December 26, 2015

分析社会学に関する書評論文が公刊されました。

書評ソシオロゴスという雑誌から共著論文が出ました。

書評の割に長いです。この論文は、昨今、社会(科)学の中で言及される頻度が増してきた(と勝手に思っているのですが)、「因果」と「メカニズム」に関するものです。

自分の専門と直接関わるというわけではないこの論文を書こうと思った動機は、調査観察データにおける変数同士の連関から「因果関係」を導こうとする議論に対して、そうではないタイプの因果の説明の仕方もあるのではないかという疑問からでした。具体的にいうと、原因と結果の間にあるプロセスを重視する説明の方法です。


論文を読んでいくと、どうやら同じ因果関係の解明を志向していても、「因果推論」と「因果メカニズム」の議論はずいぶん毛色が違うことが分かってきました。そこで、因果のプロセス解明に重点を置く分析社会学という研究プログラムの理論的な基盤とされる本の書評を通じて、因果推論とは異なる、もう一つのタイプの説明の方法について考えたのがこの論文になります。幸い、強力な共著者である前嶋さんの助けを借りることができ、公刊に至ることができました。
オンラインで読むことができるので、多くの人に読んでいただき、忌憚のない意見を頂ければと思います。以上宣伝になります。


社会学に限らず、社会科学における実証の問題に関心がある方には、興味を持ってもらえるのではないかと思っております。

最後に、査読をお受けくださった先生方、ソシオロゴス編集委員会の方々、そして勉強会など通じてアドバイスをくださった同期、先輩の方々に、この場を借りて深謝いたします。

追記:分析社会学に対する評価が甘いとか、そういった批判には首肯せざるえないのですが、今回はあえてポジティブに評価してみました。それと、考察に関する部分は甘くとも、分析社会学が出てくる背景に関してまとめた文献は、日本語では少ないかと思うので、せめてそちらの方面で利用して頂けると幸いです。それと、今日届いたGoldthorpeのSociology as a Population Scienceをチラ見してみたら、結論手前の8-9章が書評論文に近い議論に触れてました。統計的な因果の説明の限界を指摘しつつ、メカニズムが重要というまでは同じですが、彼はやはりRRAの重要性を説くのですね。

December 24, 2015

火水木

火曜日は研究室の大掃除。13時に集合して、院生室を中心に埃を払ったり、不必要なものを捨てたりする作業。掃除するたびに貴重資料が見つかる。院生の連携で無事終了。その後、忘年会で根津。

水曜から例のコーディング。久しぶりに職業コーディングを見て懐かしさを覚える。妙に張り切ってしまい、結構早めのペース。1日目はこくわがた、2日目はアバでランチ。初日の懇親会でも新しく知り合った院生と話す。

水曜は運よく人に会える日だったので、気分よくいせやではつを二本。昔に比べて、クリスマス周辺のざわつきに反応しなくなったかもしれない。大人になったのだろうか。明日もコーディング。


December 21, 2015

外出月曜日

10:00-11:00 寮のスタッフとミーティング、11時に終了後すぐ家を出て大学へ。
12:00-13:00 インタビュー協力者の方に報告書を渡しながらランチ。ルオーのカレー。
13:00-16:00 第9回計量社会学研究会
1時間弱休憩
17:00-19:15 因果推論勉強会。レジュメはちょっと大変だったが、因果推論に対する理解が深まった。この勉強会には感謝している。

切れ目のない1日でした。明日は研究室の大掃除。

December 20, 2015

引きこもり日曜日

基本的に人から頼まれた仕事は断らないようにしている。それが礼儀かなと思うし(一応、その人は自分を見込んで頼んでくれたわけであるし)、自分にとってもいい経験になるかなと思っているためでもある。

とはいえ、頼まれ仕事ばかりやっていると、自分の仕事ができない。最近の悩みである。因果推論の勉強会も、レジュメを作ること自体は非常に勉強になるが、一人が英文70ページを一度に要約するのは結構疲れる。まあ、その中で自分の仕事を両立するのが大切だなと。問題は、頼まれ仕事Aをやっていることで別の仕事Bが進まず迷惑をかけるということかもしれない。

今日はそういうわけでほぼ1日レジュメを作る。午前中は論文を書き、午後2時過ぎまでレジュメ。そのあと池の上に所用で出かけ、午後7時ごろ帰って再びレジュメ。そういう1日。この二日間ほとんどお金を使わなかったので、かなり節約になった。引きこもり生活万歳。

December 19, 2015

引きこもり土曜日

1日引きこもってた。これはこれで幸せ。

9時間すっかり寝て、11時過ぎから作業開始。ニュースをチェックして、洗濯物を干して、13時過ぎに三章をようやく終了。四章はややながく、9時くらいまでかかる。終了後、SWのチケット予約(28日に観に行く予定だったのでまだ開始してなかった)、論文の再投稿をすませる。

コンビニでお菓子を買って、お風呂に長くつかる。歯を磨いて、レポートに手をつけ始める。これで少しづつ論文執筆に入ることができる。

December 18, 2015

金曜日

水曜日は3限のゼミまで家で作業。ゼミの前に図書館で取り寄せしていた本をとる。久しぶりによく眠れたのでコメントも比較的冴えてたような気がする。終了後こくわに行こうとしたが、臨時休業のためカレー屋の弁当ですませる。レジュメのスキャンなど終了し、6時に大学を出る。少し時間があったので、吉祥寺をぶらり。300円に安くなっているクレープと、いせやの焼き鳥。帰宅して作業。

木曜日は勉強会だけだったので時間に余裕があった。午前11時頃に大学へ行き、レジュメを作成。めどがついたところでこくわがた。朝はやく起きたのできま大HGをぺろり。眠かったので久しぶりに三友館で寝る。勉強会終了後、同期たちとメトロで軽くご飯を食べ、帰宅。某カンファのアブストを完成させ送付。某調査の研究会のタイトルも合わせて。

起床して因果推論のレジュメを6ページほど進める。最初はゆっくりやるのだが、時間が迫ってくると雑になる。10時半に永島が起きたことを確認して御茶ノ水へ。Mgくんと3人で、川菜館でランチ。麻婆を二つと、水煮を一つで満腹になる。その足で本郷に戻り、1時過ぎから筋トレ。御殿下で上半身を鍛える。今年はこれで一旦終了。終了後、院生室に戻り若干作業。国土地理院のデータを使って自治体のデータを99年度分エクセルに移す。それと文学部のアドレスの設定、インタビュー関連の仕事をすませて池袋へ。

コンパの店までやや迷ってしまったが、北口の風情を久しぶりに感じる。予想以上に、心温まる話が多かった飲み会だった。いまいち表現しにくいが、人のお世話になることをああいう風に表現できる先生はすごいなと思った。みなさん丁寧な方で、温かく迎えてもらった一年だったことを改めて思う。上の代の人もたくさんくるというこのゼミの特徴はありがたい。データを自分で作る細やかさと、新しいアイデアを生み出す想像力のバランス。明らかにしたい問いをはっきりさせないとと改めて思った日であった。ひとまず飲み会だったということで、明日から仕事を頑張る。

December 16, 2015

カップルタイプ別の妻氏率と人々の夫婦姓に対する意識。

最高裁判決が出ました。少し気になったので、妻氏にするカップルがどれくらいいるのかに関する統計を調べてみました。

厚労省の統計「平成十八年度婚姻に関する統計の概況」 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/konin06/konin06-2.html#2-8

夫婦が初婚か再婚かの4通りで見ると、妻の氏にする割合が高いのは一貫して順に両方とも再婚、妻が再婚、夫が再婚、両方とも初婚で面白い。総数で見た時の妻氏率が上昇しているのは相対的に初婚カップルが減少して再婚カップルが増加したからで一部説明できる。加えて時系列的に見てみるとどの組み合わせのカップルでも妻氏率は上昇している(いろいろと興味深い)。


次に、意識の面での調査。

内閣府の調査だと夫婦同姓に対する支持は平成8-13年の5年間でも減ってる。一見すると、性別よりコーホートの効果の方が大きそう。夫婦別姓を支持する人に自分は希望しますかと聞いた質問、希望についてはそこまでコーホート差がない(希望しないは若くなるほど減る)。

どうやら、態度として別姓支持が増えても、じゃあ自分が別姓を希望するかというとそうでもない。実際に婚姻届を出した人の中では3%しか妻氏を選ばない。結婚したことないからわからないけど、婚姻届出す時にどちらの姓にするかってカップルの間でどれくらい話し合われるんですかね。

最近結婚した先輩方カップルに一番聞きたいことかもしれないけどそんなこと聞けるわけないですね...

