December 16, 2014

12月14日−16日(結婚の理論的考察)

いささかさぼっていた。

日曜日。午前中は家で読書。渡辺先生の慶応から出た本など。その後投票にいき,カフェで勉強。某ゼミの英語スライドの作成やドイツ語の勉強。行ったん外に出て古本屋で本を買う。レヴィ=ストロース「構造人類学」、パーソンズ「社会構造とパーソナリティ」(新版)、立岩「私的所有論」、山岸「信頼の構造」、戈木「グラウンデッド・セオリー・アプローチ」、メルロ=ポンティ「行動の構造」、全部で6160円、安い。

一度帰宅して、その後またカフェで勉強。最中に、いせやから出てきた某サークルの先輩with 彼女と遭遇。その後、選挙特番にシフト。3時頃まで起きて、菅の当選(海江田の落選)を見る。最後に、世襲議員について考える(男女の間に世襲議員の比率は違いないが、世襲議員の方が再選の確率が高く、安定的に議席を確保できる。形だけ女性議員を増やしたいのであれば、世襲議員を女性限定とかにすればいい(もちろん、そんなこと明記はできないけど)。仮に09年時点の世襲議員88人全員が女性になると、相当なもんだろう、という旨).

月曜日。3限に授業があるまで,家で勉強.ホリオカとフクヤマと山岸の話から若干の着想を得る。ホリオカが指摘する日本の世代間移転の非利他性は、日本では家を単位とした集団主義が強いという仮説。(あくまで仮説)。子どもは、家から離れるまで、親に依存することができる(学生の仕送りなど)。しかし、一度独立すると、違う家を形成すると見なされるので、世代間の移転は希薄になる。親からの独立(independence)のきっかけは国ごとに異なり、スウェーデンやアメリカでは、実質的に中等教育の終了がそれになっている。日本では、結婚ではないだろうかという仮説。(あくまで仮説)。

結婚を通じて、新しい家をつくり、独立する。親から依存することも規範的に難しくなる。そのため、結婚へのハードルが高いことになり,未婚化の一要因となる。日本は利己的な社会であるが、家を単位とした集団主義の国であるため、一見すると福祉レジームの議論などでは家族主義の国と見なされる。それは一面では正しいが、世代間関係が密接なのは、子どもが未婚のままでいる核家族段階のみ。日本で親の介護をするとなると、コンフリクトが生じる。

直系家族のオリジナルな形は、生産と再生産が一致していた時代に限定される。なので、形としては核家族化は進行してしまう。だが、家を単位として行動する志向性は、昔とあまり変わらないかもしれない。核家族化と精神としての家の存続は矛盾しない。

授業終了後、本郷へ向かい、新書を持ってきた鞄に詰める。大体80冊くらいの本を持ち帰った。最近、夜は非生産的。若干のストレスの発散に使う。

火曜日、ゼミはもう終わったので、家で勉強。と思ったが寝不足がたたり二度寝。本郷通りに新しくできたイタリアンで昼食を済ませて、秘密の部屋で勉強。ライティングの授業後、学部生室でラーメンを食べ、三友館でまた勉強。ドイツ語をやらねば。

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