December 31, 2016

計量社会学の二つの文化

時たま時間に余裕ができると、計量社会学と呼ばれる分野(?)がどのような営みを実践しているのかを考えることがあります。以前も、分析社会学の話に関連して少し書いたことがあるのですが、今回はJohn H. Goldthorpeが最近刊行したSociology as a population science(Cambridge University Press)を手掛かりに、この手の話について考えてみました。

この本を読むのは二回目。一度目は何かの機会で偶然知って、タイトルからしてGoldthorpeが自分の研究をまとめにかかってきている予感がしたので(笑)買ってみて、軽く読んだのですが、今回とある先生からこの本の話題を振られて、少し時間もできたので再読してみようかと考えて手にとってみました。

ブログのタイトルが「計量社会学の二つの物語」ということで、この対比に即して彼の議論をまとめると、彼は「決定論的で、方法論的集合主義に立つ社会類型論」的な(計量)社会学アプローチに対して、「確率論的で、方法論的個人主義に立つ人口論」的な計量社会学の手続きについて説明しています。

前者のアプローチは、必ずしも計量的なものに限りませんが、志向性としては、何らかの形で識別可能な集団や社会を類型化し、複数の集団の違いを制度や文化といった集合的なもの自体に求めます。代表例として紹介されているのがデュルケムの自殺論や、パーソンズの社会システム論で、そこにおいて個人は社会レベルの規範や制度を純粋に内面化する対象として想定されているに過ぎない。

この立場が計量社会学においてどのように表現されるかというか、従属変数のばらつき(分布)のうち、設定した独立変数が説明しない部分を「誤差」として捉えます。これは、Xie(2007)でGaussianとされる立場です。これに対して、Duncanら人口科学的な立場に立つ研究者は、独立変数によって説明されなかった部分を誤差ではなく「集団内の異質性」として捉えます。これは、Galtonianとされる立場ということです。

ここで、すでに人口論的な立場に立つ研究の志向性について入ってしまいましたが、この立場のポイントは集団内の異質性(population heterogeneity)です。ここで異質性というのが具体的になぜ生じるのかというと、ある規範や制度といった集合的な性質が個人に影響をあたえるとしても、その出力・反応は個人によって異なるためです。そして、その反応の違いはある規則性(regularity)を帯びるという確率論的な思考をします。

この異質な個人を正当化する社会学の方法論的な立場は、いわゆる方法論的個人主義とされます。方法論的というのは、分析の際にここに着目するという意味で、この世界には個人しか存在しないと想定するような存在論的個人主義とは毛色が異なります。方法論的個人主義は、個人が何らかの条件や情報を与えられた時に、そうした条件をもとに何らかの合理的な行為をすると仮定されます。ここでの合理性とは、すべての個人に共通な効用最大化などとはことなり、ある種の限界合理性・状況下された自己が念頭にあります。

Goldthorpeは以上の議論に基づき、人口科学としての(計量)社会学の具体的な営みとして、以下のような手続きを説きます。

まず、サーベイを用いて、集団ごとに見られる規則性を発見します。ここでいう規則性は、複数回の観察を通じて同じようなパターンが観察されるというくらいの意味です。さらに言えば、男性では〜〜だが、女性では〜〜というような、集団ごとに異なる規則性も重要になります。突き詰めれば、集団内の異質性に関心があるとすれば、男女の差をさらに異なる集団内の異質性(例えば、年齢や階級)に着目して説明することも可能なわけです。

このあたりのさじ加減は、分野の既存研究によって異なるのでしょうが、個人的に疑問だったのは、いったいどこまで異質性を検討すれば次のステップである規則性の説明に入っていいのだろうかという点でした。

さしあたり、十分であると考えられる規則性を確定したら、それを個人の行為・および他の個人との相互行為というミクロなレベルから説明するというのが、分析社会学の説明戦略、ではなくて、Goldthorpeのいう説明戦略です。このあたりは、ほとんど分析社会学と言っていることは変わりません。どこかですでに述べましたが、なぜ行為なのかは、社会学が合理性を持った個人を分析単位にしているからですね、それは、停止規則(stopping rule)というやつで、分野によってどこまで分析単位を細かく(粗く)するかは違います。

要するに、記述をして説明をしようという、それ自体は社会調査の教科書に書かれている話ですし、大方の計量社会学者は無意識のうちにこの手の話をすでに実践しているでしょう。この本の貢献としては、そうしたやや無意識的に実践されている分析を、もう少し定式化しようとした点にあるかもしれません。定式化というのは、いわゆる類型論的な個人の異質性を想定しないようなアプローチとの対比によって、特徴がよくわかるということでしょうか。

説明戦略についても、Goldthorpeは幾つかの事例を紹介しています。一つ目は第8章で議論されている回帰分析のアプローチに依拠して因果関係を明らかにする因果推論(潜在効果モデル)によるアプローチです。私感では、因果関係というと最近ではほとんど因果推論的な話が想定されるような気がしますが、これはこれでいいとして、他にも因果に対する異なる考え方はあるわけです。Goldthorpeに限らず、この因果推論に対する批判として指摘されるのは、それは因果の効果(effect of cause)はわかるが、影響の原因(cause of effect)はわからない、言い換えれば因果推論は推定であって説明ではないというものです。

第二に挙げられるのが、分析社会学のアプローチです。個人的には、ABMを使うという点以外を除けば、Goldthorpeがいう説明と分析社会学がいう説明はほとんど差がないような気がするのですが、彼が分析社会学に対して持つ批判は、分析社会学ではメカニズムそれ自体に主眼があり、本当にそのメカニズムがその集団で実際に作動(at work, actually operate)しているのかわからないというものです。ABMに対しても同様の批判をしていて、やはりGoldthorpeは規則性の発見に対して重点を置いているのだなという印象を持ちます。

最終的にGoldthorpeが提案するのが、規則性は明らかになっているけれどもそれを説明することはできない対象に対して、現実に作動している因果メカニズムを観察データの次元で説明するアプローチということで、例としてRRAが取り上げられています。正直、これが具体的にどのような手続きを経ればいいのか自分にはよくわかりませんでした。

中途半端になりましたが、大雑把な要約としてはこんな感じです。個人的には、やはりどの規則性まで明らかにすればいいのかという点と、分析社会学に途中まで乗っかりながらRRAのようなアプローチが目指すべき説明戦略とするには、まだ議論に飛躍があるなという点が気になりました。

ちなみに、今回は「二つの物語」の一つの方しかほとんど扱っていないわけですが、日本の計量社会学で時たまささやかれる「計量モノグラフ」なんかは、決定論的で、集合論的なアプローチと言っても良いのではないかと思います。説明を志向するときに、個人から出発するのか、ある歴史的なイベントか何かに個人が等しく影響を受けるのかとか、その辺りの解釈には計量社会学の人の中にも差があるのかもしれません。

少なくとも計量的なアプローチで研究している社会学研究者は、社会の記述をしたいという欲求(その意味では、すべての計量社会学者には分類したいという欲求があるのかもしれません)と、記述したパターンをなぜそうなっているのか説明したいという欲求の二つが同居しているのかもしれません。先日参加した研究会でも、そのような話がありまして、この本を読まなくても、うっすらそうした二つの姿勢が混じっているなと感じるわけですが、Goldthorpe大先生の本を読めば、また新しい何かを発見できるかもしれません。ちなみに、Goldthorpeはあらゆる社会学的な研究は計量分析をする、population scienceになるべきだという論調で書いている節がありますが、さすがにそれは極論でしょう。あくまで、計量的な研究について、目指すべき一つの道くらいに考えたほうがいいと思います。



December 20, 2016

12月20日

わけあって群馬にいました。

前橋駅についた後、関越バスに乗って富士見温泉、そこからさらに赤城山まで向かいます。

富士見温泉隣の休憩所にてほうれん草のうどんと焼きまんじゅう。おいしかった。



ビジターセンターでバスを降り、歩いて湿原の覚満淵へ。水面は凍結しています。


ここから、ビジターセンターのおばちゃんに勧められるがままハイキングコースを選択しましたが、完全に誤りでした。冬場で道が滑りやすくなっており、さらにまわりに観光客もいなかったので、もし足を持っていかれたらと思うと、なかなかヒヤヒヤものでした。目当ての小沼について時は感動。

冬の兵軸のこんなところに来る人はいませんでした。圧倒的な静寂の中、数十分散策。


悪くな1日でした。疲れましたが。

December 18, 2016

12月18日

11時起床。行く途中のベンチでdemographyを読んで、大学へ。demographyの第2章まで読み、論文を読む。途中で、social measurementの話に移る、昨日のダンカンの話ですね。これに限らず、数年前に読んだ論文が、今読み直すと全然違って読めたり、深く?読めるようになってたりすることがあり、それはいいことだなと思います。

終了後、ローグワン。帰宅後、論文のタイトルを考え、メールに返信、地熱など。明日から月曜。定期を更新した。ローグ・ワンは最初カタカナだけだとlogue oneだと思っていて、プロローグとエピローグの間の表現とかであるのかなと勝手に勘違いしていましたが、rogue statesのローグらしく、これはうまいと思いました。

おそらく、人文学、社会科学ではすでにポストモダンなどという言葉が出てくるあたりから何が善で何が悪なのかわからない状況というのは共有されていたような気はしますが、イラク戦争、なくならない紛争、さらにはbrexitや大統領選を経て、ますますこの感覚は研ぎ澄まされてきているのかもしれません。そうした分断の背景にあるのは、事実を超えた価値観の対立だとすれば、今年の流行語がpost truthになるのもうなづけます。ただ、科学的営為に関わる限り、ポストモダンという立場は許容できても、ポスト真実という立場には参入することはできません。我々にとっては、何がポスト真実を構成するのかという立場に立って研究する限りです。しかし、そうして提供された客観的とされる事実自体がますます浮遊感を帯びていくとすれば、社会科学の営みとは何の意義があるのでしょうか、さすがにここまでいくと言い過ぎですね。

最近、社会階層と人口学の架橋的なことには携わるだろうなという感じがするのですが、一方で、一応数理社会学会にも入っているので、最近の計算社会科学のトレンドにも興味があり、人口学とABMの話については以下のような本を、来年くらいまでには理解していたいと思っています。関心ある方、いるでしょうか。

ABCD (Agent Based Computational Demography)
Agent-Based Computational Demography: Using Simulation to Improve Our Understanding of Demographic Behaviour
Agent-Based Modelling in Population Studies: Concepts, Methods, and Applications

人口学会の会員が三百人で、その前後を人口学者の母集団として、その中でABMに関心がある人というと、もう壊滅的に少ないような気もしますが,かすかな希望を持っています。

December 17, 2016

固定効果モデルに対する疑問へのちょっとした疑問

はじめに断っておきますが、ただの妄言です。

夜に、固定効果モデルに対するちょっとした疑問から出発して、ダンカン、ゴールドソープと巡り、おや、これは石田先生の講演論文とほとんど同じことを言っているな、というところまで気づいた。要するに、観察されない云々を統制した上での(真の)「因果効果」というのは、観察データをベースとする社会学・人口学研究において、いかほどの意義があるのだろうかという。

ただ、固定効果モデルに対する疑問から出発する研究に対しても疑問がある。いわゆる「因果効果の異質性」に関心があるのはわかるのだが、その異質性を解明するために傾向スコアを用いると、逆に何の異質性を見たいのかよくわからなくなってくる。自分の理解では、傾向スコアは次元の呪いを解消するための手立てであり、一方でダンカンがいうような集団間の異質性はもっと(我々がその境界を認知しているという意味で)しっかりした集団なのではないかと思う。例えば、学歴、人種、その他種々の(時不変の)変数で傾向スコアを調整して層化したとしても、その5分類(5分位)ってなんの階層性を表現してるの?となる。ならないだろうか?

