December 26, 2015

分析社会学に関する書評論文が公刊されました。

書評ソシオロゴスという雑誌から共著論文が出ました。

書評の割に長いです。この論文は、昨今、社会(科)学の中で言及される頻度が増してきた(と勝手に思っているのですが)、「因果」と「メカニズム」に関するものです。

自分の専門と直接関わるというわけではないこの論文を書こうと思った動機は、調査観察データにおける変数同士の連関から「因果関係」を導こうとする議論に対して、そうではないタイプの因果の説明の仕方もあるのではないかという疑問からでした。具体的にいうと、原因と結果の間にあるプロセスを重視する説明の方法です。


論文を読んでいくと、どうやら同じ因果関係の解明を志向していても、「因果推論」と「因果メカニズム」の議論はずいぶん毛色が違うことが分かってきました。そこで、因果のプロセス解明に重点を置く分析社会学という研究プログラムの理論的な基盤とされる本の書評を通じて、因果推論とは異なる、もう一つのタイプの説明の方法について考えたのがこの論文になります。幸い、強力な共著者である前嶋さんの助けを借りることができ、公刊に至ることができました。
オンラインで読むことができるので、多くの人に読んでいただき、忌憚のない意見を頂ければと思います。以上宣伝になります。


社会学に限らず、社会科学における実証の問題に関心がある方には、興味を持ってもらえるのではないかと思っております。

最後に、査読をお受けくださった先生方、ソシオロゴス編集委員会の方々、そして勉強会など通じてアドバイスをくださった同期、先輩の方々に、この場を借りて深謝いたします。

追記:分析社会学に対する評価が甘いとか、そういった批判には首肯せざるえないのですが、今回はあえてポジティブに評価してみました。それと、考察に関する部分は甘くとも、分析社会学が出てくる背景に関してまとめた文献は、日本語では少ないかと思うので、せめてそちらの方面で利用して頂けると幸いです。それと、今日届いたGoldthorpeのSociology as a Population Scienceをチラ見してみたら、結論手前の8-9章が書評論文に近い議論に触れてました。統計的な因果の説明の限界を指摘しつつ、メカニズムが重要というまでは同じですが、彼はやはりRRAの重要性を説くのですね。

December 24, 2015

火水木

火曜日は研究室の大掃除。13時に集合して、院生室を中心に埃を払ったり、不必要なものを捨てたりする作業。掃除するたびに貴重資料が見つかる。院生の連携で無事終了。その後、忘年会で根津。

水曜から例のコーディング。久しぶりに職業コーディングを見て懐かしさを覚える。妙に張り切ってしまい、結構早めのペース。1日目はこくわがた、2日目はアバでランチ。初日の懇親会でも新しく知り合った院生と話す。

水曜は運よく人に会える日だったので、気分よくいせやではつを二本。昔に比べて、クリスマス周辺のざわつきに反応しなくなったかもしれない。大人になったのだろうか。明日もコーディング。


December 21, 2015

外出月曜日

10:00-11:00 寮のスタッフとミーティング、11時に終了後すぐ家を出て大学へ。
12:00-13:00 インタビュー協力者の方に報告書を渡しながらランチ。ルオーのカレー。
13:00-16:00 第9回計量社会学研究会
1時間弱休憩
17:00-19:15 因果推論勉強会。レジュメはちょっと大変だったが、因果推論に対する理解が深まった。この勉強会には感謝している。

切れ目のない1日でした。明日は研究室の大掃除。

December 20, 2015

引きこもり日曜日

基本的に人から頼まれた仕事は断らないようにしている。それが礼儀かなと思うし(一応、その人は自分を見込んで頼んでくれたわけであるし)、自分にとってもいい経験になるかなと思っているためでもある。

とはいえ、頼まれ仕事ばかりやっていると、自分の仕事ができない。最近の悩みである。因果推論の勉強会も、レジュメを作ること自体は非常に勉強になるが、一人が英文70ページを一度に要約するのは結構疲れる。まあ、その中で自分の仕事を両立するのが大切だなと。問題は、頼まれ仕事Aをやっていることで別の仕事Bが進まず迷惑をかけるということかもしれない。

今日はそういうわけでほぼ1日レジュメを作る。午前中は論文を書き、午後2時過ぎまでレジュメ。そのあと池の上に所用で出かけ、午後7時ごろ帰って再びレジュメ。そういう1日。この二日間ほとんどお金を使わなかったので、かなり節約になった。引きこもり生活万歳。

