Peterson, R. and Kern, R. (1996) Changing Highbrow Taste: From Snob to Omnivore, American Sociological Review 61(5), 900-907.
この論文では、アメリカの1982年と92年に行われた二つのクロスセクショナルの調査における音楽嗜好に関する質問を用いて、文化消費が地位と結びついた(highbrow/lowbrow)ものではなく、地位の高い人の中では文化的雑食(omnivore)が起こっていることを指摘する。回帰分析の結果、コーホート効果と時代効果の両方がその変化を説明する要因として考えられる。この背景には社会構造の変化は価値観の変化などが指摘されている。
Becker, H. (1995) The Power of Inertia, Qualitative Sociology 18 (3), 301-9.
筆者によれば社会組織の安定性に対する考え方は社会学の中で二分されていた。一つが安定性を自明視する見方で、これは機能主義につながる。もう一つが筆者が主張するもので、組織の安定性を自明視せず変化を構築主義的に見る見方である。このような見方に経って、筆者は音楽は日々変化しているとする。しかし、いくつかの事例を見ていくと、変化の中でも変わらないものの存在に気づく。筆者はそれをInertia(慣性)と呼ぶ。具体的にそれを構成するのは、採用することで音楽の制作をスムーズに促すようビルトインされているパッケージであるとされる(楽器やスケールなど)。さらに筆者は議論を進めて、コンサートが組み込まれている経済すらもパッケージだという(経済の論理はある程度のスキルを持った人が短時間のリハーサルで曲を演奏することを要求する、など)。これらが音楽の変わらない性質を作り上げるのだ。そして、新しさはこのような効率化されたパッケージに依拠する形で生まれる。
Savage, M. (2006) The Musical Field, Cultural Trends 15(2-3), 159-74.
この論文では、文化資本に関するイギリスの調査データを用いて、文化消費の変化をジャンル同士の関係に注目して考察している。記述的なデータの分析から、回答者は必ずしもそのジャンルの曲を詳しく知らないのに嫌いと回答している可能性もあるが、基本的にジャズやヘビメタのような「ポピュラー」な音楽が嫌いと回答され、クラシックやカントリーなどのジャンルが好きと支持を集める分断が確認される。(このジャンルと曲の嗜好が必ずしも一致していない可能性はジャンルと曲をブルデュー流の界に分けた上でその関係をネットワーク的に探索した分析でも示唆されている)
ロジスティクス回帰分析の結果、個人の属性の中でもエスニシティと年齢がジャンルや曲の嗜好に影響を与える最も強い要因として示唆されている。
Frith, S. (1987) Towards an Aesthetics of Popular Music, in Leppert, R. And McClary, S. (1987) Music and Society, Cambridge, Cambridge University Press, 133-49.
筆者によれば、従来の社会学的な分析は芸術の審美性について問うてこなかったという。これはポピュラー音楽に対する分析においては問題なかった。なぜなら、なぜロックンロールが流行したのかなどを説明することは、そこに何も審美性がないことを明らかにするものだったからだ。審美性を問わない分析では、技術や商業的な側面からの説明がなされたが、それでも私たちはポピュラー音楽においてさえも曲同士に好みを持ち、どちらがよい音楽かを考えてしまう。その上で、筆者はこうした審美性が社会的な力によって決定されていると主張する。何がすぐれたポピュラー音楽かの参照基準(Authenticity)は社会的に構築されるという立場を取った上で、筆者はポピュラー音楽の審美性について考察する。
筆者によれば、音楽を聞くという経験はplacing(配置)の経験に等しいという。具体的には、音楽を通じて私たちはアーティストやそのファンと感情の共感を得られる。これは、他の文化の形式でも見られるが、音楽の場合はその抽象性からその解釈に幅が生まれる。にもかかわらず、音楽は人々の集合的なアイデンティティの形成などの機能を持つとする。このような視点を持つことを筆者は審美性の理解としているようだ(正直意味不明だった。。。)
DeNora, T. (1986) How is Extra-Musical Meaning Possible? Sociological Theory 4, 84-94.
