February 8, 2015

Savageによる「21世紀の資本」評

Savage, M. (2014). Piketty's challenge for sociology. The British Journal of Sociology65(4), 591-606.より。


彼によれば、21世紀の資本が社会学に与えるインプリケーションは三つある。

第一に彼がとった帰納主義的な方法論である。Savageは以下のように主張しながら、ピケティがとった方法が経済学、ひいては社会科学一般で近年多用されているものへの批判となっているとする。

Really, the equation can only be understood as an empirical generalization inductively derived from the mass of data gathered here. But this is precisely the point. Is Piketty actually ironizing economist's favoured tools in order to reassert his fundamental point about the significance of history? (p.593)

具体的には、小説からの引用、インタビューやサーベイ、エスノグラフィーといった手法ではなく、歴史的な資料を用いたこと、そして最後に記述的な方法をとっていることである(なお、記述的の反対は説明的、この論文では因果的なアプローチをとる手法に対するアンチテーゼとして描かれている)。

Savageはピケティのとった記述的な方法について深くコメントしている。曰く、記述的な方法のメリットいくつかある。その前に、我々は彼が経験的な手法をとっているとかピケティの強みは事実の積み重ねにあると考えてはいけないとする。(we need to get away from the view that this is an empiricist approach, or that Piketty's strength lies in assembling ‘facts’)。ピケティは事実が自分で語りだす訳はないと知っている。そのかわり、彼なりに数値をビジュアル化したり、絶対的な値ではなく相対的な値を用いている(こうすることで見逃すことも増えるがという注釈付き)。もちろん上述の手法の問題点はあるが、逆に批判も批判でピケティの方法のメリットを隠してしまう。例えば、(Savegeも強調しているけど)ビジュアル化によってtop 10%みたいな外れ値的な値にいる人たちの重要性を指摘できたり、彼の資本と所得の対比は社会学的には経験的に明らかにすることが難しい構造とエージェントの違いを不完全ながら示している(資本はthe power of the pastとして前者の位置づけか)。また他にも、彼の人口変動への注目や個人のミクロな動機の重要性についても明らかにしていると指摘する。

第二に、anti-epochalistとしてのピケティの時間と歴史に対する注目が評価できる。社会学者はエポック主義的、つまり新しい物好きだったりする(ポストモダンみたいな)。社会学者は近代化の影響を語りたがるが、図2-5なんかを見ると別に近代化の時期に成長率のピークを迎えた訳ではないことが分かる。社会学には、20世紀中盤の社会変動を説明する理論がなく、なんとなく「産業資本主義」の拡張でお茶を濁しているところがあるが、ピケティはこの時期の特異性を指摘する。また、近年の社会学の理論もまた現代の新規性を語るが、ピケティの主張は昔に戻っているというものである。また、現代の社会学者は移動やacceleration(どういう意味かは不明)を強調したがるが、彼の主張はフローよりもストックの重要性が昔並みに戻って来ているというものである。こうした主張は、社会学の「変化」に対する考えそのものに対する再考を促している。また、一つ一つで見れば小さい規模の家計householdの貯蓄が企業のそれを凌駕するという指摘をすることで、ピケティは我々に家計の重要性について気づかせてくれるとする。


最後に、階級分析との関連。まず、ピケティは便宜的とはいえ所得階層を用いており、これは社会学者によって批判されかねない。しかし、彼の主張のコアな部分は、資本主義の中心的な変動を搾取ではなく資本の蓄積に求めていることである。これは、集団間の差異を強調して境界線を設ける抽象化をしないで済むし、別に集団に対する意識を持っていなくとも不平等は生み出されることを示唆している。理論的には、ピケティの主張は蓄積や継承を強調する点で、ブルデューの文化資本の議論に対して経済資本からの説明を強調するものとして対置できる。また、これまでのマルクスやウェーバー主義的な階級論は労働市場に注目していたが、ピケティの研究は富の相続の重要性を指摘している。これによって、家族と不平等の生成を結びつけることが可能になる。

ピケティが所得で階級を定義したことのインプリケーションとしては、富のある階級がますます豊かになっていること、そしてそうした相続の便益を受けるエリート層を抽出したことである。しかし、ピケティは残り90%について言及しておらず、これがこの本の支持を集めることになった理由の一つともする(要するに、残り90%の人々の間の差異を強調しなかったということ)。しかし、所得下位グループの間にも大きな差異はあるはずで、この点について社会学的な階級分析はやっていく余地はあるとする。ピケティの議論は良くも悪くも、従来社会学で議論されて来た中産階級と労働者階級との差を吹っ飛ばして、富が蓄積した人を一つの階級として取り上げている点にある。

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