January 8, 2015

1月8日(結婚についてのメモ)

結婚と似ている行為
自殺との比較。似:基本的に人生で一度しかやらないもの(結婚は最近離婚しやすくなっている)、非:自殺よりは複数回経験しやすい、マッチングの相手は必要ではない。精神状態。
就職活動との比較。似:マッチングの過程、非:就職活動はプッシュ要因が大きい(お金を稼がなくてはいけない)が、結婚はプル要因が大きい(一緒になりたい相手と出会うから結婚する)結婚には象徴的な意味もある。
教育達成との比較。似:行為の結果自体とは異なる象徴的な意味(cf学歴)、準マッチング。非:教育達成はイベント発生時の年齢分布が比較的均質。

現代の結婚は
・自殺よりはし易いが転職よりはしにくい
・経済的な必要性(プッシュ要因)は相対的に減少し、象徴資本や相手の魅力などのプル要因が強い。
・相手とのマッチングの過程を経ないと結婚できない。
・イベント発生時の年齢分布がばらばら→就職活動とは違って、集団的な役割期待が働きにくい(大学四年生は就活していると期待できるが、結婚は30歳の独身の人が婚活をしているという期待は持ちにくい)
・ある程度の広い結婚適齢期が存在する(恐らく16-18歳では結婚市場には参入できていない、大卒だと、24−26位からぽつぽつ結婚する人が出てくる?)

人ななぜ結婚するのか?
自立するための経済的必要性
第三者からの圧力、共同体の規範
子どもを持つため
象徴的な意味(←→未婚=スティグマ)

人はどのように結婚するのか(今までの社会学が検討してきたところ)
学歴などの地位が同じ人との同類結合(選好)
女性の地位上昇婚(選好)
共同体の慣習の中で(見合いなど含む)(第三者の影響力)
同じ場所・空間の共有している(機会構造)

一応、恋愛→婚約→結婚の流れで、婚約した人はほぼ100%結婚しているので両者は同一と見なせる。
恋愛には、婚約に繋がると意識される恋愛とそうでない恋愛がある(個人の中でも連続的)
→人が結婚を意識し始めるのはいつか、そしてなぜか?(意外と分かっていない?)

——

ホリオカとフクヤマと山岸の話から若干の着想を得る。ホリオカが指摘する日本の世代間移転の非利他性は、日本では家を単位とした集団主義が強いという仮説。(あくまで仮説)。子どもは、家から離れるまで、親に依存することができる(学生の仕送りなど)。しかし、一度独立すると、違う家を形成すると見なされるので、世代間の移転は希薄になる。親からの独立(independence)のきっかけは国ごとに異なり、スウェーデンやアメリカでは、実質的に中等教育の終了がそれになっている。日本では、結婚ではないだろうかという仮説。(あくまで仮説)。

結婚を通じて、新しい家をつくり、独立する。親から依存することも規範的に難しくなる。そのため、結婚へのハードルが高いことになり,未婚化の一要因となる。日本は利己的な社会であるが、家を単位とした集団主義の国であるため、一見すると福祉レジームの議論などでは家族主義の国と見なされる。それは一面では正しいが、世代間関係が密接なのは、子どもが未婚のままでいる核家族段階のみ。日本で親の介護をするとなると、コンフリクトが生じる。

直系家族のオリジナルな形は、生産と再生産が一致していた時代に限定される。なので、形としては核家族化は進行してしまう。だが、家を単位として行動する志向性は、昔とあまり変わらないかもしれない。核家族化と精神としての家の存続は矛盾しない。 

No comments:

Post a Comment