November 7, 2018

Social Justice

今日のプロセミナーは自分の価値観を変える契機になるかもしれない。考えてみると、2018年のアメリカにおいて、社会学の大学院という場所は、政治的に極めて特殊な、というかある政治的環境の典型なのだろう。

みんな投票する政党は(visibleには)一つしかないけど、政治的にアクティブで、社会の不正義や価値観を変えようとするラディカルなマインドを持った人が多く、日常のマイクロなレベルでも政治的な現象を拾い上げていると思う。

言葉遊びに聞こえるかもしれないけど、ここでは意見を表明しないことも一つの意見と見なされるし、常に自分は何から目を背けているのか、何の意見を聞いていないのかを意識しなくてはいけない。

社会正義に対する理想に反対する人はいないけど、日常の実践レベルでは、自分がどのsocial positionに位置していて、どこでidentityに基づいた主張をしていいのか、どこではidentityをもとに判断してはいけないのかを巡る政治はある。こういうのにセンシティブになるのには、それなりの慣れが必要。

社会に潜む不正義を根底から正そうとするマインドに溢れた人が多いのはアメリカの社会学の強みで、公共社会学もその流れだろうと思う。こういうラディカルさと、社会を冷静に分析する姿勢が個人の中で両立するのが理想だけど、バランス取るのは難しいので学界として多様性を維持するのが望ましいと思う。

アメリカに来る前から社会学の大学院の人はみんな民主党に投票するリベラルな人ばっかりなんだろうと思っていたのは、表面的には間違っていなかったけど、その大学院の中で、日常のマイクロなレベルで日々政治的な現象が立ち現れ、それに対してここまで声を上げることは、想定していなかった。

というのが表面化したのが、今日のプロセミナーだった。プロセミって基本professional developmentの時間だと思うけど、うちだと(結果的に)social justice, diversity, inclusionなどを考える機会がたまにある。


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