February 19, 2016

2/18-19

18日。西瓜の和え物を食べる朝食。十時に大学へ行き、分析。わからないことが幾つかあり、麦さんに相談しながら。こくわがたでささみを食べて、戻り、また分析。基本t系に分析しかしていなかった。芳しくない感じの1日だったが、なんとか夜までには方向修正。夜ご飯はスキップ。

19日。朝ごはんはパスタ。疲れたので自宅で作業。お風呂に二回入ったり。久しぶりに自転車。今週4回目のこくわがた。そのうち3回が冷大HG。研究室で印刷してゼミへ、4時間と長丁場だったが実りある時間だった。原稿について良いコメントをもらったり。終了後院生室に少しいてみんなと話し、帰宅。分析を続け。すこしスライドを進める。夜ご飯はさんまご飯、メールが立て込んでいるので、後で返信する。

18日に妹同然だったいとこに子どもが生まれた。最近よくある、少しひねりを加えた名前。祖母はまだ72歳だが、とうとうひ孫までできてしまった。70歳で初孫というのは珍しくないと思うのだが、そういうのに関してはうちは早い。本当に、時が経つのは早いものである。自分にも、姪みたいな存在ができた。


February 17, 2016

2/17

8時前に目覚めて朝ごはん。確か肉じゃがだったような。。。10時6分に大学へ。メールの処理をして自治体の方の作業から。1970年から2014年までの3000超の自治体の変遷を年単位で追うデータの完成。これは結構いい仕事かなと思う。

11時から、同じゼミのD1の先輩の博論セミナー。終了後、とったメモを文字に起こして先輩に送ったので、結果的に何が議論されたのかよく覚えている。コメントはどれもないように深く関わるもので、自分の研究に対しても考えるところがある議論を見ることができた。

昼食は一緒に聞いてた麦さんの希望でほっともっとの弁当。ご飯を食べて、ログリニアの方へ。来週月曜の報告の準備、あとJAMSのラウンドテーブルの方も兼ねている。夜まで作業して、帰宅後も作業して一通りモデリングは完成、問題点も浮き彫りになってきた。今日の成果を踏まえれば、ひとまず月曜は土下座しないくらいの報告はできるかな。まあ、他の人がすごい発表ばかりだと、僕の報告はケチョンケチョンにされてしまうかもしれない、そこまでは言い過ぎでも、そういう雰囲気の中で研究している。ピアプレッシャーというやつですね。


February 15, 2016

2/16

7:40に朝食を食べ、9時から寮のミーティング。その間に洗濯と乾燥機をすませる。終了後、外出。こくわがたでうどんを食べ、誰もいない研究室へ。換気をしてみた。まず、13時過ぎ前Siwei Chengの2014年にAJSに投稿された論文を簡単に読み、まとめる。

日曜の報告の用意をしながら、時間が過ぎていくと筋トレの時間。痛恨のハーフパンツ忘れ。一通り済ませて、研究室に戻り、四ツ谷へ。

リーディングの同期と先輩一人招いて飲み会。会場はロミーナ。今回で二回目だけどおいしかった。
自分は横の繋がりに恵まれているのかもしれない。研究室の同期とは学部3年の頃からの付き合いで、特徴的なのはプライベートな話はほとんどしない、いつも研究の話ばかりだけど仲がいいこと。ご飯もよく食べる。ただ、研究室の外ではつるまないので飲み会とかもゼミコンパくらいしか行かない。そんなお酒好きな人たちでもないだろうし。リーディングの方は逆に研究の話はほとんどしない。専門が違う人が集まっているという事情が大きいかもしれない。結構プライベートな話もするし、僕はしないけど、周りが近しい人だと話しにくいことも話せる感じ。なので、この二つのサークルで結構いいバランスが保たれているのかもしれないなと思ったりする。たまに合う間柄だからこそ話せることってあると思います。

というわけで筋トレと飲み会がかぶるイレギュラーな日程の中で、あまり勉強はできなかった。電車の中で読んだHallの論文は結構好きな部類に入る、くらいの発見かな。最近、修論のモデルになるような本を読みたいなと思っているけど、単著だとなかなかない。卒論の時は、RosenfeldのThe age of independenceが結構念頭にあった、それと日本の家族社会学の学説史に一応は乗っかりながら議論したりしたけど、修士課程からはより階層論にシフトしているので、またお手本が見つかると嬉しい。近しい人の論文じゃなくて、できれば遠い人の作品の方がモデルにしやすいなと思う。なかなか単著で議論している本ってないんですよね。若い人で、勢いがある感じの著作を読んで勢いをつけたい。


不平等の蓄積過程に関する分析枠組み(途中)

Cheng, Siwei,  2014, "A Life Course Trajectory Framework for Understanding the Intracohort Pattern of Wage Inequality" AJS.


この論文では、一つのコーホート内における賃金の不平等(wage inequality)の要因を解明するための分析枠組みの提示、数学的な定式化、そしてデータに基づく検証を行っている。

筆者によれば、階層研究にとって重要な賃金格差は二つの方向から検討されてきた。
第一が、クロスセクショナルな変化、例えば1950年と2000年の間の賃金格差を比較するもの、第二がコーホート間比較、例えば1990年時点の50年出生コーホートと60年出生コーホートを比較するものである。筆者は、こうした諸研究では、個人の賃金を1時点でしか観察しておらず、ライフコースにわたって賃金がどう変化するのかというプロセスを見落としていたという。この結果として、これまでの研究はコーホート内でどのように不平等が生成されるかという視点に基づく研究が蓄積されてこなかった。

こうした研究の欠落にもかかわらず、コーホート内の不平等を検討することには三つの意義があると筆者は指摘する。第一が社会学的な意義に関するもので、マクロな社会現象が生じさせるミクロなメカニズムの過程が、この研究によって明らかになるという。第二がライフコース研究に対するもので、コーホート内の格差研究は、個人の不平等がライフコースを通じてどのように形成されていくかという経験的知見を提供する。第三が、近年の経済的不安定性の上昇に対する社会的な関心に応えるものである。