December 8, 2015

丹念な記述とその先

疲れているので手短にといきたいところだが、疲れている時ほど1日が濃密で、その凝縮された厚みの中の一瞬、もしかすると自分の人生にとって大きな意味をもたらすかもしれないなんて片平里菜の歌を聴きながら考える。特に理由はないけれど、記憶が明確なうちに何かを残しておきたい。


1日に入ってくる情報が多すぎて手に負えない。学部の頃と比べても量的にも、質的にも、本当だったら耳の右から左へ流れるような話なんてほとんどない。まともに扱っていたら1日がすぐ終わってしまうので、人に流したり、何か合理化したり、そういう機能を働かせながら取捨選択をして1日が過ぎるのだろう。

久しぶりに早く寝て、7時過ぎに起床。朝食を済ませて韓国語の勉強。前回小テストの存在を忘れていて酷い点数を取ってしまったので、今回は名誉挽回のつもりで真剣にやった。結果、おそらく出来は今までで一番良かったかもしれない。韓国語は一回の授業あたりで得られる進度が他の言語と比べて大きな気がする。日本語と文法が似ているからだろうか。いってみれば、コスパがいいのかもしれない。

終了後、ルヴェソンでミーティング。豚肩肉のソテーのはずが、品切れで鶏肉に変更。パンをふた切れ、小さな豆の入ったサラダ、それとコーヒー。前半は本題には入らず、あっちの大学院の事情などについて聞く。現地の最新の状況について、生の声が聞けるのはとても面白い。州立大学の中の多様性や、西海岸の知的潮流など。目指すならトップスクールに応募しろと一言目にいうのは、自分を評価してくれているのかはわからない。いい大学にはとりあえず出しておけという姿勢は勇気をくれる。いろいろ話して、渋谷まで一緒に出る。

昼ごはんは済ませたので、直で研究室に行き、所用を済ませ、社研で大和論文が言及していたWuのGendered Trajectory (Stanford)を借り、赤門棟へ。先生の発表はいつも通り中身の濃いもので咀嚼するだけで質問が浮かばない。議論を聞いていたが、betweenとwithinのうち、後者を不平等というのはどうなのかという、こういう場でないとなかなか話せない根本的な話も出る。自分は、家族の価値の議論を紹介したいなという思いもありつつも、やはり機会の平等の話だけで階層を議論するのもどうなのかなという煮え切らない部分が残る。最後のコメント、マクロな社会構造が個人のライフコースに影響を与え、それが最終的にマクロに戻っていく過程を追うのが重要だという言明は賛成の気持ちと反対の気持ちが入り混ざる瞬間で荷物を収めたバッグを再び開けメモをとる始末だった。階層研究をpopulation scienceとして推進していくなら、人口学の知見を積極的に取り入れるとともに分析単位を世帯にしていく必要があるだろう。発表で出てきた、家族背景、家族構造、家族環境の区分は役にたつ。これに筒井先生の制度的要因と構造的要因を導入して、4,5層の枠で問いを分節化できるかもしれない。


その流れで、Diversity and Inclusion へ。英語ですでに結構話していたので質問が結構しやすかった。日本の女性の7割は結婚後退職する(そのあと、友人との話で現在は6割程度まで減少していること、また結婚と同時の退職は減り、出産後退職が増えていることを再確認)のはなぜかという質問が上がり、発表者が、そういう慣行なのだが詳しい原因はわかっていないというある種衝撃的な発言をする。この手の議論で原因が指摘されてないわけないのだが、考えてみると、幾つも要因が浮かんできて一言で説明できないなという反省をする。しかし、この70という数字のインパクトは小さくない。それに比して、これという決め手の理由が言えないのはいささか寂しい思いがした。このほかにも、なぜ日本ではキリスト教系の学校が多いのにキリスト教とはいないのかという、素直すぎて正面から答えるのが難しい問いが出てきて留学生と一緒の授業の楽しみを最後に垣間見た。

終了後、同期たちと夕食へ。東大前方面のカレー屋で初めてだったが意外と美味しかった。サービスでラッシーをもらう。カレーライス700円にみんなでシェアしたフライドポテト300円。院生室に戻り、明日の発表の用意。1時間で切り上げるつもりが以外と時間がかかって帰宅は深夜に。

帰りの電車は、切れ目なくメッセージが届く空間から遮断された貴重な瞬間で、自分の研究について一番真剣に考えている時間かもしれない。電車の中で40分、帰りのみちで20分ちょっと、いろいろ考える。先の構造的要因と制度的要因の区別に従うと、現在読んでいるBrintonでは、社会学の1カ国研究ではなかなか見られない制度的な理由が比較の際に検討されている。例えば、GoldinのUカーブ仮説のロジックだったり。日本、韓国、台湾を見ていくことで、厚みのある記述に成功しているように見られる。必ずしもこの本は説明的な研究ではなく、欧米の理論に当てはまらない東アジアの状況を、各国の文脈を汲みながら探索的に考えている。とはいうものの、結論としては説明的な主張をしているところも多く、個人的には結構好きなスタイルに入るし、比較研究の一つの在り方かもしれない。自分は問いの立て方が下手なのだけど、いっその事、説明的なというはひとまず棚に上げ、まず日本と韓国の外れ方がなぜ生じているのか(なぜといっているけれど)を比較しながらつぶさに見ていく。その際には、経済学的な理論によるのではなく、社会学の語彙を使って同じ現象を見ていく。そして、その帰結も(人口学の知見も借りながら、できれば)描いていく。結果として、既存の研究ではあまり見えてこなかった、あるいは明確に言及されてこなかった点がクリアに出てくるというのが理想的なスタイルではある。

いろいろ考えながらこうした東アジア比較の文献を読むと、意外と分析単位が狭いような気もする。Brintonの本にはほとんど「男性」がでてこない。いや、タイトルから女性を扱うのはわかるんだけど、女性の結婚行動や就業行動には配偶者の存在なくして語れない部分も多いのでは?とか、必ずしも制度的な要因だけで終わらせるのもどうなのかなとかを考える。まだ頭の中で整理できていないけれど、比較を通じて、家族形成と不平等という近年ホットになりつつあるトピックについて、丹念に記述していく。その先に何が見えるのかはわからないけれど、一度持った疑問は、特に今日のセミナーや本を読んで思った感想は、重要なはずだという直感を持っている。その上で以上のようなことを考えていたので、きっと無駄にはならないだろう。EAのいうような女性の革命の話と自分がいる社会の文脈のギャップが、ある説得的な形で説明できたらいいなと思う。外れ値だからといって、不平等と無縁というわけではないだろう。まだまだ考え中。

December 6, 2015

休日?

前日に立ちっぱなしだったせいか頭痛気味で家を出る。少し遅れて乃木坂での勉強会に参加した後、昼は中華。その足で三田に向かい比較政治学セミナー。内容は専門外でしたが、くしくも日本の特殊性を異なるアプローチから扱う研究が続いていて面白かった。高ゼミの後輩が二人いたり、先学期ライティングの授業をもってくれた先生がいたり、偶然も重なりました。さすがに研究しないといけないので途中抜け。

その後、基本的には研究をしたと思うがあまり記憶がない。。。おそらく日程調整などをしたのだろう。あ、作業したんだった。

日曜は朝活で下北沢。友人と朝と昼を食べながら、勉強。Brintonを読み始めたり、SSM2005の第2巻読んだり。その後池の上経由で蔦屋書店で作業。ひきつづきBrintonを読む。

自分の修論は家族、不平等、世帯、比較などがキーワードになってくるが、それとは別に論述のスタイルとしては、客観的に異なる立場を記述していった結果、いつのまにか最初の出発点からは予想もされなかった結論を引き出していたい。途中まで、先行研究と同じやり方で通るのだが、ちょっと視点を変えるとこれだけ違って見えるというのはスタイルとしては憧れる。

女性の労働市場への進出はそれ自体として重要なトピックではあるが、Brintonの本は労働市場を強調しすぎてて、配偶者の姿が見えてこない。需要、供給といった部分以外にも、個人はいろんなものに反応しながら行為をするはずだろうと考える。学歴も、単に労働市場へのシグナルや人的資本の獲得といったものに回収されない地位の側面があると考えても良いはず(同じ現象に対する多様なアプローチが増えることは歓迎すべきだろう)。その一つが同類婚や上昇婚だったりするはず。世帯に単位を拡張して、比較。そこで見るのは経済的な階層性だけではなく、学歴間の障壁だったり、そういうもう少し社会学的な部分によっていきたいと思う。

December 4, 2015

木・金

やはり平日は忙しい。木曜日は2限のゼミで文献報告があったので、前日夜遅くまでその用意。朝、へとへとになりながら1限のゼミに出向く。絶対に休めないゼミが1限にあることが平日のQOLをやや下降気味にしている。まあ、これもあと一回。2限のゼミは文献を誤読というか、読解が不十分で先生の解説の妙を見せられる。

終了後、講演会があるまでご飯を食べたりメールに返信したり、人と話し合ったり。空いた時間が最近そういう時間に消えていく。疲れてしまったので講演会は半分くらい寝てた。

5限はライティングだが、謎の展開を見せる。先生がいきなり英語学科の開催するセミナーに行くと言い出し、アカデミックプレゼンテーションのいい勉強になると言っていたが、もう明らかに授業やらないでそっちのセミナーを見たかったのがバレバレだった。