因果効果の異質性に対しては、社会学者は我々が境界を認知している(その点で意味があると仮定できる)集団レベルの異質性から出発していくのがよいのではないかと暫定的に、思った。いきなりあれこれ共変量入れて、ハイ調整しましたではなくてね、もちろん、裏ではやってるのかもしれないけどね。

で、自分が暫定的に出した結論は、固定効果との交互作用というちゃっちいもの...
まあ変数によって対応は異なり、例えば結婚年数と結婚満足度みたいに、因果の方向も、なんなら傾きも観察データでもfixされているものに関しては、もっと異質性にアタックしてもいいんじゃないかと考えている。あくまで固定効果モデルはなんらかの処置がアウトカムに与える影響はそれなりにロバストだろうということを確認するための手段くらいでもいいんじゃないかと思う。本当にプログラム評価とかに関心がある、それこそ計量経済学畑の人にしてみれば、いったいどれくらいの効果量があるのだろうかは重要な課題だろうが、社会学者はもっと更地にある集団の異質性に関心があるとしておきたい。

傾向スコアの層化にしても潜在クラスにしても、(まあ、すごいことやってるなという風には見えるのだが)出てきたカテゴリはあくまで目には見えない潜在的なものであって、カテゴリとして顕在的か潜在的かというのは、推定上の問題よりは理論上の問題として、重要になってくる文脈があるなということを感じる。このカテゴリの顕在性、社会の構成員が境界線を大まかに認知しているかどうかが重要なのではないかという点は、先日の数理社会学会で瀧川さんがチェアを務められたセッションに参加している時に感じたことである。意味世界というヤツかもしれない。

December 13, 2016

12月13日

ここ数日の疲れで、今日は目覚まし付けずに寝る。結果として、11時に起きる。部屋で出願関係の仕事をして、論文を読み、幾つか印刷物が必要なことに気づき、大学に向かったのが4時過ぎ。そこから2時間かけて、文献印刷して、地熱の分析を終えた。FAROに移って、論文を読む。
帰宅して、ご飯を食べ、寝る。起きて、レジュメ作り再開。おおよそ仕事は終えた。

December 12, 2016

12月12日

8時50分に起きるが二度寝、9時過ぎに起きて、出発ギリギリ2限に間に合う。Logit and Probitの多項ロジットの箇所で、自分は条件付きロジットを担当(ただし短かった)
普通にお昼を食べようと思ったが、時間変更で3限からゼミだったので、ほっともっとで済ませる。終了後院生室で作業。土日が忙しかったからか、力が入らず寝る。それでも、メール諸々の返信、スキャン、レジュメ作り、論文購読くらいはできた。帰宅後、出願準備。帰宅路にて、パネルデータ分析の方針について考える。

社会学的な研究には、パネル分析(固定効果モデル)は相性が悪いのではないかと思うことがある。なぜか、社会学が好む時不変の変数が入れられないため、人種とか学歴とかジェンダーとか、時不変的なもの。どちらかというと、社会学は、population heterogeneityに関心があり、これはともすると因果推論アプローチと相性が悪いのではと考えることがある。さらにいえば、因果効果の量magnitudeに関心がある計量経済学に比べて、社会学では因果効果の厳密性よりも、因果効果の異質性の方に関心があるのでは(Brand など)?

そこで、傾向スコアが用いられるわけである、その利点は、次元の呪いを解消してATEを求められること、しかし逆に弱点は特定の変数に着目することはできない。もし仮に、ある特定の変数の異質性に注目したければ、交互作用でも十分なのではと考える。

違う話で、社会学的な因果アプローチとは何か。一つのたたき台は、Goldthorpeの人口科学としての社会学論。これによれば、社会学の営みは、人口学的な法則を発見→それのメカニズムを明らかにすることたるべき。 分析社会学的には、方法論的個人主義に立つ場合、個人の行為を中心として議論を展開することが重要。仮にこれを社会学的な因果アプローチとすれば、ある法則性を確認し、その内部を分解していく作業が暫定的には出発点。

このような目的に照らし合わせたときに固定効果モデルによる観察されない異質性は法則性の発見について機能すると考えられる、かもしれないと。その後で、集団間の異質性を交互作用的に検討する。

その上で、プロセスの分解、今回は集団の異質性に着目する。

December 11, 2016

12月11日(研究会)

午前8時半に起床、すぐ着替えて9時過ぎに出発。月に一度のRA会議@御茶ノ水。実は今期最後。周りが学部2-3年生が大半ということで、なかなか自分の位置取りが難しかった。カテゴリとしては学生なのだが、年齢的には社員の方が近く、考えることも多かった。今回は、年に一度、外部の人を招いて成果報告会をすることになっており、そのレク。プレゼンとは何かという話で、あまりこの手のイロハは得意ではないのだが、実習通じて得るものもあった。自分の言葉で話すことが、まだできないのかもしれない。

12時過ぎに抜けて、院生室で作業、時間もなく、すぐ13時から研究会。17時まで。あまり発言しないという方針なのに、修論から解放されたからか、割と奔放に喋ってしまい反省。半分くらいは意味のない質問だったと思う...反射的に話さず、ちゃんと飲み込んで考える落ち着きがほしい(この4年くらいの悩み)。研究会の方向性がいつのまにか変化の向き及び変化の長期的効果、になっているような気がして面白かった。自分はというと、修論終わってやや制約から離れたので、少し工夫してみようと考える。

終了後、近辺で打ち上げ。出した時はあまり達成感だったり、何かを仕上げたという感じはなかったが、やはり修論はそれなりに重荷になっていたようで、久しぶりに楽しい飲み会だった。自分は、今まで自分の好きなようにやってきており、それで多くの先生方に迷惑をかけてきているわけだが、そんな私でも気にかけてくれる先生がいるというのは本当にありがたいことだなと思った、というとお世辞くさい?かもしれないが、しみじみ思う。なかなか行動に移したり、面と向かってありがとうとは言えないのだが、自分の存在が周りから認知されていて、気にかけてもらえるというのは、ありがたい,まあそれくらいしか言葉が見つからないが、頑張ろうという気になるし、そう、期待に応えたいなと思うようになる。

自分には自分なりにこういうキャリアを歩みたい(本当は、キャリアという言葉ではなく、もっと広く、こう生きたい、というのが漠然と、しかししっかりとある)というのはあるのだが、今の自分が、将来の自分に向けて、どのような位置付けにあるのか、それはちゃんと考えないといけないと思う。小さなことを気にとめるばかりで、大きなことを忘れてはいけない。二次分析研究会では本当に勉強になることが多い、その一方で、修論を書く、そういう複数の話をまとめ上げる作業は、また別の知恵が必要で、20ページ程度の論文を書くのに集中するあまり、そのあたりの大きなところに目を向けられなかった一年だなと反省している。同じように、自分が今何をしていて、それが将来どう繋がるかの、緩やかな意識は必要だろうと思う。

その上で、自分のような考えで進路を計画するというひとは、珍しいと思う。その珍しさが、奇異に映って周りからは変な奴だと距離を置かれるのがせいぜいだろうと思っていたのだが、応援してくれる人がいるのは、思いがけない幸せだった。普通、興味のないことには頑張って、というだけだろうが、その道で行ったほうがいい、絶対そっちに行けと背中を押してくれる人はなかなかいなかったので、嬉しかった1日だった。期待に応えられるよう頑張りたい。

December 10, 2016

12月10日(IUSSPセミナー)

今日は麗澤大学で開催されたIUSSP国際人口学セミナーに参加してきました。ポスターとかあったようですが、一般非公開ということで、人口学会会員ということでオブザーバー参加させていただきました。

6月の日本人口学会以来の南柏、麗澤大学となり、意外と道を覚えている自分に驚きました。歩きで駅から麗澤まで向かい、お昼前のセッションから参加。テーマは人口変動の長期的趨勢ということで、いわゆる歴史人口学分野に近いかと思いましたが、最近社会学でも流行っている、多世代社会移動の話もあったりで、自分にも入って来やすい内容でした。

何より驚いたのは、マンチェスターに交換留学していたときにオックスフォードで開催されたカンファレンスで会ったストックホルム大のMartinと偶然再会したことでした。配布された論文も読んでましたが、名前見てなかったw
カンファレンスはSorensenにゆかりのある大学院の学生が集まるもので、オックスフォードのほか、ストックホルム、コロンビア、ウィスコンシンなどの大学から参加があった国際的なカンファレンスでした。それ以来、ISAやGESISで偶然再会したりする人はいましたが、まさか人口学のカンファで出会うとは思っていなかったのでかなり驚きました。

セミナー自体も非常に刺激的でした。修論からのリフレッシュ期間にいるわけですが、2世紀は当たり前に伸びるデータを分析するスケールの大きさには爽快感さえ覚える程、細かいことは気にしないという姿勢、これは語弊がありますが、やはり趨勢を追いたいという野心が垣間見えて、とても気持ちの良いものでした。自分は、階層結合から出版して最近人口学にも関心を持ち始めていますが、その中で、先ほども出た多世代社会移動の話にも興味が出てきました。ミシガンで偶然知り合ったXi Songの名前も今回のカンファでちらほら出る感じで、彼女もこのグループでアクティブなメンバーであることが窺い知れました。

彼女は参加していませんでしたが、彼女が修士を終えたHKUSTの先生たちと話すことができました。キャンベルさんはUCLAにもいたことがあり、自分の博士課程以降の研究関心を伝えると、いろいろと先生を紹介してくれました。今回は、van Bavelさんの報告を目当てに来たわけですが、いろいろと収穫の多い機会となりました。

とはいえ、いろいろ仕事は溜まっているので、4本報告を聞いて、帰京。根津のオーギョーチーであんみつを食べ、院生室で作業。レジュメをまとめ終わり、兆徳二初めて行ってみました。チャーハンに感動。戻って再び作業、主として出願関係。

明日は、午前午後とも予定がありますが、出願作業を進めて、加えて地熱もできればいいなと思います。

近いうちに、Annual review of sociologyでSongとCampbellが論文を出すようです。Similarity in differenceを購入しました。
http://www.annualreviews.org/doi/abs/10.1146/annurev-soc-073014-112157

すでに出版されてますが、これも東アジアの歴史人口学についての良いまとめかなと思います。
http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs13524-015-0397-y

December 9, 2016

12月9日

11時頃起きる、二日連続、10時間近く寝る。おかげか頭痛がひどい。家でメールやら何やら返して、大学へ。論文を読みながら、こくわですさ大。
15時からゼミ、三時間みっちり。間食にサブウェイ(生ハム)。その後院生室で、投稿論文のネタだし、終了後van bavelの論文を読む。メトロで夕食。その後スキャン、帰宅後、別の論文の方向性を確認、出願資料を整える。明日2つ提出したい。

論文を読みながら、ベビーブームの要因は意外とわかってないことを知る。日本では、第一次ベビーブームは1947年から1949年のわずか3年間、この年に生まれた世代が団塊の世代と呼ばれている。なぜこんなに短いのか、実はわかっていないのではないだろうか。
それと、戦争後に復員してきた男性と、戦後の平和感でブームが起こる、一般的な説明だが、怪しい気もする。この辺り、意外と掘ってみると面白いのかもしれない。

明日はIUSSPのセミナーです。すでに寝坊する気しかしない...

