September 29, 2021

秋学期5週目

 火曜日、書店でgenetic lotteryを購入した。早速、3章まで読んでみたけど、双子からGWASまでの流れをユーモアを交えながら、わかりやすく解説している。

水曜日はこれまで同様(前後に同じ建物でティーチングがあるので)東アジア図書館でオフィスアワーを過ごしていた。ここに滞在する利点は、オフィスアワーという誰か来るかもしれないという潜在的な緊張感で普段の仕事に手がつきにくい厄介な時間を、日本語書籍をざっと見る時間に活用できる点にある。そんなこんなで、いつものように日本語の本を見ていたところ、以前少し話した司書の人と話し込み、なぜかわからないけど濱口竜介監督がプリンストンに来た話を聞かされたあと、その人の旦那さんが私が昔アルバイトをしていた先生の友人であることがわかった。こんな偶然があるのかと驚いたが、すぐオフィスアワーの時間に来た学生と話すことになり、今度ゆっくりご飯を食べながら話すことになった。

木曜日は魔女の宅急便がプリンストンの映画館で上映されていたので、見に行った。アメリカは観客の反応が大きいので、家で見たことがある作品でも楽しめる。 キキが魔法を使えなくなり、山小屋のお姉さんに私も絵を描けなくなるよと慰められるシーンで、論文書けてない自分は号泣。

今週は(これを書いているのは翌週だが)、対面のイベントが多すぎたので土日はゆっくり一人で過ごすことにした。


September 27, 2021

留学相談のもどかしさ

 私みたいな人間にも進路相談に来てくれる奇特な人がいて、アメリカの社会学博士云々について質問してくれるのは嬉しい。

一応、来てくれた人の当時の所属などは記録してて(結果的に出願したかどうか気になるので)、先日一つ相談を終えた後に見返したら、今まで相談に来てくれた人は全員男性だった。私自身、東大にいたから後輩も男性が多いのはしょうがないところもあり、さもありなんではあるのだが、周りの日本から留学してる人を見ても、男性が多い。アメリカの博士課程にいるのは男性よりも女性の方が多いので、この傾向は非常に珍しい。お隣の中韓台湾の留学生を見ていると、男女は等しいくらいだと思う。

上の話はそれ自体重要な問題ではあるけれど、今回書くのは違う内容。

進路相談で聞かれたことにそのまま答えればいいのかもしれないが、質問に対する答えは、だいたいケースバイケース、みたいになってしまう。正直、日本から留学する人はケース数が少なすぎて全体的な傾向など語れる気がしない(でも、聞く側としてはyes/noで答えて欲しいんだろうなと思うと、もどかしくもなる)。

典型的な例は、学部からストレートで行けるのか、修士を日本でした方がいいと思うか、という話。

経済学などに比べ日本の社会学修士はコースワークがしっかりしているとは言えず、別にアメリカのコースワークを真似ているわけでもない。従って、そこで良い成績を取ったからアメリカの博士に合格するチャンスが増えるわけではないと思う。一方で、自分自身は日本で修士をやれてよかったと思っている。例えば、私自身日本を対象にした研究をしているので、日本にいる時期に学会や研究会などを通じてネットワークを作れたことなどが挙げられる(もちろん、学部から修士にかけてこういったネットワークを築けたのは自分が東大にいて、指導教員が大きな科研を動かしてたという事情もあるので、これもあくまで一事例に過ぎない)。

学部から直接は理論的には可能だけど、数が少ない。でもこれはそもそも学部から出願する人が少ないからかもしれなくて、受かりにくいのかはよく分からない。

以上まとめると、ケースバイケース。こうした典型的な質問というのは、だいたいいつも聞かれて、上記のような長ったらしい説明をするので、だんだん自分の方も飽きてくるところがある。突き詰めると、「〜〜したら合格に有利/不利」という大学受験と同じようなロジックの質問がくると少し困る。もちろんそういった戦略的な部分は大切だと思うけれど、博士課程も後半になってくると、一番重要なのは、何を研究したいのか、そしてその研究を誰のもとで、どのような環境でしたいのか、これに尽きると思うようになってくる。