December 19, 2015

引きこもり土曜日

1日引きこもってた。これはこれで幸せ。

9時間すっかり寝て、11時過ぎから作業開始。ニュースをチェックして、洗濯物を干して、13時過ぎに三章をようやく終了。四章はややながく、9時くらいまでかかる。終了後、SWのチケット予約(28日に観に行く予定だったのでまだ開始してなかった)、論文の再投稿をすませる。

コンビニでお菓子を買って、お風呂に長くつかる。歯を磨いて、レポートに手をつけ始める。これで少しづつ論文執筆に入ることができる。

December 18, 2015

金曜日

水曜日は3限のゼミまで家で作業。ゼミの前に図書館で取り寄せしていた本をとる。久しぶりによく眠れたのでコメントも比較的冴えてたような気がする。終了後こくわに行こうとしたが、臨時休業のためカレー屋の弁当ですませる。レジュメのスキャンなど終了し、6時に大学を出る。少し時間があったので、吉祥寺をぶらり。300円に安くなっているクレープと、いせやの焼き鳥。帰宅して作業。

木曜日は勉強会だけだったので時間に余裕があった。午前11時頃に大学へ行き、レジュメを作成。めどがついたところでこくわがた。朝はやく起きたのできま大HGをぺろり。眠かったので久しぶりに三友館で寝る。勉強会終了後、同期たちとメトロで軽くご飯を食べ、帰宅。某カンファのアブストを完成させ送付。某調査の研究会のタイトルも合わせて。

起床して因果推論のレジュメを6ページほど進める。最初はゆっくりやるのだが、時間が迫ってくると雑になる。10時半に永島が起きたことを確認して御茶ノ水へ。Mgくんと3人で、川菜館でランチ。麻婆を二つと、水煮を一つで満腹になる。その足で本郷に戻り、1時過ぎから筋トレ。御殿下で上半身を鍛える。今年はこれで一旦終了。終了後、院生室に戻り若干作業。国土地理院のデータを使って自治体のデータを99年度分エクセルに移す。それと文学部のアドレスの設定、インタビュー関連の仕事をすませて池袋へ。

コンパの店までやや迷ってしまったが、北口の風情を久しぶりに感じる。予想以上に、心温まる話が多かった飲み会だった。いまいち表現しにくいが、人のお世話になることをああいう風に表現できる先生はすごいなと思った。みなさん丁寧な方で、温かく迎えてもらった一年だったことを改めて思う。上の代の人もたくさんくるというこのゼミの特徴はありがたい。データを自分で作る細やかさと、新しいアイデアを生み出す想像力のバランス。明らかにしたい問いをはっきりさせないとと改めて思った日であった。ひとまず飲み会だったということで、明日から仕事を頑張る。

December 16, 2015

カップルタイプ別の妻氏率と人々の夫婦姓に対する意識。

最高裁判決が出ました。少し気になったので、妻氏にするカップルがどれくらいいるのかに関する統計を調べてみました。

厚労省の統計「平成十八年度婚姻に関する統計の概況」 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/konin06/konin06-2.html#2-8

夫婦が初婚か再婚かの4通りで見ると、妻の氏にする割合が高いのは一貫して順に両方とも再婚、妻が再婚、夫が再婚、両方とも初婚で面白い。総数で見た時の妻氏率が上昇しているのは相対的に初婚カップルが減少して再婚カップルが増加したからで一部説明できる。加えて時系列的に見てみるとどの組み合わせのカップルでも妻氏率は上昇している(いろいろと興味深い)。


次に、意識の面での調査。

内閣府の調査だと夫婦同姓に対する支持は平成8-13年の5年間でも減ってる。一見すると、性別よりコーホートの効果の方が大きそう。夫婦別姓を支持する人に自分は希望しますかと聞いた質問、希望についてはそこまでコーホート差がない(希望しないは若くなるほど減る)。

どうやら、態度として別姓支持が増えても、じゃあ自分が別姓を希望するかというとそうでもない。実際に婚姻届を出した人の中では3%しか妻氏を選ばない。結婚したことないからわからないけど、婚姻届出す時にどちらの姓にするかってカップルの間でどれくらい話し合われるんですかね。

最近結婚した先輩方カップルに一番聞きたいことかもしれないけどそんなこと聞けるわけないですね...

