November 2, 2014

昔の話

 手元に100年史とかないのですが、昔は駒場の文化人類学と国際関係論の院は社会学研究科にあり、83年の総合文化研究科設立とともにこの二つは社会学研究科から移ります。1987年に新聞研究所、社会学・社会心理学専修を合併して「情報社会学部」を作る計画が明らかになります(日経1987年6/10朝刊)。

 しかし、諸事情で頓挫し、新聞研究所は情報学環に、社会学研究科は1995年に人文科学研究科と合併して人文社会系研究科となります。こうして見てみると、東大の人文社会系研究科の英語名がGraduate School of Humanities and Sociologyなのがよく分かります。

 情報社会学部の設置計画が大学院重点化の時期に先行しているのは偶然なのかはよく分かりません。新聞研究所が情報学環になったのは、学部設置計画が頓挫した上の産物かどうかも。ただ、記事にもある通り、学部設置の計画が持ち上がった時には既に重点化の話も出てきています。限られたリソースをどこに配分するか、どうすれば一番メリットを享受できるかと考えて、社会学は文学部に残り、人文社会系研究科となっていったのでしょうか。それとも、人文社会系研究科を作ろうとする圧力に屈して(あるいは、大学院重点化の流れの中で新しく学部を作ることに対する反対意見もあったのかもしれません)、学部への移行を断念したのでしょうか。どうにしろ、国際関係と人類学が抜けた社会学研究科がどこかの院と合併するのは時間の問題だったのでしょう。


 こういった話は社会学研究室の100年記念論集にも言及されてあります。当時の複雑な事情についてはよく分かりませんが、もし情報社会学部、学際情報社会学研究科みたいなのができていたとしたら、僕は社会学をメジャーで選んでいたのか、夢が膨らみます。昔は新聞記者になりたかったので、ジャーナリズムと社会学を勉強できる学部があったら,僕はきっとハッピーだったことでしょう。

 

※新聞研はまず社会情報研究所に改組し、そのあとに学環及び学府、でした。

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