March 28, 2020

家族人口学セミナー第2回:ユニオン形成

Sassler, S., & Lichter, D. T. (2020). Cohabitation and Marriage: Complexity and Diversity in Union‐Formation Patterns Journal of Marriage and Family, 82(1), 35-61.


来週の家族人口学セミナーの予習でJMF decade reviewをまた読み始めたところ、この論文が現在の関心を一番包括的にまとめてる気がしました。私の関心は家族人口学全般ですが、やはりメインはユニオン形成ですね。20年後にこういうレビューを書くのが目標です。

このレビューは(アメリカらしく)経済格差の拡大とユニオン形成の関係を強く押してるのですが、大恐慌の部分は色々な研究を生むことになったと、やや曖昧に書いています。アメリカに絞ってもう少し家族を広く捉えたもう一つのdecade reviewでは、大恐慌と結婚率の減少には関連がないと強く主張してて、溝を感じます。

Smock, P. J., & Schwartz, C. R. (2020). The demography of families: A review of patterns and change. Journal of Marriage and Family, 82(1), 9-34.

今回のコロナの件で、ますますマクロで見た労働市場の変化が家族形成に与える影響については研究が進む気がしますが、これはマクロ経済学者が絶対にゴリゴリ研究してると思うので、どれだけ手を出すかは迷うところがあります。

1本目の論文は国際比較にも言及してるのが有り難く、ヨーロッパに比べアメリカの方がユニオン形成とSESの関連がはっきりしていると言ってくれてるのは良かったです。恐らく、これは福祉が市場ベースなのが関係していると思います。同じロジックで、日本も(特に男性において)SESとユニオンの関連が強いでしょう。

アメリカの社会学者は基本アメリカを前提に議論するわけですが、アメリカもやはり非常に特異な社会なので(日本も同じくらい特異ですが)、大きな問い、フレームワークはアメリカの先行研究から持ってきても、コンパラティブな視点で(実際に比較するかは別として)研究を進めたいと改めて感じました。

そういう意味で私も広義の(ポリサイ的な意味での)比較社会学をやってるのかもしれないですが、社会学の比較は実際に比較しないといけないため、やや入りづらいところがあります。一応マインドはcomparative family demography / social stratificationを自称したいところですが。

1本目の論文は比較の視点で書いてくれているのはありがたいのですが、全て比較しているわけではなく、それはアメリカでしかまだ研究が積み重なっていない分野もレビューしているからだと思います。恐らくこの10年で蓄積されるのでしょうが、経済格差との関連でいえば、例えば大恐慌の影響が他の国でもなかったのか、あるいは福祉制度との関連でアメリカは(これは私の推測ですが)富や貯蓄、保険といった指標も家族形成と関連しているのですが、同様のことが他の市場ベースの福祉制度を持っている社会に適用されるのか、気になるところです。

March 27, 2020

COVID insights - UK debate

Coronavirus may have infected half of UK population — Oxford study
https://ft.com/content/5ff6469a-6dd8-11ea-89df-41bea055720b 

This FT article briefly summarized the ongoing debate on the spread of COVID-19 in the UK. Oxford study is based on SIR model, a textbook method in epidemiology. As the results section of the paper cited in this article argued, one assumption in Oxford study is that only a small fraction of the population is at risk of severe disease which leads them to death. I understand the logic but to me this assumption sounds a bit too strong.

死に至るような人口は一部の高齢者など(人口の0.1~1%)に限られると仮定して、これだけ死んでいるのだから既に人口の半分近くが感染しているだろう、という想定でSIRモデルを立ててる、ちょっと強すぎる仮定にも見える。pをどこに設定するかは置いておくとして、このモデルが妥当であれば、高齢者割合が高い一方で死亡者が少ない日本のようなケースでは、まだ感染者割合はイギリスよりも少なそうだ。

Actually the letter to this article made a similar point. It seems Oxford study's assumption is not empirically supported. This suggests that Imperial College London study is more plausible? Not really. Their estimates were revised to downgrade the projected deaths a few days ago (source), so their results sound not so scary as it was before the estimates corrected.

結局のところ、論争になってるインペリアルカレッジの研究も推定値を修正しているし、オクスフォードの研究も仮定が経験的にサポートされてないし、注意深くみないといけないですね。

March 26, 2020

家族人口学セミナー第1回:家族の複雑化

(自分の中では)コロナもだいぶ落ち着いてきたので、家で割合集中して研究できている。授業が再開してペースメーカーになっている部分もある。

火曜日になるが、half termで開講している家族人口学の授業の初回があった。講師は私の指導教員であり、これが彼にとってプリンストンで最初の授業になる。私も彼の授業を受けるのは実を言うと初めてだったので、非常に楽しみにしていた。

ところがコロナのせいで、初回からzoomで議論するという、気まずいといえば非常に気まずいスタートになってしまった。参加人数が3人+先生なので、他の参加者はオンラインに移行するようになってからキャンセルしづらかったかもしれないが、残ってくれた。私は指導教員と学生の一人を知っているので気まずさはなかったのだが、他の人が私と似たような感触だったかといえば、そうではないだろう。

アメリカの大学院セミナーでよくある、1回に5-6本の論文を読む3時間のセミナーである。最初は、3時間のゼミをzoomでやるのは疲れるのではないか、と思っていたのだが、意外と私は楽に感じた。この授業に限らず、zoomを使ったオンラインのミーティングの方がリアルよりも疲れない傾向にあり、その理由はまた時間があるときに書きたいと思う。

