September 7, 2020

teaching第1回反省

第1回目のティーチングが終わった、現代日本の授業。生徒は6人(次回から7人)。予想していたよりも何を言ってるのかわからないみたいなことはなかったと思う。自分の答えが相手の意図に沿ったものなのかわからないときはいくつかあった。これは普段の授業でもそうなので、起こりうることだと思って気にしない。3時間の大学院セミナーに慣れていると、50分のセクションは本当に短く感じる。

ちょっと話しすぎたかもしれないと、隣の部屋にいたルームメイトに言付けされる。たしかに、いわれてみると、こちらが質問しても基本一人の学生が答えて、他の学生が乗ってくる、みたいな状況がほとんどなかったので、会話が一方通行になりがちだった。反省。オンラインだと、なかなか3人以上になって議論するということが起こりにくい。

学生の中には日本に詳しい人もいるし、そうでない人もいる。どこにラインを設定するのかは少し難しい。今日はちょっと説明に重きを置きすぎたかもしれない。ルームメイトから、最初の1分でわかったところ、わからなかったところをチャットボックスに書いてもらうというテクニックを紹介してもらったので、それを実践しようと思う。レスポンスは提出されているので、二度手間なのかもしれないが、受講生も自分が提出したレスポンスを完全に覚えているわけではないと思うので、その場で気になったことを改めて上げてもらう方がいいのかもしれない。

10秒でも沈黙は結構辛い。この沈黙が、考えているために生じてる沈黙なのか、私の英語が分からなくて困ってることで生じてる沈黙なのか、両方の可能性があると考えると、ついつい口を挟んでしまう。次からは、10秒までの沈黙ならガマンした方がいいかもしれない。

内容面:現代日本の授業はバブル後の30年が舞台で、初回は全体の概観と、戦後からバブルまでの大まかな歴史のフォロー(朝鮮戦争、高度経済成長、都市化、オイルショック、バブルなど)。 第1週2回目は、人口問題。結婚の減少、それに伴う少子化、余命の伸長も相まった高齢化、独居老人の増加、社会保障、年金の問題、移民(これはのちに扱う)。教科書はKingstonのContemporary Japan、本当に悲観的な論調で日本社会を論じている本である。

NYTの孤独死の記事がアサインされた。常盤平団地の孤独死の問題。受講生はレクチャーや他のリーディングよりも、孤独死がかなり印象に残ったようだ(もう一つは、日本でよく見る、1人の老人を何人で支えているかの図)。もしレクチャーでわからないことがあったらと一応想定問答を用意していたのだが、プリンストンの学生はスマートなのか、内容は分かった上で質問していたので気苦労だった。教える側としては、同じことを繰り返さなくていいので、手がかからずありがたいと言えるかもしれない。

素朴かつクリティカルな質問、孤独死する人に家族はいないのか?

記事では夫と子どもに先立たれた女性が取り上げられているが、受講生の一人はそれは珍しいだろうと(確かに子どもに先立たれるのは珍しいかもしれない、ただ女性が夫に先立たれる例はままあるだろう)、しかし記事にあげられた団地に住む人の多くは一人暮らしで、似たような状況のように描写されている。何故そんなことが起こっているのか?

本当に家族が「いない」場合もあるだろう。記事では会社が倒産して家族と縁を切られた男性も紹介されていた。日本的な文脈だと、一度失敗した人が家族と縁を切られるというのは、確かにあることだと、悲しいことだが、理解できるだろうが、失業が珍しくないアメリカでは、これもストレートには入ってこなかったかもしれない。

家族はいるが、疎遠になる場合も珍しくない。孤独死に関する文献を調べていると、社人研の調査で独居の65歳以上の男性の2割近くが2週間以上誰とも話していないとする結果が引用されていた。2割を多いと見るか、少ないと見るか。いずれにしても、私はこういう独居の高齢者、特に男性は珍しくないと思う。特に都市部においては。今思い返すと、「孤独」の定義はなんなのか、議論してみても面白かったかもしれない。一人暮らしの人は孤独のリスクは高そうだが、独居だからと言って孤独であるとは限らない。何が孤独を構成するのか、社会学的には面白いだろう。

何故そこまで疎遠なのかと聞かれる、難しい。子どもの側が親世代を忌避しているのか?それはあるだろう、意識を見ても親に対するケアを当然視する考えは後退していて、自分の子どもの面倒を見てもらうために同居すると言ったような戦略的な家族も増えている。ただ、親の側で「子どもの面倒にはなりたくない」と考えている人が増えているのも、事実だろう。その意味では、日本で増えている孤独死の一部は、過剰だった親戚付き合いを自分で忌避した人々の選択の結果なのかもしれない。孤独死する人に家族はいるとも言えるし、いないとも言える、なかなか物事はすっぱりまとめることができない。

アメリカの社会学部で現代日本の授業が開講されるのは、実は意外と珍しいのではないかと思う。単純に需要がないとも言えるし、教えられる教員も(中韓に比べれば)少ない。ただ、なんだかんだ興味を持ってくれる人はいるので、この機会を自分も楽しみたい。日本から来た留学生が、アメリカの大学に在籍する学生に対して日本社会の授業をするというのは、ユニークな機会である(日本から社会学を学びに来る留学生が圧倒的に少ないし、日本に関する授業も少ない、レアオブレアである)。人口学の授業を教えるのとは、また違った難しさがあり、楽しみたい。

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