この論文では、音楽の外的な意味の可能性について検討している。はじめに筆者は音楽の意味論を巡る形式主義者と表現主義者の対立を紹介する。その上で、両者に共有されている言語に対する前提を批判する。前者は音楽を抽象的で無意味なものとする一方で、後者は音楽を言語に例えながら、それが外的な意味をつなげる性質を強調する。筆者によれば、表現主義者はこの音楽と外的意味の連続性を主張する際に、意味の客観性を前提にしているという。しかし、こうした言語に対して発話行為と意味が結びついているとする点で両者は同じ問題を抱えているという。筆者は意味をテクストに内在させる見方を否定し、テクストの意味は解釈という行為によって生成されるとする。その上で、筆者はリスナーがどのように音楽を理解しているかが問われなくてはいけないとする。(これも訳が分からない箇所が多かった。。。)
Valverde, M. 2006. “A New Entity in the History of Sexuality: the Respectable Same-Sex Couple.” Feminist studies 32(1):155–62.
この論文では、筆者が新しい形態の同性愛カップルとしたthe Respectable Same-Sex Couple(社会的に承認された、くらいか。ちなみに、respectabilityについてはLangstraat (2009)がthe actions or qualities demonstrating adherence to and excellence in the meeting of normative standards associated with specific social rolesと定義している)について議論している。筆者によれば、これは同性愛が禁じられていた時代のホモセクシャルとは大きく異なるという。社会的に認められた同性愛カップルは自らの性を強調することなくordinarinessを主張しているという。例えば、ウェディングではカップルはドレスを着ずにスーツで登場し、離婚の際も性的な問題ではなく金銭問題が法的な文書には載る。このように同性愛カップルの性的な部分を公的な文脈では消すことで彼らはノーマライズされていると主張されている。
Christakis, N. A., and J. H. Fowler. 2007. “The Spread of Obesity in a Large Social Network Over 32 Years.” New England journal of medicine 357(4):370–79.
この論文では、1971年から2003年までに定期的に行われた1万2000人への健康調査のパネルデータの分析から、肥満の発生をランダムに分布させたシュミレーションに比べてエゴが肥満の時につながっている人も肥満になる確率が高いことが分かった。例えばエゴのクラスター(コンポーネント?)の中に肥満の人が一人いると、エゴが肥満になる確率は50%程度上昇するなどが分かった。
Christakis, N. A., and J. H. Fowler. 2008. “The Collective Dynamics of Smoking in a Large Social Network.” New England journal of medicine 358(21):2249–58.
この論文では、上記のものと同じデータを用いて30年間のアメリカにおける喫煙行動の変化をネットワークに注目して分析している。分析の結果、以下のようなことが分かった。まず、1971年と2000年の間で喫煙者の数は大きく減っており、喫煙者はネットワークの周縁に位置しながら、他の喫煙者とつながりを持つようになっていることが分かった。その結果、年を経るごとに、喫煙者との紐帯が距離的に近くなればなるほど自分も喫煙者になる確率が上昇している。喫煙者の減少にもか関わらずの喫煙者クラスターのサイズはランダムネットワークよりも大きく、年を経てもある程度一定になっており、これは喫煙者同士がつながるようになったことを示唆している。また、喫煙者の中心性は大きく低下している。また、配偶者やきょうだい、友人、会社の同僚がたばこをやめた場合に喫煙リスクが減少することが分かった。さらに、友人については教育程度が高い場合に減少率が大きいことが分かった。
Coleman, J., E. Katz, and H. Menzel. 1957. “The Diffusion of an Innovation Among Physicians.” Sociometry 20(4):253–70.
この論文ではアメリカ四都市における医者の新しい薬の使用の拡散プロセスについて検討することで、ある時点間における使用の拡散プロセスに対して何が介入したのかを明らかにする。調査では、各医者のパーソナルネットワークが尋ねられ、新しい薬の仕様に授業があると思われる医者すべてを対象とした。この論文の前半では、新薬の導入に際して、医者の個人的な属性よりも彼らが埋め込まれている関係性の方が重要だとする知見を紹介している。例えば、よい医者と認められる基準に対する個人的な見解の違いは新薬の導入に対して時期に関わらず影響を与える。しかし、パーソナルな紐帯の中に医者が含まれているかどうかが新薬の導入に与える影響は新薬が開発されて時期が経つにつれて、紐帯の数が多い人の方が知る確率が大きく上昇する。また、ソシオメトリーを使った分析から、ネットワークは医者間の紐帯が強いグループに対して最初の数ヶ月間において効果を持ち、弱いグループには広範になってからしか影響を与えないことが示唆されている。さながら、強い紐帯の強さといったところか。再読。
Mercken, L., T. A. B. Snijders, C. Steglich, and H. de Vries. 2009. “Dynamics of adolescent friendship networks and smoking behavior.” Social Science & Medicine 69(10):1506–14.
