December 23, 2017

急に非常勤講師を紹介してくれと頼まれた時にとるべき対応

別に何があったわけでもないのですが、大学における非常勤講師のあっせんのように、あまりオープンな場に出ずに個人同士のネットワーク(ツテ)が重要になることって、ありますよね。今回、そういう状況に遭遇したので、反省も踏まえてどういう対応を取るべきか考えました。

状況としては、本当に急に、今日明日中に非常勤講師を見つけて欲しい、みたいな事例です。ただ、非常勤講師に限らず、他の職業でも「XXができる人が明日までに欲しい」というのが、インフォーマルな形で出てくることはあると思うので、多少一般化できるような気がします。

あらかじめ、3つの役割を想定します。
依頼者:仕事を依頼する人
1次の紐帯にいる人:依頼者と直接の知り合いで、適任者を探す人
2次の紐帯にいる人:依頼者と知り合いではなく、1次の紐帯の人から紹介を受ける人

そして、以下の点は主として2次の紐帯にいた私からみて、依頼者、及び1次の紐帯にいる人はどういう対応をして欲しかったのか、という視点で書いています。

1. 依頼者は他に紹介を頼んでいる人がいないか、いる場合には決まった時にすぐ連絡してくれるよう確認する。

今回、これが一番欠けていたなと思いました。依頼者と1次の紐帯で繋がっている人が適当な人を探すまでの間、「依頼者は他の人にも紹介を頼んでいる」=「別の紹介者が適任者を見つけたらそれ以降の人はウェイトリストに入る」という可能性がある点を、依頼者は1次及び2次の紐帯にいる人に共有しておいた方がよいでしょう。

この点をあらかじめ知って手をあげるのと、適任者が見つかった後に、ウェイトリストに入っているということを知るのとでは、気持ちが整理されるまでの時間が違ってくると思います。2次の紐帯にいる人は、依頼者がどのような人に頼んでいるのか、状況が全くわからないからです。

2. 依頼は信頼できる人に対して個別に聞く

この点はとりわけ仕事のポストが1つ、1人の場合に該当します。どうしても適当な人がいないかを見つけたい時に、一斉に連絡をしてしまいがちです。しかし、そのような場合には、全員の意見が出揃うまで時間がかかってしまいます。

依頼者から1次の紐帯にいる人が、複数の2次の紐帯にいる人に一斉に連絡したとしましょう。その2次の紐帯にいる人同士の中では、もちろん先輩後輩関係もありますし、仕事に対するニーズも違います。

単に「先着順」としても、配慮の論理が出てしまって、「私もできますが他の方がやりたければ」となってしまうわけです。それよりは、1次の紐帯にいる人が自身の判断で、信頼できる(=すぐ返信をしてくれる、かつ仕事を引き受けてくれそうな)人に連絡すべきでしょう。同じn人に連絡するのでも、それぞれが情報を共有している場合と、していない場合とで、相互に返事を監視し合うコストが異なります。

3. ケースバイケースの対応は依頼者と希望者でやりとりする

例えば1つのポストに2人が手を上げたとして、「〜〜がクリアできれば引き受けることができます」といったように、仕事内容を引き受けるかどうかに際して個別の条件があるとします。その条件は当初から依頼者、及び1次の紐帯にいる人が必ずしも想定していなかったものとします。

その場合、2次の紐帯にいる人は1次の紐帯にいる人ではなく、依頼者自身と交渉するべきでしょう。そして、その判断は1次の紐帯にいる人がするべきでしょう。2次の紐帯にいる人からすれば、依頼者及び1次の紐帯の人の間で、どれだけ情報が共有されているのか、わかりません。その状況下で、2次の紐帯の人が1次の紐帯の人に聞いて、1次の紐帯の人が依頼者に聞く、それを1次の紐帯の人が2次の紐帯にいる人に教えるというプロセスに、1次の紐帯にいる人は必ずしも必要ではないからです。

言い換えると、1次の紐帯にいる人は、依頼者と2次の紐帯にいる人の仲介に徹して、一度暫定的なマッチングができればよいのであって、それ以上の仕事を求めるのは、1次の紐帯にいる人にとって大きな負担になるということだと思います。

政府統計APIに関する覚え書き(アップデート)

国勢調査や労働力調査などの政府統計を利用しようと思ってe-statにアクセスしてみたはいいものの、いちいちエクセルファイルやCSVファイルを開くのが、面倒に感じたことがある方は少なくないのではないでしょうか。

実は、政府の統計データ利用データベースからphpプログラムなどを利用してデータを取得、APIを活用して分析ができるというサービスがあり、友人の永島さんに教えてもらいました。

この度、久しぶりにAPIを使ってデータを落としてみようと思い立ち、政府のページも少々変わっていたので、自分の記憶をたよりにアップデートしたものを再現してみます(Mac OSでChrome使用)。 PHPに詳しい人はすぐできると思うので、ぜひ利用してみましょう。

STEP 1. 利用登録
e-StatページからAPI機能の利用登録をします。
http://www.e-stat.go.jp/api/regist-login/

登録後にログインをすると、アプリケーションID(appid)を3つまで取得できます。URLなどは、公開サイトで利用しない場合は「http://localhost/」とする。

STEP 2. Apacheとphpをインストールする。
ApacheはMax OS Xにはプリインストール済みです。ターミナルを開いて、

sudo apachectl start  #Apacheを起動する。

ローカルホストにウェブ上からアクセスする仕様になるので、必要の無いときは以下のように閉じましょう。先起動するときはrestartとします。

sudo apachectl stop #停止
sudo apachectl restart #再起動

Apacheを起動させた状態にすると、ブラウザ上(Chrome推奨)で「http://localhost」にアクセスすると「It Works!」と出てきます。

次に、phpを起動します(Mac OS Xではこちらもインストール済み)。

sudo cp -p /etc/php.ini.default /etc/php.ini
sudo vi /etc/apache2/httpd.conf

これで、UNIX、Linux系OSで使われるテキストエディタのviを開いたことになります。「a」あるいは「i」を入力すると、Insertモードになります。この状態で、しばらく下に行くと

#LoadModule php5_module libexec/apache2/libphp5.so

というセンテンスがあるので、これの#を削除します。
LoadModule php5_module libexec/apache2/libphp5.so

終わったら、escキーを押してInsertモードを終了します。
その後、:wq と入力して、returnキーを押すと、エディタが終了します。

STEP 3. 取得したい統計表情報を入手する。
次に、phpファイルを通じて取得したい統計表を選びます。

政府統計API機能のページにアクセスして「開発支援情報」→「API機能テストフォーム」に移動します(http://www.e-stat.go.jp/api/testform/)。

バージョンが3つありますが、ひとまず1.0に進みます。「XMLで取得」の下にある「統計表情報取得」を選ぶと以下のページにたどり着きます。
http://www.e-stat.go.jp/api/sample/testform/

ここで、先ほど取得したappid及び、調べてみたい統計データのコードを政府統計コード(statsCode)に入力します(このページが分かりやすいです:http://www.e-stat.go.jp/api/api-data/)。
例えば、国勢調査だと00200521が統計コードになります。最後に検索キーワードを指定します。指定しなくても出力はされますが,膨大なので、ここでは「就業」と打ってみました。画像のようなページが出てくるはずです。


次に、先ほどの開発支援情報のページに戻り、今度はJSONで取得から統計データ取得のページに進みます。
http://www.e-stat.go.jp/api/sample/testform/getStatsData-json.html

ここで、appidと、取得したいマクロ統計のリスト番号を「統計表ID」に入力します。リスト番号は、先ほどの統計表情報取得で開いたページから <LIST_INF id="xxxxxxxxxxxxx">となっているxに当たる番号のことです。

先ほどは国勢調査をみてみましたが、ここでは失業率の時系列的な推移が知りたいとしましょう。XML形式のデータを見て、労働力調査(統計コード00200531)の「労働力調査 基本集計 全都道府県 全国 月次」から「配偶関係,年齢階級別労働力人口比率,就業率及び完全失業率(2000年1月~)」(統計表ID:0003005867)を取得することにします。データ取得件数は1件にしておきましょう。

なお、統計表IDからデータを探したい時には「統計データAPIエクスプローラー」のページが便利です。
http://ecitizen.jp/statdb

さて、取得したjson形式のデータは以下のようになっています。


ちょっと細かすぎますが、例えばこのデータから、@idが産業や性別、就業状態といった大項目、@codeがその下位分類となる小項目であることが分かります。例えば、cat02を見ると、

{"@id":"cat02","@name":"性別","CLASS":[{"@code":"0","@name":"総数","@level":"1"},{"@code":"1","@name":"男","@level":"1"},{"@code":"2","@name":"女","@level":"1"}]}

とあり、cat02は@idが性別であり、@codeに総数、男、女の三つのカテゴリがあることを指しています。

また、timeというidの名前(name)は「時間軸(月次)となっており、2000年1月からの失業率が分類されていること、及び表章項目(tab)の単位(unit)が%であることもわかります。
{"@id":"time","@name":"時間軸(月次)","CLASS":[{"@code":"2000000101","@name":"2000年1月","@level":"1"}

{"@id":"tab","@name":"表章項目","CLASS":{"@code":"02","@name":"率","@level":"","@unit":"%"}}

STEP4. ローカルホストにphpファイルを置く。
最後に、phpファイルを経由して、自分の好きな値だけを取り出してみましょう。

Macintosh HD→Library(ライブラリ)→WebServer→Documentsと進んで、このフォルダのアクセス権を右クリック「情報を見る」から変更する(ターミナル上でchmodを使ってもできます)。

「共有とアクセス権」の右下にある鍵をクリックして、全てについて読み書きを認めるようにする。phpファイルは永島さんが作ってくれたものを少しいじって、使用しました。

phpファイルのコードは以下の通りです。ファイル名はgetUnemploymentRate.phpとでもしておきましょう。

<?php
ini_set('memory_limit', '256M');
$appId = urlencode("f081654f8fc4b78d96c183cb8fb3f03a2c18637f"); //取得したappidを入力
$url = "http://api.e-stat.go.jp/rest/1.0/app/json/getStatsData?"; //リクエストURLを入力します(詳細はhttp://www.e-stat.go.jp/api/api-spec/)
$code = urlencode("0003005867"); //統計表id(<LIST_INF id="0003005867">)です。
$json = file_get_contents($url."appId=".$appId."&statsDataId=".$code."&metaGetFlg=N&cdCat02=2&cdCat03=08&cdCat04=08&cdCat05=00"); //女性(Cat02=2)、30~34歳(Cat03=08)、配偶状態総数(Cat05=00)という制限をかけます。
$jset = json_decode($json, true);
$filename = "UnemploymentRate.json";
$fp = fopen($filename, "w");
fclose($fp);
echo count($jset['GET_STATS_DATA']['STATISTICAL_DATA']['DATA_INF']['VALUE']);
$fp = fopen($filename, "a");
foreach((array)$jset['GET_STATS_DATA']['STATISTICAL_DATA']['DATA_INF']['VALUE'] as $jsondata) {
    fwrite($fp, $jsondata["@time"].",".$jsondata["@unit"].",".$jsondata["$"]."\n"); //時間軸ごとに%単位の失業率を抽出することを宣言します。
    echo $jsondata["$"]."\n";
}
fclose($fp);
?>


ここで、上記のphpファイルをみると、以下のような記述があります。

{
    fwrite($fp, $jsondata["@time"].",".$jsondata["@unit"].",".$jsondata["$"]."\n");
    echo $jsondata["$"]."\n";
}

これは、時間軸ごとに(@time)表章単位(パーセント)をつけて値($)をアウトプットするという意味です。""で挟まれた,はJsonデータに文字として反映され、エクセルなどに出力する時に区切り文字として利用できます。このようにして欲しいデータの統計idと項目を指定すると、Jsonデータの形で入手することができます。

ターミナル上で、
php /Library/WebServer/Documents/getUnemploymentRate.php
と実行することで、お目当のjsonファイルが入手できます。

December 17, 2017

国勢調査を用いた性別職域分離の趨勢

国勢調査を使って1995年から2015年までの性別職域分離のダンカン指標を出してみた。
単に面倒で誰もやらなかっただけだと思うが、ただ2015年の小分類集計は13日に出たばかりなので、一応結果は最新だろう。

スパンとしては、先行研究のCharles et al (2004)における最新年の1995年から、2015年までの20年間。国勢調査は5年おきに実施されているので、合計5時点で、トレンドを見るには十分だろう。

職域分離の既存研究で指摘されていることではあるが、分離の指数はカテゴリ数によって異なり、細かいほど分離が色濃く出る。8分類よりは、小分類の方がより分離するということである。

したがって大分類よりも小分類を使った方が、その理論的な適切性は置いておくとして、分離の「上限」を見ることができるので、ひとまず国勢調査を使うのがよいだろう。

カテゴリ数について、もう一つ、どちらかというとこちらの方が厄介だが、調査年によってカテゴリ数が異なる。分類が決まる詳細なプロセスはわからないが、例えば近年パーソナルコンピュータを用いて仕事の従事する人が増えているので、平成17年時点では70「電子計算機オペレーター」だったカテゴリが、一部68「速記者,タイピスト,ワードプロセッサ操作員」と統合されて平成22年の分類では84「その他の事務用機器操作員」になり、一部は82「パーソナルコンピュータ操作員」という新しいカテゴリに分けられている。仮に平成17年と平成22年を合わせて検討したい場合、分類を統合することが望ましい。幸い、あとで述べるように、統計局が対応表を作っているので、あるところまではうまく統合できる。例えば、先の例で言えば、平成22年の82「パーソナルコンピュータ操作員」と84「その他の事務用機器操作員」は、平成17年の68「速記者,タイピスト,ワードプロセッサ操作員」と70「電子計算機オペレーター」と同じカテゴリになる。なお、国勢調査に用いる職業分類は、「日本標準職業分類」と「ある程度」対応している。この「ある程度」の具合が調査年によって異なるので、国勢調査同士を比較するときには、一工夫必要になる。