DiPrete and Erich (2006)などのように、これまで記述的なアイデアと検証されていない仮説は提示されてきたが、コーホート内の格差を包括的に扱った研究はなかったという。その理由を分析の枠組みの欠如に求める筆者は、以下の三つの要素にコーホート内賃金格差の要因を分解して議論を進める。

第一が、ランダム変化 (Random Variability Property)である。
第二が、移動過程の異質性(Trajectory Heterogeneity Property)である。
第三が、有利さの蓄積(Cumulative Advantage Property)である。

(続く。。。)

2/15

特急の車内で米村先生の「『家』を読む」を1年ぶりに再読していた。ほとんど議論されることのなくなった日本の「家」の解釈をめぐる諸論争を、「家」を肌感覚として理解していない層にもわかるように丁寧に解説してある本。こういう仕事は大切だなと思う。過去の事物とみなされてても、未だに比喩的にでも「家」というのは使われるし、家業を営んでいなくても、何かしらの系譜意識を抱える人もいると思うので、同じ言葉の昔と今のギャップを埋めてくれる本として重宝している。家はその継承が第一目的なので、血縁でつながっているかは問題にならないという理解がされるのですが、今はどうなんでしょうね。印象論としては、家から家族へという流れの中で、ますます血縁が重視されるのかもしれないとは思いますが、そのあたりは詳しく知りません。例えば、ある夫婦が子供を持つという営みは、その核家族単位では夫婦間の意思決定しか入ってこない気がするけど、直接介入することはなくとも、自分の親の視点が夫婦の中に入ってくるとか、そういう時には家族という言葉で囲いきれない継承意識みたいなのもあるのかな、と読みながら思った。

東京に戻って、研究会。友人が若干吠えたが、それが我がゼミ仕様か。休憩後、指導教官と面談。想像していたよりも穏当に終わる。最近、自分の欠点を指摘されてそうですよねと納得してしまうことが多くなる。昔は、ちょっとそれは違うと思うと反抗したものだが、威勢が良くなくなったといえばそういえるかもしれないし、分際をわきまえ始めたのかもしれない。

ロゴスの査読を終えた友人もちょっと荒れ気味だったので、みんなでメトロで夕食。こういう団欒を楽しい気持ちで迎えられるのも久しぶり。たった1日休んだだけで気分が軽くなる不思議。

February 14, 2016

2/13-14

午前中に朝活、という名の愚痴り会。この二週間くらい気分がどん底だった事情を、学部時代からの腐れ縁の友人に相談する。要するに、依存と人を頼ることの峻別をつけなさいということを言われた。なかなか難しい。やはり疲れていたことがわかった。改めて帰省の思いを強くする。久しぶりに黒川食堂(3年ぶり、もしかしたらそれ以上かも)にいって、例のタルタルソースのかかった唐揚げ定食を頬張る。相手と別れて、池の上で忘れ物を回収して、本郷へ。

休日なので比較的静かだったが、後からむぎさんが来て少し話す。月曜に急遽面談が入ることになる。予定通り、6時すぎの電車に乗って水戸へ。きたk

弟は僕と同じ小学校に来年度入学するのだけど、いつの間にか茨城県で二番目に大きな小学校になってしまったようだ。県庁が移転してきて、それに付随してマンションができて、今の時代珍しく人口が増えている地域だろうか。昔(20年前)と違って、連絡網もないし、鉛筆は(最近の子供は力が弱いからという?な理由で)2Bだったり、昔と違って緑の指定ジャージほとんど着なかったり、いろいろ変わっているみたい。当時のものはほとんど捨ててしまったが、それでも机や文房は残っているので、少々節約できそう。

日曜日はその弟と母と買い物に行った後、あいよ寿司。水戸の回転寿司では一番美味しいんじゃないかな、少し高いけど。寒ブリ、ニシン、霧銀釧、白子、〆サバ、真鯛と冬の味覚堪能。食べ終わった後、県庁に行って、綺麗に咲いていた梅の写真を撮ったり、展望台に行ったり。書店でHanakoの最新号を読んで、意外と吉祥寺も知らない店が多いなと思う。

家に戻ったらずいぶん昼寝をしてしまった。やはり疲れていたのだろうと思う。起床後、餃子を夕食に。お風呂に入って、デニーズ。


県庁前の梅

Fumiya Felix Uchikoshiさん(@fumiyau)が投稿した写真 -

February 13, 2016

stataでログリニアモデルを行う時に生じるゼロセル問題

Stataでもglmないしpoissonコマンドを用いればLEMを用いなくともログリニアモデルを行うことができる。
Stataでログリニアモデルを行う時の問題の一つが、ゼロセルを把握できない点である。例えば4x4のクロス表で、ゼロセルが一つあるとすると、StataではNumber of observationsが一つ減ってしまう。

このような問題を解決する手段、自分は今までcsvに変換して空白セルの部分に0.5を代入してのだが、stata上でこの問題を解決できることを知った。

Collapseコマンドで度数を行にしたデータを作成した後に fillinコマンドを使用すれば、欠損したパターンを追加してくれる。

http://www.stata.com/support/faqs/data-management/saving-frequencies-produced-by-tabulate/

こうすることで、わざわざcsvに戻す必要もなくなったのでかなり作業が楽になった。desmatを使用すれば、LEMを使わなくとも、stataで多くのモデリングができる(かもしれない)。

February 12, 2016

2/12(金)

いろいろイレギュラーな1日だった。


起床したのはいつもより10分遅め。昨日はひどく疲れていたが、そのおかげかよく眠れた。いつも朝食ギリギリの時間に起きているので、今日は本当に既の所のところでイン。愚痴を言われながら朝食。

