November 9, 2019

実践上の社会学

今日面白かったのは、全然違う視点で書いてる二つの論文がジェンダー革命理論を盛り込むと意義が出てくることに気づいたところ。この理論は全く好きではないけど、私の中ではいわゆる大きな物語で、仮説を導くのには便利である。

色んな社会学があると思うが、私が論文で実践する社会学は、社会はどうなっているのかについての視座を提供してくれるもの。ジェンダー革命を観察することはできないが(物語なので)、この物語が正しい場合に何が見えるかは教えてくれる。私の仕事はその「正しい場合に」をデータを使い検証することである。

それが実際上、何を意味するかというと、論文の中で複数の世界観が登場し、よほどその世界観(を提示する理論)にこだわりがない限りは、論文ごとに支持する見方が異なることに対してオープンになれてしまうこと。これは、結果に適合的な説明をアドホックに選んでしまう危険もある。論文のインプリケーションは「そういう見方もあるのね」という傾向になりやすいので、何か一つの真理にたどり着こうという気はないが、そういう説明がアドホックになりがちな分野だからこそ、レプリケーションやプレレジスターのような科学的な手続きは大切だと思う。

科学的な手続きに従って物語が提供してくれる示唆を検証する学問が果たして科学なのかどうかはわからないが、そういうどっちつかずなところが社会学のいいところでもあり、悪いところでもある。

既存のデータで分析するという条件付けをした上で、最もレバレッジがきくのはインプリケーションが大きく、検証しやすい理論(私の定義する大きな物語)なのでジェンダー革命を引用するが、例えば実際に生活していて、そんな理論を信じて行動することはない。日常的に遭遇する現象を理解する場合、そういうレバレッジは考えずに、あ、これは儀礼的無関心だな(=そう理解すると物事がよくわかる)みたいに、かなりプラグマチックに理論を「使う」ことはある。

そういう物語志向の社会学がある一方、ポリシーレリバントな研究も増えているので、そうした志向性を持つ研究者にとっては、例えば因果推論は大事なのだろうと思う。物語志向と現実志向、雑な対比だが、そういう見方をすると社会学で起こっている方法的な議論はわかりやすくなる。これも世界観。

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