June 16, 2020

6月16日

未来日記

-朝に結婚と死亡の論文、およびきょうだい論文の分析のアップデート
-14時からcovidミーティング、20時半から東アジアセミナー

実際

結果的におおよそ予想通りの1日。まず昨晩、宇多田ヒカルのライブを見すぎてしまい寝不足、必然的に単純作業中心の1日。体調のコントロールは本当に大切で、万全な時なら2、3手先を考えて論文を書けるが、少しでも疲れていると1手先までしか読めない論文の書き方になる、必然的に修正は単調になり、創造的な改稿ができない。ただ、時間を置くことも大切なので、ある程度論文を書き終わって改稿がメインの今の段階は、休むことも必要だと思うことにして言える。

午前中は論文を二つ読む。どちらも日本のことについて論じていて、1990年代、アメリカの研究者によるものという共通点。どちらも示唆的で、それはそれで結構なことだが、それが今でも示唆的というのは、裏を返すとうまくアップデートした研究がないということなので、その点を考えると素直に嬉しくなれないところもある。

80年代後半から90年代にかけて、今の中国のように台頭する日本への注目もあり、アメリカの社会学でも日本の研究が、それも今でも引用されるような重要な貢献がいくつもあったと思う。世代的には、Vogelやその弟子の指導を受けたような研究者になるが、彼らの多くはアメリカ人。本当は、その後に日本からの留学生が続き、研究を広げる流れが期待されたのかもしれないし、実際にその時期に日本からの留学生は多かったわけだが、この25年は(こういうと怒られるかもしれないが)思ったようには(アメリカの社会学において)日本に関する研究者が増えなかったのではないかと思う。

この25年は空白ではもちろんなく、多くの研究の蓄積があったと思うが、90年代までのseminalな貢献を見るにつけ、本来はもっと蓄積があるべきだったのではないかと思わずにはいられない。このギャップを埋めていかないといけない(あるいはギャップを埋めてくれるような人を増やさなくてはいけない)。

その後、結婚と死亡の論文に関してデータ集め、続いてきょうだい論文の結果をアップデート。夕食(昼食)を軽く済ませて走り、夜に東アジアセミナー。中国の家族変動をSDTを参照点にしながらレビューする内容で、面白かったが、何点か疑問もある。こういうところで書くものではないので、メモにして、周りの同僚と話して、深めていく。こういう機会を当たり前のように享受しているが、私も院生セミナーを主宰し始めて、改めてバッグステージでいろんな人が努力していることに気づかされる。そういう人たちへの感謝を忘れず、少しでも中身のある研究ができるよう、頑張っていくほかない。

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