係すると考える。分析の結果、前述の仮説は支持された。加えて、ネットワークの異質性はHigh cultureへの参加にポジティブな影響を与える。最後に、異質性の効果は男性よりも女性に対して大きいことが分かった。

Erikson, B. (1996) Culture, Class and Connections, American Journal of Sociology 102(1), 217-51.

 この論文では、はじめにブルデューの階級論について検討する。経済資本と文化資本の二種類が二次元的に階級を構成すること、これがフィールドによって異なって分布していることが述べられる。その上で、筆者はブルデューがこのモデルでは三つ目の資本、すなわちソーシャルキャピタルについて言及していないことを指摘する。筆者はこの論文で、文化に影響するのは階級よりもネットワークであることを主張する。
次に、筆者はブルデューの地位と一致した文化の主張を否定する。先行研究より、社会的地位の高い人々であればhigh cultureを消費する傾向にはあるが、階級と文化の対応があるとまでは言えない。むしろ、地位の高い人ほど文化的雑食になっているとの知見から、重要なのはtasteよりもむしろ文化に対する知識であり、より多くの文化に対する理解があるかであるとする。
 さらに、ブルデューは階級とフィールドの重要性について指摘するが、彼の調査からはフィールド内の闘争が見られないとする。そこで、筆者は企業というフィールドを選び、そこでの文化と階級、そしてネットワークの関係について検討する。その際に、文化のどの部分が触媒の階級構造の中で働くかを考えなくてはならない。これに対して、筆者はブルデューのdominationとcoodinationという概念からヒントを得る。dominationとは、高い階級は低い階級に比べて権力や権威を持つというシンプルな考えだが、筆者は企業内で文化資本を持つものが有利な立場に立つことを示唆する。その上で、企業内で効果を持つのはプライベートな高級文化よりも企業文化であるとする。次に、会社の支配者は様々なランクの人のやる気を出させなくてはならない。そして、これは階級を超えた共有された文化の必要性を示唆する。例えば、スポーツは全ての階級に対して共有される文化だが、これは同時に女性と海外で生まれた人をインフォーマルなネットワークから排除するという。
 調査はトロント市内の警備会社(約半分が調査に協力)を対象に行われた。まず、階級ごとの文化を見ると、高い地位の人ほど高級紙やメインストリームの芸術に対する知識があるが、逆にesoteric(誰も知らないような)な文化については階級間に違いはなかった。ポピュラーなスポーツやチェーンのレストランは階級間に特に違いが見られない。以上から、経済資本が重要視されるフィールである企業においては、文化資本に対する知識は限定的なものだった。次に仕事中に置ける同僚との共通の話題(趣味)に関しては、芸術など高級文化を答えるものはほとんどおらず、仕事の話題についでいちばん人気だったのはスポーツであり、これに階級差は見られなかった。
次に、ネットワークの多様性と階級の関係が議論される。ネットワークの多様性はより文化差との関連を見出すために職業威信ではなくライトの階級論に準じた階級を知っているかどうかにされている。その結果、高い階級の人の方がより多くの友人との紐帯を結んでいることが分かった。最後に、仮説の通り、ネットワークの多様性が文化の耐用性に与える影響は階級よりも大きかった。

Chan, T. W., and J. H. Goldthorpe. 2005. “The Social Stratification of Theatre, Dance and Cinema Attendance.” Cultural Trends 14(3):193–212.

 この論文で筆者たちは、2001年にイングランド全国を対象とした(Arts council Englandにかわって)ONSが行った調査の二次分析を通じて、イギリスにおける文化と階級・地位(及び教育)の関係について議論している。特に、この論文ではタイトルの通り映画やダンスの消費を対象とする。筆者らは、ブルデューらが主張する階級と文化的嗜好が一致すると考えるHomology thesis及び、文化的嗜好と消費がどんな社会的な基礎を持たないようになるというIndividualization thesis、そしてあらゆる文化を嗜好する層と単独の(ポピュラー文化)を嗜好する層に分化するというunibore-omnivore thesisの三つを紹介する。

 分析に入る前に、筆者らはウェーバーの理論に依拠して、経済的な不平等から構成される階級と間主観的な評価から構成される地位の二つを概念として採用する。分析を通じて、文化はブルデューが主張したような階級に左右されることはなく、地位との関連が見られることが分かった。地位以外にも、教育が文化的嗜好との関連を持つ。latent class analysisの結果、対象となった文化消費は二つのlatent class に分かれることが分かり、これはPetersonらが主張したunibore-omnivore thesisに対応する。具体的には、地位が高い人ほど文化的に雑食(omnivore)になる。uniboreは高級文化ではなくポピュラー文化を嗜好する。階級の効果やlatent classの数などで音楽とは若干結果が異なっているが、基本的には上記の理論を支持する結果となっている。

Chan, T. W., and J. H. Goldthorpe. 2007d. “The Social Stratification of Cultural Consumption: Some Policy Implications of a Research Project.” Cultural Trends 16(4):373–84.

