December 19, 2019

ジャンル別面白かった本10選

師走ですね。季節感がない人間なのですが、授業が終わり積読を消化する時期に入ったので、結果的に今年の振り返りをしているがごとく、某氏を真似て、今年読んだ本で面白かったものを10選してみました(半分くらいはここ1週間で読んだものだけど…)。

論文の方も10本選考中ですが、流石に本はこの1年で出版されたものに限定するのは難しかったので、できるだけ最近出版されたもの(2017年以降)に限定しています。

Inequality
1. Jack, Anthony Abraham. 2019. The Privileged Poor: How Elite Colleges Are Failing Disadvantaged Students. Harvard University Press.

文句なしに今年一番印象に残っている本。一言で格差というジャンルに落とし込めるのは難しく、人種・エスニシティ、文化、教育といった様々な分野に対しても大きなインパクトをもたらしているだろう。
この本では、アメリカの有名リベラルアーツカレッジであるアムハースト大学に入学してきた不利な背景を持っている(低所得出身のマイノリティ)学生を対象に、彼らがエリート校の文化にどのように適応しているのか、あるいはしていないのか、それらを分ける要因は何かを検討している。
我々は、こうした階層的に不利な背景を持っている人たちを均質的にみてしまう。それはアメリカでも同様で、1990年代後半からアメリカのエリート校では高額な授業料にたいして学生ローンを組むのではなく、低所得の学生向けの奨学金を拡大させてきた。こうした対策によって、これまで以上に低所得の学生がエリート校にアクセスすることは容易になっているが、筆者によればそれは問題の本質を解決したことにはならないという。以下のパラグラフは力強い。

I believe we should congratulate these colleges and universities on their willingness to innovate. Yet we cannot stop there. We must inquire further. Who are the students admitted to college under these new financial aid regimes? And what happens to them when they arrive on campus? Now that they have gained access to an elite institution, how do they make a home in its hallowed halls?

筆者自身も低所得かつ不利な背景を持った黒人家庭の出身で、アムハーストカレッジに進学した一人である。彼によれば、こうした学生の中でもエリート校に進学する前に似た環境で準備をすることができた層とそうでない層の2グループがあるという。前者をこの本ではPriviledged Poorと呼び、後者をDoubly Disadvantagedと読んでいる。PPのグループは入学前にボーディングスクールや有名私立高校に入学し、エリート大学に進学するような裕福な背景を持つ学生とすでに接する機会を持っている。これに対して、DDのグループはこうした有名高校に進学せずに、エリート大学に進学している。筆者によれば、エリート大学に進学する低所得黒人層は、このPPとDDがそれぞれ半数程度いるらしく、どちらかが珍しいわけではない。DDのグループはエリート大学の文化に触れるのが初めてであり、同じ社会経済的な背景を持っていても、PPに比べて学校生活に適応する際にハードルが高い。この本では、この二つのグループに焦点を当てて、エリート校がどのようにしてこうした不利な出身背景を持つ学生を不利に扱っているかを明らかにしている。

日本でも、同じ低所得層出身の学生でも、高校段階で選抜度の高い都内の中高一貫校に進学した層と、地方の公立校に進学した場合だと、トップ校(東大など)に進学した際の適応に差が出るような気がする。その意味で、この本の示唆はアメリカの事例にとどまらない。

2. Calarco, Jessica M. 2018. Negotiating Opportunities: How the Middle Class Secures Advantages in School. Oxford University Press.

カラルコさんは研究者としても優秀だが、最近ではツイッター・セレブリティとしての方が、名が知られているかもしれない。私も毎日ツイッターを楽しみに見ている。彼女はツイッターで頻繁に、質的研究だからこそわかるものは何かを書いているが、要するに質的研究はHowに答えるのに向いているというのが、彼女の答えだろう。

この本でも、解くべきリサーチクエスチョンは全てHowから始まっている(p.3)。ここまでくると珍しいくらいに正直で好感が持てる。
- How do children deal with challenges in the classroom?
- How (and why) do those efforts vary along social class lines?
- How do teachers respond to those efforts?
- How (and why) do those responses contribute to inequalities