December 8, 2015

丹念な記述とその先

疲れているので手短にといきたいところだが、疲れている時ほど1日が濃密で、その凝縮された厚みの中の一瞬、もしかすると自分の人生にとって大きな意味をもたらすかもしれないなんて片平里菜の歌を聴きながら考える。特に理由はないけれど、記憶が明確なうちに何かを残しておきたい。


1日に入ってくる情報が多すぎて手に負えない。学部の頃と比べても量的にも、質的にも、本当だったら耳の右から左へ流れるような話なんてほとんどない。まともに扱っていたら1日がすぐ終わってしまうので、人に流したり、何か合理化したり、そういう機能を働かせながら取捨選択をして1日が過ぎるのだろう。

久しぶりに早く寝て、7時過ぎに起床。朝食を済ませて韓国語の勉強。前回小テストの存在を忘れていて酷い点数を取ってしまったので、今回は名誉挽回のつもりで真剣にやった。結果、おそらく出来は今までで一番良かったかもしれない。韓国語は一回の授業あたりで得られる進度が他の言語と比べて大きな気がする。日本語と文法が似ているからだろうか。いってみれば、コスパがいいのかもしれない。

終了後、ルヴェソンでミーティング。豚肩肉のソテーのはずが、品切れで鶏肉に変更。パンをふた切れ、小さな豆の入ったサラダ、それとコーヒー。前半は本題には入らず、あっちの大学院の事情などについて聞く。現地の最新の状況について、生の声が聞けるのはとても面白い。州立大学の中の多様性や、西海岸の知的潮流など。目指すならトップスクールに応募しろと一言目にいうのは、自分を評価してくれているのかはわからない。いい大学にはとりあえず出しておけという姿勢は勇気をくれる。いろいろ話して、渋谷まで一緒に出る。

昼ごはんは済ませたので、直で研究室に行き、所用を済ませ、社研で大和論文が言及していたWuのGendered Trajectory (Stanford)を借り、赤門棟へ。先生の発表はいつも通り中身の濃いもので咀嚼するだけで質問が浮かばない。議論を聞いていたが、betweenとwithinのうち、後者を不平等というのはどうなのかという、こういう場でないとなかなか話せない根本的な話も出る。自分は、家族の価値の議論を紹介したいなという思いもありつつも、やはり機会の平等の話だけで階層を議論するのもどうなのかなという煮え切らない部分が残る。最後のコメント、マクロな社会構造が個人のライフコースに影響を与え、それが最終的にマクロに戻っていく過程を追うのが重要だという言明は賛成の気持ちと反対の気持ちが入り混ざる瞬間で荷物を収めたバッグを再び開けメモをとる始末だった。階層研究をpopulation scienceとして推進していくなら、人口学の知見を積極的に取り入れるとともに分析単位を世帯にしていく必要があるだろう。発表で出てきた、家族背景、家族構造、家族環境の区分は役にたつ。これに筒井先生の制度的要因と構造的要因を導入して、4,5層の枠で問いを分節化できるかもしれない。


その流れで、Diversity and Inclusion へ。英語ですでに結構話していたので質問が結構しやすかった。日本の女性の7割は結婚後退職する(そのあと、友人との話で現在は6割程度まで減少していること、また結婚と同時の退職は減り、出産後退職が増えていることを再確認)のはなぜかという質問が上がり、発表者が、そういう慣行なのだが詳しい原因はわかっていないというある種衝撃的な発言をする。この手の議論で原因が指摘されてないわけないのだが、考えてみると、幾つも要因が浮かんできて一言で説明できないなという反省をする。しかし、この70という数字のインパクトは小さくない。それに比して、これという決め手の理由が言えないのはいささか寂しい思いがした。このほかにも、なぜ日本ではキリスト教系の学校が多いのにキリスト教とはいないのかという、素直すぎて正面から答えるのが難しい問いが出てきて留学生と一緒の授業の楽しみを最後に垣間見た。

終了後、同期たちと夕食へ。東大前方面のカレー屋で初めてだったが意外と美味しかった。サービスでラッシーをもらう。カレーライス700円にみんなでシェアしたフライドポテト300円。院生室に戻り、明日の発表の用意。1時間で切り上げるつもりが以外と時間がかかって帰宅は深夜に。

帰りの電車は、切れ目なくメッセージが届く空間から遮断された貴重な瞬間で、自分の研究について一番真剣に考えている時間かもしれない。電車の中で40分、帰りのみちで20分ちょっと、いろいろ考える。先の構造的要因と制度的要因の区別に従うと、現在読んでいるBrintonでは、社会学の1カ国研究ではなかなか見られない制度的な理由が比較の際に検討されている。例えば、GoldinのUカーブ仮説のロジックだったり。日本、韓国、台湾を見ていくことで、厚みのある記述に成功しているように見られる。必ずしもこの本は説明的な研究ではなく、欧米の理論に当てはまらない東アジアの状況を、各国の文脈を汲みながら探索的に考えている。とはいうものの、結論としては説明的な主張をしているところも多く、個人的には結構好きなスタイルに入るし、比較研究の一つの在り方かもしれない。自分は問いの立て方が下手なのだけど、いっその事、説明的なというはひとまず棚に上げ、まず日本と韓国の外れ方がなぜ生じているのか(なぜといっているけれど)を比較しながらつぶさに見ていく。その際には、経済学的な理論によるのではなく、社会学の語彙を使って同じ現象を見ていく。そして、その帰結も(人口学の知見も借りながら、できれば)描いていく。結果として、既存の研究ではあまり見えてこなかった、あるいは明確に言及されてこなかった点がクリアに出てくるというのが理想的なスタイルではある。

