February 15, 2016

2/15

特急の車内で米村先生の「『家』を読む」を1年ぶりに再読していた。ほとんど議論されることのなくなった日本の「家」の解釈をめぐる諸論争を、「家」を肌感覚として理解していない層にもわかるように丁寧に解説してある本。こういう仕事は大切だなと思う。過去の事物とみなされてても、未だに比喩的にでも「家」というのは使われるし、家業を営んでいなくても、何かしらの系譜意識を抱える人もいると思うので、同じ言葉の昔と今のギャップを埋めてくれる本として重宝している。家はその継承が第一目的なので、血縁でつながっているかは問題にならないという理解がされるのですが、今はどうなんでしょうね。印象論としては、家から家族へという流れの中で、ますます血縁が重視されるのかもしれないとは思いますが、そのあたりは詳しく知りません。例えば、ある夫婦が子供を持つという営みは、その核家族単位では夫婦間の意思決定しか入ってこない気がするけど、直接介入することはなくとも、自分の親の視点が夫婦の中に入ってくるとか、そういう時には家族という言葉で囲いきれない継承意識みたいなのもあるのかな、と読みながら思った。

東京に戻って、研究会。友人が若干吠えたが、それが我がゼミ仕様か。休憩後、指導教官と面談。想像していたよりも穏当に終わる。最近、自分の欠点を指摘されてそうですよねと納得してしまうことが多くなる。昔は、ちょっとそれは違うと思うと反抗したものだが、威勢が良くなくなったといえばそういえるかもしれないし、分際をわきまえ始めたのかもしれない。

ロゴスの査読を終えた友人もちょっと荒れ気味だったので、みんなでメトロで夕食。こういう団欒を楽しい気持ちで迎えられるのも久しぶり。たった1日休んだだけで気分が軽くなる不思議。

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