発表を聞く、という任務を終えて院生室に戻る。その日でひとまず忙しさに切りがついたのでみんなとご飯を食べる。

金曜は午前中に永田町の某所でインタビュー、その後こくわ経由で大学へ。本を借りたり、三四郎池で写真を撮ったり、しばしくつろぎの時間。17時に赤坂へ向かい、番組収録の観覧。Goosehouseを初めて生で見ることができて感動。おまけに子供の頃からおはスタでよく見ていたベッキーがMCをしていて、こちらも感動。

ライブ形式の番組なのでずっと立ちっぱなしだったので疲れて吉祥寺に。ギリギリ食堂の時間に間に合わないと判断していせやに入るが、こちらも閉店、仕方なく向かいにある沖縄料理屋でソーキそばを食べる。この質で値段は張るのは居酒屋仕様だが、胃に優しいので好んで食べる。帰って作業して明日は分析と文献を処理したい。ただ、午後4時くらいまでは予定がある。日曜かな。。。

December 1, 2015

潜在変数アプローチと構造主義

昨日の夜は修論のことを考え出して全然眠れなくなっていた。理論基礎で構造主義の紹介をしていた文献を読んで、構造主義のいう構造と社会学でいわれる構造の違いについて帰りながら少し考えていた。基本的に、(コンテンポラリーな)社会学の理論では、最初から強めの分析枠組みを定義して、そこから演繹的にこうなる、こうなるとはせずに、そういう概念みたいなものは最低限に抑えて、つぶさに現実を記述していってから言えることを考えていく傾向にある傾向が強いのではないかと考えている。そこで必要とされるような理論は、何かを説明しようとするような枠組みというよりも、物事を記述するために最低限必要な道具という位置付け。階級にしろ、行為の四類型にしろ(作った当人たちの中ではどう使われるかなんて念頭になかったろうが)社会学の知的伝統の中で培われたもろもろの概念は、社会的な現実を理解する際に有用なものが多い。

ブルデューの理論を継承して新しい階級枠組みを提示しているSavageの研究もそういう傾向の中に位置付けられるかなと思った。彼はブルデューに習って、経済資本、社会関係資本、文化資本と階級を構成するような要素を上げていき、潜在クラスをもちいて階級を提示している。

この潜在性というのは、構造主義のいう構造に近いのではないかと考えていたのが昨日。Savageの研究は、階級を僕たちが明示的に意識できるものとして捉えるのではなく、諸要素を組み合わせることによって見えてくる潜在的なものとして定義したのではないだろうか。潜在変数アプローチは、どちらかといえば構造主義的な発想に近いのかもしれない。


自分は、学歴という変数に注目して同質性の強さを考えているが、そこでいう学歴が何を表しているのかについては、一致した見解が見られないような気がしている。ある人からすればそれは人的資本だが、「学歴」というからには、それは一種の(境界線を作り出すような)ステータスだと考える人もいる。一方で、学歴を、それに代表されるようなライフスタイルを象徴するものとして捉える人もいる。こうした比較検討がされないまま、なんとなく学歴を使用した分析は同じ土俵の中に立っているのではないだろうか、それじゃ自分の修論はどう考えよう、そういうことを考えていたら夜が明けていた。実は、同じ学歴のペアという同質性が何によって引き起こされているのかを考えるときに、学歴と関連する機会構造ではなく、人々が学歴に対して何らかの選好を持って行動すると仮定するときには、上記いずれの三つでもそれなりに真っ当な説明が(学歴の背後にある変数を考慮しないと)鼎立してしまう。要するに、学歴や職業といった変数を顕在的なものとして捉えたときに、複数候補があるうちで何がその背後にあるのかについて考察していないということだ。


2限が韓国語の授業で小テストがあることをすっかり忘れており散々な出来、一方で会話の暗記は完璧にできた。授業後延滞していた本を返し、こくわがたで冷大HG生玉、途中文献の複写依頼をしていたものをとりにいったり、自転車に空気入れたり。院生室で校正と四谷ゼミの文献購読。及び木曜のゼミのまとめ。5限にDiversity and Inclusionで学生のプレゼンを聞く。夕食はキャンパスにて。帰宅後、届いていた眼鏡の新しい鼻当てを取り付けようとするが、ネジを床に落とす失態。結局代替物で処理。その後温泉ワーク。


追記:例えば、学歴を人的資本が顕在化したものとして捉えるのならば、学歴間の同類結合の分断の少なくない部分は、その学歴によって予測される生涯賃金によって説明できるはずだ。仮に生涯賃金と学歴結合の間に関連がないとすれば、異なる学歴の間には地位集団に相当する境界があると想定するか、学歴に代表されるような価値観や文化的嗜好が分断を説明する要素として存在するという仮説が候補として浮かび上がるだろう。

November 30, 2015

月曜

午前中に洗濯を済ませ、昼に大学へ。電車に乗りながら温泉ワーク。12:30から作業開始し、13:00にリスト化、そのあと数を入力して13:35に終了。14:30まで校正。途中電源が落ちる。こくわでしょうゆうどんHG、おまけでアスパラの天ぷら。帰り道で行方不明になってた自転車を見つけ院生室に戻る。5限の文献を一通り読んで永島と生協へ。授業をやり過ごし院生室に再び。今度は永島の校正を済ませて大学を出る。電車内で再び温泉ワーク。帰宅して夕食(鯖の味噌煮だった)。そのあとすぐ温泉ワークに戻り22:40に終了。メールもして自由時間。さすがにtwitterやらないと時間ができる。

明日の韓国語の用意。さすがに切羽詰まってて夜の勉強会はキャンセルした。やや喫緊の課題で韓国語もできておくに越したことはない状況にあり、そろそろ本腰入れて勉強しないといけないタイミングかもしれない。


メモ:東アジアの労働市場と社会階層 / 太郎丸博編

November 29, 2015

久しぶりに休日

久々に休日らしい1日を過ごした。

起きてから論文を一本読みまとめる。今日は、友達が吉祥寺で用事があるというのでそれに一緒についていく琴にしていたのだが、先方の寝坊により10時集合が13時半の延びることになった。そのため学校に行けなくなったが、結果としては休むことができたので良かったと思っている。2週間後にある理論基礎のまとめ、木曜日と水曜日にも文献のまとめがあり、それをやる必要、あと韓国語の勉強がある。11日にはゼミで報告。

友人の買い物に付き合って、遅めの昼食にガレット。途中で別れて一人コーヒー豆を買ったり、雑貨屋巡りをしたり。7時頃に帰宅し、その足で事務作業。友人の修論の校正を90分程度した後は温泉ワーク、終了後今に至る。途中でBreenの同類婚と世帯格差の論文を読むが、先日読んだRSSMの論文と同じ反実仮想アプローチを使って不平等の趨勢をTheil indexで表現するものだった。(あれにも一長一短あるのだなと先日苦い思いをしたのであまり読む気にはならなかった。ただ、何らかの反実仮想的な方法は修論でも改めてやるとは思う。)

明日から頑張ろう。

November 28, 2015

女性の就業と家族の格差

村上あかね ,2001. “90年代における既婚女性の就業と収入格差.” ソシオロジ 46(2):37–55.

 この時期にしては比較的珍しい社会学者による女性の就業と世帯収入格差の関係について考察した論文。データはSSM1995。分析方針はOppenheimer によっている。夫を職業8分類から作成した4カテゴリ、妻を従業上の地位からフルタイム、パートタイム、自営、無職の4カテゴリに分け、夫婦類型(及び後半は年齢別に)に基づいて妻の収入が世帯の収入格差に及ぼす影響について考察している。

 夫婦類型の分布を示した後(4.1、ちなみに4節はこの小節しかない)、5節からの分析で、(1)夫婦類型別の妻夫の収入中央値と妻の収入比、次に(2)夫婦合算の世帯収入を夫の職業内・職業間で比較している。分析結果は、妻が有職である夫の年収は無職の妻の夫の年収より低い傾向にあることを示している。ただし、妻有職によって前者の世帯のほうが世帯年収は高くなる傾向にある。

 6節ではこれまでの分析を年齢別にみている。分析結果は、夫の職業別に見た時、妻の就業が世帯年収に及ぼす影響は20-30代で大きく、40-50代では小さくなることがわかった。20-30代の中における妻が有職である夫の年収と無職である妻の夫の年収の格差は40-50代よりも小さいということから著者は「全体サンプルにおいて成立している「ダグラス=有沢の法則」が若い世代において弱くなっている傾向」を指摘するが(45)、この解釈は疑問が残る。確かに、ダグラス=有沢法則が年齢を通じて貫徹しているとして、40-50代を基準として20-30代を比べた時、妻が働いていることと夫の収入の関係は弱い。しかし、この傾向は要するに、夫の収入に比べて妻の収入は年齢の効果を受けにくい、つまり、夫の収入は加齢とともに増加していく傾向にあるが、妻の収入にはそうした傾向は見られないということを反映していると考えたほうが自然ではないだろうか。と、考えていくと、ダグラス=有沢法則は年齢のことを考慮していたのだろうかという疑問が生じる。

 分析の範囲は超えているが、論文では20-30代で見られた女性内部が今後維持・拡大していく可能性について触れている。この点について引用されている原・盛山(1999)でも言及があったことは忘れていた(一応線は引いていたようだ)。原・盛山(1999)では、女性においては男性以上に(短大・)大卒かどうかによるライフチャンスの格差が大きいとの指摘がある(182-183)。すなわち、男性に比べて女性のほうが学歴による世帯年収の格差が大きい。女性にとっては自分の学歴によってどのような(収入を持つ)夫と結婚するかの確率も変わってくるため、単に個人収入を見るだけでは無職層の高学歴妻の優位を判別できないとする。現在はどうなっているのか、今後の検討が待たれる。

土曜

ほとんど温泉ワークで潰れた悲しい1日。細かいデータの確認だったり、市町村の名前を変えたり。さいわい昔の自治体の名前を新しいものに変更できるための資料が見つかったので良かった。エクセル関数に詳しくなるばかり。日本の自治体の構成は非常に体系化しにくい。最近やたらofficeが重かったので再起動したら軽くなった。
夜に別の友達の修論を見る。

早く自分の研究がしたいんだけど...