1995年(平成7年)から2015年(平成27年)までの5回の調査における、小分類の変遷は以下のようになっている。参考に、産業分類の方も示している。


表1:国勢調査における職業分類の変遷
西暦 1995 2000 2005 2010 2015
和暦 平成7年 平成12年 平成17年 平成22年 平成27年
調査回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回
大分類 10 10 10 12 12
中分類 61 61 61 57 57
小分類 294 293 274 232 232
表2:国勢調査における産業分類の変遷
西暦 1995 2000 2005 2010 2015
和暦 平成7年 平成12年 平成17年 平成22年 平成27年
調査回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回
大分類 14 14 19 20 20
中分類 77 77 80 82 82
小分類 216 223 228 253 253
このように見ると、職業分類は小分類はより粗く、すなわちカテゴリが少なくなっているように見えるが、実際には新しいカテゴリなどもできているので、左から右に一意に対応関係ができるわけではない。一方で、産業分類のカテゴリ数は増加傾向である。

平成22年(2010年)と平成27年(2015年)は番号の振られ方は異なるが、分類自体は変わらないので、比較することができる。一方で、平成17年(2005年)から平成22年(2010年)の間に大幅な改訂があったため、統計局も「平成22年分類区分による産業分類,職業分類,家族類型等を遡り集計した結果」を提供しており、平成17年については平成17年の分類と平成22年の分類の二つを手に入れることができる。最終報告書にも対応関係を載せた表が掲載されている。

平成17年(2005年)と平成12年(2000年)の間にも大幅な改訂が生じており、こちらも対応関係については報告書で解説されている。ただし、探してみたところ、平成17年の分類で遡及的に平成12年の再分類をし直してみたものは存在しなかった。

困ったことに、平成12年(2000年)と平成7年(1995)の間はあまり変わっていないように見えるのだが、実際は小分類レベルではたいぶ変わっており、対応する表も見つからなかった。ただし、(なぜか)平成17年の最終報告書において、平成12年基準の分類で平成7年の職業分布を再集計した表があり、これを使えば平成7年の分布も平成17年以降の分布と対応させることができる。

したがって、実質的には平成7年の職業分類ではなく平成12年の分類を用いれば、平成7年の分類も分析に用いることができそうである。ただし、平成12年分類の再集計結果は男女の総数しかわからず、雇用者などに限定することはできないし、年齢を絞ることもできない。

結果的に、184の小分類にリコードすることで、平成7年から平成27年の分類を統合することができた。今後は、これを用いて分析を進めていく予定。さしあたり、ダンカン指標をみてみたが、141分類で検討しているCharles et al. 2004の1995年のD-indexは50.66 (all ages)で、こちらとほぼ同じくらい。ただ、トレンドは違う感じである。

December 10, 2017

プロ倫と自殺論の読後感

17時開始だったおかげで、20時前にはさっぱり解散した忘年会後に、モスでプロ倫を読む。

自殺論とプロ倫読んで、何が社会学的な視点なのだろうと考えた結果、ごくごく平凡に「個人と社会の接点を探る学問」なのかなと思った。それは例えば、一見個人的な事象に見える自殺が社会的なものであったり、資本主義社会の発展に、プロテスタント的な信念形成がどのように影響したかであったり。二つに共通する論点としては、やはり単位としての社会をどのように設定するのかが論証の出来を左右するような気がしている。

翻って自分の研究に落とし込んだ時、一見個人的な現象に見える結婚や出生を通じて、いかに、どのような社会が見えてくるのかが腕の見せ所なのかなと思った。

学部生みたいな感想だが、普段の研究からはこういう学部生みたいな感想が生まれる余地もないほど、「ちっさい」研究をしている(もちろん、それは経験的な知見を積み上げる際に必要な作業である)。

例えば、○○の規定要因系の論文を書くときに、例えば日本は男性稼ぎ主モデルで北欧は違うのでAのBに対する効果は異なるだろう、みたいな常識的な社会像を設定してしまうことがあり(それが楽といえば楽なのだが)、論文が書けることはあってもそのあとが続くのかはよくわからない。

ぼやっとした社会像を論文の中で巧く砕いてみせるのが、ウェーバーもデュルケムもうまいなという学部生並みの感想だが、あまり学部生からの同意はもらえないかもしれない。

「個人と社会の接点を探る」であったり、「社会を砕いてみせる」であったり、ある意味で個人と社会の間に関係性があることは常識的には自明だと思われるのだが、その自明性をひと枠飛び越えることで、それまで明示的にされてこなかった両者の関係が分かるのが良い研究なのだと思った次第である。

December 9, 2017

程ヶ谷基金顕彰事業にて最優秀賞

この度、公益社団法人程ヶ谷基金が実施する「男女共同参画・少子化関連研究活動の支援に関する顕彰事業」論文部門にて最優秀賞を頂きました。
https://hodogaya-foundation.or.jp/equality/celeb/

程ヶ谷基金、及びカントリークラブ理事・幹事のみなさま、審査員を務めてくださった先生方、武川局長はじめとするご来賓の方、素晴らしい会場での一夜でした。いただいた顕彰金を励みに、再び研究を進めてまいりたいと思います。

さて、以下は日記。12月8日の夜、東京倶楽部にて表彰式があった。人生で最優秀とつくものに通ったことがないので、かなり緊張していまい、食事も喉を通らずずっと吐き気気味だった(これは頭痛のせいだと思うが、緊張も頭痛の遠因になった気がする)。

電車を乗り継いで神谷町につき、少し迷いながらも何とか到着。同じタイミングで昨年受賞者の麦山氏と鉢合わせ。二人で会場に向かい。

授賞式は披露宴みたいな円卓のテーブルが複数あり、推薦をお願いした指導教員と内閣府の男女共同参画局長に挟まれるという構成で、2時間ずっと緊張していた(ひたすらありがとうございます、と言ってた記憶しかない)。

賞は論文賞と活動賞の二つに分かれていて、論文賞の対象論文はいずれも「働く女性」が論文の主役だった気がする一方、活動賞のNPOはどれも「子育て中の女性」を支援する傾向が強かったのが印象的だった。

活動賞を受賞された方のスピーチで、親戚のいない地域に移ったり、同世代よりも早く出産したことで生活リズムを共有できる友人がいないなどの理由で「孤育て」を経験した人たちが、サポートネットワークとして活動を始めた、という語りがあって、それも興味深かった。

こういうと怒られるかもしれないのだが、研究者界隈にはやはり高学歴バイアスみたいなものはあるような気がして、(学歴の高い)女性は就労を継続したいものだ、みたいな価値観があるような気がする(私の想像)。今日知ったNPOの人たちの活動は、働く・働かないの区分では語れないと思った。

子育て中の女性のサポートと、女性の就労継続支援は矛盾しないとは考えるが、一方でNPOの方々が「子育てママ」としてのアイデンティティを強く持っているように見えて、その生き方に肯定も否定もできない一方、そういう意識が芽生える(社会構造的な)背景は一体何だろうと考えたりした1日だった。

November 26, 2017

公的統計に関するセミナー

土曜日に、一橋大学経済研究所にて開催された公的統計に関する研究会に参加して来ました。
https://hrs.ad.hit-u.ac.jp/v33/entries/add/81

毎年行われている公的統計に関する研究セミナーということで、今年は国勢調査がメイン。とくに社人研の釜野さんの同性カップルに関する報告と中川さんの外国人集住地区に関する分析は勉強になりました。

国勢調査などはできるだけ「真実」に近い分布を捉えることができれば理想ですが、出てきた分布が「真実」だと判断することには慎重になった方がいいでしょう。これが研究会後の感想でした。特にマイノリティとされる集団については。

昔はアメリカなどでも同性配偶者を「誤記入」とみなして異性カップルにしていたこともあったよう。ただ「実際に」誤記入の場合もあり、今後はウェブ回答が発達して名前から性別がどちらの可能性が高いか判断もできるようなので、男性回答者に例えば「ジョンを配偶者と回答してますがいいですか」みたいに確認できるようになるらしいです。面白いですね。

外国人についても、国勢調査はアクチュアル方式(1週間前の仕事)なので、外国人「就業者」と外国人雇用状況でわかる外国人「労働者」はそもそも一致しません。技能実習制度でくる外国人も「研修生」は労働者ではない一方で「実習生」は労働者になるが、それが当人の(意味世界の)中でどう理解されているかは別の話ということになります。最後の伊藤先生の報告では、国勢調査で捉えられる外国人「就業者」と外国人雇用状況による外国人「労働者」が、2010年では後者の方が多かったのに対して、2015年では前者の方が多くなっているという、ズレの非一貫性も指摘されていて、同性カップルと合わせて人口を推定することの難しさを感じました。

November 21, 2017

デュルケム自殺論のメモ

TAセミナーで「自殺論」を読んでいるのですが、この本におけるいくつかの論点についてメモしておきます。綺麗にしたものはresearchmapの資料として公開しています。

1. 統計の使い方について

自殺論において、デュルケムは統計データを無批判に使用していたことが批判されるようです。どのようにして当該のデータが集められたのかを軽視し、それを客観的な事実としてみなしていた、くらいの意味でしょうか。

Durkheim et les statistiques, petite note
http://coulmont.com/blog/2016/01/17/durkheim-et-les-statistiques/

Pistes de recherche pour une sociologie des statistiques du suicide. Note sur « Anti- ou anté-durkheimisme »
http://ress.revues.org/417

ただ、上記のブログによると、自殺論においてデュルケムは一部の統計データに対して懐疑的だったことが指摘されています。(グーグル翻訳したものを)まとめると、
  • 自殺の同期に関する統計に関しては役人の主観的な判断が入り込む余地があるため信頼性に欠ける(第2編第1章2節)。
  • 職業や階級別の自殺統計は正確ではない(第2編第2章、邦訳p190)
  • スペインの統計データの信頼性は低いという言明(第2編第2章注20)。
  • 危機の際に自殺が減るのは、行政当局の活動が麻痺して、自殺の検証が正確に行われない可能性がある(第2編第3章、邦訳p244)
  • 一方で、第3編の2章注53において、今後、統計的調査はますます正確になると指摘する。
2. 男女の本質主義的区別について(Lehmann 1995より)

デュルケムは、女性は本質的に非社会的で、そうであるがゆえに他者との関係や支持が必要ないと言い放っています(自殺論第二編第3章最後)。その一方で、より社会性が複雑な男性は、より多くの支持が必要となり、結果的に結婚の有無の自殺率との関連が、男性において顕著に見られることの説明としています。本質主義的とは言いましたが、デュルケムは性別分業(sexual division of labor)を機能的に分化した形と「社会分業論」において捉えており、社会が複雑化するにつれて、社会的な男性と非社会的な女性の分化が進んだ形として性別分業があると考えています。
デュルケムは社会の複雑化に伴って個人の分業の度合いを強めていくと考えるのですが、女性は個人ではなくあくまで均質的な集団として描かれています。

デュルケムは、男女間の自殺率について以下のような指摘をします。

  1. 男性よりも女性の方が自殺率が低い。
  2. 未婚者よりも既婚者の方が自殺率が低いが、それは女性よりも男性で顕著である。
  3. 既婚者よりも離別者の方が自殺率が高いが、それは男性のみに見られる。

1については、女性は男性に比べて非社会的であるならば、「社会性が足りないために」自己本位的な自殺を選択するのではないかと考えられるのですが、統計の結果はこれを支持しません。
これに対して、デュルケムは2-3の事実から、以下のように考えます。すなわち、本質的に知的で社会的な男性にとっては、社会的な統制が必要である。結婚は社会統制として機能する。したがって、男性においては結婚がもたらす正の効果が大きく、この統制を欠くと、アノミー状態になると。しかし、本質的に非社会的な女性は、社会性よりも性的な欲望という生物学的な動機によって行動するため、女性にとっては結婚は社会統制として機能せず、過度な統制になります。したがって、離婚が厳格に禁止されている地域ほど、女性の自殺率が高いことも説明できます。

3. 実証主義者からの応答(Haralambos and Hoborn 2008より)

  • Halbwachs(1978):相関係数などの手法を使用。宗教よりも都市と地方の差が自殺率の説明に有効。
  • Gibbs and Martin(1964):実証的な姿勢に立ってデュルケムの方法を批判。自殺率が高い地域において統合の欠如を観察することは難しく、別の手法を提案。

4. 解釈主義的アプローチによる批判(Haralambos and Hoborn 2008より)

4.1 自殺の社会的な意味(相互作用論)

  • Douglas(1967):デュルケムが依拠した自殺統計に対する疑問点を提示。統計自体が社会的な構築物であると指摘。社会的に統合されている集団であるほど、当人の自殺を隠す傾向にある。したがって、集団の特徴によって自殺の有無が規定されるのではなく、集団の特徴によって特定の死が自殺かどうか判断される。
  • デュルケムは自殺の意味づけとは関係のない分析をしているが、解釈の際には最終的に意味づけをしている。それらはケーススタディを通じてしかわからない。

4.2 常識的な推論の実践(エスノメソドロジー)

  • Atkinson(1978):検死官(coroner)がある死を自殺と断定するまでのプロセスを分析。検死官達は典型的な自殺像(common sense theory)を持っており、複数の証拠(遺書の存在、死に方(路上での死は自殺とみなされにくいが溺死や首吊り、ガス死、薬物投与などは自殺と見なされやすい)、場所(同じ銃殺でも荒廃した道路脇であれば自殺と見なされやすい。ガス死も窓を閉めていれば自殺と見なされやすい)、これまでの精神疾患の有無と生活状況)から総合的に自殺かどうかを判断する。
  • こうした「自殺らしきもの」に関する理論は社会学者にも見出される。デュルケムが実践しようとした社会学的な客観知は可能なのだろうか。

5. 経済成長は自殺を招くのか?創造的個人主義との関係(Baudelot and Establet 2006)

  • 一般に、経済成長(GDP)に伴って自殺率が高まるとされている。これは本当だろうか?
  • 経済成長著しいインドや中国に関してこれは当てはまりそうだが(第2章)。実際のところ、20世紀のフランスの自殺率は線形的ではない(デュルケムの自殺論の範囲外)。
  • ピケティが作成した長期間のトレンドに耐えられる購買力指標を用いたところ、戦後の急激な購買力の上昇に比べて、自殺率はほとんど変化していない(第3章)。
  • デュルケムが自殺の原因としたような要素(宗教からの離脱、離婚、出生)は経済成長の結果であるが、これらは戦後の経済成長の時期は19世紀ほどの効果を持たなかった。
  • この30年間は個人の能力や資質に基づいて集団を構成しようとする「創造的個人主義」(イングルハート)の価値観が伸長した時代であり、人間は新たな社会性を身につけるようになったため、伝統からの離脱による自殺の効果は低減したのではないか(第4章)。
  • Heliwell (2004)の研究から、社交性、他者への信頼、神への信仰は自殺率を減少させることがわかっている。