December 8, 2016

12月8日

寝るのが遅かったからか、11時頃起床、お風呂はいって、諸々済ませて1時に家を出て、こくわでお昼。

今日は明日のゼミでやる再婚の分析の途中報告資料作り。19時に終了後、ご飯を食べて、少し寝て、2時間くらいかけてその他の作業。地熱のデータ集めも含まれる。効率の悪い人間だなと思う。

帰り際に、分析のアイデアについて思いを巡らす。

December 7, 2016

近況

無事修士論文を提出しました(おとといですが)。
口頭試問が厄介なので、用意を進めます。

ただ、修論自体にはあまり自信がないので、正直自分が主査だったら撥ねてしまいそうなくらいには、満足できていません。
言い訳になるけれど、あと1ヶ月欲しかったという感じです。直前に至っても、同時並行で色々と作業があり、100%の力を注げず、という事情であまり打ち上げる気分にはならなかったです。

もちろん、課題だとわかっているところは反映して、年度内にはどこかに投稿する予定。反省と同時に、修論でゴールではないので、というのもあり締め切りギリギリまで書くという判断は見送ったという感じです。

水曜の授業でGuo and Fraserの傾向スコアの本を読んでいるのですが、先週に引き続きレジュメを担当しましたが、随分理解が深まりました。傾向スコアの重要な仮定の一つは、共変量は処置変数には影響するが、結果変数には直接影響しないという想定にあるらしい(これは、overidentificationというのでしょうか、まだよくわかりません)。今日読んだ章はこの過程を弱めるために、SEMを用いましょうというところでした。層化に関しては何とな理解できた。それ以外にも、レジュメでわからなかったところを潰すことができたので、かなり助かりました。そして、教科書だけではわからないところは引用文献にあたってみることも。

自学自習で人口学の教科書を読んでおり、形式人口学のパートを半分程度読み終えました。なかなか楽しいです。

今日は、最近進めている再婚の分析の用意や、レジュメ作成、授業、あとは修論もろも露の作業、多項ロジットの文献(IIAの仮定)など。前日も、結局レジュメ作りがほとんどでした。二次会に参加後、帰宅してメールを書いたり。投稿の準備も含めて、頑張ります。

なぜか、月曜日はとても眠くて、ゼミでも発言できず、まあ修論出したからかと思うが、疲れていた。そして、自転車をどこかにやった気がする。。。

ここ数日院生室はざわざわしていたので、明日から本番と考えて頑張ります。

November 29, 2016

Sharing Economy

月曜日は修論を書いて、4限のゼミで相談、先生のコメントを踏まえて修正して原稿を友人に送るまでやる。そして深夜から書類作成。これが4時くらいまで続き、翌朝の通学は断念。11時頃起きて、おでんを食べたりしながら(近所の弁当屋の弁当が売り切れてた)、書類を書く。2校分提出してずいぶん脱力、5時過ぎから作業を再開して、6時前に家を出る。7時から、以下のセミナーに参加。

The Geographies of the Sharing Economy (IHS Project 5: Critiquing Diversity Seminar Series)

このセミナーに参加した動機は、シェアリングエコノミーが都市空間や都市の経済を変容させていく過程について関心があったのだが、報告内容はそうした予期とはやや異なる展開に進んだ。報告では、具体的なフィールドの説明よりも、Airbnbのホストに対してインタビューを行った調査から、こうしたサービスに参加する個人が、見ず知らずの他人を自らの家に泊める過程で自身のアイデンティティや主観性に対してどのような変化を経験するかであったり、観光産業に広く浸透している評価システム(rating system)がAirbnbのようなサービスに対して持つ意味などが報告された。個人的に興味深かったのは、Airbnbでは評価の対象がホテルやサービスではなく「人」そのものであるという点だ。ホスピタリティ自体が評価の対象となるが、それを提供しているのはホテルの従業員ではなく、所有者であり、居住者であり、ホストである個人である。評価が個人に直結するため、Airbnbなどのサービスが個人の自己認識に対して与える影響は大きいという。このように、評価システムの中で規格化される観光産業の中でも、Airbnbのようなシェアの論理に支えられた行為は異なる位相にあることが示唆された。
セミナー自体は非常に興味深いものであったが、私自身の関心から、今後以下のような点についての検討がなされることを願っている。今後、インターネットを介してますますシェアの論理に支えられた経済活動が増えていくだろうと考えられる。観光産業にかかわらず、Uberなどのシェアリングエコノミーに分類されるサービスが日本でも普及し始めている。これ自体は、グローバルな伝播過程をたどるだろう。気になるのは、そうしたサービスがどのような土着化を経るかである。例えば、日本でAirbnbのようなサービスを展開しようとしても、法的な規制から北米やヨーロッパとは異なる展開を見せるかもしれない。今回の報告では、調査対象値の具体的な設定について述べられることは少なかったが、今後は異なる地域によるシェアリングエコノミーの普及過程の比較が検討されてほしい。
もう一つは、こうしたシェアの論理を一つの文化消費として捉えた時の方向性である。少なくとも日本では、シェアの論理に支えられた行為には世代差があるように思われる。若い世代は、身近な友人たちとシェア的な行為をすることにためらいは大きくないと考えられるし、その延長で、シェアリングエコノミーのサービスに積極的にコミットするかもしれない。シェア的な行為を一つの消費として捉えれば、そこには人口学的な特性の差があるだろう。いったいどのような特徴ー例えば学歴や年齢、エスニシティ、政治的態度ーを持つ人がこうしたシェア的な文化に接するのか、そうした研究が出てくることを願っている。

November 25, 2016

どたばた

なぜか昼に三つ予定が入る。11時半の予定を終えた後、昼は友人と一緒にご飯。Emmaという親子丼の店(夜はお酒を出すらしい)、今まで全く知らなかった。こないだの3万円の話とか、いろいろ。その後、郵便局の用事を済ませ、13時からとある先生とミーティング。単純に地熱の分析で必要なことをレクしてくれる予定だったのだが、あれやこれや話し、最後には3本くらい論文のネタが出てきてすごかった。地熱を専門にしようかな...

November 24, 2016

残すところ今年もあと5日ですね。
という感じの気分です。営業再開ということで、いろいろと遅れていた作業に戻ろうとするとその反動で少し疲れてしまった1日。積雪もありました。研究会もありました。本当は個室があって、そこで研究したいのですが、なかなか難しいところです。
休んで、明日に備えます。

写真は朝撮った井の頭公園です。

November 23, 2016

転換

タイトルに特に意味はないです。

修論を書いてます。そして、おおよそめどが立ち、最近はストップしてた仕事も再開しています。徐々に、俗世間へと戻っていければと考えています。そんなこんなで、夕方までは修論の修正、そのあとは事務作業という1日でした。祝日の方が、通勤時間の乗客がおらず通過駅も増えるので、毎日祝日にしてほしいくらいです。ただ、祝日だと本郷近辺でもご飯に困るので、その点だけ厄介ですね。

いろいろと人にお願い事をしている最中で、本当に時間を割いてもらっていると感じます。なんとか、結果で応えたい。そう思うこの頃です。徐々に、日記も再開したいと思います。

November 22, 2016

男女の学歴差逆転仮説

最近流行っているトピックの一つ。先進国のほとんどでは男性よりも女性の方が高等教育に進学する割合が高くなっており、構造的に伝統的な上昇婚が不可能になってくる。
高学歴女性がとる選択は、上昇婚志向を維持するか、それとも下降婚を許容するようになるか。前者に従えば(日本のように)未婚化(=非婚化)が生じるが、後者があるとすれば、下降婚が増える。この分野に関してはvan Bavelがリードしている。

Van Bavel, J. 2012. “The Reversal of the Gender Gap in Education and Female Breadwinners in Europe” edited by W. Lutz, K. S. James, V. Skirbekk, and J. Van Bavel. Vienna Yearbook of Population Research 10:127–54.

さて、このトレンドがグルーバルに見られるのかを検討したのが、本日early viewで届いた以下の論文。

Esteve, A., C. Schwartz, and J. Van Bavel. 2016. “The End of Hypergamy: Global Trends and Implications.” Population and Development Review 42(4):1–11.

要約としては以下の通り
・2010年時点の25–9歳の男女では、139カ国で女性の大卒割合が男性より高い。
・国ごとにみた女対男の大卒比と夫より学歴の高い妻の割合は正の相関で、男女の学歴差の逆転は未婚化ではなく妻下降婚を増加させると考えられる。
・ヨーロッパでは、同類婚・妻上昇婚と比べ妻下降婚カップルで女性の方が稼いでいる割合が高い。

最後の点は興味深い。おそらく日本だと、稼得能力にそこまで差はないような気がするし、例えば無職割合で見ればほとんど同じような気がした。結局、女性の下降婚が増えるというのが、ジェンダー平等をもたらすのか、それともジェンダー平等の結果としての下降婚増加なのかという点が鍵になってくると考えられる。

November 11, 2016

金曜

最近また寝つきが悪くなり、5時ね11時起き、昼に大学ついて、午後から研究会、もどって試験勉強して、帰宅後修論を書き修正。効率は良くないと反省したので、今日こそ早く寝る。

November 8, 2016

家族社会学研究に論文掲載

家族社会学研究最新号に拙論「学歴同類婚の世代間連鎖とその趨勢」が掲載されています。
昨年の日本社会学会で報告したものを論文としたものです。なお、本論文は2015年3月に東京大学文学部に提出した卒業論文「現代日本における結婚の変容」の一部を大幅に改稿・編集して投稿したものになります。完成に至るまでに、多くの方のアドバイスを頂きました。字数の関係で謝辞には書ききれませんでしたが、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

October 9, 2016

第89回日本社会学会大会報告を終えて

ひとまず無事(?)日本社会学会を終えたということで、一応いくつか書き記しておきます。

10月7日(金曜日)〜学会前日〜

 安い航空券を探した結果、旅割75で午前8時20分発のチケットを購入することになり、前日もスライド準備で寝るのが遅くなり、ほとんど眠れず羽田へ。搭乗口近くのPCスペースに行くと、研究室のst先生がいらっしゃった。

 福岡に着いてからは、特に予定を立てていなかったのでひとまず天神へ。12時半になるまでスタバで時間を潰す。その後、イギリスから来た友人と会食。彼女が日本女性の出生行動に対する職場要因について知りたいということを知る。終了後、西新までいって、英語ワークショップ。上智の竹ノ下先生によるレク。投稿する雑誌を選定する際の基準、論文の書き方、査読コメントなど、非常に参考になる。英語の雑誌にははっきりとしたハイラーキー(ランク)があり、雑誌の特徴を踏まえながら、IFの高いところに投稿していくというプロセスなのだろうが、日本にいるとこういった具体的な手順について相談できる人が少ないのかもしれないなという印象。今回、少なからず、英語と日本語、学会の国際化について考えることがあった。

 ワークショップ終了後、ホテルにチェックイン。疲れてしまい少し眠りにつく。起きた後、研究室の先輩と二人で焼き鳥を食べに外にでる。思えば、こうやって先輩と二人で飲みに行くみたいなことを、自分は大学入学以来ほとんどしたことがないなと思った。大人数だと聞けないようなこと(ほんとくだらないことだけど)を先輩から教えてもらうみたいなカルチャーの外にいたかもしれない。まあ、比喩として。ビジネスライクな関係性は嫌いではないが、この年齢になるとビジネスライクではない関係性はなかなか簡単につくれないので、ありがたい。

 戻って報告の練習。パワポの修正。15分だと間に合わなさそうなので、ずいぶん削ることにした。反省としては、やはりどこかで一度リハーサルの機会をもらっておけばよかったなというふうに思う。消化不良感はある、ただし今年の報告の中では一番時間をかけ、自分なりに色々考えながらつくったので、報告前に回収できた利得は大きい。