お風呂に長めに浸かったので、大学に着いたのは10時20分。1時間程度改稿して、こくわへ。しかし、臨時休業のため、松田屋に初めて入ってみる。噂の鶏ガラスープはレモンを入れると確かに美味しかったが、麺やその他の具材がいまいちという感じで、もう行くことはなさそう。

戻ってきた後、また改稿進めたり、メール送ったり。自治体の方も進めてみる。文献の複写が来て取りに行ったり、今日は珍しく、コピー頼まれたり、自分の専門に関わること聞かれたりして、不思議な1日だった。聞かれたのは戦後の主婦化の文脈で読んでおけば良い文献は何かというもの、あまりそういう発想で記憶してなかったので少しあたふたして21世紀家族などを勧めておいた。PythonとBeamerも導入。あと、再来週に迫った研究会の用意。desmatをRosenfeldが勧めていたので、少しいじってみた。

そして、飲み会へ。禁酒中なので、今回もノンアル。一年に1個くらい何か続けたいなと思って禁酒しているだけなので特に深い意味はない。ノンアルコールビール飲んだのだけど、酔っ払った気がしてやっぱりそういうのあるのだろうか。帰り際にマフラー忘れたことに気づく。

ちょっと不思議な1日だった。2013年9月に留学して、2014年6月に帰ってきた。そこから住所も変わっていなければ、基本的に毎日やっていることも変わらない日々。そういう事情からか、もう留学から帰ってきてから2年経とうとしているのか、留学し始めたのは2013年からなのかとか、思い出すたびに時間の経過具合に驚く。今日も、そんな感じだった。自分の中で、ある時から時間がすっぽり止まっているのではないかという錯覚。自分は研究進めているし、周りも変わっているのに、ある一ポイントだけ変わっていないかのような錯覚。未だに消化しきれていないのだろうか。最近は、自分の中でどう解釈していくか次第だと思っている。昔を意味づけるのはあくまで現在からの視点だけれど、あのときの記憶、出来事が将来に対してどういう意味を持ってくるのかよくわからない。わかっていれば楽なのだけど。些細なときに、将来自分はどういう人生を歩んでいるのか、不安になるときがある。それは職につけないとか、そういう次元ではなくて、どういう人間になっているのかよくわからないということ。今経験している出来事は、未来の自分にどういう意味を持ってくるのか分かれば、結構楽になるのじゃないかと思うけど。今日もそういう感じだった。パロディくさい話。家族のことについて聞かれて、その後に自分自身が家族ってなんなのだろうかと問うことになる羽目に。人が何を考えているのかよくわからないなと思います。今は自分のことに精一杯な時期なのかなと自分に言い聞かせている。なかなか難しい。遠く目を合わせたとき、通じ合ったものがある気がしたのは僕だけなのだろうか。お互いにしかわからない、何か。その何かが相手にとってどれだけの重みを持っているのかよくわからない。また久しぶりに話したいなと思ってしまった。また、しばらく自分の中で整理して、連絡するかもしれないし、しないかもしれない。飲み会でリアルな、目先の話がされても、心はどこか上の空というか、大学という浮世離れした世界にいる自分には、もっと遠い先のことしか頭にないのかもしれない。まだしばらく、人生について考えたい。それに尽きます。

帰りに、小中学校時代の友人から健婚式の案内状が届く。高校以降はほとんど会ってないのに、神前式まで呼んでくれて、嬉しかった。彼がいない僕の幼少期を想像することは難しい。今はほとんど交流ないけど、大切な人だと思う。


February 11, 2016

2/10-11

10日。今日は10時より寮のRA研修。最近、大学専用寮を増やしているということで、来年度から新規にRAになる学生も交え、本社で研修があった。院生は自分くらいなので、変に気を使ってしまう。グルディスとか久しぶりにやらされて、社会性を要求された感じがして疲れた。同じ悩みを持っている人を見つけて安心するという、この手の集まりでよく感じるだろうものを持って帰る。

終了後、4時半ごろに研究室について、改稿を進める。帰る直前にひらめいて、少しメモをして帰宅。鍵になる論文から示唆を得る。その後、気分が悪くなることがあり、しばらく沈黙。土曜に帰省をしようと決める。一通り泣いて、改稿を進める。


11日。祝日であることを忘れており、朝ごはんは缶詰とサトウのご飯。改稿を進めて、第二稿を仕上げる。その後、池の上で作業。最近、疲れがたまっているので、今自分がやっっていることに何の意味があるのかわからなくなり、本当に気が遠くなった。研究だけがしたいのだが。夜は、北京研修の友人たちと人形町でもつ鍋。おいしかったが、少し歯が痛くなる。帰宅後、日記を書いて就寝。

ここ最近ひたすら改稿を進めるばかりで、他の作業に手が回っていない。金土は他の作業日に当てることにする。締め切りは、きちんと守る。しかし、この疲労感、今までにない感じだ。もともと原稿は貯めておいたが、本格的に書き始めたのは先週くらいなので、確かに一週間で初稿を書き上げ、第二稿まで持ってきたのは結構頑張ったのではないかと思う。しかし、その分疲れた。

およそこの一週間、論文書き始めて第二稿までいったけど、さすがに灰(ハイにも)になった。無気力状態みたいになって、疲れも取れないので、将来の自分にはお勧めしない。もうちょっとペース落としても良かったけど、一度取り掛かると止まらなくて、結局体調優れなくなってた。でも一方で集中して書く時間も必要だと思うので、良かったかもしれない。今日はゆっくり寝て、明日からまた放置してた仕事始めないといけない。ひとまず「手放した」感があるので、あとは細かい修正かけていこうと思う。同じ論文でも、自分にとりついてるように感じる時があって、そういう時は他のことあんまり考えられない。今はもう大丈夫、というか大丈夫にしないと後が詰まる。。