さて、今回のトピックはfamily complexity。これはアメリカの家族研究では一種のバズワードになっているが、要するに家族が複雑化している、という記述的な命題で分析的な価値はほとんどない。この話に限らず、家族研究で使われる概念はほとんどが記述的なもので、理論的な説明はかなり雑に終わっている。それは家族の変化というのが様々な背景から構成されるそれ自体として複雑なもの、ということもあるだろうが、家族研究者が家族の変化をtemporalに語るときには、趨勢的な命題になりがちで、そのあたりの実証の精度はあまり重要になっていない。ひとまず、どれだけ、どういう人において家族が変化しているかが大事なのである。

この複雑化命題自体も(なぜか)アメリカの(なぜか)1960年代の核家族世帯をレファレンスとした上でfrom convergence to divergenceと言っているのだが(convergence命題としてはGoodeがよく引用される)、どちらかというと複雑化がなぜ生じているのか、ではなく、なぜある一時期において家族が非常に均質的だった(と思われていた)のかの方が、問うべきものになる気がするのだが、現代の研究者はあくまで過去の便利なところをレファレンスにして、そこから社会が変わったことを語る傾向にある。

複雑化の具体例としては結婚の遅延、離婚・非婚出生の増加、half-siblingの増加(親から見るとmulti-partner fertility)、同棲やsexual gender minority coupleの増加、さらにそれらの家族の変化が社会経済的の地位と関連しつつ多様化している点などがあげられる(+これらがパッケージとしてまとまって生じていることも含意に含まれる)。理論的なバックボーンには有名な第二次人口転換論(SDT)があるのだが、アメリカ的にはそこにSESによるdivergenceを加えるのが通説になっている。単純に多様化しているだけならSDTの含意と何が違うのか、と言われればそれまでだが、アメリカの社会学者はやはりinequalityに注意している傾向が強いので、例えばそうした複雑化する家族形成が次の世代にも連鎖するのか、それが子どものwellbeingにどういった影響を与えるのか、といったトピックもこのテーマに包摂されている。こうした「効果 [effect]」に傾倒する場合、例えば離婚の因果効果を推定する際には、セレクションの問題が生じてくる。

私からすると、介入できない問題に対して因果効果を求めること自体に価値を見出すのがよくわからないのだが、最近は少し考えを変えて、むしろどれくらいセレクションによって説明できるかの方が、アメリカの家族研究者の関心を踏まえると重要なのではないかという気がしている。

これには、もう少しアメリカン・コンテクストの家族研究を挟んだ方が良いだろう。先ほど、家族形成の変化が格差を伴って進行しているという議論がアメリカの定説だとしたが、この議論の先達は、本学に在籍している大御所研究者、サラ・マクラナハンである。2004年のアメリカ人口学会の会長講演論文が非常に有名だが、その論文で彼女が提唱したdiverging destinies(分岐する運命、と私は訳している)はアメリカ版のSDTと言ってもよく、非常によく参照されるフレームワークだ。ここでもなぜそうしたことが生じているのかの説明はラフだが、一方で、家族形成の変化とSESの関連は丁寧に見ている。おおよその主張をまとめると、かつて多数派だった安定的な家族形成を歩む人は少なくなりつつあるが、高学歴・高階層のグループではこうした家族形成が主流のままである一方、多様かつ不安定な家族形成パターンは低学歴・低階層のグループに集中している、というものである。彼女のdestiniesの部分には、そうした家族形成の多様化が世代間で連鎖し格差の再生産につながるのではないか、という示唆が含まれている。彼女の主張には論争的な部分も多々あるが、それも含めて非常によく引用される。

彼女はウィスコンシン大学時代に同僚のサンドファーとひとり親家庭の子どものウェルビーイングに関して検討した最初期の研究所を残しており、この本自体は日本でも離婚やひとり親家庭の研究をしている人がよく引用している。その後、プリンストンに移籍したマクラナハンは、Fragile familiesというアメリカの都市の病院で生まれた子どもをサンプリングしたlongitudinal surveyを開始している。このFFから生み出された研究成果は多岐にわたるが、 例えばmultipartner fertilityの研究などは、この調査が果たした貢献は計り知れない(と思う、実はそこまでフォローはしていない)。

この調査のポイントであるfragileの部分はサンプリングにも反映されており、unmarried birthsで生まれた子どもがオーバーサンプリングされている。fragile(あるいはfragility)という概念はfamily structureとfamily stabilityの二つで構成されており、structureは出生時点の家族構造で、具体的には結婚したカップルのもとに生まれた子どもなのか、非婚出生なのかが重要な差になる(さらにいうと、非婚出生にも同棲相手がいる母親と、出生時点でシングルマザーの人に分かれる)。次にstabilityの部分は、ある時点までにどれほど家族構造の変化を経験するかという指標になる。これには、結婚カップルが解消することや、シングルマザーがパートナーを見つけること、さらに違うパートナーとカップルを形成することなどが含まれる。研究が蓄積するにつれて、ひとり親は二人親に比べると子どもが不利なアウトカムになりやすい傾向にあるが、ひとり親の中でも一貫してシングル(これはこれでstableといえる)の場合の方が、複数のパートナーシップを経験している非婚出生のグループよりもアウトカムが良い(悪くない)、といった知見が出ており興味深い。つまり、ある家族構造の状態にあるかどうかと、それが安定的に持続するかどうかは、子どものウェルビーイングに独立の影響をもたらしていると言ってもよいだろう。

