January 8, 2019

日本滞在の日々

不思議なもので、クリスマスの日にアメリカを発つまではアメリカで生活し、キャリアを歩むことを考えていたのだが(まだその選択肢を第一に考えているが)、実家に2週間ばかり滞在していると、徐々に日本に残りたくなってくる。英語もしばらく話していないので、発想から何から日本語になってしまい、またあの寒いマディソンの地に戻るのかと考えると少し憂鬱な気分になってくる。

日本に残りたいといっても、難しいのは実家と東京が離れていることである。正直にいえば、実家にいては研究を続けることは難しい。家族関係に使う時間が増えるし、何より研究について話すピアがいないため、一人で考え込んでしまう。

居心地の良さだけで考えれば、やはり東京に勝るものはない。食べたいものはすぐ、安く手に入るし、気分転換に映画館や吉祥寺にもすぐ行ける。まだ多くの友人が勉強していたり、働いているので、都合さえ合えば簡単に食事を共にすることができる。多くの日本人がたどり着かなかったり、通り過ぎたりする中西部に比べると、東京は魅力的な街だ。

ただ、わがままに聞こえるかもしれないが、ずっと東京に居たい訳でもない。いまだに大学の外に出ると、東京で育っていれば身につけていたような嗜好や趣味を持つ人を眼の前にしたときに居心地の悪さを感じてしまう。大学にいても、似たような人と似たような関心について話すことは一見効率がいいのだけれど、頭は硬くなってしまう。それが東大を出た理由だった。

なにより、家族の存在がある。先ほど家族に使う時間が多くなると言ったが、自分の人生で、今が一番家族に向き合うべき時なのではないかと考えることがある。弟は小学3年生で、これからますます成長する。認知症の後に脳出血で倒れた祖母は母の介護、父のサポートもあり、実家で笑顔を振りまいてくれる。しかし、その祖母がいつまで生きてくれるのか、正直よくわからないし、幼少期に祖母に育てられた私は、祖母を置いて実家を離れることに後ろめたさを感じる。東京に出るまでの19年間、安定的ではなかった私の家族は、おそらく今が一番幸せで、笑顔に満ちた生活をしていると思う。弟には自分の手に負えないような不幸にはあって欲しくないし、彼とできるだけ時間を一緒に過ごしたい。でも、研究がある。締め切りがあり、課題があり、試験があり、見えないプレッシャーがあり、忙殺される。研究は好きだし、やりがいも感じるが、家族との時間を犠牲にしてまで取り組むべきことなのか、よくわからない。アメリカにいるときには、これが私の選んだ人生なのだと割り切っているが、実家で時間を過ごしていると、なぜそんな割り切りができてしまうのか、わからなくなる。

そうはいっても、今すぐ大学院をやめて実家に戻るという選択肢は、頭に全くないことも事実である。ここには仕事がない。少なくとも、自分がやりたいと思える仕事はない。結局、どれだけストレスがかかろうと、私には研究者としてのキャリアをベースに考えることしか現時点ではできない。更に言えば、自分が望むようなキャリアを日本で歩むことが難しいのではないかという疑念が生じたから、アメリカの大学院に留学しているのであり、アメリカで就職したいと考えているのである。

家族との時間と研究のための時間を合することはできず、折衷案らしきものが可能な東京という場にも、私は難しさを感じて出ていってしまった。二兎を追うもの一兎を得ずというが、そもそも二兎を追う条件すら私は捨ててアメリカに渡ったのだということを、改めて認識させられる日本滞在の日々であった。

No comments:

Post a Comment