今度のカンファレンスに出すネタを考えるが、うまくいくだろうか。早く修論が書きたい。

November 27, 2015

金曜日

最近色々とストレスのたまることがあったので、久しぶりに早く寝たら今日は調子が良かった。

午前に寮の新しい営業の人と面談。今後の方針についてやり取りを交わした。
その足で大学へ行き、3時まで諸々の作業。論文の校正と温泉ワーク。それにインタビュー関係。2時前にsndとこくわがたに行き、きまHGを注文。

三時からのゼミは珍しく3人しかいなかった。発表者も一人だけど予想外に早く終わる。そこで再び研究室に戻り、原稿の校正と友人の修論の校正。

9時前に帰宅して夕食。そのあとまず韓国労働省の統計データについて友人から得たアドバイスもふまえて作業。ひとまず、該当するファイルはすべて落とせたが、hwpなる、韓国ローカルの文書フォーマットのせいで文字化けを起こす。現在その友人に助けを求めている途中。某カンファレンスは日韓の比較で考えていて、このデータは非常に重要。

そのあと、今度は別の共著ワークの作業。論文で知ったmokken scale analysisをstataのパッケージで試してみる。まずまず予想通りの結果。この話を今後どう展開していくかがミソになる。共著者の想像力に頼るばかりか。

November 25, 2015

ゼミで報告

今日は4-5限のゼミで修論の構想も含めて報告。趣旨としてはジェンダー平等と経済的な平等の関係になると思うのだけれど、今回は使ったデータと見たい問いがマッチしていなかった。まだ、この分野には不得手なので、徐々に肌感覚をつかんでいきたい。

修論なので、それなりにストーリーが必要になってくる。計量分析が先にあるのではなく、明らかにしたい問いが先にあって結果としてデータを使っているという流れを忘れないようにしたい。今は、ストーリーの舞台と主役を決めている段階。今週末に、序章(といっても序章は執筆の最後に書き直す箇所になるはず)に手をつけ始めたい。初発の問いはあるが、どこからスタートするかが難点かもしれない。

November 22, 2015

休日

今日は1日家にいることができて精神的に安定していた。

研究についてあることないこと考える日々で、今の自分がどちらかというと経験主義的なバイアスに傾いているというのは否定できず、そのことについて考える。経験主義バイアスとは、要するに事実がデータとして示されなければ強い懐疑を向ける姿勢。この点については反省しているというか、見えるものしか見ないと起こる弊害もあると思う。事実の列挙だけでは命題は提示できないはずで、理論ともいうべき思考の枠組みが必要になる。枠組みの中に配置されてる概念に対しては、観察可能性を前提にする必要はない。そういう理論と経験のバランスを上手く取っている人は、研究者の中でもとても少ないのではないかと思う。

データ同士の連関は理論なしでも確認できる。だけど、なぜ関連があるのか、そのブラックボックスを明らかにしようとすると、データだけでは埋めきれない思考の枠組みが必要になる。自分にはそういう理論みたいなものが足りないなと思うことはあり、なぜを問うことに臆病になっている節は否めず。データから理論を生んだり、データだけで議論を完結させようとするものもあるけれど、なかなか与することはできない。あまり上手く言えないけれど。計量データからでもいろんなことが言えるような気がするんですが、そこだけに絞ってしまうと、現状は結局のところ回帰分析することになりそうで。

November 19, 2015

コツ

色々コツをつかむ。薄々自分でも感じ取ってはいたけど、見ない部分を見ないときちんと突っ込まれる。最近忙しい日々が続いていたけど、そんな中でも研究と仕事を分けるコツを何となく理解する。明日は色々事務仕事終えて研究にシフトしていきたい。通常科学側の人間でありながら、常に前提を疑い続けることの知的態度を身に付けたいなと思った。英語の授業も、コツをつかむことがあった。事実と形容。

夜は蔦屋書店で友達とだべる。楽しい時間だった。

November 8, 2015

帰京

 昨日は生みの父親の母の墓参り(墓探し)、5年近く連絡が途絶えていたのだけど、7月に亡くなったという母の一言にかられて、母方の祖母のわずかな記憶を頼りに、共同墓地と複数の寺を一つずつ巡っていき、2時間ばかりかけてようやく見つけることができた。墓の前でひとしきり泣いてすっきりした。
 諸事情で私の苗字は生みの父親のものなのだけど、死んだ祖母の苗字はそれとは違っていた。自分のイエは離別と死別がごちゃごちゃになってて、とてもじゃないけど家系図なんてかけたもんじゃないと改めて。
 今日は雰囲気がらっと変わって母方のいとこの結婚式。幼い頃、私の母と叔母が働きに出ている事情もあり、母方の祖母と一緒にきょうだいのように過ごしていた。高校を過ぎてからあちらが引っ越して会う頻度は減っていたけど、今日久しぶりに顔を見ることができた。
 結婚の際に姓を変えるとか、式で両家のなんたらとか、素朴に捉えて中に入っていくことはできないけど、それらはひとまず棚に上げて、一個人としては彼女の新しい人生がうまくいくよう願うばかり。なにより、祖母が孫の結婚式を見られてよかったなと思った。そういう事情でこちらもひとしきり泣く始末。
 この二日間の出来事は、東京に出るまでの人生に、今の視点から意味を見出すためには必要だった。自分の中でしこりみたいに残っていたものの一部がほぐれた感じ。基本的に、大学に来るまでに経験していたことと、大学に入ってからの周りの環境はギャップばかりで、その間を埋める作業はこれからも必要。
 大学に来て最初の頃は、周りの環境が真っ当なものに見え、大学に入るまでの自分の経験に一種の恥ずかしさを感じていたけど、今はまあそれも一つの生き方だし、自分はその両方の間に位置する境遇で、それを背負って生きていこうと思うようになった。こう言えるようになるまで結構時間かかるんですよね。
 そういう境界にいるのは、基本的にあまり居心地がいいものではないというか、例えば今日なんかも周りから東大に通ってて凄いねえとかいう、田舎あるあるを久しぶりにかませられたりした。多かれ少なかれ複数のカテゴリの間に位置する人なら経験することだろうとは思うけど。
 そういうのをネタにできる力もないので、ひたすら、あ、はい、ありがとうございます、そうですね、親に感謝してます、はい、頑張ります、ありがとうございました...って言いながら右から左に聞き流すことしかできない。しかし、1日スーツで非常に疲れた。卒業式以来で、今年度初。スーツを着ることがマストな職業には就けない。。。

November 7, 2015

帰省中

現在帰省中。今日は7月に亡くなった生みの父親の母(僕から見るとおばあちゃん)の墓参りに行ってきた。もう音信途絶えて5年くらいで、どこに墓があるかもわからず、母方のおばあちゃんがかすかに覚えてたのを頼りに、2時間くらいかけてようやく見つけることができた。一通り泣いて、すっきりした。小学校に入るまでは、ほんとよく面倒見てもらってたので、死に目に会えなかったのが寂しかった。こういうことが続きます。

雰囲気ガラッと変わって、明日はいとこの結婚式。子供の頃は、きょうだいのように一緒にいたので、こちらも感慨ひとしお。ただし、研究会と被っているため、披露宴の途中でタクシー捕まえて帰京する予定。

October 31, 2015

週末

木曜日に査読が通ったとの連絡が届き、原稿を送る。気持ちに余裕が出たので、代官山の蔦屋書店に初めて行ってみる。お目当ては、日本では蔦屋書店だけで取り扱われているNAVAのリュック。10年ぶりにリュックを買い換えてみる。以前使っていてのは、歩く会デイ使用するためのかったKarrimorのもの。タウンユース向けで、軽く、デザインも気に入ったものというのはなかなかない。人と同じなのも嫌だし、みんな黒で無難なのも、少しきになるところだった。新しく買ったリュックは今のところ満足している。

