December 30, 2020

来年の目標10個

 1. 健康に過ごす

今年30になった。まだ30なのにと言われるかもしれないが、20代の時に比べて身体的・精神的な変化を感じることも増えた。その変化の一つは、レジリエンスの低下かもしれないと思っている。フィジカル的にみると、疲れが取れずらい、食事後にすぐ眠くなるといったもの、メンタル的にみると集中力が続かないといったものまで、「疲れ・ストレスから回復して高いパフォーマンスを常に維持する」ことを妨げる要因が、様々含まれる。加齢による変化には抗えないところもあるので、食事の仕方を工夫したり、適度に運動したりして、できる限りパフォーマンスの高い状態をキープしたい。

2. 週に3-4回走る

家の周りがコンクリートばかりで毎日走るのがなかなかきついという事情もあって、隔日のペースで運動することを心がける。

3. 隔週に1冊日本語の小説を読む

今年から新しく始めた取り組みの一つが小説を読むことだった。日本語の小説を読むのは、単純に楽しいからという理由もあるが、久しぶりに日本語を書こうとした時にうまく言葉が出てこない、文章は書けるけれどもこなれた感じに見えないことが引っ掛かったからというのもある。小説を読んでいるとストーリーの展開に感情が動かされることもあるが、こんな表現もあったのかと嬉しい発見をする機会が留学後になって増えた。今年も日本語力の低下を防ぐため、できるだけ多くの小説を読みたい。

4. 隔週に1冊英語の小説を読む

英語の小説も読み始めた。個人的にベストだったのがPachinkoで、それからアジア系アメリカ人の書いた小説を読むようにしている。アメリカにおけるアジア系の位置付けを知りたいというのもあるが、彼らの描く自らの経験を反映した物語は、背景が文化的に近いこともあって英語で読んでいても文脈が浮かびやすいと感じる。これが習慣を続ける際の助けになることを期待している。

5. 本を出版する

100ページくらいの薄い英語の本を書いている。一応年末に提出だったのだが、遅れて1月終わりを目指している。いつ出版かは全く読めないが、個人的には来年の出版を希望中。

6. 論文を掲載する

溜まりに溜まった原稿が査読に落とされたりまだ査読中だったりした今年、リベンジを期すべく来年は複数、できれば3本以上掲載したい。

7. 博論プロポーザルをディフェンスする

アカデミック的に一番重要なマイルストーン。最近は他の共著が忙しくて考える時間が取れていないけど、2月くらいからは真剣に考え始めないといけない。

8. 博論のコミティを確定する

博論提出までの歩を進めるためにもう一つ必要な作業。現在までアドバイザー含め二人入ってくれる人は決まっているが、もう一人確実にお願いしようと思っている人がいるがまだ連絡はしていない。もう一人学外から追加することをアドバイザーから促されているので、意中の先生に連絡をする必要がある。

9. 日記をつける

もともとこのブログにも作業ログみたいなものから長文の日記までいろいろ書いていたが、某そのまま発音すると放送禁止用語になる雑誌の編集の人から1日数行を5年分かける本をもらったので、短い記録はそこに書いていこうと思う。

10. 新しい趣味を見つける

趣味というか研究以外の習慣なのかもしれない(そういう意味では定期的な運動も含まれる)。まだしばらくパンデミックは続くので、研究上のストレスで倒れないためにも息抜きの作法を身に付けたい。

古畑任三郎

突然、古畑任三郎を見たくなる。昨日からfodに入って2週間の無料体験期間中に全シーズン見ようと考えている。

このドラマ、尺が決まっている連続ドラマとしては非常にクオリティが高い。序盤の方はトリックに難があったり、時間の制約で人物像の深掘りができない(または視聴者の想像に任せるため意図的に触れない)点は残念だが、最初に犯人を見せてから古畑の推理が始まる(そして推理を視聴者に追体験させる)、これを毎回繰り返すのはよい中毒性がある。

ネットフリックスのような配信で放送すればエピソードによって尺にばらつきをもたらすこともできるので、また一段面白くなっただろうと思う。事件発生から解決まで一直線で犯人とメインキャラクター以外の登場人物が極端に少ないのは、舞台を見ている気にもなる。古畑役の田村正和は本当にこの役が似合っていると改めて思った。最近、ストーリーが面白いドラマはいくつもあるが、古畑のようなねっとりした、それでいて笑わずにはいられない、アクの強いキャラクターをあまり見ることはない。