いろいろ考えながらこうした東アジア比較の文献を読むと、意外と分析単位が狭いような気もする。Brintonの本にはほとんど「男性」がでてこない。いや、タイトルから女性を扱うのはわかるんだけど、女性の結婚行動や就業行動には配偶者の存在なくして語れない部分も多いのでは?とか、必ずしも制度的な要因だけで終わらせるのもどうなのかなとかを考える。まだ頭の中で整理できていないけれど、比較を通じて、家族形成と不平等という近年ホットになりつつあるトピックについて、丹念に記述していく。その先に何が見えるのかはわからないけれど、一度持った疑問は、特に今日のセミナーや本を読んで思った感想は、重要なはずだという直感を持っている。その上で以上のようなことを考えていたので、きっと無駄にはならないだろう。EAのいうような女性の革命の話と自分がいる社会の文脈のギャップが、ある説得的な形で説明できたらいいなと思う。外れ値だからといって、不平等と無縁というわけではないだろう。まだまだ考え中。

December 6, 2015

休日?

前日に立ちっぱなしだったせいか頭痛気味で家を出る。少し遅れて乃木坂での勉強会に参加した後、昼は中華。その足で三田に向かい比較政治学セミナー。内容は専門外でしたが、くしくも日本の特殊性を異なるアプローチから扱う研究が続いていて面白かった。高ゼミの後輩が二人いたり、先学期ライティングの授業をもってくれた先生がいたり、偶然も重なりました。さすがに研究しないといけないので途中抜け。

その後、基本的には研究をしたと思うがあまり記憶がない。。。おそらく日程調整などをしたのだろう。あ、作業したんだった。

日曜は朝活で下北沢。友人と朝と昼を食べながら、勉強。Brintonを読み始めたり、SSM2005の第2巻読んだり。その後池の上経由で蔦屋書店で作業。ひきつづきBrintonを読む。

自分の修論は家族、不平等、世帯、比較などがキーワードになってくるが、それとは別に論述のスタイルとしては、客観的に異なる立場を記述していった結果、いつのまにか最初の出発点からは予想もされなかった結論を引き出していたい。途中まで、先行研究と同じやり方で通るのだが、ちょっと視点を変えるとこれだけ違って見えるというのはスタイルとしては憧れる。

女性の労働市場への進出はそれ自体として重要なトピックではあるが、Brintonの本は労働市場を強調しすぎてて、配偶者の姿が見えてこない。需要、供給といった部分以外にも、個人はいろんなものに反応しながら行為をするはずだろうと考える。学歴も、単に労働市場へのシグナルや人的資本の獲得といったものに回収されない地位の側面があると考えても良いはず(同じ現象に対する多様なアプローチが増えることは歓迎すべきだろう)。その一つが同類婚や上昇婚だったりするはず。世帯に単位を拡張して、比較。そこで見るのは経済的な階層性だけではなく、学歴間の障壁だったり、そういうもう少し社会学的な部分によっていきたいと思う。

December 4, 2015

木・金

やはり平日は忙しい。木曜日は2限のゼミで文献報告があったので、前日夜遅くまでその用意。朝、へとへとになりながら1限のゼミに出向く。絶対に休めないゼミが1限にあることが平日のQOLをやや下降気味にしている。まあ、これもあと一回。2限のゼミは文献を誤読というか、読解が不十分で先生の解説の妙を見せられる。

終了後、講演会があるまでご飯を食べたりメールに返信したり、人と話し合ったり。空いた時間が最近そういう時間に消えていく。疲れてしまったので講演会は半分くらい寝てた。

5限はライティングだが、謎の展開を見せる。先生がいきなり英語学科の開催するセミナーに行くと言い出し、アカデミックプレゼンテーションのいい勉強になると言っていたが、もう明らかに授業やらないでそっちのセミナーを見たかったのがバレバレだった。

