January 29, 2021

今学期の予定・近況

今学期は経済社会学と国際移動・移民の授業をとってます。

経済社会学ですが、初回の文献を読んでると久しぶりに「社会学」の授業をとってる感じがしますね、経済活動がいかに社会的なコンテクストや人と人の相互作用に規定されているか、みたいなところです。人口学の研究は、こういった人の相互作用の重要性を指摘するときには、学歴やジェンダーと言った要因に還元しがちという批判を受けるのですが、それは概ね正しいと思います。

特に、兼ねてから興味のあった親の子どもへの投資、支出の話を経済社会学的に考えることができると分かり興味が増しました。子どもを消費主体として積極的に捉えるアプローチは少ないらしいです。文献を読んでると、経済社会学の中にも経済学寄りの社会学者と社会学寄りの社会学者がいて、前者は経済学を(やや藁人形的に)対比しながら自分たちのオリジナリティを主張している一方、後者は前者と比較しながら自分たちのオリジナリティを主張しているように見えます。

移民の授業も非常に楽しいです。今学期からプリンストンに着任された先生の授業です。毎週3時間のセミナーで、文献は論文や本の章が8本程度なのは他のセミナーと同じですが、移民研究は学際的なので、方法論も分野も非常に多様な論文が毎週並びとても楽しく勉強させてもらってます。

経済社会学といい、移民といい、これまで詳しくなかったけど興味はあった分野のコアの部分を、たった1学期(どちらもミニコースなので6週間、それでもそれぞれで50本以上の文献を読むわけでなかなかの量です)で勉強できてしまうのは、こういう言葉が適切かはわかりませんが、お得感がすごいです。まず先生がアサインする文献が面白いですし、それに対して周りの学生も鋭いコメントをしますし(またそれに淀みなく答える先生もすごい)、私も頑張って発言するようにはしてますが、実際には勉強させてもらってる側です。

アメリカの研究大学に残って、こういう授業20年くらいできたらもう人生御の字かもしれません。そういう大学に就職できるのはアメリカの院生でもほんの一握りですが、そこにたどり着けるように頑張っていきたいと思います。

研究としては、しばらく前ですが、ASAへのアブストを出しました。PAAと違い、ASAはアブスト出すだけでも結構疲れます。日本の論文も書きたかったのですが、ゲノムのものを一本だけ。社会学で遺伝の論文を書く際、社会への逆張りから遺伝要因をかなり強く見積もった議論になると容易に優生学的な話につながってしまうので、論文を書く際には細かなニュアンス含め誤解を生まないようにするのが大切。個人的には遺伝は個人のポテンシャルを測ってると思うので、階層論的には重要だと思う

January 20, 2021

不要不急東京

大きな声では言えませんが、東京に3日ほど滞在していました。一時帰国前は12月に日帰りで来ようかなと考えていたのですが、コロナの状況が改善する兆しはなかったので、諦めていました。同居している家族に高齢の祖母がいるのがいちばんの理由でしたが、東京から戻ることを避けてしまえばいいのではないかと考え直し、出国直前に数日東京に滞在し、その足でアメリカに行くことにしました。3日間にした理由は、実家にいるときに感染していないと仮定して、仮に東京に来て1日目に感染しても、感染してから発症するまで5日程度、感染可能期間は発症2日前からが多いという情報を目にしたので、3日間であれば飛行機に乗るまでは人に迷惑をかけないのではないかという判断です。アメリカに戻ってからは、また10日間の隔離が待っています。

それと会う人は1日あたり1人と決め、計3人と、個別に会いました。お茶をするときは飲むとき以外マスクをして、いわゆる「会食」は1人だけにしました。ちなみに、アメリカで見ている限りでは、食事中は普通にマスクを外します。話すときにいちいちマスクをつけるマナーは、どこ起源なのでしょうか。

今会う必要があるのか、と聞かれたら、そりゃないですよと答えるほかありません。大学時代の友人との雑談なんて、不要不急の最たるもので、zoomでやれよって思われるかもしれません。自分も、会う前から、そして会った後も、なぜzoomではダメなのか、考えていました。普段zoomで人と雑談するときと、何かが違うことは感じるのですが、それがリアルかどうかの違いなのか、会う人の違いなのか、もっと違う要素なのか、わかりません。1対1で話すくらい自分にとっては大切な友人なのですが、不思議とzoomで話そうとは思いつきません。もしかすると、何を話すかは重要ではなくて(雑談なので)会うこと自体に価値があるのかもしれません。でも1対1だからこそ話せることを話して、別にそれ目的ではなくても、話した後に、確実に少しだけ景色が違って見えます。