そこをまずfixさせた後に出願校を絞ったり、具体的な戦略を考えるという順番がストレートな気がするけれど、関心が定まっていない人は逆から始めたがる傾向があるような気がしている。関心が定まっていない場合には相談に来てほしくないと言っているわけではない。そのステージであれば、もう少し違った質問もできるだろうとは思う。例えば、ウィスコンシンやプリンストンの研究環境はどうなのか、東大と比べてどこがいいか、悪いか、そういう話ならできるし、おそらくそれは進路を考える際には無駄な情報にはならないと思う。残念ながら、そういう質問が来ることはほとんどない。

スコア的にプリンストンやハーバードに入れるチャンスがあっても、そういう人はごまんといるので差異化にはならない(し、私みたいにスコアが全然足りなくても変な理由で来てしまう人もいる、多分)。他の人が真似できないアプリケーションとは、結局自分が大学院で何がしたいか、それがどうして重要で面白いのか、自分がその問題を解けるポテンシャルを持っているかを論理的・説得的に示すことだと思うので、関心が定まっていない人には、本当に表面的な、ケースバイケース的なアドバイスをするほかない。

英語の勉強をしておくに越したことはないけど、あまり焦らず、ひとまず何を研究したいのか、それに時間を費やすことを優先した方が良いのではないかと思う。もちろん、出願前の人にとっては戦略的な部分に目がいってしまうのもわかるので、自分の考えは選抜を終えた人間ができる偉そうなコメントの類かもしれない。

進路相談で表面的なことを言ってお茶を濁すだけでもいいのだが、上記のような本音じみた話をしてしまうと、結果的にdiscourageしてしまうこともあるようで、そこは反省している。そして、反省しているうちに、自分もadmission経験も古くなり意味がなくなるか、あるいはアメリカの研究大学に就職できていれば、そちら視点の感想を垂れ流すようになるかもしれない。

September 26, 2021

何が面白い研究、ではないか。

 自分はアメリカオーディエンス向けに日本事例を面白いと思ってもらえるようなフレーミングで論文書いてるけど、そのフレーミングを必ずしも共有しない(日本の)オーディエンスに報告しても、ピンとこないのは仕方ないかなと思う。日本とアメリカ両方の社会学の人に面白いと思ってもらえる研究がしたい。

その過程で生じうる非本質的なミスコミュニケーションは極力排除すべき。これは自分でなんとかできる部分、できない部分がある。できない例:最低限知っておくべき方法的知識のラインが高くなく、日本のコースワークの多くでクオリティコントロールができていない。古いコーホートほど、個人差が大きい。

その帰結として、アメリカで報告するように報告すると、オーディエンスにとって必要な説明を飛ばしてしまうことがある。本質的な解釈が重要なので、メソッドについて必ずしも詳しくない人にも、それが何を意味しているのか、説明を適宜加えることで、多少ミスは減らせると思う(前回の学会報告の反省)。

ちゃんと理解・解釈してもらった上で、自分の研究が面白くないのであれば、それは一つのフィードバックなので、とてもありがたい。次、面白いと思ってもらえるように頑張る。

September 23, 2021

秋学期4週目

 もうあっという間に学期も3分の1近くが終わろうとしている。ゲノミクスの授業では、幸いオフィスアワー2回とも学生が来てくれて、望外の喜びだった。

一方で、学生からもう少し社会学っぽい話をしてくれないかと言われた。当たり前と言えば当たり前だけど、社会ゲノミクスの授業で行動遺伝学101や分子生物学101みたいな授業をしても学生のニーズは満たせない。一方で、そうした101的な知識がないと、GWASの重要性も分からない。今は遺伝研究の歴史として双子や候補遺伝子を扱ってるので、もう少し我慢して欲しいなと思う。

今日の授業では候補遺伝子は偽陽性ばかりなのでゲノムワイドの時代には厳しくなっています、という話だけでもよかったけど、加えて遺伝子を操作変数に使った因果推論の話をして単一遺伝子も捨てたもんじゃないと言おうとしたところ、10分で要約する力が自分にはなかった。学生もエコノメ取ってれば違ったかもしれない。

