さて、多少元気になってきたのでブログも書きます。ここ数日は研究らしい研究はせず、文献の整理や授業料の納付などをしていましたが、これらも別にストレスがたまらないかというと嘘になります。特にお金関係のストレスはやばく、お金持ちの家に生まれればもっと研究に集中できたのになー、と本当に思います。まあ、仕方ないですね。州立大学とは言え、一学期の授業料は150万円くらいで、とてもじゃないですけど親にも頼めず、貯金も厳しいものがあります。結局、アメックスのカードに助けられました。とはいえ、財団が振り込んでくれるタイミングと、アメックスの引き落としのタイミングを誤ってはいけないので、神経を使います。
今日はというと、勉強会のレジュメ作りでした。といっても、その勉強会にはスカイプ参加になりそうです。現在帰省中で、東京の勉強会に出るには日帰りの場合は1日で往復4時間のバスに乗るか、あるいは泊りになるので他の用事と重ねたいというのが正直なところなのですが、運悪く勉強会だけが孤立してしまったのでした。
その後、母と弟の三人で昼を外でとることになったのですが、休暇中に芸術館に行きたいと思って、開館日程を調べていたところ、第一金曜日は学生百円(!)ということがわかり、せっかくなので弟と一緒に行くことにしました。昔から行きつけのパスタ屋さんで昼食を取った後、親に駅まで送ってもらい、弟と二人で市街へ。
最初に、水戸に着いた時に忘れ物をしてしまっていたので、それを探しました。結果的に、成田空港から乗った高速バスの中に置いてしまっていたことが判明しました。若干厄介だったのが、バス業者が千葉交通で、水戸に支部がないということでした。電話で住所を伝え、着払いで送ってもらえることにはなりました。荷物が小さいから良かったですが、今度から気をつけようと思います(ただ、気をつけても忘れるものは忘れるんですが)。
その足で芸術館へ、と思ったら、弟がいきなりトイレと言い出して、周りを見渡すも、大通りを外れると、店らしきものはあるものの大体閉店していたり、他はテナント募集中となっていたりで、図らずも中心部の空洞化を実感する羽目に。結局、NHK水戸さんのトイレを使わせてもらうことになりました。自分も子どもの時、こうやって公共の施設を利用させてもらったことがあるので、人のことは言えないですが、保護者の立場になるとちょっと恥ずかしいですね(保護者じゃないんですけどね)。
水戸芸術館の展示はFujiko Nakayaさんの“Resistance of Fog”(霧の抵抗)というものでした。中谷さんは大阪万博をきっかけに霧をテーマにした展示をスタートさせ、その後は情報化社会を、人々が情報に必要以上に触れるという意味で一つの公害になりうる可能性を感じながら、選択的に情報に触れられる手段としてのビデオに着目し、日本におけるビデオギャラリーの運動にも身を捧げた方、というのが展示から学び取ったことでした。彼女の言葉の中に、霧を使った展示はnegative sculptureであるといったものがあり、要するに霧は気象条件に左右されながら形を変えうるというものです。霧自体はある環境的な条件から発生するものと考えてよいと思うのですが、その環境を展示として人工的に示すことで(しかしその人工的に生み出された霧は気象条件の影響を多分に受ける)、人間と環境のインタラクションを彫刻という形で表現しているのかなと思いました。弟も、展示にはよくわからないといった表情でしたが、霧のインスタレーション自体には非常に満足した模様。確かに、子どもながらに、目の前に霧が広がっていると、その先に何があるんだろうという、半分期待、半分不安に満ちた感情を持つような気がします。
そのあとは、少し買い物がしたかったので京成百貨店。東京の百貨店はウィンドウショッピングもためらわれるくらい、まだ敷居の高さを感じますが、水戸の京成はギリギリ入れます。なんなんですかね、やっぱりまだ東京に対するよそ者意識が抜けないのかもしれません。大学とか、自分が育ってきた環境であれば、東京でも自分はそこに所属してるんだという気持ちになれるんですが、銀座なり、代官山なり、麻布十番なりは、やっぱりどこか排除されてる感じがまだ抜けませんし、正直、立地も良くわかりません(更に言えば渋谷から南に向かったエリアが、どこまでが目黒でどこまでが恵比寿なのかとかは全くわかりません)。玩具売り場で弟がピラミッド型のルービックキューブを気に入ってずっと遊んでいたので、amazonで売っているのよりも半額で同じものが見つかったので注文。自分の人生で百貨店で値札を気にせずに買い物できる時が来るような気がしません。
その後、バスで帰宅。弟はほぼ9歳(1月5日生まれ)なのですが、また今回も幼稚園児と判定されてバス代はかからず。児童に童顔という言葉は適切じゃない気がしますが、彼は相対的に見ると同じ学年の児童の中でもだいぶ童顔です。
1日を振り返ることができるようになったくらいは元気になったということで、研究は進まずとも良い日だと思うことにします。とはいえ、進めなくてはいけないものもあるので、今日は1本論文を投稿しました。日本語ですが、うまくこれが採択されれば、これからしばらくは日本語の論文からは手を引こうかと考えています。アメリカのマーケットは、英語のパブリケーションしか評価されず、更に言えばトップジャーナルとその周辺しか評価されないので、それらの雑誌への掲載に全力を注ぐ必要があるから、というのが現実的な理由です。
最後に、一応先学期の成績だけ確認しておきました。どれも92-93%の出来だったのでAかA-かと思っていたのですが、結果的には統計と形式人口学はAで、人口学の大学院セミナーはAB。あとほぼ参加して聞くだけの研究所のトレーニングセミナーも一応A。大学院セミナーは、最終レポートまでは98%くらいの出来で一番安定していたのですが、最後のレポートが80%の出来で評価の3割を占めていたので撃沈しました。レポートの締め切りあたりで力が抜けたことを覚えています。詰めが甘い性格は今でも自分の弱みです。結果的に、GPAは3.85、アメリカ基準からすると普通ですね。まあ、成績は少なくとも社会学のPhDではほとんど問題にならず、good standingを維持できる程度の成績を取りたいと思います。
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