December 28, 2020

仕事納め

という言葉には、実は少し憧れている。というのも、研究者は自営業者のようなもので、大学や指導教員が今日が仕事納めですよと促してくれるわけではない。自分で今日が納めと決めてそれから働かない確固たる意志を持つ人じゃない限り、容易に今日が仕事納めということはできないのである。パソコンを開けばメールは来てるし、メールを開くとなんとなく返さないといけない気分になってしまう。今年に限っては12月31日締め切りの原稿が3つある(うち1つしか終わっておらず、うち1つは確実に終わらないので延長のお願いをします)。

とは言いつつ、周りの仕事納めムードを一種のエクスキューズにして、今日はかなりスローペースだった。明日明後日は締め切りの原稿を終わらせるべくやや頑張らねばいけないと思っている。数日前から弟の学校が冬休みに入ったこともあり、別の部屋でカチカチ仕事しているのもなんだか時間の使い方としていいのだろうかと気に揉むことも仕事に集中できなかった一因かもしれない。

WFHで寝る場所と仕事をする場所が一緒になってしまった今年、もともとこういう四六時中働こうと思えば働ける職業の人間のみなさんは、workとlifeをどうbalanceさせるかではなく、balanceできない二つをせめてどうseparateさせるかに悩まれているのではないでしょうか(私はまだ試行錯誤中です)。


December 21, 2020

今年の論文10選

日本に帰国するとしょうもない深夜番組を見ることが一つの楽しみなのですが、関ジャムというジャニーズが司会をしている音楽?番組で毎年音楽プロデューサーや作詞家が今年注目の曲ベスト10みたいなのを紹介してて、例えばそれを見てzutomayo(ずっと真夜中でいいのに)の存在を知ったりして役に立った記憶があります。

私の選評が役に立つとは思いませんが、少なくとも自分が当時何を考えてたのかの振り返りにはなると思い、今年も簡単に今年初めて読んで面白かった論文をジャンル別に合計10本、紹介しています。

教育

Bol, Thijs, and Herman G. van de Werfhorst. 2013. “Educational Systems and the Trade-Off between Labor Market Allocation and Equality of Educational Opportunity.” Comparative Education Review 57(2):285–308. doi: 10.1086/669122.

今年は教育のトラッキングの文献もいくつか読んでいました。アメリカの文献を読むと、多くの研究がアメリカの中等教育が格差の維持拡大に寄与しているという主張をしています。確かに、アメリカの公立学校は住んでる地域の所得水準によって予算が決まるところがあり、学校の質と居住地域があからさまに関連しているので人種や所得による居住の分離が問題になっているくらいなので、そういった主張になるのもうなづけます。

しかし、比較教育の視点で見ると、アメリカはいわゆるcomprehensive型、つまり早期に選抜をせずに遅くまで一般教育をする制度になっています。これに対して、早期に専門を決めるタイプの制度はドイツ語圏で典型的に見られるもので、こうした早期選抜の方が親の影響が強く出るため結果的に教育制度が世代間の格差の連鎖に与える影響が強くなります。一方で、こうした早期の選抜によるメリットもあり、具体的には労働市場に特定のスキルを持った人材供給をしやすくなる点が挙げられます。

したがって、早期選抜の教育システムの方が、学校から労働市場への移行がスムーズになり、若年失業率なども小さくなると考えられます。この論文では国レベルの分析で上記のトレードオフを実証しているという意味では非常にシンプルですが、単一事例だと見逃されがちな教育制度に違いの重要性を綺麗に示している点が印象的で、国際比較研究に限らず、重要な文献だと思います。

Park, Hyunjoon, Jere R. Behrman, and Jaesung Choi. 2013. “Causal Effects of Single-Sex Schools on College Entrance Exams and College Attendance: Random Assignment in Seoul High Schools.” Demography 50(2):447–69. doi: 10.1007/s13524-012-0157-1.

高校別東大への入学者数のランキングを見ると、軒並み有名中高一貫私立の男子校が占め、中学受験時には同じ偏差値だった女子校からの入学者がそこまで多くない話の延長で、男女の共学、別学はどういうインパクトがあるのか気になっていたら、この論文を見つけました。研究では、ソウルの高校で起こった高校の生徒をランダムに別学か共学かに割り当てた自然実験を利用し、共学/別学が教育アウトカムに与える影響を分析しています。

結果は、男女とも別学の方が大学進学率にはポジティブな効果を持つことがわかりました。ただし、著者らの別の論文では、同様のデータを用いてSTEM科目への関心を検討したところ、男子校の場合には共学に比べて男子がSTEMにより興味を持つ一方で、そうした効果は女子校ではみられなかった。専攻の選択まで踏まえると、男女別学が教育的なアウトカムでみてベターなのかは議論がある気がします。リサーチデザインとしても秀逸で、かつアクチュアルな問題に対しても示唆があるので好きな論文です。

Ryan, R. M., A. Kalil, K. M. Ziol-Guest, and C. Padilla. 2016. “Socioeconomic Gaps in Parents Discipline Strategies From 1988 to 2011.” Pediatrics 138(6):e20160720–e20160720. doi: 10.1542/peds.2016-0720.