6. なぜ共産圏では自殺率が高いのか?(Baudelot and Establet 2006)

  • 旧ソ連圏の自殺率が高いことは知られているが、ソ連の自殺率は記録が残る1925年以前までは世界的に見ても高くなかった。
  • 1960年代までの記録はないが、1965年以降、アメリカやフランス、日本の平均余命が増長したのに対し、ソ連では余命が5歳縮まるという現象が見られた。
  • この背景は、経済の変化に伴って生じやすくなった心臓血管病やがん、アルコール中毒が生じたが、西側諸国ではこれらに対する医療技術が発展していった一方で、ソ連では発展しなかったことが指摘される。
  • 結果として、ソ連では1965年以降死亡リスクの高まりが見られた。これが自殺率の急激な増加と関連している可能性がある。

***自殺論文献***
Atkinson J. M., 1978. Discovering suicide. Studies in the social organization of Sudden death, Londres, Macmillan.
Baudelot, Christian and Roger Establet 2006. Suicide, l'envers de notre monde,Seuil. (=2012, 山下雅之・都村聞人・石井素子訳 『豊かさのなかの自殺』,藤原書店)
(Baudelot, Christian and Roger Establet, Suicide: The hidden side of modernity, Polity Press 2008.)
Douglas J.,1967. The social meanings of suicide, Princeton, Princeton University Press.
Gibbs, J. P., Martin, W. T. 1964. Status integration and suicide. Eugene, OR: University of Oregon.
Giddens, Anthony (ed.), 1971. The sociology of suicide. A selection of readings, Londres, Frank Cass.
Halbwachs, M. 1978. The causes of suicide. (H. Goldblatt, Trans.). New York: The Free Press. (Original work published 1930)
Haralambos, Mike, and Holborn, Martin, 2008, Sociology, 7th edition, Collins. (pp.795-893 Sociology of Suicide)
Helliwell, J. F. 2004. Well-being and social capital: does suicide pose a puzzle?. National Bureau of Economic Research.
Lehmann, J. M. 1995. Durkheim's theories of deviance and suicide: a feminist reconsideration. American Journal of Sociology, 100(4), 904-930.
Lester, D. 1993. The influences of society on suicide. Quality & Quantity, 27(2), 195-200.
Maris, R. W. 1969. Social forces in urban suicide. Dorsey Press.
Maris, W. M., Alan L. Berman, and Morton M. Silverman, 2000. Comprehensive Textbook of Suicidology, Guilford Press.
Pickering, W.S.F. and Geoffrey Walford, 2000. Durkheim's Suicide : a century of research and debate.
Taylor S., 1982. Durkheim and the study of suicide, Londres, Macmillan.
Wray, M., Colen, C., & Pescosolido, B. 2011. The sociology of suicide. Annual Review of Sociology, 37, 505-528.

藤原信行,2012,「自殺動機付与/帰属活動の社会学・序説――デュルケムの拒絶,ダグラスの挫折,アトキンソンの達成を中心に」『現代社会学理論研究』6: 63-75.
宮本孝二,2015「ギデンズのデュルケム研究」『桃山学院大学社会学論集』49(1), 1-26.
中河伸俊,1986,「自殺の社会的意味」仲村祥一編『社会病理学を学ぶ人のために』世界思想社,125-46.
杉尾浩規, 2012,「自殺の人類学に向けて」『年報人類学研究』第 2 号
杉尾浩規, 2013,「自殺と集団本位主義」Annual Papers of the Anthropological Institute Vol.3.
杉尾浩規, 2014, 「デュルケムの自殺定義に関する一考察」Annual Papers of the Anthropological Institute Vol.4
杉尾浩規, 2015, 「アトキンソンの「自殺の社会プロセスモデル」再考」『年報人類学研究』第 5 号
杉尾浩規, 2016, 「資料としての自殺」, 『人類学研究所 研究論集』第 3 号





November 19, 2017

Dataverseプロジェクト

King, G. (2007). An Introduction to the Dataverse Network as an Infrastructure for Data Sharing. Sociological Methods & Research, 36(2), 173-199.

・オリジナルデータから分析結果を再現することは無理
・第三者機関を通じて再現用データを共有するのが合理的
・再現性ポリシーを持ってる雑誌の論文は3倍引用される。
・公的に認知される形で共有データをciteできるのが重要、著者の許可なくデータを利用できるようにするべし。
・ただしある程度の認証は必要
・認証がなくともデータの存在を確かめられることが重要
・データが論文で使用されたものと同じか検証できるようにすること
・以上を将来的に継続すること
・手続きは簡便にすること
・データに法的な保護を与えること

らしいです。

Freese, J. (2007). Replication standards for quantitative social science: Why not sociology?. Sociological Methods & Research, 36(2), 153-172.

アメリカ経済学会は掲載と同時に再現用データとコードを提供することをポリシーとして義務付けているのに対して、アメリカ社会学会はあくまでCode of Ethics(CoE)に規定している倫理的な事項で個人の努力義務。社会学は「個人的な」ポリシーから経済学のような「社会的な」ポリシーに移行するべき。

Freeseは想定されうる反論を6つあげていますが、基本的にどれも再現用データを公開することのデメリットは少なく、むしろメリットの方が大きいことを指摘しています。ただ、2017年時点でアメリカ社会学会はいまだにCoEに調査終了後データを何らかの方法で利用可能にすることが望まれるという点しか書いておらず、再現性については何も言っていないに等しい状況です。

November 15, 2017

博論セミナー

14時50分からゼミで博論セミナーの予行演習。ボスが予想以上にsupportiveで(いつもながらsuggestiveではあるが)逆に拍子抜けしてしまった。使用したいデータの話の中で「〜〜は海外では使えない」と言われて、もしかすると先生の中では私は旅立つ枠として認識されているのではないかとお思ったが特に何も言わなかった。さすがに5年間も指導されていると、何を言わんとしているのかは繰り返し聞かずとも察せられるようになる。 ゼミテンからのコメント。私は「高階層では安定的なライフコース。。。」と安易に使っていて、質問でひとり親を継続している人も「安定」しているのでは、といわれて確かに、と思った。ここでいう安定とは、自分の力では抗しがく、個人の人生に悪影響を及ぼすようなイベントに遭遇するかしないか。では、そういうイベントで調査でわかるモノは何だろう。アメリカではそういうイベントが多そうだなという雑感(evictionとか貧困とか)。 自分が社会学と家族人口学の間の研究をしているのだと理解してから、初めて関心を伝える。私の理解では、家族社会学というのは、結局のところ家族を制度として見たときに、その制度的な様相が変わっているのか、変わっていないのか、変わっているとすればそれはなぜなのかを研究しているのだと理解している。例えば、家族の個人化とは、家族がその制度的な要件としていた現象(成員間のインタラクションや情緒的な繋がり)が脱制度化する過程なのではないだろうか。 そこで、未婚者が増えるというのは、人口学的な側面の話である。例えば、結婚していても、家族的な紐帯が何かに代替されていたら、それは脱家族化なのではないだろうか。 昔は、子どもに対する規範や、イエの話にも関心はあったが、それはあくまで関心というレベルで、端的に何が見たいのかと言われたが、ライフコース上のイベントによって個人がどのような格差に直面するのか、それは言い換えれば人口学的な現象のアウトカムである。ところどころに階層論的な(あくまで「的な」であって、私は社会階層自体を理論化したり、階層構造自体を特定することを生業としているわけではない。あくまでユーザーである。)視点はあるが、それはアメリカの家族人口学の中ではよくあることだろう。少しずつ家族社会学に対する距離感を言語化できているので、もう少し頑張りたい。

November 13, 2017

TAセミナー

今学期から弊研究室の開講する社会学概論のTAをしていまして、といっても概論自体ではなく別の日にTAセミナーという(これまた教員が自分の研究を紹介する概論と全く異なり)社会学の古典を読む(読まされる?)ゼミ形式の授業を担当しているのですが、これが意外と楽しいのです。

内定生向けの授業で、50人ちょっとの内定生+αが4つの班に分かれ、各班にTAがついて一緒に文献を読むのですが、目的は主として(1)社会学の古典(デュルケム、ウェーバー)に触れる(2)ゼミ形式の授業に慣れる、に加えて(3)博士課程の学生に教える機会を提供する、の三つなのかなと思います。受講生にとっては、なぜ博士課程の学生と一緒に分厚い古典を読まされなきゃいけないのか、という意に介せない部分もあろう授業なのですが、みなさん真面目で出席してくれます。

僕自身、学部生の時にTAセミナーを経験しているので、実際に教える側になってみると変な気分だったことはいうまでもありません。不思議と面白いのは、役割を与えられると、人間それっぽく話そうとするところです。受講生は先生だと思って自分を見てくるので、教室入った途端「先生-生徒」図式の状況に投げ込まれてしまい、最初は挙動不審になります。それでも、社会学はウェーバーとデュルケムを祖先とする人の集まりくらいにしか定義できないので、、、とか冗談にもならないことを言いながら文献の担当者を決めて、レジュメはおおよそこんな感じでまとめて、報告15分議論15分目安でいきましょう、などと進めて、最後に「ではまた来週」という頃には本人も先生気取りになっているから怖いものです。

最初は新しい古典から読もうということで、巨人二人の前にマートンの「社会理論と社会構造」から2-3章選んで読んだのですが、マートンそんなこと言ってたなあと思い出しながら、学生さんたちも面白いことを指摘してくれます。予言の自己成就は銀行取り付け騒ぎの例で知られますが、マートンは予言の自己成就の章の後半で、アメリカの人種差別の話をこの理論で説明しようとしています。ただ、取り付け騒ぎが発生するという「イベント」と、差別が持続的に維持される「状態」を同じ理論で説明するにはやはり無理があるわけで、学生たちからも後半の箇所については色々と批判がありました。特に内集団/外集団の境界や何が「よろしき」行為なのかを「誰が」決めるのかについてマートンは特に何も言っておらず、社会の外側に立ちながらエレガントな説明をしていることに気づかされます。マートンは様々な社会現象をシンプルな理論で説明しようとする志向性がとびきり強いと思いますが、それが彼の魅力であると同時に、社会の外側に立って物事観察してるのって本当に社会学者なの?という疑問符がつくわけです。

もう一つ、ゼミで読んだのは「社会学理論の経験的調査に対する意義」という章で、事後解釈の問題点や、一般的な社会学的方針など、個人的には現在の経験的な論文においてもマートンの説教はありがたいなというところがツボだったのですが、先の章にも見られるマートンの「中範囲の理論」的な立場が、学生には科学主義的な立場と思われたらしく、社会学にもそういう考えで研究する人って多いんですかという質問が来て、少し立ち止まりました。書店にいくとO澤真幸やハーバーマスの本が並んでいるのですが、彼らのような人たちがグランド・セオリーなのですか?と聞かれ、んー、と考え込んでしまう笑

書店に並んでいるかどうかはともかく、学生さんにとっての「面白い」社会学は見田宗介のまなざしの地獄であったり、いわゆる「常識を疑う」系の本だったりらしく、それはそれとして良いとは思うのですが、そういうイメージを社会学に持たれると、確かにマートンは少し意外に映るのかなと思いました。分析社会学の話も最後にちらっとしたのですが、ほぼ無反応...

とはいえ、何が面白かったかというと、普段の私が当たり前だと思っているマートン観の影で棚上げにされている部分を学生さんたちがきちんと批判的に読んでっきてくれて、それを聞かされて、ゼミでこういう議論するのずいぶん久しぶりだなという感慨を持った点でした。批判的に読む、と言うことは簡単ですが、大学院のゼミにもなると比較的理論的,方法的に近い人同士で固まるので、そういうのをカッコに入れた上で本を読んで議論してみよう、という状況にはもしかするとなりにくいのかなと思いました。

November 5, 2017

国際学会に参加すること、参加し続けることの大切さ

2017年11月に、南アフリカで開催されたIUSSP(国際人口学会)に参加してきました。以下は、その時の記録です。

---
今まで、日本で開催された国際学会(ISAやAAS)の見たことはあったが、海外で開かれる国際学会に参加するのは初めてだった。先輩の話も交えながら、国際学会に行くことは必要なのか、少し考えてみた。

・普通に楽しい
今回参加した国際人口学会(IUSSP)サイズになると、アブストの数で数千になり、その中に必ず自分と関心の近い研究者の研究があるはず。普段、国内でマイノリティだと思っている研究領域の人こそ、国際学会に行ってみると、自分だけではないという安心感(逆にライバル意識も芽生えるかも?)と、こういうアプローチもあるのかと、学べることができる。興味関心が近い研究をたくさん目にすることで、だいぶ気分転換になる。

・研究者と直接あって話せる
これは国内の学会でも同じなことだが、国際学会でしか会うことのできない類の人はいる。今回、自分は論文でよく引用しているvan Bavelのグループの研究者とたくさん会うことができた。そこで、Agent Based Modelingの方法について質問したり、似たような関心で論文を書いたと告げるとフルペーパーを読んでみるよ、となる。
後の点にも繋がるが、いくら良い研究をしたからといって、その論文が読まれなければ引用もされない。学会は自分の研究を売る場でもある。だからこそ、Abstractだけではなく、学会時にフルペーパーを持って行くことが必要なのだろう。

・継続的に参加することでメリットは増す
以上のような分野の近い人同士による密なコミュニケーションを続けるためには学会に参加し続けなくてはいけない。IPCも2回以上参加する人はだいぶ少ないと伺った。地理的に近いならまだしも、普段はメールベースでやり取りすることになる人とは、こうした学会やセミナーを通じて継続的に顔を合わせて、自分の研究を忘れないでもらう。そういうプロセスが研究を海外の人に読んでもらうためには必要だろうと思った。僕はヨーロッパの人口学研究の人に読んでもらいたい研究があるので、IUSSPは適切な場だと思う。これからも参加し続けたい。

IUSSPにて報告

11月2日から3日まで南アフリカ・ケープタウンで開催されたIUSSP-IPC2017に参加してきた。本来は大会初日から参加したかったのだが、11月1日に日本で外せない予定が入ってしまい、結果的に1泊4日の弾丸日程となってしまった。