金曜日からゼミ合宿。自分の発表は久しぶりの規範論。発表を通じて、今はあまりこのテーマに興味がないんだなと率直に思えた。研究を頑張ろうと思う。

ゼミ合宿後、しばし鎌倉観光。七里ヶ浜まで江ノ電で行き、前々助教を押しかける。談笑して、帰りは小田急で。下北でご飯を済ませ(まずかった)、帰宅。

October 27, 2015

日本研究雑誌(メモ)

Social Science Japan Journal 
http://ssjj.oxfordjournals.org
Japanese Journal of Political Science
http://journals.cambridge.org/action/displayJournal?jid=JJP
International Relations of the Asia-Pacific
http://irap.oxfordjournals.org
Journal of Japanese Studies
http://depts.washington.edu/jjs/

The Journal of Asian Studies
http://journals.cambridge.org/action/displayJournal?jid=JAS

electronic journal of 
contemporary japanese studies
http://www.japanesestudies.org.uk/index.html

Contemporary Japan
http://www.degruyter.com/view/j/cj.2015.27.issue-2/issue-files/cj.2015.27.issue-2.xml

French Journal of Japanese Studies
http://cjs.revues.org/

Japanese Studies
http://www.tandfonline.com/toc/cjst20/current

East Asia Integration Studies
http://asianintegration.org/

The Asia-Pacific Journal: Japan Focus
http://japanfocus.org/

The Developing Economies
http://onlinelibrary.wiley.com/journal/10.1111/(ISSN)1746-1049

October 25, 2015

休日

最近、あまり日常を書き連ねた日記を書いてきませんでした(端的に言うと色々と忙しく気持ちに余裕がなかった)。この土日は、ほぼフリーで気持ちに余裕ができたので(めども立っているので)書いてみることにする。

土曜の午後に、日曜朝に人と会う予定ができたので、ついでに友人と一緒に昼食でもと思い、メッセージを投げてみる。相手も暇なようで、下北沢で落ち合うことにした。結局、最初に会う予定だった人とは面会が延期になり、二度寝をした挙句にOSのアップデートに時間を食って、予定より1時間ずらして南口に集合。Moonaというカレー屋でご飯をすませる。誕生月なので奢ってもらう(話の流れでそういえば誕生日の月だということになり、意図したものではなかった、相手も忘れていた。自分も相手の誕生日は忘れていた)。


そのあと、カルディのリニューアルオープンセールに並んでキリマンジャロなどを購入し、僕はtagcafeに向かう。結局、相手も途中で合流し、僕は論文の校正と読書、あっちは仕事の企画書作りをする。6時過ぎに店内が騒がしくなり(あとタバコ臭くなり)店を出ることにした。途中まで歩いて、そのあとは僕は定食屋で一人で夕食をとることに、という1日。


休日らしい休日というか、お互い自分の作業をしていても特に気まずくなることはなく、疲れたら雑談をできるという関係で、ちょうどいいなと改めて思った。ちょうどよさの塩梅は意外と難しく、下手に共通の話題があると議論してしまうので気分転換にならない可能性がある(もちろん勉強にはなる、ただそういう難しさから逃亡したい時もある)。とは言っても、自分の周りで全く共通の話題がない人というのはそもそもネットワークに入ってこないので、難しい。ある程度気心が知れていて、サークルも適度に違うというのはなかなか両立しがたい。そう考えると、貴重な(というと相手を持ち上げているので留保したいが)友人かなと思う。言い換えると、大学一年からのよいコンビ(とやや自画自賛ぎみ)。将来的に互いに東京を離れる可能性は高いけど、いや高いからこその今があると思いたい。でも、そんな将来のこと考えない二人ではある。大切なのは、互いの意思を尊重すること。



October 18, 2015

研究会を終えて

今日の研究会、有益なコメントたくさんもらえてよかった。他の人の報告も面白かった。こういう場では、ある程度含みを持たせた報告にするのもありだなと思う。最近、改めて研究も生き物だなと思うことがあり、自分で仮説を立てて検証しようとしても、その過程で人からアドバイスを貰ったり、人の発表を聞いてこういう方向もありだなと思いついたり、その後文献読み進めていったりして、結局、最初想定していたものとはかなり違う形で提出される。問いを立てラフな分析までするのは一人でやるけど、その後は適当なタイミングで人からアドバイスを貰い、洗練させていくのが大事だなと思うし、そういう一連の過程はとても楽しい。研究は一人でやるもんではなく、周りのサポートを得ながらできていく。

そういう意味で、今の環境には感謝する点が多い。修士なので授業もまだ多いし、毎週忙しいけれど、基本的に好きな研究させてもらってるし、今の環境には満足している。人間関係にも恵まれているし、今のところ、将来に対する不安も特にない。

ただ、このまま今の環境に安住するのも、可能性を狭めているなというのは、同時に感じることではある。田舎には帰るつもりはないし、かといって大学があるという理由で住んでいる東京に固執する理由もない。今は充実している時期だと10年後振り返って思うのだろうけど、10年後も全く同じことをしていてはいけないなと思う。安定が保身につながる道に、少なからず危機感はある感じ。

現状には満足しているけど10年後も同じ状況でいいかというとそれはまた別の話。今のうちから、少しずつ将来についても考えていかないと行けないなと思う。まあ、みんな無意識のうちにやっているんだろうけど。働いている友人と話すと、それを強く感じる。

October 14, 2015

献本御礼:池周一郎, 2015. 「初婚関数の数理」古今書院

表題の著書、池先生より頂きました。先日の第88回日本社会学会の家族(結婚)部会にて初めてお会いし、発表に対して暖かい言葉をかけてくださったのをよく覚えています。

数理的な内容で読むのには時間がかかりそうですが、少しずつ理解し、今後の研究に活かしていきたいと思います。ありがとうございました。



October 11, 2015

二次分析研究会関連論文

Cancian, M., and D. Reed. 1998. “Assessing the Effects of Wives' Earnings on Family Income Inequality.” The review of Economics and Statistics 80(1):73–79.
Cancian, M., and D. Reed. 1999. “The Impact of Wives' Earnings on Income Inequality: Issues and Estimates.” Demography 36(2):173–84.
Cohen, P. N., and S. M. Bianchi. 1999. “Marriage, Children, and Women's Employment: What Do We Know?.” Monthly Labor Review 122(12):22–31.
Dean, R. H. 2001. “Rising U.S. Earnings Inequality and Family Labor Supply: the Covariance Structure of Intrafamily Earnings.” American Economic Review 91(4):755–77.
Goldin, C. 2006. “The Quiet Revolution That Transformed Women’s Employment, Education, and Family.” American Economic Review 96:1–21.
Kim, M.-K., and S. W. Polachek. 1994. “Panel Estimate of Male-Female Earnings Functions.” Journal of Human Resources 29:406–28.
Lee, C. 2008. “Rising Family Income Inequality in the United States, 1968–2000: Impacts of Changing Labor Supply, Wages, and Family Structure.” International Economic Journal 22(2):253–72.
Lichter, D. T., D. K. McLaughlin, and D. C. Ribar. 1997. “Welfare and the Rise in Female‐Headed Families.” American journal of sociology 103(1):112–43.
Lundberg, S. J., R. A. Pollak, and T. J. Wales. 1996. “Do Husbands and Wives Pool Their Resources: Evidence From the United Kingdom Child Benefit.” Journal of Human Resources 32(3):463–80.
Pencavel, J. 2006. “A Life Cycle Perspective on Changes in Earnings Inequality Among Married Men and Women.” Review of Economic and Statistics 88(2):232–42.
Smeeding, M. T., and H. D. Weinberg. 2001. “Toward a Uniform Definition of Household Income.” Review of Income and Wealth 47(1):1–24.

Zhou, X. 2000. “Economic Transformation and Income Inequality in Urban China: Evidence From Panel Data.” American journal of sociology.