アメリカではdiverging destiniesの議論に代表されるように、親学歴でみたachievement gapが拡大しているという話が非常にホットです(もっとも、格差の拡大はアメリカに限ったことではなく世界的に見られるトレンドではあります、Chmielewski 2019)。その一つのメカニズムとして親の学歴による育児時間の格差が拡大している点が指摘されています(Kalil and Ryan 2020)。ロジックとしては、学歴によるリターンの差が拡大すると、中産階級の親たちは子どもへの投資へのインセンティブが強まる、という説明が経済学者から提起されています(Doepke and Zilibotti 2019)。

育児時間の格差は拡大していますが、子どもに対する親の関与は量(時間)だけではなく質(育児スタイル)も異なり、それが格差の維持、拡大に寄与しているという点は重要です。アネット・ラローの階級間で異なるparenting styleの研究を嚆矢として、多くの研究が育児スタイルとその後の認知的アウトカム、教育達成への影響を検討しています(e.g. Chan and Koo 2011)。

これまでの先行研究では、この育児の質的側面と親階層の関連も、時代とともに変化しているのかが明らかではありませんでした。この論文では、子どもが誤った行動をしたときに叩くといったしつけをするのか、それともなぜそれが誤っているのかを説明するのか、育児方針の階層差およびアメリカにおけるトレンドを検討しています。

前者は典型的にはauthoritarianという身体的なしつけを伴う古いタイプの育児ですが、後者は子どもの自律的な思考を養わせるauthoritativeな育児とされます(毎回この用語が超ややこしい)。分析の結果、前者のような身体的なしつけは減少しているが、所得階層による差は維持されたままということで、育児時間とは異なる結果になっているようです。

育児時間に比べると、質的な育児の側面は時間的・空間的に比較が難しいのがネックですが、親が子育てにどのように関与し、それが格差の維持、拡大につながっているかを検討する際には見逃せない点でもあり、引き続き注目していきたいと思います。

Fishman, Samuel H. forthcoming. “Educational Mobility among the Children of Asian American Immigrants.” American Journal of Sociology 58.

アジア系アメリカ人、特に1.5から2世の教育達成は非常に高く、親階層の影響を受けない点がこれまで一つのパラドックスとして知られてきました。近年のアジア系移民の親子を対象にした質的研究から、親の出身国における文化的な要因(東アジア系の子どもに顕著な高学歴志向、および親のプレッシャー)の存在が指摘されてきました。この文化要因については分析がまだ十分ではなく、この研究では人種・エスニシティごとに親階層の効果がどれくらい異なるのか、およびその関連(のなさ)は文化的要因によってどれくらい説明されるのかを検討しています。

分析の結果、白人2.5世代に比べ、アジア系1.5-2世は親階層の影響をほとんど受けないことがわかりました。つまり、親の学歴が高くても低くても、その子どもは同じような教育達成をする傾向にあります。このメカニズムとして論文では、親からのプレッシャーおよび本人の教育期待の効果を検証しており、アジア系は出身階層に限らず両者が高く、これが他の人種・エスニシティとの差を一部説明するとしています。

この知見は、アジア系アメリカ人研究としてももちろん重要ですが、アメリカにいる1.5世のアジア系という非常に限られた集団ではありながらも、親階層がほとんど全く子どもの教育達成に影響しないという現象は、地位達成理論ではなかなか説明できません。教育期待などの社会心理学的な要因の重要性を指摘したSewellらの研究も、そうした期待が親学歴によって異なると考えるため、親階層に関わらずに期待が高いアジア系の存在は、理論的にも非常に重要だと思います。


ゲノム

Rimfeld, Kaili, Eva Krapohl, Maciej Trzaskowski, Jonathan R. I. Coleman, Saskia Selzam, Philip S. Dale, Tonu Esko, Andres Metspalu, and Robert Plomin. 2018. “Genetic Influence on Social Outcomes during and after the Soviet Era in Estonia.” Nature Human Behaviour 2(4):269–75. doi: 10.1038/s41562-018-0332-5.

