May 4, 2017

帰省

5月3日
六本木で式場の下見をしてきた。巣鴨に引っ越してから、電車のアクセスはいくらか悪くなり、大塚駅から代々木、そして都営に乗り換えて六本木というルート。
下見を終えてから、二次会の二次会の場所を探しに出る。結局、最初候補に挙げていた店ではなく、開放的なイタリアンの店にすることに。ランチをしながら、当日の予定について考える。

終了後、新宿から京王線に乗って調布、そして飛田給へ。久保くんのJ1カテゴリの公式戦デビューを見るべく、味スタへ。

試合終了後に東京駅へ。夜8時過ぎに再び水戸に戻って、就寝。

5月4日
本来は、この日に初めて祖母の顔を見る予定だった。朝は弟をサッカーの試合に連れて行く母の車に乗って理容室へ。髪を切る。そのあと、スエヒロでランチ。そのあと、歩きで祖母の家へ。もう少しすると、家財道具やら食器やらを処分するので、記憶に残るよう、祖母のいない部屋を一つ一つ写真に収める。今からでも、祖母が出てきそう。

いくらかもらえるかなと思ったものをあげてから、祖母のベッドで昼寝。自分が大学に受験した時や、母が癌になったときにも寝させてもらったベッド。今は病院にいる祖母に、寝てもいいかなと聞いてみた。

そうこうしているうちに、叔母から電話。どうやらパートが早退できるらしく(店が配慮して叔母がいなくてもいけるようシフトを組んでくれた)、二人で病院に行くことに。と言ってもスムーズには移動できず、祖母の家に来た叔母から、倒れた日のことを逐一聞かされる。自分にとってはもう何度か聞いているのだが、やはり叔母としては悔いるところがあるのだろう。

病院に着くと、サッカーの試合が予定より早めに終わった母と弟もちょうど来ていた。昨日から一般病棟に移った祖母に面会するため、3階の入り口からエレベーターで5階に上がる。

最初は、一昨日のように寝息を立てていた。しかし、こちらが声をかけると口を少し動かして見せた。そして、何度か声をかけると、口を開いて、僕の名前を呟いたのだった。

これには一同、唖然というか、とうとう喋ったことに驚いてしまった。心の中で、もうずっと寝たきりなのではないかということもよぎっていたので、驚きは大きかった。看護師さんに聞くと、今日は問いかけにうなづくこともあったらしい。熱が先日の38度台から36度後半まで下がったことが影響しているのだろうか。麻痺と診断された左手も、親指を中心に力強く、僕の手を握ってくれる。祖母は必死に、僕らが見舞いに来たことに対して、応答を見せているようだった。本当だったら、今日初めて祖母を見舞う予定だったのだが、やはり3日前、そして2日前に顔を見て、そこから回復していることを直接目にすることができて、本当に良かった。

母が口乾いていないかと聞くと、今度はよりはっきり「リップ(クリーム)かい」と喋ってくれた。口の中が乾いているのだろう。もう少しだからという思いで、唇だけリップクリームで濡らしてあげた。

喋ったのはその二言だけだったが、面会の中盤以降は目を開けることもあった。まだ意識が朦朧としているのかもしれない。それでも、肩からいびきをかいていた先日に比べると、本当に回復していることを思わせる時間だった。

帰り際、もう帰るねと手を振ると、祖母も右手を挙げて頭の上に持って言ったのだった。それはバイバイというサインに最初見えたのだが、頭の上に右手を持って行ったので、どうやら頭が痒いのではないだろうかと気づいた。確かに、ひたいには汗があったし、28日から一週間近く風呂に入っていないわけなので、頭も痒いだろう。眉間にしわを寄せたり、口をモゴモゴさせながら、きっと気持ちがっているのだろうと思い、祖母の顔を見ながら一生懸命、かいてあげた。

再び帰るねと言おうとすると、今度は左手を挙げて見せようとする。あの麻痺している左手を使って。祖母の、僕らの来訪に応えようとする姿勢が見えて、本当に嬉しかった。

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