短い日程だったが、初めての人口学の国際学会参加となり、得られるものは少なくなかった。以下に大まかな出張の記録を残したい。

11月1日
午後6時25分に成田空港を出発、まず香港へ。トランジットまでの時間がわずかだったこともあり、到着後すぐに係りの人が案内してくれた。次にヨハネスブルクまでの飛行機に乗る。13時間かけてのフライトは久しぶりでだいぶ疲れた。到着時には現地時間午前6時となっており、それまで映画をみたり、スライドの用意を進めたり。

到着後、最後に南アフリカ航空の飛行機でケープタウンへ。幸運なことに全てが予定通り進み、予定通り(?)報告4時間前の11時に到着。30分間隔のシャトルバスのタイミングが悪かったので、タクシーを呼ぶ。若干不安だったが、240ランドで無事到着。Registrationを済ませ(この日に登録する人は珍しいので若干怪しまれた)、まず開催中だったポスターセッションへ。van Bavelの研究グループの人と少し話して、会場を移そうかと思った時にまっぴーさんとすれ違う。お時間取っていただいて、留学などについて色々と相談。

そのあと、Perspectives on fertility transitionsのセッションに参加。いきなりPeter McDonald が登場して驚く。ギデンズの構造化理論を応用しながら、出生率低下の側面におけるagencyとしての女性の役割の重要性を指摘していた。3番目の報告者は、ラテンアメリカを対象にブルデュー階級論を踏まえた階級分類を試みた上で、それらの階級が出生力格差に影響するかを検討していた。人口学の研究にも以上のような社会学の理論が生かされているのが印象的だった。 ひょんなことからポスターセッションでコンゴ人とすれ違う。

中座して、報告スライドをアップロードし、会場へ。部会はEducational expansion, conjugal dynamics and fertilityで、比較的問題意識が近い人の集まりでよかった。

一人目のAlessandra Trimarchiはイタリアで学位を取ったあと、van Bavelのチームで研究をしている。学歴結合のほか、稼得能力あるいは失業が出生に与える影響をヨーロッパ諸国を対象に検討しており、妻下降婚カップルの出生率が低いことが報告された。

二人目のAlbert Esteve Palosはラテンアメリカにおける安定性パラドックス(女性の高学歴化の一方で結婚や出産年齢に変化がない現象)の背景を検討しており、特に教育拡大の役割に焦点を当てていた。

三人目はChristine Schnorの報告で、フィンランドにおける非婚カップルの増加要因を分解していた。結果としては、非婚カップルになりやすい低学歴層が減少しており、要因としては中学歴層の効果が大きいことがわかった。

四人目は私の報告。あまり英語報告の練習もできず、ほぼぶっつけ本番、かつ初めての国際学会だったプレッシャーもあり、拙い英語だったのが反省。ひとまず言ってることはわかってもらった。ただ、やはりヨーロッパの人が多い中で報告すると、質問されにくいのかなと思ってしまう。別に外の目を気にして報告する必要もないが、今度はオーディエンスの性格も(わかれば)踏まえながら報告の用意をしたい。報告自体に対してもらったコメントはあとで反省する。

終了後、Debateセッションへ。このセッションはホールで行われ、ある特定のテーマに沿ってパネリストが賛成・反対の意見を述べるというもの。この日のテーマはIs low fertility bad? というもので、私であれば「子どもが減って何が悪いか!?」を思い浮かべてしまうところだが、意外とBadと考える人がいるのが興味深かった。中でもLow fertilityとSuper low fertilityは異なるとした上で、後者はやはり社会の持続性の観点から問題だろうという話には納得した。問題は、結局のところ何が低出生なのかを定義すること自体が政治的なマターであり、社会的に構築されるものだという点なのだろう(without thinking what makes good or bad we tend to come up with indicator to say which is good or bad and high or low)。「科学的な」人口研究を謳う本学会で個人的な事情も混ぜながら会場から意見が集められたのは印象的だった。



Debate終了後、事前に登録が必要なDinnerというイベントがあり参加してみた。ホールを貸し切って、下の写真のようにテーブルに座る形式だった。今回のIPCの運営しているStats SA(南アフリカ統計局)やIUSSPの会長の講演のあと、Yvonne Chaka Chakaさんによるリサイタルがあった。この辺りはさすがに豪華といった感じ。途中で抜けて、雨の中、滞在先のホテルに向かう。


11月2日
7時前に起床して、ホテルをチェックアウト、朝食を食べようと思ったがホテルの朝食が高すぎたのでひとまず会場のカフェに。まっぴーさんがおり、また話を伺う、しまいには朝食までご馳走になってしまい頭が上がらない。

午前は一つセッションに参加。Life course trajectories in formation and dissolution of families and householdsというもので、昨日知り合ったAndre Growと報告者だったSchnorの二人がチェアだった。基本的には系列分析や生命表を使ってライフコースの軌跡(trajectory)を検討するというもの。特に面白かったのは写真に撮ったSergi VidalのPartnership and parenthood patterns after divorceという報告。離婚後のライフコースは多様化している。例えばシングルを継続する場合もあれば、再婚する場合もある。子供がいる場合もあればいない場合もある。共同親権をとることもある。そういう多様な離婚後のライフコースを系列分析によって分類したあと、いくつかのライフコースをクラスターにまとめ、規定要因を検討していた。子どもの存在はどのタイプの軌跡にもなりにくい(結婚にとどまりやすい)などが知見としてあがっていた。



セッションはここまで。ポスターセッションの会場にいき、Growと人口学におけるABMのモデリングについてアドバイスを受けた。これはかなりpracticalなもので、実際に学会で知り合って突っ込んだ話ができる類のものだった。途中で引用していたNomesと会うこともでき、van Bavelに会うことは叶わなかったが、おおよそ会いたい人と話したいことが話せた2日間だった。

午後2時の飛行機でヨハネスブルクに向かい、そのあと香港、成田と向かい帰国。1泊4日のハードスケジュールだったが、なんとか出張を終えることができた。今回の出張は、日本人口学会の推薦を受けて、日本経済学会連合の国際学会渡航支援によって実現したものであった。支援がなければ報告することは叶わなかったので、本当に感謝している。

October 19, 2017

学振

忙しいです。今週月曜に学振DC2の方、内定をいただけました。落ちてたら凹んでいたと思うのですが、実際通ってみると、あまり実感が湧かず。

先生方に報告するとおめでとうと言ってくださるのは嬉しいのですが、そういう反応を目にして、特別研究員が一年の恒例行事みたいになっている気がしました(xxx賞ノミネート、みたいな)。と言いつつ、自分も先週の金曜はXデーかと気になってたので、一員として加担していたかもしれません。

例年、10月第2-3週の金曜日と聞いていたので、月曜日に連絡が来たのは結構驚きだったのですが、確かその日は雨で眼科に電車で行かなくてはならず、保険証の更新が必要だったりで役所に行ったり、歩き疲れて研究室に戻って来た後だったように思います。

今日ぐらいになって、研究費が使えることに、じわじわと嬉しさがこみ上げて来ました。博士課程1年目、国際学会や英文投稿のための校正に意外とお金がかかることに悩み、月20万円の収入で自立しながら研究を続ける難しさを感じていました。もちろん、時間が無限にあれば、それを犠牲にしてある程度安く済ませることもできるのでしょうが、1日は24時間しかありません。

ともあれ、安心したという感じです。採用者の推移を見てみると、どうやらDC2の採用率はここ数年減少傾向にあるようです。私が応募した社会科学の枠も例外ではありません。

2018年はまだ面接採用の枠を考慮すると正確な値は出ませんが、さしあたり上限(面接全員採用)から下限(面接全員不採用)は以下のように17.5%~22.36%くらいになりそうです。最終的には昨年と同じか、あるいは昨年を少し下回るくらいになるのではないかと思います。ただ、実際には面接免除の中にも、採用を辞退する人がおり、それは年度明けにでてくる統計では採用者には入らないので、オモテに出ている採用率よりも実際の採用率は若干高いと思われます。

表:DC2(社会科学)の採用率の推移

年度 申請者 採用者 採用率
2018 577 101+28 17.5-22.36%
2017 577 118 20.45%
2016 591 129 21.83%
2015 585 130 22.22%
2014 562 130 23.13%
2013 610 158 25.90%
出典:https://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_saiyo.html

October 8, 2017

京論壇2017最終報告会

午前まで帰省してましたが、高速バスで帰京。その足で駒場へ。

12時半開場というのでほぼ時間通りに来てしまったら、会場には来場者らしき人はほとんどいなかった。いつからか、18号館ホールではなく会場がKOMCEEになっている。

少しすぎると、一人先輩が来た。通信社で働く記者で、自前と言いつつ社用かと見間違うばかりの立派なカメラを携えて。しばらく談笑している間に、人も入り、13時になる。

分科会はグローバリズム、ジェンダー、エリート主義の三つ。

グローバリズムはセッションの最初の方でこの流れに反対するのはjustifyできないという結論になったらしく、それ以降はひたすら愛国主義とナショナリズムの違いを議論していたようだった。端的に分科会の名前をナショナリズムとかにすればよかったのではないかという気になった。特に目新しい話には出会えず。

ジェンダー。概要にあったLGBTの話は省略されていた(そもそも議論しなかったのかもしれない)。どちらかというとジェンダー不平等、具体的には機会格差(equality of opportunity)と結果の公正さ(equity)の峻別をした上で、ライフコースごとに主として女性が直面するジェンダー不平等に対して、どう考えていくべきかという話だった。
感想としては二点。一つ目は面白いと思った点。equityの話をしたがっていたのは北京側だったというのを全体ミーティングで聞かされていたが、日中で比較すると、日本では中間層が厚いので、ジェンダー不平等もミドルクラスの層になりがち、また中国と比較して格差自体が小さいので、あまり結果の不平等は問われない。要するに男女間の機会格差が注目される傾向にある。一方で中国ではまだ労働者階級が多く、格差も大きい。したがって、男女の格差は機会以外にも結果についても議論されるべきと言っていた(私の理解ではそういう話だったと思う)。安易な比較なのでは?といい捨てることは簡単だが、中国において結果の平等が重要視されている背景を北京大の学生が主張していたことは興味深かった。言い換えると、日本では機会の平等が伴っていれば結果も伴うだろうと考えているのかもしれない(これは部分的には正しいだろう)。一方で、中国では、機会が提供されていても、結果が男女間で異なる自体が想定されているのだろうか。

二点目は、女性が直面する格差に焦点が当たっていたこと。基本的には男性と比べて女性は〜〜ができない、阻害されているという話で、間違ってはいないと思うが、こういう話で稼ぎ主として期待される男性の生きづらさみたいなものは誰も指摘しなかったのだろうか。おそらく、彼らの頭の中では女性も男性並みに働くことがある種の理想とされていて、世帯の中での分業や、ワークライフバランスの視点はあまりなかったような気がした。

最後にエリート主義分科会。エリートの条件、及び具体的なケースとアクターに絞って、何がエリートに対する不信を生んでいるかを分析していた。選んだケースが福島原発と中国の遺伝子組み換え食品というユニークな設定。政治家だけではなく、研究者やメディアもエリートして位置付けていた。質疑ではエリートが判断を誤りうる可能性、その際に市民から意見を聞く必要性、あるいはそもそも日中で市民社会は成立しているかなどが議論された。

報告会は学生の発表中心の第一部と、藤原帰一教授の講義などが入った第二部に分かれていたのだが、さしあたり学生の報告を聞けたのでもういいかと思い、会場を後にする。

昔に比べると、東大側も英語ができるようになっているという、毎回アラムナイが残していく言葉を自分も残しそうになってしまった。これは、学部生の英語力のベースが上がっていると理解して良いだろう(もちろん、帰国子女の人も多いだろうが)。自分の意見を論理的に英語で伝えることができることは、さしあたりまだ重要。

京論壇の報告会にできるだけ来るようにしているのは、自己啓発の一種というか、学生たちのやる気ある姿勢に触れて、自分も頑張ろうという程度なのかもしれない。少し感傷的になれば、やはり学部の時に一番取り組んだ活動でもあるので、その行く末を見守っていたいのかもしれない。

ともあれ、先輩とも話したが、自分たちよりも上の代のアラムナイは全く来ていなかったのが気になった。もちろん皆さん、お忙しいのだろうが、学生側もアラムナイが来ないよりは来たほうが緊張感が増すかもしれないし、やる気になるかもしれない。もちろん、誰が来たところで変わらない人もいるだろう。ただ、来ないよりは全体としてマシだろうと思うので、引き続き(迷惑にならない程度に)行こうと思った次第。

September 30, 2017

「日本の家族」社会学

フルペーパーが煮詰まったので気分転換にジュンク堂へ。 TLでみて嫌な予感がしたのだが、やはり昨年出した論文が引用(というか分析のためのデータに利用)されていた。

現代日本の家族社会学を問う:多様化のなかの対話 藤崎宏子・池岡義孝編

保田先生と稲葉先生の章で言及(というか、分析のネタとして)されていました。ありがとうございます。ちまちま数えてしまうんですが、家族社会学研究の論文が引用されたのは観測限りでは3回目。

家族社会学会周りの研究者は、数年に一度はこうした内省的な特集なり論集を出している印象があります。

自分は家族を対象にしている自覚はあるが、「学としての家族社会学」をやっているつもりはないです。論文が載った時も、今後「家族社会学と計量研究の関係」みたいなレビューで言及されることがあるとすれば、申し訳ないと思っていました。階層論視点の家族研究の論文であって、家族社会学の論文ではないので。

稲葉先生の章で二次分析の類が「何をやっているのかわからない」という印象を持たれがちという指摘があり、納得するとともに、自分の論文もそう思われてる節はあるだろうなと。今振り返ると、人口学的アプローチによる社会階層論の新しい研究の一つに位置付けられそうな気もします。当時はそんなつもりはありませんでしたが。

私は、一貫して家族と階層の問題に取り組んでいることには違いなく、卒論では岩間先生の本などよく参考にしていました。あるいは、家族社会学の内省的な議論も引用していました。

ただ、一度書いてみて思ったのは、日本の家族社会学は「日本の」家族にもっぱらの関心があり、そこは階層論と大きく違うという点です。ひたすら内省的に日本の家族とは何かと考える流れと、日本の事例をどのように比較の視点で捉えるかを志向する流れの相容れなさのようなものを感じ、修論では前者に言及することもなくなっていきます。ということを、この本を読みながら思い出すに至りました。