 一連の文化的嗜好と階級・地位の関係の調査を終えて、著者の二人がこの研究の政策的なimplicationについて議論している。(ちなみに、なぜこの調査を二次分析したか、その意義を序盤で書いているのがお手本なのでぜひ詠んでほしい。)論文は三つのパートに分かれている。はじめに、調査の結果文化はエリート対大衆というこれまで考えられてきた構図ではなくunibore-omnivore の対立だということ、次に、階級と地位は分析からは一致したランクの分布を示されず、階級が上層でも多くのunivoreが見られることが分かったことが報告される。最後に、文化的嗜好の分断は階級ではなく地位、及び教育程度によって左右されることが述べられる。最後に、こうした分析結果から二つの知見が紹介される。第一に、文化的嗜好以外にも、家の所有や休日の少し型など、より物質的なライフスタイルと地位の関連が考えられることが述べられる。第二に、仮に文化的嗜好を全般的に上昇させようと政府が考えるのあれば、地位と関連が考慮されるべきではないか、及び、地位レベルでの格差を本当に取り除けるのかを問うている。

Faulkner, D. 2004. Civil Renewal, Diversity and Social Capital in a Multi-Ethnic Britain.

Fieldhouse, E., and D. Cutts. 2010. “Does Diversity Damage Social Capital? a Comparative Study of Neighbourhood Diversity and Social Capital in the US and Britain.” Canadian Journal of Political Science 43(2):289–318.

 この論文では、米英のデータの比較を通じて、エスニシティ間における人種の多様性と信頼の関係の違いについて考察している。紛争仮説と接触仮説に加えて、筆者らは多様性は白人のSC(信頼と社会参加)醸成にマイナスに働く、及びマイノリティグループにおいてSCと多様性の交互作用が見られるという仮説を設定した。交互作用に関しては、信頼に関してはイギリスのデータからは概ね仮説を支持する結果が導かれた。ただしアメリカデータに関しても傾向としては白人においては信頼と多様性のネガティブな関係、そしてそれがマイノリティには当てはまらないことが分かっている。社会参加に関しては両国で白人ではなくマイノリティBlack britishにおける多様性とのネガティブな関係が見られるが、アメリカに関しては近隣レベルの変数を投入することで相殺され、交互作用の仮説はイギリスのデータで支持された。

Li, Y., M. Savage, and A. Warde. 2008. “Social Mobility and Social Capital in Contemporary Britain.” The British Journal of Sociology 59(3):391–411.

 この論文では、civic engagementとインフォーマルなつながりが社会移動の過程とどのような関係にあるのかを分析している。インフォーマルなつながりはイギリスのデータでは初めてLinのposition generatorを用いて分析された。分析の結果、インフォーマルなつながりへのアクセスは社会移動の過程と密接な関係を持つこと、またcivic engagementは親と同じくサービスクラスだったものにおいて特に高い値を示すこと、社会移動の過程と二つのSCは信頼に影響を与えること、ブリッジングSCの欠如は低階層だけではなく、女性やマイノリティのグループにも見られることが分かった。社会移動の過程とは、親世代に比べて、上昇移動を果たしたもの、下降移動だったもの、変わらなかったものを指す。分析では、継続してワーキングクラスだったものに比べて、他の全ての信頼が高くなる傾向になり、解釈が難しいかもしれない。分析では、最後がサービスクラスとワーキングクラスの二つに分類されている。また、ブリッジングSCとしてはコンタクトの地位の平均や距離(幅)が用いられているが、これを見ても、女性がそうしたSCを持たないとは言えないような気がする。組織への参加は階級間でその種類が大きく異なるだろうし、このような調査は重要だろう。

Putnam, R. D. 2007. “E Pluribus Unum: Diversity and Community in the Twenty‐First Century the 2006 Johan Skytte Prize Lecture.” Scandinavian Political Studies 30(2):137–74.

 パットナムは今度はエスニシティの多様性とSCの関係について言い出した!パットナムはボンディングとブリッジングの区別をこの分野に応用して、接触仮説からは多様性(正確には異なるバックグラウンドの人とのインタラクション)がin-groupとout-groupの区別が無くなるという想定が導け、紛争仮説からはin-group内のボンディングSCが醸成されるという想定が導かれる。パットナムによれば、先行研究の知見は紛争仮説を支持するものだが、これらの研究はout-groupに対する姿勢のみをたずね、in-groupへの姿勢はそれに反転するという暗黙の前提を置いていたとする。パットナムはconstrict theory、すなわちエスニシティの多様性はin-groupとout-group双方の信頼を衰退させるという仮説を提示し、実証データを用いてこれが支持できると論ずる。
 パットナムの論文は、仮説レベルではコンタクトから信頼が形成されるとしているものの、分析のレベルでは、信頼と多様性のみの関係を扱っており、接触仮説の想定を無視していると言わざるを得ない。他にも、均質性の信頼に対するポジティブな効果は確認されているものの、これは教育の与える効果より小さく、変数の重要性に関する議論を省略しているため説得力に欠ける。また、エスニシティの多様性とcivic engamgementのネガティブな関係についても、先行研究同士で意見が対立する箇所を無視してるなど、色々と問題はある。

Stolle, D., S. Soroka, and R. Johnston. 2008. “When Does Diversity Erode Trust? Neighborhood Diversity, Interpersonal Trust and the Mediating Effect of Social Interactions.” Political Studies 56(1):57–75.

