March 26, 2020

家族人口学セミナー第1回:家族の複雑化

(自分の中では)コロナもだいぶ落ち着いてきたので、家で割合集中して研究できている。授業が再開してペースメーカーになっている部分もある。

火曜日になるが、half termで開講している家族人口学の授業の初回があった。講師は私の指導教員であり、これが彼にとってプリンストンで最初の授業になる。私も彼の授業を受けるのは実を言うと初めてだったので、非常に楽しみにしていた。

ところがコロナのせいで、初回からzoomで議論するという、気まずいといえば非常に気まずいスタートになってしまった。参加人数が3人+先生なので、他の参加者はオンラインに移行するようになってからキャンセルしづらかったかもしれないが、残ってくれた。私は指導教員と学生の一人を知っているので気まずさはなかったのだが、他の人が私と似たような感触だったかといえば、そうではないだろう。

アメリカの大学院セミナーでよくある、1回に5-6本の論文を読む3時間のセミナーである。最初は、3時間のゼミをzoomでやるのは疲れるのではないか、と思っていたのだが、意外と私は楽に感じた。この授業に限らず、zoomを使ったオンラインのミーティングの方がリアルよりも疲れない傾向にあり、その理由はまた時間があるときに書きたいと思う。

さて、今回のトピックはfamily complexity。これはアメリカの家族研究では一種のバズワードになっているが、要するに家族が複雑化している、という記述的な命題で分析的な価値はほとんどない。この話に限らず、家族研究で使われる概念はほとんどが記述的なもので、理論的な説明はかなり雑に終わっている。それは家族の変化というのが様々な背景から構成されるそれ自体として複雑なもの、ということもあるだろうが、家族研究者が家族の変化をtemporalに語るときには、趨勢的な命題になりがちで、そのあたりの実証の精度はあまり重要になっていない。ひとまず、どれだけ、どういう人において家族が変化しているかが大事なのである。

この複雑化命題自体も(なぜか)アメリカの(なぜか)1960年代の核家族世帯をレファレンスとした上でfrom convergence to divergenceと言っているのだが(convergence命題としてはGoodeがよく引用される)、どちらかというと複雑化がなぜ生じているのか、ではなく、なぜある一時期において家族が非常に均質的だった(と思われていた)のかの方が、問うべきものになる気がするのだが、現代の研究者はあくまで過去の便利なところをレファレンスにして、そこから社会が変わったことを語る傾向にある。

複雑化の具体例としては結婚の遅延、離婚・非婚出生の増加、half-siblingの増加(親から見るとmulti-partner fertility)、同棲やsexual gender minority coupleの増加、さらにそれらの家族の変化が社会経済的の地位と関連しつつ多様化している点などがあげられる(+これらがパッケージとしてまとまって生じていることも含意に含まれる)。理論的なバックボーンには有名な第二次人口転換論(SDT)があるのだが、アメリカ的にはそこにSESによるdivergenceを加えるのが通説になっている。単純に多様化しているだけならSDTの含意と何が違うのか、と言われればそれまでだが、アメリカの社会学者はやはりinequalityに注意している傾向が強いので、例えばそうした複雑化する家族形成が次の世代にも連鎖するのか、それが子どものwellbeingにどういった影響を与えるのか、といったトピックもこのテーマに包摂されている。こうした「効果 [effect]」に傾倒する場合、例えば離婚の因果効果を推定する際には、セレクションの問題が生じてくる。

私からすると、介入できない問題に対して因果効果を求めること自体に価値を見出すのがよくわからないのだが、最近は少し考えを変えて、むしろどれくらいセレクションによって説明できるかの方が、アメリカの家族研究者の関心を踏まえると重要なのではないかという気がしている。

これには、もう少しアメリカン・コンテクストの家族研究を挟んだ方が良いだろう。先ほど、家族形成の変化が格差を伴って進行しているという議論がアメリカの定説だとしたが、この議論の先達は、本学に在籍している大御所研究者、サラ・マクラナハンである。2004年のアメリカ人口学会の会長講演論文が非常に有名だが、その論文で彼女が提唱したdiverging destinies(分岐する運命、と私は訳している)はアメリカ版のSDTと言ってもよく、非常によく参照されるフレームワークだ。ここでもなぜそうしたことが生じているのかの説明はラフだが、一方で、家族形成の変化とSESの関連は丁寧に見ている。おおよその主張をまとめると、かつて多数派だった安定的な家族形成を歩む人は少なくなりつつあるが、高学歴・高階層のグループではこうした家族形成が主流のままである一方、多様かつ不安定な家族形成パターンは低学歴・低階層のグループに集中している、というものである。彼女のdestiniesの部分には、そうした家族形成の多様化が世代間で連鎖し格差の再生産につながるのではないか、という示唆が含まれている。彼女の主張には論争的な部分も多々あるが、それも含めて非常によく引用される。

彼女はウィスコンシン大学時代に同僚のサンドファーとひとり親家庭の子どものウェルビーイングに関して検討した最初期の研究所を残しており、この本自体は日本でも離婚やひとり親家庭の研究をしている人がよく引用している。その後、プリンストンに移籍したマクラナハンは、Fragile familiesというアメリカの都市の病院で生まれた子どもをサンプリングしたlongitudinal surveyを開始している。このFFから生み出された研究成果は多岐にわたるが、 例えばmultipartner fertilityの研究などは、この調査が果たした貢献は計り知れない(と思う、実はそこまでフォローはしていない)。

