今日は人口学研究所のtraining seminarが雪のため中止になった。spring semesterの名前はやはり矛盾している。というわけで、授業は午後の政治学の質的研究法の授業だけ。初回から文献が10個くらい指定されて、2時間のセミナーで3分の1は自己紹介やコースの概観で消えると思っていたので(その予想は間違っていなかったが)、果たして10個の文献をどう読むのかと考えながら、細かい点も突かれたら嫌だなと思って案の定時間をかけて読んでしまい、疑問点まで考える余裕はなかった。
学生の数も多く、20人近く。やはりネイティブの学生の方が話す頻度は多く、セミナーは今学期初めてだったこともあり、1回しか発言できず後悔。10個の文献を細かく確認することなどはなく、文献ごとに共通する点や、異なる立場を比較して、質的研究におけるperspectiveの違いをざっと掴む回だった。予想はできるが、それでもこの手のskimする能力にはまだ自信がない。
手法(質)も分野(政治学)も違う900番台の授業を取ることは自分にとってchallengingなのだが、秋学期を思い返すと、やはり一番力がついたと思える経験がgraduate seminarだった。また、自分のcapacityを考えると、学期中に週2つのgraduate seminarを取ることはできる気がしたので、この選択になった。以前、comparative historical analysisの本を軽く読んだことがあったり、KKV以降の(私にはあまり実りが多いとは思えない)政治学における(といいながらRSIの訳書は社会科学の方法論争となっていて、誇大広告も甚だしい)方法論争の、質側の人の考えは知りたいなと思うこともあり、あとはかれこれ2年以上政治学者との共著を続けており(もっとも1月に投稿となっていたがまだ音沙汰はなく)、共著者もどちらかといえば質の人なので、少しsenseを掴みたかったなど、挙げればキリのない細かい理由がある。しかし、自分の研究はあくまで計量的な手法で日本とアメリカを比較することにあるため、周りからは時間の無駄と思われるかもしれない。まあ、様子を見てみよう。
もちろん、例えば社会階層論のセミナーが開講されていたらそちらを質の代わりに選んだかもしれないが、今学期開講されている社会学部のセミナーを見た感じ、あまりピンとこなかったこともある。研究も大事だが、コースワークの中でも、特にネイティブの学生とspontaneousな流れの中で議論することが今学期の目標の一つなので、自分に負荷をかけたいと考えている。大学院での日々をスポーツに例えると、コースワークは内容的にはトレーニングなのだが、実際のところは野球のシーズンのように毎日が試合みたいなものである。今学期は金曜がオフなので、多く見ても授業に出るのは60日。したがって、もう60試合のうち2試合終わったことになる。
授業終了後に若干傷心した気持ちのまま帰路に着いたが、facebookをみると3年生の友人が修論のディフェンスを終えたのでユニオンで飲んでるというポストがあったので、少し遅れて祝いに行った。2時間ほどだべっていたが、学年や専門が違っても、こうやってたわいもない話をできる同僚ができたのは、よかったなと思う。
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