論争は尽きないところはありますが、差し当たり集団間の遺伝子の分散から教育年数を予測して求めるPGSは、教育年数を予測する遺伝的要因(それが知能なのかIQなのかはたまた遺伝に見えて遺伝ではない要因なのか)を部分的に含んでいるという主張はそこまで過激ではないと思います。この論文ではエストニアの事例を持ち出し、共産主義レジーム前後で教育年数を予測する遺伝要因の予測力が上昇したことを明らかにしています。解釈としては、共産主義下では縁故による雇用などが盛んで、学歴の相対的重要性が低かった一方で、共産主義が崩壊すると労働市場における学歴の重要性が増したから、という説明になります。この研究は遺伝要因が教育達成に与える影響を検証するために、共産主義体制の崩壊を外生的なイベントに持ってきている点が非常にクールだと思いました。

ちなみに、最近出た研究では国ごとのeducation PGSでみた親子のheritabilityとeducation mobilityの相関を検討しており、その結果は正、つまり社会移動のチャンスに開かれている開放的な社会ほど教育年数を予測する遺伝的特徴の親子の相関は高くなります。観察される学歴で見た移動が大きくなると、非遺伝要因であるsocial inheritanceが少なくなるため、社会が近代化すると遺伝子の相関が高くなるという解釈のようです。エストニアの事例と似た結論だと思います。

Silventoinen, Karri, Aline Jelenkovic, Reijo Sund, Antti Latvala, Chika Honda, Fujio Inui, Rie Tomizawa, Mikio Watanabe, Norio Sakai, Esther Rebato, Andreas Busjahn, Jessica Tyler, John L. Hopper, Juan R. Ordoñana, Juan F. Sánchez-Romera, Lucia Colodro-Conde, Lucas Calais-Ferreira, Vinicius C. Oliveira, Paulo H. Ferreira, Emanuela Medda, Lorenza Nisticò, Virgilia Toccaceli, Catherine A. Derom, Robert F. Vlietinck, Ruth J. F. Loos, Sisira H. Siribaddana, Matthew Hotopf, Athula Sumathipala, Fruhling Rijsdijk, Glen E. Duncan, Dedra Buchwald, Per Tynelius, Finn Rasmussen, Qihua Tan, Dongfeng Zhang, Zengchang Pang, Patrik K. E. Magnusson, Nancy L. Pedersen, Anna K. Dahl Aslan, Amie E. Hwang, Thomas M. Mack, Robert F. Krueger, Matt McGue, Shandell Pahlen, Ingunn Brandt, Thomas S. Nilsen, Jennifer R. Harris, Nicholas G. Martin, Sarah E. Medland, Grant W. Montgomery, Gonneke Willemsen, Meike Bartels, Catharina E. M. van Beijsterveldt, Carol E. Franz, William S. Kremen, Michael J. Lyons, Judy L. Silberg, Hermine H. Maes, Christian Kandler, Tracy L. Nelson, Keith E. Whitfield, Robin P. Corley, Brooke M. Huibregtse, Margaret Gatz, David A. Butler, Adam D. Tarnoki, David L. Tarnoki, Hang A. Park, Jooyeon Lee, Soo Ji Lee, Joohon Sung, Yoshie Yokoyama, Thorkild I. A. Sørensen, Dorret I. Boomsma, and Jaakko Kaprio. 2020. “Genetic and Environmental Variation in Educational Attainment: An Individual-Based Analysis of 28 Twin Cohorts.” Scientific Reports 10(1). doi: 10.1038/s41598-020-69526-6.

世界各国の双子データを用いて教育達成の遺伝率(heritability)を求めた研究。どの国もおよそ0.3から0.4の関連があることがわかりましたが、二つのコーホートで比べると減少傾向にある、つまり遺伝的には親子の教育の世代間連鎖は弱まっているようです。education PGSを知能などのプロキシとして見做せば、近代化論に従うと近年のコーホートほどheirtabilityが増し、同類婚も増えると予想するはずですが(マイケル・ヤングが描いたディストピアであり、ベルカーブ論争の主張)、実際にはそんなことはなく、教育の遺伝率は減少し、遺伝子レベルの同類婚は一定か、やや減少傾向です。

この研究は著者の数からもわかるように非常に大規模な双子の国際比較研究ですが、比較の部分で面白かったのは、有意ではないものの遺伝率は北米、ヨーロッパ(0.4)よりも東アジア(0.3)の方が低く、この結果自体はやや直感に反する気がしました。というのも、著者達も述べるように、メリトクラティックな社会ほど教育の遺伝率は高くなると予想され、東アジアの方が試験による選抜を考えるとメリトクラティックな社会だと思われるからです。学歴選抜のintensityが強い東アジア社会の方が社会階層によらず多くの子どもが学校で勉強する機会に恵まれているのかもしれませんが、本文では特になぜの説明はありません。

Harden, K. Paige, Benjamin W. Domingue, Daniel W. Belsky, Jason D. Boardman, Robert Crosnoe, Margherita Malanchini, Michel Nivard, Elliot M. Tucker-Drob, and Kathleen Mullan Harris. 2020. “Genetic Associations with Mathematics Tracking and Persistence in Secondary School.” Npj Science of Learning 5(1). doi: 10.1038/s41539-020-0060-2.