この調査のポイントであるfragileの部分はサンプリングにも反映されており、unmarried birthsで生まれた子どもがオーバーサンプリングされている。fragile(あるいはfragility)という概念はfamily structureとfamily stabilityの二つで構成されており、structureは出生時点の家族構造で、具体的には結婚したカップルのもとに生まれた子どもなのか、非婚出生なのかが重要な差になる(さらにいうと、非婚出生にも同棲相手がいる母親と、出生時点でシングルマザーの人に分かれる)。次にstabilityの部分は、ある時点までにどれほど家族構造の変化を経験するかという指標になる。これには、結婚カップルが解消することや、シングルマザーがパートナーを見つけること、さらに違うパートナーとカップルを形成することなどが含まれる。研究が蓄積するにつれて、ひとり親は二人親に比べると子どもが不利なアウトカムになりやすい傾向にあるが、ひとり親の中でも一貫してシングル(これはこれでstableといえる)の場合の方が、複数のパートナーシップを経験している非婚出生のグループよりもアウトカムが良い(悪くない)、といった知見が出ており興味深い。つまり、ある家族構造の状態にあるかどうかと、それが安定的に持続するかどうかは、子どものウェルビーイングに独立の影響をもたらしていると言ってもよいだろう。

さて、やや遠回りをしたが、これらの議論では「誰が」複雑・不安定な家族形成を歩みやすいかが、家族の複雑・不安定性が子どものアウトカムに与える「効果」を特定する文脈では重要になってくる。セレクションの問題である(Waldfogel et al 2010: 88)。加えて、マクラナハンのDD命題では、ますます安定的な家族はセレクティブな集団に限られるようになることが含意されている(あるいは、不安定な家族がよりセレクティブでなくなる、と言ってもいいかもしれない)。私が先ほど因果効果の推定自体よりもセレクションのquantificationが大切かもしれないと言ったのは、こうした命題の含意を踏まえると、セレクションによる寄与の部分が変化している可能性があるため、これを経験的に検証した方が良いのではないか、というものである。

以上が、私が第一回の家族人口学セミナーで持ち帰った最も大きなtakeawayであった。かなりわかりづらい文章かもしれないが、このブログはパブリック向けに書くこともあれば、私がわかるように書けばいいと思って書いているものもあり、今回は後者なのでご容赦ください。さらにわかりにくいことを書くと、今回の文献を一通り読んでアメリカの(階層論的)家族人口学で議論されているセレクション、因果の話を一応理論的なフレームワークの中に自分なりに落とし込められたのは良かった。子どものウェルビーイングへの関心が重要なのだろう。これは同時に、アメリカの家族人口学におけるポリシー研究の位置付けを考える上でも非常に重要になる。

読んだ文献は以下の通り

Cancian, M., Meyer, D. R., & Cook, S. T. 2011. The evolution of family complexity from the perspective of nonmarital children. Demography 48: 957-982.
Carlson, M. J., & Furstenberg Jr, F. F. 2006. The prevalence and correlates of multipartnered fertility among urban US parents. Journal of Marriage and Family 68:718-732.
Furstenberg, F. F. 2014. Fifty years of family change: From consensus to complexity. The ANNALS of the American Academy of Political and Social Science
Reczek, C. 2020. Sexual‐and gender‐minority families: A 2010 to 2020 decade in review. Journal of Marriage and Family 82: 300-325.
Thomson, E. 2014. Family complexity in Europe. The Annals of the American Academy of Political and Social Science 654: 245-258.
Waldfogel, J., Craigie, T-A. & Brooks-Gunn, J. 2010. Fragile families and child wellbeing. Future of Children 20: 87-112.

追記

アメリカの家族研究が子どものウェルビーングに関心を持ち出したのはいつ頃かはわからないけど、先達は間違いなくマクラナハンのひとり親研究だと思う。その辺りになってくると、ほとんど社会階層論と差がないし、彼女がウィスコンシンでそういう研究を進めたのは、とてもメイクセンスする。日本的なコンテクストだと、確かに子どものウェルビーングも大事だけど、子どもを産まない人、家族を作らない人がこのフレームだと抜け落ちちゃうので、自分の関心的にも子どもに着目することで見逃すものが何かというのはこれからも考えていきたい。

一方で彼女の研究の含意は、一貫してひとり親のもとに生まれた子どもの不利で、それ以降の研究も含めて政策介入するときにある家族類型(二人親)をスタンダードとみなす風潮はある。つまり、特定の家族形態を優遇するような政策である。ひとり親が「因果的に」子どものアウトカムに悪影響をもたらすエビデンスが蓄積すると、こうした政策が実行しやすくなるだろう。いくら理想論でも、私はどの家族から生まれても、子どもの機会は平等に分配されるような政策にした方がいいと思う。私は一人親家庭が現状悪いアウトカムを引き起こすからといって、この家族形態を逸脱しすることは、悪循環というか、ラベリングによる不利の再生産になる面も気がするのだが、この辺りはあまり議論されていない。例えば、Furstenbergは堂々と安定的な二人親を1st tier, 不安定な家族を2nd tierとする2 tier family systemに現状なりつつあることを指摘しているが、それが記述的な命題であるにしろ、その含意は、ひとり親や同性カップルといった不安定な家族を劣等視することにつながるのではないだろうか(彼は同じ論文で2nd tierにいる家族のことをprovisional familiesと呼んでいる)。もちろん、家族構造とその安定性は別の問題として捉えるべきであるが、Furstenbergはこの辺りの区別をあまりしていない。

多分1960年代の家族社会学の議論から出発して、研究の流れをチャート式にまとめると何が研究されてないか見通しが尽くし、多分3日くらいかければできる気がするが、学期終わったらやってみるかもしれない。チャートでまとめると、論文のイントロ書くのがとても楽になると思う。

 瑣末といえば瑣末だが、二人親、ひとり親というフレームで見逃されるのは、祖父母といった拡大家族の影響である。


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