 この論文では、エスニシティの多様性がコミュニティの結束(Community cohesion)に与える影響を米加のデータを用いて検証している。このトピックを巡っては、集団内で自分と異なるバックグラウンドを持つ他者と交流(インタラクション)することで集団外にもその効果が波及するという接触仮説と近隣環境において人種の多様性が増すことが信頼の低下を招くというコンテクスト仮説が対立する形で存在している。このような矛盾した仮説が生じる訳は、既存のデータでは都市レベルでのコンテクスト効果しか測れず、地区レベルでのコンテクスト効果、及びインタラクションの側面を見逃しているという説明が存在する。この論文ではセンサスデータを用いて地区レベルの多様性を測ることに成功している。
 分析の結果、米加両方のデータで回答者がマイノリティの場合に信頼が低くなること、及び対象者の周りの人種の多様性は両国、特にカナダのデータで信頼に対してネガティブに働くこと、カナダのみにおいてインタラクションがポジティブな効果を持つことが分かった。個人レベルのネットワークを調査したアメリカデータの分析(対象はマジョリティのみ)から、地区レベルでの多様性は個人のネットワークに置ける多様性の変数を投入することで有意ではなくなる。また、近隣の多様性と近隣との会話が交互作用を持つことが分かり、インタラクションを持たない人は、近隣の人種の多様性は信頼に対してマイナスに働く一方、近隣の人と話す人にとっては人種の多様性はマイナスには働かないことが分かった。このように、接触仮説の有意性を説く論文と考えられる。

Uslaner, E. M. 2011. “Trust, Diversity, and Segregation in the United States and the United Kingdom1.” Comparative Sociology 10(2):221–47.

 この論文では、エスニシティの多様性ではなく、居住の分離segregationが一般的信頼を低下させるものだと主張する。筆者はsegregationがin goroupの信頼を高めてout groupの信頼を低めると主張する点で、紛争仮に近い考えを持っていると思われる。筆者はアメリカのデータと、これに比べればsegregationが起こっていないと考えられるイギリスのデータを用いて比較分析をする。プロビット回帰に交互作用項を投入しているため解釈が難しい(上に、交互作用効果を図にしていないため理解が難しい)が、筆者によれば、多様性は全回答者をサンプルにした場合及び、白人の時に信頼に対してマイナスに働く。さらに、segregationと多様性には交互作用が確認され、多様性があり統合されているとに比べ、ただ統合されている都市に置ける信頼は低くなることが分かった。ただし、対象を全回答者ではなく特定のエスニシティにした時に効果は消え、さらに交互作用項同士の多重共線性もあるためだとされる(じゃあ載せるなと言いたくなるが。。。)また、どのエスニシティに関しても、友人ネットワークと多様性の交互作用が確認され、統合されている地区でたような友人関係を築くことは信頼の醸成に寄与することが分かった。これらの結論を持って、多様性ではなくsegregationの重要性を訴えているが、分かりにくいところも多く理解に苦しむ。。。

Chan, T. W., and J. H. Goldthorpe. 2006. “Social Stratification and Cultural Consumption: Music in England.” European Sociological Review 23(1):1–19.

 この論文では、イギリスにおける文化消費の事例として音楽を対象に分析を試みている。分析の結果は彼らの一連の研究と同じく、omnivore thesisを支持するものであるが、結論部では特にhomogolgy thesisを否定するものとして、文化的エリートが潜在クラス分析から見出されなかったこと、およびunivoreの文化志向を持っているものの社会的地位が高かったことが述べられている。

Portes, A., & Vickstrom, E. 2011. Diversity, social capital, and cohesion. Annual Review of Sociology, 37, 461-479.

 この論文では、パットナムが主張したエスニシティの多様性とSCのネガティブな関係について因果的な問題から出発して批判的な検討をしている。まず、SCとその結果とパットナムが主張している5つの変数の関係が検討され、それらの一部が見せかけの相関であることが示唆される。統制変数を設けた分析から、テストスコア、貧困率、一人親の世帯率に対してSCは効果を持たず、経済的不平等のみが因果的に見せかせではないことが示唆されている。特に、貧困率のような問題に対してはSCではなく経済的不平等のような構造的な変数の方が影響力を持つという主張は説得的だ。次に、州レベルのSCを従属変数にした分析から、経済的不平等は有意な値を示さず、その代わりに大学生の比率がプラスに、黒人の割合がマイナスに、スカンジナビア系移民の割合がプラスに働くことが分かった。特に最後の箇所は移民という歴史的な変遷の詳細を見ていくとasociational lifeの度合いに違いがあることを示唆している。次に、ポルテスらはパットナムのエスニシティの多様性とSCの関係について、経験的な証拠に乏しいこと、さらに多様性ではなく、コミュニティの構造的な不平等やsegregationがSCに影響を与えていると見るべきだとする。最後に、ポルテスらは、デュルケムの有機的連帯、機械的連帯の違いとコミュニタリアニズムの有無から4つのセルを作り出し、パットナムらが理想とするコミュニタリア二スティックな社会は、デュルケムが機械的連帯の概念で説明したような、均質的で誰もがお互いを見知っているような伝統社会に近いことを示唆する。筆者らは分業と個人主義が進んだとしても、それらをまとめあげるようなinstitutionが存在する社会では有機的連帯が成り立つことを主張し、パットナムの主張を相対化している。移民の増加がもたらす影響を否定的に見たパットナムらのイデオロギー性を批判する重要な論文。

Laurence, J. (2013). Reconciling the contact and threat hypotheses: does ethnic diversity strengthen or weaken community inter-ethnic relations?. Ethnic and Racial Studies, (ahead-of-print), 1-22.

