February 3, 2014

今週も頑張ろうソシャキャピ論文

De Graaf, P. M. 1986. “The Impact of Financial and Cultural Resources on Educational Attainment in the Netherlands.” Sociology of Education 237–46.

 この論文では、ブルデューの再生産論をもとに出身家庭が子どもの教育達成に与える影響を経済的要因と文化的要因に分けて検討している。データは1950年代に機会の均等主義的な教育政策が進んだオランダのデータ(制度変更前後の二つのコーホート)をもとにしており、この政策によってどれほど出身家庭の影響が減少したかが焦点になっている。感想になるが、近代化論がまだ支持を得ている一方で、ブルデューのような新しい階層理論が登場してきた過渡期的な論文のように思えた。そのため、ブルデューの理論解釈を巡っては批判を受けるかもしれない。特に、ブルデューの再生産論をウェーバーのstatus groupの派生として安易に捉えているように見えた。分析の結果、経済的要因に関しては1950年以降のコーホートではその影響が消えていたこと、文化的要因に関しては1950年以前のコーホートに比べて以降のそれに対する影響力は小さなものになっていたことが指摘されている。

De Graaf, N. D., P. M. de Graaf, and G. Kraaykamp. 2000. “Parental Cultural Capital and Educational Attainment in the Netherlands: a Refinement of the Cultural Capital Perspective.” Sociology of Education 92–111.

 De Graafによる教育達成に対する文化資本の影響を検討した論文。前回(1986年)のものと問題意識は継続しつつ、仮説の設定などでrefineが見られる。この論文では、文化資本のどの部分が教育達成に影響しているかを問題にしており、独立変数に経済的要因の他、親の読書習慣と芸術館への訪問頻度などの文化消費が設定されている。また、文化資本と教育達成のメカニズムを説明した二つ理論(ブルデューの文化再生産論とディマジオの文化移動論:出身家庭が低階層の子どもでも、文化資本を利用して社会移動をするというもの)のどちらが妥当かを検討している。分析の結果、文化的資源に関しては、文化消費ではなく親の読書習慣が子どもの教育達成に影響を与えていることが分かった。後者に関しては、教育程度の低い親の出身家庭において親の読書習慣が子どもの教育達成に影響を与えており、文化移動仮説が支持されている。

Coleman, J. S. 1988. “Social Capital in the Creation of Human Capital.” American journal of sociology S95–S120.

 Colemanによるソーシャルキャピタルに関する理論的検討の論文。主著「社会理論の基礎」のソーシャルキャピタルの章とほとんど同じ構成(社会関係から生まれる資源を利用する点で似ているが、ソーシャルキャピタルは交換理論が見逃していたミクロな側面に注目しているという点が気になったが、交換理論については詳しく知らないため後に再読したい)だという印象を受けたが、タイトルにある通り、ソーシャルキャピタルが人的資本を生み出す過程について注目した論文であるため、その箇所のみ言及する。

 Colemanは冒頭でソーシャルキャピタルの理論が教育社会学にとって有益だと語るが、具体的にそれはソーシャルキャピタルが次世代の人的資本を生み出すという点を指している。家族とコミュニティの二つにおける過程について、Colemanは述べている。まず、家族に関しては、ソーシャルキャピタルが生まれる社会関係として親子関係に注目している。親が高い人的資本を持つことは子どものそれに正の影響を与えると考えられるが、親が資本を異なるところに投下していては効果がないだろう。両者に相関が見られるのは、親が子どもの教育にコミットしているという関係があるからである。子どもが親の人的資本にアクセスできるという前提には、両者の間に強い紐帯があるという点がかくされていることをColemanは主張する。次に、家族の外にあるコミュニティにおけるソーシャルキャピタルに関しては、有名な宗教系の学校と公立学校、その他の私立学校の子どもの退学率のデータが紹介される。宗教系の学校の低い退学率は、子どもが宗教を信仰しているからではなく、学校に在籍する子と親たちのネットワークが密になっているからであるとColemanは述べる。最後に、ソーシャルキャピタルには他の資本と異なって公共財的な側面があることが指摘されている。


 感想としては、Colemanは義務obligationと規範normをあまり区別して用いていないのではないかという疑問を持った。また、人的資本に移るまでColemanはソーシャルキャピタルの定義を試みているが、あまり整理されていない感を受けた。これはPortesも指摘している通りだ。同様に、ソーシャルキャピタルが人的資本を生み出す過程に注目している点でColemanとブルデューの共通点を見出すことができるが、彼がブルデューについて言及していない点もPortesによって指摘されている。

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