February 1, 2015

2月1日(日)

日曜社会学デビューの日でした。私は概念分析の社会学の作法に関して全く無知ですが、今日の第一報告は、シンプルに言うと、「なぜ社会調査で他の言葉ではなくAttitudeが概念として採択されたのか」という点と「見えないAttitudeをどうやって見える化していったのか」というのがRQ。

確かに、日本の調査では意識という言葉が多用されるが、英語でconciousnessなんて言葉は決して使わない。いわゆる意識調査で測られるのはSocial Attitudeだ。もしくは、階級(層)帰属意識はClass identificationである。英米圏でのClassとStratificationと日本の階級と階層が同じ区分とならない、日本でいう格差は実際には英語には訳せないなど、一見すると測定可能性という面で普遍的な社会調査にも、ある概念に規定されている部分が間違いなくあり、その違いを意識する方向性を示してくれた。報告自体はtentativeな印象でしたが、話題提供としてはよかったと思います。

第二報告に関しては、国際社会学機構という組織を全く知らなかったので、素直に勉強になったというのと、話の趣旨としてあった、この機構が20世紀初頭までに世界各地で社会学会の設立に寄与したという点に関しては、そうなのだろうと思いましたが、個人的に気になるのはその後。つまり、フランスに拠点があった機構は第1次大戦の影響でダメージを受けるのですが、そうした国際協会による収斂がうまくいかなかった過程と、各国、特にアメリカで20−30年代以降から40年代にかけて、今から見ると「アメリカ的な」社会学の基礎が築かれていった時代が重なっていた印象を受けました。今回の報告では、機構がアメリカ社会学に与えた影響について、ほとんどないという回答でしたが、個人的には戦争が無ければあり得たかも知れない影響を受けなかったことによって、アメリカ社会学はどのように差異化していったのか、と問いの形を変えると面白かったのかと思います。第一報告でも述べられましたが、亡命知識人の代表格として来たラザーズフェルドの頃には、こうしたアメリカらしい社会学は既にできていたということなので、やはり戦前から見ていく必要があるということではないでしょうか。

私たち社会学を修めるものは、さも当たり前のように社会調査を勉強するのですが、だからといって全ての社会学者が調査をしなくてはいけない訳ではない。そこで、必ず出てくる疑問は、どのような表現であれ「社会学と社会調査の関係って何?」というものです。これに対して、これまで合理的な説明を受けたことがありません。最近思っているのは、合理的な理由などないだろうということです。これは、歴史的な産物、さらに言えば、アメリカ的な社会学が生んだ産物だと、割り切った方がいいと思います。その上で、ではなぜ、徹底的にメソッドを重視する社会調査を基礎とする、アメリカ的な社会学が誕生したのか、その過程を歴史的に追うことは、意味がある訳です。

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懇親会の席も楽しかったです。今日食べた韓国料理屋はめっちゃおいしいって感じではなかった、よくある家庭的な店でしたが、ああいうゼミとか研究会のあとの懇親会会場は、単なる飯のうまさ以外の要素が大切なのだろうと思いました。たしかに妙に居心地はよかったです。いくら人の名前覚えられないからって、飲み会の席で発表者の名前聞き直してkwmrさんの失笑を買うみたいなミスは失くしたいなあと思いました。(言い訳をすると弱い眼鏡をかけてると姿形が同定できない)

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帰寮すると、オランダ人の寮生から相談。荷物が多いということで明日出発の彼が買った小さめのスーツケース、大きい方で既に重量制限オーバーとのことで私が4割引で購入した。帰省の時に小さめのが欲しいなと思ってたのでちょうどいいけど、先月断線して買いなおしたMacのアダプタやピケティだったり、ここ最近こまごまとした出費が多い。RAの仕事ではないと思うが、留学生がいらなくなった処分に手間がかかるものを譲り受けたり買い取ったりしている。これで、自転車2台とスーツケース1つ。2月の帰国ラッシュで、また何か貰うことになりそうだ。

土日双方休日充してしまったので、明日から気を引き締めていこう。


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