ホモフィリーの理論を適用するまでもなく、喫煙者の友人もまた喫煙者であるというのはよく知られている。しかし、友達が吸っていると自分も吸うのか、それとも同じ喫煙行動をする人と友達になるのか、因果の関係を巡っては統一した見解が出てこなかった。それは端的に言って、分析にたえるようなパネルデータがなかったからである。そこで、この論文では、4時点にわたり6カ国7000人超の若者の喫煙行動とパーソナルな紐帯について尋ねたパネルデータを用いて分析をしている。このデータの特徴は多くのセレクションルートを質問に入れている点だ。例えば、同じ喫煙行動をする人と友達になることの方が経験的に正しかったとしても、それ以外に友人の間には多くの共通項がある(教育や性別によるホモフィリー)。こうした数多くのセレクション過程を統制した上で、喫煙行動の有意性が主張されなくてはならない。分析の結果、友人の喫煙行動が回答者の喫煙に影響する国は二つしかなく、多くの国ではセレクションによる影響が大きいことが分かった。
Valente, T. W., P. Gallaher, and M. Mouttapa. 2004. “Using Social Networks to Understand and Prevent Substance Use: a Transdisciplinary Perspective.” Substance Use & Misuse 39(10-12):1685–1712.
この論文ではsubstance use disorder(ある物質の継続的な使用によって生じる障害)とネットワークの関係について考察している。いわゆるアルコールや薬物使用を指していると考えられるが、これに関する雑誌に投稿された論文のため、イントロ的な内容になっている。ホモフィリー(the birds of a feather clock toghether)の紹介がされた後、そのメカニズムを説明する理論としてsocial learning theory(紐帯の有無に関わらず重要な他者の真似をする)とdifferential association theory(紐帯を持つ人の真似をする)が解説される。こうした見方は、他者に影響されて自分が物質を使用するという想定をしている点で同じだが、因果の方向は逆にもなり得る。つまり、物質を使用する/しない人を当の本人が選択している可能性である。これに対し、Theory of reasoned actionは個人は社会的に共有されている規範に従って行動すると仮定する(そして、この規範にも物質に対する理解からその使用を望ましいとするものまである)。最後に、これらの知見を活かして予防策を試験的に実施した研究が紹介される。
Valente, T. W. 1996. “Social Network Thresholds in the Diffusion of Innovations.” Social networks 18(1):69–89.
この論文では、集合行動とイノベーションの正否を説明するdiffusion networkのモデルとしてThreshhold modelを検討している。このモデルでは、個人は集団における当該の行動をしている割合に基づいて行動すると仮定する。このモデルには人々が他人の行動を観察しているのか、及びイノベーションの不透明性などに関する問題点を抱えている。この論文では、Coleman (1966)の知見を引用しながら、パーソナルネットワークの性質によって受容の過程も異なることを想定する。受容者は、受容するタイミングの標準偏差を境に四つのカテゴリに分けられる。異なる社会的属性に分かれた3カ国のデータの分析の結果、受容者のカテゴリはそうした属性と個人のネットワークに影響されることが確認されたほか、外的な影響とオピニオンリーダーがイノベーションの拡散に影響を与えることが述べられている(最後に点に関してはよく分からなかった)。ので再読
Lopes, P. (1992) Innovation and Diversity in the Popular Music Industry, 1969 to 1990, American Sociological Review 57(1), 56-71.
この論文では、音楽業界の会社の戦略がイノベーションと多様性にどのような影響を与えたのかをアメリカのビルボードのランキングデータを用いて考察している。論文における問いは(1)音楽業界の再寡占化が1970年代から80年代にかけて生じているのか(2)ポピュラー音楽制作のオープンシステム化は会社あたりレーベル数で分かるか(3)1969年から90年までにどのようなイノベーションや多様性の変化が生じたか、以上の三つである。イノベーションは年間チャートに登場した新人と有名アーティストの割合、多様性は年間チャートに登場したアーティスト数で求められる。
分析の結果、(1)については寡占化は確認され、時代ごとにその背景となる要因が説明されている。(2)については、会社数の減少の一方でレーベル数は60年代以降安定的に推移しており、これは少数の企業が複数の独立ないし内部のレーベルのプロデューサーとつながることでオープンなシステムを構築し、シェアの拡大を促すという企業戦略を可能にしたことを示唆しているという。(3)については、1982年まで寡占化と新人アーティストの減少が見られたが、その後は寡占の状況が続いているにもかかわらずアーティスト数は上昇していることが分かる。また、全アーティストではシングルで若干の減少、アルバムで大幅の上昇と、Peterson and Bergerが唱えたような、再寡占化が多様性とイノベーションの衰退を招くという主張を否定するものになっている。
Peterson, R. And Berger, D. (1971) Entrepreneurship in Organisations: Evidence from the Popular Music Industry, Administrative Science Quarterly 16(1), 97-106.