今の社会ゲノミクスはいろんな分野の専門家が混じり合ってできてるので、前提知識のハードルが高い気がする。ドラクエ6でいうところの賢者みたいな職業。学部生向けの授業にしていくためには、もう少し敷居を低くしないといけない気がする。

September 18, 2021

秋学期3週目

なんか今週は本当に疲れた、月曜にファカルティとミーティングし、火水木は授業、木金のワークショップで報告とコメント、その他ミーティングや夜にウェビナー、研究。

とはいえ程度の差はあれ必要とされているから忙しいところもあるので、感謝しないといけない

September 8, 2021

秋学期2週目

 昨日は東大でセミナー報告があった、かなりプレリミナリーな分析だったが、それなりに人も来てくれて、コメントももらえたのでよかった。今日コメントを踏まえて分析してみて、説明できないところが多いが、一つ光明が見えた気がする。

午前中はR&Rをもらった論文の修正だった。この論文では自分はsubstantiveには知識がなく、分析で協力しているが、出版されればその道では必ず引用されるものになり気がする。

TAをすることになっている社会ゲノミクスの授業はいくらか混乱があった。まず先生が諸事情で数週間授業ができなくなったため、急遽シニアの先生がピンチヒッターに出ることになった。シラバスも公開が遅れ、その間数人キャンセルが出た(送れなくてもキャンセルしたかもしれないが)。公開されたシラバスを読んでみると、どうやらPLINKを用いてGWASを走らせるらしい(そんなの聞いてない苦笑)。初めて開講される授業だからstructuredされてなくていいかなと思ってとったが、unstructuredすぎて先が若干思いやられる。

ちょうど彼と話をしている時、ふと先生が学生に発表させた方が学生はよく学ぶし、こっちも講義資料を用意して話す必要がなくなるからウィンウィンだと漏らしてた。一理あると思うけど、難関校でしか通じない方法かなと思う。

若い先生ほど張り切って教えようとするけど、手を抜く術を身につけないと研究もできなくなるというニュアンスを感じた、ある種の隠れたカリキュラムかもしれない。

土曜。学会に参加しているような参加していないような変な気分の二日間だった。数理とかならズームでも「学会」感があるんだけど、初めてだと誰に向かって話しているのか見失う時がある。時節柄注目されるテーマなのかタイトルが過激だったからかわからないけど100人近く報告聞きにきてくれたのは予想外だった。自分の経験だったり考えは偏ってるので、n=1でも実感ベースの話をしてくれるとすごく安心するし、自信を持って研究できる。

September 5, 2021

秋学期1週目

 プリンストンでの3年目が始まった。自分は入学年度で数えると3年生だが、ウィスコンシンに1年いてから転学したので、社会学部は自分のことを4年生として扱っている。毎度学期の始まりは自分が何年生なのか、分からなくなる。説明するのがめんどくさいという意味では、自分の出身地を英語で聞かれた時と似ている(茨城と言っても誰も知らないのでnear Tokyoと言っている。出身を聞いてくる人の頭にあるのは東京、大阪、京都、神戸くらいなのだ)。

今学期は博論を進めつつ、主としてティーチング義務を終わらせることが目標になる。社会学部では、博士候補になる頃にはティーチングは終わっているのが通常だが、自分は転学してきた都合で、1年目にティーチングができなかったのがハンデになっている。週2回のレクチャーに加えて、3セクション+オフィスアワーは正直時間が取られるが、自分が勉強したいと思っている社会ゲノミクスの授業にアサインしてもらったので、教えるのが学ぶことへの最短経路と思って覚悟している。

それでも流石に、平日の火水木曜の午前から午後がぽつぽつとティーチングで埋まっていると、なかなかまとまった研究時間がとりにくい。zoomが浸透してしまったので、ウェビナーの数も増え、それだけならマシだが遠隔の人とのミーティングも増えている。共同オフィスでzoom会議に参加するわけにもいかず、音響設備が整っている家を選びがちになり、ずっとオフィスにいることが難しい。