February 9, 2016

2/9火曜

10時前に研究室に行こうとしたけど、前日張り切りすぎたせいか8時に起きる。電車も遅れて、研究室に入ったのは10時20分。すでにロゴスの査読会議に参加する何人かが来ていた。昨日家に届いていたブラシをかける。

午前中は眠くあまり記憶が鮮明ではないが、図表の整理や再分析の続き。LEMを使っていたので、USBファイルにoutputを入れていたのだが、検索してもヒットしなくて一汗かく。今日はこくわがたはやってたので、ひや大HGを頼む。十分食べて、作業再開。3時29分頃に初稿ができる(これから改稿して日付変わるまでには一区切りつけたい)。最近、携帯の画面が割れてしまってから使う気が無くなったがあまり不便さはない。目覚ましはiPadに変え、違うメロディになるだけで特に困ることもない。移動中に音楽が聴けなくなった頃くらい。南北線を使っていた当時は、中野駅でwifiを使うこともあったが、中央線に戻った今は、電車の間隔も短いので必要性も感じない。

疲れたので4時を過ぎてからは学部生室で面接を終えた人達と雑談しながら卒業パーティの話し合いに混ざったり。筋トレをして(結構筋肉ついた気がする)、8時に研究室を出て、9時に帰宅。井の頭公園では、懐メロをあまりうまいとは言えない声で歌う若いにいちゃん。

家に帰ると、本が2冊、雑誌が1冊、手紙が1通来ていた。洋書の方は、本来一ヶ月前には届いていたはずのものだった。そろそろ帰省の日程も考えたいので、用意をする。

帰宅後もひたすら改稿して寝る。ほかの仕事がたまっているので明日も作業しないと。

2/8月曜

3時過ぎに目がさめる。前日は夜ご飯に山手(日曜夜は山手が定番になりつつある)でゆきラーメンチャーシューのせ大盛り(豚肉はビタミンB1が豊富と聞いたので)食べて、帰宅後すぐ寝てしまったので、この時間に起きても結構すっきり。やっぱりゴールデンタイムには寝ておくべきだなと。

前日まで5-6軒コーヒー屋さんみて、ブラシを探したのですが全くなく(唯一 Free designでエスプレッソ用のブラシがありましたが、ちょっと高かった)、下北沢のモルディブまで行くのももったいないので、結局アマゾンで買ってしまいました。みなさんみるひた後ブラシ使わないんでしょうかね。コーヒーメーカーにそのままミルが付いているというのが多いんでしょうか。手で挽くやつだと静電気(?)がつかないので必要ないのかもしれないですね。

細かい仕事を朝に済ませておこうと思い、Opac経由で論文を2-3本複写依頼。外部の大学にお願いすることもできると知りました。意外と東大に学会の論文集レベルでも置いてなくて、最近だと日本労務学会、家族問題研究会の昔の号、あと日本ジェンダー学会の雑誌も置いてありません。今回は、Journal of Income Distributionも経済学部さんにお願いしました。ウェブで公開されてないんですよね。なかなか面倒くさい。

大学に来てからは、ほとんど論文の改稿を進める時間にあてる。ggplotを少しいじってみて、綺麗な図がかけた。やや手間取ったのは、分析の再現。二ヶ月くらいまでの結果になると、一度再現しておこうと思うが、あれどこにあったかなみたいなことがある。一応再現はできた。思い出すのにはいい時間。お昼にこくわがたに行ったが、臨時休業(スーパーボウルが原因との噂あり)。仕方なく隣の中華の400円弁当。作業に疲れて、途中でみんなとメトロでケーキ食べたり、ゆるゆる進める。最後の方はスーパーボウルのハーフタイムショウを見ていた。8時に出て、9時に着く。そのあとも改稿を進める。最後の分析と議論。明日には改稿終わらせたいと思って寝る。


February 7, 2016

学歴同類婚と世帯間不平等についてのメモ

日本(ないし韓国)というのは、女性の高学歴化と労働市場への進出が「緩い」(Brinton 2001)ことで知られるが、この事実のために欧米の社会階層と不平等の議論が当てはまらないことがある。

例えば、世帯収入の不平等化は先進国共通で見られる現象であり、日本でも緩やかに格差は拡大している。欧米に関して、その背景の一つとしてあげられているのが家族形成の変化である。この命題は三つのメカニズムに分かれており、それぞれ(1)家族構造の変化(シングルマザーの増加など),(2)女性の労働市場への進出,(3)学歴同類婚の増加の三つに分解される(McCall and Percheski 2010).

日本の場合でも、(1)のひとり親世帯の増加は貧困率に直結するので、おそらく全体としてみた時の不平等度にもそれなりに寄与しているだろう。それじゃ不平等の上の方を見てみると、学歴同類婚が要因としてあるのだが、これが日本ではうまくでない。

ここ最近(2015年12月18日)、この点でひたすら悩んでいたのだが、もう開き直ってこの事実から出発して理論を組み立て直す必要を感じている。日本でも高学歴層の同類婚は絶対数として増えているが、なぜ同類婚が不平等に結びつかないかというと、最初の点、つまり女性の高学歴化と労働市場への進出が「ゆるさ」が原因としてあるからである。

このように考えると、おそらく(3)の仮説の背景には、高学歴化すると女性は就労するようになるという暗黙の前提があるのだろう。アメリカや他の西欧諸国についてはこれは当てはまるかもしれない(南欧は日本に近いかもしれない)。

それじゃ日本では同類婚と不平等の間に関係ないですね、と簡単に引き下がって良いものか、この点を考えている。退散するのも一つだろうが、もう少し粘って、上記の命題を修正して何か言えないかと考えている。