さて、やや遠回りをしたが、これらの議論では「誰が」複雑・不安定な家族形成を歩みやすいかが、家族の複雑・不安定性が子どものアウトカムに与える「効果」を特定する文脈では重要になってくる。セレクションの問題である(Waldfogel et al 2010: 88)。加えて、マクラナハンのDD命題では、ますます安定的な家族はセレクティブな集団に限られるようになることが含意されている(あるいは、不安定な家族がよりセレクティブでなくなる、と言ってもいいかもしれない)。私が先ほど因果効果の推定自体よりもセレクションのquantificationが大切かもしれないと言ったのは、こうした命題の含意を踏まえると、セレクションによる寄与の部分が変化している可能性があるため、これを経験的に検証した方が良いのではないか、というものである。

以上が、私が第一回の家族人口学セミナーで持ち帰った最も大きなtakeawayであった。かなりわかりづらい文章かもしれないが、このブログはパブリック向けに書くこともあれば、私がわかるように書けばいいと思って書いているものもあり、今回は後者なのでご容赦ください。さらにわかりにくいことを書くと、今回の文献を一通り読んでアメリカの(階層論的)家族人口学で議論されているセレクション、因果の話を一応理論的なフレームワークの中に自分なりに落とし込められたのは良かった。子どものウェルビーイングへの関心が重要なのだろう。これは同時に、アメリカの家族人口学におけるポリシー研究の位置付けを考える上でも非常に重要になる。

読んだ文献は以下の通り

Cancian, M., Meyer, D. R., & Cook, S. T. 2011. The evolution of family complexity from the perspective of nonmarital children. Demography 48: 957-982.
Carlson, M. J., & Furstenberg Jr, F. F. 2006. The prevalence and correlates of multipartnered fertility among urban US parents. Journal of Marriage and Family 68:718-732.
Furstenberg, F. F. 2014. Fifty years of family change: From consensus to complexity. The ANNALS of the American Academy of Political and Social Science
Reczek, C. 2020. Sexual‐and gender‐minority families: A 2010 to 2020 decade in review. Journal of Marriage and Family 82: 300-325.
Thomson, E. 2014. Family complexity in Europe. The Annals of the American Academy of Political and Social Science 654: 245-258.
Waldfogel, J., Craigie, T-A. & Brooks-Gunn, J. 2010. Fragile families and child wellbeing. Future of Children 20: 87-112.

追記

アメリカの家族研究が子どものウェルビーングに関心を持ち出したのはいつ頃かはわからないけど、先達は間違いなくマクラナハンのひとり親研究だと思う。その辺りになってくると、ほとんど社会階層論と差がないし、彼女がウィスコンシンでそういう研究を進めたのは、とてもメイクセンスする。日本的なコンテクストだと、確かに子どものウェルビーングも大事だけど、子どもを産まない人、家族を作らない人がこのフレームだと抜け落ちちゃうので、自分の関心的にも子どもに着目することで見逃すものが何かというのはこれからも考えていきたい。

一方で彼女の研究の含意は、一貫してひとり親のもとに生まれた子どもの不利で、それ以降の研究も含めて政策介入するときにある家族類型(二人親)をスタンダードとみなす風潮はある。つまり、特定の家族形態を優遇するような政策である。ひとり親が「因果的に」子どものアウトカムに悪影響をもたらすエビデンスが蓄積すると、こうした政策が実行しやすくなるだろう。いくら理想論でも、私はどの家族から生まれても、子どもの機会は平等に分配されるような政策にした方がいいと思う。私は一人親家庭が現状悪いアウトカムを引き起こすからといって、この家族形態を逸脱しすることは、悪循環というか、ラベリングによる不利の再生産になる面も気がするのだが、この辺りはあまり議論されていない。例えば、Furstenbergは堂々と安定的な二人親を1st tier, 不安定な家族を2nd tierとする2 tier family systemに現状なりつつあることを指摘しているが、それが記述的な命題であるにしろ、その含意は、ひとり親や同性カップルといった不安定な家族を劣等視することにつながるのではないだろうか(彼は同じ論文で2nd tierにいる家族のことをprovisional familiesと呼んでいる)。もちろん、家族構造とその安定性は別の問題として捉えるべきであるが、Furstenbergはこの辺りの区別をあまりしていない。

多分1960年代の家族社会学の議論から出発して、研究の流れをチャート式にまとめると何が研究されてないか見通しが尽くし、多分3日くらいかければできる気がするが、学期終わったらやってみるかもしれない。チャートでまとめると、論文のイントロ書くのがとても楽になると思う。

 瑣末といえば瑣末だが、二人親、ひとり親というフレームで見逃されるのは、祖父母といった拡大家族の影響である。


March 20, 2020

Shelter in place

curfew/lock downとinterchangeablyにshelter in placeという言葉も使われている。私はどれも「外出禁止令」だと思っているのですが、もしかすると細かなニュアンスが違うかもしれません。というか、そもそも外出禁止令の定義がよくわからなくなってきました。実際、どこも買い物など必要な外出を認めている訳で、この言葉はミスリーディングな気がします。それを、今日のNYSのクオモ知事の会見を見てて感じました。


