February 1, 2016

EACYS1日目

所属しているリーディング大学院の関係で、東洋文化研究所で今日明日と開かれるEast Asian Conference for Young Sociologistsに参加しています。参加というか、単位がもらえる形で、Academic managementという「演習」を履修しており、会議のオーガナイズをしているので、スタッフ側です。

朝は海外からの参加者の泊まっているホテルにいって会場まで案内をしてきました。やはりというか、違うホテルに泊まる人もいるので(今回、予算の都合上ホテル代は自費)、その人が遅れてきたりと、オーガナイズ側としてはそういうのは心配になります。これに限らず、レセプションの道で何処かに消えたり、食事が始まる前に赤門に行って集合写真撮ったり、そういったイレギュラーな行動も想定内にして会議は進めないといけないなと思いました。これは、学生団体やっていることから感じることではあるけど、大人になっても人はイレギュラーな行動をします。

カンファレンス自体は、失望もなく、驚きもなく、穏当に3/4のセッションが終了。インフォーマルなセッションなので、全然途中経過の報告でもいいと思います。ただ、今後どういう方向性にしたいのかがイマイチ伝わってこないとコメントもしづらい。それは、完成されすぎた発表に対するコメントが難しいのとはまた違った難しさです。

延世大学の修士の学生が私の指導教官がこのカンファに来ているかもしれないと期待していたことを知りました。要するにこのカンファレンスはちょっと特殊なプログラムが運営していて、それと東大の社会学研究室は直接的な関係はないという旨を伝えましたが、難しいですね。やはり、ホスト校の研究室のメンバーも何人かいたほうがよかったかもしれません。もちろん、これは私が関与できる範疇は超えていますし、先生方もいろいろなお考えがおありなのでしょう。ただ、東洋文化研究所、社研、比教社、情報学環、社会学研究室(駒場も含めれば相関も)とそれぞれ社会学的な研究をしているのに、オフィシャルな結びつきがないというのが、海外のゲストに説明しにくい、うちの大学の特徴かなと改めて思いました。

韓国の学生はもうアメリカの大学に行くことが半ば自明になっていますね。これは当分変わらないと思う。韓国の大学で働こうとしても、アメリカの学位がないと話にならないようなので、ちょっとどうかなとは思います。どうかなというのは、高等教育政策がうまくいっているのかよくわからないという意味です。母国の学位を取った人が母国の大学で働けると限らないというのは、すでにアメリカでは自明ですが、韓国やヨーロッパ、それに最近は中東の大学なんかは、そういう競争の激しいアメリカのPhDマーケットのあおりを受けているのかもしれません。もちろん、韓国の大学で学位を取った人しか韓国で働けないのも問題で、そういうのはバランスよく国の境界をまたいでいけばいいとは思うのですが、現状では社会科学はアメリカ一強の感があります。韓国はその最たる例で、日本はまだまだ日本の学位が評価されるシステムだなと。なんでこういう違いが生じるのかはよくわかりません。

まあ、韓国で働きたい人でも留学しなくてはいけないのはちょっと世知辛いなとは思います。そういうことを、韓国の大学院生と話すといつも思います。表向きは明るいですけどね、アメリカで一緒に大学院行こうよとか言ってくれますが、僕はまだ選択肢としてあるのだけど、彼らの中では韓国に残るという選択肢はほぼないわけなので。もちろん、韓国の人はそういう考えもあって留学に結果的に熱心になっているので結果が伴うと思うのですが、本人のキャリアと研究というのは難しい関係です。


ちょっとスライドを修正する元気は残っていないので、明日早起きしてやることにします。

East Asian Conference for Young Sociologists group photo

Fumiya Felix Uchikoshiさん(@fumiyau)が投稿した写真 -

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