これまでのeducation PGSを用いた研究の関心は教育年数、専門的にいうとverticalな側面だけだったのですが、この研究ではアメリカのAdd Healthデータを使って中等教育段階の数学科目の選択に対するeducation PGSの効果を検討しています。さもありなんという話ではありますが、education PGSが高い子どもほどアドバンスドな数学科目を取る傾向にあり、逆に低い子どもはドロップアウトしやすいことがわかりました。アメリカの中等教育では、基本的にいつでもどのコースもとって良いのですが、難しいコース(大学入学程度、AP)をとったり、4 point scaleではなく5 point scaleのhonorsのコースを履修することでGPAが上がり、大学進学に有利に働くとされているため、中等教育段階においてもトラッキングを通じて遺伝的要因が教育達成に影響していることが示唆されます。ただし、学校に通う子どもの母親の教育年数で学校の質を指標化すると、母親の平均教育年数が高い学校に通う子どもほど、低いPGSによるドロップアウトのリスクが減ることがわかりました。一種のgene environment interactionの話です。

教育社会学では、verticalな教育年数に対比して同じ教育段階の質的な違い(専攻や学校の選抜度)はhorizontal stratificationと呼ばれるのですが、先述の通り後者に注目したゲノム関連の研究はまだまだ少ない印象です。自分もこの話で二本論文を書いていますが、来年中には掲載したいなと思っています。これに限らず、最近の研究ではeducation PGSと親の育児も関連するという知見もあり(Wertz et al. 2019)、徐々にどのようなメカニズムで遺伝要因が世代間の地位の連鎖に影響するのか、研究が進んでいます。まだ分野として成熟しきってないので、ややインディーズ感のある論文ですが今後ホットになると思います。


ジェンダー

Hook, Jennifer L., and Eunjeong Paek. 2020. “A Stalled Revolution? Change in Women’s Labor Force Participation during Child‐Rearing Years, Europe and the United States 1996–2016.” Population and Development Review. doi: 10.1111/padr.12364.

この論文では、欧米18カ国の過去20年の女性の就業参加の増加要因をKitagata-Blinder-Oaxaca分解を用いて検討しています。分析の結果、女性の就業率の上昇は、もともと就業参加しやすい高学歴女性が増加したという分布の変化によっておおよそ説明できることがまず分かりました。とだけいうと何がすごいのってなるかもしれませんが、データセットを作るまでに相当苦労するタイプの研究でしょう。

次に、学歴や結婚している人の分布の変化以外の部分、この論文では行動要因とされる部分、については、パートナー/子どもがいることによって就労しなくなる効果が減少していることがわかります。加えて、この傾向は学歴・国によって異なる点が強調されます。まず、学歴別に就業率の変化をみると、特にパートナーのいる非大卒層の母親の就業率が増加傾向であるとされ、今までの研究で見逃されてきた非大卒層女性の重要性(missing middle)を指摘しています。その一方で、このmissing middle層の就業参加率の変化は、国ごとによっても違いが特に大きいようで、例えばアメリカでは非大卒層の就労は逆に減少傾向で、これがアメリカにおける就業率上昇の停滞傾向を説明することが示唆されています。

人口学的な手法を用いた国際比較によって各国の女性就業率のトレンドを要因文化した点がユニークな点ですが、アメリカにおける非大卒層の就業が伸びていないという話は、国レベルのワークライフバランス政策がなく、そうした政策の恩恵を受けられるのは高学歴のミドルクラス層が主という点を考えると、なんとなくわかる気がします。


COVID-19

Dowd, Jennifer Beam, Liliana Andriano, David M. Brazel, Valentina Rotondi, Per Block, Xuejie Ding, Yan Liu, and Melinda C. Mills. 2020. “Demographic Science Aids in Understanding the Spread and Fatality Rates of COVID-19.” Proceedings of the National Academy of Sciences 117(18):9696–98. doi: 10.1073/pnas.2004911117.

