November 30, 2019

11月30日

感謝祭休みも終わり、学期も終盤に突入しようとしている。10月に秋休みがあり、そのあと1ヶ月で感謝祭休みなので、休みすぎな気もするが、これがプリンストン流というところか。

書きあぐねていた論文を書き終えたので、諸々の溜まっていた作業を進めていた。一つは、還暦お祝いのメッセージ。日本時代にお世話になった先生の還暦祝いの会に参加できないので、その代わりに一筆差し上げることになった。書きながら思い出したのだが、私はかつて「焼け野原から咲く花は美しい」という価値観が残る環境で研究していた。これが何を意味するかは、知っている人は知っている。要するに、一人で研究できる力はついたが、その分ストレスはすごかった。バランスの問題ではあるが、その一方の極である。

ただ、ストレスなく一人で研究する力をつける教育もできるはずで、その点についてはアメリカの教育に分がある気がする。研究「能力」で言えば、日本の研究者もアベレージは高いと思うが(少なくとも社会学では、研究者の海外への流出はほとんど起こっていないことも要因だろう)、研究および教育「環境」のアベレージは、まだまだ伸びる余地があると思う。思うことはあるが、これを言い出すと角が立つのでやめておく(例えば「それ、アメリカの一部のトップ大学の、極めて運が良くて、かつ極めて苛烈な競争を勝ち抜いてきた一握りの人々のイメージに引きずられていない?」みたいな)。まあ、私はその「一握り」をのんびり観察している野次馬の一人でしかないわけだが。

もう一つは、近所のグロサリーでの買い物。先日高山先生のお宅でいただいたワインが美味しかったので、同じのを買ってしまった。この私が、である。ワインを自宅用に買うという経験は今までない。が、最近食わず嫌いはやめにして、尊敬する人の真似をしてみるという陳腐な動機でも、新しいことにトライできるのは、悪くないと思っている。ワインは学生にも優しい値段だったが、口当たりはよく、飲みやすい。臭いのきついダニッシュ・ブルーチーズと合わせて食べると、口の中から多幸感に包まれていき、病みつきになる。

グロサリーでは、一応、鳥肉も買ったが、最近ほとんど肉を食べなくなった。映画の描写で、それこそ先日見たアイリッシュマンで、肉をたらふく頬張るシーンはよくあるが、もしかすると次の世代には、そういうのは過去の出来事として記憶されるのかもしれない、アメリカでは、肉を食べなくても生きていけるのだ。あるいは、肉食が衰退しているからこそ、あえて生肉を解体したり食べる描写というのが強烈に印象付けられるのかもしれない。

買い物は徒歩3分のところにあるショッピングセンターで済ませられるのが今の家のメリットだが(ここで家賃の支払いをしていないのを思い出す)、プリンストンに引っ越してから、ますます車を持たなくてはいけないと思うようになった。これもまた「この私が、」である。車を乗れるようにならないと思っている時点で、相当人生観が変わっている。頑張って来年には乗れるようになりたい。車を運転できても、少し遠いところに住んで車で通勤したり、友人を少し離れたグロサリーに連れていくくらいしかアイデアがないが、まあそれくらいでも人生は豊かになるはずだ。

いずれにせよ、兎にも角にもお金が必要で、プリンストンに来て給料が上がったのはいいが、給料が上がったためにお金を使うことを考えてしまい、結局貯金があまりできないのは皮肉といえば皮肉である。ワインしかり、車しかり、研究環境は整ってきたが、最近自分の中で「これはいいや」「これは自分には不釣り合いだ」と思っていた部分に揺らぎがあり、自分のアイデンティティがどこにあるかを見定めるのに、何かと忙しい。先日も訪ねてきた後輩にやや哲学的な問いをふっかけられて、日々自問自答している。

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