そんなことを考えながら、今日1日は誰とも合わず、ずっと歩いていました。歩きながら考えたこと。彼らは大学時代の僕のものの見方、価値観に決定的な影響を与えた人であることに疑いはなく、その影響は今でも残っています。彼らがいなければ違った人生を歩んでいたかもしれないし、同じ人生だったとしても、見ているものに対して異なる評価をしていた気がします。

そういう意味で、今の自分を形成した人に会うことで、今の自分の自我と、過去の自分のそれをつなぎ合わせようとしている、そういう動機があるのではないかと思います。直感的に、彼らと会わなければ、今の自分が昔の自分から離れていってしまうのではないかと思うのです。そうした過去とのつながりを想起するためには、zoomではダメで、実際に会うしかないのだと思います。昔も会って話していたからです、そうしなければ、連続性を担保できません。逆に言えば、最初からリアルであったことのない人には、リアルで会いたいと思う欲求は沸きにくいでしょう。書きながら、かなり自分本位の行動だと気づきました。

この1年間、日本に帰らず、アメリカにいても大半の人との話はオンラインになり、自分の人格形成に決定的な影響を与えた大学時代の友人たちと話す機会がほとんどありませんでした。そういう状況で、今自分が何をしているかは分かっても、過去の自分から見て今の自分は何をやっているのか、それは楽しいことなのか、振り返る機会が限りなく失われていきました。過去の自分と対話することはできませんが、過去の自分の周りにいた人たちと会うことで、比較のためのレファレンスを得ているといえばいいのでしょうか。今の自分の状況を昔の友人に話す、それは必然的に、彼らが知っていた過去の自分の情報から出発して、現在の自分に、情報をアップデートしていく過程です。その過程を経ることで、自分自身が多くの気づきを得るのだと思います。

話が戻って、じゃあそれが不要不急なのか、多分そうでしょう、今やらなくてはいけない理由はありません。でもそうしていたら、いつ話せばいいのでしょうか。次いつ帰国できるかわからない状況で、自分なりに今がベストではないがベターだと思ったのかもしれません。まだわからないのは、それがリアルじゃなければいけないのか、です(先ほどリアルじゃないとダメだと、と言いましたがわからなくなります)。直感的に、オンラインで会うことは1対1で話すという条件を満たさないのではないかと思いますが、もう少し考えます。

January 14, 2021

推薦状を書く、人生で初めて

他の国は知らないが、アメリカではどこもかしこも推薦状がものをいう。就職の時の推薦状はどこの国でもあるだろうが、大学・大学院の入試から、はたまた学部のサマープログラムまで、選抜あるところに推薦状あり、推薦状がなければ選抜ができない、と言っても過言ではないだろう。

私も例に漏れず、アメリカの大学院に応募した時から現在に至るまで、日米の指導教員を筆頭に、もう何通もの推薦状をお願いしていた。お願いする側は、最初は緊張してお願いをするが(特に締め切り数日前に推薦状が必要とわかった時なんかは、とくに)、一度相手から承諾があれば特にすることはない。大学院出願の時には、出願した大学10校近くに加え、奨学金の推薦状までお願いしたものだから、先生方にも相当なご負担を強いたと記憶しているが、当人は推薦状に全く関与しないので、推薦状の中で何が起こっているのか、知る由もないのである。

そんな感じでお願いするばかりだった推薦状というモノを、とうとう反対の側から眺める機会がやってきてしまった。推薦状を書いてくれないかとお願いされたのです。

先学期教えていた(といってもTAのセクションだが)現代日本社会論の授業を受講していた学部生からだった。パンデミック下で直近で取った授業は全てオンラインになってしまったこともあり、セクションで一緒だった私以外、接した教員がいなかったのかもしれないが、最初とあるプログラムに出願するのでReferenceになってくれないかとお願いされた時には、正直、少し心躍った(聞き取りやすいとは言えない英語の私の授業をしっかり聞いてくれただけでも感謝なのに!)。

当初はreferenceになるだけで何もアクションは要らないということだったが、実は、推薦状を書かないといけないことがわかった、という連絡が来たのが昨日、締め切りは来週の月曜。