今年は新型コロナウイルスの拡大で世界が思わぬ方向に左右された一年でしたが、研究者たちも自分たちの分野の強みを活かしたオリジナルな研究を出していきました。その中で私が専門にする人口学アプローチをうまく適用したのがDowdらの論文です。この論文が出版される前に、徐々にコロナウイルスによる死亡は年齢との相関が非常に強いことがわかり始めていたのですが、この研究ではその点に注目して、各国の死亡者数は年齢分布の違いによって容易に変わりうる点を人口学的な手法を用いて明らかにしています。政策的なインプリケーションとしては、年齢構造が高齢層にシフトしている国ではより強硬な手段を取るべきだという主張になるわけですが、コロナウイルスに関する研究に対して人口学がコミットする方向性を決定づけた論文の一つかと思います。


同類婚

Miller, Rhiannon N. 2020. “Educational Assortative Mating and Time Use in the Home.” Social Science Research 90:102440. doi: 10.1016/j.ssresearch.2020.102440.

自分のいちばんの専門である同類婚の研究については、今年はあまり「新しい」と思えるものがなかった印象です。その中でも、これはと思う論文を一つあげると、SSRに掲載された、この同類婚と家事分業の論文なるかなと思います。

ジェンダー研究では女性の所得が高くなると男性の家事時間が増えたり、逆に高くなりすぎるとそこで失ったジェンダー規範を埋めわせるために女性は家事をしがちというdoing genderの話がよく知られていますが、この手の論文は夫婦の相対所得の話をしており、地位の組み合わせの帰結を問う同類婚の研究と相性は悪くありませんでした。この論文では、アメリカのtime use surveyを使って、夫婦の学歴組み合わせによって夫婦の家事育児時間は変わるのかを検討しています。

下降婚の夫婦同類婚の夫に比べると1日10分程度育児時間が多い、という結論自体に別にそこまで驚きはなかったのですが、この論文では学歴組み合わせの反実仮想の話をメソッドのところでしていて、そこが個人的には一つ貴重なtake awayでした。

例えば最近の研究では下降婚のカップルの男性/女性が他の組み合わせのカップルよりも男女平等的だったり、離婚しやすかったり、そういったアウトカムを見ているのですが、この論文では女性視点で見ると最も学歴が低いグループは下降婚が理論上できないので、下降婚の効果を求める際には分析から除くべきと主張しています。逆に男性視点だと、一番高い学歴のグループは下降婚ができないことになります。

確かに言われてみると、個人にとって何が反実仮想のトリートメントになりうるのか、という話は、因果への関心も薄かった同類婚の分析ではほとんど検討されてこなかったと思います。もちろん、学歴における同類婚の反実仮想を考える際に、結婚時点の相手学歴との組み合わせのみを考えるので十分なのか、という論点はあるでしょう。つまり、この想定では本人の学歴が達成される過程については不問に付されていますが、個人がどのような教育達成をするかも反実仮想として考えられるからです。このように考えていると、同類婚のトリートメントは複数のconditionからなるもので、一体何がありうる選択肢なのか、わからなくなってきます。

December 20, 2020

12月21日

 午前中は地熱、ポッドキャストの編集、それと友達の論文へのコメントで終わる。

December 18, 2020

12月19日

およそ帰国して1ヶ月が経とうとしている。午前中はコロナの分析のアプデート、10時から会合。会合というか、アメリカの社会学博士課程にいる日本の人の集まり。アメリカ大統領選挙や、自粛期間のあれこれについて話していたら、その中にいたハワイ大の人の「外出たらハワイには海があるので(散歩してました)」に完敗したのが今日のハイライト。

その後お昼を食べ、所得格差の分析。のち地熱。本屋に行ったらやたら混んでいた、ので買おうとした2冊の本は断念。アマゾンで注文。パン屋で買い食いをする。

綿矢りさの小説を読んでいたら主人公が友人を訪ねてイタリアに旅行する場面があり、今年本当はイタリアに行く予定だったことを思い出した。ミラン、トゥルク、あと5年ぶりの北京、久しぶりの海外出張になるはずだった。また来年以降に。

December 17, 2020

12月18日

 午前7時半から9時すぎまでdemographic researchに掲載される原稿の校正。その後データの申請、および共著原稿へのコメントで11時半。その後数理社会学会の原稿執筆。その後に地熱のデータ構築。

親戚に聞かれて困った質問集

 「日本学術会議って実際どうなの?」2020年

ひたすら本の執筆

 徐々に終わりが見えてきた。今日は図表の整理と簡単な校正。そうしていくうちに理論パートで言及してた部分がデータで確認されていなかったので補足中。今週中には共著者のアドバイザーに送付したい。