組織の周りの環境を錯乱要因と捉えると、官僚制や徒弟制的な(変化を想定しない)リーダーシップは不適切になる。そこで、この前提のもとでは、アントレプレナーシップを備えた戦略スタイルを持つリーダーシップが必要になる。筆者らはレコード産業を事例に、大規模な組織において市場の錯乱要因に対処するアントレプレナーシップ(ここではプロデューサー)が生まれる3つの場合について、組織内の条件と錯乱要因が小さい場合と大きい場合に分けて考察する。第一に組織内の条件であるが、組織はアントレプレナーが自分で組織を動かせる程度に小さく、緩く結びつきあっていなければならない。具体的には組織内の部署の分離とアントレプレナーが各部署をつなげる役割を持つこと、そしてアントレプレナーの決断の金銭的リスクを減らすことが言及される。次に錯乱要因の強弱だが、アメリカでは戦後の1955年までは少数のレコード会社による市場の寡占が続いていたため錯乱要因がなかったとされる。この時代はプロデューサーではなく会社によってスターが輩出されていた。しかし、それ以降ロック音楽の流行に伴って技術的・組織的な多様化が見られ錯乱要因が増加した。その結果、各社はイノベーションを起こせるプロデューサーを雇い、彼らに独立した権限を与えるようになったとされる。
Peterson, R. And Berger, D. (1996) Measuring Industry Concentration, Diversity and Innovation in Popular Music, American Sociological Review 61(1), 175-8.
彼らの1975年の論文に対する批判へのリプライをする形の回顧論文となっている。75年の論文で筆者らはイノベーションが大木花企業が支配する寡占的市場で起きやすいとしたシュンペーターの議論に対して、音楽産業を事例にして、多様な音楽を提供する企業同士による競争が起きている状況の方がイノベーションは起きやすいとした。ここでは、寡占や音楽の多様性に関する定義の問題が議論されている(音楽の多様性と楽譜で数えるのが適切なのかという議論は面白い)。
Denzin, N. (1970) Problems in Analysing Elements of Mass Culture: Notes on the Popular Song and Other Artistic Productions, American Journal of Sociology 75(6), 1035-1038.
Carey がAJS74号に投稿した論文に対する批判のコメントになっている。筆者によれば、Careyの論文には大衆文化としてのポピュラー音楽を分析する際に見られる4つの問題点があるという。最も根本的な問題が芸術作品を一種の社会的な事実として客体視してしまう点にあるという。次に、芸術をインタラクティブな創作物とした場合、それに対する解釈は人によって異なるという点、さらにある集団にとって重要な意味が芸術作品に表現されている訳ではないという点、最後にポピュラー文化の作品はごく限られた人によってのみ評価されているという点が指摘される。その上で、筆者は芸術をインタラクションの結果生じるものとして考える視点を提供し、作品の評価を決める際のアクター間の権力の違いに注目するべきと主張する。
Becker, H., (1974) ‘Art as collective action’, American Sociological Review, 39(6): 767-776.
はじめに、筆者は既存の社会学の研究が社会構造やシステムに言及しようとした時に、人々の集合的な行動に着目してこなかったことを批判する。その上で、集団においてある目的が達成されるためには、多くの場合、組織がいくつかのサブに分かれる分業形式になることを音楽産業の具体例を持って説明する。しかし、筆者は分業するサブの組織ごとに対立が生まれることを想定しており、さらにそもそも協力しないと目的が果たせないということはなく、目的が達成できるならばサブの組織が単独で行動することも可能だと考える。この点で筆者は機能主義に反対するが、それでも協調的な行動が起こることに対して、conventionの存在を指摘する。
芸術作品を生み出す人々は先行する規範や監修に対して合意をしており、そのために協力が起こると筆者は考える。さらに、これは制作者と受け手との関係にも応用できる。両者の間で作品に対する理解が共有されているのもconventionによるというだ。さらに、conventionがあることで制作者は形式的な部分に執着せずに制作に集中できるという。お金をかければより質の高いものはできるかもしれないが、convention(市場の論理も含むか)に従って作業したほうが効率的なのだ。このようにconventionを通じて人々が協力して行為をしている世界をベッカーはart worldと定義する。
Calero-Medina, C., and E. C. M. Noyons. 2008. “Combining Mapping and Citation Network Analysis for a Better Understanding of the Scientific Development: the Case of the Absorptive Capacity Field.” Journal of Informetrics 2(4):272–79.