まとまった時間をとって、この手の話については考えたいのですが、あまり欧米の分析で「家族社会学とは何か」という話を目にすることはありません。日本の家族社会学には独自の伝統があり、その伝統は主として日本の家族を理解するための概念や説明を探求して来た印象があります(あくまで印象です、まあ他の国と比較することは難しいと思いますが)。それはそれとして、日本の社会学の大きな遺産の一つだろうと思います。

しかし、そうした概念を他の社会に「開く」ことは難しいのかなと、この数年思います。「開く」ことはできると思いますが、稲葉先生も書かれているように、開くためには後続の研究が必要になります。それでは、日本の家族社会学で生み出された概念が、他の社会にいる研究者にとって後続的な研究を促すか?思い当たるところでは、パラサイトシングル論とかでしょうか。やはり難しいわけです。

それよりは、もう少し一般志向の理論を持ってきて、日本をテストする。こちらの方が、他の文脈と比較しやすいわけですし、そういう研究は相対的に計量分析の方が向いていると思います。

もちろん、ただテストするだけではなく、できるだけ日本の文脈から導ける含意を応用することも必要だと思います。例えば、今書いている同居と結婚の日韓比較についても、パラサイトシングルの話を持ち出して日本の蓄積を他の文脈に開きつつ、既存の理論ではこの話はどう解釈できるか、そうやって中和させています。

日本独自の研究があること自体は良いことだと思うのですが、それを他の国で発祥した理論と結びつけるための媒介的な言葉を見つける作業は、社会学的な研究の醍醐味の一つかもしれませんが、大変そうです。昔はそれこそ機能主義とかがあったのかもしれませんし、今は個人化なのかもしれませんが、重要なのはそうした媒介を輸入するのではなく、日本で発展した理論を他の国に開いてみる作業なのではないかと思います。

そういう雰囲気は、あまりないかなというので、若干距離を感じるようになりつつある家族社会学、しかしこの本読んでちょっとした懐かしさに浸れることもできました。時間がある時にしっかり読んでみたいと思います。

September 29, 2017

社会学概論

起床。8時40分。驚く。目覚ましがうまくセットされていなかったようだ。自転車に飛び乗って山手線へ。ギリギリ間に合う。すでに汗だく。

駒場に2年間通ったにもかかわらず、非常勤講師控え室がどこにあるのか、検討がつかなった。一号館の1階だろうと思っていたが、実は2階にあった。どおりでみかけなかったのか、と思いながら。

ダンボール二つをSと運んで、教室へ。暑い。ここは駒場だった。冷房はコントロールされている。走ってきたこともあり、さらに汗だくになる、学生の視線、またも汗をかく。

紙を配る手に汗がつかないように注意を払いながら、TAセミナー用の資料を配布する。先生は途中で退出。じゃ、後はよろしくというばかりに。

任せてください、これからTAセミナーを始めます、すこし意気を込めていってみる。概要をSが説明する。私が配布資料のリストを黒板に書く。マスターコピーの話の中で、研究室の場所を説明する。今度は私が説明して、Sが黒板に(あまりうまいとは言えない)地図を描く。マートンは英語の文献も参考資料として読んできたからやる気のある人は読んでもいいですよ、あまり反応がない。

一通り説明を終える。なんとかなったか。質問を募る。

今日ガイダンスがあるって聞いてきたんですけど。

一瞬、よくわからなかった。確かに、色々とガイダンス用の資料もある。しかし我々はTAセミナーの説明をするということしか言われていない。どうしようか。この後あるの?と聞いてみるが、この時間にあるのだという。Sと顔をあわせる。先生忘れちゃったんだな。

5年前は概論の授業を受ける側だった。寝ていたことが多かったが。でも、いよいよ専門の日々が始まるんだと思って意気込んでいたかもしれない。目の前にいる学生さんたち(私も学生だが)をみて、そういう人がいるのかなと見渡してみるが、見分けのつかない、50かそこらの顔と目を合わせるのは、少し不気味な気分である。おまけに、ガイダンスはまだかと訴えているように見える。また汗を掻く。すみません、何も知らないんです。

満足にできたかはわからなかったが、一通り作業を終える。仕事したな、という感じ。しかし、できればしたくない仕事の類だった。教員になるとこういうこともやるのか。大変そうで、自分は研究所で働きたいという思いと改めて強くする。

お昼でも食べようかと駅の方面に出る。ルーシーだ。二人で懐かしさに浸りながら店に入る。タイカレーを頼む。上京エピソードとしては、タイカレーというものを食べたのがルーシーが初めての経験で、以来、いくらうまいタイカレーを食べても、ルーシーに来るとついつい頼んでしまう。懐かしい。

昔は渋って一番安いカレーにしたこともあったが、今日くらいはちょっと贅沢してもいいかと思い、セットメニューにする。それくらいはいいだろう。980円。

終了後別れて、図書館で休んだ後、イタトマで地熱のミーティング。やはり、直接話した方が進むし、フリクションが少ない。その後、帰宅。どっと疲れが出る。郵便受けを見ると、速達が届いていた。とある財団から。あー、これは落ちたな。直感的に思う。防衛反応。

部屋に戻って渋々開く。面接にお呼びします。本当?しかし、日付が南アフリカにいる時期に重なっていた。急いで電話。なんとかなるような、ならないような。知恵をしぼる。3時間ほど絞って、絞りきった。寝る。起床して、作業して、再び寝る。作業して、お風呂に入って、これからまた作業。

September 28, 2017

映画

ララランド、ムーンライト、ライオン、メッセージ(Arrival)、ジャッキー、ラビング、ローグワン、ベイビードライバー、ダンケルク、ブルーバレンタイン、キャロル、セッション、打ち上げ花火、君の名は、タレンタイム、サーミの血、タンジェリン、光、絶望に追いつかれない速さで。

割と見てますね。友人にFilmarksという映画レビューSNS?を紹介してもらった。たしかに、忘れるもんなあ。始めようか。情報過多の時代。

September 14, 2017

9月14日

筆者、カーテンを開けていないと目覚めが悪い。しかし、疲れている日には寝る前にカーテンを上げることを忘れて寝てしまう。疲れているのでよく眠れる。その組み合わせで、疲れた日に目覚ましをかけなかった日には、遅く起きた朝状態。今日がそれ。起床は12時。

仕方ないので、少し作業した後朝ドラを見ながら、朝食。終わってすぐ大学に向かい。3時まで報告資料と英語の勉強。昼食はそば。オックスフォードの友人に勧められた論文を読む。共著の改稿。8時前に帰り、タンドリーチキンとチャーハンを作る。

その後、英語の勉強。明日は10時に起きたい。

September 13, 2017

9月13日

8時に起床。勉強会の準備のため英語の勉強は省略。
10時半から人口学勉強会。stable population modelの応用とモデル生命表やコール・マクニールモデルの箇所。次回で最後。

昼食はつけめん。wifiをレンタルしようとしたが失敗。数理の報告準備を共著者と進める。学会関係で忙しくなるのは慣れているけど、他の仕事の調整が難しい。

無くしていたと思ったiPad、映画館にはなく、途方に暮れていたが、人口学の本を返しに経済学図書館に行くと見つかった。

7時半に退出。夕食は寿司。帰宅して今週見逃したコードブルーをみる。少し寝る。起きて報告の用意。お風呂で寮生と話しこみ、産学連携について考えさせられる。


September 12, 2017

9月12日(9月16日追記)

前日遅かったので10時起床。iPadをどこかにおいてきてしまったのか、みつからない。仕方ないので洗濯してご飯炊いてカレー。雨が弱くなった隙を狙い学校へ。Situsの論文、Knodelのチャプターを読んでレジュメ更新。共著の作業を進める。13時20分。1時間ほどGIS、やはりエラーの原因は不明。

本を借りて、3時から社研セミナー。小川さんの報告。まず驚いたのが、小川さんの社研セミナー参加歴(30回以上と仰っていた)。社研の性格上、報告は主として実証研究が中心的だったとして、あえて理論的な話を実証的な研究を省略してしてみたかったよう。

トークの前半は社会階層論の基本的な先行研究のレビューと論点の提示。後半は、小川さんが関心を持つ教育訓練制度の話。特に、単に制度と格差の関連ではなく、教育訓練制度を新制度論の中に位置付けた上で、制度論の社会学・経済学的な考えの違いにまで言及されていた。最終的に、制度の持つ文化的な側面を社会学的な制度論の特徴とした上で、今後は経済学的なアプローチと社会学的なアプローチを架橋した研究が必要なのではないかという論点まで踏み込んでいた。

個人的には、社会学的な制度論は個人の合理性の仮定を緩めようとする点が特徴的だと思い、ブードンらを引用しながら小川さん自身も主観的合理性の側面を強調しておられたのが印象的だった。

議論は、教育訓練制度の比較国家研究と社会階層論の関連もあれば、経済学的なアプローチをなぜ社会学は過度に意識するかという、社研セミナーならではの「この際聞いておきたい」質問も見られた。最後に、社会階層論は平等という価値が重要になった近代以降にできた学問分野であるという話から、社会学では近代をどう定義するのかという経済史の先生の質問まで出た。SSMなどの研究会ではさすがにここまで大きな話が出ることはない。ともすれば、社会階層論は格差、不平等であればなんでも研究していいだろうというスタンスであまり社会学の一分野としての意識を持っていないのでは(特別、持つ必要もないと思うが)と見受けられることもあったので、「社会学としての社会階層論」を意識した報告には好感を持てた。

こくわでうどんを食べてから、共著の作業、数理の報告の準備をして8時前に仕事終わり。

September 11, 2017

9月11日

思い切って午前中は吉祥寺散策に出かけるとした。中央線の改札から降りた瞬間にこみ上げる懐かしさには自分でも驚く。10時ちょうどにアトレが開き、疲れていた時に飲んでいたベジタリアのジュースを早速。中道通りにいくが、11時開店の店がほとんどと知り、ひとまずカーニバル、最近リニューアルしたらしく、雑多な感じが失われてしまった少し寂しかった。サンロードに戻り、さとうでメンチカツ。そのあと、2年半毎日のように通った帰宅路に。月曜日はいせやが休みだったことを忘れていた。旧宅を経由して,再び井の頭公園。笛吹きのおっちゃんが健在で安心した。

中道通の店を巡って大学に戻る。今後も普通に買い物がてらきてもいいかもしれない。

いまいち調子もよくなかったので、夜は夜でダンケルクとベイビードライバーのはしごとなった月曜日だった。

September 9, 2017

9月9日

6時半起床、英語の勉強。大学にて6時間ほど作業。半分は地熱、半分は人口学。夕食は口内炎がひどかったので辛いものはやめて、初めて大塚駅のぼんごにいってみた。

帰宅してコードブルーを3話見る。最近この時間になると眠い。

日射のプログラムを見る、相当勇み足なタイトルになっており、反省。自分の程度をわきまえられない程度には研究していないということ。

September 6, 2017

9月7日 副学長がきた!

文字通り。その前に、朝は人口学の勉強会。数学者の先輩からstable population modelをレクチャーしていただく。お昼を食べ、口座振替の手続きを済ませ、一旦寮へ。構成チームがきて、その次に管理課、そして松木副学長。寮の視察にいらっしゃった。

副学長は寮生活について非常に関心を持っておられたことが、とても印象的だった。例えばコモンスペースを見て、これくらいのスペースを作るなら勉強部屋を作ったらどうかと、学生生活を研究や勉学の視点からみられていて、その点は少し驚くとともに、学生の視点を持っていることも感じた。その他細かい点についても尋ねられていて、私としても宿舎生の一人として視察に同行できてよかった。

結果的に、予定を随分超過して視察してくださり、一寮生としても感謝する次第。厚生チームの皆さんには、視察のオーガナイズをしてくださり、こちらも感謝。

その後大学に戻って、共著の作業を三つほど。一つはコメントを踏まえて修正、もう一つは数理の報告の進捗、文献購読など。

帰宅すると、新しい寮生がきていたので挨拶。徐々に新学期の足音が近づいてくる。

September 5, 2017

9月6日

朝起きて、単語。洗濯と炊飯を済ませ、朝食。ひよっこをみる。大学に向かい、推薦書をもらう。合わせて書類を提出しようとするが、学生証を忘れていることに気づき、一旦帰宅。ついでにカクヤスに瓶を戻す。宅配無料ということで,今度からそっちを使ってみようかな。

一旦戻ったあと、資料提出。担当の人が学部生の交換留学に関する説明に時間を要して、ずいぶん待つ羽目に。ああいうのを見ると、なぜウェブに掲載されてる情報を通り過ぎて人から直接話を聞いてメモをするのか、よくわからない。

終了後、人口学の教科書、共著1の執筆、共著2をgithub経由で進める。6時ごろに久しぶりにこくわがたを食べて、お腹いっぱいになる。リスニング。stable population modelが全くわからず帰宅。長風呂をする。建築系の後輩のインターン話を聞く。学会で出会ったり先生のつてで小さな研究所にインターンしているらしい。人文社会系における産学連携について考える。学内・学外インターンに関するワーキンググループなどは考えてもいいかもしれない。

August 29, 2017

釜ヶ崎研修

28日からリーディング大学院の研修で釜ヶ崎に来ている。
前日は締め切りがあり徹夜になってしまったので、行きの電車で爆睡。12時半頃に到着して、早速たこ焼きを食べる。

千成びょうたんのところで待ち合わせ。人がくる間にお釣りをATMで降ろす。集合後、地下鉄で動物園前駅に、徒歩でココルームに到着。チェックインを済ませて、早速山田さんのお話を伺う。山田さんのご案内で釜ヶ崎を歩く予定だったが、30分ほどココルームで釜ヶ崎の歴史についてのレクを受ける。そのあと、西成センター(釜ヶ崎労働福祉センター)、釜ヶ崎支援機構などに伺う。支援機構は500床の簡易ベットを持っており、シェルターの機能を持っているらしい。夜のみの利用で、求職者にベットを提供している。ちなみに、このシェルターを作る際には簡宿の人からクレームのようなものが来たらしい。

支援機構の特別清掃を見学していると、山田さんに対して(若干動機がわからないが)不平を言う人もおり、研修参加者の中にはこれを印象的な場面として語る人もいた。釜ヶ崎は独特で、西成センターの看板を見ると、全ての漢字にふりがなが振っているわけではない、と言う点であったり。

戻ってきて、若干の休憩を挟み、おにぎり作り。そのあと夕食、夜回り。ココルームでは月に一回夜回りをしているとのこと。夏であること、それと最近襲撃事件があったために路上生活者の数は減っているらしい。