 この論文では、エスニシティの多様性が人種間への態度を悪化させるという主張に対して提出された接触仮説と紛争仮説の検討を行っている。筆者は分析から、多様性の増加は二つの仮説が想定した事態をともに起こす可能性を示唆する。たしかに、多様性の増加は人種の違いを尊重するか、異なるバックグラウンドのものと上手く遣って行けるかなどの意見に対してネガティブに働き、コミュニティ内の非白人の比率が上がるにつれその効果も大きくなるがが、これは異なるエスニシティとつながりを持たないものだけであるという。個人のコンタクトがコミュニティの多様性がもたらすネガティブな側面を減少させるが、コミュニティが構造的な不平等にさらされている場合、両者の差は大きくなる。構造的な不平等がないコミュニティの場合、非白人の割合が増加してもコンタクトの有無が持つ違いは大きくないが、不平等がある場合には、脅威仮説が成立することが示唆されている。

Laurence, J. (2013). “Hunkering Down or Hunkering Away?” The Effect of Community Ethnic Diversity on Residents' Social Networks. Journal of Elections, Public Opinion & Parties, 23(3), 255-278.

 この論文では、コミュニティにおけるエスニシティの多様性がSCにネガティブな影響を与えるというパットナムのHunkering down仮説に対して、批判的な検討を加えている。筆者は、これまでの先行研究がattitudinalなSCに限った、しかもそれが近隣に対するものに限っていたことを批判する。その上で、分析では社会ネットワークという行動的な側面を追加し、(1)多様性の増加は社会的ネットワークにも影響を与えるか(2)多様性の増加は社会ネットワーク全体か、それとも近隣のネットワークを衰退させるか、以上の二つを検討している。分析の結果、多様性は近隣レベルでの信頼とネットワークを衰退させるが、個人のネットワーク全体には影響を及ぼさない。人種が多様なコミュニティに住むものはネットワークのサイズは均質的なコミュニティと変わらないが、近隣を中心としたネットワークを持たないということだ。ただし、これは個人の移動する能力に依存していることが示唆され、多様性のある地域にいる高齢者は広範なネットワークを構築しづらいことが指摘される。

March 2, 2014

scientific and diffusion network, パーソナルライフの社会学、ポピュラー音楽

Peterson, R. (1990) Why 1955? Explaining the Advent of Rock Music, Popular Music 9(1), 97-116.

 この論文では、1955年にロック音楽が誕生した背景について制度的な文脈からアプロートしている。筆者は法制度、技術、産業構造、組織構造、職業のキャリア、そして市場の6つの側面から検討を試みている。産業構造では、ラジオとレコード産業の変化が1948年と1958年を対比する形で述べられている。ラジオは48年時には大規模なラジオネットークを持つ四社とその他の独立系ラジオ局によって構成されており、そこでの音楽番組はライブ演奏が中心だった。58年になるとローカル局が増加した一方で、彼らはライブ演奏が可能なスタジオを持つだけの広告費を得ていなかったため、蓄音機による音楽を流すようになったという。レコードの人気が高まるにつれてレコード産業も4社による独占状態が解体していった。組織構造に関してはテレビの登場でラジオ局の技術者がテレビ局に移籍していく中で、ラジオ局ではDJが中心となって番組作りが行われるようになった。職業構造では、craftsman, showmen, entrepreneur, bureaucrat の四つの理念的なキャリアパターンが紹介され、その変遷がロックの誕生に与えた影響が述べられている(例えば、ラジオ局ではニュースを読み上げるアナウンサーから自ら主体的に音楽の流行に関わるdjへの移行が50年代に進んだことなど)。(市場の多様性の変化についてはPetersonの別の論文で述べられているので省略する)

Geels, F. (2007) Analysing the Breakthrough of Rock ‘N’ Roll (1930-1970), Technological Forecasting and Social Change 74, 1411-31.