一つの手は、女性の高学歴化を、労働市場と結びつけず、他の有利さの獲得へとつなげる道だろう。そこで、結婚市場と出るのがBrintonの本でLeeがやっていることである。有田先生の本を読んで、韓国の高校生では女性だけに対して、高卒大卒間の賃金格差の揺れ幅がその年の高校生の大学希望率と相関を持つことが指摘されている(学歴間の格差が拡大すると高校生は大学進学希望をするようになる)。女性だけなぜ反応的なのか、本では明確に言明されていなかったが、結婚市場を持って来れば、説明できるかもしれない。Mareも学歴間の障壁の一つとして、学歴間の賃金格差について言及しているし、見込みのない仮説ではないと考えている。

この点に関して、現在(2016年2月8日)になって思うのは、日本における高学歴同類婚(夫大卒×妻大卒、ないし準高等教育)に該当する層は多くなってきたのはここ最近であり、現在の高学歴女性に該当するような人たちは、たとえ高等教育に進むだけの学力があったとしても、かつては様々な事情で一歩手前で止まり、結果として上昇婚と呼ばれる結婚パターンを形成していただろうということである。日本社会における女性の上昇婚志向はそれなりに強いと推察され、それが未婚化の一因になっていることはおそらく正しい。仮にそうした層が(たとえ高学歴を獲得しても)将来的には経済的な責任は夫に委ねることにし、自分は育児・家事をメインに、パートタイムの形で就労調整をすることを理想として持っているとするならば、Brintonの緩い関係も納得がいく。先日スウェーデンで博士号をとられた日本の方と話していて、いわゆる「仕事も家庭も完璧」という母親像は、特に日本で強いわけではなく、スウェーデンでも存在し、完璧な父親像に比べると母親像のほうが強く共有されているという指摘を受けたのだが、Esping-Andersenが主張するような「未完の革命」を推進するような高学歴女性にとって、こうした完璧な母親像を体現するには、現在のフルタイム就労者に要求される条件は厳しすぎるのかもしれない。要するに日本では高学歴女性のライフコースを見ていくと、フルタイム就労を続けるか、夫の収入が高いので結局パートタイム就労をせず専業主婦となるかの二極化的なトレンドが確認できる。ただし、学歴の高くない男性と結婚する場合には就労に対する必要性が増すと考えられるので、やはり、高学歴同類婚の層の異質さをきちんと考えねばならないだろうなということを考えている。修論も、学歴同類婚と不平等の関係という問いから、女性のライフコースを踏まえたやや動学的なものにシフトする可能性はある。結果として、幅が広がって良いかもしれない。



暫定的な文献の目安。
Blossfeld, H.-P., and A. Timm. 2012. Who Marries Whom? Springer Science & Business Media.
Blossfeld, H.-P., and S. Drobnič. 2001. Careers of Couples in Contemporary Society : From Male Breadwinner to Dual-Earner Families. OUP Oxford.
Brandolini, A., and T. M. Smeeding. 2009. “Income Inequality in Richer and OECD Countries.” The Oxford Handbook of Economic ….
Breen, R., and I. Chung. 2015. “Income Inequality and Education.” Sociological Science 2:454–77.
Breen, R., and L. Salazar. 2011. “Educational Assortative Mating and Earnings Inequality in the United States 1.” American journal of sociology {117}({3}):{808–843}.
Breen, R., and S. H. Andersen. 2012. “Educational Assortative Mating and Income Inequality in Denmark.” Demography {49}({3}):{867–887}.
Cancian, M., and D. Reed. 1998. “Assessing the Effects of Wives' Earnings on Family Income Inequality.” The review of Economics and Statistics 80(1):73–79.
Cancian, M., and D. Reed. 1999. “The Impact of Wives' Earnings on Income Inequality: Issues and Estimates.” Demography 36(2):173–84.
Cohen, P. N., and S. M. Bianchi. 1999. “Marriage, Children, and Women's Employment: What Do We Know?.” Monthly Labor Review 122(12):22–31.
Dean, R. H. 2001. “Rising U.S. Earnings Inequality and Family Labor Supply: the Covariance Structure of Intrafamily Earnings.” American Economic Review 91(4):755–77.
Esping-Andersen, G. 2007. “Sociological Explanations of Changing Income Distributions.” American Behavioral Scientist.
Goldin, C. 1995. “The U-Shaped Female Labor Force Function in Economic Development and Economic History.” Pp. 61–90 in Investment in Women’s Human Capital and Economic Development, edited by T P Schulz. University of Chicago Press.
Goldin, C. 2006. “The Quiet Revolution That Transformed Women’s Employment, Education, and Family.” American Economic Review 96:1–21.
Hoffmeyer-Zlotnik, J. H. P., and C. Wolf. 2011. Advances in Cross-National Comparison. Springer Science & Business Media.
Hu, A., and Z. Qian. 2015. “Research in Social Stratification and Mobility.” Research in Social Stratification and Mobility 40:1–15.
Kim, M.-K., and S. W. Polachek. 1994. “Panel Estimate of Male-Female Earnings Functions.” Journal of Human Resources 29:406–28.
Lee, C. 2008. “Rising Family Income Inequality in the United States, 1968–2000: Impacts of Changing Labor Supply, Wages, and Family Structure.” International Economic Journal 22(2):253–72.
Lichter, D. T., D. K. McLaughlin, and D. C. Ribar. 1997. “Welfare and the Rise in Female‐Headed Families.” American journal of sociology 103(1):112–43.
Lundberg, S. J., R. A. Pollak, and T. J. Wales. 1996. “Do Husbands and Wives Pool Their Resources: Evidence From the United Kingdom Child Benefit.” Journal of Human Resources 32(3):463–80.
Pencavel, J. 2006. “A Life Cycle Perspective on Changes in Earnings Inequality Among Married Men and Women.” Review of Economic and Statistics 88(2):232–42.
Reed, D., and M. Cancian. 1999. Rising Household Income Inequality in California.
Schwartz, C. R. 2010. “Earnings Inequality and the Changing Association Between Spouses' Earnings.” American journal of sociology {115}({5}):{1524–1557}.
Schwartz, C. R., and R. D. Mare. 2005. “Trends in Educational Assortative Marriage From 1940 to 2003.” Demography 42(4):621–46.
Shavit, Y., and H.-P. Blossfeld. 1993. Persistent Inequality.
Shin, K.-Y., and J. Kong. 2015. “Women’s Work and Family Income Inequality in South Korea.” 1–22.
Smeeding, M. T., and H. D. Weinberg. 2001. “Toward a Uniform Definition of Household Income.” Review of Income and Wealth 47(1):1–24.
Torche, F. 2010. “Educational Assortative Mating and Economic Inequality: a Comparative Analysis of Three Latin American Countries.” Demography.
Western, B., D. Bloome, and C. Percheski. 2008. “Inequality Among American Families with Children, 1975 to 2005.” American Sociological ….
Yu, W.-H. 2009. Gendered Trajectories. Stanford University Press.

