印刷場所は市ヶ谷のキンコーズ。JR市ヶ谷駅を出て靖国通りに出ると,4−5分で着く(地下鉄の出口からだとほぼ直結) .
授業は,アメリカで育ち,向こうで学位を取った文化心理の上智の先生の報告。途中からだったので,流れを掴むまで時間がかかる.要旨としては,結婚を機にアメリカに渡った日本人女性のアイデンティティを質的に聞いているもので,方法的にはオープンなインタビュー,知見としては,単に英語力だけでacculturationを測ることはできず,日本文化への愛着や,アメリカ人意識などとも関係するということ,らしい.個人的には,階層変数とか,移住するまでに配偶者と出会った過程とかについて,もっと深く切り込んでもよかったなあという印象. 元になった論文と思われるものは,以下のURLから公開されているようだ.
出口真紀子. (2010).「アメリカに移住した日本人女性の文化変容の語り」(『神戸女学院大学女性学インスティチュート・女性学評論』第24巻、2010年3月、43-73頁)
ちなみに、授業終了後、隣に聴講に来ていた人がミシガンで博士号を取った日本人の教員の方だと知る。
授業後、論文を取り にいき、大学へ。学部生室で談笑、昼食後、本の返却と書籍部で有斐閣の「社会学」購入。談笑中に卒論の体裁について、やはりA4サイズで印刷しようということになり、再びキンコーズで。二度目だったので、セルフ印刷から製本まで20分もかからなかったと思う。
吉祥寺に戻り,夕食まで時間があるので北口方面を散策、目当てはモレスキンの手帳。2年ぶりに手帳を買うことにし,3年ぶりにモレスキンにしようと決めていた。やはり,久しぶりに持ったときのあのナイロンの質感と手にすっぽりはまる感じがとても懐かしく,実用性云々ではないレベルで欲していた.本当はウィークリーが欲しかったが,ネットでは既に在庫切れだった。普段利用するFreeDesignの営業時間が過ぎていたので、諦めかけたが、どうせ品切れで翌日来て落胆するよりかは,もう買ってしまおうということで、中道通りをユニクロまで出たところで左に曲がり、ロフトに入る。結局、マンスリーのソフトカバーを購入。本当なら、ハードカバーの方が好きだが,こっちはこっちでコンパクトなのが好印象。色は定番の黒。
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家で、先日帰省した時に行きつけの床屋のマスターから最近の理美容業界事情を教えてもらって、それについて少し調べていた。参考になるような本が見つからないのが、まだ気になるところ。
毎年の美容師と理容師の資格取得者の数は圧倒的に美容師の方が多い。世間的なイメージで、大して違いも分からないが理容師より美容師の方がカッコいいらしい。これは分かる。ただ(美容師がどうかは不明だが)理容師業界は高齢化が深刻で、開業している人のうち3/4は50歳以上。実に全体の4割を占めるのが60代という状況である(詳しくはこの報告書)。マスターのおっちゃんによると、この10−15年で理容室の廃業ラッシュが来るという。なぜなら、現時点で後継者が決まっているのは半分もいないから、ということらしい(先の報告書だと50歳以上の経営者のうち、後継者が決まっているのは3割もいない)。
という訳で、理美容とも独立は難しいとは言うものの、競争率の相対的な差と廃業ラッシュというトレンドを踏まえると、理容師の方がまだ見込みがあるというのに、国家資格の分布は偏ったままだという。
追加で、最近伸びている1000円カット業についても教えてくれた。彼らが業種区分上、理容師しか働けないそう(これは違って、調べてみるとQBカットは店舗ごとに理容と美容を一応分けて営業している。違法なのは同一店舗に理美容師が混在して働くことで,QBハウスは混在勤務を認める規制緩和を要望しているようである)。QBカットなどは、フィリピン人とかの実習生が一定期間研究を積めば日本の国家資格と同じ地位を与えることも求めているという。数の不均衡と人口構造の変化の中で、床屋と美容室を巡る様相がこう表現されるとは、という感じだった。
カリスマ美容師という言葉とそれに形容される人たちが登場したのは2000年頃かららしく、確かに理容師の数は変わらないのに美容師の数は増大している。理美容というのは、国家資格もあるちゃんとした技術職(とはいっても、そのレベルは国家資格の中でも最も低いものなんだよねとマスターは自嘲気味に語っていた)なのに、この20年で生じているのはQBカットなどの新規事業者による価格破壊であるという点もこの業種の性格を考える上で興味深い。最近では、キラキラ系とよばれる、一見華やかな業界に憧れて入ってはみたものの、劣悪な労働環境に苦しみ、中には自分を正当化する若者も現れる現状で、美容師はそういった職業の代表例としても語られる。このように、現代においても色んな視点から理美容業界は分析できそうなのだが、誰か一緒にやってくれる人はいないだろうか。というまとめにしておく。
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最後に、先日読んだブードン「社会学の方法」の簡単な紹介。宮島先生の解説によると、1970年に出たこの本がブードンの初めての訳書らしい。新書サイズで、社会学の方法を分類したあと、自身が重きを置く量的方法の水準における、分析過程の解説(この時代で既に、パネル調査への言及もあり彼の見識の広さを感じるにいたる)。最後に、少しだけ質的調査の説明もある。
目次
序章
第一章 方法をめぐる誤った論争
第二章 定量調査の方法
第三章 調査の分析における数学的方法
第四章 定性的方法
結論
個人的には、社会学的分析のレベルを対象と方法から以下のように分類している箇所が一つの鳥瞰図としてはいいなと思った。
以下p.21-22の一部抜粋
Aa 枠組み 全体社会(変動が主題)
1 定性的研究(ウェーバーのプロ倫やデュルケムの社会的分業)
2 定量的研究(自殺論やソローキンの社会的動態)
Ab 枠組み 全体社会(体系が主題)
モンテスキュー「法の精神」やパーソンズ、マードックの著作
B 枠組み 個人、個人と環境
自殺論、アルヴァックス「労働者階級の欲求」、ストゥファーのアメリカ兵など
C 枠組み 自然的単位(集団、制度、コミュニティ)
ホワイトのSCSや官僚制の議論など
おおざっぱにいってしまえば、マクロとミクロとメゾということになろうが、マクロを変動と体系に分けている。
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