金曜日、人口学大学院セミナーのCo-leadを無事(?)務めました。この授業では、各学生が学期に一度、プレゼン資料を作ってディスカッションをリードするというので、これが終わったのでだいぶ楽になりました。
意外と、座ってる時に比べて緊張しなかったのが自分でも驚きでした。昔から、発表するまでは緊張しいなんですけど、いざ発表するときになると役になりきるというか、演じる癖がついている気がします。もちろん、スライドに話す内容は書いてあるし、議論の時はあまり発言しなくていいからかもしれません。座っているときは、誰も発言しない緊張感と気まずさが、さらに発言しづらさを助長するんですよね(苦笑)。
ただ、最後だらけて棒読みになったのは反省点です。自分の英語、みんな理解してくれてるのか、半信半疑になりながらの2時間半、あっという間でした。後半は棒読みだったのでちょっと評価は低かったかもしれないです。それでも、一応終わったので、安堵感があります。これで今学期最大の難所を突破しました。あとはテストやレポートを流す感じです。
この1週間のストレスやばかったです。日照時間が少なってきたこともあるからか、体調が優れず鬱気味の日々が続いていて、ついツイッターでもぼやいてしまいました。もっとも、セミナー終了後の開放感でそういう鬱っぽい気分も何処かに行ってしまったので、季節性のものと、やっぱり初めてアメリカの大学院で2時間半の議論のリードをするプレッシャーがあったんだと思います。
以上のように、このセミナーは負担も大きいのですが、そのぶん自分の人口学に対する今まで抱いていた考え方、ひいては学問観一般までに影響を与えるような印象深いものになっています。
今日のセミナーではDavid ColemanのThird Demographic Transitionに関する論文を読みました。この論文には二つの顔があり、一つはEUとUSの移民人口の予測をしているパートで、もう一つはその後に移民に反対するキツめの主張をしている議論パートがあります。
Immigration and Ethnic Change in Low-Fertility Countries
彼はイギリスの優生学を信奉する人による結社(Galton Institute)のメンバーで、論文は移民反対の主張をしたいがために、種々の仮定を置いて移民人口の予測をしたと思われても仕方ない内容です。
今日も含めて先生が論文のアサインやセミナーでの議論で一貫して伝えようとしている点は、人口現象は使い方によっては人々の分断を生むツールになってしまう危険があることなのかなと思います。古くはマルサスの時代から、人口現象というものは国の将来を決定づける要素として考えられてきましたし、その結果としての人口抑制策が多くの社会で見られてきました。
先生の学問観というか、研究に対する考え方は、少なくとも人口学では客観的な分析にみえても、その背後にあるassumptionには何らかの価値が含まれることは拭えないので、良い研究というのは科学的な態度の背後にある暗黙の想定を批判的に検討・顕在化し、修正していこうというもので、とても尊敬します。彼女からは、研究を通じて少しでも世界に対する理解を深め、社会をよくしていってほしいというマインドを感じます。最近、何がよい研究なんだろう、どういう研究をしたいんだろう、と考えるときに、この授業で学んだことの存在は大きいです。これから、もっと大きくなると思います。
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