発表を聞く、という任務を終えて院生室に戻る。その日でひとまず忙しさに切りがついたのでみんなとご飯を食べる。

金曜は午前中に永田町の某所でインタビュー、その後こくわ経由で大学へ。本を借りたり、三四郎池で写真を撮ったり、しばしくつろぎの時間。17時に赤坂へ向かい、番組収録の観覧。Goosehouseを初めて生で見ることができて感動。おまけに子供の頃からおはスタでよく見ていたベッキーがMCをしていて、こちらも感動。

ライブ形式の番組なのでずっと立ちっぱなしだったので疲れて吉祥寺に。ギリギリ食堂の時間に間に合わないと判断していせやに入るが、こちらも閉店、仕方なく向かいにある沖縄料理屋でソーキそばを食べる。この質で値段は張るのは居酒屋仕様だが、胃に優しいので好んで食べる。帰って作業して明日は分析と文献を処理したい。ただ、午後4時くらいまでは予定がある。日曜かな。。。

December 1, 2015

潜在変数アプローチと構造主義

昨日の夜は修論のことを考え出して全然眠れなくなっていた。理論基礎で構造主義の紹介をしていた文献を読んで、構造主義のいう構造と社会学でいわれる構造の違いについて帰りながら少し考えていた。基本的に、(コンテンポラリーな)社会学の理論では、最初から強めの分析枠組みを定義して、そこから演繹的にこうなる、こうなるとはせずに、そういう概念みたいなものは最低限に抑えて、つぶさに現実を記述していってから言えることを考えていく傾向にある傾向が強いのではないかと考えている。そこで必要とされるような理論は、何かを説明しようとするような枠組みというよりも、物事を記述するために最低限必要な道具という位置付け。階級にしろ、行為の四類型にしろ(作った当人たちの中ではどう使われるかなんて念頭になかったろうが)社会学の知的伝統の中で培われたもろもろの概念は、社会的な現実を理解する際に有用なものが多い。

ブルデューの理論を継承して新しい階級枠組みを提示しているSavageの研究もそういう傾向の中に位置付けられるかなと思った。彼はブルデューに習って、経済資本、社会関係資本、文化資本と階級を構成するような要素を上げていき、潜在クラスをもちいて階級を提示している。

この潜在性というのは、構造主義のいう構造に近いのではないかと考えていたのが昨日。Savageの研究は、階級を僕たちが明示的に意識できるものとして捉えるのではなく、諸要素を組み合わせることによって見えてくる潜在的なものとして定義したのではないだろうか。潜在変数アプローチは、どちらかといえば構造主義的な発想に近いのかもしれない。


自分は、学歴という変数に注目して同質性の強さを考えているが、そこでいう学歴が何を表しているのかについては、一致した見解が見られないような気がしている。ある人からすればそれは人的資本だが、「学歴」というからには、それは一種の(境界線を作り出すような)ステータスだと考える人もいる。一方で、学歴を、それに代表されるようなライフスタイルを象徴するものとして捉える人もいる。こうした比較検討がされないまま、なんとなく学歴を使用した分析は同じ土俵の中に立っているのではないだろうか、それじゃ自分の修論はどう考えよう、そういうことを考えていたら夜が明けていた。実は、同じ学歴のペアという同質性が何によって引き起こされているのかを考えるときに、学歴と関連する機会構造ではなく、人々が学歴に対して何らかの選好を持って行動すると仮定するときには、上記いずれの三つでもそれなりに真っ当な説明が(学歴の背後にある変数を考慮しないと)鼎立してしまう。要するに、学歴や職業といった変数を顕在的なものとして捉えたときに、複数候補があるうちで何がその背後にあるのかについて考察していないということだ。


2限が韓国語の授業で小テストがあることをすっかり忘れており散々な出来、一方で会話の暗記は完璧にできた。授業後延滞していた本を返し、こくわがたで冷大HG生玉、途中文献の複写依頼をしていたものをとりにいったり、自転車に空気入れたり。院生室で校正と四谷ゼミの文献購読。及び木曜のゼミのまとめ。5限にDiversity and Inclusionで学生のプレゼンを聞く。夕食はキャンパスにて。帰宅後、届いていた眼鏡の新しい鼻当てを取り付けようとするが、ネジを床に落とす失態。結局代替物で処理。その後温泉ワーク。


追記:例えば、学歴を人的資本が顕在化したものとして捉えるのならば、学歴間の同類結合の分断の少なくない部分は、その学歴によって予測される生涯賃金によって説明できるはずだ。仮に生涯賃金と学歴結合の間に関連がないとすれば、異なる学歴の間には地位集団に相当する境界があると想定するか、学歴に代表されるような価値観や文化的嗜好が分断を説明する要素として存在するという仮説が候補として浮かび上がるだろう。