ひとまず。

October 9, 2015

2015年5月12日から10月20日までに出版された結婚関係論文リスト

Alba, R., and N. Foner. 2015. “Mixed Unions and Immigrant-Group Integration in North America and Western Europe.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):38–56.
Bas, V. D. K., E. Plug, and L. Ziegler. 2015. “Can Educational Expansion of Parents Explain Polarised Earnings of Children?.” 1–22.
Board of Governors of the Federal Reserve System, J. Dokko, G. Li, and J. Hayes. 2015. “Credit Scores and Committed Relationships.” Finance and Economics Discussion Series 2015(81):1–57.
Boyd, M., and A. Couture-Carron. 2015. “Cross-Nativity Partnering and the Political Participation of Immigrant Generations.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):188–206.
Cheng, S. 2015. “Unequal Origins, Unequal Trajectories: Social Stratification Over the Life Course.” the University of Michigan.
Collet, B. 2015. “From Intermarriage to Conjugal Mixedness: Theoretical Considerations Illustrated by Empirical Data in France.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):129–47.
Dahlberg, J. 2015. “Art%253A10.1007%252Fs10680-015-9346-0.” European Journal of Population 1–28.
Edwards, L. N., T. Hasebe, and T. Sakai. 2015. “Education and Marriage Decisions of Japanese Women and the Role of the Equal Employment Opportunity Act.” City University of New York Economic Working Papers 1–46.
Fremeaux, N., and A. Lefranc. 2015. “Assortative Mating and Earnings Inequality in France.” 1–36.
Guetto, R., and D. Azzolini. 2015. “An Empirical Study of Status Exchange Through Migrant/Native Marriages in Italy.” Journal of Ethnic and Migration Studies 41(13):2149–72.
Hunt, L. L., P. W. Eastwick, and E. J. Finkel. 2015. “Leveling the Playing Field: Longer Acquaintance Predicts Reduced Assortative Mating on Attractiveness.” Psychological Science 26(7):1046–53.
Ivanova, K., and K. Begall. 2015. “The Second Time Around: Educational Attainment and Repartnering in an Eastern European Context.” Zeitschrift für Familienforschung 27:165–82.
Kalmijn, M. 2015. “The Children of Intermarriage in Four European Countries: Implications for School Achievement, Social Contacts, and Cultural Values.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):246–65.
Kim, Y.-I. 2015. “Art%253A10.1007%252Fs13644-015-0227-0.” REVIEW OF RELIGIOUS RESEARCH 1–27.
Lee, J. 2015. “From Undesirable to Marriageable: Hyper-Selectivity and the Racial Mobility of Asian Americans.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):79–93.
Lersch, P. M. 2015. “Family Migration and Subsequent Employment: the Effect of Gender Ideology.” Journal of Marriage and Family n/a–n/a.
Lichter, D. T., Z. QIAN, and D. Tumin. 2015. “Whom Do Immigrants Marry? Emerging Patterns of Intermarriage and Integration in the United States.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):57–78.
Mäenpää, E., and M. Jalovaara. 2015. “Achievement Replacing Ascription? Changes in Homogamy in Education and Social Class Origins in Finland.” Advances in Life Course Research 1–13.
McTaggart, S. M. 2015. “Male/Female Partnershipsin Cohabitation and Marriage: Changing Trends in New Zealand.” The University of Auckland.
Nitsche, N., A. Matysiak, J. Van Bavel, and D. Vignoli. 2015. “Partners’ Educational Pairings and Fertility Across Europe.” Families and Societies Working Paper Series 1–38.
Paat, Y.-F., and T. L. Hope. 2015. “The Effects of Marital Culture and Social Structure on Marital Aspirations and Attitudes in ‘Fragile Families’.” Journal of Family Social Work 18(3):143–63.
Pestel, N. 2015. “Marital Sorting, Inequality and the Role of Female Labor Supply: Evidence From East and West Germany.” ZEW Discussion Paper No. 15-047.
Rahnu, L., A. Puur, L. Sakkeus, and M. Klesment. 2015. “Partnership Dynamics Among Migrants and Their Descendants in Estonia.” Demographic Research 32:1519–66.
Raley, R. K., M. M. Sweeney, and D. Wondra. 2015. “The Growing Racial and Ethnic Divide in U.S. Marriage Patterns.” The Future of Children 25(2 ):80–109.
Rauscher, E. 2015. “Effects of Early U.S. Compulsory Schooling Laws on Educational Assortative Mating: the Importance of Context.” Demography 52(4):1219–42.
Raymo, J. M. et al. 2015. “Educational Differences in Early Childbearing.” Demographic Research 33:65–92.
Rodriguez-Garcia, D., M. J. Lubbers, M. Solana, and V. de Miguel Luken. 2015. “Contesting the Nexus Between Intermarriage and Integration: Findings From a Multi-Dimensional Study in Spain.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):223–45.
Schroedter, J. H., J. Rossel, and G. Datler. 2015. “European Identity in Switzerland: the Role of Intermarriage, and Transnational Social Relations and Experiences.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):148–68.
Seong, M., and Y. Sato. 2015. “Patterns and Trends of Educational Assortative Marriages in South Korea and Japan Among 1930s-1970s Birth Cohorts.” Indian Journal of Science and Technology 8(19):1–9.
Shin, K.-Y., and J. Kong. 2015. “Women’s Work and Family Income Inequality in South Korea.” Development and Society 44(1):55–76.
Song, M. 2015. “What Constitutes Intermarriage for Multiracial People in Britain?.” The annals of the American academy of political and social science 662(1):94–111.
Stadtfeld, C., and A. S. Pentland. 2015. “Partnership Ties Shape Friendship Networks: a Dynamic Social Network Study.” Social Forces 94(1):453–77.
Theunis, L., I. Pasteels, and J. Van Bavel. 2015. “Educational Assortative Mating After Divorce: Persistence or Divergence From First Marriages?.” Zeitschrift für Familienforschung 27:183–202.
Vasquez, J. M. 2015. “Disciplined Preferences: Explaining the (Re)Production of Latino Endogamy: Table A1..” Social Problems 62(3):455–75.
Zhou, X. 2015. “Three Papers on Economic Inequality and Social Mobility.” the University of Michigan.

2015. “The Gettysburg Economic Review, Volume 8, Spring 2015.” 1–111.

September 20, 2015

パネルデータ構築について

久しぶりにパネルデータを分析するにあたって、ロング形式のデータにするまでの過程を思い出すのに時間がかかってしまったので、備忘録としてメモしておきます。

まず、ロング形式にするにはstataを使っています。したがって、stataで加工できるまでの下準備が必要です。また、ワイド形式のsavファイルがあるとします。

具体的な手順としては、
1. savファイルの状態で変数名をロング形式用にrenameする。
2. savファイルをcsvに変換してからRに読み込むか、もしくは直接Rに読み込む。
3. Rにデータフレームで読み込んだファイルから、必要な変数だけを取り出す(x[, c("x1", "x2",,,"x10")]のように(Rstudioは不推奨)。
4. 編集したファイルをwrite.csvで書き出す。
5. 新しくできたcsvファイルでは、欠損値がNAとなっているので、これをstataに入れる前に.に変換する(エクセルを使った手作業になるが、もっと効率的な方法があるはず)
6. 欠損値処理をしたファイルをstata上でインポートし、reshapeする。

2-5の作業が必要なのは、私の持っているStataがICのため、約2000以上の変数を持つデータの場合、編集ができないため。Stata SEをもっていたり、変数がこれより少ない場合はsavファイルをcsvに変換した後、(欠損値を処理して)直接stataにインポートすればいいと思います。

これ、絶対もっと効率的な方法があると思うのですが、何分我流でやってきた事情でこんな感じになっています。もっと楽な方法があれば教えてください。



September 7, 2015

北京大学・東京大学合同サマープログラム


 2015年8月28日(金)~9月6日(日)の日程で、中国・北京にて北京大学・東京大学合同サマープログラムに参加してきた。本プログラムは、今年東京大学と北京大学との間で締結された戦略的パートナーシップによる国際交流活動の一環として位置づけられ、東京大学からは東洋文化研究所の園田茂人教授・卯田宗平講師、北京大学からは国際関係学院の帰泳濤副教授がプログラムの担当となり、東京大・北京大あわせて20人ほどの学生が班に分かれて、中国でビジネスを展開する日本企業を訪問し、現地でのビジネス展開の戦略や日本人管理層と中国人労働者の間の人事管理関係などについてお話を伺った。これ以外に、それぞれが決めたテーマに沿って、各班が独自に調査を行い、最終日に関係者を招いた最終報告会を開いた。
 私が所属した班では、都市部の中所得以上の女性をターゲットにした美容産業の戦略について扱った。対象を女性に絞った背景には、訪問をした美容室ASAKURAやセブンイレブン北京では、メインのターゲットが比較的若い女性であることに驚きを覚えたことがある。当初は社内の労務管理に関心があるメンバーが多かったが、調査上の困難から、消費者に視点をあてた分析に移っていった。ASAKURAへの訪問で、中国では日本のような薄い化粧はあまり受入れられておらず、赤い口紅や濃い化粧といった中国人が好むメイクに重点を移す「現地化」を行っていることが分かった。今回のプログラムでキーワードの一つになった「現地化」は、日本企業が中国に参入する際に、日本で売れているものをそのまま売るだけでは現地の客には受入れられず、現地社員等と協力して日本の製品やサービスの質を保ちながら、中国人が受容しやすいものを目指すことを意味する。ASAKURAの特徴は、現地化をはかりながらも、日本で売れている自社の製品の良さを伝えたいというメーカー企業のスタンスとは異なり、中国人に受入れられるサービスを一からつくるという点にあった。我々の班は、化粧品と美容サービスと定義された美容産業における消費行動という視点から、日中の違いについて考察する方向性をとった。現役の大学生並びに若年勤労者へのインタビュー調査の結果、若者は基本的に毎日化粧する習慣を持っていないことが分かる。何が化粧を妨げているかについては、化粧をする時は就活などの特別な時であること、短い化粧を重視することといった合理的な側面、またそもそも化粧をする技術がなく、周りに教えてもらう人もいないという点が分かった。また、大学ではASAKURAが提携しているようなファッション雑誌を読む習慣はあまりなく、化粧をする女性に対しては怠惰であるというイメージが持たれがちであることが示唆された。このように、調査を通じて日中の化粧文化には無視できない差があり、美容業界にとっては、まずどのように女性に化粧や美容に興味を持ってもらえるかという点を考える必要があることを最終報告会にて指摘した。
 それでは、どのようにすれば中国の都市部に住む若年女性は美容に関心を持つようになるのだろうか。インタビューから示唆を得たのが、美容への関心は個人が参照する周囲の環境によって異なるのではないかという点である。日本や韓国に留学をした経験のある複数の回答者が、留学当初では、これらの国では女性がほとんど化粧をしていることに対して驚きを持っていたと述べていた。しかし、数ヶ月を過ごすうちに、次第に自分たちも化粧をするようになったという。彼女たちは、中国に帰国した後も様々な理由でほぼ毎日化粧をしている。こうした事例から、我々は発表の中で彼女たちの準拠とする集団が変われば、化粧への関心が向くのではないかと考えた。
 報告はASAKURAをはじめとする美容業界に対する具体的な提案となったが、多文化共生という文脈に引きつけて考えるならば、以下のような事例を考えることができる。ある習慣を持つ集団Aに対して、別の集団Bの中で自明視されている別の制度や慣行を導入する際、これがスムーズに実行されない場合がある。企業内部であれば、日本式の生産様式を中国の工場に導入しても、日本で行ったような生産性が達成できなかったり、消費者との関係で言えば、日本で支持されている商品を中国市場で投入したとしても、それが思うようには売れないという事例が考えられる。この溝を埋める作業は典型的には「現地化」と呼ばれてきた。しかし、我々の班が提起したのは、現地の慣行にあわせてモノやサービスを変えるのではなく、現地の人々の価値観自体を変えることによって制度的な齟齬を解決しようというアプローチである。その上で、我々の班はそうした価値観の変化は準拠する集団の変更によって生じることを述べた。事例がもつ性格にもよるが、準拠集団の変更による慣行自体の変化というメカニズムの説明が適用できる事例は今回の化粧産業には限らないと考えられる。