内容をざっくり抜粋すると、

- essential service以外の全ての労働力の自宅待機(+違反に対しては罰金)→NJでも先日バーバーなどが営業停止しましたが、具体的にはもしかするとライドシェアサービスとかも使えなくなるかもしれません(NYSのexception listには入ってませんでしたが、SFはessential travelに限って使えると規定してますので、境界事例かも)
- 人数に関わらず一切の集会の禁止 →これに関連して一人きりの運動であれば構わないらしい(ランニングとか)
- 70歳以上の人などリスクの高い人に対してマスクの着用などを推奨するマチルダロー(マチルダというのはクオモの母親の名前らしい)

質疑応答で、これは見ようによってはshelter in placeだが何が違うのかという質問があり、これに対して知事がこの言葉が混乱やパニックを生むとして使うのを拒んでいたのが印象的でした。具体的には、市民に対する罰金はなく、例えば警察が二人でランニングしてるのを見つけても、罰金は請求しないで注意するだけに終わる、くらいの状況が想像できます。実際、そのあとの「若者が集まったりしたらどうするの」という質問に対して、we don't have individual fines at this pointと言っています。そういう意味ではこれは法的な根拠を持った命令ではなく、市民に対して節度ある行動を求めているものに近いかもしれません。

その一方で、事業者の違反については、モニターするしI'm not kidding about thisと言ってるので本気だろうと思われます。NJ/NY間は仕事での往来も多いため、NYがこういう方針なら、NJも同じものに合わせるんじゃないかなという気がしています(これに関して、マーフィー知事が明日の正午に重大発表をするとツィート)。

多分8週間くらいはこの状態が続く気がします。明けない夜はないと思って耐え忍びましょう。

余談:知事が自分の母親のことを思っているシーンが今日の会見でもありましたが、自分の母親の名前を冠したルールを作るのは恐れ入りました。アメリカはこの辺りのキャッチフレーズを作るのがうまいかもしれません。クオモ知事はイタリア系の出身で(ちなみに市長のデブラシオもイタリア系)、もしかするとカトリック系や南欧出身の家系の方が、こういうintergenerational relationshipを大切にするのかもしれません。関連して、先日クオモの弟がアンカーを務めるニュース番組に知事が出演した時の兄弟のやりとりが非常に微笑ましかったので貼っておきます。


Materials to better understand COVID19

I'm glad that NY governor Cuomo said today "prepare for the worst, hope for the best" (I really appreciate his honesty all the time). In the midst of global health crisis, we should work from home to protect the vulnerable and to curve the spread of the virus, but we can also better understand our knowledge about this novel virus. Below are the articles my epidemiology professor shared with students that help us to achieve the goal.

The Economist article below is a helpful overview of potential treatment mechanisms for the coronavirus. I couldn't help feeling like I was reading a high-school biology textbook.

Anatomy of a killer: Understanding SARS-CoV-2 and the drugs that might lessen its power. the Economist.
https://www.economist.com/briefing/2020/03/12/understanding-sars-cov-2-and-the-drugs-that-might-lessen-its-power

This CNN news is something a bit more hopeful.

The world's fastest supercomputer identified chemicals that could stop coronavirus from spreading, a crucial step toward a treatment. CNN
https://www.cnn.com/2020/03/19/us/fastest-supercomputer-coronavirus-scn-trnd/index.html

Below is widely shared, so I think there is no need to share again, but it's insightful too. One good thing about this article was that it has been republished in multiple languages including Japanese.

Why outbreaks like coronavirus spread exponentially, and how to “flatten the curve” Washington Post
https://www.washingtonpost.com/graphics/2020/world/corona-simulator/?utm_source=pocket-newtab

Last, this blog post by an epidemiologist, who has worked on diagnostic testing for Ebola and Zika, was really insightful (especially #3 & #4). It's mostly about the epidemiological rationale for #FlattenTheCurve and one important takeaway was how to make the net reproduction rate (R0) <1. This is critical.

COVID19 Insights by Bill Rodoriguez
https://covid19-insights.squarespace.com/

One question, though. The author categorized Japan into "category 1" which imposed social distancing and implemented widespread testing early and decisively, with other Asian countries like China or Korea, but I doubt that Japan's policy is comparable to other group 1 countries. Unlike the current several US states or Wuhan, I'm still seeing many of my friends are dining out or traveling to other cities.

One thing that may have made a difference though was the early school closure.

The effectiveness of school closure is still debated, according to the author, but it seems there is some evidence to suggest that a large-scale school closure has preventive effects on the outbreak, especially in the early stage.

The most convincing evidence the author cited was a study on different responses to the Spanish flu between Philadelphia and St. Louis (the PNAS paper is available here, see Figure 1), which Cuomo cited today too. If the early social distancing really matters, including school closure, it seems Japan did a good job in flattening the curve.

But still I'm questioning myself, especially about Japan's low proportion of positive cases among the tested (I realized this point from this Motoko Rich's tweet). Maybe it's simply because we don't have a hand-shaking culture? Mystery goes on.