 夢の中で、報告しているシーンが出てくるくらいにはナーバスになっていた。まず、日社というだけで緊張する。数理や家族はおおよそ知っている人が来るのだが、その点日社は普段会わないような人のほうが多く、今回で言えば自分の前で発表した鹿又先生は初めてお会いしたのだが、そういう人にもわかってもらえる報告にしないといけないと、やや気を使う。あとは、やはり日本の社会学で一番人が来るのは間違いないので、気持ちが高ぶるというか、しっかり用意しないとダメだなという意識がいつも以上に出てくる。去年はそれで非常に緊張した。自分は、あまり学会報告で緊張するというタイプではないのだけど。

 次に、英語。今回は、日本の出生について知りたいという友人にトラベルグラントを紹介したという事情で、まあ結果的には英語でいいのだが、日本語ではなく英語で報告する形にした。これは緊張する。AASでは時間が足りなく、恥をかいたため、、、なので今回は、是が非でも15分で終わらせようと、何度もなんども練習して、ほとんどセリフも暗記した。その甲斐あって、報告は15分ちょっと過ぎくらいで終わり、まずまず。

 最後に、先生。私の指導教授は、自分が参加する学会に指導学生が報告するときには、必ず来てくれる。その点非常にありがたく、教育的だなと思うのだが、いかんせん緊張する。正直、学会報告よりゼミ発表のほうが緊張するし、準備も念頭にするので、結果としてゼミ発表基準になってしまう。そして、最後に教育的なコメントをもらう。ここまで伝統芸能。

10月8日(土曜日)〜学会1日目〜

 緊張の割にはよく眠れる。朝食を済ませ、大学へ。博多駅前の時点でバスは満員、天神にいる参加者を華麗において行き、伊都キャンパスに到着。登録を済ませ、部会の部屋に。先生に一通りご挨拶(こういうプロセス、まだ慣れないところがある)。

 終了後はひたすら脱力、脱力、脱力。何が疲れるかというと、自分の報告の前までずっと日本語で、そうなると日本語で理解して考えるのだが、自分から英語になるし、隣にいる友人が英語で話しかけてくるので何が何だか分からなくなってくる。ここまで疲れたのは本当に久しぶりだった。

 終了後、あいさつをして食堂へ。友人二人と昼食。やや遅れて総会に参加。次回の開催校が東京大学ということで、会場からはちょっと意外な声(というか雰囲気)。40年ぶりの東大開催、もちろん自分も参加したいが、現時点では不透明。その後、学会賞受賞を経て、会長講演。大きくなくてもいいので物語を作ろう、これが趣旨かな。日頃ちまちまとした計量分析をしている身からすると、本当に納得することが多かった。

 午後は最初家族部会、その後教育部会に移る、途中でエネルギーが切れて意識が飛びそうだったので、外に出てカステラを頬張る。終了後、他のメンバーは続々と天神に向かう中、私と永吉先生とMantingの三人がポツンと残り、懇親会へ。韓国の友人やお話ししたかった先生と話すことができ、一通り満足。日社の懇親会は平均年齢が55歳くらいになるので若手には入りにくい雰囲気になるのだが、個人的にはベテランの先生と話す機会に恵まれているので割と楽しんでいる。終了後、バスと地下鉄を使って天神まで向かい、教育部会メンバーに合流。日社的には常に家族(結婚)に配置される自分であるが、帰属感は昔から関わってきた社研の教育・二次分析系メンバーにあるのかもしれないなと思う(100%SSMとかぶるが)。二次会まで楽しんで、12時にホテルに戻り、就寝、とはいかずGREをこなす。

10月8日(日曜日)〜学会2日目〜

 あまり眠れず、あくびをしながらバスに乗る。部会は最初韓国の友人が発表するということになっていた英語セッション、しかし彼が遅れていたようなので、エスニシティのセッションで佐藤先生の報告を聞いた後、家族、その後意識。途中で切り上げ、一階のラウンジ。ここ数年挨拶しそびれていた渡辺先生が一人でいらっしゃったので、ご挨拶。田渕先生にも一声かけていただく。でしゃばりに学会報告をしている関係で、いろんな方に知っていただけるのはありがたい。まあ、研究が伴っていないんだけど。。。

 五十嵐さんと合流し、天神で昼食。その後はバス停に行って、長崎へ。くんちにギリギリ間に合いました。皿うどんも食べ、大満足。

明日は軍艦島。

*日本語・英語問題について*
 聞き及んでいるところでは、日本社会学会はISA横浜の招致の関係で英語部会を増やす方針を採ってきたらしい、具体策としてはトラベルグラントなど。今回も6-7名のグラント受賞者が出てきたが、彼らの日社満足度はいかほどだろうか。Sessions in Englishに回された報告者は、(1)部会のintegrityがないので参加者が少ない(2)テーマが異なるので議論しにくいという二つのデメリットを抱える。今回、6個の部会で日英混合になったが、これに関してはチェアの先生が英語を使えるかという基準が出てくるらしい(正直、チェアくらいどの先生も日本語英語でできてほしいと思うのだが)。なかなかむずかしいところである。個人的には、Sessions in Engllishに積極的な意義を見出せないので、できる限りintegrateする方針で学会事務局には頑張ってほしいと思う。

October 4, 2016

早起き&資料完成

この二日は日射の報告資料作り。それで今日終わった。英語報告なので、文献を英語にしたり、英語の表現チェックをしたり、そういうのに手間取る。ソウル大とのワークショップでも使うので、手をかけるに越したことはない。

そろそろSoPの用意にも入ります。あと、好き放題書く予定の修論第5章。

October 2, 2016

学会報告

週末に日本社会学会で報告するのですが、現在その準備中。
修論の一部なので根本的に何か違うということはないが、やはり発表のほうに気が向くと他の作業にかける時間が少なくなる。とはいえ、締め切りがあることではっきりと仕事できる側面もあるので、一長一短だろう。

October 1, 2016

近況

珍しく中央線が空いていたので、車内で日記を書いてみる。
この3週間は異常に、本当に忙しかった。何が諸悪の根源かというと、仕事がきたら二つ返事でイエスと言ってしまう自分の性格なのだが、これが結局自分の首を絞めているように思えてしまう。
9月末までの締め切りで、英語原稿が一つ(これは終えてこれから提出)、地熱の分析(これは第一著者のリードがあるので負担は少ない、自分は分析担当)、10月中旬に依頼原稿の締め切り(ちょっと急な案件ということもありクオリティに自信がないが、来月でます)、修論(実はこれが本丸)、GRE、その他寮の仕事や諸々の事務的な手続き、あと研究会や学会の報告(数理、家族と来て今度日射です)、11月にはソウル大と研究室の合同セッションがあり、こちらもフルペーパーが必要になるので、大変。一つでもミスると信用を失うか、人生路頭に迷う可能性があり、気を抜けない。修士に入ってから、毎月忙しく、暇になることが決してなかったが、先月は本当に忙しかった。

生活リズムは変な形で最適化?することになる。朝6時まで作業して、12時に起床、こくわ型に行って、14時頃から作業、23時ごろに帰宅して、また6時まで作業、その繰り返しで1週間、かなりの進捗を生んだが、何か自分の体を蝕んでいる気もする。若いうちだからできる無理なのか、それとも着々と健康を蝕んでいるかはわからない。いずれにしろ、長くは続かない慣行だと思うので学会報告が終わり次第元の生活リズムに戻りたい。研究には集中できるスケジューリングなのだが、問題は食べ物屋が閉まっていたり、日が暗かったり、やや研究外の環境に不安が残るため。

September 25, 2016

土日

休日らしいといえばらしく、らしくないといえばらしくない、そんな二日間。

土曜日、朝早く起こされ、10時半に家を出て、有明の方へ。東京ビッグサイトで国際ブックマーケット参加してきました。

主に書物復権の出版社と大学出版協会の棚を見ていました。普段は東大、名大出版会以外の本なかなか見ないのですが、いろんな大学出版の本眺めることができて楽しかったです。教育社会学系の本を幾つか購入して(玉川大学出版会の本など)、大学へ。


というタイミングで雨が降る。仕方ないので、喫茶店で待機しながら止むのを待ち(傘買うくらいならコーヒー飲んだほうがという話で)、午後5時頃に研究室、それから論文など書く。夜に電話。深夜にパワポ作り。

日曜日、翌日遅くまで作業していたのでやや不調。単語をやり、英語論文の方をいじる、このペースだと本当に締め切りギリギリ。そのあと、午後4時から寮の歓迎会。終了後、依頼原稿の執筆。そのあと、新宿でレッドタートルを見て、吉祥寺の沖縄料理屋でソーキそば。帰宅後、少し論文を書いて、仮眠、起きて、修論の方を書く、文献整理。朝になる。

September 23, 2016

水木金、そして最近考えていること

水曜日。午前10時半から勉強会。当日で一旦区切りを入れる。終了後、こくわがたに。研究室に戻ってきて、分析。今やっているのは、GREの単語、ライティング、それと英語原稿に修論、あと地熱。多少の差はあれ、この三日間はこれらを満遍なくやってきた。

修論の方は、第3章の分析にとりかかる。学校歴を加味した結婚タイミングの分析をしているが、意外と結果が出た。ミスマッチ仮説を敷衍しているが、やはりもっと先行研究に寄り添うべきかもしれない。結果が出ても出なくても、先行研究をどれだけ深く理解しているかで面白さは左右される。

明日も引き続き同じメニューで、第3章書き上げたら第5章に入ります。この辺りから峠を越えた感じになるかもしれない。第3章の結果が出て、一息ついた感じ。

研究生活はメンタルが大事だなと感じる。先週は十月の予定を立てる差異に自分の無計画さに辟易して、対象が優れなかったが、一度開き直って、今はやってやるぞと思っているので、体調はいい。メンタルを強く持たないと、研究はやっていけないなと感じた。

September 20, 2016

火曜

時間が足りないですね。

ひとまず、生存分析のパートは学歴を細かく見て面白いことが言えそうな感じ。

先週の木曜ですが、計量分析研究会で報告、この日まで結構迷走していた気がするが、コメントをもらい幾つか決心をしてみた。ただし、Apple storeにトラックパッドを修理に出していたので、作業はできず。一週間かかると言われたが、疲れていたので、えいやという気持ちで大丈夫ですと言ってしまった。

金曜日、共同研究室にて論文の執筆とGREの申し込みなど。暑かった。経済社会学研究会に参加後、六本木で君の名はを見る。少々気分が晴れやかになる。

土曜日、共同研究室が開いてないので、論文が書けない。仕方ないので、学校基本調査のデータをいじる。これでほぼ一日潰れる。そのあと、group submissionのネタについて考える。

日曜日、ディズニー。なんでも、小学校でそういう話題になり、みんなディズニーいってるし弟もそれなりに見るしということらしい。それなりに時間的、金銭的余裕がある世帯ならディズニーは行くものかと思っていたが、正直ミドル層は来るのかよくわからない。

一通り楽しめ、弟も満足したようでよかった。身長制限で乗れないのと、トイストーリー以外のファストパスが使えるアトラクションは制覇。自分、高所恐怖症なのにTower of terrorの中身知らずに入ってしまい心臓止まりそうだった。シンドバッドはスモールワールドみたいで気に入った。自分も4、5歳の頃にランドに行って、覚えているのはスモールワールドと帰ってきたときにドアに風船はさめてしまった割ってしまったことくらいなので、子どもにとって何が記憶に残るかなんてこちらが予想できることではない。それでも、弟が笑ってくれるのはこちらにとってみれば嬉しい。