Zhou, X. 2000. “Economic Transformation and Income Inequality in Urban China: Evidence From Panel Data.” American journal of sociology.

特に以下の文献はレリバント

Blossfeld, H.-P., and A. Timm. 2012. Who Marries Whom? Springer Science & Business Media.
Breen, R., and I. Chung. 2015. “Income Inequality and Education.” Sociological Science 2:454–77.
Breen, R., and L. Salazar. 2011. “Educational Assortative Mating and Earnings Inequality in the United States 1.” American journal of sociology {117}({3}):{808–843}.
Breen, R., and S. H. Andersen. 2012. “Educational Assortative Mating and Income Inequality in Denmark.” Demography {49}({3}):{867–887}.
Esping-Andersen, G. 2007. “Sociological Explanations of Changing Income Distributions.” American Behavioral Scientist.
Hu, A., and Z. Qian. 2015. “Research in Social Stratification and Mobility.” Research in Social Stratification and Mobility 40:1–15.
Reed, D., and M. Cancian. 1999. Rising Household Income Inequality in California.
Schwartz, C. R., and R. D. Mare. 2005. “Trends in Educational Assortative Marriage From 1940 to 2003.” Demography 42(4):621–46.
Torche, F. 2010. “Educational Assortative Mating and Economic Inequality: a Comparative Analysis of Three Latin American Countries.” Demography.
Western, B., D. Bloome, and C. Percheski. 2008. “Inequality Among American Families with Children, 1975 to 2005.” American Sociological Review


ログリニア・モデルに関するメモ書き

*アクセスが良いようなので、定期的に更新します。

/*LEMでLinear by Linear Association Modelのスケーリング*/

/*ログリニア・モデルに関する勘違い*/

ここ数日、ログリニアモデルについて勉強していて、ようやく自分がやりたい分析に必要な手順が理解できた。数理社会学会の教科書で保田先生が指摘されているように、ログリニアの特徴の一つは柔軟にモデリングができる点にある。そもそも、モデリングの作業は、回帰分析のようにどのような変数を投入するかというものよりも、分析に用いるデータの分布を適切に(かつ節約的に)反映できるものを探すという、モデルの適合度の観点から行われる。回帰分析の発想では、変数を投入・コントロールすることで説明力をあげることが試みられるが、ログリニアの場合、あまり変数を多くしてしまうと、たくさんの複雑なモデルを考慮しなくてはならなくなる。ログリニアモデルでは、少ない変数(2-5)同士の関連を確かめるという点が特徴であり、従って分析の目的もあくまで主要な連関をみたい変数のみに限定する。コントロールするべき変数については、その後のロジット回帰の場面などで考慮される。検討される変数が増えれば増えるほど、複数のパターンを考慮しなくてはいけないため、柔軟なモデリングができるという特徴はともすると、とても一度では検討しきれないモデルを厳選する作業を伴う苦労を招くかもしれない。

今回は、勉強していて、いくつか理解に手こずったところについて言及しておく。

まず、パラメータの推定についてだ。ログリニアモデルではクロス表の頻度分布を推定することを目標とするが、教科書を見てもそのパラメータをどのように推定するかについて、明確に定義がされている箇所は少なかった。何がまずかったというと、明確に定義がされているはずだという先入観を私が持って読んでしまったことにあるのだが、恐らくログリニアモデルでは頻度推定のためのパラメータについて、2つの方法があると考えた方がよい。一つは太郎丸先生の本に書かれているように、対数化されたパラメータμについて、Σμi=Σμj=Σμij=0となるようにパラメータの効果を推定する方法がある。もう一つは、Powers and XieとTreimanが主に用いているような、あるセルをレファレンスとしてダミー変数のような形でパラメータを推定する方法だ。後者の方法では、たとえばRμ1=Cμ1=RCμ1j=RCμi1=0というルールを守る(という表現の方が分かりやすい)ようにパラメータが推定される。どちらの方法でも、推定結果は変わらないのだが、太郎丸先生の本とPowers and Xie及びTreimanの教科書ではその方法が異なっていたため、先のような先入観もあって理解が追いつかなかった。繰り返すと、どちらの推定方法を用いても、期待度数とその対数の算出には違いはない。

