Lin, N. 2000. “Inequality in Social Capital.” Contemporary Sociology 29(6):785–95.
エスニシティの議論のあとに、リンは今後このテーマにおけるアジェンダを紹介している。まず、ジェンダー間、エスニシティ間で資本の不足がリターンの違いを生み出すかについての精緻な議論が求められることが指摘される。次に、そもそも異なる集団によって資本の量や質が本当に異なるのか、及びリターンの違いはどのような資本の蓄積の違いによってもたらされているか、そして不利な集団はいかにして困難を克服するのかが問われなくてはならないとする。最後に、資源が豊かな集団に属している人ほどインフォーマルなつながりを用いて仕事を得ない、つまり積極的に探さずに仕事を得ている現象(リンはソーシャルキャピタルの見えざる手と名付けている)についての解明が待たれるとする(これは不利な集団程インフォーマルなつながりが重要になるという知見につながる)。
Newton, K. 1997. “Social Capital and Democracy.” American Behavioral Scientist 40(5):575–86.
Helliwell, J. F., and R. D. Putnam. 2004. “The Social Context of Well-Being.” Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences 359(1449):1435–46.
この論文では、World Value Surveyとアメリカ、カナダの複数時点のデータを用いてソーシャルキャピタルが主観的幸福に与える影響について考察がされている。規模が大きすぎるので発見されたことがうまくまとまらない感じを受けたが、基本的にはソーシャルキャピタルは教育や年齢、性別などを統制しても主観的幸福感にプラスの影響を与えるようだ。結婚しているか、家族がいるか、友人との接触、信頼のほか、組織への参加は個人レベルでも集団レベル(国や地域単位での参加率)でも個人の主観的幸福にプラスの影響を与えている。直接効果以外にも、健康状態を介しての効果も確認されている。
どちらかというと議論における仮定を巡る何点の指摘の方が興味深い。SCと主観的幸福感の因果性に関しては以下の四つの懸念材料があるという。一つ目に因果が見かけ上の創刊に過ぎない可能性、二つ目に個人レベルと集団レベルの効果の区別の必要性、三つ目に幸せな人がSCを形成しやすいのではないかという逆の因果、及び主観的な幸福感や人生への満足感は本人が楽天的な性格かどうかに依拠する(それが調査では測ることのできないという意味で?)セレクションバイアスの問題、そして最後に結婚や病気といったイベントが幸福感に短期的な影響しか与えないというhedonic treadmillの問題が挙げられている。
No comments:
Post a Comment