月曜日、さすがに歩き疲れて10時間睡眠。院生室で、先週もらったコメントをもとに第4章を大きく改稿。分析にブラッシュアップの必要は残るが、これでようやく一眼に出せるストーリーにできたかもしれない。

やや内省気味になるが、ここまで書いたという気にならないと、気分が落ち着かない。仮説を考えているときは楽しいかもしれないが、結論が見えないのは暗いトンネルに身を侵されているようで、メンタルに悪い。それが先週だった。一歩トンネルを抜けた気分の一日。および、group submissionの案を提出。あとは書かないと。

火曜日、引き続き院生室で分析。といっても、まずは最後の階層研のレジュメ。次に、学歴の異質性を考慮に入れた分析。および第三章の構成を考え直す。帰宅後に地熱、および事務作業。

September 14, 2016

木曜

自分のような境遇で忙しいというのはおこがましいのかもしれない。
とはいえ、修論や留学の用意、さらに地熱論文、group submission、2次分析研究会、その他研究会、寮の仕事、やや負担が多い。卒論の時はこんなではなかったのに。

水曜

修論検討会、終了後こくわ。catパッケージの勉強。チケット購入。

September 13, 2016

修論第6章

今日もつれつれと研究。帰宅後に明日の資料作り。

Beck, Audrey, and Carlos González-Sancho. 2009. “Educational Assortative Mating and Children's School Readiness.” : 1–38.
Bernardi, F, and J I Martinez-Pastor. 2011. “Female Education and Marriage Dissolution: Is It a Selection Effect?.” European Sociological Review 27(6): 693–707.
Bernardi, Fabrizio, and Juan-Ignacio Martínez-Pastor. 2011. “Divorce Risk Factors and Their Variation Over Time in Spain.” Demographic Research 24: 771–800.
Blossfeld, Gwendlin. 2014. “Educational Assortative Mating and DivorceA Longitudinal Analysis of the Influences of Education on the Divorce Rate for Different Educational MatchesGwendolin J. Blossfeld March 2014.” : 1–51.
BUMPASS, L L, and J A SWEET. 1972. “Differentials in Marital Instability: 1970.” American sociological review.
GLENN, N D, S K Hoppe, and D Weiner. 1974. “Social Class Heterogamy and Marital Success: a Study of the Empirical Adequacy of a Textbook Generalization.” Social Problems.
Goldstein, J R, and C T Kenney. 2001. “Marriage Delayed or Marriage Forgone? New Cohort Forecasts of First Marriage for US Women.” American sociological review.
Goldstein, Joshua R, and Kristen Harknett. 2006. “Parenting Across Racial and Class Lines: Assortative Mating Patterns of New Parents Who Are Married, Cohabiting, Dating or No Longer Romantically Involved.” Social Forces 85(1): 121–43. http://sf.oxfordjournals.org/content/85/1/121.full.pdf.
Goode, W J. 1951. “Economic Factors and Marital Stability.” American sociological review.
Kalmijn, Matthijs. 2013. “The Educational Gradient in Marriage: a Comparison of 25 European Countries.” Demography 50(4): 1499–1520.
Kalmijn, Matthijs, Paul M de Graaf, and Jacques P G Janssen. 2005. “Intermarriage and the Risk of Divorce in the Netherlands: the Effects of Differences in Religion and in Nationality, 1974–94.” Population Studies 59(1): 71–85.
Kohara, Miki. 2008. “Is the Full-Time Housewife a Symbol of a Wealthy Family?.” Japanese Economy 34(4): 25–56.
Martin, Anne, Rebecca M Ryan, and Jeanne Brooks-Gunn. 2007. “The Joint Influence of Mother and Father Parenting on Child Cognitive Outcomes at Age 5.” EARLY CHILDHOOD RESEARCH QUARTERLY 22(4): 423–39.
Piotrowski, Martin, Arne Kalleberg, and Ronald R Rindfuss. 2015. “Contingent Work Rising: Implications for the Timing of Marriage in Japan.” Journal of Marriage and Family 77(5): 1039–56.
Raymo, James M et al. 2015. “Educational Differences in Early Childbearing.” Demographic Research 33: 65–92.
Raymo, James M, and So-jung Lim. 2011. “A New Look at Married Women’s Labor Force Transitions in Japan.” Social Science Research 40(2): 460–72.
Setsuya Fukuda, James M Raymo. 2015. “New Patterns of Educational Differentials and Assortative Mating After 2005 in Japan:a Shift in the Foundations of Marriage?.” : 1–20.
Tynes, S R. 1990. “Educational Heterogamy and Marital Satisfaction Between Spouses.” Social Science Research.

TZENG, M S. 1992. “The Effects of Socioeconomic Heterogamy and Changes on Marital Dissolution for First Marriages.” Journal of Marriage and Family 54(3): 609–19.

September 12, 2016

月曜

原稿をひとまず仕上げ、こくわがた。そのあとは研究室で分析、執筆など。
第6章について着想を得て、幾らかメモをする。

文献探し
Beck, Audrey, and Carlos González-Sancho. 2009. “Educational Assortative Mating and Children's School Readiness.” : 1–38.
Bernardi, Fabrizio, and Juan-Ignacio Martínez-Pastor. 2011. “Divorce Risk Factors and Their Variation Over Time in Spain.” Demographic Research 24: 771–800.
Blossfeld, Gwendlin. 2014. “Educational Assortative Mating and DivorceA Longitudinal Analysis of the Influences of Education on the Divorce Rate for Different Educational MatchesGwendolin J. Blossfeld March 2014.” : 1–51.
BUMPASS, L L, and J A SWEET. 1972. “Differentials in Marital Instability: 1970.” American sociological review.
Kalmijn, Matthijs, Paul M de Graaf, and Jacques P G Janssen. 2005. “Intermarriage and the Risk of Divorce in the Netherlands: the Effects of Differences in Religion and in Nationality, 1974–94.” Population Studies 59(1): 71–85.

TZENG, M S. 1992. “The Effects of Socioeconomic Heterogamy and Changes on Marital Dissolution for First Marriages.” Journal of Marriage and Family 54(3): 609–19.

September 11, 2016

家族社会学会2日目

午前中の二つの部会に出席。NFRJときょうだいセッション。前者は相変わらず家族社会学会の歴史を学ぶ場所となる。どうしても学会の付属委員会だと、ああいう話になってしまうのかもしれない。きょうだいセッションはいくつか興味深い点がありました。友人が質問力云々と言っていて、考えるところもあり。非血縁関係における血縁要素という土台できょうだいを考える時、これは必ずしも日本だけに見られるものではなく、そのためタテ社会の話などはやや日本固有のきょうだい秩序を想定しているように見える。議論を聞いていると、義兄弟の話なども念頭に置いていたように思われるが、社会化の議論などはより一般的な内容になるかとおもった。

終了後、全学停電のためスタバで作業。5時から院生室にうつり、Lemを動かす。帰宅後、改稿。起床して、送信。

4章に入りたいけど、やや疲れている。




September 10, 2016

家族社会学会1日目

ここ最近学会報告やら何やらで忙しかったです。
今日は早稲田で家族社会学会でした。午後のワークライフバランス部会で育児休業の分析を報告。色々と自分の守備範囲ではないので、いただくコメントには反省しきり、、、最終的に何かの形にして、10年後くらいに育児休業の分析をする人が読んでもまあ引用するかと思ってくれる論文にしたいです。

総会に参加して、新会長は石井クンツ先生となりました。駒場時代に先生の英語ディベートの授業を取っていて、実は自分が初めて会った社会学者です。先生はいつも明るく、パワフルで、非常に頼もしい。新会長のもと、ますます学会が進展しますようにと願っております。

疲れていたので、懇親会途中抜けして、修論第3章の続きを書きます。

September 7, 2016

今日は1日明日明後日のゼミ報告の用意でした。なかなかに辛い。

September 6, 2016

どたばた

熊野から帰ってきたのが一昨日とはとても思えません。電車から、車から見える海の景色はおぼろげで美しかった。

起床後、家を出る。駅で寮の後輩と遭遇。こくわ経由で歩いていると、鍵がないことに気づく。どうやら自転車を駐輪したところに置いてきてしまったらしい。
少し不安になりながらも仕事。主として、明日の研究会の予習、地熱の分析、本のコピー、ノートの購入、iPadでプレゼンするためのアプリとライトニングケーブルの購入。Demographic Researchにアップされた自分の関心に近い論文を読む。ざっと5時間程度作業して、帰路につく。ユニクロで研修中に破けたジーンズに代わるものを探す。結果的に、同じものは生産してなかったが、ジョガーパンツとスリムフィットジーンズを購入。自転車に油をさしてもらう。帰宅後、新入寮生と面会。夕食を済ませ。脱力。ユンケルを飲んで、2時間半ばかり、自分の研究。


September 5, 2016

エンジン

熊野で120時間程度過ごしてしまったので、今日はエンジンをかける。

深夜に不平等研の資料を作成し、寝る。午前中に洗濯を済ませ、AAS原稿の提出。こくわで昼を済ませた後、研究会まで家族社会学会のスライド作り。分析を終え、深夜に完成。少し地熱。

進んだような、進んでいないような。一歩ずつ。

September 2, 2016

熊楠と熊野古道

二日目(1日は)南方熊楠ゆかりの地を訪ねる。写真だけだと伝わりにくいですが、一枚目が熊楠の墓地がある高山寺隣にあった猿神社跡。ここで熊楠は新種の粘菌アオウツボを発見したらしい。といった文脈を踏まえることで、神社合祀反対の面影を見ることができる場所。この旅で痛感しましたが、何の変哲も無い土地も、語り、伝承、物語、逸話、様々な表現がありますがそうした人々の中で共有されるストーリーを媒介することで、意味のある立体的な図になるのだということを思います。この一枚はただの緑地しか写していないように見えますが、その道の人の解説を加えると歴史の中に位置付けられる貴重な一場面となります。

熊野本宮にある湯の峰温泉の民宿に宿泊した後、三日目は本宮に移動して熊野古道中辺路(なかへち)散策。発心門王子から本宮大社までの約7キロの道を語り部の方と一緒に4時間。写真は道中にできた森林浴スポット。どうやら、熊野古道が観光的な色彩を浴びるようになった2000年代以降にできたような話でしたが、1000年以上の歴史を持つ熊野古道は時代の趨勢に応じて王子の数も変わったり、道ができたり、滅びたりしています。その意味で言えば、このような森林浴のスポットも時代の移り変わりを表す一枚なのかもしれません。数百年前にこんなところで森林浴していたら山賊に襲われて死ぬんじゃ無いかという気がします。ある意味で平和の象徴のような。寝るととても気持ちがいいです。写真に写っているのは語り部の方です。大変お世話になりました。


August 31, 2016

熊野研修1日目

和歌山は紀伊田辺に来ています。リーディングの学生企画。
新大阪まで新幹線、その後JRの特急くろしお号に乗り換えて、終点白浜の一つ手前にある紀伊田辺駅でおりました。熊楠研究者の先生の博識具合に驚嘆しています。