さて、この本ではどのような回答を与えているのだろうか。依拠する先行研究はブルデューの文化資本の議論と、それをアメリカの中産階級と労働者階級のペアレンティングに敷衍した彼女のアドバイザーであるラローの議論である。これらの議論に基づけば、中産階級的な文化が支配的な学校では、中産階級の子どもは教師の期待に応える行動をするために、結果としてそうした文化的な知識を持っていない労働者階級の子供との間に格差が生まれる、という説明になる。しかし、実際には中産階級の子どもたちは教師の言うことに従わないことがある。彼女が具体例としてあげるのは、教師がある問題を自分たちでとくようにいった時でも、中産階級の子どもたちはわからない場合に助けを求めるのだ。では、労働者階級の子どもたちはなぜ手を上げないのだろうか。彼女の分析によれば、労働者階級の子どもの家庭では、学業に対して自分で責任を持つこと、および教師の手を煩わせないことを教える傾向にあると言う。これに対して、中産階級の子どもの家庭では、親は子どもたちを助けることが教師の仕事であると教える傾向にあると言う。彼女の本書の主張は、学校での困難に対して、子どもの出身階級間でその困難を解決するための機会を巡って、異なる対応が取られることがあり、それが不平等につながっているのではないか、というものだ。

3. Tomaskovic-Devey, Donald and Dustin Avent-Holt. 2019. Relational Inequalities: An Organizational Approach. Oxford University Press.

社会階層研究は10年に一度くらいrelational turnを提唱する本が出ることがあり、トマスコビッチさんのこの著作もその一つに連なるだろう。仮想敵とするのはいわゆるBlau-Duncanの地位達成モデルであり、関係論的な視点に立つこのモデルは個人主義的すぎるきらいがある。個人の中に不平等を生む資源が存在しているのではなく、個人が埋め込まれている社会関係が格差を生み出すという視点を関係論者は重視するわけだ。ここまではTilly のdurable inequalityとさしてかわらないが、組織の社会学で多くの業績があるトマスコビッチさんのこの著者では、組織(organization)をコアに据えて議論する。

この組織を分類する際に彼が用いる概念がinequality regimeであり、これは組織を中心にどのように資源が分配されているのか、どのような地位に対して報酬が与えられるかの体系くらいに考えればよい。これは彼の例ではないが、例えば日本の企業だと、資源は年齢を中心に分配されていて、年齢に基づいて付く地位に報酬が付されていると考えてもいいかもしれない。こう考えると、ジェンダー不平等に注目した時に、inequality regimeの言ってることがgendered organizationと何が違うのか、この本の議論は、基本的にジェンダーや人種といった個別具体的な現象については、すでに似たような蓄積がある気がしてやや評価しにくいところもある。どちらかというと、理論の本というよりは、組織レベルの格差生成プロセスに関する研究のまとめ、として読んだほうがストレスは少ないだろう。

次点:Rivera, Lauren A. 2015. Pedigree: How Elite Students Get Elite Jobs. Princeton University Press.

これまでの社会階層論はどちらかというと貧困に注目することが多かったが、トップ1%の収入の増大による不平等の拡大や、とりわけアメリカにおいてこうした不平等の拡大と社会移動の停滞の関連が検討される中で、エリートの家庭がどのようにしてその有利さを教育や労働市場を通じて維持しているかに関する研究が増えている。エリート大学に進学した層がいかにして競争的な地位の職業を卒業後に得るのかに関して、ジョブインタビューを中心とした就職のプロセスに着目ながら議論したPedigreeも、その研究ラインに連なる一冊であり、すでに古典的な扱いを受けている。出版年の関係で次点だが、そのインパクトはJackの著作に並ぶだろう(実際に10章では、Privilegeのない学生がどのようにしてジョブインタビューを切り抜け、内定を得たのかに関しての記述がある)。

Family
4. Collins, Caitlyn. 2019. Making Motherhood Work. Princeton University Press.

