February 16, 2014

主観的幸福、トクヴィル、ソーシャルキャピタルの見えざる手

Lin, N. 2000. “Inequality in Social Capital.” Contemporary Sociology 29(6):785–95.

 リンによるSCの不平等な分配に関する議論。ここでのSCはそれを用いることで個人のinstrumentalな結果を導くような資源的なものとして想定されている。次にリンは議論の前提として以下の二つを仮定として提示する。一つ目が社会経済的に不利な位置に集団が形成される場合にSCの不平等が生じること、二つ目が人々は自分と社会経済的地位が似た者とインタラクションをする(ホモフィリー)ことだ。リンはジェンダーとエスニシティを事例として紹介する。ジェンダーの事例では、まず男女によってネットワークの規模や異質性が異なることが指摘され、その要因としては男女が異なった資源を有する組織に別々に参加していることが指摘される(男性は会社の中核に位置して多くの人と交流を持つ、など)。そして、この違いは男女の構造的な制約の差異(例としては女性は子どもを育てるという規範があることが紹介される)が反映していると指摘する。例えば、子どもを持つことは男性にとってはネットワークサイズに影響を与えない一方で、女性にはネガティブに働く。ホモフィリーの考えを採用すると、こうした男女が別々に参加している団体はそれぞれに同質性を持つ。つまり、男性が参加する集団は社会経済的に地位も高いという同質性を持つ一方、女性が参加する集団は周縁的なものになる。注目したいのは、この議論の例外にあるとしてきされているのが家族だという点だ。家族は男性と女性の両方からなるため、女性が男性のつながりを利用することも他の組織に比べれば容易かもしれない。しかし、家族の紐帯は社会経済的な資源という点では同質的であると考えられるため、女性にとって家族が資源へのアクセスとして機能するかはこれ如何に関わるという。この議論を踏まえると、家族の経済的な地位が男性の地位達成よりも女性のそれにとって重要になるという先行研究を説明する仮説が出てきそうだ。

 エスニシティの議論のあとに、リンは今後このテーマにおけるアジェンダを紹介している。まず、ジェンダー間、エスニシティ間で資本の不足がリターンの違いを生み出すかについての精緻な議論が求められることが指摘される。次に、そもそも異なる集団によって資本の量や質が本当に異なるのか、及びリターンの違いはどのような資本の蓄積の違いによってもたらされているか、そして不利な集団はいかにして困難を克服するのかが問われなくてはならないとする。最後に、資源が豊かな集団に属している人ほどインフォーマルなつながりを用いて仕事を得ない、つまり積極的に探さずに仕事を得ている現象(リンはソーシャルキャピタルの見えざる手と名付けている)についての解明が待たれるとする(これは不利な集団程インフォーマルなつながりが重要になるという知見につながる)。

Newton, K. 1997. “Social Capital and Democracy.” American Behavioral Scientist 40(5):575–86.

 この論文では、パットナムがSCの定義として唱えたネットワーク、互酬性の規範、信頼の三つの区分が重要な概念的区分だと主張する。特にネットワークと信頼は重なる部分もあるが、ネットワークは客観的に観察できるものであり、信頼は主観的なものであるという点で異なる水準のものであり、概念的に区分することで因果生の議論が可能になるとする。次に、筆者はパットナムのように自発的結社を家族やコミュニティと異なり薄い信頼を形成する点でSCの基盤(ここでは、集合財的な意味だろう)と考える見方はトクヴィル的な市民社会論に根ざしていると指摘した上で、この見方を批判的に検討している。最後に、現代においては自発的結社の様相は多様化しており、かならずしもそうした集団への参加がSCを醸成するものではないことが指摘されている。

Helliwell, J. F., and R. D. Putnam. 2004. “The Social Context of Well-Being.” Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences 359(1449):1435–46.


 この論文では、World Value Surveyとアメリカ、カナダの複数時点のデータを用いてソーシャルキャピタルが主観的幸福に与える影響について考察がされている。規模が大きすぎるので発見されたことがうまくまとまらない感じを受けたが、基本的にはソーシャルキャピタルは教育や年齢、性別などを統制しても主観的幸福感にプラスの影響を与えるようだ。結婚しているか、家族がいるか、友人との接触、信頼のほか、組織への参加は個人レベルでも集団レベル(国や地域単位での参加率)でも個人の主観的幸福にプラスの影響を与えている。直接効果以外にも、健康状態を介しての効果も確認されている。

 どちらかというと議論における仮定を巡る何点の指摘の方が興味深い。SCと主観的幸福感の因果性に関しては以下の四つの懸念材料があるという。一つ目に因果が見かけ上の創刊に過ぎない可能性、二つ目に個人レベルと集団レベルの効果の区別の必要性、三つ目に幸せな人がSCを形成しやすいのではないかという逆の因果、及び主観的な幸福感や人生への満足感は本人が楽天的な性格かどうかに依拠する(それが調査では測ることのできないという意味で?)セレクションバイアスの問題、そして最後に結婚や病気といったイベントが幸福感に短期的な影響しか与えないというhedonic treadmillの問題が挙げられている。

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