私も学生の時によくやってた(今も学生だが)、締め切り直前になって推薦状が必要とわかる、あの、あかんパターンである。

最初一度も書いたことのない推薦状を、英語で、来週の月曜まで、そんなんむりむりと喉から出る寸前だったが、自分もそうやって指導教員を何度もヒヤリとさせてきた経験があるので、もうこれは恩返しだと思って(誰への?)すんなりとokした。

とは言っても、問題は推薦状の書き方なんぞ露ほども習ったことがなかったので、何を書けばいいのか全くわからなかったのである。推薦状をお願いしても、その中身は見れないhonor codeめいたものがあるので、今までお願いしてきた推薦状の数は多くても、どうやって推薦状を書けばいいのかは知識が全くなかったのだった。

そのことを正直に指導教員に相談したところ、テンプレートを送ってくれた、ありがたい。「まあ、普通asst profからやけどね、推薦状書くのは」みたいなコメント付きで。

確かに、周りの大学院生で、推薦状を書いたなんて人は、聞いたことがない(単に話題に上がらないので知らないだけかもしれない)。ただ、プリンストンはティーチングを補助する学生をTAとは言わずにpreceptor(ニュアンスが伝わらないけど、教師)と呼び、いわゆる他大学のTAセッションよりも、学生がセッションを自分の判断でデザインする余地が高いような気がする(ちなみに、授業を教える教授もセッションに参加する、つまり教授もpreceptorの一人)。そのことが影響してか、プリンストンの学部のプログラムでは、履修した授業の教授だけでなく、preceptorにも、推薦状をお願いしてもいいことになっている。なので、大学院生で推薦状書いちゃったわーなんて言いふらしているのは、プリンストン仕草のひとつかもしれない。

テンプレートをもらってみたはいいものの、たかが推薦状を一通書く作業が、こんなに時間のかかるものだとは思わなかった。テンプレとしては、1.学生の一般的な評価(授業などの成績)、2.学生との関係性(授業をとったのであれば、その授業の説明)、3.特筆すべき事項(アカデミック、今回は学期最後のペーパーがいかに示唆に満ちたものだったのかについて)、4.特筆すべき事項(非アカデミック)だった。普段なら、まあこれくらいでいいかと思えるものを書いても、ちょっと大袈裟かもしれないが、他人の人生がかかっているので、もうちょっとプッシュしよう、もうちょっとと時間が経過していくのである。自分より他人のために時間をかけてしまう人間の利他性が、よく出る瞬間かもしれない。

正直にいうと、授業もリモートだったし、いっても1学期の付き合いだったので、そこまで深いことは書けない。ジェネリックなことよりも、パーソナルなことが書けると、強い推薦状になるらしい。そのためには、学生側も常日頃から推薦状をお願いする人とコンタクトを取ることが求められるし、そういうのが「自然に」できるのが、高等教育における階層の再生産に寄与しているのでは、という研究もあるくらいであり。アメリカでは教授との緊密な関係性は重要なのだなと、推薦状を書いて改めて学んだ。

学んだものの、自分が明日から教授たちと緊密なコンタクトを取るかと言われると、そんなことはないだろう、きっと。

January 9, 2021

20年

 いま書いてる本で、共著してるアドバイザーが20年前に出した博論の一部を元に文献レビューを書いてる。正直20年も経つと一から書き直した方が早い気もするけど、骨格を残しつつこの間に出された研究成果で文章を改稿するのは勉強になる。20年経っても変わらないことも多い。大学院のトレーニングの一環で、自分が関心のあるフィールドで20年前に出された論文を引っ張ってきて、その文献レビューをアプデートするという課題を課すのは、教育的な効果があるかもしれない

January 6, 2021

一時帰国中に読んだ本・買った本、みた映画

研究関連

労働時間の経済分析

企業中心社会を超えて

職業とキャリア

ブループリント

子育ての経済学

家族の幸せの経済学

「家庭教育」の隘路

リーディングス日本の教育と社会:子育て・しつけ

データで見る県勢

歴史人口学事始め

筆者が歴史人口学に出会った経緯も面白かったけど、速水融ほどの研究者でも何やってもうまくいかないスランプの時期があったんだなと知れたのは、心が軽くなった気がする。「月島では同僚に恵まれ、多くを学ぶことができた。しかし、同時に将来への不安があった。こうやって資料調査を続け、その先に何があるのだろうかという疑問である。」筆者によれば1960ー62年は絶不調だったらしい、ちょうど自分と同じくらいの年齢。