アメリカ、東西ドイツ、イタリア、スウェーデンの高学歴のworking motherの人にインタビューをして、彼女たちがどのようにwork family conflictを定義し、これに対応しているのか、あるいは彼女たちのideal motherについてのアイデアが国ごとにどのように異なるかを明らかにした上で、それらがマクロな政策的な文脈や文化とどう関わっているかを検討している。

スウェーデンはworking motherという言葉が死語になっており、働くことが前提でカップルが形成されるというのは興味深い。アメリカの母親が育児に対する自己責任をより語る傾向にあるというのも、市場的な福祉政策との繋がりで考えればよくわかる。こうした知見が出せるのが、比較研究の強みだろう。

ドイツの事例などで、彼女は政策を変えたとしても以前から存在している文化的な規範にworking motherが拘束される点も指摘している。イタリアは日本と似ている気がしたが、前者ではeconomic uncertanityがどの世帯でも懸念されていて、それがバランスが難しい中でも女性にフルタイムでの就労を要求している一方、日本ではMary Brintonのチームの研究でも指摘されるように、労働時間などの会社側の要因がconflictを生じさせているのではないかと思った。本研究では東アジアは検討されていないが、ジェンダーとワークライフバランスの文脈で言えば、この国を検討しない理由はない。コリンズさんと話した時も、東アジアの事例としての重要性は認められていた。おそらく、言語的な問題でこのような国のチョイスになったということだろう(そして、英語でインタビューすることへの批判的な意見もあったらしい)。

5. Kislev, Elyakim. 2019. Happy Singlehood: The Rising Acceptance and Celebration of Solo Living. University of California Press.

結婚の遅れ、あるいは生涯で一度も結婚しない人が増えつつあるのが、多くの高所得国でみられる現象だ。これらは必然的に「結婚しない人」が増えていくことと表裏一体なのだが、彼らは結婚したくても相手が見つからないのか、それとも結婚をそもそも志向していないのか。後者はさらに同棲相手のようなパートナーがいるのか、それともそうしたstableなパートナーも必要としていない人が増えているのか。このように、一口に「独身者」といってもその中身は多様である。日本では「おひとりさま」と言った言葉に示されるように、独身者でいることのハードルは(特に都市部に住む男性にとっては)低いが、アメリカではカップル文化が強いと感じることは多い(実際に、筆者は日本がextreme exampleであるとしている)。

こうした見方に従うと、シングルの人は相手を見つけたいけど見つけられていないと考えられがちだが、近年の研究ではもっと積極的にシングルの生活を営んでいる人たちが少なくないことを明らかにしている(余談だが、最近エマ・ワトソンが自分は「セルフ・パートナーシップ」を持っていると発言して注目を集めたが、こうした考えも、今後広がっていくのかもしれない)。

この本では、同棲相手のいない未婚者を「シングル」と定義して、彼らがどのような独身者に対する偏見にあい、それらを克服していっているかに焦点をあてている。メソッドとしては、社会調査データの分析もしながら、主としてアメリカとヨーロッパの都市部に暮らすシングル層への質的なインタビューを試みている。この本から一貫して示唆されることは、シングルに対する偏見は、翻って結婚している人への偏見とも表裏一体であるということだ。例えば第4章では、独身者の方が社会的活動に対して積極的ではない一方で、結婚している人の方がこうした活動に熱心であるという考えが今でも持たれていることが指摘されている。実際には、近年になるほど結婚している人の社会参加は減っていて、シングルの人の方がボランティアやコミュニティ活動に参加している場合も少なくない点がデータで示されいる。

このように、シングルに対して寂しい、不幸という偏見を持つことは、結婚している人に対して、幸せであるという偏見を貼ることに等しい。こうした偏見は双方にとって望ましいものではないと筆者は主張する。結婚とは幸せなものだと思い、用意ができていないのに結婚してしまうと、それは不幸な結婚につながってしまうからだ。シングルであっても、なくても、それ自体によって偏見が付されないような社会になっていくかが、今後の課題かもしれない。

Culture
6. Currid-Halkett, Elizabeth. 2017. The Sum of Small Things: A Theory of the Aspirational Class. Princeton University Press.