コロナ禍で爆発的に増えたウェビナーの類いも、始めたらやめにくいようで、in personには戻らずに学外の人も参加できるようなウェビナーを続けているところも多い。どうしても参加できると参加したくなってしまうのが人間の性で、情報の取捨選択により意識的になる必要性を感じている。in personの学期を再開しながら、コロナ禍で行っていた東アジアにいる人とのウェビナーにも参加していると、昼も夜も働き詰めになり、バーンアウトしてしまうかもしれない。

本来であれば、査読に落ちた博論の第2章を改稿して再投稿するのが目標だったが、メンターの先生と出していた投稿していた論文が6ヶ月近く経ってようやくR&Rが来て、今週はその作業に6時間ほど使ってしまった。もっとも、一番時間をかけたのは、博論第3章にすることにした選抜的大学における女性の少なさに関する論文で、これが忙しい。徐々に定まってきた論文のフォーカスは間違っていない気がするが、穴だらけでそんなすぐに全て埋まる類いのものではない。そんな状態でフィードバックをもらうと、さらに穴が見つかり(それ自体は感謝している)、一向に終わる見込みがない。直感的にはあと2ヶ月くらいはこの論文をメインに取り組まないと、先が見えてこない気がする。ただ、何かが見える感覚はある。それ以外にも、日本で出版されるコロナ禍に関する本の1章の校正、springerから出る本の校正、奨学金をもらっている財団への報告書、readi seminarのオーガナイズなど、教育・研究業務以外の仕事も盛り沢山で息を休める暇が全くなかった1週間だった。研究の方では、アメリカ人口学会に提出する第一著者の論文が二つ、それ以外の論文が二つある予定。

かろうじて3本ほど映画を見ることができ、少しばかり息抜きになった。

日本は学会シーズンで、今月は数理、家族、教育の三つにエントリーした。自分は英語で論文を書いているけれど、欲を言えば日本の人にも読んでもらいたい。日本の人に読まれない日本研究とはなんぞや、という変な意識もある。彼らにも引用してもらえるように、自分の研究をセールスしに行く必要がある。カセットコンロを売るときに、どういう仕組みでカセットコンロが動いているかを説明する必要はない、ただこのカセットコンロは役に立つことをわかってもらえれば、それでいい。

口で言うのは簡単だが、実際はなかなか難しい。カセットコンロをふだん使わない家庭にセールスに行っているからだ。アメリカのオーディエンス向けに報告する内容をそのまま翻訳するだけでは、日本のオーディエンスに関心を持たれないことがある。これを知的関心が共有されてないと言ってしまうのは簡単だが、自分の仕事は、アメリカのアカデミアで大事にされている研究の一つとして自分の研究を位置付けつつ、その先行研究を広報しながら、日本の研究者にも納得してもらえるような知見を提供すること。これはかなり大変だと、徐々に気づき始めている。

学会によっても毛色は違う。例えば、数理は良くも悪くも理論フリーな世界なので、どんな研究でも食わず嫌いなく、コメントをもらえる。先行研究に根ざしたコメントが来ることは少ないが、その場で思ったことを言ってもいい雰囲気があり、確かにそういう可能性もあるなと気付かされるという意味では、非常に助かっている。

そんな訳で、昨日は数理でポスター報告(深夜2時まであり疲れた)、今日は家族社で報告(報告するたび、いまいち納得してもらっていない雰囲気を感じる、家族社会学者向けのパッケージングは改めて考えないといけないと反省した)。また、月曜には東大の日本研究所のセミナーで報告、来週末には教社で報告、最後に再来週にインディアナ大のワークショップで報告がある。家族社以外は、同じ内容で報告するが、オーディエンスにかぶりがないので、いろんな視点からフィードバックをもらえることができるのは非常に有益。今月は多すぎだけど、それでも今学期は毎月2回くらい報告機会がある。問題は、自分に全てを消化し、反映する能力がないこと。

休日は積極的に人に会うようにしている。コロナ禍で人と話せなくなって、頭が硬くなっているのを時々感じるからだ。平日の忙しさで家でのんびりしたくなる気持ちもあるが、土日のどちらかにはキャッチアップの機会を設けている。今日は、東大からプリンストンに交換留学しにきた学部生、および東アジア学部の関係者とお茶。その後に友人とキャッチアップ。学ぶことは多い。特に普段接しない年齢の違う人からは若い人もシニアの人からも、刺激を受ける。