終了後、戻って反省会。

29日の午前中は2班に分かれる。ボランティアの班は午前7時50分に支援機構へ。我々は10時前にとある保育園に。google mapを頼りながら、線路の下の小便カーブを抜ける。女性の保育士さんに案内をしていただく。最初は子どもたちと遊び(プールに入っており、水をず文かけられた)、その後は奥に通され保育園の歴史や考えについて。もらった保護者用の資料には、保育園の軸となる考えの二つ目に「多文化共生と保育」という言葉があり、若干驚く。前園長が2000年代に作った資料で書いたそうだ。その当時から外国籍の子どもが一定数西成にはいたということである。今回も、何人か外国籍の子どもがおり、色々と考えることがあった。最後に園長の方と話すことができた。園長が音頭をとって、釜ヶ崎で生じる社会問題について、自分たちでどのように解決、予防できるかについて話し合う「社会問題研究会」という(ご本人は偉そうな名前とおっしゃっていたが)、とても重要な勉強会をされていることをしった。月に一回、4、5年前から始めて、次回で60回目を迎えるという。社会学関係者の名前もちらほら。この後にも感じるところですが、社会学者はこんなところにも役割が見出せるのだなと勉強になった。

2時間ほど滞在させていただき、そのあとは新世界で串カツ(子どもたちが急所を食べている姿を見てお腹が空いてしまった)。1700円程度の出費。コンビニでレッドブルを買って、釜芸(釜ヶ崎芸術大学)に。ココルームでは月に一回、無料の芸術ワークショップを開いている。今回は文字デザイナーの高橋善丸(大阪芸術大学)さんを講師に、書体についての回。先生から、三種類の書体についてのアイデアを最初に教えられる。一つ目はもとある漢字を読みに近づける、ことで、例えば球という感じの王の部分に`をつけてみたりすること。二つ目は新しい感じを作ること。三つ目は漢字を使ってイメージを表現すること。生徒(地元の人も含めて)は紙に漢字を書いたり、毛筆で書いたり、試行錯誤すること1時間、多様な作品ができあがった。個人個人が作品の意味や意図を語り、終了。

少し休憩して、ココルーム代表の上田さんにお話いただく。ご本人が実は「アート」という言葉にあまり良い感覚を持たれていないのが印象的だった。話は、アートって定義できるのか、定義できるとしても学校でその定義について教わるのか、という流れにも。確かに、アートと言われると何か想像することはできても、人によって何が意味されるかは異なるかもしれない。ご本人はそうした曖昧な言葉を使って、釜ヶ崎とそれ以外の人とのであいの場を提供するココルームの活動を表現したくないという意図が読み取れた。上田さんは、ここで出会ってもらうためにゲストハウスをつくる。泊まってもらえる、そうすることで、釜ヶ崎のおじさんと出会えれば何か、もしかしたら嫌な記憶になるかもしれないが、とにかく出会うことに繋がるといいなと考えていることが示唆された。もちろん、この見方はともすると釜ヶ崎の男性が孤独な状態にあることを前提にしているが、そのあとの質疑で、釜ヶ崎を何かの場所ではなく、状況とみなせば、釜ヶ崎的な状況にある人は釜ヶ崎外にもいるだろうし、ある意味では、釜ヶ崎はそうした状態にある人が集団として目立つため、福祉が街の基盤になっているだろうとのこと。上田さんが繰り返した「蓋をされたまま孤立している」という言葉が印象に残った。

終了後、再び新世界で夕食。食べ過ぎる。帰宅して洗濯。というのも、保育園で園児の一人にクレヨンで服を攻撃されたため。同じく被害を受けた同行者が洗剤を買っており、借りる。

3日目。午前中は水野阿修羅さんからのお話を伺う。昼ごはんは二手に分かれる。こちらは定食屋。カツカレーを食べる。初めてしっかり話した同行者が映画好きであることを知る。今年は映画好きの人と知り合うことが多い。そのあと、ひと花センターにて詩のワークショップ。当日の様子は報告書に詳しくまとめている。終了後、反省会。夜は再び串カツ。

4日目。予定より早く起きて再び反省会。釜ヶ崎の動的に見る視点。10時過ぎに解散。すぐに新幹線に乗り、1時過ぎに到着。2時前の電車に乗り、水戸へ。


August 21, 2017

memo

please do not citeとありますが、ブログにメモするくらいはいいでしょうか。以下のパラグラフが示唆的だったので。


"A central motivation of this study was to shed light on the potential for increase in currently uncommon family behaviors such as cohabitation and non-marital fertility. The fact that premarital pregnancy does not appear to be part of the conventional path to family formation suggests does not provide us with any reason to expect rapid spread of cohabitation and nonmarital fertility. Our results do, however, suggest that increasing heterogeneity in the family formation process may lead to growth in other non-normative patterns to family formation among subgroups of the population – especially the less educated and those who begin sexual relations at young ages. This is a marked departure from the very homogenous family life course that characterized Japan until recently (Brinton 1992). This increasing heterogeneity in patterns of family formation has potentially important implications for subsequent family outcomes such as divorce and for social stratification."

From Raymo and Iwasawa (2004)
Premarital Pregnancy and Spouse Pairing Patterns in Japan. PAA2004.

August 17, 2017

8月17日

寝坊、カレーを食べる。大学へ行き、某研究会の作業。あと英語の勉強と裁断、文献の注文。

日本の性別職域分離の研究、あるようで意外とない。来学期の授業の課題で分析する予定なので、文献をサーベイしてみた。

統合される男女の職場 (双書・ジェンダー分析) 首藤 若菜 https://www.amazon.co.jp/dp/4326648597/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_IZCLzb278JDY0
事例研究の色が濃そうな気配はするが日本語でまとまった本はこれかな。注文してみた。

あとは法政大学の西川先生がOxfordの博士論文として提出したのが体系的にまとまってそうな雰囲気(未読)。
ウェブから落とせる(の割に引用数少ない)。
Occupational sex segregation : a comparative study between Britain and Japan
http://ethos.bl.uk/OrderDetails.do?uin=uk.bl.ethos.359953

おそらく日本で性別職域分離の研究があまり注目されないのは、男女の賃金格差を説明するものが、職域ではなく雇用形態による部分が大きいからだろうと思う。

August 16, 2017

多重生命表について

午前中は勉強会。Preston et al.(2001)の生命表と多重生命表の章を読む。個人的にこの勉強会をしているのは多重生命表が読めるようになりたいからだったので、大方の目標は達成されたことになる。

何が読みたかったかというと、(そもそも多重生命表を用いた論文として死亡に関心がない自分はこれくらいしか知らないのだが)、社人研の岩澤さんの論文。

岩澤美帆「失われた結婚,増大する結婚 : 初婚タイプ別初婚表を用いた1970年代以降の未婚化と初婚構造の分析」
www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19823101.pdf

多重生命表を応用して、どのタイプの結婚が増え、減っているのか(見合いかどうか、親と同居するのか、同棲してからかどうか、相手の学歴や年齢はどうかなど)を分析している。人口動態調査で1935年から15-49歳までの初婚数がわかるため、1985年まではコーホート年齢別結婚率mを期間の年齢別未婚人口分の同期間に発生した初婚数で近似的に求め、1985年以降については人口動態調査を用いたコーホートの年齢別初婚率から近似させているようだった。

今回の勉強会で懸念にあがったインターバル中にイベントを経験する人のperson-year(a)の求め方については簡便のためn/2(5年インターバルなので2.5年)になっています。これは、一番シンプルな方法で、どうなのだろうか。死亡は色々と借りられるものがあるようだが、結婚については少ないのかもしれない。この辺り勉強会をしなかったら気にならなかっただろう。

分析は記述的ながら面白いのだが、結婚の「多重化」をする際に、出生動向を使って分布出してるところが気になる。というのも、サンプリング調査を用いているのに誤差を考慮しなくていいのだろうか。やはり、ブートストラップとかを使えばいいのでしょうか。

それと、例えば学歴同類婚が減っているというのは、学歴分布の変化自体にも影響を受けていて、それを生命表は考慮できないので、あくまで記述的な方法かなと思った。

August 15, 2017

8月14-15日

14日
10時前に大学へ。投稿論文を仕上げ送付。推薦書の依頼。勧められた論文を読む。人口学勉強会のレジュメ、もう一つ別のレジュメを作り、それを手にして研究会へ。帰宅してコードブルー。

15日
日曜に帰ってきて、そこから若干忙しかった。
朝はカレー、今日は昼にひよっこを見て大学に行こうかと思ったが、雨。昼カレー。止む気配がしないので家で作業。仲介業務を済ませ、結局地下鉄で大学へ。

共著論文を済ませ、進捗を投げる。祭壇を済ませ帰宅。夜カレー。

August 8, 2017

8月8日

今日も寝坊、お昼のひよっこをみて大学へ。申請書作りがメイン。裁断と勉強会のレジュメ作りも。帰宅後、英語の勉強。だんだんと調子を取り戻して来たというか、ここまで来たら頑張るしかないなと思えるようになって来た。ようやく。

August 7, 2017

8月5-7日

5日
朝は少し寝坊(一応ひよっこはみた)、ご飯は食べずにルオーへ。
文科省の役人やっている駒場の同クラと朝カレー。寮の後輩を紹介するためだったが、図らずも官僚として、こういう研究があったらいい、という旨を言われて勉強になった。政策の議論をする時に、現場の人から話を聞くことは大事だと思う。簡単に言えば政策効果の話。

研究会の用意をして、弥生へ。コメントをもらう。終了後、寮の夏祭りへ。だいたい三十人程度きたかな。まずます、企画係の人には感謝。マイクロキメリズムの研究をしている人と話す機会があり、面白かった。免疫的に別個の個体(胎児)の細胞が母親の体内に数十年にわたり残り続けて、疾患との関連も可能性としてはあるらしい。

その後、若干引かれながら院生室で作業。生活リズムが崩れる。途中で、NRCが2006年におこなった大学院ランキング調査のエクセルファイルを見つけてしまい、かなり興奮してしまった。

6日
裁断を済ませて、ひたすら申請書を書く。偶然にも、社会学部構想が1960年代にあったらしい。

1953年 大学院規則により社会科学研究科が発足(法・経・社・国関・農経の5専修課程)
1963年 法と経済の2つがそれぞれ法研と経済学研究科を設立、残る3つは社会学研究科に
1965年 生物系研究科から文化人類学が加わる
1966年 研究科内の委員会の審議から「社会学部」建設案が総長に提出される
1967年 「本学における社会学の研究体制」懇談会が設けられる
→東大紛争の混乱の中、立ち消えに

この「社会学部」建設案には社会学研究科から社会学専修課程(A)と文化人類学が含まれているが、講座編成の計画案をみると5つの共通講座に加えて社会学科(12講座)、文化人類学科(11講座)、情報科学科(8講座)、社会政策学科(10講座)の計46講座からなっていて、本格的。

夕食はfjtさんと兆徳。チャーハンと餃子。帰宅後、RC28のプログラムを見る。

7日
寝坊、今日は早く寝るという思いで、大学へ。コピー用紙を運び、成績証明書を出し、申請書。途中でトナー交換、昼にうどん。共著の作業や事務作業など。

August 4, 2017

8月4日

疲れ気味だったので10時前に起床、洗濯と料理を済ませて、昼の朝ドラ。肉じゃがうまくできた。ところが本日は災難続き。まず、昨日パンクした自転車を店に持って言ったところ、サイズが合うタイヤが在庫切れ、仕方なく近隣店舗から取り寄せてもらうことにし、電車で大学へ。共著論文の分析と資料を作成して、7時過ぎに店に戻る。無事回収し、帰宅するが鍵がない。事の顛末としては、大学におき忘れていた。自転車に乗らなかったために生じた事態だった(家の鍵と自転車の鍵は同じリングにかけているので)。


August 3, 2017

8月3日

起床後、朝ドラ。あまり眠れなかったので、10時前まで寝てしまう。ここ連日外食のため、自炊ができておらず、朝ごはんは吉野家。こうやって外食が外食の連鎖を生む。

朝はしばらく滞っていた共著論文の作業。1時から発音教室。5時過ぎに終わり、先輩と今日で閉まる中央食堂へ。赤門ラーメンをいっぱい。研究室にもどり申請書を進める。いつのまにか遅くなって、帰宅。

August 2, 2017

8月2日

日本経済学会連合の担当の方から連絡があり、所属する日本人口学会の推薦を通じて、10月にケープタウンで開催されるIUSSP(国際人口学会)参加のための補助を連合からいただけることになった。渡航費に目処がついてよかったです、頑張ります。

起床後朝ドラ。よく眠れたので早めに学校へ。パンで朝食。人口学の勉強会を始める。意外と盛り上がったので今後が楽しみ。この日はオープンキャンパスらしく、人通りがすごくて食堂もいっぱいだった、仕方なく中華料理屋で餃子をテイクアウトし、1時からの授業へ。終了後、すぐ自転車で駒場へ。勉強会終了後、蕎麦屋で夕食。帰宅して作業。就寝。

July 31, 2017

7月30-31日

久しぶりによく眠れて、7時前に起床。10時前に家に向かい、母と弟はサッカーのため学校へ。すぐホームセンターと家電量販店のトラックが来て、ダイニングテーブルやソファ、冷蔵庫などの取り付け。その後、一人でカーテンと電球をつける作業。疲れて、ラジオを聴きながらうとうとしていると、今度はエアコン業者がくる。取り付け終わって、一人でいると母が帰ってくる。お昼を食べて、車の荷物を運ぶ。その後、母は弟を迎えに家を出る。再び一人で作業。こんな1日で、新居と実家を何往復したことか。夜はトンQ、ざるどうふが本当に美味しかった。

31日、午前中に帰郷、10時から論文。お昼は織恩で、ひよっこをみながら。今週から急展開で見逃せない。戻って再び作業。疲れて気分転換にスタバに行ったり、自転車掃除したり、その時に後輩に会って、色々話を聞く。

早めに帰宅して、カップ焼きそば、風呂、そしてコードブルー。

データの再現性について(88888888888問題)

と書くほどのことでもないのですが、友人から経済学者に社会学者の論文が叩かれているという話を聞いて、中身をみてみました。

どうやら、ASRに2009年に載った論文が、ちょっととんでもないミスをして、同じデータで再分析した人がASRの最新号で、再現性について疑義を呈したコメントを行い、元論文の著者からリプライが来たようです。

当の論文の執筆者はメリーランド大学(出版当時はイリノイ州立大学シカゴ校)のCedric Herring氏。Herring氏は職場の多様性(ジェンダー、人種etc.)と企業のパフォーマンスの関係について長く研究をされており、今回議論に上がった論文は、社会学のフラッグシップ・ジャーナルであるASRに掲載された、同様の趣旨のもの。

Does Diversity Pay?: Race, Gender, and the Business Case for Diversity

この論文では、企業の収益に関するデータを用いて、「多様性のある企業では収益が高い」ことを計量分析によって示しています。当論文のインパクトは小さくなく、google scholarでの引用回数は537回となっており、ASRに掲載されている論文の中でも、比較的引用回数が多いものと考えられます。

しかし、ASR最新号において、アムステルダム大学の3人(Dragana Stojmenovska, Thijs Bol, and Thomas Leopold)がHerring氏と同じデータを用いて論文の分析結果に疑義を呈しています。

Does Diversity Pay? A Replication of Herring (2009)

3人がいくら分析しても、Herring氏の出した回帰分析のモデルとはサンプルサイズが合わないらしい。というのも、Herringでは収益の無回答ケースの欠損値(88,888,888,888)と顧客数の欠損値(888,888)をそのまま入れてたというオチ(!)。

その他にも、3人はデータのハンドリングのミスについて、複数の可能性を指摘していますが、Herring自身のリプライでは上記の無回答ケースのミスのみが認められています。

Is diversity still a Good thing?