普段、データの分析をしている身としてはなかなか高尚なお話を聞く時間が多く、駒場時代を思い出します。良い気分転換でしょうか。

車窓から撮った夕日

July 30, 2016

中国とアメリカ

いまいち論文書く気になれないので日記。
今日はICPSRが企画したデータワークショップに参加。China Multigenerational Panel Data (CMGPD)というやつで、要約すると清王朝時代の中国における戸籍データを用いて、人の移動や世代間の社会移動などの分析をしようというもの。データセットをつくったのはUCLAからHKUSTに移籍したCameron Campbellらしいが、今日は歴史学系の教授一人と、社会学者のXi Songの二人がインストラクターとしてきてくれた。SongはUCLAでMareの指導のもと、多世代社会移動に関する研究で博士号を取っている。今日の話は結構面白く、社会移動研究に人口学的な要素を積極的に入れようという気持ちが伝わってくるものだった。例えば、十世代前の社会に10人の人間がいたとして、階層的に序列付けられているとする。これだけを見れば一世代の分布だが、各人が世代を継承できるかは一様ではない。つまり、子孫をたくさん残す人もいれば、そうでない人もいる。家系が途絶えてしまった場合には、その人の出身階層が次世代に与える影響は無くなる。このように考えると、子孫を大きく残した人の階層の影響力が大きくなると考えられる。さらに、現代では階層が高い人の方が平均的な子ども数は少ない傾向にあるので、資産が集中する傾向にあるかもしれない。みたいな話。時点を長くとればとるほどデータの正確性は損なわれるが、その分人口学的な説明の影響力は大きくなるという印象を持った。

ここまではワークショップの話。そのあとサッカーを見に行ったのでデータの分析パートは途中退出。もちろん、中国人ばかり。Songは関心がかなり近いので話しかけてみようと試みたが、周りに中国の学生が中国語で話しかけていたのでなかなか入りにくかった。帰り際に数分話したが、日本で同類婚のことをやっているであったり、多世代社会移動の話には興味を持っていたという旨を話すとreginal comparisonは重要だからと言ってくれた。まあ、話したけれどそれこそ日本では歴史人口学の人たちがやっているので、、、と思ったが、社会学なら社会移動とすれば意外とできるだろうか。時点を長くとればとるほどデータの正確性は損なわれるが、その分人口学的な説明の影響力は大きくなるという印象を持った。

今日Songに言われたことも考えると、日本を主軸としてやりつつも、それだけだと地域としては弱いというか、階層論、人口学には中国からの研究者が山のように入ってきているので、バリエーションの出し方としては東アジアの地域比較も念頭に入れておくのもひとつなのかなと思った。

July 29, 2016

淡々と

ひたすら淡々と毎日が過ぎていく。7時前後に起きて、単語やって、リーディング済まして、朝ごはんの支度をして、9時前には食べ始める。9時40分に家を出て、10時から授業、12時から教室を移動して線形代数、13時に終了して、Newberryに向かってサンドウィッチを食べる。3時から5時にまた授業、終了後、課題をやったり、地熱や修論をやったりで10時を過ぎる。寝るのは12時から1時ごろ。こう見ると、5時以降もっと研究できるんじゃないかと思うが、1日5時間授業受けていればそれなりに疲れるということを(改めて)知った。月曜は外で昼を食べたが、それ以外はお金がないので自炊。なので、3日間一銭も使ってない。明日はミシガン大の友人と会う。

July 25, 2016

1週間

ここ最近のアナーバーは特に暑くて、夜は寝苦しくてかなわない。何しろ、部屋にエアコンがなく通気も悪いため。

だいぶこちらでの生活にも慣れてきた。日本とは手はずの異なることばかりなので、洗濯にしろ料理にしろ、言葉が違うだけでこんなに億劫になるものかと驚いてしまう。自炊に関しては2年ほど無縁だったため、これまで毎日茹でて水に入れるだけのざるそばの恩恵にあずかっている。今日は初めて火を使った。

買い物なり散策を通じてだが、アナーバーは想像していたよりもこじんまりとした町で、それに伴って以下のような点が印象に残った。
まず、治安に関して。アメリカの治安は決して良くないと思っており、夜も出歩くのは避けておこうかと考えていたが、マンチェスターやケルンに比べてもずいぶん治安がいいのではないかと感じてる。その大きな要因は、アナーバーは良くも悪くもミシガン大学の関係者によって成り立っているので、街の同質性が非常に高く、貧困層などもずいぶん少ないのではないかと考えている。夜も、結局週の後半には(部屋にエアコンがないこともあって)遅くまで大学の施設に残るようになってしまったのだが、歩いていても身の危険を感じることはほとんどない(ほとんどだが)。高価なものは手に持たない、暗い道は歩かないなどの最低限の点に気をつければそこまで危険はないかなと思っている。

次に買い物事情。どうやらミシガン大学関係者の住宅は北キャンパスに集中しているらしく、中央キャンパスにはオフキャンパスの住宅はあるものの、こうした事情のためスーパーマーケットらしきものが皆無である。本当に皆無で、生鮮ものがコンビニか薬局くらいにしかない。大型のスーパーには車で行く必要があり、南のMeijerには先日行ってきたが、バス代が往復3ドルかかるので、今度から大学のバスに乗って北キャンパスまで行き、スーパーで買い物しようかと考えている。ちなみに、アナーバー唯一のデパートはBiarwoodらしく、これもバスで20分程度かかる。アップルストアにいってアダプタを購入した。

木金とcausalの課題に追われていて、単語もあまりできず、土曜日には少しいじったが、日曜日には頭痛が走り断念。週替わりから改めて再開したい。自治寮に住んでいるため、個人には一人当たり4時間の仕事(掃除など)が課されている。今日は午前中から午後にかけてその仕事や洗濯を済ませた。そのあと文献を済ませ、寮のミーティングに参加。中国人の留学生が作ってくれた餃子をつまみながら作業を再開し、9時前にAngel hallにいってSASを走らせるがうまくいかない。明日TAに相談する。土曜日は金曜の疲れで11時間半寝てしまい、逆に頭が回らないという事態になる。Angel hallで雑務ばかりしていた。気が散っていたのか、無性に魚が食べたくなり魚を売っているところを探したり、アナーバーで徒歩で行けるスーパーを探していた。Baboというところが徒歩数分の距離にあったが、オーガニック専門で学生にはちょっと手が出せない感じだった。Art fairの余韻を感じつつ、中華料理で夜を済ませ、SASワークに手をつけた。

明日から第2週目ということで、頑張りたい。まず早起き。


July 19, 2016

ICPSR2日目

二日目終了。Longitudinalの先生は四半世紀ICPSRで教えているということで頭が下がる。少々厄介なのは、biostatの人だからかもしれないが、SASで実習するということで、SASを触ったことがない学生向けに時間外にレクチャーしてくれた(3日間にわたりどの生徒も参加できるよう6セッション開いてくれる気の入れよう)。出力がHTMLなので綺麗、UIはLEMに似てる印象を持つ。夏休みの4週間をICPSRに使ってくれる先生たちの心意気たるや敬服いたします。

諸々終了後、教材をスキャンしにNewberry近くのAngel Hallにあるcomputer siteに行く。恐らく昔講堂だった部分をぶち抜いて、PCルームに改築されている感じ。スキャンもできたし、学生証なくてもuniquenameでログインできた。そしてArcGISも使えた。

来る前の印象としては、世界のICPSRたるや相当にオーガナイズされているはずだと(2500ドルも払ってるし)思っていたのだが、もちろんGESISのサマースクールなどに比べればコースの種類やそれぞれの授業の20回という厚みは顕著な差として見られるのだが、個々の授業自体は先生ごとに裁量が任されているし(なのでアサインメントなども授業によってばらつく)、なにより受ける方も全員が全員、成績を気にするわけでもないので、すこし気の持ちように余裕がある感じを受ける。よく言えば力みがないのだが、悪く言うと少々緊張感に欠けるかもしれない。後者については、日本で聞いている印象としては、世界最高峰の環境云々ということを想像してしまっていたこともあるが、そういう切羽詰まった感じはない。あと、ミシガン大学の設備に比べれば、ICPSRサマープログラムの施設は建物を間借りしている一時的なものなので、インフラとしては周りの施設の方が高水準だったりする(パソコンの数なり、図書の整備なり)。この季節は学生がいないかと思っていたが割とcomputer siteやキャンパスを見ていると人はいて、大学がICPSR一色という感じでもなく(考えてみればそりゃそうだ)、ミシガン大学全体のスケールの中の、ごく一部分を占めているにすぎないのだなと感じている。まあ、日本にいるとなんでもすごく見えてしまうものなのかもしれない。逆に言うと、そこまで気を張って参加する必要はないかもしれない。ただし、授業料は高い。ICPSRのネームバリューや授業料の高さで気負ってしまいがちだけど、中身はよくある気分やや緩めのサマースクールという感じ。さすがにそういう人はいないと思うけど、やろうと思えば一人が受講してリーディングなどを落とし、もう一人は授業料払わず教室にいても何も不思議がられないだろうなあ。


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July 18, 2016

ICPSR1日目

初日は午前中にregistrationがあり、授業は午後1時から。午前9時半にISRに向かってregistrationを済ませ、先輩とバスに乗ってMeijerとTsai Groceryに買い出し。後者はアジア食品店で、そばとめんつゆをゲット。だいたい買ったけど、爪切り忘れた。

授業はcausal inferenceに出てみる。先生はミシガン統計学部のBen Hansen教授(+イリノイ大のJake BowersとTA)。potential outcome modelに則った授業で、ついていけるか自信ないけど、M&W一読したし、教養程度にと考える。内容としては実験デザインに始まり、傾向スコア、操作変数、sensitivity analysis、もしかするとRDとかまでやるかもということ(RDはそれ専門のワークショップがあるので兼ね合いがあるっぽい)。初日授業者のバックグラウンドはポリサイが20人以上、社会学は8人。ほか数名。

気候はやはり過ごしやすくて、日差しは午後にかけて強くなるけど湿気がないので不快感はない。授業終了後、ちょっと買い物して、オフィスがあるHelen Newberryで夜のパーティまで待機。

パーティでは寮にいる中国人が別の知り合い(というか道で会った感じの韓国人と中国人)を連れてきていて、流れで座りながら彼らと話す。アリゾナ大学の政治学の人たちらしい。後半からはもう少し回ってみようかと思って、立ち話をしてみる。やはり、中韓の学生で英語がうまいくらいの人の方が話しやすいなというここ数年来の心象をくりかえす。寮に戻り即就寝。

どうやら昨年に引き続き、中国の大学から50人とも100人ともわからない数の学生が大挙してICPSRに参加しているらしい。そして学部生。寮にいる中国人の学生も皆いい人なのだけど、彼らは特に政治学や社会学の応用的な手法を学びたいというモチベーションで来ているというわけではなく、おそらく数あるアメリカーのサマースクールのうちの一つとして統計を学びに来ているくらいの感覚なのかもしれない。そして、(自分がいうのもアレだけど)英語もこれからという感じなので、彼らのようなバックグラウンドの人が大量に来るようになると、ICPSRの性格も変わってくるかもしれない。自分としては、学部生と大学院生が混在して参加できる形態は悪くないと思うし、現にGESISなどには学部生として参加していたので何も言えないが、あくまで院生中心のプログラムに、一部学部生が混じるくらいがちょうどいいと思うので、構成比の変化は何かしらのインパクトをもたらすかもしれない。杞憂であればいいけれど。




registration丼、これからsitさんと日用品の買い物。

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短信

17日午前5時半に起床、6時半に駅に着きバスに乗る。8時半に成田空港に到着して、チェックイン。10時40分に出発。11時間ちょっとのフライトで、ダラスに到着。現地時間11時頃に出発し、2時半過ぎにデトロイト空港に到着。機内ではズートピアをみたり、GREの単語をやったり。 チケットが完売していたのでシャトルバスを5時発のを予約したのだが、先人のアドバイス通り早いバスにも乗ることができ、4時半にアナーバーに到着。寮には5時過ぎに到着したが、その時には寮のミーティングがはじまっており、途中から参加する。学生でないメンバーを寮に入れる際には、寮メンバーの承認が必要らしく、その議論や、8月に外に出てしまうhouse managerの代わりを誰がやるかなど、非常に民主的な自治寮だなという印象。終了後、一通り寮の説明を受け、眠くなったので近くの7-elevenでシャンプーを買ってシャワーを浴び(お湯の出し方がわからなかったので寒い)、そのまま就寝。 18日は6時半に起床。時差ぼけは解消。朝食にシリアルとバナナ、それとコーヒー。まだ火の使い方がわからない。そのあと単語をやって、1日の予定を確認。これからregistration。

