February 16, 2015

2月16日(月)

最近、朝早く起きてもその後の調子が続かなく、今日もお腹が痛くなってお昼前まで寝込んでいた。さすがにピケティの読書会があるので、起きて、学校へ。

議論自体はそれなりに盛り上がり(というか、いつものように私が発言しすぎで反省)、個人的に勉強になる部分が多く、特に経済学部で勉強している人の話は参考になった。どれだけピケティが経済学畑の人からウケが悪いとしても、彼の歴史的な政治経済制度を重視する方法論的視点や、何よりも他の社会科学の分野の研究者との強調を訴えた部分は共感しており、これからの研究に対して少なからぬ示唆は貰えた。勉強会の機会に恵まれたことは幸いである。

終了後も経済学部の人と話し込んでしまって学部生室に戻ったのは5時前。先日下北沢で購入したほうじ茶をむぎさんとパックに詰める作業をした後、彼と少し雑談して、その後は一人で勉強。とはいっても主にM先生の執筆関係の仕事や明日の報告会の準備、アジア学生論文についてで終わる。途中、自分でも引くくらいに寝てしまって、最後にはJKさんと少し話した。いつの間にか寮の食事に間に合う時間を過ぎていたので山手で焼きにんにくラーメの大盛り650円を食べた後帰宅。参考文献の英語化作業など、諸々の作業や経済学部の彼に階層論の本を勧めたりするために文献リストを作成していた。

いくつか独り言。

今日勉強会終わった後、経済学の彼と話してて、経済学では階層下位の人は雇用が不安定などの理由で将来の賃金関数の分散が他の階層よりも大きいと想定すると言っていて、そして分散が大きい場合には子どもをたくさん産んでリスクヘッジするのが合理的と考えるらしい。これが本当にそう考えられているのかはひとまず置いておいて、一般に社会学の人は、貧困層ほど子どもを産まない(産めない)と考える(子どもには一定の教育が不可欠でそうした費用が出産へのハードルとなるみたいに)ので、割と真逆なんだなあと思った。

次にカイロ会談。蒋介石は英語ができなかったと言われており、カイロ会談の際には妻である宋美齢の通訳の助けを借りたらしい。チャーチルを加えた三者会談の前に、ルーズヴェルト(及び右腕のハリー・ホプキンス)と蒋介石(及び宋美齢)で会談し、その時の資料をもとに蒋介石が天皇制についてコメントしたとされているが、なぜかホプキンスは記録を残しておらず、代わりに中国側の記録の翻訳が先の資料として文書化されている。カイロ宣言自体の有効性も含めて、この辺りは若干の胡散臭さが漂っている気がする。資料はChinese summary record on Roosevelt-Chiang dinner meeting, Nov 23, 1943, FRUS. 322-325. で、今日ようやく見つけることができた。

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