月曜日は眠い、いつも。いまいち食欲がなくて昼食用に作った弁当も食べなかった。調子が悪いわけではないけど、いまいちフィットしない1日。
形式人口学の授業、今日は先生(クリスティン)が色々と生命表を用いたサブスタンスを紹介してくれた。離婚の学歴格差の拡大や自身のproximate ditermintnants of educational homogamyなどで生命表を用いていて、その解説が半分。前者はDRでトップ10に入る引用数だけど、最初JMFにリジェクトされたらしい。後者はクリスティンの修論らしく、出版まで12年かかったということ(大体は寝かせていたらしい)。
残り半分は、学部の先輩で生命表を用いている人が来てくれてその紹介。授業中に、来学期の授業登録をした。途中でPAAの結果が出ていることを知ってチェックしたが、オーラルセッションには自分の名前がなく、少し挫折感を感じる。他人と比べるのは良くないが、CDEの先輩の中にはオーラルで通っている人も多く、その時は悔しかった。しばらくたって、そういう感情は研究に負の影響しかないと思って、考えるのはやめようと思った。
今の指導教員と書いている論文は、結構指導教員からも推しがあったので、個人的にはオーラルはいけるかなと思っていたので、そういうのも含めて悔しかった。もちろん、オーラルに通らなかったから質が低いということではないけど、今年の目標の一つは1本オーラルで通すことだったので、やっぱり悔しいかな。何でダメだったんだろうと自問気味。
こういう時のマインドコントロールは大切だと思う。かんぜんに忘れるのも良くないし、いつまでもくよくよしていてはダメ、単にオーラルに通るか通らないかなので、そこまできにする必要はないかもしれない。とは言え、この感情をどのように処理すれば良いのかは、似たような状況に何度直面したところで、いつも悩むものである。
これと合わせて、こちらで人口学など新しい分野、視点を学ぶに連れて、今までの研究を一度見直してみたい気がしてきた。抜本的に変えるわけではないけど、やはり留学する前と今とでは、なにが良い研究かという見方も含めて、色々修正をする必要があるなと考えている。今までの研究は手放したくないと思う一方で、同じままでは意味がないと思う、このバランスの問題はなかなか難しい。
余談だが、今日は報告者の友人に誘われて初めてブラウンバッグに出てみた(raceðnicity)、テーマがracial segregationとhomicidesで、実にアメリカらしい。ブラウンバックの方がこじんまりとしてて質問しやすい。ファカルティの先生のコメントも容赦なかったけど。
ブラウンバックでの議論を聞いてみて、日本と似ている、というかどこでも見られるのだなと思われることがあった。報告者のスライドに対して、1つずつ教員がこうしたほうがいい、このほうが誤解がない、ここをもっと明確にと細かく指摘しているのが印象的だった。犯罪学のカンファレンスなので、ここは省略しても大丈夫だろうという指摘もあった。こういう細かい報告へのコメントは、日本でもよく目にしていたので、逆に新鮮だった(アメリカでもこういう感じで指導するんだ、という意味で)。ただ、一方で10分ちょっとの報告に対してここまで気を配るのかというのにも驚いた。もしかするとこの報告で興味をもらって就職につながったり共同研究に誘われたりするのかもしれない。ただ、彼女は論文の第2著者で、第1著者は指導教員。そういう人がどこまでこの報告をブラッシュアップする必要があるのかは、よくわからない。
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