May 14, 2017

帰省

上京という言葉はもう使わないですね。それも随分前から、おおよそ、大学4年生くらいになってくらいだろうか。もう東京が自分もホームであると意識し始めたのだろう。その頃は、帰省ということもあまりしなくなっていた時期なのだが、留学から帰り始め、家族と徐々に会う頻度を増やすようになり(それはもっぱら弟の成長を見たかったからなのだが)、そして今回祖母が倒れることになり、帰省と帰京が両立する生活を数ヶ月の間、続けている。

15時半過ぎの電車を予約。雨が降るとのことだったので、傘を持って登校。自転車は院生室に置くことにした。祖母の様子は話を聞く限りは日曜から変わらないらしい。熱が出たり出なかったり、それに応じて意識も少し濃淡があるが、一言発するかどうか。最初は目が覚めたのだと感動してしまったが、この状態が長く続くとは、自分の中ではあまり予期していなかった節があり、若干楽観的だったのかもしれないと反省している。それでも、最初のリハビリが肝心なので、母もどこに移るかを知り合いのケアマネの人と相談しながら一生懸命探しているようだし、僕にできることは、病院に行って祖母の手を握ってあげることぐらいだろうと思い、土日だけ水戸に帰ることにした。よく考えれば、金曜日も特段予定はなかったのだが、実家ではできないこともあるので、ひとまず休日のみ。なんだから、単身赴任で帰る父親の気分である。朝にユニットの掃除と自分の部屋の掃除、それと新書を一冊、あとアジア学生調査について少し調べた。

駅に着いてすぐ、雨脚のなか病院へ向かう。連絡が行き違っていたようで、母は駅まで迎えに来たらしい。祖母を見舞って、家で夜ご飯。東京ではなかなか食べられない、カツオの刺身や天ぷらなど。咳がひどくすぐに寝ようとしたら寝られず、途中で起きて申請書を書いていた。

日曜日
4時過ぎまで起きていたので、起きたのは13時ごろ。シチューを母が作ってくれていたので食べて、新聞を読んでいると、サッカーから帰って来た母と弟が戻ってくる。その足で祖母の家に行って、荷物の整理。神棚や仏壇の整理などもして、随分片付いた。そしてそれは、祖母が30年近くこの家に住んだ面影がなくなって行く姿でもある。

片付けが進んだ頃、叔母と夫さんもきて、再び片付け。そして夫さんは去って、母、叔母、弟の四人で祖母の見舞いに。昨日はほとんどこちらの呼びかけにも反応してくれなかったが、今回は手を握ったり、あくびをしたり、はい、といってくれたりした。間違いなく意識はあるのだろうが、自分の意識に対応して言葉をうまく発することができないのかもしれない。母は、早く退院させてリハビリを進めたい気持ちらしい。どれだけうまく行くのかわからないけど、最期は家で祖母を看取りたいという母の気持ちを知り、母の覚悟に息を呑んだ。

帰宅後、採点、親からの頼まれごと、申請書、報告書執筆をこなした。

明日は地熱と報告書、共著、あとは英語関連。

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