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July 15, 2016

帰省(長いのであとで編集します)

6月末にAASで報告したあと結構ドタバタしてました。

7月になって大小の勉強会で報告3回(1日の経済社会学研究会、2日のパネル研究会、13日の階層研究会)、ゼミの報告が2回(8日、13日)、社研のPhDセミナー(7日)、3日のSSMの関東地区研究会、9日の課題公募の二次分析研究会で報告して、14日の修論セミナー。足したら9つもレジュメやら何やら作ってました。その間に、4日に気分転換に友人とイメージフォーラムで『シリア・モナムール』鑑賞をしたりもした。ドキュメンタリーだけどシリア内戦の悲惨さと並行して詩情的な男女の対話が重なっているのが独創的だった。他には、マンチェスター時代の友人が日本にフィールドワークに来るということで、12日に午前6時半に羽田というアクロバティックなことしたり、ちなみに翌日は天ぷら食べに行った。あとは、駒場時代のゼミの先生の紫綬褒章受賞記念パーティなど。共著者のミーティングを水曜にして、どうやら論文に必要な分析が帰国までにできている必要が出てきた(汗)。ASSも一人でやるので結構重荷である。

火曜日(12日)はお世話になっている松尾先生と会食。今日のこくわの大将と合わせて、向こうでの足しにと励ましてもらったので恐縮。30日の計量研は楽しかった。海外の印の人がきれくれたこともあり、興味深く、モチベーションあがったかも。

社研のセミナーでは、主張がindirectだというので、要するに変数の効果見て解釈してるだけじゃんというコメントをもらった。確かになあ、もっと直接的に観察できればなと思った。とはいえ、社会調査には社会調査でおおよその推論は許容しながらトレンドだったりもっと広いこと見ている気もする。ただ、重要なのは発想なのはその通りだと思って、興味その議論からこういう仮説はどうだみたいなのが結構ポンポン出てきて楽しかった。全部は検討できないけど、仮説思考の人が集まって議論すると結構分野外でも発展的に話せることがわかった。もちろん、配偶者選択に関して厳密な仮説検証は結構大変。

この間に、5日あたりに出身階層の影響力という点にこだわろうと決め、短大の記述含め修論を書き、幾つかは報告した。あと、連携と離反の東アジアが朝日の吉岡さんに書評されて嬉しかった。

SSM研究会では(以下twitterメモベタ貼り)、二次会で言われたことを踏まえると、問題設定を(1)現実社会で問題となっていることから出発するか(2)先行研究で理論的に重要とされていることから始めるかに大別すると、自分含め周りの友人は(2)を重視するけど、もしかするとベテランの先生は(1)に比重を置いている人が多いのかなと思った。
互いに両立するしどちらも大事だと思うけど、例えば自分の分析の結果を解釈するときに、それはひょとすると都市と地方の格差に関係しているんじゃないのかという点は、同意するしより現実的に理解できる説明のような気がするけど、リファーしている先行研究からは導きがたい主張ではある。
可能性としてはそういうのから出発して日本の事例から抽象度の高い理論に持ってくことはできるかもしれないけど、(いいか悪いかは別として)自分含め周りのスタンスとしては欧米の知見がまずあり、理論的に含意されることが日本ではどうなっているのかというラインからスタートすることが多い。
その中で、理論的に導かれることをローカルな文脈に置き直して再構成する程度の修正はある(し自分もそうして推論する)けど、やはりまず理論的命題があって、その上で我々が一次的に理解できるような説明が加わるというイメージでいる。なので、自分はそうした一次的な説明から出発することはしない。
その理論の前提には雑駁に言えば開放性だったり格差の連鎖だったりがあるのかもしれないけど、その先行研究をリファーしている限りは妥当な説明のように思える。計量分析にも現実世界のリアリティに近い説明を好む人もいれば、理論から出発する人もいるだろうというくらいのこと。
さっきの話の続きなんですが、そういうすでにある欧米の理論から出発してそれを部分的に修正するような進め方だと、日本のローカルな特徴が前面に出た説明はできないなという気もしている。例えばBrintonの人的資本形成システムの議論とか。
先進諸国のうちの1つとして日本を検討して、理論を修正するというやり方だと、なかなか「なぜ日本なの?」に答えられない。よほど理論に対してインパクトのあるテストとかじゃない限り(身近な例だとRaymo & Iwasawa 2005とか)あと、海外の研究者からはなかなか引用されにくそう。逆に欧米の知見から始まるスタンスだとBrintonのような説明はなかなか受容しがたい(日本にほとんど固有とも言っていいような説明なので)。ここ数日の研究会などの議論を聞いているとそういう点について考えました。本当にどちらも必要なスタンスで、先行する理論が適用できる範囲(レバレッジ)を徐々に修正しつつ広げていくというのも大事だし、日本は日本として地域研究のように説明するのも必要だし。ただし、非常に均質的な集団(日本の社会学界やRC28とか)だと前者のような説明が好かれるかなという印象。
どちらも必要だけど、一方で実践としてはよく問答として(日本の学会とかで)「A理論が妥当するか日本で検討してみました」「ふむふむそうね」となりそうな一方、少し分野が離れると「なんで日本だけなの?」みたいに聞かれるという話。(最初の話とやや離れてしまった。)日本の社会学者しかいない均質的な集団だと日本だけの説明でも十分満足されそうな気もしてきた。一方で日本のXを事例としてAとBの関係を根本から問い直すみたいな研究もあるかもしれない。

まあ、いろいろ勉強は必要、Association modelとかforce of attractionとか。

June 26, 2016

京都・学会参加3日目

AAS in Asia報告終わり。ひょんなことからこういう機会をいただけたのは色々と勉強になりました。
Marriage strategies in East Asiaというパネルで、終了後の報告者とのミーティングで、チェアのDeborah Davis先生の意図としては、ご自身の中国でのフィールドワークの経験から、高学歴化、個人化、都市化といったマクロな社会変動が家族形成に与える影響を東アジアの国を比較することで検討したいという意図があったのだなと思いました。
私はそんなことはつゆしらず、日本の学歴同類婚とその帰結についての報告をしたのですが、関心が重なるところとしては、例えば女性の高学歴化が配偶者選択のパターンにどういうインパクトが(高学歴カップルの増加に伴う世帯間の不平等という帰結も含めて)あるのかだったり、私がほぼ統制変数で入れただけの15歳時の家庭豊かさに食いつきがあった箇所は別の解釈をすると、育った環境が配偶者選択にどう影響するかという(それ自体はイースターリンの話とそこまで外れないと思いつつ)話になったり、総じてやはり西欧社会と一見すると同じような社会の変化を経験している東アジアの国にみられる(家族も含めた)制度的な特徴(親子の紐帯が強いであったり、直接間接の形で結婚に親が介入するであったり)が結婚のパターンにどういう影響を持つかというのを時系列および東アジア社会間の比較でみたかったのだなと思いました。
親の影響は昔は気になっていたところで、ただ少なくとも(1)見合いによる介入という直接的な側面(2)非直接的だが結婚に際して親の影響があったと対象者が答える側面(3)非直接的かつ対象者が影響がないと答えつつも親子間の学歴や階級で見た時に関連がある側面の三つをどううまく峻別した上で議論できるかと考えて難しいなと思っており、最近はベッカー、オッペンハイマーに代表される結婚市場の議論に乗っかりながら、その帰結の部分を見たりしていたので、昔の記憶が蘇る日々でした。昔の関心にシフトするとやはり家族に重きをおくような気がしており、一応修論では階層に着目するつもりなので、自分の中で今回のセッションをうまく消化して今後に生かしていきたいなと思いました。反省としてはやはり盛り込みすぎで、そう悟ったタイミングからアブストを書き直せばよかったのだろうと思いました。今回はやや特殊な事情だったので仕方ないかと反省。日本はどう?と聞かれても自分に知識がないことがわかるばかりで、細々とした反省は数え切れないのですが、少しずつ潰していければと思います。

June 25, 2016

京都・学会参加2日目

二日目。他のセッションみたりKey note speech聞いたりした感じだと、グローバルに生じた出来事が各ローカルな文脈でどのように受容されたのかをつぶさに見る研究は少なくないなと思った。グローバリゼーションもそうだし、東アジアで異なる言葉でも同じような対象を指している現象だったり。例えば88万ウォン世代と失われた世代の比較みたいな話。その報告はざっくりと理解した限り苅谷先生の意欲格差の議論と似てること言ってて面白かった。

5時半に集合して、パネリストとのディナーから帰宅。緊張しきりだったけど打ち解けられたので明日のセッションがまた一つ楽しみになった。北米の教員採用の最終面接もこんな感じなのかなと思った。チェアの先生は、メールで論文に結構きつめのコメントをもらったけど、実際会ってみると非常に柔和で感じの良い方だった。彼女はエスノグラファーだけど、自分が下手な英語で書いた論文の生存分析、ログリニア、要因分解、全部分かった上でコメントしてくれて色々感嘆してしまった。ほんと頭が柔らかい。どういうトレーニング積むとこんなに柔らかくなるんだろうか。やっぱそこ突っ込まれるよなあというところもあれば、意外にそこ興味あるんだみたいなのもあって、そういうのは楽しい。


論文も普通に面白いと言ってくださって感謝しきりだったのだが、自分のやっている分析にもう少し自信持ってもいいのかなと思った。とは言っても一方で、例えばXie門下の(中国人)学生は自分より何百倍もメソッドに詳しいはずで、そういう人がごまんといる市場に入っていくときには、どうやって生きていこうか考えないといけない。器用貧乏になるというのが一つの手で、量も質もできる研究スタイルが一つ。あるいは対象とする社会の文脈をよく(よくとしか言えないけど)踏まえた分析ができるようになること、あるいはNan Linみたいに新しい理論・概念を見つけだす役割。現実的には、3番目の戦略を伺いつつ2番目に従事するくらいが妥当なのかもしれない(あくまで現実的な話)。もちろん、この研究がしたい、先行研究の流れの中でこれを明らかにしたいというのは前提だけれど。人によって考えは違うだろうけど、自分は割と単純に、若いときには競争の激しいところに身を置くのが実になるかなという安易な発想をしている。高校野球の球児がMLBに行きたいくらいのもん。まあ指導教官が大事とか、資料があるとかないとか、本人のやる気があればどこでも同じとかあるけど、自分は(研究でも)機会構造やネットワークの方が大事だなと思うタイプなのかもしれない。ということを、この手の国際なんたらの機会になるたび思う。

余談、ディナーで、中国語のguanxiとsocial capitalは何が違うんだろうねという話になり、guanxiが使われるのはどういう時かと聞いてみると、「仕事を探すとき(ビジネスを起こすとき)」と「よい医者を探すとき」の二つだと言われて、後者は中国らしいなと思った。関係guanxiというのは職探しの時によく聞くので、そうだとするとsocial capitalの道具的な側面に近いのかなという意図で質問した。話を聞く感じ、関係は特定の人にくっつくのがsocial capitalと違うらしい。なんとなくだけど、関係には権力が付随しているのかもしれないと思った。

June 23, 2016

京都・学会参加0日目

15時発の新幹線に乗って京都へ。なぜか頭痛を催してしまい、気分が悪くなったのもありその後のミーティングの予定はキャンセル。幸いなことにホテルが自転車を無料で貸し出してくれるらしく、外に出る。部屋にディスプレイがあったので円町のエディオンでRGBケーブルを購入、近くのカフェで他の報告者の論文を読む。これに関しては、あとでまとめる。これから諸々の雑務、外食が続くと体重が増える懸念がある。

June 21, 2016

学歴同類婚の増加と世帯所得不平等化の関係

文献:Breen, Richard, and Leire Salazar. 2011. “Educational Assortative Mating and Earnings Inequality in the United States.” American Journal of Sociology 117(3): 808–43.