ウェブレンの「誇示的消費」は広く人口に膾炙した概念だが、この本では現代版の「誇示的消費」を検討している。ウェブレンの時代の誇示的消費は、まさに意味のない絵画や高級品が消費されるわけだが、産業革命によって勃興した中産階級は大量に生産されるようになった財をもって自らの地位を示すことができるようになった。それはブランド物のバックかもしれないし、高級車かもしれない。

ウェブレンの時代の誇示的消費は、生産活動に従事する必要のない「有閑階級」の誕生と表裏一体である。しかし、誇示的消費が中産階級、果てはより広い層にまで可能になるにつれて、有閑階級という言葉が実体を伴わなくなってきた。実際には、近年になるほど高所得者の余暇時間が減少しているという。さらに、グローバル化や知識経済の進展によって専門的スキルの重要性が増し、それらは教育によって得られるため、専門的な知識を身につけることが所得とは独立にエリートを構成する要素となっている。こうした所得だけによって結びつかない新たなグループは、筆者によれば「共有された文化的な習慣と社会規範」によってつながっているとされる。これらの習慣の一つ一つが、タイトルにあるような非常に小さいもので、それが集合となって新しい階級が作り出される。筆者はこれをaspirational classと名付ける。これらの消費は、明確な意識に基づいており(「健康」な食事など)、こうした個人のアスピレーションの共有からなる階級はウェブレンの時代における経済的消費による階級とは大きく異なる点を、筆者は主張している。

Race
7. Kao, Grace, Kara Joyner, and Kelly Stamper Balistreri. 2019. The Company We Keep: Interracial Friendships and Romantic Relationships from Adolescence to Adulthood. Russell Sage Foundation.

アメリカでは長く、異なる人種間の友人関係あるいは交際、最終的に結婚に至るかどうかが社会的同化(ないし統合)の一つの指標とされてきた。ここでの「人種」は白人と黒人の境界線のことをさすことが多かったが、近年ではヒスパニックとアジア系の人口も増加しており、Bonilla-Silvaのようにbiracialから一部のアジア系や人種的には白人に近いラテン系をいわゆるHonarary whiteに分類する見方も登場している。

このように、多様化する人種・エスニシティや、将来的に白人が人口の半数を下回るmajority minorityに関する議論はアメリカの社会学の一大テーマであるが、筆者らはこれらの先行研究において、若年期のinterracialな友人関係が大人への移行時期の友人・交際関係に影響するのかという点は検討されてこなかったとする。Alportらの接触仮説などを引用した上で、この本ではAdd Healthのパネルデータを使用して(1)青年期と大人期の友人・交際関係の違いの記述、(2)両者の関連、(3)白人、黒人、ヒスパニック、アジア系による違いを検討している。本書の貢献の一つは、これまでサンプルサイズの少なさから種略されがちだったヒスパニックとアジア系の友人関係についても十分に検討している点があげられる。また、これまでの研究では回顧的な情報から若年期の他の人種との関係が与える影響を検討していたが、この研究ではパネルデータの特性を生かして、実際にコンタクトがあったかの影響を検討できている点も指摘できるだろう。

8. Hamilton, Tod G. 2019. Immigration and the Remaking of Black America. Russell Sage Foundation.

こちらも2019年にRSFから出版された人種に関する本。といっても、そのフォーカスは同一人種内の多様性、具体的には増加する黒人移民がもたらす示唆に関するものである。いわゆるアメリカにおけるracial divideは白人と黒人の間に引かれるわけだが、Kaoらの研究でもあったように、近年になってヒスパニックやアジア系といった第3のカテゴリが増加し、彼らは黒人よりも白人層と関係を持ちやすいため、将来的には白人と黒人ではなく、非黒人と黒人の間にracial divideが移っていくのではないかという議論がある(これだけ書くとすごい大げさな人種差別論に聞こえるかもしれないが、人種の社会的構築や黒人層の歴史的な差別の経験といったものが全て積み重なった上での議論である、念のため)。

しかし、黒人層の内部も多様化しているのが、本研究の着目している点である。具体的には、近年では黒人とアイデンティファイする人のうち、9.2%が移民であり、移民の10%が自らを黒人とアイデンティファイしている。また、アメリカ生まれの黒人の20%がいずれか一方に外国生まれの親を持っている。この外国生まれの黒人移民の国籍は非常に多様で、英語を母語にもつジャマイカ、ナイジェリア、ガーナ、スペイン語が母語のドミニカ、フランス語のハイチ、スーダンではアラビア語が母語である。アフリカや中南米出身の移民でも、同じ言語を持っているわけではない。このような多様性ゆえに、これまで黒人系移民の詳細については検討されてこなかった。しかしながら、上述のアメリカにい置ける変化するカラーラインを考える上では、黒人内の異質性に着目することは非常に重要である。