小説

パチンコ

一人称単数

村上春樹の作品は基本的に楽しく読めるのだが、今回はあまり受け付けなかった。

夏の裁断

短編集。タイトルにある物語の「裁断」は研究者にはおなじみの裁断。

わたしの人生の物語

アメリカン・ボーン・チャイニーズ:アメリカ生まれの中国人

漫画なので弟と一緒に読んだが、なかなかアメリカの差別や人種の話をわかりやすくするのは難しいなと思った。

乳と卵

JR上野駅公園口

対岸の彼女

密やかな結晶

私をくいとめて

自分が勝手に「おひとりさま文学」と読んでいる小説のジャンルに当てはまる。この手の物語では珍しく、主人公は割とありがちなハッピーエンドになってしまう。

エッセイ

見るレッスン

蓮見重彦初の新書は映画論。ひたすら「ショットが決まっているか」という評価基準でいい映画とそうでない映画をバサバサ切っていく。一見痛快に見えるが、評される方はたまったものではないだろう。筆者は映画における物語の重要性を低く見ていて、ディズニー映画などのエンターテイメントには否定的な評価。

ヒット番組に必要なことはすべて映画に学んだ

蓮見重彦がショットのキレが全てと考えるのならば、テレビマン出身のこの著者の映画館は、より「何が映画として好まれるのか」の類型論に近く、こちらの方が一般読者にも納得される評価なのかも知れない。

台湾生まれ、日本語育ち

ねにもつタイプ

腰抜け愛国談義

遺書(松本人志)

くだらなすぎて捨てた。

料理本

家族のため、わたしのため からだのための常備菜

〆まで楽しむおつまみ小鍋

その他

カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話

校正係からみた、英語の不自由さ、ユニークさに関するエッセイ。文章が非常にウイットに飛んでいて、それだけでも楽しいが、セミコロンとコロンの違いは何かなど、英文法の理解にも役立つ話がたくさん。

英語独習法

筆者の基本的な主張は、言語によってスキーマ(認知の仕組み)が違うので、それに注意をして英語を勉強しましょうねという話。認知科学や言語学をベースにした本で、個人的には「インテリ向け」の英語教本なのかなと思った。スキーマが違うことを理解できるインテリはたくさんいるだろうが、難しいのはその違いを認識して外国語を学べるわけではない、ということだろう。

民衆暴力

売れているので買ってみたが、個人的にはなぜ時代も原因も異なる暴動を集めて論じているのか、最後までその目的がわからなかった。

にほんでいきる

人しれず微笑まん

新作落語の舞台裏

岡本行夫現場主義を貫いた外交官

昭和史(半藤一利)

番外編:みた映画

スタンド・バイ・ミー 、THE 有頂天ホテル、ターミネーター2、ストーリーオブマイライフ、ホームアローン、オンザロック、ビル・マーレイ・クリスマス、ロストイントランスレーション、さらば愛しきアウトロー、ポケットモンスターココ、ライフゴーズオン、エヴァンゲリオン新劇場版、計12作

January 3, 2021

ターミネーター2 dictation

 9:55 I can't let you take the man's wheels, son. Now get off or I'll put you down.

take/sonが聞き取れなかった

13:00 ...John?  John!  Get in here right now and clean up that pigsty of yours.

全然聞き取れなかった、pigstyは豚小屋の意味らしい

14:46 The delusional architecture is interesting

映画ではinterestingではなくfairly uniqueと言っていると思う。 delusional architectureはコーパスによるとこの映画だけで使われている。

15:38 She stabbed me in the kneecap.

16:22 You could if he were here. 

youがほとんど聞こえない

18:05 She tried to blow up a computer factory but got shot and arrested

gotがほとんど聞こえない

19:46 I'm sure it feels real to you

realが聞き取りにくい

21:35 But you've told me on many occasions about how you crushed one...in a hydraulic press.

40:29 I just sat here and told you that your son is missing.

ここでsat hereの持つニュアンスがわからない

44:25 You got that ? You just can't go around killing people

1:07:40 Major drag,huh?-Break it up before I wring both of your necks.

wring a neckで首を締めるらしい

1:16:08 Of all the would-be fathers who came and went over years...this thing,this machine,was the only one who measured up.

サラはターミネーターを物、機械とみなしていることがわかる。measure upで基準に達する

1:20:38 Okay,the whole thing goes...The future's not set. There's no fate but what we make for ourselves. -