さて、だんだんとヤバい臭いがしてきました。ちなみに3人の分析では、同じデータを用いて適切に欠損値処理が行われており、この分析結果によると、Herringが2009年の論文で示した8つの仮説のうち「7つ」が支持されないということです。

Herringはこのミスを認め(ちなみに、元論文では片側検定の結果を示していたらしい)、さらには欠損値について多重代入法を用いた上で再分析をしており、2017年のリプライ論文ではこの結果を示しています。その上で、いくつかの仮説は(統計的有意性はかなり微妙なものも散見されるが)支持されるとしています。

友人に教えられた経済学関係者が集うフォーラムの掲示板では、一連の問題から、社会学に対する批判が乱発しています。

個人的にはこの問題、ASR側がreplication用のデータやコードの提供を要求していなかったために生じたのではないかと考えます(+査読者がヌルかった)。おそらく、ASRでは何処かのタイミングで、分析用のデータ提供を求めるようになったのではないかと思います(と思ったがガイドラインを見る限りその手の記述は見当たらない)。

この手のミスが、この(replication用のシンタックスやコードの提供をするのが当たり前になりつつある)タイミングで指摘されたことが、経済学者からは社会学者の計量分析は遅れているというイメージを与えることになったのかもしれません。ただ、社会学の国際誌ではデータの再現性を重視して、データや分析に用いたコードの提供を求めるものも増えているのではないかと思います。

論文で犯されたミスにかなりインパクトがあるため(日本のデータではdon't know系の欠損値は9や99、非該当が8や88に振られます。そのあたり、海外のデータではどうなっているか分かりませんが、仮にDKに8や88が振られることはあるとしても、88,888,888,888というのには爆笑してしまいます)、今後、データの再現性を訴える時の例として用いられるかもしれません。

July 29, 2017

7月29日

引越し作業と祖母の見舞い。まず、10時前に家を出て新居へ。車で10分もないくらいの近所なのが救い。荷物を搬入。その後、常陸大宮まで行って病院へ。今日の祖母は少し元気がなかった。一応リハビリを終えて、一息つくと「賑やかなこと」と一言、つまりうるさいということだ、祖母らしい発言。昼食をたべるるのを見届けて帰宅。

その後二回搬入。なかなか面倒な作業で、衣装ケースの一部が二階に入らなかった(意外と二階の個室のドアの幅が狭い)。シーリングをつけて、くれになっても作業できるようにする。最後に、扇風機を取り付け。明日は新しい家電と家具が一通り届く予定。

July 28, 2017

7月28日

8時おき、ただし寝落ち気味だった。昨日は代表者会議が終わった後、作業をしようと思ったが電気をつけたまま寝てしまった。昨日に引き続き若干の頭痛(昨日は本当にひどくて作業ができなかった)。

二日連続のひよっこ。だんだん、みね子ほか登場人物が近しい親戚のように思えてくる。昼食を調理して、学校へ。9時半到着。その後、奨学金の資料を準備、郵送までやり遂げる。

12時過ぎに出発し、霞ヶ関へ、共著の友人が報告するということで、某研究会に誘われた。そういう流れだったので中身についてはよくわからなかったが、人口学を勉強したことのない自分にはわからないことが多く、勉強の必要性を感じた。

終了後、東京駅に向かって、帰省。明日から引越し。4月以降、ほぼ隔週に一度は帰ることになり、「意外とできるな」という感覚。実際、家族と触れ合った方が元気が出るし、昔は一人暮らしが楽しくてしょうがなかったけど、広い部屋で、家族と話すことでずいぶん気持ちが軽くなると感じることも増えた。ただ、この感覚は毎日過ごしているとまた違って来るのかもしれない。これくらいの頻度がいいのかな。

July 23, 2017

7月23日

朝6時に大学へ。鍵が見当たらないがなんとかなる。やった作業としては、共著論文の分析を進め、地熱も進め、水曜の研究会の資料を作り、寝て()、月末締め切りの資料のための分析などをした。昼は弁当、夜はねむる。おおよそキャッチアップはできた感。

July 22, 2017

ArcGIS memo(ポリゴンの面積計算)

基本的には以下のページに従う
https://www.gislounge.com/calculating-polygon-area-in-arcmap/

面積計算は座標系をprojected coordinate system (PCS)に合わせる必要がある。日本のデータの場合、平面直角座標系第9系を選択。座標系の変更は、データ管理ツール→投影変換と座標変換→投影変換で行う。

July 19, 2017

7月19日

9時半起床、11時学校着。弁当を作っていたおかげで外に出ず済む。3時まではゼミの用意。結果が徐々に微妙になり、コメントのクリティカルだった。
終了後、少し休憩して採点など。結局12時くらいまで人口学の教科書のレジュメを作っていた。勉強にはなるが、数学力の無さが足を引っ張る。圧倒的に微積分の力が必要。

July 18, 2017

7月18日

7時前に起床、早朝に水戸を出る。10時ごろに研究室到着。勉強会は開催できず。
空いた時間を使って経済学図書館に複写。そのあと、メーリス作成、論文修正投稿、課題添削。15:30まで共著のアウトライン作成。18時まで論文修正。帰宅してゴーヤチャンプルーとスパニッシュオムレツ(卵とジャガイモを使いたかった)。休憩して、共著論文。

人口学勉強会(PrestonのDemographyを淡々と読む会)のお知らせ

有志数名でアメリカの社会学・人口学教育において定番教科書として用いられるPrestonのDemographyを淡々と読む勉強会を開きます。
特にこの本を読んで新しい分析ができるようになるかはわかりませんが、形式(数理)人口学の知識を身につけて人口学の論文を広く読めるようになることを目的とします。
第一回は、8月2日(水)午前10時半~12時の予定で行いますので、関心ある方はご連絡ください。
購読文献:Preston, Samuel, Patrick Heuveline, Michel Guillot, 2000, Demography: Measuring and Modeling Population Processes. Wiley. Chapter 1-2. 
http://as.wiley.com/WileyCDA/WileyTitle/productCd-1557864519.html
(副読本として和田光平,2015,『人口統計学の理論と推計への応用』オーム社)

July 15, 2017

7月15日

家族問題研究学会シンポジウムにて。報告内容自体は後日文字になると思うので、終盤あった一幕について。

今日のシンポにて、千田先生のコメントへのリプライの中で、加藤先生がお子さんは何人ですかと聞いたことに対して、聴衆の賀茂先生がそれはハラスメントではないかと諭す側面があった(文脈なさすぎて何言ってるかという感じかもしれない)。

その後すぐ加藤先生が対応しなかったこともあり、他の聴衆の先生からも(半ばヤジのような勢いで、※私個人の印象)同じような指摘があった。

これだけ書くと、色々と誤解を生むような気がするけど、思った点を二つだけ。

1点目。ハラスメントではないかと言うことは、場を圧倒し、沈黙させる力がある。突如として先の行為に責められるべき理由があるという合意が作られ、共有されていくのは少し異様な風景だった。

個人的には僕はそれはハラスメントではないか言うことに加え、先生にその発言の意図を聞くべきだろうと思った。そして、本来であれば発言を求められた千田先生自身の思いが重要なのではないかと思った(後述するように、先生は私は大丈夫なのですがと大人の対応)。

2点目。そのあと懇親会で加藤先生と話して、恐らく先生は、公的な問題に対して研究者が何らかの立場を取る場合、その問題に関する自身の状況を棚上げすることはできないという考えを持っているのではないかと思った。

千田先生自身は大人の対応をしたし、シンポは終盤、若干気まずい雰囲気になったけど、なんとか終了。色々と対応のまずさがあり、本来すべきだった議論ができなかったかもしれないのは残念だった。

若干もやもやするのは、社会学は公的な問題に対する立場を形成する背景の一つとして、個人の私的状況の影響を重く見積もっていると思っていたのだが、それを(確かに、聞き方は悪かったが)ハラスメントなのではないかという(有無を言わさない威圧的調子で)匿名的に消し去るのってどうなのだろうかという。。。

July 11, 2017

7月11日

一年ももう半分終わってるんですよねえ。
朝まで魔女の宅急便を見てしまい、起床は12時。2時前に大学について、レジュメ作りと申請書。fjtさんと夕食をとり、そのあとまた申請書。帰宅前にコンビニに寄ってヨーグルト購入。食べながら明日の予定を考える。明日の論文ももう一度読む。

July 10, 2017

7月10日

やはり人は寝るべきだということを感じる。今日から時間単位でスケジュール決めて、できるだけそれに従うべく動く。午前中に申請書、及び共著論文、事務にて成績受け取り。

昼はmgさんとそば。昼食後若干作業して手伝い。無事一学期終了。色々と教授法を「盗む」ことができた。

終わってから、再び作業。そのあと映画。

メアリと魔女の花。序盤から中盤にかけての展開に、んー、という感じ。ピーターの家庭のこととか、もう少し描けなかったのかなあ。構図的には耳をすませばとかなり似ているのだけど、「耳すま」の方は天沢と親しくなることで物語が展開していったのに対し、今回はピーターが出てきて森に迷うまでは唐突というか、急ぎすぎている印象を持った。

もちろん、ジブリではないのだけど、でも一方でジブリの影を見ざる得ない。キャッチフレーズも「魔女、ふたたび」なんですよね。間違いなく魔女の宅急便のこと(ジブリは魔女の宅急便から成長し始めたので、縁起を担いだ説もある)。個人的には、「再び」ではなく「新しい」に類する言葉を入れて欲しかった。「魔法がなくても大丈夫」は、文脈考えるとジブリから旅立つ二人の若き監督とプロデューサーのメッセージと受け取るざるを得ないのだけど、であれば、新しい魔女の物語を紡ぐ意気込みが欲しかった。

ひょんなことがきっかけで異世界に入る構図も、千と千尋を重ねてしまう。「メアリ」には、この異世界に入るまでの流れに厚さがなかったのが少し気になったという感じ。全体として急ぎすぎているのか、とはいえ尺を長くしろという話でもないのだが。。。

最後に、やはり「魔法がなくても大丈夫」というメッセージから導かれる普遍性は、少し薄い。それはどうしても二人の独立してから初の長編を通じて、「ジブリから独立するんだ」という意気込みを感じ取ってしまうからであり、逆にいえば見る側にとって何が「大丈夫」なのかが伝わってこない。

もちろん、二人があえて「僕らは独立します、大丈夫です」というメッセージをおそらく意図して伝えているのだろうと思うし、スタジオポノックのデビュー作という位置付けとしてみるのがいいのかもしれない。どうしても余計なくらい背景的なことを読み取ってしまうので、逆にジブリの作品を知らない人が「メアリ」を見た感想が知りたい。

ジブリの魔法から二人はすでに解かれているのかもしれないが、見ている側にかけられている魔法が解けるには、まだ時間がかかるのだろう。それは、ポノックがいくつも作品を出すことによって、時間はかかるかもしれないけど、成し遂げられることだと思う。ポノックのスタートをリアルタイムで観察することができてよかったと思える時が来るといい。



July 9, 2017

7月9日

こうやってダラダラ過ごしていると人生終わっちゃいますね。もう少し計画的にいきたい。

午前10時から寮の掃除のボランティア。朝から人と話せるのは意外と貴重だったりする。
終了後、朝昼ご飯。クスクスにカレーパウダーかけて、ジャガイモ、パプリカと炒める。なんとなくチャーハン風。

一応大学に行って、論文を書き始める。ただ、今日は頭痛でイマイチ。本当はやるyんべきこともできず。難しい、優先順位をつけたい。




July 3, 2017

savファイルをStataで読み込む方法

いくつかあるのでメモとしてまとめておきます。

1. stat/transferを用いる→有料なので諦める。

2. Stataのusespssを使う

個人的にはこれが一番楽な気がしますが、2017年7月現在Stataのversion 12までしか対応してなさそう(あとwindowsのみ)。新しいヴァージョンを持っている人には現実的な選択肢ではありません。
https://ideas.repec.org/c/boc/bocode/s456957.html

コマンド例:usespss using C:/Users/hogehoge/Downloads/hogehoge/hogehoge.sav, clear

3. Rのread.savを使う。

おそらく、csv形式にエクスポートしたものをStata上でインポートすることになると思います。

コマンド例:
library(foreign)
path <- "/Users/hogehoge/Downloads"
DAT <- read.spss(file.path(path, 'hogehoge.sav'), to.data.frame=TRUE, use.value.labels=FALSE)

その後、Stata上で以下のようにして読み込む。
import delimited "/Users/hogehoge/Desktop/hogehoge/hogehoge.csv", clear

4. PSPPを用いる。
SPSSの環境を真似たフリーソフトPSPPというのがあるので、これを使ってsavを読み込み、csvか何かに保存することもできそう。
あるいは、ウェブにcsvへ書き換えるコンバーターがあります(http://pspp.benpfaff.org/)。