また、黒人移民とアメリカ生まれの黒人の間には労働参加や賃金などに差があり、この格差は、これまでの研究でアメリカ生まれの黒人において労働市場のアウトカムが低いこよが、彼らの文化的な要因に帰するという考えを生む温床になってきた。これに対して、筆者は黒人移民層のセルフセレクション(例えばナイジェリア系移民の6割近くが大卒学歴を持っている)、1965年前後で変化したアメリカの人種差別の文脈、そして移民がアメリカの労働市場に対して持つアメリカ生まれの黒人とは異なる考え方の三つが両者の差を説明する、言い換えると貧困の文化といった説明を棄却している。

労働市場のアウトカム以外に、健康や結婚といった指標も検討しており、今後、黒人系移民の研究の土台になるような重要な文献だろう。ちなみにTodはプリンストンの教員で、結構気軽に話しかけてくれるいい人。

次点:Morris, Aldon D. 2015. The Scholar Denied: W. E. B. Du Bois and the Birth of Modern Sociology. University of Chicago Press.

我々はアメリカ社会学の始まりがシカゴ大学から始まると考えがちだが、これは正しくない。正確には「正しかった」のかもしれない。実際には、シカゴ大学が社会学部を作る前にアメリカ黒人研究で知られるDu Boisがアトランタ大学に社会学部を作っている。Du Boisは当時の人種差別の影響もあり、主流の社会学からは排除されてきた。戦後になっても、Du Boisが社会学の文献として読まれることは稀で、日本の学説の輸入はDu Boisの研究をうまく取り入れられていないかもしれない。ノースウェスタンの社会学者であるAldonさんは、学部の恩師からDu Boisを教わり、それ以降一貫してDu Boisの研究をしてきた第一世代といってもいいかもしれない。学説史を研究されている人には、ぜひこの本を手にとって、どのようにしてDu Boisが主流の学説から排除され、近年その功績が見直されているかを知ってほしい。出版年の関係で次点。

Big data
9. Salganik, Matthew J. 2017. Bit by Bit:Social Research in the Digital Age. Princeton University Press.

日本語でも瀧川さんたちが翻訳して広く知られるようになった「ビット・バイ・ビット」。社会学の人に対してはビックデータのもつ可能性を示唆するものであり(2章)、データサイエンティストに対しては社会調査のアイデアを伝える(3章)、バランスのとれたものになっている。4章と5章では具体的に実験とマス・コラボレーションという「デジタル時代の社会調査」だからこそ可能になっている新しい方法についての紹介、最後に6章では倫理的な課題について言及されている。3章はこれまでの社会調査の教科書の復習に読めてしまうかもしれないが、実際にはビックデータ時代の社会調査をこれまでの調査の歴史と対比させる形で議論しているため、社会調査法の授業でアサインすることはオススメだし、実際にプリンストンの授業でもこの章が調査法のセミナーで読まれている。

Japan
10. 神林龍, 2017.「正規の世界・非正規の世界」慶應義塾大学出版会.

最後のジャンルは「日本」、ということで和書を選んでみた。非正規雇用の拡大は日本の社会階層論でも度々議論の対象となる現象だが、この本では非正規雇用が90年代以降の日本で増加しているのに対して、正規雇用の規模は安定的かつ、その特徴とされる長期雇用慣行はコアな部分で維持されているという一見するとパラドキシカルな状態を法と経済の双方に着目して説明している。まず、数字の上では非正規雇用増加の背景にあるのは自営業の衰退である点が指摘される。本書ではなぜ自営業が衰退したのかについての説明はされているが、冒頭にもあるように明確な解答を出すまでには至っていない。