次に、デザイン行列を用いた時の、パラメータのアドホックな設定について、しょうもない誤解をしていた。太郎丸先生の本では、デザイン行列については解説していない(とはいいつつ、対角セルの話など、片足を突っ込んだ説明になっている)が、Powers and Xieでは解説している。そこでは、各セルの予測パラメータがどれも異なる固有のものであるという設定や対角のセルとそれ以外のセルとの間で効果が異なると想定する設定などを含めて、行列を用いて説明をしている。Stataなどでも、実際に行列を用いてパラメータのアドホックな設定をするのだが、ここで私は各セルにちりばめられた数字に何か意味があるものだと勘違いをしていた。実際には、これはダミー変数を作成するための単なる名義尺度のようなものと考えればよい。つまり、行列の中身は文字でも構わない。この点については中澤先生がディスカッションペーパーで解説しており、助かった。繰り返すと、行列における数字は、アドホックに設定した異なるパラメータを区別するものであって、それ自体に意味はない。ちなみに、全てのセルに対して異なるパラメータを想定した場合には、そのモデルは飽和モデル(Saturated model)と呼ばれる。Saturated modelは実際の度数分布と等しい値を導くパラメータを求めてくれるが、それぞれにパラメータを指定しているため、自由度はゼロである。どの教科書でも指摘されているように、実際には変数間の関係を想定しない独立モデルから飽和モデルの間で、どのモデルがもっとも分布を上手く予測できるかを、適合度指標等を用いて検討する。ログリニアモデルの良さである柔軟さは、そうしたパラメータをかなり自由に設定できる点にある。節約的(parsimonious)かつ複雑なモデルを選ぶことに、ログリニアのミソがある。

以上の二点についてひどく勘違いをしていた。教科書としては、太郎丸先生の教科書の9−10章から入って、Powers and Xieの4章を読むのがいいと思われる。初めに保田先生の解説を読んでもいいと思う。Powersのページには様々なソフトウェアを用いた実例が載っているため、実際にどのような分析をするかについては、こちらの方が参考になる。例えば、Stataでglm (pois)を用いた時の推定では、変数同士の交互作用 (e.g. i.so*i.co i.diag*i.co のように、準独立モデルのためのdiagnal matrixとコホート効果の変数のかけ算)をすれば、自動的にそれぞれの変数の効果も推定してくれる(というか、interactionを指定した場合にすでにそれぞれの変数の推定も考慮するのがログリニアモデルの手順になっている)。こうした点は実際にdoファイル等を見ながらの方が分かりやすい。個人的には、RosenfeldのようにLEMをできるだけ使わずにログリニアを勉強してみる方法も大切かなと思うので、いろんなパッケージを見たほうがよいと考えている。

3重クロスの話が理解できれば、自動的に4重、5重セルの分析もできることになるが、どうも4-5重クロス表を作る時にどうやって行列を用いて表現するかで頭がなかなか追いつかない。それと、小さな勘違いとしては、各モデルの有意確率は、有意であれば期待度数の分布と違いがないという帰無仮説を否定していることになるので、モデルとしては採用すべきではないことになる。有為差が重要になるのは、一つのパラメータのみの違いしかない2つのモデルそれぞれの尤度比統計量G二乗値と自由度を引き、それをχ2分布に照らして、減少幅に有意さがあるかどうかを確かめる時である。有意であれば、自由度の少ない複雑なモデルを採択するべきということになる。あまり親切ではない論文の場合、なぜそこであるモデルが採択され、違うモデルが棄却されたのかについて、(当然分かるだろ?というノリで)十分に説明していない時がある。その時は、表に載っている自分でモデルの有意水準を見たり、モデル間の尤度比統計量と自由度を引いてみて、その差分が統計的に有意かどうかを自分で確認してみる必要がある。

とにかく、ひとまずやるしかない・・・

参考文献(本当に「参考」になった。)

教科書
太郎丸博,2005,『人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門』ナカニシヤ出版 第9、10章を参照
Powers, D. A., & Xie, Y. (2008). Statistical methods for categorical data analysis. Emerald Group Publishing.
(実習ページ:http://la.utexas.edu/users/dpowers/Powers&Xie%202nd%20Ed/) Ch.4を参照
Treiman, D. J. (2014). Quantitative data analysis: Doing social research to test ideas. John Wiley & Sons.
(実習ページ:http://www.ccpr.ucla.edu/dtreiman/quantitative-data-analysis-stata-files-and-data-sets)
保田時男. 2006. 「社会的カテゴリー間の結びつきのパターンを明らかにする:ログリニアモデル」,与謝野ら編集、数理社会学会監修『社会の見方、測り方 計量社会学への招待』,勁草書房,268-276.

論文
ログリニアと言えば社会移動だが、今回参照したのは結婚や社会化など、なかなか多様だった。
Torche, Florencia. 2010. “Educational Assortative Mating and Economic Inequality: A Comparative Analysis of Three Latin American Countries" Demography 47(2): 481-502. (Crossing Modelを用いた同類婚の国際比較)
Rosenfeld, Michael J. 2005. “A Critique of Exchange Theory in Mate Selection.” American Journal of Sociology 110(5):1284–1325. 
Rosenfeld, Michael J. 2010. “Still Weak Support for Status-Caste Exchange: A Reply to Critics.”(人種と地位の交換理論に対するRosenfeldの批判とそれへのリプライに対する再批判、ログリニアモデルの解釈が争点になっている)
Mare, Robert D. 2008. “Educational Assortative Mating in Two Generations.” Working Paper (August).(同類婚は連鎖するか?という問いを立ててログリニアモデルで検討している)
Starrels, M. E., & Holm, K. E. (2000). Adolescents' plans for family formation: Is parental socialization important?. Journal of Marriage and Family, 62(2), 416-429.(親の期待と結婚行動が子どもの家族形成に影響するかについての検討)
白波瀬 佐和子、1999「階級・階層、結婚とジェンダー 結婚に至る階層結合パターン」『理論と方法』(25): 5–18.
中澤渉、2008、「進学アスピレーションに対するトラッキングと  入試制度の影響」、『東洋大学社会学部紀要』(一様連関モデル(uniform  association  model)と対数乗法連関モデル(log-multiplicative  model)を用いた分析)
中澤渉、2013、「パネルデータを用いた個人内職歴移動の対数線形モデル分析」、『東京大学社会科学研究所パネル調査プロジェクト ディスカッションペーパーシリーズ 』
三輪 哲、2007、「日本における学歴同類婚趨勢の再検討」、東京大学社会科学研究所、『家族形成に関する実証研究』81-94.