この辺りの話はstataのスレにも上がっています。

7月2-3日

弟がサッカーの遠征で千葉まで行くことから、早起き。自分もつられて5時前に起きてしまう。父と弟を見送って、はじめに祖父の墓参り。そのあと、祖母の病院に。最初はずいぶん調子よく、墓参りしてきたよといったらありがとうと返したりしてくれたのだが、そのあとは寝たふりというか、なんというか。リハビリもこれ以上上がることはないと判断されたのか、9月退院ということになった。

常陸大宮から、笠間へ。今度は第二子を出産した従姉妹のもとへ。新生児を抱くなんてことは初めてだったので、緊張。叔母も交えてファミレスで昼食をとり、水戸に戻る。といっても帰宅ではなくホームセンターなり家電量販店なりで、今度は引越しの用意。

疲れて戻ってくると一眠り。しばらくして起きて、叔母が持ってきてくれたプラムにかぶりつく。


夕食を済ませ、今度は就寝。

8時半過ぎに寝たので、2時半ごろに起床。3時にデニーズ。作業を済ませ、帰宅。雨が降っていた。着替えを済ませ、水戸駅へ。母と弟に送ってもらい、電車。

東京駅について、ジメジメとした空気に嫌気がさす。すぐさま研究室に戻り、作業。


July 1, 2017

7月1日

目処が立ったような立ってないようなこの頃です。

6月30日(金)
起床後大学へ、共著論文の分析を進め、Elsterのレジュメづくり、もう一つの共著、リーディングの日程調整、課題へのリプライ、回答作成などなど。食べる気にもなれないので、夕食はグラノーラのスティック。明け方まで院生室で作業して、一旦帰宅。洗濯を済ませて、ゴミを捨て、キッチンを掃除。シャワー浴びてその足で大学へ。およそ午前10時、といつのまにか7月に。

忙しい分、3ー4月の鬱々しい気分からは意外とあっさり脱却できた。今後の課題は、自分の研究を納得できる形で進められることかなと思う。バランスよく、頑張りたい。

June 16, 2017

6月16日

早稲田のアジアムスリム研究会に参加。賽漢卓娜先生の講演を聞いてきた。在留資格などの問題から、たとえ本国で学歴や資格を身につけて日本に来ても、それが活かされないまま日本人男性と結婚した外国人女性の事例を紹介しながら、国際結婚カップルに潜む近代家族性を指摘されてて面白かった。

終了後帰省、購入することになった家を少し見て来た。明日は下見とローンの話。

June 15, 2017

6月15日

諸事情で共著を5本抱えていて、たまに頭がこんがらがる。今日は4時半に友人と渋谷でミーティングした後、共著者と話し合いだった。帰宅後、寮のミーティングにも参加。読む人と書く人がいるとすれば、圧倒的に後者に入ってしまう。陰性としてそれが適切なのかはわからない。書きながら学べると言えばそれまでだけど、もう少しゆっくり勉強したい気もする。

June 14, 2017

PrestonのDemographyを淡々と読む会

諸般の事情で、人口学の勉強をしたいと考えているのですが、一人では全くやる気が起きませんし、なにより東大には人口学を勉強できる授業はほとんどありません。

というわけで、アメリカの人口学の定番教科書になっているPrestonのdemographyを読み進める勉強会をやりたいと考えているのですが、いかがでしょうか。おそらく、これを読んでも業績が詰めるわけではありませんが、人口学会にいくと何をやっているのか理解がしやすくなるのではないかと思います。

頻度は隔週、分量は1回2-3章、日時は月曜から火曜の午前から昼を想定していますが、柔軟に対応いたします。関心がある方は何らかの手段でご連絡ください。

June 13, 2017

6月13日

起きて論文を執筆。16時ごろに大学へ行き論文を読むが集中できず。18時になる頃に休憩。18時半から20時まで韓国語。そのあと、夕食をとって地熱の作業、一つエラーを解決し、新しい変数を二つ作る。帰宅後、共著論文の作業を終える。疲れてグウの音も出ない。

June 12, 2017

6月12日

いつの間にやら10日近く経ってしまった。本当に怖い。

人口学会明けで疲れて11時間ほど寝てしまい、起床して論文や本を読む。伝記(マルサス)なんかも面白いが、そんな時間があるなら英語を勉強しなくては。

お昼はファイト餃子にして、午後から授業。お手伝い終えて、問題作り(およそ5時間ほどunpaid work)。その後、企画書を作成、Rのエラーを見つけて、論文を書く。1時間半は、論文のコピーとスキャンで終わる。

June 3, 2017

6月3日

一瞬忙しくなり日記の更新が滞っていた。今日は科研の研究会があり、久しぶりに色々な人と話して刺激になったので、少し書いておく。

研究とお金は切っても切り離せない関係にあるが、どこまで切り離せないかは文脈による。研究科全体として予算獲得額を増やしていこうという価値観が支持される場合もあれあ、文学部的な価値観では「お金で買えないものがある(だから無理してお金をもらえなくても大丈夫)」となることもあるかもしれない。

お金がらみだと、研究を「売る」ということも、研究者の(必須ではないが)重要な仕事の一つだろう。取ってくることが重要な予算とは異なり、「売る」には「誰に」が付随してくる。例えば、本にして「売る」場合には、想定する読者はどのような人たちなのか、あらかじめ考えておく必要があるだろう。査読付きとしても十分なクオリティを目指すアカデミックなものにするのか、それとも質は若干落ちるけれども、一般の人にわかりやすいような方向性を目指すのか。

予算(研究費)にしても「売る」にしても、あったほうが、あるいはできたほうが良いだろうが、研究者には必須ではないかもしれない。極論すれば、給料から自分の分野に関する本を買って、それを読んで論文を書くこともできなくはない(かけるトピックはかなり減りそうだが)。

できた方が良いだろうが、全ての人ができるわけではない。世の中には、お金を取ってくるのが上手い人というのが一定数いる。同様に、研究を「売る」ことが上手い人もいる。個人的な感覚になるが、前者的なうまさを持っている研究者は知っているつもりだったが、後者的なうまさを持っている人は、なかなか周りにいなかった。一般受けする本よりも、査読付き論文、という文化の中で育っているからかもしれない。

今日、(もともと挨拶とかはしていたが)初めてちゃんと話した先生は、「売る」ことに長けていると思った。もっというと、自分(たち)の研究をどう売るかに関するプロデュース能力に長けていた。人を口説き落とすことに長ける人の、上手い技術の一端を見た1日だった。

May 21, 2017

5月17-21日

17日
あまり寝られず、8時に起床、朝ドラを見て、ご飯を炊き朝食を作る。またしてもスパニッシュオムレツを作ってしまう。その後、ゼミ、こくわで昼食をとりまたゼミ。読書会の部屋をとったり、地熱の関連の仕事をしたり。

18日
ぐっすり寝てしまい遅くに起床。のろのろ朝食を作ってから、待ち合わせの時間に遅れていたことに気づいてしまう。急いで大学に行って、UPの時に会った友人と昼食をとりながら近況について話す。終了後院生室に戻り、作業。社研図書館から某社の社史を借りて来て、しばらく読み込む。残りは論文の改稿など。帰宅する頃に量の仕事が入って、その足で合流。話し合いを済ませ、部屋に戻って結婚式関係の仕事などを済ませる。

19日(金曜日)
前日にしっかり寝てしまい、逆にねれず起床は9時過ぎ。余っていた豚肉を処理するために肉そばを作っていると、いつの間にか10時前になる。急いで準備をして、大塚駅へ。駒場について、保健センターの整形外科の受付に行く。周りはスポーツをしてけがをしたという感じの人が二人、一方自分はといえば3ヶ月前から来る肩の違和感。頚椎が不味くなっているという診断ではなく、場所から重い肩こりということだった。なぜ右と左で痛みが違うんでしょうかと聞くと、目も均一に悪くなるわけではないでしょうと返される。一応薬をもらって、1200円程度で済んだ(相変わらず思うが、保健センターは本当に安い、保険証がないのだから、いくらカバーしてくれてるんだろうか)。

診察が終わった後、書籍部を見て教養学部報をとり、叔母にお土産を買って渋谷へ。ESTで卓球を1時間ちょっと。終了後別れ、自宅に戻ってすぐ帰省の用意を済ませ、上野駅へ。駅ナカの洋菓子店でケーキを買って特急に乗る。

電車の中で一眠りして、水戸駅について歩きで病院へ。今日の祖母は言葉を発することはなかったが、一生懸命痒そうなところを自分でかいていた。帰宅後、母の50歳の誕生日を家族で祝う。いつもより遅くまで起きてたので、父は弟と寝てしまい、最後は母と久しぶりに二人でNHKのドラマを見ていた。

20日
早くに寝られたので7時半に起床。朝ドラを見ながら朝食を済ませ、新聞を見ながら弟の宿題につきそう。10時前に家を出て、弟をサッカーに送る。その後、祖母の家に行き、母と一緒に車を三往復させながら、自宅に仏壇や棚、布団などを車で運んだ。とかくと簡単そうだが、さながら小さな引越しのようなもので、かなり疲れた。
12時半になって弟を迎えに行き、近所のスーパーで昼食をとる。一度帰宅して弟を着替えさせ、母がプールに送りに行く。その間少々昼寝。祖母の家から持って来たものを入れなくてはいけないので、物置にあった自分の荷物を運ぶ。東日本大震災の時の新聞の切り抜きなどが見つかって、懐かしい気分になり、自分の家に持って帰ろうと、いくつか選ぶ。河口に引っ越してから、マンチェスターに行くときに荷物を置いていったのをそのままにしていたらしい。
片付けを済ませた後、プールに行った弟を迎えに行く。その後、病院へ。5時からの面会時間に向かい、祖母を見舞う。途中まで弟はデイルームで遊んでいたのだが、弟がベッドに来て祖母に呼びかけるとハッと眼を開いた。そこから、はいだったり、こちらの呼びかけに対して笑ったりと明らかに反応が改善。子どもの力をすごいと驚くばかりだった。
電車まで時間があったので、自分は一人残り祖母と1時間程度過ごす。弟が刺激になったのか、いつもよりもずいぶん活発的になった祖母に、半分喜び、半分(鼻に入った管を取ろうとするので)苦労しながら、一緒に時間を過ごした。

21日
夕方まで洗濯や部屋の掃除、それとレジュメを済ませて駒場に向かう。1時間ちょっとミーティングを行い、ムスカンで夕食。再び自転車に乗って帰宅。同じユニットの後輩の博士進学に際して抱えている悩みを聞く(風呂で、結果的に長風呂)。その他もろもろ事務作業を済ませる。

May 16, 2017

5月16日

正午に起床...一度8時に起きたのだが、目覚ましを見ると8時15分になっていて「あ、ひよっこ終わった、寝よ。。。」となってしまったのが敗因。

起床後、再びスパニッシュオムレツを作り、12時45分からひよっこの再放送を見る。終わってすぐ皿を洗い、1時05分から坂川くんのハートネットTVのドキュメンタリーを見る。30分という短さなのに、坂川くんの介助の1ヶ月、そして介助を通じて母や家族にインタビューし、重度の障害を持つ家族と一緒に過ごすということは一体どういう営みなのかというのを、印象的に描いてくれていた。彼の動機としては相模原事件を受けて「障害者の家族は不幸」という主張に対して意義を建てたいというところから出発したようなのだが、1ヶ月の介助を通じて彼が出した結論は(明示的に示されているわけではないが)、幸福/不幸の軸で考えること自体に対する疑義なのではないかと思った。そういう意味では、お母さんの言っていた障害者の家族は不幸だと考えさせる社会が悪いというのは、障害を持つ子どもを長年解除しているからこそ出てくる言葉なのかもしれない。もちろん、最初の頃はどうやっても泣き止まなかったり、辛い時期はあったのだと思うし、その時期を覆い隠しているわけではないということも、ドキュメンタリーを通じて伝わってきた。

終了後、感想を本人に伝えたら、「身近な問題に(内容を)置き換えて考えてくれるのが製作者として嬉しい」という旨のことを言われなるほどと思った。自分に障害を持った家族がいなくても、放送を見て他人事とは片付けず、自分の身の回りの状況に重ねて考えることも、ああいった番組の意義なのだろう。僕は祖母のことを考えながら、自分の状況についても考える番組でしたと伝えたのだが、まんまと制作者側の企図に応えてしまったらしい。

そのあと、地熱の分析をして、4時から蕎麦屋でミーティング。終了後、知人の雑誌に寄稿する連載の添削して昼寝して共著論文の手直し。帰宅後夕食を食べ、家族社会学研究をざっと見、届いた新書に目を通す。風呂に入って採点を少しして、日記を書いて明日に備える。


May 15, 2017

5月15日

やたらと〆切のあった1日だった。

月曜日!ということで早起きしてみようとするが、風邪の残りで咳が止まらず、寝たのは5時近くになっていただろうか。必死におきて、ひよっこを見て、朝ごはんにスパニッシュオムレツを作ってみた。

Fumiya Felix Uchikoshiさん(@fumiyau)がシェアした投稿 -

初めてなのでコツも何もないが、オリーブオイルでしっかり玉ねぎとじゃがいもを「煮る」のが重要なのかもしれない。玉ねぎが甘く、じゃがいもがホクホクになっていれば、多少焦げても美味しいだろう。

実家から持って来た炊飯器でご飯も炊いたのだが、あいにくしゃもじを忘れたのでスーパーに買いに行く。ポイントカードの加入手続きが意外と面倒だった。採点などをして、少し寝る。11時過ぎに学校について、報告書や共著論文の改稿、論文の購読など。本を返して複写資料を取りに行き、昼はこくわがたのきまぐれ並。複写資料をスキャンして、読む。いくつか論文執筆に有益となる箇所を見つけられたのでよかった。採点を済ませ4限に。終了後、しばらく寝て、再び論文執筆、提出。帰宅後、申請書を書いて、〆切のブツを終わらせる。買い物に行って、ストレス発散。

帰宅してすぐに叔母から電話があった。取れなかったのでかけ直すと、今日の祖母は随分元気だったということ。一言喋ればいい方だったのに、こちらの呼びかけにはいと答えて、暑いねと言ってみたり。叔母は相当嬉しそうだった。自分もその場にいるかのように、祖母の声が反復される。やはり祖母は誰が来て、何を言ってるかくらいはうっすら分かるのだろうと思う、それをうまく言葉にできないだけなのかもしれない。リハビリのしがいがあると思いたい。

明日は午前中に地熱の作業を終わらせたい。あとは申請書と共著論文、あと英語関連。