December 16, 2020

まだまだ本の執筆

まだまだ執筆。気休めに深夜のバラエティやNHKを見るのが楽しみ。

昨日のプロフェッショナルに出てたイタリアンのシェフの人は凄くとんがってた。度々思うのは、周りの先輩研究者でもあの番組出れそうなくらいのプロフェッショナリズムを持つ人は少なくないこと。多分研究者の日々はあまり絵にならないので少ないだけだと思うが。

もう一つ。中国伝統武術の実用性に疑問を持って次々と武術家を道場破りしていく総合格闘家が、国威発揚と伝統武術が結びついた現代の中国で市民権剥奪に近いような仕打ちを受けているという話、衝撃的だった。

https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/77ZRMVPR5L/

December 15, 2020

引き続き本の執筆

 今日は体裁の確認と抜けている箇所の執筆。おおそよ目処は立ちつつあるので、明日以降はwifiを確定させて図表のファイルを作成後、コンパイルして文法チェックなどをしたい。実際に原稿をシェアするのは週末になるだろう。

December 13, 2020

本の執筆

帰国時には無理だと思ってた12月末締め切りとされる原稿がある。本と言えば聞こえはいいかもしれないが、100ページにもならないモノグラフ、とは言え一応本になる。

もともと8月に一時寄稿をして某研究所のデータを使った分析、という算段だったのだがコロナがあり帰国を諦めるとともに、本の企画についてもやや及び腰になっていた。やはり業績的なことを考えると、今は論文投稿が優先されるのは間違いないからだ。もちろんこれは真実ではあるが、バランスを取った上で博論の基礎になるような文献レビューと軽い分析をできれば、という手段的な目的もある。

そんなこんなで後ろめたさも残っていたこのプロジェクト、重い腰を上げてこの1週間学部生の卒論みたいな勢いで書き続けたら少し先が明るくなってきた、とは言っても実際には締め切り守れなさそうではある。

思わぬ収穫もあった。普段は論文読んだり発表聞いたりして着想を得るわけだが、ひたすらデータみ続けるとそれはそれで問いも生まれる。こういう時間も大切なのかもしれない。惜しむらくは今は今後の研究の問いを考えるよりも目の前の分析を終わらせることが先決である点。発想の典型例としては、メインの分析とは別にバックで確認しておこうと色々クロス表とかみてると触る前の予想とは反した分布になってることが割とあり、それはなんでだろうとしばらく考えるともしかしたらこういうことなのかもな、と思うことがある。

December 12, 2020

今年の10冊

今年の初めくらいから徐々にアメリカにおける日本・アジアを多面的にみることに関心を持ち始めました。一つには徐々にアメリカで働くことを念頭に将来を考え始め、そうすると自分の中で、育った日本とこれから住むアメリカの間でどうバランスをとろうかと考える機会が増えたことが深層にはあるのだろうと思います。

例えば自分はアメリカだとアジア系と分類されるわけですが、アジアと言っても国でだいぶバックグランド違うし…と思いつつも実際に日々生活しているとそうした違いよりも共通の経験の比重が大きくなっていきます。悩むよりとりあえずアメリカにおいて私が直面しなくてはいけない問題について知ろう、と思い日本生まれの作家がみたアメリカ(水村、村上、二人ともプレリムに縁があります)、アジア系アメリカ人が描くアメリカの中のアジア・日本(Otsuka, PBS)などをみていった気がします。

そんな中で一番印象に残ったのはMin Jin Leeのパチンコでした。これは日本が主たる舞台の小説ですが、作者は韓国系アメリカ人、日本への滞在を通じて在日朝鮮人の歴史に触れ長い構想期間を経て出版、まずアメリカで絶賛され日本語にも翻訳されるという、非常にユニークな作品です。

そうしていくうちに実は日本語の小説も翻訳されてアメリカで評価を受けていることを知り、日本にいた時は読んだことのなかった作家の本を読む機会も増えました(柳美里、小川洋子、川上未映子)。不思議と英語圏で評価を受ける最近の日本作家はほぼ女性です(他に村田沙耶香、多和田葉子など)。

専門に関わるのは最後の2冊です。KarabelのThe Chosenはアメリカのエリート大学における選抜制度の歴史を丹念にみた労作ですが、直接扱ってはいないものの、この本も実は今日のアジア系アメリカ人の問題と関わる論点を議論しています。昨今、ハーバードなどで起こっているアジア系への入試における差別への訴えは、成績やテストの点数以外に卒業生の親を持つ子どもを優遇したりするレガシー制度によってアジア系は差別されているとするものですが、この本では、このアメリカ独特のレガシー制度などが非白人を排除しようとする過程でできた歴史的な産物であることを、丹念な記述とともに明らかにしています。