March 18, 2020

カーフュー

耳慣れない言葉だが、外出禁止令のことである。先週から盛んに聞かれるようになったが、ヨーロッパではフランスやスペインで、アメリカでもサンフランシスコで不要不急の外出を禁じる策がとられている。

どうやらNJはNYの後追いをしているようで、それは先日のレストランのイートイン禁止にも見られるように、コロナの感染が激しいNYCの市長であるデブラシオや、 知事のクオモが先にアナウンスして、NJ知事のマーフィーが似た内容をアナウンスするというのが最近の定番になっている。

本日、デブラシオがNYC市民に48時間以内に外出禁止例が出る可能性に向け備えておくよう、報道があった。

これに引き続き、NJ知事がテレビ番組で 外出禁止令含め、全ての選択肢が on the tableであるという発言をしている。


週末に突如として月曜と火曜に閉まると連絡のあったプリンストン大学図書館も、今日になって金曜日まで午後2時から4時まで本の返却のために開館するが、来週から4月6日まで閉館するとの連絡が入った。まだオフィスにはギリギリいくことができるが(今日はWFHだった)、ロックアウト王手に近い。実際、外出禁止令が発令したら、オフィスに行くことは難しくなるだろう(もちろん、罰則はないだろうが)。

今日1日、私の脳内で織田裕二が「ブルックリンブリッジ封鎖できません」と叫んでるシーンがリピートされてたが、意外と起こるかもしれない。


March 17, 2020

Important dates for me

Mar 23: Classes Resume
Mar 25: Epi pset due
Mar 25: Epi midterm review session
Mar 27: Epi midterm review session (by preceptor)

Week 7
Mar 29: Empirical progress report
Mar 30: Epi midterm
Mar 31: Family discussion lead
Apr 1: Empirical progress report
Apr 6: Family report 1 due

Week 8
Apr 8: Epi presentation -> extended to Apr 13
Apr 13: Revision of PIIRS/EAS application due
Apr 20: Family report 2 due
Apr 24: Epi pset 5 due
Apr 30: Family report 3 due

May 4: Epi syllabus assignment due
May 6: Soc dept research showcase
May 7: Theory final paper due
~around here~ Epi final exam


ワーク・フロム・ホーム

又の名をWFHと言って、social distancingとならび、ここ最近見ないことはない言葉になりました。いきなり脱線しますが、「家で働く」というのは work at homeではないかという気がします、I wonder why it's called work FROM home, I don't really understand the difference in the nuance of them. 日本語だと在宅ワークですかね。

世の中の専門職の中には、家で仕事をすることができる職業が一定数存在します。基本的に資本主義の発展は「仕事と家庭」を切り離す過程に等しいわけですが、分業化の中で専門スキルを発揮する職業が家でも仕事ができるというのは、逆説的といえば逆説的かもしれません。(主として humanities, social sciences の)研究者というのも、家で仕事をすることができる職業についています。I said it's "possible" to work at home, but it doesn't mean that every grad students actually do work at home. There are two (or three, the last one is very rare, I guess) groups of grad students in the world. One is those who "can" work at home and do so sometimes. The other is those who "cannot" work at home and thus they are suffering from the current situation. I said there might be third group, which is 家でしか仕事ができない人 (including some cafes or libraries), but I know these are just a few. It exists, though (to be correct, the last one is those who cannot work in the office). Of course, these are ideal types (bc I'm a sociologist) so the reality is gradational.

私はこの分類でいえば「基本オフィスで働く」が「息抜きに家でも働く」ハイブリッドです(息抜きに働くというのは it sounds scary, I understand, but this is a reality)。したがって、世間がWFHプッシュの流れになる中で、最初はややマージナルな気分にいたのですが、研究よりも大事なものがあるだろうと思い直し、また在宅は在宅でメリットもあるだろうと考えて、結果的に夕方になる前まで家で研究し、日が暮れる前に用事を済ませつつオフィスに行って作業をするスタイルをここ数日取っていました。こう書くと長時間労働しているように思われるかもしれませんが、私は起きるのが遅いので、実際は8時間くらいしか研究してません。このスケジュールのメリットは、人が活動する時間を家で過ごしつつ、人が帰る時間になってオフィスに行くことで, that allows me to minimize the exposure to the coronavirus しつつオフィスでプリントアウトなどができる点です。

今日はそうしたワークスタイルで初めて月曜日を迎えました。朝10時くらいに机に座り、論文を書き、ワンセクション改稿したら疲れたので、別の論文を投稿先のフォーマットに合わせ、ご飯を食べ、昼寝をしてまた最初の論文の改稿をし、そうしているうちに4時前になってツイッターを開くと it turns out the NJ governor has decided to sign the executive order that prohibits dining in at restaurants and bars. This order also includes shutting down non-essential businesses, so 床屋も閉まっちゃうんじゃないのかな?と思い、急いでグロサリーで買い物した後に、Nassau stにあるバーバーに向かいました。NJはいつもNYとMAの真似をしているように見えます。

グロサリーもこのorderに触発されてか、前回来た時よりも品薄が目立ちました。前回はトイレットペーパー、サニタイザー、バナナ、そしてなぜかコークが売り切れていたのですが、今回は牛乳、水、幼児用の食品、缶詰、冷凍食品、ブレッド、そしてなぜかコークが売り切れていました。

ブレッドのコーナー、手前のペライチには「残っているブレッドはベーカリーエリアで見つかるよ」

当初の予定では、3月に一時帰国する時に地元の床屋に行く予定だったのですが since my travel to Japan was cancelled due to ... 例のやつ , 髪が伸びきっていました。いつもは日本人の人が経営しているキングストンのサロンに行ってたのですが、Nassau stの近くにあるPrinceton Barberはいいよと友人のHくんに教えてもらったので、次はそこに行こうと考えたまま、放置していました。予約ができずにfirst come first servedなので、いつでもいけると思っていくのを忘れるパターンです。そうこうしているうちに、知事のアナウンスが来て、私の中では床屋は間違いなく non-essential businessesに入ると思ったので、飛び込みました。幸い、店の人に聞いたら明日もやるよと言ってくれたので、特に急ぐ必要はなかったようです。we will be open until we are told not to beと言っていて、商売人の気概を感じました。私はいまだに、英語でこういう風にして、というのを言えない非ネイティブなのですが、そんな私にも three on the side and backでいいんだと言ってくれて、優しかったです。Threeというのは、クリッパーの深さのことで、3/8 of an inchに等しいみたいです。覚えます。Princeton Barberは店の雰囲気最高、値段は良心的($20 + チップ)、腕もなかなかなので、これからはこっちに通うことにします。