 グループによる研究以外にも、現地でビジネスを展開する人々から直接話を伺うことで、中国市場の今を肌間隔のレベルで触れることができた。今後は、今回のプログラムで得た知見を研究活動にいかしていきたい。

August 19, 2015

分析社会学文献リスト/A List of Papers in Analytical Sociology

コメントは後で書きます。

(Edited) Books:

Hedström, Peter, and Richard Swedberg, eds., 1998a, Social mechanisms: An analytical approach to social theory. Cambridge University Press.

Hedström, Peter, 2005, Dissecting the social: On the principles of analytical sociology, Cambridge University Press.

Hedström, Peter, and Peter Bearman, eds., 2009, The Oxford handbook of analytical sociology, Oxford University Press.

Demeulenaere, P. 2011. Analytical sociology and social mechanisms. Cambridge University Press.

Manzo, G. 2014. Analytical sociology: Actions and networks. John Wiley & Sons.


Articles (including book reviews):
Abbott, A. 2007a. “Mechanisms and Relations.” Sociologica.
Abbott, A. 2007b. “Mechanisms and Relations’: a Response to the Comments” Sociologica 2:1–6.
Barbera, F. 2012. “Meso-Level Mechanisms and Micro-Level Foundation.” Sociologica.
Bearman, P. 2012. “On Analytical Sociology.” Sociologica.
Bernardi, F. 2007. “Le Quattro Sociologie E La Stratificazione Sociale.” Sociologica.
Brante, T. 2008. “Explanatory and Non-Explanatory Goals in the Social Sciences: a Reply to Reiss.” Philosophy of the Social Sciences 38(2):271–78.
Bunge, M. 2007. “Dissecting the Social: on the Principles of Analytical Sociologyby Peter Hedstrom:Dissecting the Social: on the Principles of Analytical Sociology.” American journal of sociology 113(1):258–60.
Edling, C. 2012. “Analytical Sociology Is a Research Strategy.” Sociologica.
Edling, C., and J. Rydgren. 2014. “Analytical Sociology: Bringing Culture and Identity Back in.” Sociologica.
Gross, N. 2009. “A Pragmatist Theory of Social Mechanisms.” American sociological review.
Hedström, Peter, and Ylikoski, Petri. 2010, “Causal mechanisms in the social sciences”. Annual Review of Sociology, 36, 49-67.

Little, D. 2012. “Analytical Sociology and the Rest of Sociology.” Sociologica.
Littel, Daniel. 2014. Actor-Centered Sociology and the New Pragmatism. in Zahle, Julie, Collin, Finn (Eds.) Rethinking the Individualism-Holism Debate. Splinger. 
Lizardo, O. 2012. “Analytical Sociology's Superfluous Revolution.” Sociologica.
Manzo, G. 2007. “Comment on Andrew Abbott/2.” Sociologica.
Manzo, G. 2010. “Analytical Sociology and Its Critics.” European Journal of Sociology 51:129–70.
Manzo, G. 2012. “Full and Sketched Micro-Foundations. the Odd Resurgence of a Dubious Distinction.” Sociologica.
Manzo, G. 2013. “Is Rational Choice Theory Still a Rational Choice of Theory? a Response to Opp.” Social Science Information.
Norkus, Z. 2005. “Mechanisms as Miracle Makers? the Rise and Inconsistencies of the ‘Mechanismic Approach’ in Social Science and History.” History and Theory.
Opp, K. D. 2007. “Peter Hedström: Dissecting the Social. on the Principles of Analytical Sociology..” European Sociological Review.
Opp, K. D. 2012. “Can There Be Causal Effects on the Macro Level?.” Sociologica.
Opp, K. D. 2013a. “Rational Choice Theory, the Logic of Explanation, Middle-Range Theories and Analytical Sociology: a Reply to Gianluca Manzo and Petri Ylikoski.” Social Science Information.
Opp, K. D. 2013b. “What Is Analytical Sociology? Strengths and Weaknesses of a New Sociological Research Program.” Social Science Information.
Reed, I. A. 2012. “Analytical Sociology: Appreciation and Ambivalence.” Sociologica.
Reiss, J. 2007. “Do We Need Mechanisms in the Social Sciences?.” Philosophy of the Social Sciences 37(2):163–84.
Santoro, M. 2012. “The Whole and the Parts. or: Is Analytical Sociology Analytical Enough About Sociology, and Itself?.” Sociologica.
Sawyer, R. K. 2007. “Review: Hedstrom, P. (2005). Dissecting the Social: on the Principles of Analytic Sociology. Cambridge, UK: Cambridge University Press.” Philosophy of the Social Sciences 37(2):255–60.
Sewell, W. H. 2012. “The Irreducibility of Cultural Structures.” Sociologica.
Steel, D. 2004. “Social Mechanisms and Causal Inference.” Political Theory 34(1):55–78.

Ylikoski, P. K. 2013. “The (Hopefully) Last Stand of the Covering-Law Theory: a Reply to Opp.” Social Science Information.

