February 11, 2014

論文が長くなるとまとめが短くなる現象論文

Skocpol, T. (1996) ‘Unravelling from above.’ American Prospect, 25:20-25.
 アメリカ市民社会についての歴史研究で著名なスコッチポルによるパットナムの孤独なボウリング評。彼女自身はパットナムの主張に概ね賛同しているようだ。ただし、歴史的な分析からパットナムがエリートのassocialtional lifeからの撤退と市民団体の性格の変化について検討を加えている。スコッチポルによれば、歴史的に市民社会の発展に寄与してきたのは高学歴のアッパーミドル階級であったが、彼らが市民参加から撤退してしまったことが指摘されている。また、市民団体についてのトクヴィル的なロマン主義が指摘されている。これは、そうした団体が常に政府に先行して存在し、自発的に発生するものであるという考えだが、現在のPTAやボランティア団体はエリートによる上からつくられたものであることが指摘されている。その上で、現在市民参加から撤退したエリート層が相対的に不利な市民こそ社会的紐帯の再構築をするべきだという主張をすることに警鐘を鳴らしている。

Putnam, R. (1993a) ‘The prosperous community: social capital and economic growth’, American Prospect, Spring, Vol. 13, pp: 35-42.
 パットナムによるSC論だが、SCと経済発展の関係について焦点を絞っている。パットナムは大規模な制度変更で同時に誕生したイタリアの地方政府のパフォーマンスを比較した。彼によれば、制度の違いもなく、豊かさも直接的な影響を与えていない。そして、市民参加の伝統が強く残る都市の政府においては、そうでない政府よりも政策のパフォーマンスがすぐれていたことを指摘する。すなわち、経済発展をしたからcivicな文化ができるのではなく、civicな文化だからこそ経済発展をするのだという。彼が提唱するSCはよく知られているようにネットワーク、互酬性の規範、信頼だが、どの要素もコミュニティにおける経済発展に関わることが指摘されている。
 続いて、SCと経済発展の関係について、東アジアの事例やグラノベッターの弱い紐帯の事例が紹介される。また、アメリカの階級や人種による分離の事例を紹介し、こうした社会問題となっているコミュニティこそSCが不足していると主張する。このように考えると、人的資本や経済資本だけでなく、ソーシャルキャピタルを組み合わせることで、コミュニティの活力は増すはずだと論じられている。SCの重要性はマイノリティに限らず教育にも応用できることも指摘されている。最後に、今後はどのような市民参加が、そのようなSCが公共的な問題にとって重要なのかが分析されなくてはならないことが指摘される。

Paxton, P. 1999. “Is Social Capital Declining in the United States? a Multiple Indicator Assessment.” American journal of sociology 105(1):88–127.

この論文では、既存のSCの議論の混迷をまとめ、SCとして自発的結社と信頼の二つを定義し、これらがアメリカ社会において本当に衰退しているのかを検討した論文。SCの理論的再検討の部分は非常に聖地なので参考になる。例えば、先行研究を整理してSCの二つの側面として客観的に確認できる紐帯と、そこに付帯する信頼などの主観的な側面、さらに両者を個人レベルと集団レベルに分ける枠組みは説得的だった。分析の結果としては、SCの全体的な衰退は見られずパットナムの主張が退けられているが、個別に見ていくと、自発的結社と集団レベルの信頼は衰退していないが、個人レベルの信頼の低下が確認されている。

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