 この論文では、ロック音楽の発達を説明するために、マルチレベルでの分析の有効性を説いている。筆者はまず、レジームという枠組みを紹介する。これは社会的に共有されたルールを指し、生産と消費(ここではレコード会社とラジオ局)の二つを構造的に位置づけされるものとされている。この考えのもとでは、イノベーションのような変化が起きる時はレジームが変わる時であるとされる。次に筆者はイノベーションを起こす源泉としてのニッチを定義する。最後に、上記二つの直接的な影響を受けないマクロな環境要因としてランドスケープを定義する。ランドスケープはレジームの変化に制約を与えるものとして考えられる。こうして複数のレベルを採用した分析枠組みを設定した上で、筆者は異なるレベルの相互作用によってイノベーションが起こることを明らかにする。1930年代は大恐慌とレコーディング技術の変化により音楽業界の寡占化が進行し、少数の独占企業がラジオ局をも支配する状況が続いた。1940年代はレコード業界の寡占化は続いたものの、ラジオ局に関してはライセンス発行の緩和と大規模な全国規模の広告の減少とスポット形式のローカル広告の増加に伴って、次々に設立されたローカルラジオ局では生ライブ演奏からレコードの放送へ、DJの登場、多様な音楽の紹介という変化が起こった。ニッチ市場は独立系のレコード会社が成長してきたブラックミュージックやジャズなどを支援することで発展していった。これは磁気テープとエレキギターの登場によっても支えられたという。1950年代になると、テレビの登場によってラジオの役割が情報入手の中心的手段から個人の趣味へと変わった。全国規模のメディアネットワークがテレビの登場によりラジオに対して商業的な利益を見込まなくなったために独立系ラジオ局のシェアが増加し、個性的なDJのプロデュースによって、各々の壁が取り除かれつつあったジャンルが多くの人の支持を集めるようになり、ロック音楽の登場を支えたことが指摘される。体系的な分析となっており再び読みたい。good paper!

Molgat, M., and M. Vezina. 2008. “Transitionless Biographies?: Youth and Representations of Solo Living.” Young 16(4):349–71.

 この論文では、カナダ・モントリオールの若者を対象にした調査から、青年期におけるsolo living研究の視座を提供する。これまでの若者研究では、ライフコース理論に基づいた以降研究がメインだった。そこには、若者はパートナーとの結婚によって自立することで親との生活から自立するという暗黙の前提があったという。しかし、近年、多くの若者がこの前提にはなかった一人暮らしを始めている。これは単なる成年期への移行の延長として解釈されがちになるが、筆者らは一人暮らしが若者にとってどのような意味を持つかを探求している。インタビュー調査の結果から、若者は一人暮らしに三つの意味を見出していることが分かった。一つ目がライフスタイル、二つ目が結婚までの移行期間、三つ目が長期的な生き方である。ライフスタイルとは、一人暮らしが自分の意志で好きな生活を営むことができるという点に価値がおかれていることを指している。移行期間と解釈する見方については、20代の対象者が肯定的に、30代以降の対象者が否定的に捉えていることが分かった(双方ともネットワークが小規模らしい)。最後に長期的な生き方として一人暮らしを考えている人は、多くが家庭を持たない分、周りとの社交ができることを肯定的に捉えている。しかし、中高年の対象者にとってはこうした生き方は孤独感を呼ぶものと解釈されている。以上より、筆者らは移行するという前提を相対化する必要を説く。

Holmes, M. 2006. “Love Lives at a Distance: Distance Relationships Over the Lifecourse.” Sociological Research Online 11(3).

 この論文では、アカデミアでの職を持つカップルを対象に、遠距離で暮らすことに対する 質問しに回答した対象者は24カップル47人だが、インタビューの分析部分は筆者を含む(!)5人への聞き取りからなっている。47人のサンプルの調査からは、多くが30代以降のカップルで、50-60代も見られたこと、特に高齢のカップルからは遠距離の関係が何年にも渡って続いており、短期的なものとは考えにくいことが指摘されている。遠距離カップルが持つ悩みとしては、子どもなどケアが必要な人がカップルの他にいた場合に、現在の生活スタイルを合理化できないという点が指摘されている。高齢のカップルでは自身の健康に問題が生じたときにこの点が考慮されている。それに加えて、感情的なサポート(悩みを聞いたりすることなど)が遠距離の場合にはできないことが不満としてあげられている。筆者は、これは同棲している場合にこうしたサポートが当然のものとして期待されていることを裏付けるとしている。

Duncan, S., and M. Phillips. 2010. “People Who Live Apart Together (LATs)–How Different Are They?.” The Sociological Review 58(1):112–34.

 LAT(Living Apart Together)の増加に対する解釈としては、これを新たな家族の形だと見なす考えと、あくまでライフコース上の一つのステージに過ぎないという見方の二つが対立していた。そこで、この論文ではBritish social attitudes surveyを利用してこの論老に経験的な知見を提供する。分析では若者を中心とした恋人関係の延長としてのdating LATと同居しない理由として「はやすぎる」「準備ができていない」と回答した前者より安定的なカップルをpartner LATと定義している。分析の結果、LATのカップルは多様な背景を持っており、この生活スタイルを選択した同期も多様であることが分かった。彼らはシングルや同棲カップルよりも、関係は互いが独立した時により強固なものになると考える傾向にあり、この点で家庭に対しては比較的リベラルな考えを持つ。しかし、その一方で、彼らはパートナーよりも親戚関係の方を信頼する、及びカップル間より親と子の関係の方が強いと言った質問に賛成する割合が高い傾向にあり、伝統的な価値観などに関しても他の形態の生活スタイルの人とそこまで変わらないスコアを示しており、個人化社会における新しい価値観を持ったパイオニア的な評価をするのは危険だとしている。


Wejnert, B. 2002. “INTEGRATING MODELS OF DIFFUSION OF INNOVATIONS: a Conceptual Framework.” Annual Review of Sociology 28(1):297–326.

