February 24, 2014

ベッカーのart worldとSocial Capital Activation Among the Black Urban Poor

Gilmore, S. (1988) Schools of Activity and Innovation, Sociological Quarterly 29(2), 203-19.

 この論文では、芸術のイノベーションにおけるschools of activityの持つ役割について、コンサートを事例に議論している。まず筆者はこの問題に対する従来の議論が政治学的、心理学的な視点に偏っていたことを批判する。その上で、コンサートに携わる専門家はそれぞれschools of activityという実践の過程で維持されるconventionを持つと論じる。このような集合的な美的性向を演奏者たちはアイデンティティとしてもちながら音楽の実践を営んでいる。イノベーションに対する関心に影響を与えるconventionは質的に異なるというものではなく、程度の問題であるとする。コンサートの事例では、ホールごとに異なるsub-worlds(どのようなジャンルの音楽を得意とするか、イノベーションに対する姿勢)が異なり、これに対応する形で演奏者たちは仕事を得ていく。仕事を得られない場合はより小さなsub-worldをアイデンティティとして持ち、そのニッチさを強調する。さらに、コラボレーションを繰り返すことで演奏者たちはより狭いクリークと呼ばれる集団を形成するとされている。

Becker, H. (2006) ‘A Dialogue on the Ideas of “World” and “Field” with Alain Pessin’, Sociological Forum, 21:275–86.

 これはベッカーと対話者のインタビューを論文にしている。テーマはベッカーのworldの理論とブルデューのfieldの理論の関係である。ベッカーによれば、ブルデューのfieldの理論は以下のようなものになる。filedとは比喩的な(そしてこれは物理学からの比喩だろうとしている)概念で、制限のある空間を指している。そこではesteemやrecognitionといった要素のみならず、金銭などの物質的なものも限定的に供給されている。そして、このfieldは様々なforceによって資源が支配されている。権力をもった人物はfieldに新しく参入してきたものに対して資源を与えることができる。
以上のようにまとめた上で、ベッカーは子の理論における人物が(規範に動かされるような、という意味で)血の通っていない(not flesh and blood people)に等しいとする。これに対して、ベッカーのworldは比喩的ながらもより記述的で、かつ人物は他の人物の行動を把握しながら行為をするという。この世界では、人々は外的な力に自動的に反応するようなことはしない。そこでは、権力のある人物がその行動を認めていないとしても、人々は自分と価値を共有する人を見つけることができる。このように、worldでは人々が同時に交渉し行為をしながら調和を見つけていくのだ。ただし、worldの鍵概念であるconventionに関しては、時に人々の行為を制限し不平等を招くforceとなり得ることを示唆している。

Smith, S. S. 2005. “‘Don’t Put My Name on It’: Social Capital Activation and Job‐Finding Assistance Among the Black Urban Poor.” American journal of sociology 111(1):1–57.

 筆者によれば、地位達成の文脈におけるSCのactivation(SCを活性化させる要素、くらいか)は以下の個人、ダイアド、ネットワーク、そしてコミュニティの四つのレベルで概念化できる個人レベルはIndividual propertiesと表現され、Reputation(評判)とStatus(地位)が紹介される。Dyadic properties: strength of ties は交換関係の積み重ねの結果生まれた信頼(trust/trustworthiness)がSCの活性化に寄与すると定義される。次に、Network properties: social closureでは、互いに結びついているような密度の高いネットワークにおいてはコールマンが指摘したように規範が効果的に機能しやすく、不誠実な行動に対するサンクションが働きやすいことで信頼が醸成され、SCの活性化に寄与すると述べられる。最後に、Community properties: concentrated disadvantageについては、社会経済的に不利な人が集中している場合、そこではSCの活性化に寄与するような紐帯ができにくく、信頼感も醸成されにくいという報告がされている。

 筆者は都市部の貧困黒人層105人を対象に以下のような問いを立ててインタビュー調査を行った。仕事の情報を持っている場合、どの程度彼らは自発的に情報を提供しようとするのか。及び、手助けをしようとする決断は上記の四つの要素にどの程度影響されるのかである。

 まず、対象者が仕事の情報を持った時にそれを求職者に教える際に懸念を感じたという質問に対しては8割以上が求職者のモチベーションの低さ、貧しさ、犯罪の可能性などの懸念を表明している。そして、そうした懸念を持った場合と持たない場合では実際に援助に難色を示した割合が異なることが分かった。しかし、彼らは過去に家族や友人に仕事を紹介している、それでは、どういった条件の時にそれが可能になるのだろうか?

 まず、個人的な属性(評判と地位)が問われる。少し驚くが求職者が雇用されているかという地位を考慮した人はほとんどいなかった。その一方で、評判を考慮して仕事を紹介するかを決めた事例は数多い。過去の職場での評判やゲットーにおける麻薬の使用などの職場以外の評判を考慮して仕事を紹介しなかった事例が紹介されている。また、女性は職場での、男性はプライベートでの評判が考慮に入れられる確率が高いなど、ジェンダー差が見られた。

 より重要と考えられるのが、紹介者自身の評判である。彼らの多くが求職者に仕事を紹介したとしても、彼らが職場に表れないなどの不誠実な行動をとった場合に、仕事先に対する自分たちの評判が落ちることを懸念していた。また、雇用社が紹介者の評判にと紹介能力に疑いを持つ場合、そして紹介者自身が自身の能力に疑いを持つ場合、紹介するメリットが無くなると彼らはそれをやめてしまう。経済体に不安定な場合、紹介を担うことで貸しを作りその後のペイを期待する人もいるが、多くは求職者に仕事の情報を流しても「自分の名前はそこに書くな」(タイトルにもなっている)と警告する。

 social closureに関しては、対象となった集団は互いが緊密に結びつきあっている訳ではない。そうなると、紹介者は求職者の情報を得る際に問題が生じるのではないかという疑問が生じるが、筆者によれば、このネットワークの欠如を彼らは求職者との個人的な会話で把握できるという。また、緊密性の欠如のために集団レベルでのサンクションも期待できない。最後に、concentrated disadvantageについては貧困の集中する地区の方がそれ以外の地区より求職者に対する情報提供に否定的になりやすく、これに対しては、前者の地区の人々は紹介をすることに恐怖感を抱いて消極的になっており、それは後者の地区に比べて紹介した人に裏切られて経験をしている人が多いことが示唆されている。この論文では以上のような紹介ネットワークの機能不全を大きな問題としている。また、こうしたマルチレベルな分析の重要性を説く。(最後の方適当ですみません)

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