この論文では、bibliometric mappingとcitation networkという二つの方法を組み合わせて、学術出版を通じた知識の移転と生成について議論している。なお、事例としてabsorptive capacityという概念を提唱した引用数の多い論文を採用している。bibliometric mappingとは、論文のキーワードの共起関係を見ることで当該論文と引用論文の関係の構造を把握できる。登場回数の多かった語のうち専門家による選別が行われ、83語のキーワードの共起関係がクラスター分析及びMDSにかけられ、論文ごとの関係が把握される。
次に、引用論文同士のネットワークが把握され、traversal weightsという値が測られて、ある論文同士のつながりがネットワークの中の他の論文とつながっているかどうかを基準にしたパス、さらに多くの論文に引用されているauthority,それらとつながるhubが形成された。分析を通じて、absorptive capacityの概念の発展に寄与した論文が特定できた。
Liberman, S., and K. B. Wolf. 1998. “Bonding Number in Scientific Disciplines.” Social networks 20(3):239–46.
この論文では、メキシコのある大学における人類学、バイオテクノロジー、数学、物理学の四分野の論文の出版数の変化と共著関係の変化の関連を考察している。対象となった1982年から1994年までに、物理学とバイオテクノロジーは出版数が増加している。にもかかわらず、出版の形式(共著かどうか)のパターンには変化が見られないという。これを確かめるため、筆者らはbonding numberという共著数を測るスコアを作成した。分析の結果、どの分野においてもスコアは一定で、出版数の増加との関係はないとされた。一見すると、共著関係はチームでの研究によりスキルの伝達などが行われることで生産性の増加に寄与する(共著数の増加と投稿数の増加は相関関係にある)と考えても良さそうだが、そうならない理由として、筆者らは「人間は自分の能力の限界に正直に働く」とする。要は、チーム作業というのは時間のかかるものらしく、共著にするから生産性が増えることはないだろうということらしい。。。
Peterson, R. And Berger, D. (1975) Cycles in Symbol Production: the Case of Popular Music, American Sociological Review 40(2), 158-73.
この論文では、音楽産業を事例に、寡占化がイノベーションと多様性を損なわせるかどうかが検討されている。データはアメリカのビルボード社のランキングが1948年から1973年までの26年分が使用された。論文では寡占状況によって5つの時代区分がされているが、ここでは外観のみにとどめる。まず、48年から55年までは4社によるシェアが75%以上を占めていた寡占期であったが、この背景には各社によるvertical integrationと呼ばれる、ラジオ局や映画会社を所有して曲の宣伝に務めたことが挙げられている。しかし、曲の均質性が生じて利益はそこまで出なかった。続いて、56年から59年にかけては、ロックンロールブームに乗って独立系の会社が台頭した競争の時代となった。その結果、4社のシェアは低下したが、これ以外にもテレビの登場に各社がラジオの衰退を予測し、ラジオ局の番組内容が宣伝をやめたことも要因として指摘されている。独立系の台頭により多様性が生まれ、レコード産業の総利益も上昇した。59年から63年は旧来の四社が衰退する一方で独立系が伸張した結果、上位4社のシェアは低下したものの上位8社のシェアは安定的に維持された期間だった。64年から69年にかけてはかつての4社の派遣はほとんど失われた形にあったが入れ替わった上位4社のシェアは伸長し全体の利益も上昇していった一方、新人歌手が減少していった。最後に、73年までの期間は寡占化の傾向がより強まり、1957年以降では最も上位4社のシェアが大きくなった。以上の分析の結果、従来の仮説とは異なり、寡占化に逆行する形で多様性が失われること、及びこの寡占化の進行は競争によって生じていることが分かった。
No comments:
Post a Comment