 この論文では、イノベーションの拡散に関する複数のモデルについて網羅的な検討を試みている。このモデルについてはこれまで4000本以上の論文が出ている一方で、それらの分析は他の要因を考慮しないものだったという。そこで筆者はこの論文の中でこれまでのアプローチを体系的にまとめている。

 大きくイノベーションの特徴、イノベーターの特徴、環境要因の三つに分けられて検討がされている。まずイノベーションの特徴では、その結果がイノベーター以外の人にもインパクトがあるパブリックな場合とそれ自身にのみ利益がある個人的な場合があり、それぞれによって影響を与える要因が異なることが紹介される。また、どれだけの直接/間接のコストがかかるのかという点でも先行研究が積み重ねられている。

 次に、イノベーターの特徴としては、entity(個人か組織かといった点か)、イノベーションの新規性(これはイノベーションの特徴ではないか)、イノベーターの地位、社会経済的な特徴、ネットワーク上の位置、そして個人的属性(どれも互いに関係しあうもので区別が難しい)が紹介される。これらの特徴に注目することで、イノベーションの波及効果などを考察できるという。

 最後に環境要因として地理的位置、社会的文化、政治的条件、グローバルな統一性が紹介される。様々な変数を考慮したモデルが紹介され興味深いが、特にRQがない(ので眠くなる)。イノベーションに興味のある人はぜひ。でも、diffusionは大事な減少だと思うのでもう一度読んだ方がいいと思った。

Bellotti, E. 2012. “Getting Funded. Multi-Level Network of Physicists in Italy.” Social networks 34(2):215–29.

 この論文では、イギリスの物理学者のネットワークが彼らのファンディングにどのような影響をもたらすのかを考察している。筆者は、先行研究の整理のもとに、引用ネットワークではなく、ファンディングの対象となるプロジェクトへのメンバーとしての加入を変数として採用し、これを10年間に渡って分析している。また、個人レベルに加えて、研究者が所属する機関(イタリアは一度大学・研究機関に所属すると基本的に異動しないらしい)のレベルを設けたマルチレベル分析を試みている。多くの研究者と共同のプロジェクトを持つかどうかに加えて、大規模な研究機関に所属しているかどうかで研究者を4通りに分けた分析の結果、BFBP(Big fish in a big pond 大規模大学で働くノード数の大きい研究者)であるよりも、様々な研究グループとのつながりを持つブローカー的な役割を持つ人の方が、資金獲得には有利に働くことが分かった。

Hummon, N. P., and P. Dereian. 1989. “Connectivity in a Citation Network: the Development of DNA Theory.” Social networks 11(1):39–63.

 この論文では、DNA理論の発展に寄与した40本の論文の引用データを用いて、引用する/しないという関係をdirectedなネットワークと捉えて、これらの論文の中で主要な流れにおかれるものはどれかについての分析を試みている。これまでの引用ネットワークの研究ではどの手法もノードのクラスター分析をしていたが、今回の分析ではネットワークにおけるリンクに焦点を当てた分析をしている。まず、connectivityを見つける作業では、(weak/strongの)サブグラフの発見とノード間のパスの距離が求められる。この分析の結果からはノード3から始まるmain streamのパスが見つかったが、これは他の手法でも再検討されている。ここでは、Garfieldらによって作成された、つながりのタイプに基づいて算出されたノードへの重み付けの方法とQ analysisという分析方法を組み合わせた方法からもこのメインのパスの発見が支持されている。これに加えてregular equivalenceの分析からも同様の結論が導かれているとする。再読の必要。

Carolan, B. V. 2008. “The Structure of Educational Research: the Role of Multivocality in Promoting Cohesion in an Article Interlock Network.” Social networks 30(1):69–82.

 この論文では、Teachers College Recordという教育額の雑誌のオンラインデータベースを用いて、学術的な知識がどのようなネットワークの構造を持っているのかを検討している。このような学術的知識については、従来はco-citationや共著ネットワークで測られてきたが、この論文では、こうした著者レベルでのつながりがなくとも、読者の重なりがあるとすれば、それもinterlock networkであると考えることができるとする。筆者は、先行研究をもとにこの分野(教育研究)におけるネットワークの三つのモデルを紹介している。Plural worldsモデルはネットワークを分断しており相互に関係を持たないクラスターから成り立つと考える。Structurally cohesiveモデルでは逆に複数の専門的な分野も移転可能なものとしてクラスターが緊密に結びついていると考える。最後にSmall worldモデルは複数のクラスターがある程度の距離を持って結びついているという上記二つの折衷的な立場である。読者(この場合はアクセス元)の重なりから求めたネットワークの分析の結果、Structurally cohesiveとSmall worldモデルが支持され、Plural worldsモデルは棄却された。さらに、こうしたつながりは複数の分野を横断する論文の存在によって成立しており、筆者はこうしたmultivolityの論文の存在意義を強調する。このフィールドの理論的な蓄積については知らないところが多いからか、筆者が丁寧に議論している部分の価値が分からなかったので再読。


Noma, E. 1982. “Untangling Citation Networks.” Information Processing & Management 18(2):43–53.

