金曜の夜から帰省中。駒場祭に行く気もせず、日社の実況を見るのも精神的に良くないと考えたため、実家でインターネットが繋がらない環境で卒論を書いていた。もちろん、もうすぐ5歳になる弟とも遊ぶ。ただ、熱を出してしまったので、楽しみにしていた紅葉はお預け。
金曜は午後に大学に行って文献の複写などをしてから、東京駅の某社のインターン面接。終了後、すぐ八重洲口のバス停に向かい、水戸に帰省。昨日、今日と家族の買い物に付き添いながら、論文を進める日々。
実家で家族と千と千尋を見ていたら、来週の放送は高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」だという。それを見て母親が、高倉や武田鉄矢が夕張に撮影しにやってきた時のことを語り始めた。
母は生まれてから14歳になるまで夕張で育った。私から見た祖母は終戦の前の年に京都で生まれ、戦後の混乱の中、一族そろって北海道に移住した。祖父の家系については母もよく分かっていないらしいが、どうやら10人兄弟の真ん中で、周りは夕張の炭坑で働いていたという。
トラックの運転手をしていた祖父が交通事故で亡くなってからしばらくして、祖母の一族は当時開業されたばかりの苫小牧―大洗間のフェリーに乗って、北茨城一帯に移住した。誰も北海道に残ること無く。
それ以来、当時の近所にいた人からメロンなどが届くことはあっても、母や祖母は再び夕張に向かうことは無かった。死んだ祖父は福島の出身で、こちらも戦後の混乱の中で一家一同で北海道に移住したという。
夕張には、まだ祖父の親戚が住んでいるのだろうか。なんとなく、自分のルーツは夕張にあるような気がする。中学の修学旅行で訪れたときは、そんな由知るはずも無く、なんとなく母の故郷だと思っていたが、もし再び訪れることがあるならば、当地で五十嵐という名字を探してみたいと思った。炭坑は閉鎖して長いこと経っているので、その後を見つけるのは難しいかもしれないけど。
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