その一方でなぜ非正規が増えたのか、あるいはなぜ正規が増えなかったのか、という問いについては、日本特有の労働法制にその答えを求めている。筆者によれば、日本の労働法規制は労使二者間のコミュニケーションによって柔軟に調整されている側面が強く、日本的雇用の特徴とされる企業別の労働組合も、こうした会社単位の労使の交渉を容易にしてきた側面があるという。「正規の世界」は労使二者間の柔軟な交渉によって成立していた側面があり、これに対してインフォーマルセクターでは「正規の世界」がもっていたような労使のコミュニケーションの制度が存在しなかったため、正規が増えなかったと結論づけている。本書のテーマは「非正規の世界と正規の世界の不釣り合いな連関」にあるが、その関係性を理解する鍵が労使自治の違いであるというのが、筆者の主張である。

次点:Nemoto, Kumiko. 2016. Too Few Women at the Top: The Persistence of Inequality in Japan. Ithaca: ILR Press, an imprint of Cornell University Press.

出版年から次点となったが、安倍政権のいわゆる「女性が輝く社会」の話もあり、女性管理職をいかに増やすかはホットなトピックになっている。社会学者は元来「そんなに世界は簡単に変わらないよ」ということを主張する集団で、この本でも女性就業者がどのようにして、管理職など指導的な地位につけないのかを3つの金融セクター、および2つの化粧品企業に勤める男女への質的なインタビューから明らかにしている。先行研究では日本企業に特徴的な長期雇用慣行が女性の就業継続を不利にし、年功序列に基づく昇進制度をとる以上、女性が管理職に就くのが難しいとされてきたが、本書では質的研究らしく「どのように」これらの慣行が女性を不利に扱っているかを明らかにしている。同一企業に長く奉仕するコミットメントが要求される日本的な雇用慣行では、長時間労働などのハードワークが賞賛される傾向にあり、このナラティブのもとで女性は管理職には向いていないという言明が正当化されている。長時間労働自体は本書が対象とした企業でも減少傾向にあるというが、それでも夜10時ごろの退社が当たり前とされるケースは少なくなく、こうした長時間労働が前提の雇用を前にして、ワークライフバランスを考える女性は昇進意欲を失ってしまう点も指摘されている。

第4章でほとんど地位が変わらない(結婚している)男性が家賃補助をもらっているのに対して、(独身の)女性がもらっていない、特に女性管理職が少ない場所では、とする記述があり、性別職域分離と結婚プレミアムの研究を進める上で興味深い記述だった。

新規性のある概念を生み出したといった類の本ではないが、緻密な質的調査から定点観測的に現代の日本を記述した意義は大きい。Yuko OgasawaraのOffice Ladies and Salaried Men と比較して読むと、何が変わって、何が変わっていないのかがよくわかる。研究者以外の人にもオススメの一冊。

番外編:Genetics
Conley, Dalton and Jason Fletcher. 2017. The Genome Factor: What the Social Genomics Revolution Reveals about Ourselves, Our History, and the Future. Princeton University Press.

この一年で最も考えることが多かったと言ってもいい、社会ゲノミクスの包括的な概略本ですが、残念ながら2018年に読んでいたので今年読んだ本10選には入らなかった。ただ、lasting influenceはすごい。

振り返り

レビューしてみて改めて思ったが、今のアメリカはやはり不平等研究が熱い。以前にもどこかで書いたが、アメリカの社会学は近年、様々な角度から不平等を検討する学問になりつつあり、不平等を研究するのは階層研究者だけの仕事ではなくなってきている。毎年のようにイノベーティブな方法やアイデアを駆使した新しい研究が出ているのは、格差が拡大している社会だからこそ、だとすれば皮肉かもしれない。しかし、こうした研究によって、私たちが格差・不平等を理解するツールは、どんどん増えている。これはいい傾向だろうし、異なる文化圏の社会学者も、こうした研究を積極的に吸収するべきだろう。

社会学のトレーニングを受けていないと、格差というのは、そこにあるか、ないかで考えてしまいがちだ。実際には、ないように見えているだけで、ある認識の枠組みを使えばみなかった格差が見えるかもしれない。JackのPriviledged PoorとDoubly Disadvantagedという概念は、まさに低所得層のエリート大学進学者という一枚岩で語られがちな生徒たちの異なる側面を明らかにする概念である。それで不平等を解決することはできないかもしれないが、見えなかったものが見えるようになることが、問題の本質を一歩進んで、理解できることにつながるのではないだろうか。

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