January 22, 2015

1月22日(木)

帰り道で今日の4限で今学期の授業が全て終わったのだということに気づいた後にすぐ、5年間の大学生活の授業も終わったのだと気づいた(ただし、まだ英語のプレゼンと卒論報告会が2つずつ残っているし、レポートもある)。

振り返ってみると、やはり一生懸命勉強した授業は思い出に残っている。駒場の時は、1年半続けた高ゼミと2年の夏学期に社研講座として開かれた、宇野・五百旗両先生による「災害復興の政治学」、どちらも予習の量がとても多く、前者では議論する力、後者では資料(史料)の読み方を培えた。それと、山本泰先生のHaralambos & HolbornのSociologyを読む授業は、当時としては常に英語文献なのは辛かったけど、今でもたまに読み返して、日本の社会学の教科書との違いを見る時に使っている。

本郷に来た後は、基本的に社会学専修の授業をとっていて、良くも悪くも今まで自分が面白いと思っていたスタイルとは違っていて、戸惑う期間は長かった。一番の思い出は教育学部の授業で、川本隆史先生のロールズ正議論を読むゼミだった。駒場の時にサンデルの講義を聴きに行ったり、本郷のゼミで政治哲学の教科書の文献購読をした後で、当時気になっていたAdam Swiftという人の家族内の不平等形成に対する政治哲学の議論について報告したら、とても面白いといってくださって、それが本当に記憶に残っている。

マンチェスターでは、Nick Crossleyの院の授業を聴講させてもらって、そこでは社会学における認識論と存在論を、彼なりに正面切って扱っていて、本当に勉強になった。ちなみに、なぜか大学のカフェで毎回議論していて、この経験は初めてで新鮮だった。

それ以外にもたくさん面白い授業はあったし、これらは必ずしも今やっていること、これからやることにダイレクトには結びつかないけど、自分の中では、今の自分にとり役に立つというのと、後から振り返って強く記憶に残るものは独立だと思う。さらにいえば、当時役に立つと算段して選んだものは、振り返ると実はあまり思い出に残らない。前者で学んだことをものにしているから変なノスタルジーを感じないだけかも知れないけど、大きいのは、授業に参加しながら自分の考えが段々と相対化されていく経験が、ありありと残っているからだと思う。

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