別れ

3月というのは、日本だと別れの季節である。アメリカでは3月はまだ学期中で、4月から新生活が始まる習慣もないため、日本とは違いこの時期に別れを意識することは少ない。

ところが、due to the global health challenge we are facing, 多くの大学が学部生をキャンパスからkick outするポリシーを取り始めた。幸い、オンラインで授業を受けられるため、単位を取ることはできるのだが、突如として大学を出ろと言われた学部生たちの気持ちは複雑だろう。

プリンストンには日本からの交換留学生もいる。ちょうど私が卒業するくらいにできたと思うのだが、最初は1学期だけの交換留学だったのが、徐々に拡大し、今回は東大から2人の学部生がプリンストンに2学期間交換留学に来ている。学部生と知り合う機会は少ないのだが、彼らの一人がもらっている奨学金財団に私もお世話になっていた縁で、時折食事などを共にしていた。しかしながら、those two undergrad exchange students from Todai were also asked to leave Princeton. 彼らにとっては今学期がプリンストン最後の学期であるため、it's hard to imagine how sad they need to end their last semester at Princeton in this way.

1学年に3千人いる東大生の中でどれくらいが交換留学を志望しているのかはわからないが、プリンストンへのたった2枚の切符を掴むのは容易ではなかっただろう。実際、彼らはso brilliant that I've been impressed with their potential many times for these six months. 彼らの関心は学部生らしく様々な範囲に及んでいて、プリンストンの学部教育は彼らの関心の広さを十分に満たすものだったことを、話を聞いて感じた。自分が突き止めたい問いを時間をかけて深く検討していく環境を提供してくれるのが大学院という場所である。当たり前といえば当たり前だが、そこで出会う人は、すでにこれをやりたい、と決めている人が多い。近くの院生の話を聞くのもためになるが、将来が決まっていない学部生の「これからやりたいこと」を聞いている時間は、無限の可能性を感じさせてくれて、本当に楽しいものである。私は、将来性豊かな二人から多くのことを学んだ気がしており、プリンストンでそんな母校の後輩に出会えたのは、幸運なことだった。

東大よりも柔軟に授業を取ることができる本場のリベラルアーツカレッジでの教育経験が、彼らの今後の将来に資することを願ってやみません。Hope their experience at Princeton contributes to opening the door to a bright future for them.

図書館前の桜。日本のものよりもずいぶん濃い印象がある。

March 14, 2020

MIYA

During such a difficult time, 柄にもないですが, I'd like to share one small thing that made me happy. Today, I had a chance to drop by MIYA, a tableware store in Palmer Square. Their products were amazing with a mixture of Japanese tastes and a good quality/design (+ the price was reasonable!). 特にカリフォルニアの波佐見焼ブランドHasami Porcelainはナイスでした。日本でも、吉祥寺とかにいくと波佐見焼の食器が多くなりました、私が上京したくらいから流行りだして。

Ryoko, an employee there, kindly shared the history of MIYA. The founder Chosuke Miyahira was an Okinawan immigrant who came to NYC during the 1930s. They had a difficult time, but Japanese immigrants on the East Coast were able to keep their business during the WW2, which I didn't know. その後おいが継いで今は三代目ということみたいです。

Seeing pictures of items in different periods, I felt that the history of MIYA reflects a history of changing perceptions towards Japanese-ness among Americans. 昔の写真はザ・日本みたいな商品が多かったのですが、今並んでいる商品は日本のセンスはあるけど様々な生活スタイルに対応できる柔軟性もある感じでした。あとなぜか猫系のデザインが多かったです、オーナーの好みでしょうか。I was happy to find a place where I feel an emotional closeness. This is important, I think, especially in times when we are very unclear about by when we can finally go home. もちろん帰れることは帰れるわけですが、帰りたいけど帰る気分にはならない不思議な状況です。

March 10, 2020

疫学とコロナウィルスの話、そしてゲノムが少々

まさにbreakingといった感じで、今日の朝に学長名で大学からメールが届き、春休み明けから授業がオンラインに移行することになった。私を含め、NYでのコロナウィルスの広がり、あるいはコロンビアやNYUなどのアナウンスをみていて、遅かれ早かれ授業がオンラインになるのは予想していたが、決定は月曜の朝にスパッと入ってきた。4月5日まではオンラインで続け、その後状況を鑑みて再検討するらしいが、この勢いだと今学期はオンラインのままだろう。合わせて、大学において大規模な集まりが開催されることも禁止され、アナウンスから数時間後にはいくつものセミナーがキャンセルになったという連絡が矢継ぎ早に入った。流石にこのあたりの作業は手早い。