 この論文では、引用ネットワークのパターンを可視化する技術を紹介している。この論文によれば、まず、ある論文を他のつながっている(複数の)論文のcentroid(重心?)に置くというシンプルなルールを繰り返す。つながりを引用する/されるの二パターンで行うことで、2 次元のプロットが生成される。これは論文に対するco-citation matrixの因子分析の結果と似ているが、この方法は引用/被引用双方をプロットによって確認できるという利点を持つ。

Smart, C. 2008. “‘Can I Be Bridesmaid?’ Combining the Personal and Political in Same-Sex Weddings.” Sexualities 11(6):761–76.

 この論文では、civil partnership導入によって同性愛者の結婚が認められるようになったイギリスにおいて、privateな場でもあると同時に、友人や親族に自分たちの結婚を示すpoliticalな場でもある結婚式についての意思決定を分析することで、privateとpoliticalという対立的な領域についてカップルがどのような交渉をするかを明らかにしようとする。この論文では、特に結婚式の形式に注目している。インタビュー調査の結果、結婚式の種類は通常のもの、最小限のもの、宗教的なもの、そしてdemonstrativeなものの三つの結婚式の形に分かれる。通常の形式を選ぶものは周りからの承認に重きを置いており、異性愛者と同じ形式をとることに反対しないが、誓いの言葉をvowからpromiseに変えるなど自分たちが重きを置く価値を具体化させることもする。小規模な形式を選択するカップルは長年連れ添った場合が多く、法的な承認のみを求める傾向にある。彼らにとっては個人的な領域を政治化させることは避けられる。宗教的な形式を選択するカップルは結婚を神の前で行うことに価値を置く。イギリス国教会は同性愛に対して反対の立場を取っているが彼らはリスクを冒してきてくれる聖職者に立ち会いを依頼する。ただし、彼らはconventionalな形式に従うことに対して素直に受入れている訳ではない。最後にdemonstrativeなものでは、結婚式を多くの人を呼ぶことで、同性愛カップルの結婚に対する理解を持ってもらいたいという(政治的な)意図を持っている。

Mason, J. 2008. “Tangible Affinities and the Real Life Fascination of Kinship.” Sociology 42(1):29–45.

 この論文では、kinshipにおけるaffinity (愛情)の複数の次元について議論している。筆者は人類学におけるrelatednessの研究を引用しながら、その功績に生物学的な事実によるつながりをkinshipから切り離す試みを行ったことを挙げている。これはすなわち、私たちがなぜkinshipに対して愛情を持つのかという問いを掲げた時に、生物学的なつながりがあるという主張を相対化することになる。この点で、筆者は人類学の知見を評価しつつも、彼らがnature/culture の対立軸を最小する限り見えない部分が出てくると主張する。筆者は、私たちがkinshipに魅了されることを社会学的に考えた結果、愛情の複数性を指摘する。
 一つ目がfixed affinitiesであり、これはkinshipをもとから与えられたものとしてみなすことで生まれる考えである。これに対して、二つ目はnegotiated affinities である。これは、affinitiesを家族との交渉の過程で見出す考えに対応する。三つ目がethereal affinities である。これは、合理的に説明することのできないものとして説明されており、Howellによるノルウェーのadoptionにおけるkinningの過程など、affinitiesを運命的なものとして解釈すると紹介されている。最後が身体的な類似など、感覚的に認識できるものをもってaffinitiesを主張するsensory affinitiesである。

Mason, J., and K. Davies. 2009. “Coming to Our Senses? a Critical Approach to Sensory Methodology.” Qualitative Research 9(5):587–603.

 この論文では、近年のsensoryな調査、とりわけ写真を用いた家族の類似(family resemblance)の研究の隆盛を受け、これに対して批判的な検討を加えている。筆者によれば、dreative interviewとvisual methodsを用いた調査から、インタビュー対象者がいかに有形・無形(tangeble intangeble)な類似を組み合わせているかが明らかになる。例えば、ある対象者は写真からだけでは自分と写真の中の人が似ているとは言えないと考える。その代わりに、実際会ってみたら似ていると思う、などということで写真が表現できない部分を補おうとする。筆者はこれをsensory associationと呼んでいる。これは写真が洗わせないことに対する記述であるが、その一方で、親戚の写真をたくさん並べることで、real lifeでは見ることのできないような特徴に気づくことも報告されている。筆者は日常ではこうした特徴に気づかないことをベンヤミンの言葉を引用してoptical unconciousnessと呼ぶ。
 その一方では、対象者は写真を用いずとも感覚的な類似点について詳細に語ることができており、写真に手段を限定することの危険性も指摘されている。その意味で、家族と似ている部分を感覚的に理解する行為は日常生活のレベルでも十分にされており、調査はこれを質問と切り離してはならないことが指摘されている。


Hummon, N. P., and K. Carley. 1993. “Social Networks as Normal Science∗.” Social networks 15(1):71–106.