二人の経済学者によるLove, Money, and Parentingは社会学者も最近よく言及している本で、利他的な親がなぜ異なるタイプの子育てをするのかを経済学的な視点から解説しています。本の主張は、子育ての違いは社会の不平等の度合い(と教育制度)を反映しているというもので、要するに格差が大きい社会になると教育による経済的リターンの重要性が増すので、親は子育てに投資をするようになる、というものです。

一人の日本研究者として意外に感じたのは、日本は教育ママや受験競争言説にみられるように子育てに対する親の関与が非常に強い社会だと思っていたのですが、経済格差が比較的小さい日本は、この不平等と子育てのフレームの中ではアメリカや中国に比べると親の関与は少ない社会に位置付けられている点でした。筆者達も引用していますが、日本では上記の子育て言説以外にも「はじめてのお使い」にみられるように、子どもの自立を重視している社会であるとされ、確かに「可愛い子には旅をさせろ」ということわざもあるくらいなので、親の関与は比較の視点で見るとそこまで強くないのかもしれません。

もちろん、この「可愛い子には〜」ということわざには、あえて突き放すというニュアンスもあると思うので、単に時間がなくて子どもをほったらかしにする、といったネグレクトに近い育児とは違い、これはこれで一つの親の関与の仕方の強さが表れているのかなと思ったりして、各国の育児文化の違いをどうやって比較できるように論じるかは、なかなか難しいなと思いました。

以上、皆さんも面白いと思ってくださるような本を並べています。

水村美苗 『私小説―from left to right 』

村上春樹 『やがて哀しき外国語』

小川洋子『密やかな結晶』

前田健太郎 『女性のいない民主主義』

五百旗頭真・伊藤元重・薬師寺克行『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』

Xiaowei Wang, Blockchain Chicken Farm: And Other Stories of Tech in China's Countryside

Julie Otsuka, The Buddha in the Attic

Min Jin Lee, Pachinko

Jerome Karabel, The Chosen: The Hidden History of Admission and Exclusion at Harvard, Yale, and Princeton

Matthias Doepke and Fabrizio Zilibotti, Love, Money, and Parenting: How Economics Explains the Way We Raise Our Kids

番外編:PBS documentary series Asian Americans

December 10, 2020

12月10日

 柳美里『JR上野駅公園口』を読んだ。遅かれ早かれ翻訳されたのかもしれないけど、オリンピックという国際的イベントが開かれるはずだった年に翻訳が出たのは意味のあることだったのだろう。天皇とホームレスという対極的な存在を上野公園を通じて結びつける着想はすごい。万引き家族のようなリアクションを産むのかもしれない。この小説は、小説のようでいて上野のホームレスを通じて天皇や高度成長の影を鋭く批判するノンフィクションにも読めるし、著者のバックグラウンドも含めて、万引き家族よりも幅広い反応を呼ぶだろうか。

December 8, 2020

12月8日

 アラートに以下の本の書評が引っかかった。

昔東北大の佐藤嘉倫先生がAre Asian Sociologies Possible?という論考を書いてアジア社会において重要な概念(佐藤先生はそこでsocial capitalに対してenやguanxiが対概念として取り上げていた)が社会学の概念として成り得るか議論してたけど、こういう本が出るように中国におけるguanxiやhukouはアメリカでは注釈不要で議論できるくらいにはなってきたと思う。

まあもちろんこれらの概念を他の社会に応用するってところまではいってないけど、例えば階層論ではhukouが中国社会の社会階層を検討する際に根本的に重要な概念であるという了解は取られていると思うし、じきに他の社会の分析にも輸入されたりするのかもしれない。

購入してみようか悩み中。

December 6, 2020

12月7日

 先週はかなりストレスフルだったので、2つ用は久しぶりに研究はせず、のんびりとした1日を過ごした。月曜。午前中は原稿のチェック、ポッドキャストの依頼メール、先週のセミナーを踏まえた分析のアップデート、メールの返信など。

11時から市役所に行って行政手続き、長い、一番長かったのは書類の発行だった、本当にこのボトルネックが非効率だと思う。

2時間かかったので走るのは中止。紹介してもらった論文に目を通しコメント、次にpnas journal clubに紹介する論文を読む、その後covidのお手伝い。その頃には午後6時。