そのメールから2時間も経たないうちに、疫学の授業が始まった。今回は、イェール大学から公衆衛生における倫理問題を専門とする先生がゲストで来てくれた(春休み明けじゃなくてよかったねと笑っていた、本当である)。話は主に生命倫理(bioethics)と公衆衛生における社会的正義(social justice)が必ずしも一致しないことがあり、時として疫学者は二つの正義の間でコンフリクトに直面するという話だった。合わせて、彼の専門であるアメリカにおけるワクチン摂取の義務化に関する話が紹介された。驚いたのは、アメリカには「ワクチン摂取の義務化に反対する運動」があるということだった。運動に参加しているのは子どもの親で、その論理はワクチン摂取が自閉症を引き起こすという知見らしい(もしかしたら非常に小さなリスクがあるくらいらしいが)。公衆衛生の観点から、ワクチン接種が学校への入学に義務付けられている州もあり、この運動は強制的なワクチン接種に反対しているという。実にアメリカらしい。

授業が終わったあと、ワクチン接種に対して反対するというのは日本ではちょっと考えられないという感想を述べたのだが、今日のゲストを招いた授業担当の先生によれば、それは日本は政府に対する信頼があるんじゃない、とのこと。本当か、と一瞬思ったが、少なくとも医療に対しては日本人は日本の制度に高い信頼を置いているかもしれない。考えてみれば、この国には、国民保険制度が存在しないことを思い出した。そんな国で、コロナウィルスが広がっているのだ。ツイッターなどを見ていると、コロナウィルスの拡散を防ぐために、旅行を控えよう、自分が大丈夫でもvulnerableな人に伝染するリスクがある、といった発言をちらほら見かけるのだが、私から言わせるとvulnerableな人はコロナウィルス拡散以前からリスクにさらされているのだから、もっと根本的なところをいじった方がいいのではないかと思う。ただこれも、コストベネフィットの観点で公衆衛生の人が全員賛成するものでもないのかもしれない。

そのあと、ニュースを見ていると原油安と合わせてどうやら株価が大暴落したらしいことを知った。いよいよリーマンショックの再来が近いかもしれない。学校が閉鎖するとか、マスクが品切れになるとか、渡航が制限されるかというレベルではなく、今回のコロナウィルスの影響によって、冗談抜きにリーマンショック後のような状況になる気がしてきた。結果として、ジョブマは1-2年は冷え、ポスドクも減り、ポジション取れなかった人が翌年も残るとすると、余波は3年くらい続きそうだ。覚悟する必要がある。

そんなこんなで、数時間で見えてる世界がガラッと変わってしまった1日だった。見え方が変わるという話で言えば、今日の夜は2nd year paperになる予定の、ゲノムと学歴同類婚の論文を書いていた(正確には、lit reviewのための論文を読んでいた)。具体的には、先日のセミナーでなぜサンプルを男女に分けるのかという質問をされたので、そのrationaleを関連する文献から導き出そうとしていた。慣習的には、regression系で結婚の分析をするときには男女で分けるのが定石である。それは結婚市場やタイミング、相手の学歴の構成が異なるから、という業界的には当たり前の理由がいくつかあるのだが、Pam Herdさんの論文を読んでいて、ジェンダーをもっとcontextualize したら面白いのではないかとということに気づき、単に操作的に男女に分けるというだけではなく、新しいサブセクションを作ってジェンダーで結果を分ける理論的な妥当性について議論することにした。

社会学の論文を書いていると不思議に感じるのは、同じ分析結果でもフレーミングによって全然見え方が違ってくるところである。今回も男女別の結果自体は変わらないわけだが、係数の一つ一つの意味みたいなものが、フレーミングによって違って見えてくる、というかよりinsightfulなものとして「現れて」くる。これは、因果的に実在すると仮定したものを特定することにとらわれていると忘れがちになる点だ。行動遺伝学の人からすると、なぜそんなフレーミングをするのか?という質問が飛んできそうだが、おそらく、遺伝学の人は形質を規定する遺伝的な要因そのものを説明する、あるいは社会的(遺伝的)な要因を排して遺伝的(社会的)な要因を特定することに関心があるのかもしれない。一方で、社会学でゲノムを使う場合、どちらかというと力点は社会にあり、具体的には「いかに社会がゲノムを作るのか」ともいうべき論点で攻めているものが多い。もちろん、本当に社会が塩基配列を変えるわけはないのでこれは比喩なのだが、多少踏み込むとGxEの話で、どのような社会的なコンテクストにおいて遺伝が発現するのかしないのか、という点にこだわっている。Herdさんの論文は、我々が個人の持っている属性と考えがちなジェンダーをもっとstructrural/contexualなものとして捉えていて、フレーミングの技が光っている。ちなみに、日本の人からすると人種によって分析を分けることに抵抗がある人もいるかもしれないが、何も我々はレイシズムを助長しようとしているわけではなく(もちろん二次的に、論文がそういった文脈に回収されてしまうことはあるかもしれないが、それは読み手が社会学者がどのように人種を概念化しているのかについて掴み損ねているからではないかと考えている)、raceはgenderと同じようにstructrural/contexualなものを捉えて使っている人が、全員とは言わないまでも多数派だろう。

March 8, 2020

International women's day

私も最近ジェンダーの論文を書いていて、一言。直接検証できてるわけではないけど、今書いてる(つい先ほど書き終えた)学校基本調査を用いた、四年制大学に在籍する男女の専攻分離の趨勢に関する論文のインプリケーション。

日本では賃金の高い専門職につながるようなSTEM専攻に進む女性がまだ少なく、賃金格差の一因になっているという指摘があります(Yamaguchi 2019)。論文では、この点についてサポートする結果について議論した上で、こういうSTEM系の学部は選抜度の高い国立に多い傾向にあるので、そこがボトルネックの一つになってるんじゃないかという点についても議論しています。