2/7日曜

最近、日曜はもっぱら研究室にいます。中央線が休日運転なので気持ちすぐ行けるのと、研究室に人がいないから、あと寮で食事が提供されない分時間を気にせず夜遅くまで入れるから(必然的に外に出る必要がある)。今日もその例に漏れず、午後は院生室。

午前中に家族社会学研究の10周年記念号に目を通す。この号は文献リストとして秀逸。思わぬ収穫もあり。その他雑務を済ませて、院生室では主に現代日本人の生き方のコーディングとログリニアモデルの勉強。あと溜まっていたエコノミストに目を通す。2号連続で留学生の増加などを扱っていて、結構面白かったです。あと、雑誌のVERYをコンビニで見つけたので購入。先月号に比べれば保守的かな?

いやー、何もしてないですね。本来は、締め切りの投稿用原稿に加えて、二次分析研究会の報告と関東研究会のやつも終わらせないといけないんですが、明日(今日)頑張ります。でも今日でおおよそログリニアのめどは立った気がするので良かったです。RosenfeldはLEMを使わないでどこまでいけるかみたいな授業をしていて好印象。

http://web.stanford.edu/~mrosenfe/soc_388_notes/Soc_388_notes_home.htm

February 6, 2016

土曜

土曜日だけど8時に起床。9時からメールの返信や洗濯、あとは予定を見て新国のオペラ予約入れたり、肝入りのメールしたり。あと調べ物。フィリピンでお世話になる先生が友人の指導教官の編集してた本に寄稿してたり。重めのメールを書いたので、特に作業せず1時から新宿。ご飯を食べて、6時半に吉祥寺に。買い物を済ませた。6口延長コード二つ買って、今までいちいちミルとケトルとコーヒーメーカー使うたびに変えてたのがなくなってすっきり。蛇口付きのサーバー買って上から水落とす感じにした。古物屋で買った丼入れの箱の上にサーバーを置いてみると、箱の仕切りのおかげで二段組みの棚みたいになってコーヒーの瓶とか置けて結構すっきりした。

その後、論文の校正。及びKJ法の分析に関して文献選びなど。本当は、パネルとログリニアもやりたかった。計画不足。明日頑張る。

February 1, 2016

EACYS1日目

所属しているリーディング大学院の関係で、東洋文化研究所で今日明日と開かれるEast Asian Conference for Young Sociologistsに参加しています。参加というか、単位がもらえる形で、Academic managementという「演習」を履修しており、会議のオーガナイズをしているので、スタッフ側です。

朝は海外からの参加者の泊まっているホテルにいって会場まで案内をしてきました。やはりというか、違うホテルに泊まる人もいるので(今回、予算の都合上ホテル代は自費)、その人が遅れてきたりと、オーガナイズ側としてはそういうのは心配になります。これに限らず、レセプションの道で何処かに消えたり、食事が始まる前に赤門に行って集合写真撮ったり、そういったイレギュラーな行動も想定内にして会議は進めないといけないなと思いました。これは、学生団体やっていることから感じることではあるけど、大人になっても人はイレギュラーな行動をします。

カンファレンス自体は、失望もなく、驚きもなく、穏当に3/4のセッションが終了。インフォーマルなセッションなので、全然途中経過の報告でもいいと思います。ただ、今後どういう方向性にしたいのかがイマイチ伝わってこないとコメントもしづらい。それは、完成されすぎた発表に対するコメントが難しいのとはまた違った難しさです。

延世大学の修士の学生が私の指導教官がこのカンファに来ているかもしれないと期待していたことを知りました。要するにこのカンファレンスはちょっと特殊なプログラムが運営していて、それと東大の社会学研究室は直接的な関係はないという旨を伝えましたが、難しいですね。やはり、ホスト校の研究室のメンバーも何人かいたほうがよかったかもしれません。もちろん、これは私が関与できる範疇は超えていますし、先生方もいろいろなお考えがおありなのでしょう。ただ、東洋文化研究所、社研、比教社、情報学環、社会学研究室(駒場も含めれば相関も)とそれぞれ社会学的な研究をしているのに、オフィシャルな結びつきがないというのが、海外のゲストに説明しにくい、うちの大学の特徴かなと改めて思いました。

韓国の学生はもうアメリカの大学に行くことが半ば自明になっていますね。これは当分変わらないと思う。韓国の大学で働こうとしても、アメリカの学位がないと話にならないようなので、ちょっとどうかなとは思います。どうかなというのは、高等教育政策がうまくいっているのかよくわからないという意味です。母国の学位を取った人が母国の大学で働けると限らないというのは、すでにアメリカでは自明ですが、韓国やヨーロッパ、それに最近は中東の大学なんかは、そういう競争の激しいアメリカのPhDマーケットのあおりを受けているのかもしれません。もちろん、韓国の大学で学位を取った人しか韓国で働けないのも問題で、そういうのはバランスよく国の境界をまたいでいけばいいとは思うのですが、現状では社会科学はアメリカ一強の感があります。韓国はその最たる例で、日本はまだまだ日本の学位が評価されるシステムだなと。なんでこういう違いが生じるのかはよくわかりません。

まあ、韓国で働きたい人でも留学しなくてはいけないのはちょっと世知辛いなとは思います。そういうことを、韓国の大学院生と話すといつも思います。表向きは明るいですけどね、アメリカで一緒に大学院行こうよとか言ってくれますが、僕はまだ選択肢としてあるのだけど、彼らの中では韓国に残るという選択肢はほぼないわけなので。もちろん、韓国の人はそういう考えもあって留学に結果的に熱心になっているので結果が伴うと思うのですが、本人のキャリアと研究というのは難しい関係です。


ちょっとスライドを修正する元気は残っていないので、明日早起きしてやることにします。

East Asian Conference for Young Sociologists group photo

Fumiya Felix Uchikoshiさん(@fumiyau)が投稿した写真 -