 この論文では、Social Networkの12のvolumeに掲載された論文のcitationをネットワークのデータを分析することで、SNAの分野でもCraceが主張したようなinvisible college(共有されたパラダイムとその分野をリードする雑誌の存在)の成立によってクーンが主張したような通常科学としての科学的発展が見られたという歴史的な証拠を提出している。main path analysisの結果、6つのmain pathが見つかり、最も重要と思われるpathはrole analysisに関する論文で、12のvolume全てでその論文が確認されていた。特にこのpathにおけるWhite and Reiz 1983からEverett and Borgatti 1990までの10の論文はそれ以後のRole Analysisの研究に関して一貫してイノベーションに寄与したことが確認されている。最後に、これらの論文は全てモデルをたてて計量的な分析をしており、理論的な論文や質的な論文は見られない。筆者によれば、これらのpathのパターンはクーンが主張した通常科学と同じような発展として考えられるという。

Michaelson, A. G. 1993. “The Development of a Scientific Specialty as Diffusion Through Social Relations: the Case of Role Analysis.” Social networks 15(3):217–36.

 この論文は、社会関係を通じた学術的な知識のdiffusionの過程に関する研究だが、既存の調査と異なり、先行研究を無批判に承認するのではなく、批判的に修正を試みた論文に焦点を当てている。データとなるのはposition structure とrelation structureという概念を始めて定式化したLorrain and Whiteの論文が出版された1971年から88年までに上記二つのrole analysisに関して修正的な提案をした論文及びその著者たちである。インタビュー調査によって、先行研究の知見を導入する以前にその研究者と関係を持っていたかが検討される。
 論文が出版された1971年時は、その内容があまりにも抽象的でなじみのないものだったために、この論文が他の研究者によって知られるためには、先行する友人関係が重要だったと述べられている。次に、position structure とrelation structureのうち、前者に比べて後者は抽象的な概念だったために、最終的に導入者の数にも違いが生まれていることが指摘される。次に、先行する導入者とほとんどの後続の研究者が事前に関係を持っていたため、筆者はこうしたインタラクションがイノベーションを認知させるために重要だったと結論づける。具体的には、研究者たちは学会で執筆者と交流することを通じて論文の意義に気づくという。筆者はこれ以外にも、ジャーナルで知ったことを通じて論文を引用するようになった導入者の存在を指摘している。最後に、マスメディアやジャーナルが論文の導入に対して影響力を持つようになってからは、友人関係の影響力は弱まったとし、これは既存の情報の流れの二段階の仮説とは対立することが示唆される。ここでは、科学的知識はある程度研究者によって信頼を得てからジャーナルによって拡散されるという解説がされており、この点でジャーナルの役割はinvisible collegeのような縄張りを示すものではなく、あたらしい情報の発信源ともなると述べている。

Lievrouw, L. A., E. M. Rogers, C. U. Lowe, and E. Nadel. 1987. “Triangulation as a Research Strategy for Identifying Invisible Colleges Among Biomedical Scientists.” Social networks 9(3):217–48.

 この論文では、National Institutes of Healthのグラントに採用された研究者のco-word invisible collegeの存在についての検討がネットワーク分析でされている。分析を3つの段階に分けるトライアンギュレーションを採用している。対象となったのは1983年に採用された5千ものグラントである。分析の第一フェーズではNIHのデータベース上にあるグラントのキーワードが分析されており、これにより12のクラスターが把握できた。その中の一つをパイロットとして選択し、この分野の研究者の一部に確認をとったところ、ほぼ全ての代表的な研究を表していることが確かめられた。次に、第二段階としてこの分野に関するレビューとco-citation analysisとの比較がされるが、後者はまだ進行中とのことである。(この箇所の存在意義がよく分からない)。最後に第三段階として、このクラスターの研究者に対する質問し及びインタビュー調査が行われ、研究者の多くが年一回のペースで(カンファレンスが多い)交流を持っていること、ネットワーク分析の結果このクラスターが6つのサブグループに分かれ、最終的に2つのグループに大別できること、さらにその結果から因子分析がなされ大別されたグループとの比較がされている。

Weeks, J. 2008. “Regulation, Resistance, Recognition.” Sexualities 11(6):787–92.
 
 イギリスのCP法は同性愛者たちに驚きを持って迎えられた。筆者は、CP法を政府による規制(regularities)なのか承認(recognition)なのかをこの論文で問うている。筆者が行った調査からはゲイ・レズビアンたちはCP法に対して異性愛者と同じ
法的権利を得られることをポジティブに捉える見方もあるが、その一方でなぜ彼らと同じ真似をしなくてはならないのだという反発も見られるという。
  筆者はまず、この権利を認める一連の流れにおけるagencyについて考える。アメリカはもとより、こうした運動は白人を中心とした中産階級によって担われてきたというelite liberationの主張、及びそれまでの過程において権利を与えられなかったものたちが草の根の運動をしていったことを重視する視点が紹介される。次に筆者は、フランス、イギリス、そしてアメリカの同性愛者への権利擁護の流れの多様性が指摘される。最後に、各国それぞれの文脈はありながらも、同性愛者たちが既存の伝統的な価値観に吸収されるのではないかという危機感があることが指摘され、筆者はこれに対して(そうした流れを同化政策ととらえず)承認に対する要求をしていく必要を訴える。(政治的。)