ここ最近、大学における「リソース」の概念が揺らいでいる。東大、ウィスコンシン双方、私立ではないので贅沢はできないとはわかっていたがそれでも研究するための最低限の設備は整っていたので、特にウィスコンシンでは大きな不満はなかった。東大も、小さな不満はありながらも、特に大きな問題は生じていなかった。
それがプリンストンに来てから、今まで在籍した大学とプリンストンが同じ「大学」なのか、よくわからなくなっている。今までは昼時のセミナーにランチが出るのに驚いていたが、ここ数日で図書館周りに出かけてみると、プリンストンの持つリソースに圧倒された。
まず驚いたのが、この大学には専門分野ごとのライブラリアンがいるという点だ。図書館ごとではない、分野ごとである。例として、社会学専門のライブラリアンが1名、人口学が専門のライブラリアンが2名いる。さらに、メインライブラリーには大学院生用の自習室が「専門分野ごと」にある。社会学は人類学と共有しているが、そもそも学生の数が多くないので、何も困ることはない(先日行った時も、誰も利用していなかった)。さらに、社会科学の統計データを専門にする「データライブラリアン」なる人もいるらしく、テーマを持ち込んで、適切なデータをコンサルしてくれるらしい。
このメインライブラリー、学生数(学部生は5,000人と東大の半分以下、大学院生も2,000に)に比して、東大の総合図書館の数倍はある面積で驚く。さらに、設備がいちいち綺麗で開いた口が塞がらなかった。さながら、美術館にいるようである。仕切が設置された個人デスクがたくさんあり、試験シーズンでも困らなそう。図書館の概念が覆される設備に驚くばかりだった。
今日は人口学研究所に所属する院生向けのオリエンテーションがあったのだが、この研究所には「プログラマー」が二人いることがわかった。この二人の仕事は主としてファカルティ、および院生のコンピューティングをサポートすることにあるらしいが、こういったスペシャリストが教員とは別に複数人いることに驚いた。
もう驚いてばかりの毎日だが、徐々にこの環境に慣れてしまっているのが少し怖い。時間が経てば、日々接するものに疑問を感じなくなってしまうのは仕方のないことかもしれないが、いつかプリンストンを出た時に、プリンストンの環境が当たり前に感じていると、適応に苦しむのではないかという気がしている。
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