ここ数日、ドラマ「愛の不時着」にハマってしまって、暇さえあればドラマを見てしまっていた。既に見た方はお分かりのように、絶対あり得ないストーリーなのだが、本当に起こっている、あるいは起こりうることのように見せてしまう俳優の生き生きとした演技がよかった。一人ひとりのキャラが濃いだけではなく、本当に彼らは時間と場所を共にして生きていたんだなと想像できるくらい、関係性が作り込まれていた。北朝鮮編のピクニックや、ソウル編の誕生日サプライズの下りなんかは、本当に心が暖かくなった。北朝鮮の村の様子がどれだけ事実に基づいているのかは分からないけど、日本の昔を見ている錯覚もあり、南北の分断という朝鮮半島独自のコンテクストもあり、いろいろな感情が交錯したいいドラマだった。
そんなこんなで今日はやや目覚めは良くない。朝にコロナのテストを受けに行き、その足で水曜の授業で読まなくてはいけない博論を4本、オフィスのプリンターで印刷した、600ページ程になる(そのことをzoomで先生に話したらやや飽きれられた…)。
この水曜の授業は、人口学プログラムに所属している院生は必修の授業で主に博論プロポーザル(prospectus)を提出する人向けの授業になっている。目的はシンプルに過去に人口学プログラムを卒業した先輩の博論、および博論を基にした投稿論文でのレビュアー、エディターとのやりとりを読み、博論までの過程を脱神話化することが狙い。博論を書く作業は長く、孤独で悩むことも多いので、取り組み始める前に必要以上にハードルを上げないようにする試みと言えるだろう。
履修者は4人と少人数(社会学から人口学プログラムに参加している私含めた2人+人口学博士課程の2人)。各自が一つ自分が担当したい博論を選ぶ。どの博論もその分野で一流の人によるものなので、多分博論の時点で既に完成されてるんだろうなと思っていたのだが(それはもちろん事実で、例えば私が担当する博論は、3章のうち1章が提出時点でAJSに掲載されていた)、いざ来週の私が担当する博論を読むと、イントロの部分は意外とlit reviewが弱い気がしたし、3章書いた後に軽くまとめました感があってやや拍子抜けした。もちろん問いに至るまでの流れはシャープなのだが、もっと時間をかければ厚くできただろうところを、あえて手を抜いている気がした。それはおそらく、この博論を出版するつもりもなく、論文に掲載されるのは分析をした3章分(典型的な3 chapter dissertation)なので、イントロの重要性は相対的に低いからかもしれない。来週以降、ジャーナルの査読プロセスについても実際のやりとりを共有してもらえるので、かなり実践的な側面もある。
日本でも、各自の研究室を卒業した人の博論はすぐに手に入るので、こういった授業が必修であってもいいかもしれない。ただ、日本の場合、大学間であまり競争がないので、私の母校みたいに学生に任せたスタイルが今後も続く気がする。競争があると、自分のところの学生をいいポジションの大学に就職させようというモチベーションが働くので、こうした学生目線で有益なコースも増えるのだろう。
その後コロナのミーティング、夜ご飯にたこ焼きを作った。だんだんコツをつかめてきたみたいで、うまく焼けると楽しい。鉄板の前でずっと作業してるので、1日でかく以上の汗をかいてしまう。
政治。安倍さんの8年間は、派閥単位で政治が決まるのを忘れられたという意味ではよかったかもしれない。実際には派閥は無くなったわけではなく、安倍一強だったので見えにくくなってただけだった。8年ぶり、あるいは民主党政権を入れれば10数年ぶりに旧弊を見せられると、見てる側の落胆も大きそう。
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