September 1, 2021

大学進学におけるリスク回避の男女差

サマースクールが終わってから2週間ほど、「難関大学になるほど女性が少なくなるのはなぜか」について改めて考えていました。既存の説明に対する不満は、日本に関してのみ当てはまるアドホックさにあり(例:男子校、もちろんそれ自体は説明として大切ですが、日本特殊すぎるとレバレッジに欠けます)、それが気になって他のコンテクストにも応用できそうな話を考えていました。

経験的にわかることは、端的にいうと日本の大学進学では女性は浪人しづらく(浪人すれば翌年、難関大学に受かるチャンスは増える)、高校1-2年の時に国立大学を志望していても3年時に私立や短大に変えやすく、さらに推薦入試を受けやすい(加えて、もしかすると志望順位をセンター前後で低くしやすいのかもしれませんが、それは今持っているデータからはそもそも観察できず)のですが、問題はそれがなぜ生じるかです。

たしかそんな折に社会心理学の文献を読んでいたら(なぜかは思い出せない)、どうやら女性の方が自分の能力に自信を持たない傾向にあるらしいと指摘されていました。そこで、例えば共通試験で同じ点数でも、女性は自分の点数をネガティブに考えてしまう(C判定を合格率が50%「も」あると考えるのか、50%「しか」ないと考えるのか)のかなと思い、しばらくその線で論文を書いていたところ、サマースクール中にあったスタンフォードの院生から、行動経済学の研究(Niederle and Vesterlund 2011など)を教えてもらい、そこでは女性の方がトーナメント的な環境を好まないとする知見が実験室、および実際の観察データからも支持されていることが指摘されていました。これはつまるところ、勝者と同時に敗者が決まるような競争システムは男性有利に働いていることを示唆しています。

また、女性の方がリスク回避的な傾向があることも、浪人という1年かけて確実に受かるわけではない試験を再受験するリスクをとるより、第一志望ではなものの高い確率で合格する指定校推薦などを選択する要因になっているのかもしれないと考え、その時はこのアイデアを大学入試に応用した研究を見つけられず、期待半分・不安半分で論文を書き進めていました。しかし、ここ数日で教育経済学の雑誌などでアイルランド(Delaney and Devereux 2021)、フランス(Boring and Brown 2021)、トルコ(Saygin 2016)で女性の方が選抜的な大学を志望しにくい(選抜度の低い大学を志望しやすい、つまり滑り止めを受験校に入れやすい)ことが指摘されていていることが分かりました。志望校を複数選べる一方で試験は一発勝負のトルコに至っては、日本のような浪人が存在するようです。女性の方が滑り止めに出願しやすいので、トルコ版浪人にも女性は少なくなります。

というわけで、大学進学における男女の心理的特徴の違いから難関大学の男女差を説明するだけでは、いくら日本の独特なコンテクスト(例:私立に比べて入試機会が限られている国公立大学の存在など)を強調してもトップジャーナルを狙うのは難しいかなと考えています(と同時に、この仮説を考えていたのは自分だけではなかったんだ、という安心感もあります)。現在分析に用いているデータは高校生だけではなく、その親にも答えてもらっているので、今後のポテンシャルな展開としては親子間でリスク回避志向や競争への選好が伝達するメカニズムを分析に組み込むと面白い気がしています。

ちなみに、リスク回避などの心理学的特徴はある程度遺伝し、また親の遺伝していない遺伝子も家庭環境を通じて子どもに伝わることは容易に想像がつくので、今度はリスク回避志向の男女差がなぜ生じるのか、遺伝的・非遺伝的メカニズムを峻別すると面白そうです(完全に別の話)。遺伝的に同じリスク回避志向を持つ傾向にある男女も、おそらく男性の方がそうした遺伝的ポテンシャルを発現しやすい家庭・教育環境に置かれると考えられるのですが、具体的にそれが何なのかを確かめるのは、社会ゲノミクス的には結構面白い気がします。