February 16, 2014

今回の論文はSC論を積極的に批判している

Miller, A. S., and T. Mitamura. 2003. “Are Surveys on Trust Trustworthy?.” Social Psychology Quarterly 66(1):62–70.

 この論文では、社会調査において尋ねられる一般的信頼についての質問が信頼できるものかを問うている。アメリカの社会調査では一般的信頼を尋ねる質問は以下のような形式をとっていた。

 Generally speaking, would you say that most people can be trustful or that you can’t be too careful in dealing with people?

 当初、これは複数からなる質問の一つとして採用されていたが、次第に一般的信頼を測るものとして独立するようになった。この質問は国際比較にも用いられているが、日米の比較ではYamagishiらの研究とWorld Value Surveyとでは結論が異なるなど、質問の妥当性には疑問の余地が残る。本論文では質問文のワーディングに注目してこの問題について考察を加えている。筆者らによれば、質問文の前半は一般的な信頼を尋ねているのに対し、後半は自身の行動について尋ねており、これはリスクに対する自己がとる行動への評価であるとする。従って、理詰めで考えれば質問文の前半と後半は別の次元であることが推察される。筆者らはこの推論を確かめるべく、日米の大学の学生に対して様々な形式での一般的な信頼とリスク(注意)についての質問を尋ねた。分析の結果、信頼と注意を合成した質問では日本サンプルよりアメリカサンプルの信頼度が低くなる(アメリカでは犯罪率の高さなどから日本よりも注意が醸成されやすいため)、及び信頼と非信頼の尺度ではアメリカサンプルの方が信頼度が高くなることが分かり、これはアメリカの犯罪率の低い地域と都市部を比較しても同様の結果が得られたことから仮説は正しいことが分かった。筆者らは、信頼に関する質問は複数用意するべきとの知見を示しているが、文化的・社会構造的な背景が異なる国際比較においてはこの点は非常に重要になってくるだろう。

Li, Y., A. pickles, and M. Savage. 2005. “Social Capital and Social Trust in Britain.” European Sociological Review 21(2):109–23.

 この論文ではソーシャルキャピタルの概念的な定義について再考した後、イギリスにおいてSCが信頼にどのような影響を与えるかが考察されている。まず、筆者らはSC論をパットナム流の集合財を生み出すものと考える流れとリンらの個人の地位達成における資源として見なす考えを紹介し、論文の関心を前者に限定する。その上で、パットナムが重視した自発的結社への加入について、現代においてはそのような組織の参加は手段的なものになっているとして、それが信頼などの集合財を生み出すという考えに否定的な見方を示す。そこで、この論文ではインフォーマルな紐帯に注目する(もっとも、パットナムもこれについては言及している)。こレニ関して、弱い紐帯と強い紐帯に分けた上で、筆者らはNeighborhood Attachment (弱い紐帯)、Social Network (強い紐帯)、そして市民組織への参加の三つをSCとして定義する。集合財には社会的信頼を設定する。分析の結果、社会経済的に不利な条件の人々は弱い紐帯からSCを形成するのに対し、有利な条件の人々は市民組織からSCを形成する。さらに、隣人との良好な関係は市民組織への参加よりも社会的信頼を醸成することが分かった。

Stolle, D., and M. HOOGHE. 2005. “Conflicting Approaches to the Study of Social Capital.” Ethical perspectives 10(1):22–45.


 この論文では、ソーシャルキャピタルを巡る複数のアプローチに関して、既存の議論を整理し、新たな論点を提示している。従来の文脈では、SCはパットナム流の集合財を形成する側面を重視する見方とコールマン流の個人の資本としてSCを考える見方に対立していると考えられてきた。しかし、この論文では、両者の違いは排他的なものではないとする。なぜならば、両者とも、SCが個人のインタラクションから生じるネットワークや規範であることを認めており、違いは何に注目するかという従属変数のレベルに過ぎないからだ。SCの経験的研究に従事する場合、SCがどのように生まれるかという視点の方がより重要だとしている。そこでは、SCが個人のインタラクションというミクロな過程で生まれるという見方と、マクロな制度的文脈で生まれるという二つの考えの違いが重要になる。既存の研究はミクロな側面に注目を集めた研究に集中していたが、今後は政治・経済の制度がどのようにSCを生み出すのかについての考察を加える必要が説かれている。

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