日本の場合、高等教育の拡大は私大によって担われているのですが、最近だと新設の私大以外にも、旧短大が女子学生の減少などを背景に四年制大学に昇格、ないし統合したりしています。こういった旧短大系の大学の専攻を見ると、STEM系は少なく、資格に結びつくような教育や保健、看護が多いのですが、こういった専攻は確かに女性が就業継続しやすい職につながる一方で、賃金が高スキルの専門職に比べると低いので、女性の高学歴化が進んでも、それが選抜度の低い非STEMメインの私立大学によって担われている場合、労働市場における男女格差の平等化には、思ったほどインパクトはないのではないかと思っています。時期にWPを出せればいいと思っているので、よければ読んでください。

March 4, 2020

3月4日

水曜日はいろいろと忙しい。10時40分から疫学の授業があり、12時過ぎに終わる。12時からランチセミナーが1階と2階で開かれていて、本当は出た方が良い(別にそこまで拘束はないが、やっぱりピアあっての研究なので、繰り返すが本当は出た方が良いが、忙しいと物理的に参加できない)。1時からエンピリカルセミナーがあり、4時まで続く。今日は朝走って、10時過ぎに大学に着き、エンピリカルの発表の準備をしてから疫学の授業に参加(今日は2人休んでいた、そういう季節なのか)、セミナーの残り物のサラダを食べながらエンピリカルの準備の続きをして、1時きっかりに報告した。時間とってもらって改善点も見つかったのでよかった。17時半からIASにて計算社会科学の講演があり、最初の報告が配偶者選択に関するものだったので参加。社会学でもオンラインデーティングの研究をしている人は増えているが、今日の人はその中でも一番ゴリゴリデータをいじってモデリングしているタイプの人で、勉強になった。一応パブリックレクチャーなので、アカデミアではない人もいて、彼らの質疑から得るものもあった。特に、(データサイエンスを主とした)社会科学では、すでにある偏見をモデリングして偏見を再生産しているだけではないのか、という指摘があり、これに対して100%イエスとは思わないまでも、全く的外れではないなと思う節があり、印象に残った。結局のところ、研究のモチベーションがアカデミックでもいいわけだが、そのアカデミックな問題関心で研究した成果をパブリックな場に持っていっても「だから何?」、もっと深刻な場合には「偏見の再生産では」と言われる可能性もある。なぜその研究をするのか、ポリシー系ではない場合には、アカデミックな理由に加えてパブリックな理由も考えなくてはいけない。これは社会学部の内部にいると忘れがちになることなので、思い出させてくれてよかった。7時20分ごろにオフィスに戻り2時間ほど理論の予習をして帰宅。帰宅後は論文の改稿の予定。

別件で疫学の先生から共同研究の誘いがあった。彼女は今シニアの日本研究者が大学院生のころに実は日本の研究をしていて、そのエクステンションということらしい。彼女と研究するのは夢だったので、エキサイティング。

March 3, 2020

3月3日

だいぶ疲れてたみたいで9時間睡眠。充電器を忘れたのでランニングは中止。OPR Tシャツを買ってセミナーへ。ウィスコンシン時代に統計を教わった先生で、懐かしかった。終了後疫学の課題を提出し、予防接種を打ち、理論のメモを書き、きょうだい論文のイントロを改稿し、疫学の予習。帰宅後は明日のエンピリカルの分析を進めて、時間があれば専攻分離の論文を進める。

March 2, 2020

Daikon

最近大根 (it's literally called daikon here as well)の煮物を毎週作っている。目標はコンビニおでんくらいのクオリティ。並行してかぼちゃ(to be correct, it's a squash similar in favor to Kabocha)の煮付けも作っている (when I tried to translate squash, the translation app says it's Kabocha, no, it's not the same)。これらは常備菜みたいなもので、必要ない日の方が多い。というのも、ランチセミナーとその残りで済む日が多いからだ。しかし、sometimes I don't feel like going to my office before noon or the food at lunch seminar is simply miserable, そういう日とかには重宝するのだ。あとは1時間くらい何も考えずに料理するのが気分転換によい。料理が好きというよりかは、研究をしない時間を強制的に作りたい。大学院生を何年もやってると、物事を営む理由がだんだん逆さまになってくる。

It's March already. I cannot imagine how time flies so fast. Over the weeks I was working on a paper with my advisor and one collaborator. As a second author, my job was to analyze data and provide some feedback on the paper which is mostly revised by the first author (advisor).
As always, working on a paper for journal submission is not something making you feel good. Rather, it often makes you exhausted, especially when you have a few psets or readings for class (何を隠そうまだ私は一介の学生なので). I really like the paper and have enjoyed working with collaborators - they are my fabulous colleagues - but the structure which makes us do multiple projects is causing a conflict. Anyways, 第二著者であくせくコードをひたすら走らせた論文をサブミット出来たので気持ちが軽い。順調にいけば一年後くらいにスペシャルイシューのひとつ。

と言っても明日からはアクティブな5-6本の論文を進めないといけないので、かつ全部なぜか第一著者なので、again stressful days are coming。うち3本くらいは、見込みがまだありそうなのでフルコミット。途中でso so感が出てきた論文の対処はどうした方がいいのか、まだよくわからない。書くけど。

今日も日曜らしく朝走り、午後に卓球とスイミング。お昼はGC で日本の知り合いとブランチ。It was nice catching up with them.