August 16, 2015

ESAセミナー成果報告



 2015 82日から812日にかけて参加したEuropean Summer Academy (以下,ESA と省略)の成果と課題について報告する.ESAは大きく分けて講義・ワークショップ,専門機関への訪問,学生との交流の三つから成り立っていた.それぞれが相互に関連していることも少なくなかったが,これら三つの側面に分けて成果について報告していきたい.
 まず,講義・ワークショップでは,EU統合の理念やその背景,発展の歴史,政治・行政機構の構成といった概略的な話から始まり,徐々に個々の機関の役割や対外政策から見たアジアとの関係といったあるトピックに絞った詳細な議論に入っていった.概論というのは難しい.このプログラムでは各自のバックグラウンドを欧州研究に絞らなかったため,既に基本的なことを修めている学生にとってはやや容易だったかも知れない.EUのことについて邦語の文献にいくつか触れただけの私にとっては勉強になることも多かったので,個人的に不満はなかった.しかし,プログラムをうまくアレンジして,できるだけ多くの学生が新しい知見を得られるような工夫をしていく必要があるかもしれない.個人的によく覚えているのが,四日目のSabrina Lauer講師による,EUの基本的自由(Fundamental Freedoms of the European Union)の授業だった.この授業では,Treaty on the Functioning of the European Union(TFEU)に規定されている権利のうち,内部市場を機能させるための資本,商品,サービス,人(労働者と企業の設立)という4種類,計5つの自由について,ケーススタディを通じたワークショップが行われた.参加学生が5つのグループに分かれ,実際にあった裁判の事例をもとに,当該ケースがTFEUの規定に抵触しているかどうかを議論した.私が担当したのは資本の自由で,いわゆるフォルクスワーゲン法をめぐる問題だった.この授業は以下のような点で興味深かった.いわゆるヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動することをグローバル化の一つの帰結として捉えるならば,EUという単一の経済圏を作り出すことは,グローバル化を大いに促進するものである.しかしながら,経済統合の結果,各国が定めた国内法との衝突が生じてしまう.ここでは,自由な移動というのは地理空間を通じたものだけではなく,複数の統治機構を跨ぐ営みであることが分かる.私たちは,日々何かが移動した結果しか見ていない.しかし,裁判事例を通じて,複数の統治機構におけるルール同士のコンフリクトをどのように解決していくかという過程の一端を体験することができたのは有意義な経験だった.
 次に,様々な機関・組織への訪問では,EUの主要機関である欧州議会(European Parliament)や欧州委員会(European Commission)のみならず,DAADやフィリピン大使館も訪れ,EUそれ自体に限定しない機会が提供された.EU関連で一つ,それ以外で一つあげるとすると,European Stability Mechanism(ESM)DAADの訪問は印象に残っている.ESMは最後の訪問となったが,プログラムの中では最も「現場感」のある機関だった.Mechanismというのは日本語で言えば「機制」ないし簡単に「しくみ」と表現される言葉だが,これが組織の名前に使われることに驚きを持ったのは私だけではないだろう.メカニズムという言葉は社会科学でも社会現象が発生するプロセスを分析する際に用いられるが,頻繁に用いられるのは生物学である.話を伺うと,まさにEUという組織体を安定させるための「器官」ともいうべき機関だった.ギリシャを危機から救った組織という前評判は冗談ではなく,今後も財政危機に陥る国が出てくれば,ESMが中心となって金融支援を行いEU経済圏の安定に寄与するという展望が持てた.反対に,最後の質疑応答でこうした金融支援の裏側でギリシャ政府に公務員の賃金カットを迫るといった側面が言及され,最初のプレゼン内容では欧州安定に寄与しているポジティブな側面ばかりが強調されているという印象を持った.ものごとの両面ではあるが,この話に限らず,専門家だからといって相手の話ばかりに首肯するのも危うさがある.今回のプラグラムはEUの専門家に話を伺う機会が続いたため,疑問を持ったとしても考えている自分の側が間違っているかもしれないと思いがちだったのには反省している.DAADに関しては,東大側の参加者のスポンサーであったこともあり,どのような動機でこうしたプログラムを支援しているのかが気になっていた.短期的に目に見えるような利益を生み出さない文化外交や国際交流の支援といった政策はどのようにして正当化されるのだろうか.他の国と比較できるだけの知識は持ち合わせてはいないが,話を聞く限りでは支援の規模はかなり大きいように見受けられた.その国の文化に触れれば,その国に対するイメージが向上するという一種の接触仮説のようなものが信じられているのかもしれないという話を周りとしたが,いつか機会があれば,どのようなメカニズムでこうした政策が可能になっているのかに就いて考えてみたい.
 最後に学生との交流では,例年通りゲント大学日本学科の学生との交流の他,今回はほとんど全ての時間を梨花女子大学のPhDの学生とともに過ごした.博士課程の学生ということもあり,広く国際関係や開発に関する知識を持ち合わせているように思われた.特に,何人かの学生はEUの対外政策とアジアとの関係というプログラムの趣旨と一致する内容について研究しており,彼女たちにとってはこのプログラムは非常に魅力的に映っていたようである.余談になるが,プログラム終了後,フランクフルトに残った東大側の学生一名,梨花側の学生一名と一緒に話していた時に,梨花大学ではEU研究プログラムが用意されているということを知った.そういう専攻があるため,彼女のようなEUについて研究する学生がいて,こうしたプログラムに参加している.反対に,東大側の学生と何度か話に上がったのが,東大にはEUについて研究する学科などはないということだった.DESKも欧州研究プログラムを用意しているが,私見では本専攻があった上での副専攻に近いのではないかという印象を持っている.本専攻はあくまで地域文化や国際関係論といった分野ごとにあり,今後欧州研究を志す人材を確保するためには,学科単位の再編成が必要なのかもしれないと感じた(梨花側もDESKと同じような仕組みなのかもしれず,もしそうだとするとこの点は誤りということになる).法学政治学研究科の学生から聞いた話では,そもそもEUのようなコンフリクトが生じないような地域は政治学の対象となりにくく,それがアジアの大学であればなお利害が薄いので教員や授業も少ないとのことだった.社会科学の領域も○○国の政治・経済・社会といったように国単位で編成されていることも影響しているのかもしれないが,このような話を聞いてアジアの大学でEUについて研究することの意義を何に見出し,どのように組織化していくのかについて考えさせられた.後述するように,私自身は今回のプログラムを通じてEU統合の社会的な基盤,つまり域内に居住する人々の統合への意識や人の移動の社会的な帰結などに関心を持った.社会調査データを用いて分析することは,データを申請する場今からでもできるが,その際にどのような背景的な知識が必要で,そもそも日本にそうした専門家はいるのかといった点を考えると,問題はさらに難しくなるかもしれない.
 以上が体系的ではないがこのプログラムに参加したことで私が持ち帰った成果である.普段訪れることのできない機関を訪問したり,会うことができないような人と知り合いになれる機会自体も非常に貴重なものとなったが,プログラムの趣旨に引きつけた成果報告は以上になる.
 最後に,課題と今後の展望について若干頁を割きたい.まず,課題に関しては以下の二点が上げられる.はじめに,やはり知識は持っておくことに越したことはないという点だ.今回は特に事前にリーディングが指定されることはなかったが,プログラムが始まる前にあらかじめ予習をしておけば,よりクリティカルに講義を聴き,質問できたかもしれない.疑問が浮かばず,浮かんでも考えている等の自分に誤解があるというのは,知識の裏付けがない怠惰によるものである.この点は深く反省し,来学期以降機会があれば積極的に欧州研究の授業を履修したい.次に,一点目と関連するが,プログラムにおいて自分の役割をはっきりと見出せなかったことである.必ずしも欧州の専門家ではなく,かといって将来的に外交官になる道も考えておらず,さらにいえば前期課程の学生のような「これから」欧州について専門的に研究するような可能性も低い.少なからず自分のような人間が,授業でどのように貢献し,プログラムを経験することが自分の将来とどのように結びつくのかについて,最後まで不透明なままだった.今回は法律や政策的な側面が強く,自分が関心を抱く社会的な側面についての講義が少なかったこともあるかもしれないが,この点は日本に帰国した後も課題として残る点である.
 展望について二点述べる.まず,このプログラムの展望について.今回のプログラムのこれまでと異なる点をあげるとすれば,夏に開催時期が変更されたこと,梨花女子大学との共同参加という形になったこと,そして学部の前期課程の学生が入ったことの三点である.重要なのは二点目と三点目だろう.梨花女子大学との共同参加については概ねポジティブな展望を持っている.梨花側は留学生が半分近くを占めていたこともあり,生徒のバックグラウンドに多様性が担保できた点は評価できる.東大側の参加者だけでは休憩時間も日本語しか使わなかったと予想されるが,梨花の学生も参加したことで必然的に英語を使用する機会が増えるのもプログラムの趣旨としてはよかったと思う.一方で,学部前期課程の学生が参加することについては意見が分かれるかもしれない.参加者の中には前期の学生が院生と話すことでいい刺激をもらう(逆もしかり)ことができたと述べているものもいたが,私はプログラムの趣旨と適切な参加者を照らし合わせている.ESAは専門家を要請するためのプログラムなのだろうか,それとも広い意味での国際理解を深めるためのプログラムなのだろうか.ESA (EFA)が今後どのような方針をとるかによってマジョリティとなる参加者も変わってくるかもしれない.個人的には,ESA が今回のようなプログラムを続けるのであれば,比較的英語で議論する能力のある前期課程の学生や,後期課程の学生で国際関係論などを専攻する学生を選抜する形の方がよいと考えている.

 最後に,プログラムを履修した自分の展望について.私の研究関心は人々の行為や相互作用の結果として蓄積される秩序が,広く社会の成立や維持に与えるプロセスを明らかにすることである.特に,世代間の不平等の連鎖や人の移動といった側面が社会の統合に対してどのような影響を持つかに関心がある.こうした意味で,欧州連合という巨大な「実験」は非常に魅力的な研究対象になる.講義を聴いて,今まさにEUという超国家機構がつくられている時代に私たちが生きていることを痛感した.一つ一つの条約が今後のEUにとっての礎になっていく過程をリアルタイムで観察できるのは,刺激に満ちている.今後どうなるかが,良い意味でも悪い意味でも不透明な「分からなさ」の一端を明らかにできる作業に関われるとすれば幸せなことかもしれない.先程述べたように,私の専門を生かせば,EuroBarometerや各国の社会調査データを用いて,人々の統合に関する意識や労働者の移動がEUに与える影響についての分析ができるかもしれない.実際,EUもこうした趣旨のプログラムに巨額の資金を援助している(例えば,EUの経済変動や社会的凝集性に関する研究プロジェクトEqualSoc: http://www.equalsoc.org/2).今後,このような研究に携われる機会があれば積極的にチャレンジしていきたいと考えている.そのためにも,少しずつEUに関する知識も増やしていきたい.今回のプログラムは,今後の自分の研究関心にも少なからず影響を与える刺激的な機会となった.このプログラムをアレンジしてくれた諸機関に感謝の意を記したい.