September 11, 2019

学期初日

というわけで、晴れてプリンストンでの大学院生活がオフィシャルにスタートすることになった。初日からなかなか忙しく、疾風怒濤という言葉が似つかわしい。

まず、9時からTAをすることになった授業に出る。ちなみに、プリンストンではTAではなくAssistants in Instruction(AI)と呼ばれる。人工知能ではなく、ただのTAである。

TAをすることになったのは、マット・デスモンド教授の「アメリカにおける貧困」である。デスモンドさんは、おそらく今のアメリカで最も有名な社会学者の一人といっても大げさではないだろう。彼は博士課程をウィスコンシンで終えたのだが、彼のアカデミックな貢献はEviction(地主による賃貸住宅に住む居住者の強制的な退去)を貧困研究の俎上にあげたことにある。彼が登場するまでは、人口のうちどれだけの人が強制退去を経験するか、数字すらもよくわかっていなかった。彼は2年近いフィールドワークと独自に集めたデータに基づき、強制退去が我々が想像する以上に頻繁に生じていること、およびこの退去が貧困の結果ではなく、貧困を生み出す要因にもなっていることを指摘した。アメリカで「天才賞」と呼ばれるマッカーサーアワードにも選出され、彼の博士論文を元にしたEvictedは、ノンフィクションの作品として2017年のピューリツァー賞も受賞している。このように、彼の業績は社会学という枠でくくるのが難しいくらい影響力が大きいものだ。さらに、学術的な研究にとどまらず、彼は居住権を確保するためのパブリックな議論にも参加している。博士号取得後はハーバードで教えていたのだが、数年前にプリンストンが冠教授ポスト+Eviction labをつくるという条件で引っ張ってきた。このラボでは、全米におけるevictionのナショナル・データベースをつくっている。

私は実質1年目なのでティーチングはしないつもりだったが、私が所属している2年生コーホートの数が少なく、今回この授業の履修者も多かったという事情が重なり、TAをすることになった。不安しかないが、とにかくトライするほかない。彼の50分のレクチャーはエネルギーに満ちていて、聞いていた学生たちに、evictionが貧困の再生産にとってどれだけ重要かを理解させるのにものの数分もかからなかっただろう。彼の授業はevictedの事例として扱われた一人の男性の紹介から始まり、GDPで見れば世界で一番「豊か」なアメリカが貧困指標で上位に来ている矛盾を指摘する。その上で、プリンストンに通う学生がアメリカの貧困を理解する大切さをとき、授業の全体の説明に入っていく。圧巻、という言葉しか浮かばないすごみがあり、TAながら息を飲んで聞き入ってしまった。彼のスピーチには、人を巻き込む力がある。学部2年生レベルの大講義なのだが、アサインメントにフィールドワークが課されているのも特徴的だった。余談だが、フィールドワークの旅費を一人当たり60ドル、それを超える場合は要相談で受け付けると書いてあり、プリンストンだなと思った。150人が受けたとして、一人60ドルだと100万円近い出費である。

その後できたばかりのI-20を取りに行き、13時から人口学の先生との面談。13時半から2年生必修のempirical seminar。この授業、計量分析の論文を1本書くという説明だったので、それならそこまで大変ではないかと考えていたのだが、実際には「因果推論」の論文を書くというのが目的だった。担当の先生はダルトン・コンリーという、彼もまた非常にユニークな教授で、社会学にゲノムの分析を持ち込んだ代表的な研究者の一人である。社会学だけではなく、教授になってから生物学の博士号もとっていて、色々と規格外。自分の関心のある分野でcausal identificationをすることも目標に、これまでの先行研究を批判的に読んだ上で、識別戦略を提示することを強く求められた。ここまで強硬に因果推論を求めるのには最初驚いた。重要なのは、これは必修の授業で、学生の中にはエスノグラファーもいるという点である。社会学でも因果推論はみんなできておくべき必須のツールになっていて、これを選択ではなく必修で受けさせるのに教育的な意味があるのだろう。これはまだ漠然とした印象でしかないが、マディソンもプリンストンもそれぞれ強みがあるが、プリンストンの強みは「どのようなバックグラウンドを持っていたとしても一定程度のアウトプットが自分無理なくできるようにする」ための授業が整っているところにあると思っている。私の研究は因果推論とはかなり遠いところにあるが、できる限りチャレンジしてみる予定である。雑誌のフォローをしてもいいが最近はどんどんプレプリントが社会学でも盛んになっているので、NBERやSocArXivをフォローするようアドバイスしてくれたのも、先進的だと思った。

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