要約

学歴同類婚の増加が世帯間不平等を拡大するという説が、不平等に影響を与える人口学的要因に着目する近年の研究によって指摘されている(Blossfeld and Timm 2003, Esping-Andersen 2009, Schwartz and Mare 2005
前提① 女性の労働参加が増加している。
前提② 家族システムが男性稼ぎ主モデルから共稼ぎモデルに移行する。

こうした懸念の一方で、経験的な知見は乏しい。この論文では、非同類的な結合の効果を見るために、選択的結婚(Assortative mating)を同類婚以外にも拡張した分析を行う。
    同類婚以外のカップルにも着目
    結婚と同棲のパターンの変化に着目

世帯間不平等生成における人口学的要因の役割
    家族構造:基本的にひとり親世帯の増加などの家族形態の変化は不平等化を促す
    女性の労働参加:国際比較を踏まえても、世帯所得の分布を平等化する。
    選別(sorting-夫婦の収入の相関:アメリカにおいて、世帯収入の不平等化には夫婦の収入の相関の上昇が寄与しているとされる。
    選別(sorting-学歴同類婚:子どもがいる二人親世帯では効果なし。

学歴同類婚と不平等の関係を考察する際の留意点
    不平等はグループ内とグループ間に分けられるとしているが、ここではむしろ「あるグループが増える(減る)ことが不平等に寄与する」ことを検証するためには、「そのグループがほかのグループよりも高い(低い)収入を持つ」という平均の水準と(=between)、「そのグループ内で収入の分散が大きいか小さいか」という分散の水準(=within)に分けて議論する必要があるという考えた方がわかりやすい。
    仮に所得の不平等化が学歴間の格差と関連しているのであれば、(学歴で見た)世帯類型間の不平等は増すと考えられるし、学歴内の不平等が増しているとすれば、世帯類型内の不平等が増していると考えられる。
    高等教育へのアクセスの拡大、特に女性の高学歴化が20世紀後半の大きな変化だったが、こうした変化が選択的結婚を通じてどのように不平等に影響するかを予測するのは簡単ではない。
    高学歴女性が増えると高学歴同類婚が増え不平等が増すと期待されるが、一方で低学歴女性が減るということは低階層の同類婚が減少することを意味する。
    シングルマザーの増加は不平等に寄与することが知られているが、所得を等価した場合、一般的に言えば二人同居の場合は単身よりも高い等価所得を得る。すなわち、平均以下の所得のカップルが離婚した場合、不平等化に寄与するが、平均以上のカップルの離婚や独身者は不平等を減少させる。

分析方法:要因分解(decomposition
学歴はSchwartz and Mare (2005)に従った5分類にひとり親を加えた6*6-135通り。
家長の学歴と(もしいれば)配偶者の学歴のタイプで分けた35類型のグループのbetweenwithinの不平等に分解。

指標:世帯人数で等価した夫婦の課税前労働所得の合計(感応分析では世帯年収などを考慮)※無収入者はa small positive constantを加えることでTheil係数の分析に用いる。また、トップコーディングの問題から97thパーセンタイル以上の収入の世帯については削除。対象は世帯主が20歳から64歳の世帯。

分析結果
Theil係数の推移は二時点間で不平等化のトレンドを示しているが、比率(composition)のみの変化を認めた反実仮想的な分析の結果は、不平等化よりもむしろ平等化を示唆しており、between, within双方で平等化傾向が見られることがわかった。この結果から、筆者らはそもそも選択的結婚が不平等に対して影響を与えるかを、ランダムマッチングから完全一致までの両極の間で不平等度がどれほど変わるかを検討している(図6)。分析結果は、完全同類婚の状態でも不平等度はそこまで深刻なものにはならないことを示している。次に、夫婦の収入の相関を学歴結合の増加に分解するテーブルを用意した分析の結果が示されるが、ここでも学歴同類婚の効果は周辺度数、すなわち夫婦それぞれの学歴分布の変化によって説明されており、同質性のパターンの変化は効果として見られない。最後の分析では年齢幅を改めたり、人種を限定したり、世帯年収を使用したりなどのロバストネスをチェックしている。

今後の展開
不平等→同類婚の可能性(すでにSchwartzが検討している)
高学歴者の中が多様化している可能性。

その他
withinTのみ変化させると観察値よりも不平等が増す→二時点間でほぼ例外なくどのグループでも不平等が拡大しているため。
グループごとの平均所得のみ変化→withinが若干変化しているのは、withinの構成要素にxjが含まれているため。Betweenが変化しているのはグループ間で平均所得の伸びに差があるため。
平均とグループごとのTheilを変えず、比率のみを2001-5に合わせるとむしろ不平等度は減少する。同様に、2001-5の観察値の比率を1970年に合わせると不平等は増す。
比率を部分的に変更する:カップルの比率のみ、同類婚のみ、周辺度数のみの変化、夫婦の連関のみの変化、いずれも1975-79の観察値よりも不平等度は低くなる。
Deming-Stephan (1940)のアルゴリズムを使うと周辺度数のみの変化と夫婦の連関のみの変化を表現できると書いてあるが(注 16-17)、この辺りよくわからない。。。
学歴同類婚の増加の効果はトップ層のみにきいている可能性がある→ランダムマッチングと同類婚が最大に生じる仮想的な分布を作成し、その中間を両者の重み付けで表現する。両極の不平等度でも値は0.05程度しか変わらず、学歴同類婚の程度自体がそもそも不平等に寄与しないことを示唆する。
近年の研究を踏まえ、学歴ではなく所得の選別を見てみる。各学歴の平均所得からなる5*5のクロス表から作成した所得の相関から、同類婚の効果は不平等を1/4程度しか説明せず、かつその変化が不平等化に与える影響も微々たるものである。

P.833の後ろから九行目あたりからの文章がよく理解できない。

コメント(気になる箇所)
1.     Assortative matingHomogamyの区分(809, l.4)。
多くの同類婚研究は両者を区別しておらず、せいぜい前者の方がやや広義の結婚パターンのことを意味するくらいにとどめている。ただし、Assort(分類)の意味を重視すると、homogamy/heterogamyなどはある特徴を持ったカップルの組み合わせという状態を刺すのに対して、Assortativeというのは何らかの特徴を「選別」したというニュアンスがある。ひとまず、ここではAssortative matingを「選択的結婚」としておく。

2.     選択的結婚の分析なのだろうか?
2を見る限り、単身世帯は2時点間で3割から4割に上昇しており、パートナーシップを持っている世帯は6割にとどまる。論文では単身世帯に子どもの有無による区分けをしていないため、このグループには「未婚でフルタイム就労」と「ひとり親でパートタイム就労」の両方が含まれている。図3を見る限り、女性単身者の増加に寄与しているのは高学歴者であることを踏まえると、p.822で述べられているように単身者の高学歴化はある程度労働市場で十分な収入を得ていると考えられるかもしれない。不平等化の要因分解の結果、withinの不平等の寄与が大きく、特に単身者内の不平等が大きいというのは上記の単身者の定義からすれば妥当な結論で、単身世帯をもう少し精緻に区分してもよかったかもしれない。
また、そもそも論として、不平等化に寄与しているのは単身者の増加だと言われたところで、それ選択的結婚の分析なの?と聞きたくなる気持ちも残る(要因分解のところでカップルのみの分布を変化させるなどしているのでよいのかもしれないが、いずれにしろひとり親世帯を入れる積極的な理由を述べている箇所を見つけられなかったのでやや消化不良)。

3.     分析結果の解釈
グループ内不平等が比較的小さい集団(大卒)が増加したことで反実仮想状態ではwithinが減少するのは理解できるが、平均所得の低い低学歴同類婚が減少しているとしても、betweenまで減少するのはやや疑問(平均的に見て所得の多い高学歴層が増え、所得の低い女性ひとり親世帯が増えているはずなので)。結論部(p.838)でもwithinの寄与については説明しているものの、betweenに関しては説明がない。

4.     分析結果の含意
 (高)学歴同類婚の比率の増加が世帯の不平等化には関係がないという知見は一見すると意外なように聞こえる。恐らく、結婚してすぐのカップルのみを対象として、図6のように、ランダムマッチングから完全一致までのバリエーションの中で不平等度がどのように変わるかを見れば、ある程度は、ばらつきが出てくるのかもしれない。本論文冒頭で引用されているBlossfeld and Timmのような予想も、こうした発想の延長として考えることができるのではないか。この論文の手法は反実仮想的としているが、実際には(他の要素をコントロールした上で)比率の変化を見ているだけであり、本論文でも主張されているように、本質的には学歴組み合わせ別で見た世帯所得というのは、学歴と関連のある形で個人に所得が配分され、かつ配偶者(及び家庭環境)の特性に個人の所得が影響を受けるというプロセスから成り立つ(p.831)。したがって、純粋に高学歴同士が結びつくことで収入が2倍になるのではなく、例えば一方が就労調整をするなどした結果が世帯所得であると考えるべきだろう。このように、一時点の分布を見ていては、(1)夫婦の組み合わせが生じた時点の分布と(2)その後のライフコースで夫婦の所得構成が変化するという要素を区別できない。
 学歴の組み合わせ比の変化については不平等化への効果なしという結論になったが、833ページの分析で所得の相関が高まっていること自体は認めている。学歴と所得が密接な関連にあるという想定のもと、学歴同類婚と不平等の議論は出発しているが、論文が示唆するのは、学歴とは関連しない別の要素によって所得のマッチングが増加しているというものである。
 以上から、今後の家族形成と不平等の議論は(少なくともアメリカでは)、同質性の基準が夫婦の学歴組み合わせから所得の相関に移っていくと考えられる。そして、所得の相関に視点を移すことで、先のような(1)結婚時点の組み合わせ(ソーティング)と(2)結婚後のライフコースにおける(女性の)労働参加による所得構成の変化の二つに要因を分けることが今後の研究では重要になってくるのではないか。経済学では所得の選択的結婚への注目はすでになされているが、社会学でもつい最近になって上記のような問題意識の研究が登場しており、夫婦の収入の相関の上昇は結婚時点のソーティングではなく結婚後の就労の効果が大きいという(Gonalons-Pons and Schwartz 2015)。
 要するに、所得は学歴同類婚以外にも関連のある要因が多く、効果を見たい時のアウトカムとしては適切ではないかもしれない。学歴同類婚と不平等・階層性の関連を議論する際には、単純に学歴同類婚の趨勢をもって開放性を議論する、あるいは視点を次世代に向け、経済的な帰結よりも世代間における社会化などの効果に着目しても良いかもしれない。


文献
Pons, Pilar Goñalons, and Christine R Schwartz. 2015. “Trends in Economic Homogamy: Changes in Assortative Mating or the Division of Paid Labor in Marriage.” CDE Working Paper, University of Wisconsin-Madison: 1–59.




雑感:ロバストネスのチェックや仮想分布による同類婚の効果測定など、単純に要因分解をしている以外にも、問いに応えようとする方法をいくつも試みていて非常に質の高い論文だと感じた。